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2021-05-21 36:25

【GMV 381】自分の関係者だから善人とみなす

自分が関わってしまう以上、フラットには評価し得ない
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
えっと、つくづくですね。えっと、恐れや不安というのが、あの、最後まで鍵だなって思うんですね、最近。
あの、グッドバイブスで、もちろんその、グッドバイブスの先輩特許とかでは全然ないじゃないですか。
恐れなどというのはごく普通の言葉ですし、恐れないようにしようっていうのも、えっと、意外と探してみると実はないんですが、
あの、まあ、宗教的なものにはいっぱいありますよね。
勇気っていう概念も多分、あの、もとを正せば宗教的なものかなと思うんですね。
でも、あの、恐れないっていうのって、ものすごく限定的なものになりやすいと思うんですよ。
えっと、簡単に言うと、こういう人は恐れておこうみたいにすぐなると思うんですね。
グッドバイブスのように、ほぼ普遍的に恐れや不安を手放すっていうのは、やっぱりこう、なかなか宗教にまで行かないと見つけにくいと。
哲学ってあんまりこういうのをテーマにしないような気がします。
で、探してみるといっぱいあるんですよ。恐れや不安だらけだなと思うんですね。
人のは非常にわかりやすいし、自分のも気をつけていれば随所に出てきますよね。
えっと、メール一回書くだけでも出てきますよね。
あのー、なんて言うんですかね、いらない予防線を張りたがるというか、お忙しいところを恐れ入りますとか、すでに恐れている感じがあるんですよ。
こういうところまで詰めてみると、多いなぁと思うんですよ。
非常に、ごみを今朝も出しに行ったけど、そういう時にも出てくるし、
投稿班に娘を送っていきましたけど、そういう時にも当然のように出てきますし、
本当に随所に出てくるんですね。
本当これ全部いらないんですよ。
あのこれは、いるいらないで言うと、それはいるんじゃないのっていう意見もあると思うんですけど、
こと、この朝私が起きる6時から今に至るまでに、2時間半ぐらいですけど、
この間の恐れと不安は、ゼロで全く差し支えがないんですね。
ゼロにしてみたところで、多分事態は何にも変化しないと思うんですよ。
そうすると僕だけが損失するんですよ、これ。
何度もお伝えしているんですけど、今日はちょっと丁寧に見ていきますと、
丁寧でもないですけどね、アミグダーラという偏頭体というところがあるんですよ。
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脳の奥の方なんで、これ心周系って言うんですけれども、ここに何か抜粋当てるなりしようと思ったら、外からじゃ無理なんですね。
脳の表皮に近い部分の機能は、割とこれもどうかと思う人も多いと思うんですけど、
外側からちょっと磁気を強く当てたりすると、コントロールできちゃうんですよ。
だけれども、奥の方にあるやつ、常動系って大体奥の方にある。
なぜかというと、これもコンセンサスが完全にやられているわけではないですけれども、
進化の過程の中で、生物って原則、全則でもないのかな、少なくとも脳には増殖跡みたいなのがあって、
最初にできたやつほど、人間の脳でも最初にできて、より人間らしいやつほど跡になっていく形に見えるので、
外の方が、工事機能なんですね。
内側にあるやつほど生存に直結している、つまり他の生物も持っているやつの方が内にある。
常動ってのは爬虫類にもあるから、少なくとも常動らしきものは奥の方なんですよ。
先に作られるということで、呼吸とかつかされるやつはさらに奥の方なんですよ。
睡眠とかそういうのにも直結するやつとかは大体奥へ奥へと行くんですね。
単純に言うと背骨に近いわけですよね。
で、その中間地点ぐらいにある、割と奥の方にある常動系を行ってしまえば、
そこを凍りつかせるなりすればですね、それは問題ですけど、恐怖なんて消えてしまうんですね。
要するに、これは鶏卵なんですけど、怖いから偏頭体と言うべきなのか、偏頭体が活性化したから怖いという感情が出てくるのか、
怖さそのものが本当は実は感情じゃないんで、恐怖っていうものそのものは感情じゃないんで、
そういう意味ではさっき言った爬虫類みたいなものが、情緒として怖いって思っているかどうかはまた別なんですが、
少なくともその中枢にあるものの一つに偏頭体という、しかもそれをさらにその中でもきっちり分類していくと、
