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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
ここのところ、依頼の話を続けている気がするんですが、厳密な話にはならないんですけれども、
私が一番最初に、クラゾノンさんのグッドバイブスに触れたのは、
どっちかというと、本とチェンジ図という、現在これ1週間、ちなみに最新記事だけ1週間の間、無料で公読いただけますので、
このPR足りてないんですけど、最新の記事だけですね、読んでみていただければ、
ある意味毎週毎週欠かさず読んでいただくと、過去記事は読めませんけど、読めるんですよ、ほとんど全部。
だから無料で、一応確認しておいていただけるといいかなと。
私が思うに、最初から読んでないとちょっとあれですけど、他のJUNさんのコミックは過強に入ってきて、
この話もちょっとしたいんですけどね、今日できるかな、わかんないけど、チェンジ図で読んだんですよ、クラゾノンさんの記事を、話を戻すと。
それが結構、キー感じがするんですね。
私が一番最初に書く、完全にこれは受け入れられる、全部受け入れられたわけじゃないから、最初から。
一つ意識とかはですね、一つ意識はもちろん仏教にもあるわけで、知っていたという意味では、もう3歳の頃から知っていたってことでは、知っていたんですよ。
でも、こういう文脈でビジネス書から読んで受け入れるかどうかっていうのは全然別の問題で、
一番最初に受け入れたのは、フォースを使うとかでもなくて、最高の仕事力を、一番早いやり方みたいなのもそうなんですけど、
それも受け入れ難いとは思わなかったんですけどね、シングルタスクで、ちょっと普段の考えているレベルよりも一段と入るっていうやつなんですけど、
それよりもですね、依頼に本気で応える、当時全力でとかはかなり慎重に排除されていて、本気で応えるっていう表現になっていたと思うんですけど、
これが一番私は最初にスッと入ったんですよ。その後それを人に前で展開するようになれるまでには一定の期間があったんですけど、
一番最初に入ったのが仕事という依頼であれば、これに本気で応えるというのが一番入って、これは絶対にタスクシュートにすぐに組み込めるっていうふうに、
僕は当時そういうふうにしかある意味考えていない面があったから、そういうふうにまず考えたわけですね。
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というのも、タスクシュートでもこれはもう自明だと思ってたんですよ。依頼に応えると。本気でとか全力でというのは一旦置いておくにしても、とにかくまず依頼優先でやっていくと。
で、先日オンラインセミナーでもそこが一番紛糾した感が無きにしもあらずですが、でもですね、タスクシュートをちゃんとやっている人がここを受け入れないっていうのはおかしいだろうっていうのが実はあるんですね。
たとえバラバラ意識ってあってもですよ。一つ意識じゃなくても、私当時一つ意識というふうに、一つ意識が本質的に本来的だとは思っていたけれど、一つ意識で生きていたかというと全く全然そうじゃなくて、いかにもバラバラ意識なんだよ。
でも依頼に本気でっていうのは、ちょっと違うっていうか、本気になれてないことはあったと思うんですけど、最優先じゃないとダメだというのはあったんですよ。
タスクカフェというのを大橋立夫さんと100回以上やりました。話を何度聞いてもですね、ほとんどの日は依頼で埋まるんですよね。タスクシュートちゃんとつけている場合は。つけてなくても同じのはずなんですよ。つけていればそうなるってことは、つけてなくても実態はそうだってことの違いはないはずなので。
依頼で全部1日が埋まるということは、依頼を優先してやらないでは済まされないということになるじゃないですか。
私がどうしてもですね、いわゆるデビッド・アレンさんのゲッティング・シングス・ダンデというところのですね、サムデイリストとかにどうしても真剣な興味を払えなかったのは、そっちの話を中心にしたところで意味がない感じがしたんです。
自分がやりたいこととか、誰からの依頼でもないこととか、そっちの話を一生懸命していたところでですね、それを逆算してやるだの、そこにゴールを設定したとしてもですね、手がけられないまま100日とかが過ぎていく、忙しい人の場合。
そのほとんど架空の存在みたいな、全くゼロじゃないにしても、限りなくゼロに近い数人の話について真剣に話す気になれなかったわけです。
まず依頼の方を何とかしないとどうにもならないじゃないですかという感じだったわけですよ。
今は結構タスクシュートクラウドが出ましたから、JMX株式会社さんのほうでガーッとやってるからかなり広がってきてますけど、当時タスクシュートっていうのはやっぱり僕がタスクカフェで一生懸命喋ってた頃ですね、極めてマイナーな、日本ではGTDとタスクシュートみたいな言い方をする人もいらっしゃいますけど、
