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GOOD BYE MIDNIGHT RAXXAR by KURAZAMUKEIZU
こんばんは。ただいま2月15日水曜日の午前3時5分です。
おかげさまで風邪の方はですね、順調に回復していまして、
声もだいぶ元に戻ってきたかなという感じですかね。
まだまだ本調子ではないと思うんですけど、
こうやって喋っていると面白いなと思うのはね、
これをブログで私がね、全く同じ内容をこの文章で配信していたら、
後で読んで、この時クラズノさん風邪ひいてたんだなっていうのはね、
そう書いてないとわからないんですけども、
この声を聞けばね、何年後に聞いても、
あー風邪ひいてるわっていうのが一目瞭然っていうね、
このメディアってやっぱ面白いなって思いますね。
その人の体調とかね、感じがこのダイレクトに恋として現れてくるっていうね、
なかなか他にはない。
ビデオとかはね、そうなのかもしれないんですけど、
この音声というかね、文字と違うメディアの面白さというのを改めて感じてますけど、
早くですね、元に戻ってほしいなという感じはしますけどね、
喋りにくいというか。
まあもうほとんど鼻水少し出るぐらいで、
体の方はですね、もうほぼほぼ平常に戻っていますね。
そしてあの検査の方もおかげさまで陰性でして、
ちょうどこの番組を始める数ヶ月ぐらい前かな、
あの1週間ぐらい熱を出して、
その時は熱も出たんですけどね、
寝込んだ時もあらゆる検査をしたんですが、
あのやっぱりどこも悪くないと言われ、
そしてPCRも抗原検査も全部陰性だったっていうのがね、
あったんですけど、
まあ今回もですね、ことなきを得たというか、
大事に至らなくて済んだというね、
おかげさまでこうして元気にいられていますので、
ご心配をおかけしましたが、
なんとか大丈夫だということで復活しております。
前回ジャジュワークのダイジェストとともに、
自力で失ったものを全て力で取り戻すというお話をね、
最後にしたんですけども、
まあ要はこのね自分の体の内側が、
それが自分であるという認識の中で、
自分のために自分の時間を確保して、
そして自分のためになることをやる。
まあこれは得るためですね。
自分のためにいかに多くを得られるかっていうね、
そして多くを得れば得るほどですね、
この人生、いい人生を過ごしたなというね、
その結果を迎えられるというそんな感じなんですかね。
まあ残念ながらね、
この最後の結果だけは僕らは見ることはできないんですけどもね、
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だからやっぱりこの今ここで感じるしかないと、
私は思うんだけども、
まあまあそのこの自力の世界っていうのはそういうもんなんですよね。
これに対してまさにその私がジャジュワークで実践しましょうという風にね、
提案しているやり方というのは、
自分とだけではなくてね、
自分だけではなくて自分とここに他の人、
そしてそれを取り巻く環境、
これらすべてをね、
自分自身だと思う。
まさにだから自力というのとこの三者すべてをね、
自分と自分の力とみなすっていう意味で、
すべて力と呼んでるんですけどもね。
でこちらの中にはそうですね、
誰のために何をやっているんだっていう、
この感覚がとても重要でね。
ここにギフトモードっていうのが出てくるんだけど、
まあこちらの方がより私はね、
両方をこう経験してみて、
明らかに自力の年数の方が長いんですけどね。
40年ぐらい忘れて生きてたんだけども、
40年以上かな。
今こうしてそのすべて力の方にシフトしてね、
日々そういうトライを続けている中で、
どちらが多くを得られたかっていうと、
やっぱりいろんな意味であらゆる意味でね、
結果も含めて僕はこの後者のすべて力の方が大きいし、
充実しているし、
そしてそのプロセスもね、
必死ではなくてそれなりに大変ではありますがね、
楽しく自由にやれてるっていうそんな感じがするんですよね。
これがいわゆるグッドバイブスというものなんだろうなと思うんですけどね。
ここにこの話をしていて、
自分で話した放送を聞いていてね、
やっぱりここを妨げる要素、
この大きな要因というのが2つあるなということにね、
改めてしみじみと感じましてね。
これが要は、
僕らが作り出した、
まさに人の英知が生み出した便利な道具、
仕組みなんですけどもね。
これがその、
なんていうのかな、
それを使っているうちに、
この世界の見え方が変わってしまうぐらいね、
この大きな力を持っている2つのね、
この道具仕組みというのがあって、
これがその、
なんだろうな、
もともとありのままの姿をしていた世界をね、
この2つの道具を使っているうちに、
僕らはなんかそれを歪めているというのかな、
まあそう言っていいんじゃないかと思うんだけど、
本来の姿とは違う形に見えるようになってしまった。
というかね、
そのように見るようになってしまった。
じゃあその2つは何かというと、
時間と罪と罰の仕組みなんですよね。
で、この罪と罰というのは、
まあよく私が罪悪感と言っているやつでして、