解剖学的に分類好きですからね、科学は。偏頭核というやつが出てくるんですよ。
で、この偏頭核ってところが活性化するといろんなことが起きますけど、それこそ恐怖情動、怖いという感情を作り出すみたいな、
そういう流れもありますが、一番やっぱり大事なのはその偏頭核が活性化する事態になったんだから血中のいろんな、コロチゾールをはじめとしてですね、
血糖値を高めるとか心拍数を上げるとかいろんなものが発生するんですね。
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ちなみにだいぶ違うんですけれども、同じような作用をある程度カフェインを使えば引き起こせますね。
身体的には。筋力を少し上げるとか、
発汗作用とか体温を上げるとか、心拍数は無論のことですよね。
上げるとか、覚醒作用をもたらしますね。何か怖いことが起きてるのに眠りにつくとかいうことはありえないので、
カフェインというものも偏頭核を活性化した時とある程度その身体反応としてはそっくりとか似ているというのとも、
同じというわけじゃないけれども似たようなところが起こると思います。
だからコロチゾールというものがですね、ある程度、ちょっと大量はダメですけどね、
ある程度の量、血中コロチゾール濃度が上がるというのは、人によるとも思いますけれども気持ちよかったりもしますね。
コロチゾール肺っていうのはあるんですよ。だから偏頭核で恐怖反応が出ると、
気分良くなるっていうこともマイルドなら起こるんで、この辺がですねまたややこしいわけですよ。
私たちが、グッドワイブスでクラズノケイドさんがいくら不安や恐れを手放すといっても、ここに快感があったりしてですね、
容易に手放せないという状態になっている人って少なからずいらっしゃる。
不安や恐れがベースにあるんだけど、それを使って怒りまくると気持ちがいいと、
周りの人よりも自分の方が権力があった場合、ちょっとした恐れを利用してカッとなってですね、
怒りまくるとコロチゾールで肺になって、しかも周りの人はみんな恐れいるじゃないですか。
これが習慣化するというケースって実は少なからずある。もちろん人間関係は壊れていきますけれども、
この一種依存症みたいなものが誇り得るんですよね。年がら年上怒ってばっかりいるっていう人ってそういうものがあったりします。
ビジネス上の付き合いとかもあったり、その人のことはもうよくわかっているからということで、
全くそれに同時ずぴったりその人にちゃんとくっついている人っていらっしゃったりして、そういう人ってすごいなって思ったりするんですけど、
これある意味仕組みなんで、できちゃう人にはできちゃうんですね。そういう怒り話の人って結局その人間関係を壊していくので、
割と残ってくれる人は大事ですよね。そういう人にも怒るんだけど、
そういう人は怒られたぐらいではいなくならないんですよ。そのことによってポジションを確保するみたいなのもありますよね。
そういう話いっぱいあるような気がします。ある意味からくりなんで、変動核というのは今の依存症と言いましたけれども、
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本質的には長続きはしないんですよ。そんなにでかい期間じゃないし、やっぱり血圧を高めるとか心拍を上げるっていうのは
身体的な負荷も大きいので、人によっては危ないんですけど、だから血圧高めの人、怒っちゃダメっていうのはあるじゃないですか。
本当に危ないんですよ。急に運動したみたいになる人がいて、それで死んじゃったり倒れちゃったりするってことがないわけではないので、
そういう意味では怒りまくってるっていうのは本人には実に毒なんですね。
身体にしつこくダメージを与えると。
だから恐れや不安っていうのは実はすごい損なんですよね。
恐れてみたり不安になってみるということによって、さっきのコルチゾール肺みたいな意味で快感だという面もあるでしょうし、
特に心拍がある程度上がると気持ちいいんですよ。これはちょっと体調、気分優れないなと。
マイルドなやつじゃねえとダメですよ。なんかちょっと調子が悪いとか、パソコンの画面見すぎたという時に軽くですね、
怪談みたいなものを使って心拍をアップウォッチとかしてるとすぐ分かるんですけど、5から10あげてやると気持ちよくなったりします。
こういう時にコルチゾールっていうのはすごい活躍してくれてると思うんですよね。
血中には常にあるものなんで、ゼロになったりするようなものじゃないんで、あるんですよ。