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そうではないんですよね、実態としてはマイナーなものなんですよ。
そしてパッと見はバラヌイヤっぽい差があって、うっときて受け入れがたい、これに手を出すという人はやっぱり非常にツールが好きか、さもなくものすごい忙しくて首が回らなくなってるか、
少なくとも暇な人はいないんですよね、あれをやっている人で、ものすごく管理が飯より好きだみたいな人は別としても、それはそもそもマイナーですからね、少ないわけじゃないですか。
そこで多分忙しいと、暇は全くないという人がですね、依頼じゃないことの管理に手を出している、そもそも暇があるわけがないと思ったので、その話に真剣にその話をするっていうのは、
なんかこう、昨日ちょうどですね、プラザの系統さんと収録していて出たんですけど、久しぶりにパラレルワールドなんですよね。
ありもしない世界のこうだったらいいのになみたいな話を、ただ延々タスクカフェのようなそれなりにお願いいただいていて、休日の朝から忙しい人たちに集まってもらって、
そんなパラレルワールドでこうだったらいいのになの話をしていられないと、少なくとも私はそう感じていたんですね。
当時、僕自身もそれなりに忙しかったですし、タスクシュートをつけているともう、99%とかいう言い方、実はぬるくて100%依頼で生きていたわけですよ。
家に帰れば妻もいて、生まれたばかりの子どももいて、本当はそっちでやるだけだって1日終わるのに、そこにもう本の原稿で並行して5冊みたいな感じで、
少ない時でも3冊、3冊並行して書きながら、一応育児も家事もやりますみたいなのは、もう自分の時間なんかあるわけがないんですよね。
その中でですね、サムデイリストはどうやりましょうとかいうのは、なんかこう、やっぱこうだったらいいのにななんですよ。
そんなことをしゃべっていても気休めにもならないので、依頼をどうするかということで、全部埋まってる100%100%だし、
日は数えないんだけど、向こう1年は100%依頼の時間で埋まると。
だから私一番心がつける、寝てる時間を除くと心がつけるのはやっぱトイレだなーってのがあったんですよね。
トイレいいなーっていう、トイレをしていればホッとするっていう、これはある意味自分の時間というならばこれだと。
他の時間はなんかしてましたからね、その依頼に対して。
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一応朝4時に起きて原稿書き出してたっていう感じでしたし、娘と一緒に寝るわけですよね。
寝かしつけを兼ねて、夜の8時台か遅くとも9時台には絶対娘と一緒に寝ると。
夜泣きはあんまりしない子でいい子だったんですけど、全くしないわけじゃないですし、奥さんがだいたい対応してくれてたんですけどね。
そういう時間に寝たわけだから、4時には起きられるじゃないですか。
そしたら起きてすぐ1本書くわけですよっていう感じだったので、サムネイとかそんな話はしてられないというか、
そんな話は望まれてないでしょうっていうのが本音のところにありました。
筋トレとかね、筋トレやってる場合かっていうのがどっかにあったんで、本気でかなのか全力でなのかは当時ながら不明だったんですけど、
とにかく最優先で、何をおいてもそれをするっていう。
沖縄とかお金はね、それだけ仕事あったわけだからないわけじゃなかったんで、行ったりしたわけじゃないですか、私は。
沖縄でも本書いてましたからね、ほとんどの間隔の中では一緒に家族で行動する時間を除けば何か言語を書くと。
割とステップ集まってるのもあると。
その中で沖縄でもセミナーもやるっていう感じで、とにかく依頼なわけですよ。
依頼じゃないものはないっていう感じで、自分の肉体、当時私はそう考えてたんですよね、タスクシュートで。
肉体からの依頼か仕事での依頼だと。
あるいは家族からの依頼、当時の娘と妻からの依頼ですよね。
ここを取り除いたらゼロですよ。どう考えてもゼロなんですよ。
だいたいサブネリストのための何かをしたいなんてかけらほども思いませんでしたからね。
そんなことをする暇があったらトイレにこもりたいっていう感じだったんで、
トイレにこもってる時間ももったいないって正直ちょっと思ってたところがあるので。
タスクカフェにいらっしゃる人は、この私よりもだいたい忙しいという人が、
普通に平均的には小人数だったので6人くらいしか来なかったんですけど、
うち3人くらいは私より忙しかったりするわけですよね。
夜の1時まで会社にいるんですみたいな話も頻繁に入ってくるわけです。
ここでサムネイルはないでしょうっていう感じがあって、
どうしても依頼でなきゃダメだと。
ただ、Good Vibesまではやっぱり迷いがありまして、
私の中でこの依頼をやってるに決まっているわけですけれども、
どの時間をとっても何らかの依頼ですから。
自分の肉体からの依頼を依頼と言えば、
睡眠時間も含めてどの時間をとってもどこかからの依頼なんで、