この罪悪感は、
まあ一般的には罪悪感を抱くというと、
自分を責める方のね、
自分に罪悪感を持つという風に使うんだけども、
私はこの罪悪感というのは、
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相手の行動、言動を罪と見るというね、
そして罰を与えたいなとこう思う、
まあこれが怒りなんですけどもね、
この両方をね、
罪悪感と呼んでいるんだけども、
要はこれは罪と罰の仕組みですよね。
悪いことは罪であると、
だから罰を受けなければならない。
その罰が嫌だったら、
悪いことをするのはやめましょうという仕組みですよね。
人の言動、行動を正すための仕組みだと思います。
で、もう一つが時間ですね。
時間というのも、
まあ、いわゆる物理学の計算とかで、
この宇宙に存在するものとしてね、
扱うこの時間というのはあるんだけど、
僕らがこの生活で感じている時間というのは、
これとはまた別でね、
1年を365日に区切り、
そして12ヶ月、30日、24時間、1日みたいな、
そういう単位を作るね、
1分、1秒みたいな、
この尺度、これは完全に人が作り出した道具ですよね。
で、もちろんすごく便利なもの。
両方ともおそらく私たちが生きる上で大きく貢献してくれてますよね。
時間もね、この罪と罰の仕組みもね。
ただし、これによって僕らは世界の見え方を変えているということは確かなんですよね。
なんで今日はこの時間の方のお話をしたい。
片っぽの罪と罰の話はまた別の機会にね、
これまでも何度か話してるんだけど、
要はこの罪と罰によって、
僕らは人との関係をとても危険なものと見るようになってますよね。
だから本来の人というのがあったとしたら、
それよりもかなり危険、かなり悪いものと見るような感じになってるんじゃないかなと僕は思うのね。
で、これが何を邪魔してるかっていうと、
そのギフトモードですよね。
誰かのためにとんでもねえよっていうこの感じ。
いやいやいや、誰がお前らのために何かをしてやるものかみたいなね。
私もずっとそのように感じていましたけどもね。
ここに罪と罰というのが邪魔をする。
そして同じようにこのギフトモードを実践する上でね、
つまりこの時間を人のために使っていいのかよっていうね、この感覚。
これは自分から何かを失ってるんじゃないかっていうね。
まさにだから自力の世界なんですけども、
ここからこの全て力にシフトするためには、
この2つの道具仕組み、この取扱いにやっぱり気をつけなければいけないっていう感じがするのね。
もちろんこれをなくそうとはできない。
もう今の現代の社会においてこの2つをやめましょうなんて話はありえないのでね。
これは存在しているんです、自分の周りに。
だけどもそれをそのどのように扱うかはね、
やっぱりこの私の人生としてこの時間とそれと罪と罰というこの仕組みと道具、
これをどのように使うかっていうのを、
簡単に言うと教えられたままではなくてね、
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世の中でこうだよって言われてるままではなくて、
もっと自分でこのようなものとして扱うということを決めていいんじゃないかっていうかね。
そうしないとなかなかその自力からこの全て力、
そしてギフトモードっていうかね、
それから報酬を今ここで行動と時差なく受け取るみたいなことはなかなか難しいっていう、
そんな感じがするんですね。
だから今日はちょっとまた久しぶりにこの時間の話をしようかなと思ってまして、
まあ要はですね、結論から言うと私はそもそも生きている限りね、
生きている限り時間というのは永遠に供給され続けるものだっていうふうに今は捉えているんですね。
その方がおそらくありのままの世界におけるこの時間というものの姿に近いんじゃないかって気がする。
僕らはそれを随分と限定したというかね、
僕らが都合のいいように置き換えてしまったんじゃないかと。
それによっていろんなね、私に言わせれば副反応というかね、
もう弊害と言ってもいいぐらいな感じなんですけどね。
この便利な時間は当然ある。
時間の便利さっていうのは当然ある。
それとともにこの本来、
本来僕らが過ごしていたこの時間みたいなものとは違ったものとね、
なってしまったっていうところが問題かなと思っているんですね。
で、おそらくその時間っていうのはね、
最初からこの今のような価値を持っていたわけではないだろうなっていう感じがする。
というのも、僕らはね、
これはもう私たちの才能というかね、
人の能力の最も素晴らしいポイントなんだけども、
どんなものにでもね、
この思いを乗せると価値を想像できるっていうね、
こういう能力を持ってるんですね。
これは全く、全くもって悪いことではなくて、
素晴らしいことであるし、
これがまさに僕らそのものというそんな感じがする。
だから私はそのジャジン・ワークでもね、
思いを原動力にしましょうと、
この思い、この乗せることで価値が想像できるっていうね、
この思いを原動力にしようと言ってるぐらいだし、
全ての例えばコンテンツだろうと、
あらゆるクリエーションね、