これを怒らずに使えるっていうのは本当に僕は、やだら使っちゃダメなんですけど、いいことだろうなと思うんですよね。
でもだいたい起こるじゃないですか。さっきも言った通りそこかしこに不安と恐れっていうのはあるので、
原則としてそれによって不安や恐れを抱いたことによって自分守れてると思ってるんですけど、
何にも守れてないんですよ。私のさっきの6時から8時半の不安や恐れは一つもいらないんですね。
たぶんゼロになっても何にも本当変わらないですよ。6時から8時半までは。
だったらゼロなのがベストなんですけど、ゼロにできていない。そういう自覚はあるんですね。
他の人のことじゃないですからね。自分のことなので。間違いなく自分にだけダメージ与えてるのは分かっているんで。
これはもう本当自分でなんですかね。難しいですね。例えば自分でみでにを切っては自分の体を傷つけてるみたいな。
そういうもの以上の何物でもないんで、他の人には一切影響を与えられてませんからね。
もしかすると良い影響を与え損なっているみたいなことはあるかも。プラスの面は一つもない気がします。
これが起こることの僕は今思う最大のデメリットだと思うんですよね。
自分の体にだけ痛みを与え、多分人間関係を損なう方向にだけほんのりとですけどね。
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他の良い影響は何もそれから得ることはない。これはやっぱり本質的には逃げるための何かであって、
逃げるんだったらいいんですよね。これを使ってもいいと思うんですけど、逃げないのにこれを使うメリットってないと思うんです。
本質的にやっぱりそのすべての生理反応が逃げるっていうことになってますから、やっぱり動物はですね、ほとんどの動物は危ないことがあったらとりあえず逃げるんですよね。
そのためにこれは開発された機構であって、逃げないのに扁桃核を刺激したところで何にもならないわけですよ。
だから昨日お話ししましたけど、僕の場合クレームメールとかもそうなんですけど、あれを怖がるメリットは本当事実上ないんですね。
逃げるんなら別なんですよ。二度と物を欠かないとかね。あるいはそもそも何もしないとかね。だからそういう風になりやすいんですけど、逃げるっつっても、
人間社会って今こうですから、鳥がどっか行っちゃうみたいな逃げ方できないからですね。というかそういうことに意味がないから、
結局こう逃げるということは何もしないになってしまって、ただ自分が食いパクれるだけみたいになりますよね。
これが非常に有効作用していないからこそ、扁桃体というものが、やっぱり今はですね、いかにこれを震わせずにおくかと、
これによって将来の危機を予防するとかは多分不可能だと思います。
できるとみんなある程度思っちゃってるから、この扁桃核とおそらく前東洋の連合を使ってですね、
恐怖刺激とそれに対する予防策みたいなのをやろうとしてるんですけど、まず一つに扁桃核ってのはアホですから、はっきり言って。逃げるためだけに動いてるわけですからね、原則。
これ中心に物音を働かせてうまくいくわけがないですよね。 爬虫類のでパソコンを使うようなものですから、うまくいくとはとても思えないというのが一つと、
例えその大脳神秘室みたいなのを使ったからって言って、人間の脳でできることをよく考えてみればですね、
これで将来に起こるあらゆる危機を防ごうというのはとんでもないと思うんですよね。
だって大脳神秘室を駆使してみたところで、
こないだちょっとぶっちゃけ相談の時に倉園さんと話題になったんですけど、将棋一つシミュレートしきれないじゃないですか。
将棋ってのは番のコマ数が9×9しかないわけですよ。81しかないわけですね。
81で、しかもコマの動かすルールは完璧に決まってるわけですよね。
いわゆる非我の戦略ってやつ、全く同じに設定してありますよね。戦略を立てている人間は自分を含めて2人に限定されている。
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とはいえ取ったコマ使えるという、世界でもおそらく唯一のルールがあるので、
手数は、手数はほとんど無限に近いけど、でも実際には有限であって無限ではない。
あれすらAIを駆使すると全然人間の脳ではかなわなくなるんですから、場合わけで将来の危険を未然に防ぐことができるはずがないですよね。
現実の世界は手数がそういう数では全く収まらない。そもそも枠がないですからね。