だから私はプロジェクト名は依頼主の名前を書きましょうっていうのをずっと言ってたんですよ。
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これもこの程度のことで拒絶されることが結構あってびっくりしたんですけど、
不思議でしょうがないんですよね。
出版社さんからの依頼は、例えば技術評論者って書いとけばいいじゃないですか。
それでいいと思ったんですよね。
プロジェクト名なんていちいち書かなくて。
私だからタスクカフェなんてプロジェクトには絶対書かず、
絶対ってことはないけど、まず書かず大橋栄造って書いてあるわけですよ。
これでいいじゃないかと。
大橋栄造なのか、クラゾの計像なのか、技術評論者なのか、
あるいは自分の体からなのか、これで基本的に回ると。
こういうのがいっぱいあるわけですよ。
妻の名前があったり娘の名前があったり、
昔は研修とかも受け入れていたから、
研修さんの会社の名前だったり、組織の名前だったり、
川崎氏とかですね。
そういう風になってたわけですよね。
この依頼の優先順位を考えたいっていう方が、
この忙しさの中でもいらっしゃるわけですが、
私それ無意味だなとつくづく思ってたんですよね。
お気持ちはわからないではないんですよ。
すごい忙しいわけだから、
例えば一番見入りの良い順からやっていきたいと。
私という事をやってみたことあるんですよ。
ところがたちまち破綻します。
理由は簡単で、娘が泣いたと。
で、奥さんは寝ていると。
明らかに疲労困憊して寝入っていると。
これどうすんだって話ですよね。
あるいは奥さんはゴロに入っているとかね。
お金の発生しないから娘は放置するのかと。
そうはいかないですよね。
例えば大橋哲夫さんと当時かなり一緒に仕事をやっていましたから。
倉園さんはたぶんグッドバイブスを書く時期に入っていて、
全然僕の視界から消えていたんで。
倉園さんはいらっしゃらなかったけど、
大橋哲夫さんとはかなりやっていたわけですよ。
大橋さんからの仕事というのは、
トータルでの収益はすごい大きいんですけれど、
大きかったんですけど当時は。
でも1個1個がいくらなのかなんてわからないじゃないですか。
例えばタスクカフェのセミナーに行く、
荷物を詰めますと。
これも極めて間接的ながら、
そこは大橋さんの名前があるんだけど、
荷物を詰めるといくらになるんだとか、
そんなことはあり系算出できないですよね。
そういうのを算出したがるということもあって、
してみたこともあるんですけど、
意味ないなと思ったんですよ。
なぜならば、
どれほどそれの優先順位がどうであろうともですね、
電車に乗る直前になったら、
出発準備するしかないじゃないですか。
娘が泣いていますとか、奥さんがとか、
そういうのも必ずしも優先できなくなりますよね。
ましてそこで現行確定のおかしいですよね。
つまり、
TPOに合わせて変化するしかないわけです。
あえて原則よりも、
先に頼まれた方を先にやるしかないだろうなと。
本の現行にしても、
誤差数とかになってくるとですね、
順番どうするのかといえばですね、
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先に頼まれた方を先に書くより方がないじゃないですか。
こっちの方が現行料高そうだから、
後に回そうとかいうのはどうかと思うんですよね。
それにそんなことはわからないですし、
どれだけ頼まれた方が先に書くのか、
どれだけ頼まれた方が先に書くのか、
どうかと思うんですよね。
それにそんなことはわかんないですしね。
3ずりとか出てしまえば、
最初の現行料が安い方がトータル量が高くなることは多々ありますし、
そんなことはわからないし、
何よりもそれはやっぱりおかしいわけですよ。
現行を書いている時に娘が起きてきても無視するのか、
無視できないですよね。
だからTPOに合わせてそこは変化するしかない。
で、最終的にどうなるんだろうっていうことになりますと、
これは最終的にしか決まらないんですが、
最終的には頼まれたのが近いか遠いかっていうことが
大きな意味を持つわけですよ。
厳密に考えればですよ。
厳密にそんなに考えませんでしたけど、
例えばタスクカフェに行きましたと、
誰かが帽子を忘れてきましたと、
これは依頼なのかどうなのかってあんまり考えないじゃないですか。
対価発生するのかとかね、
大橋さんが何か忘れてきました。
彼は忘れない人なので、
そういうことはなかったような気がするんですけど、
だとするとですね、その帽子届けたりするじゃないですか。
これは依頼に近いですよね。
この時に優先順位とか考えるのも、
収益性とか考えるのもおかしいと思うんですよ、やっぱり。
で、その時はたまたま自分の距離が近いからそれをするわけですよね。
こういう構造になっている。
あえて図式を好む場合はですね、
こういう構造を考えるしかない。
妻や娘が目の前で要求してきた以上は、
この要求を入れることになると。
あとは最後まで悩んだのが、
その緊急性について考慮するべきかどうかでした。
結局強く泣いているのか、愚図っているのかで分けるべきか。
愚図っている程度なら言語優先して、
強く泣いている時は子供をあやすのかとか、
奥さんが強く言ってきた時は対応し、
何かちょっと頼んできている時だったら無視するのかとか、
そういう話ですね。
ここが私は長らくですね、
ここを微調整かけるぐらいしか、
あとできることはなかったので、
ここの微調整でタスク集となりようですね。
なるべくそこに並んでいる順番があるのならば、
並んでいる順にやったらどうですかと。
これはどういうことかというと結局、
前に立てた計画通りにやるのがいいと言うのではなくて、
どうせ絶対やることになるものについて
悩むのをやめましょうって話なんです。
悩んでしまうと、
他にやる時間が1分もないのに、
他のことをやりだすのが人間なんで、
書いてあったらそれやれと、
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依頼なんだからっていう話をしていたわけですよ。
だけどここには微調整の余地ってどうしても出てきますよね。
どっちを優先したいのか、どっちを先にしたいのか、
気持ちだけの問題かもしれないけれど、
ないわけではなかった。
どっちを優先したいと。
という気持ちに、
少しでも添える方を先にやるとか、
いろんな話をしてみたんだけど、
やっぱり迷いがあったわけですよ。
グッドライブスが、
依頼即応っていう感じ。
依頼があったら即に対応っていう風になってから、
自分の中では、
これは非常にすんなりと入ってきて、
こういういきさつが背景にありましたからね。
そうすればいいんだと思ったんですよ。
そうすれば、
いちいち依頼の重要度とか、
依頼主の好き好きとか、
そんなものを考慮に入れる必要はもうなくなる。
ついでに言うならば、
依頼主と私の関係性はいつでも対等なはずだというのを、
ここで両立できるようになるじゃないですか。
依頼主は、
なんかろくでもない人間だから、
この価値は下げることにしようとかって、
そういうややこしいことをせずに済むわけですよ。
だいたい、
いい人か悪い人かわかんないわけですからね。
私を悩ませた最後のポイントの一つに、
クレームメーター、書評みたいなやつ。
ダイレクトにいただくこともないわけじゃないんですよ。
メールでね。
メールとか、今で言えばSNSのDMか、
売れた時はありましたね。
ほとんど嫌がらせとしか思えないような長文を、
面々前の文章のどこがダメで、
書いている本のどこがなってないのかを、
的確に提示してくると。
これを読んでしまうとですね、
原稿を書く手がいかにも鈍るので、
いわゆるグッドバイブスというところの分離したくなるんですけど、
私これ一生懸命取り込んでたんですよね。
やるの良かったのかどうか分からないんですけどね。
エヴァノートとかにとって、読むんですよ。
なぜそんなことをしていたのかというと、
今ならばそういう言い方になるんですけど、
一種の依頼のような気がしたんですよね、当時。
つまり、これは僕は、
大橋さんはそういう風に言ったつもりはないと、
おっしゃるかもしれないですけど、
これ大橋さんから勉強したことだと思っているんですよ。
彼は用心深いからなのか分からないですけど、
なんとなくいろんなものに、
すごくきちんと対応する人だなというのがあったんですね。
面と向かっての場合は特になんですけど、
私から見ると、どう考えてもこれは、
大橋さんが対応する義理はないケースに見えるという場合でも、
割とちゃんと考えて、僕の目から見ると、
ちゃんと答えているというのが、
結構出会った最初の頃にあって、
結構感銘を受けたんですよね。
これで、こうしないといけないような気がしてきたんですよ、その後。
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僕の場合、極端なんで、結局それがですね、
講師でそういうクレームメールみたいなのを、
ちゃんと読むみたいな変な方向に行っちゃったんですけれども、
ただ、これがですね、結構、
なんていうんですかね、
文章を書く上で役に立ってきている気がするんですよね。
そういう気持ちで、
役に立ってきている気がするんですよね。
そういうクレームって、
本を読んでいるのがこいつぐらいな雰囲気を持っているんだけど、
よく読んでいくとですね、よく読むのは辛いんですけど、
よく読んでいくと、今はこういうのが来ないですよ。
やっぱり今、昔ほど売れていませんよね。
売れているとこういうのが来るんですよ。
よく読んでみると、こういう読み方って可能かもしれないって思えて来るんですよ。
そうすると、
なんていうんでしょうか、
文章って一文書いた時、
著者ですから一応、しかも編集さんの手も入っているから、
一位に決まるレベルにしているつもりなんですよね。
この文章の意味は、少なくともこの本の、
この文脈ならこうとしか読めないぐらいな、
特に小説を書いているわけではないので、