だからダメだと思うんですよ。この危険というものを察知して、事前に予測をして、予防策を立てて、それを実行するというのは、私は時間の無駄だとしか思えないので、
もう一切やってないけれど、それでもフィアですね、恐れですね、ゼロにできているわけではないんですよね。
だからこれを使うことに何かしらのメリットを感じている。さっき言ったようなコロチゾルハイはもうあんまないですよ。
それによって気分が高揚する気持ちよさはないです。そこまでは僕は今恐れなくなったんで、ここ2時間とかのことではね。
僕が今考えているのはグッドウォーニングマイヨースまでなんですよ。ここまではせめてゼロにしようというのを今、実践中と言いますか、何しろなくていいんで本当に。
他の時間帯とは全然違うんですよ。平穏極まりない時間帯で、ここの何かに恐れを抱く意味が全くわからない。これは癖なんですよね結局ね。
例えばだからあれですよね。メールに証文失礼しますっていうのを入れても入れなくても多分結果変わらないじゃないですか。
入れるのは自分がそれで予防線貼ったという気になれるという、この気になれるが実に大きいんですよね。
もっと言ってしまうと、私昔そうだったんですけど、
車のドアを開けるときにどうしても静電気が怖くてどうしても触れなくて、棒とかを当てるんですよ一回。意味全くないですよ棒を当てても。
それによって静電気を未然に防ぐ、いかなる作用もないですからね。でも棒を当てた後だと開けられるっていう、あれと同じなんですよ。
全く意味のない予防を張り始める。
その時も確実にあることなんですけど、電気食らうよりもダメージデカいですからね、実際には。
扁桃格動かしてしまうと。電気食らうより間違いなくダメージデカいんで、全く割に合わないことをやってるんですけど、やっちゃうんですよね。
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恐怖症とはそういうものですよね。
で、一つ、これだけで話が終わると、微細な恐怖に関する説明だけで全部終わっちゃうんですが、最近考えたんですよ。
甘えというのを僕はキーワードに、これはGood Vibesにはもともとないキーワードで、どいたけおさんの甘えの構造から取ってきたものなんですけど、精神分析ですよね。
僕は最近、お好み圭吾さんという人の本の方を盛んに読んでるんですが、仲井沙夫さんという方も最近読んでるんで、そっちの話もしたいんですが、話が無駄に広がっていくし、結局同じような話になるんで、
お好みさんの本、自己愛人間っていう本に出てきた用語がですね、自己愛なんですけど、健全なうぬぼれっていう表現があったんですよね。
これが甘えと同じだなというふうに思って、これが私には欠けてるなっていうのが、うぬぼれがないっていう話じゃないですよ。
健全なうぬぼれっていうふうにですね、書いてるその概念なんですが、単純なものですよ。
そうするに、例えばなんかすごい、それこそガザ地区がどうのっていう、すごい悲惨な映像を見るじゃないですか。
なんかでも自分にはこういうことが起きないような気がしちゃうとか、根拠がないんだけど、ここには直感型自身は来ないような気がしちゃうとか、これがお好みさんが言う健康な自己愛っていうものなんですよ。
根拠はないですよ。自分は、つまり明日は死なない気がするんですよ、明日までは少なくとも。
で、しばらく死なない気がする。こういうの全ての人は持ってると。なぜなら自分だから。理由になってないですよね。
理由になってないんですが、これが全くないと欲打症にはなるんですよね、おそらく。
うちの人は現実をよく検討できているっていう言い方をするんですけど、ここを指してるんですよ。
根拠のない自信というんですかね、独特の自己信頼感が欠如してしまうと精神的には健全さを失い得ると。
僕はこれの延長線に愛国心とかがあると思うんですよね。
日本が好きだと。理由は別にない。理由はありますよね、人々は。美しいとか、安全だとか、治安がいいとか、人が親切だとか。
でも私はその理由は当然後からつけてるものであって関係ないと思うんですよ。
大体どこの国の人たちだって自分の国好きです。理由ははっきり僕は知ってると思うんですよ。自分の国だから。
それはなんでかっていうと結局それに対する責任を取らされるからだと思うんですね。
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自分の肉体ってものについて考えると一発だと思うんですよ。
例えば僕が親知らずを抜くと。痛いの僕だけですからね。これが自分の肉体に対して責任を負わされてるってことじゃないですか。
好きになるしかないと思うんですよ、こうなっている以上は。
だってそれに対して好きになってケアしなければ痛い目見るのは必ず自分じゃないですか。
住んでるところも同じだと思うんですよね。住んでるところがダメになっちゃいましたっていうのは困るのは自分なんですよ。
だから構造上ですね、それを好きになるのは必然的だと思うし、それに対して根拠なく信頼感を持つのは当然だと思うんですね。
ここに根拠を求めるっておかしいと思うんですよ。
自分の肉体は好きです。なぜですかと言われて特別美しくないじゃないですかとか特別強靭じゃないじゃないですか。
僕なんかそうですからね。特別健康なわけでもない。
自分の肉体などというのは客観的に評価してダメだと思うべきだって言われてもダメなんですよ。
だって痛んだ時に困るの僕だけですからね。客観的に評価してくれる人、健康診断とかで評価してくれる人は
僕の肉体がどうなろうと別に痛くも痒くもないわけだから、僕と同じ態度が取れるはずはないんですよ。
これはめちゃくちゃ当たり前のことで、だから自分が好きなんですよね。
で、そこからするとですね、自分の肉体が好きってのは自分の肉体という所有物が好きなわけですよ。
そうすると自分の所有物が好き、これは心理学でありとあらゆるつまんない実験だなと僕よく思うんですけれども
例えば買ってきたマグカップを同額では売りたくないという心理が働くわけですよね。
所有感が強くなればなるほど、4ドルで買ったマグカップが平均6ドルでないと売り払いたくないっていうのかな。
でも買う方は当然そうじゃないから、なぜなら売る人にとってはそれは自分のマグカップだから価値があるんだけど
買う人にとってはそうじゃないから、同一の価値があるはずがないんですよね。
ここに独特のオークションの心理とか、中古品が妙に高くなったり安くなったり、新しいのが高いのか古いものだから高いのかが非常にねじれてくる原因が発生するんですけど
全部同じですよね。自分のだからなんですよ。
自分のものはだから好きだと。これが僕は確かに少々気迫なところがあって
そのことが人間関係を難しくするし、あんまりいい言葉だとも思いませんが
コミュ障ってあるじゃないですか、ネットスラングみたいなので
あれはたぶん一つにはこの健全なうぬぼれが、適応関係が狭いんだと思うんですよね。
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人間関係を多分円滑にするのはこの健全な自己愛というものの関係を広げることによって
自分の子だから特別とか、自分の奥さんだから特別扱いできるっていう
これ甘えの構造における甘えと完全に同じですけども、それがあってこそなんだと思うんですよ。
自分の子供だけれども偏差値が低いから好きになれないとか、ダメじゃないですか。
なんかものすごく不健全なものを感じるんですよ。
だけどアホだし、風ばっかりひいてるし、何なら隣の子とかを無駄なちょっかい出していじめたりするけれども
この子は可愛いし、将来はきっと素晴らしい。なぜなら自分の子だからなんですよ。
うちの子に限ってっていうドラマが昔流行ってたんですけどね、私が子供の頃。
そういうことなんですよね。あれはうちの子に限ってと思っちゃいけないよって話なんですが
僕はうちの子に限ってと思うようじゃないとダメだと思うんですよね、結局。
今の話の流れの中でですね、孫カップにすら愛着が湧くのに子供に愛着が湧かないはずないので
もしこれをフラットにしようとしちゃったら、多分フラットにならずに逆転するしかないと思うんですよ。
ありますよね、逆転するという心理。
これはもう僕の用語ですよ、勝手な用語、精神分析にはないですが
マイナスの自己愛みたいなのってあるじゃないですか。
日本だから許せないみたいな、日本にしか関心ないんだけど日本のことは徹底的に悪く言う
アンチ巨人みたいな感じがちょっとするんですよね。
巨人が嫌い以外の視点はないっていう、でもそれって巨人が好きっていうのと同じなんじゃないかなって思うんですよ。
だいたいこれには人気のあるチームしか発生しませんしね。
僕はあんまりアンチロって言って聞いたことがないんですよ。
人気のない球団はこういうものないと思うんですよ。
マイナスの自己愛みたいになって、親が嫌いとか自分の子供が好きになれないって言った時は
もうフラットじゃないと思うんですね。根拠は全くなくて。
それはただ、本来的に言うと自分が好きの延長線上に自分の子供が好きなんですけど、自分のだから。