そういうふうに持っていっているつもりで、相当持っていっているつもりで、
少なくとも180度逆に読まれるなどということは、
想像もできないんだけど、
180度近く、169度ぐらい逆に読まれることがあって、
そういうのがクレームっぽくこっちには見えるんですけど、
どう考えてもその解釈には無理に無理を重ねていないと、
そうはならないでしょうって思うんだけど、
よく読んでいくと、
その人の何となく心情みたいなものが伝わってきて、
こういうふうに、
普通の人は多分やっぱりそうは読まないだろうけど、
読めるんだっていう、
なんかですね、
こういう言い方はちょっと申し訳ないんですけれども、
でもやっぱり私の頭ではそう感じられるのが、
統合執著の主観というものかなって感じが、
僕の発展はいいんですかね、
こういう本を朗読されながら眠りました。
その時に見た夢の解釈では、
こうなりましたみたいなものが、
なんかこう朧げに感じられてくるんですよ。
で、1位に文章の意味は決まらないんですけど、
そういうのを痛感させられるんですよね。
絶対に同じような意味には捉えられることが、
何点ですかね、そんなことはわかってるじゃないですか。
全ての人が見る主観は違うということはわかってますが、
そうじゃなくて、
それを突きつけられた感じがするんですよ。
こういうふうに言えるんだっていうものがですね、
ほら、ここで吐き戻しができるようになって、
こういうふうに、
そういうものがですね、
ほら、ここで履物を脱いでくださいというのもあるじゃないですか。
ここでは着物を脱いでくださいにもなっちゃうみたいな。
あれと同じように、
全然違う分野になって、
読み取れることも可能なのだということをですね、
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こう、クレームというものは教えてくれるんですよね。
それで、
いろんな角度からいろんなことを言うということを、
自分はこう、
それこそですね、
粘着的にできるようにだんだんなったんですね。
もともとそういう性格もあると思うんだけど、
粘着的になっていったっていう、
これは良い意味なんですよ。
あえて言えばですね、
いや、嫌なところもいっぱいあると思うんですけど、
溜め込んだものを粘着的にいろんな言い回して、
だから私は、
同じようなセミナーをするときとか、
文章とかもそうなんですけど、
タイミングと機会さえあれば、
少しずらしたいんですよね。少し変えていきたい。
そうすることで、どうしてもそういうやり方しかないと思うんですよ。
一位には決まらないわけだから。
これでこう、粘り強くなぞるようにですね、
同じことを同じ人たちに言うことっていうのの、
意味にすごくこう、
何ですかね、やりがいですかね、
を感じられるようになったんですよね。
タスクカフェって、もっともっと僕にとっては
辛い仕事になってたんじゃないかと思うんですよね。
だってさっき言った通り、6人ぐらいしかいらっしゃらなくて、
日によっては3人とかなんですよ。しかもメンバーほとんど変わんないんですよ。
僕の言うことって毎回ほとんど同じじゃないですか。
そうすると、なんかこう、
これをやるってどうなのって感じが、大橋さんって方は独特で、
割とそういうことが苦にならないんですよ。
苦にならないのかな、わかんないな。
私がそう感じる。だけど私は、
たぶん、
さっきの粘着的な何かを得ないままやったら、
結構大変だったと思うんですよね。
途中何度かね、ちょっとやめたいですみたいなことを
言っちゃったことがあるような気がするんですけど、
でも何とか100回やれたんですよね。
それには、これが割とものを言っていて、
っていうのもやっぱり、同じことを同じメンバーに
同じように言ってても、毎度毎度絶対違うんだっていうのを、
やっぱりそういう何通か来る、
同じ刃みたいなクレームに切りつけられてるうちに、
学ぶんですよね。痛いんですけど。
これがいいことだっていうわけじゃないですよ。
こんなことしなくていいって僕は思うんですけど、
僕はやっちゃうんですよね、結局。
で、やっちゃうのは僕なんで、
そういうところから得たものの一つがこれだったんですよね。
どんなに明快に見えても、
明快なんてことは、
明快に尽くし得るってことはありえないっていう感じだった。
それぐらいクレームってすごいんですよ。
不思議の国からやってきたようにすごいんですよ。
想像できないんですよね。
その想像のできなさがショックを与えてくるんだってことも、
よくよく勉強したんですけど、
想像のできなさがですね、
27:00
自分を打つんですよ。
単なる悪口ではないってことなんですよね。
なんかこう、非常に不思議なことを言われてるような気がした時ってのが、
割と精神には一番ダメージがあるんですよね。
そういうのが来る気がしたんですよ。
これはイリュージョンなんですけどね、実は。
意味付けでしかないんですが。
これ、今の話は絶対に自分の文章はこう伝わってるはずだという
勝手な想定から来るものであって、