自分のだからこそ嫌いっていう真理になってしまう。
これも同じだと思うんですよね。
自分の肉体が気に食わないというのは、自分の肉体だから大好きなんですよ。
だからこそもっとこうあってほしいのに、そうでないからものすごく許せないっていうそういう逆転の真理。
結局責任を負わされていますからね。
ブサイクだったらその責任全部自分が負わなきゃならないじゃないですか。
だから自分の顔が嫌いってことになるんだと思うんです。
これは僕はすごくマイナスの自己愛。
本質的には自分がいい目を見たいからこそこの顔が許せなくなるみたいなそういう真理。
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決して中立にはなり得ないっていう感じがしますね。
これで僕はですね、だいぶこのからくりの中で恐れと不安っていうのが取れそうだなっていう感じを最近抱いているんですよね。
どういうことかというと、まず娘に関しては容易に適応できる僕の場合は自分の子だから。
それで十分なんですよ。
これを自分の奥さんだからでいいと思うんですよ。
そうすると特別扱いできることに何の抵抗もいらなくなるんですよね。
先日からの依頼みたいな話の続きになっていくんですけれども、
例えば仕事のパートナーでもですね、大橋さんがそうだから大橋さんが例えばいるとするじゃないですか。
自分のパートナーなんだから特別扱いする。
これでもう十分なんだと思うんですよ。
他の人が言っているのと同じようなことを仮に言っていたとしてもですね、
自分のパートナーが言っているんだから特別うまくいきそうな気がするで、
この方がいいと思うんですよ。
ここを何かよく分からないんだけど時々ですね、
今の世の中の繁栄なのかフラットにしようとしちゃうんですよね。
自分の行っている会社の自分の上司だから特別扱いしてあげようというのが働かなくなってしまうんですね。
そうすると僕はフラットには絶対ならないと思うんですよ、その場合。
これからの時代は自分の上司だからとかじゃなくて、
なぜならば会社とかどんどん変えるし、
一歩間違うと自分の奥さんだからみたいなのも機能しないと。
なぜなら離婚とか結婚どんどん流動的にするから。
でもそうやっていくとですね、
たまたまこれはお好みさんがこれを昔は縁によるって言ったんだって言うんですけどね。
自分と縁があったんだから特別扱いしましょうと。
飲んだくれで掛け言ばっかりしてるけど、
自分の夫なんだからきっと将来は良くなってくれると信じる。
こういう信じることによってそうなっていくんだって話なんですけど、
今時認められにくい部分があるわけですよね。
なぜならたぶん縁という言葉は古い感じがしますよね。
それはフラットに物を見ようという、
自分の子だとしても偏差値で物を見ようというような、
客観性というのをすごく重視するようになった中で、
一部適応されなくなっていると思うんですよね。
絶対自分には適応していると思うんですよ、そうは言っても。
つまり今時愛国心って古いじゃないですか。
それは責任を負わされることに違いはないんですけども、
なるべくフラットに見るべきだというのが働いてきていて、
だからこそ自分に関わっているとしても
そこで特別扱いはしないよという理屈になってきていると思うんですよ。
ところが一切ただ特別扱いしないというだけなら
フラットに関係できるんでしょうけど、そうはならないと思うんですよね。
会社に自分が行ってて毎日毎日会う上司なのだから、
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自分の上司だから特別多めに見ようとか、
自分の上司だから少々無茶を言ってきても入れてあげようとか、
受け入れてあげようとか、自分の会社だから少々うまくいってなくても
何とかしようというのが働かないのならばですね、
多分マイナスの自己愛が働いちゃうと思うんですよ。
この調子だけは許しがたいみたいになると思うんですよね。
ここに僕はすっごい強い恐れと不安が働くんだと思うんです。
結局マイナスの自己愛というのは恐れと不安なので、
自分が関わっているんだからポジティブに捉えるというのの逆はですね、
自分が関わらせられてしまったんだからネガティブに捉えておかなければ
大変なことになるっていうことになるじゃないですか。
日本が嫌いっていう話は全部こういうもんだと思うんですよね。
外国人が言ってるのとは訳が違うんで。
この愛国的な話はまあまあだ、いいとしてもですね。