多分、クレーム出した人にはそうは全く読めなかった理由があるんですよね。
たとえそれが誰の責任であろうともですね、
そういうことを知ってからですね、
その依頼というものに対して、
何点ですかね、
僕は当時の感じでは総力を上げるみたいな感じだったんですよね。
多角的とか何度もなぞるっていうことの全体の
トータルで頑張るみたいな感じがあるんで、
総力を上げるっていう感じだったんですよ。
これを先日のセミナーで言っていて、
依頼に応えるって言うと
削除されるって話が出た時には、
つまりですね、
やっぱりタスクシュートつけましょうに
僕の場合、一旦の結論になるんですよね。
グッドバイスやめましょうでもいいんですよ。
ただ、タスクシュートつけましょうのなぜかというと、
依頼に応えてるからなんですね。
応えてるはずなんですよ。
タスクシュートに興味を持つぐらいのケースにおいてはですね、
応えていないはずはないんですよ。
応えているにもかかわらず、
応えていないかのように応えるのは損だと思うんですよね。
応えているはずなんですよ。かなりの時間。
多分、97%は切ることはないと思うんですよね。
その時にですね、
わざわざ3%未満のことについて
一生懸命考えるのって、
もったいなくないかな、それこそ、
っていうところが非常にあります。
その時にですね、
もったいなくないかな、それこそ、
っていうところが非常にあります。
これは全部何かしらの搾取だということにしておいて、
徹底的にそこから自分を守っていたところでですね、
結局9割以上の時間を費やしていることに
違いはないわけじゃないですか。
そこを手抜いてやろうと、
力の5割でやろうと、
ひたすらマルチタスクで片手間にやろうと、
あんまり、
負けられるものがないような気がするわけです。
で、
そこまで、私はそうだったけれども、
必ずしも自分を守りながらやっててもですね、
クレームとか来ちゃうんですよ。
売れれば特に、依頼が増えているときは本当にそうです。
悪気は全くなくてもクレームとか来ちゃうんですよね。
しかもかなり強烈なのが来ちゃったりするわけですよ。
つまりこれ、守れてないんですよね、やっぱり。
クラノンさんによく今言われるよりは、
当時言われたときの方がある意味、
いろんな意味で通説だったと思うんですけど、
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グッドファイオスが完成したのは、
私がどっちかというと売れなくなってからなんで、
あれですけれども、
9年後ぐらいな感じのときに、
結局守れてないじゃないっていうのが、
間接的に伝わってきたときに、
直接的に言われたこともありますが、
結局守れるわけじゃないんですよね。
フリーライドとか、
そういうことだけが問題なんではないです。
依頼に応える応えないというのはですね、
例えばさっきのトイレがそうですよ。
トイレってのは依頼なんです、私からすればですね。
だって私の意思でトイレをしたくなろうとしているわけじゃないですから、
やっぱりこれも依頼なんですよね。
そしてこの依頼に応えているときだけが休めるっていうケースもあるし、
依頼を片手間にやるっていうこともあったんですよ。
スマホを読みながらトイレにいると。
だいたい調子崩すんですよね。
よくよく考えればそうだと思いますよ。
スマホを読みながら寝て、スマホを見ながら食事して、
スマホを見ながらトイレに行って、スマホを見ながらお風呂に入って、
すべてを片手間にやるってのは、
とってもですね、何かこう、
なんて言うんでしょうね、
大切なことだと思うんですよね。
それをやっているときに、
それのやっている達成度が全部半分ずつになっていくというのが、
トータルで得ることを増やすという感じに思えないし、
多分そうはならない。
そういうことがですね、自分からの依頼であろうと、
他人からの依頼であろうと同じだと思うし、
考えるべきところはやっぱり、
3%よりは95%どこだろうと思うんです。
それでこういう話をここのところしているし、
セミナーでもそういう話にしたんだと思うんですね。
で、書き上げ塾というところではですね、
第4期が7月から開校する予定なんですけど、
やっぱり同じなんですよね。
私の中ではさ、迷いがあったわけですよ。
タスクシュートのときから、
依頼最優先しかないんだと思っていたけど、
本気でやるまでは踏み込めていない。
この差って微妙じゃないですか。
ほとんどないと思うんだけども、
本気でやるにはやっぱり踏み込めていないんですよね。
多分依頼が殺到しているときほど怖いんですよ。
一個本気でやって、他に手が回らなくなったらどうしようと思っちゃうんですけど、
さっきのこう、だからですね、やっぱり手前のところで考えるといいんですよね。
睡眠とか入浴とかで、ここを片手間にやることで、
力が温存できるわけではないってことなんですよ。
睡眠だったら睡眠のほうに、やっぱりこう、
打鍵をやっちゃったほうがですね、休めますからその後にいいわけですよね。
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これは全依頼に適応できる話で、全ての依頼にですね。
これと全く同じことが書き上げられています。
全く同じことが書き上げ塾でも言われているわけです。
あれってつまり、依頼に全力で答えましょうってことなんですよ。
そして一文一文に現れるんですよ。
本気で答えてないってことが現れるんですよ。
それを体のさんは技術で見てくれるからいいんですよ。
どうしてもこれマインドになるんですよ、私のレベルだと。
この本気で答えてるか答えてないかは、
必ず文章に現れるという意味では、技術的な側面もここに含まれているんだけど、
これを言うのはすごい難しいと僕はまだ思っています。
一つはですね、僕の場合、本気で答えてないときに起こりがちな現象は、
第二文型の羅列になるんですね。
例えば、HSPと呼ばれる人々には次のような特徴がありますみたいな、
そういう表現をとりがちなんです。
これは第二文型じゃ必ずしもなかったですけどね。
例えばもうちょっと第二文型っぽく言うと、英語のですよ。
This is a penですよ。
Sky is blueみたいな方がよりらしいんですけどね。
HSPの特徴とは内向的で、人の気づかないところに気づくといったことがありますとか、
そういう感じになっていくんです。
これはですね、なんていうんですかね、
僕の場合は本当にここが一番最近では強いなというふうに思うようになって、
こととかものとかを使っちゃうっていうこともあるんだけど、
それよりも第二文型的になるんですよね。
この事実はとかで始めるとこの文型になるんですけど、
これが本気で意外に答えてないっていうことなんですよ。
もっとですね、第三文型っぽくしないといけないんですよっていうふうに
フラゾンさんに言われてみて非常に納得がいったんですね。
これも確信が持ててないって一つのことだったんですよ。
タスクシュートの件と似てます。
本気で依頼に答えるとか、総力を上げると、
依頼最優先にするというのをもう一歩突き詰めていくと、
自分にできるあらゆることをやり尽くすって感じが出てくるんですけども、
その時に時間を失うのを恐れないとか、疲労を恐れないとか、
燃え尽きるのを恐れないとか、フリーライドを恐れないとか、
そういう恐れと不安の問題に入っていくわけですが、
これがですね、文章に現れるんですよね。
このぐらいで伝わるだろうっていうのが出ちゃうんですよ。
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甘えなんですけどもね。
でも最終的に甘えなんですよ、どこまで行っても。
だけれどももうちょっとやれるんですよ、確かに。
その時に第二文型と第三文型っていうのが、
英語的に言うと動的か説明的かっていう違いなんですが、
僕の場合ノウハウ本だから余計なんだけど、
多分あれはフィクションを書いていると言おうと何であろうと同じですよね。
説明的になっていく。
それはですね、どこかで自分を傍観者的にしておきたいんですね。
なんか客観中立的な位置づけに置けるとでも思っているところがあって、
全部の自分のやっていることをそれ自体で納得させるというポジションであることを考えれば、
クソは書かないっていう感じなんですね。
タスクシュートなんかはやっぱり僕のビジネスの中では良い例で、
タスクシュートとはってやっちゃいけないんだと思うんですよ。
こういうふうにタスクシュートを使って自分はこういうことを得ていますっていうような書き方にしていくことができるはずで、
何でこれがやりたくないかというと、
その程度なのとかって思われたくないからじゃないかと思うんですよね。
そんなもんなの?みたいに思われたくない。
だから、大したものを説明しているような文章を書きたくなるんですよ。
大したシステムとか、大した構造物とか、歴史的な説明が始まるときってだいたいダメじゃないですか。
僕は歴史的な説明から平気で入っている本っていっぱいあると思うんですけれども、
昔なんか特に新書とかでもですね、絶対ダメだと思うんですよね。
あれを根気強く読んでくれる人が読書家っていえば読書家なんですけれども、
そういうのを読者に強いるから鬼滅の刃にみんな持っていかれちゃうんだと思うんです。
やっぱり僕もそうなんですけれども、会話が面白くないというタイプなんですよ、僕は。
どうしても背景の説明から始めようとするんです。
でも背景の説明なんて聞いてないんですよ。会話でするもんではないんですね、背景の説明ってのは。
昔千葉ロッテマリンズというのはロッテオリオンズという球団で川崎球場に本拠地があってみたいなところから始めて、
結局何を言わんとしているのかというと、今大谷翔平はよく打つよねって話なんですよ。
そういう会話の持っていき方をする人って多分会話で敬遠されちゃうと思うんですよね。
私それをやりがちなんです。これと第二文系ってよく似ていて、無駄な説明をしちゃうんですよね。
説明をそもそも多分人って説明って聞きたくないんですよ。