これが家族間に入ってきたらやっぱり大変なことになると思うんですよ。
自分の奥さんだからこそ譲る世代みたいになったら、
毎日一日中、一歩間違うと今のような情勢だから四六時中いるわけだから、
もはや一緒にいないほうがそれだったら安全だろうっていうことになると思うんですよ。
決してフラットにならないと思うんですよね。
マイナスの自己愛が強烈に働いて、
全部こうじゃなきゃいけないのに全部そうなってないっていうことになるとですね、
すっごく相手に対する憎しみがお互いに募るはずなんですよね。
そこにやっぱり恐怖っていうもの。
自分がこの人に関わらせられて、この人のせいで人生が台無しにされていくっていう恐怖を時々刻々とですね、
毎秒毎秒人生がダメになっていくっていう恐怖感でいっぱいになっていくはずだと思うんですよ。
解消したほうがいいような気がさすがにしなくはない話ですよね。
だから最初からニュートラルじゃダメだと思いますね。
基本的には、だから甘えなんですけれども、
自分の関係者であるから特別扱いするのがもうデフォルトみたいにしてしまわないと、
たまたま仕事のパートナーになったんだからっていうスタンスでずっといたら、きっと逆に逆に採用していく結論になるんではないかと。
それがですね、ここ2時間の小さな小さな恐れと不安というものを見るにつけ、結局これは関わっているっていうことについてはですね、
理不尽にポジティブっていうのかな。根拠なくポジティブ。
理にかなってないけどポジティブみたいになるんじゃないとダメだと思ったんですね。
そうしないと決してこの不安取れない。近所付き合いはどこにでもあるじゃないですか。
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要するに言ってみれば。
結局最近の繊細さんとかHSPとかコミュ障といったケースの話の中で必ず出てくるのは、必ずではないけどしばしば出てくる、実にオカルト的な何かっていうのは、
私が行くところ行くところひどい人が現れるって話なんですよ。完全に僕にはマイナスの自己愛みたいな感じがするんですね。
さっきの縁の逆ですよね。悪縁みたいな感じですよね。縁あって一緒にいるんだから良くしましょうっていう話が。
縁が悪く常に出てくるから自分はなんかすごい不幸な星の下に生まれたみたいな話になってるんだけど、
それって結局、理想的な人間関係というものを自分だからこそ求めるわけから来ると思うんですよね。
そうしないと自分がここの近所に住んでしまって、こういうわけのわからんおばあさんとずっと一緒にさせられるというとんでもない不幸。
でもそれはどこに行ってもあり得ることであるばかりでなく、自分だからこそそれほど深刻な問題として捉えるわけですよね。
自分が関わるから。多分それを片目から見ていると近隣トラブルありがちだなって思うだけだと思うんですよ。
自分がそれを捉えるからこそすごく大問題のようになってくる。
自分だけが背負わされるとても不幸な馬鹿げた出来事っていう感じがするんだと思うんです。
この視点は非常に偏っているわけですよね。
この偏り本来逆に回すべきだと思うんですよ。
出来の悪い子ほど可愛いみたいな、ああいう感じにしていかないと。
決して自分にとって常識的で良識的な人たちだけが常に周りに登場するっていう人生物語って起こり得るはずがないでしょうし、
そういう風になってないといけないという風になると、やっぱり逆円に逆円に出てくるという感じがするんですね。
これが古いっていうことに今なったから多分人間関係が難しくなったんだと思うんです。
円があってなんて言っていてはいけなくて、世の中のどんな人でもこのぐらいの常識とこのぐらいの良識と
このぐらいの人材の良さで接している人だけで構成されてなければいけないみたいになったら大体無理ですよね。
自分の子供とかに当てはめるとすぐその辺は明らかになる気が僕はするんですよね。
自分の子供だからというのしか理由にならないと思うんです。甘えさせる理由などというものとしては。
だからこうでないならば許し難いになってしまったらニュートラルな関係を築くっていうわけにはいかなくて、
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でもそれを築こうとしているところに恐れが発生して、意外と小さなことでしかないのに
変な大きさを持った独特のトラブルになっているのではないかという感じがしています。
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