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特に今のような時代は説明だったらどこからでも手に入るんで、うんちく語られるっていうのは、
自分が制度扱いされているような感じになっちゃうんです。
でも先生っていうのは説明するの好きじゃないですか。これも人間の心理にあるんですよね。
だから先生っぽく文章がなっちゃうんですよね、第二文系っていうのは。
先生が得意とする、イズで、動詞をイズにするっていうのは大体そういう感じがするんです。
これだけ自覚があっても、気がつくと動詞がイズになっているんですよね。
せいぜい、ゼアリー、ゼアリー、ゼアリー、ゼアリー、ゼアリー、ゼアリー。
動詞がイズになっているんですよね。せいぜいゼアリーズになっているんですよ。
ということがありますみたいな。これをしちゃうというのを、こういうことなんですよ。
書き上げ塾で手当てしている部分というのは。
依頼に応えてないんですよ。片手間で応えている。
片手間でとまでは言わないけれども、何かを温存している。
8割ぐらいで済ませようとしている。伝わればいい文章にしちゃうという。
僕がだから少し、今の書き上げ塾で学んでいる方がよっぽどいいんですけど、
そのことが少しわかったのはクレームの刺さったやつなんですよね。
刺されてみてようやく、非常にわかりにくかったけれども、
自分はそういうふうに温存して書いていると、ああいうふうに思われうる。
ちなみに、第三文型で全部書こうと、ちゃんと書こうと、クレームはきますよ、きっと。
だから、そういう意味でもやりきるというわけにもいかない面もあると思うんですけれども、
全然違うのは確かなんですね。踏み込めるかどうかという。
第三文型に持っていけるかどうかという。結局それは本気でやれるかどうかという。
本気でやっているつもりなんですよ。多分、多くのライターさんで、
ちゃんと書こうとしている人はみんな本気でやろうと思っていると思うんですよ。
お金のためとかじゃなくて、ちゃんとしたものを書こうと思っている。
でも、それでは十分じゃないってことなんですね。
僕もそういう意味では本気で書いているつもりでした。少なくとも誠実に書いているつもりでした。
そう、だから誠実に書いているつもりなんですよ。
それでは十分じゃないんだなっていうことを、今何か理解しつつあるって感じなんですよ。
もう少しやれることがあるわけで、あるんですよね。
これをやるやらないの差が結構大きくて、
気がつくとそうじゃなくなっている時が多い。
それはやっぱりずっとそうだったことです。
ダスクシュートでずっとやってきた時に、僕が悩んでいたことですよね。
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入り込みきれないというところがずっとあったということ。
なんとか整合性を取ろうとしていたという時、
なんとか本になるものに仕上げていこうみたいな、そういう風に書いていたわけですね。
書き上げ塾というのは、そういうのよりもう一歩入っていく感じを技術的に伝えてもらえる。
これが本当に技術的にというのが大事です。
第2から第3って技術的じゃないですか。
本気でやりましょうと言った時には、第2でも第3でも良さそうなものです。
誠実に書いていれば。
でもそうじゃないんだなということなんですよ。
動的に話していますよね。会話が面白い人は。
私、蔵野さんと話していてそれを感じるんです。
自分はすごく歴史的に話を始めようとしてしまう。
背景から掘り起こそうとしてしまう。
一番面白いところから、会話というのはすぐに終わるものだから。
長々と自分が喋っているか黙っているかというスタイルって、
やっぱりイマイチなんですよね。
相手が大学教授とかなら良いのかもしれないんですけど、
やっぱりそうはいかないですよね。
それをやっていると、やっぱり鬼滅の刃に持っていかれると思うんですよ。
どんなに売れたって、私の一番売れた本は20番部に行ったけど、
やっぱり鬼滅の刃とかには持っていかれているわけじゃないですか。
数字的に。圧倒的ですよね。ファクトフルネスとか。
圧倒的なんですよね。
そういうのには面白さがあって、
やっぱり面白さはタスクシュートだからありえないとかいうことが、
それこそありえないんですよね。
その辺のことも聞いていれば、書き上げ塾では聞いていれば分かるので、
ここは大きいなと本当に思います。
お金はかかりますけどね。
でもクレーム読んで学ぶよりはずっと良いと思うんですよ。
あれは本当にいろんな意味で大変だし、
結局ちょっとしか学べなかったりしますからね。
それほど痛い目を見たとしても。
こんなことも最近思い出すようになったんですけど、
要は、100%の時間を依頼に使っているのに、
依頼じゃない時間のことについて管理しようとか、
夢を見ようというのは、私は得しないような気がします。
100%依頼に結局応えているなら、
ここについて真剣に考える方が健全なんじゃないかなと思うんですね。