想像はこの思いによって生まれるっていう風に扱ってるぐらい大切な言葉でもあるんですね。
で、この思いを乗せることで価値を想像できるっていうのは、
例えばですね、子供の頃、
もう僕らの時代にしかなかったのかもしれないんだけど、
面子とかね、ビー玉とかベーゴマみたいな遊びがあったんですよね。
面子っていうのは厚紙ですよ。
厚紙を四角とか丸に切って、地面に置いといて、
上からパーンと叩きつけると風がフワッて起こりますよね。
それでひっくり返すとかね、
それから下にスッと滑り込ませるとか、
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いろんな技があるんだけども、
こういうもので勝ち負けを競いながら、
当時は相手が持っている面子を取っていいっていうね、
こういう遊びはもう今ないんでしょうね、きっとね。
大変なことになるんだろうね、こういうことをやると。
これもほとんどギャンブルなんでね、取り合うというか。
ビー玉、ガラス玉ですね、丸い玉。
あれもですね、地面に穴を掘って、
そこに何個か自分たちの持っているビー玉を出し合ってね、
そこに頭部からポンと投げて弾き出すと、
それが自分のものになるみたいなゲームとかね。
ビー玉って鉄の鉛なのかね、あれ。
昔、王とか長島とか野球選手の名前が書いてあったんですけどね、
それを回してカチンと弾き飛ばしてね、
これもオケみたいなとこに布を貼ってね、
土俵みたいなのを作って、
そこで弾き出すとその相手のビー玉を取れるみたいなね。
だから、僕の子供の時代に流行ったのがね、
牛乳のフタっていうのがあってね、
瓶の牛乳が給食で出てたんですよ。
今はもうパックなんでしょうね、きっとね。
当時は、私が住んでいたその金密ってところはね、
近くにマザー牧場っていうのがありまして、
マザー牧場の牛乳が給食に出てたんですよね。
そこに紙のフタが付いてる。
パコって開けるとね、丸いんですよ。
これを机の上に並べて、パッて息を吐きかけるとひっくり返る。
そのひっくり返った分をもらえるみたいなね。
だから牛乳のフタを集めてたんですよね。
一時期ここに酒蓋っていうのがね、
これはなかなかローカルだと思うんだけど、
お酒のコルクの付いてるフタがあって、
コルクの部分を取り外すと、
綺麗な王冠みたいな平べったい鉄の丸い板ができるんですよ。
フタの部分。
これを机の上に置いておいて、端っこをカチって、
それで弾くんですよね。
そうするとうまくいくとひっくり返る。
そうするとまたもらえる。
だから子供の頃よく酒屋を巡ってね、
酒屋のおじさんに酒蓋くださいって集めてましたね。
近くにあるスーパーとかにも行ったかな。
山のようにジャラジャラ持って、
こういうくだらないものに僕らは思いを乗せるんですね。
そうするとまさに子供の頃のこのめんこべいごま、
それからビー玉、お酒のフタ、牛乳のフタでさえも
宝物のように見えて大切に思えてくるっていうね、
不思議な能力なんですよ。
これがものすごく価値があるものとしてね、
その時僕らは認識してるわけね。
その子供は宝物だからね、
綺麗な袋に入れたりとかしながら学校に持って行って、
でもそれが盗まれたりとかしてね、
問題が起こるくらい価値が高いものなんですよね。
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まさにお金に匹敵するような、
お金以上のものだったかもしれないよね。
この能力なんですよ。
思いを乗せることで、
ただの紙切れ、これに価値を想像できるっていうね、
とても素晴らしい能力だと僕は思うんですけどね。
でも大人になると、
さすがにこのお酒のフタとか牛乳のフタではね、
思いを乗せられなくなるんですね。
でも中にはやっぱりマニアっていうのがいてね、
どんなものでもこの思いを乗せてコレクションするっていうのはね、
大人になってもやるんだけども、
まあまあマジョリティではないですね。
それなりにニッチな世界になっていくんだけどね。
三浦純さんがやってるやつとか、
結構それに近いのかもしれないね。
でも三浦純さんは、
あるトーク番組でね、
僕は総額1000万までにしているんですって言ってましたね。
1000万を超えると人でなくなるんだって。
だから1000万使ったなと思ったらそこでやめて、
回収にかかるって言ってましたね。
そこが彼の面白いとこなんですけどね。
だから絵馬とかね、いろんなのを集めてますよね。
ゆるキャラとかもそうだったんだけど、
それを本にしたりね、
なんかコンテンツに書いたりして回収するわけですよね。
回収が終わったらまた別のものを1000万まで集める、
みたいなことをやってるらしいんだけども、
その間こう思いを乗せて価値を想像するわけですよね。
でも一般的にはそういうニッチなものじゃなくて、
これがいわゆる高級会社だったりね、
それからブランドものとかに変わっていくわけですね。
だからその思いを乗せるもの自体が、
もうそれ自体がその出来がいいというね。
さすがにこの牛乳のフタではなくて、
ちょっと無理だなって言うんで、
いやーこれはかっこいいね、よくできてるね、
素晴らしいね、行き届いてるね、
みたいなものをポッと目の前に持ってきて、
それに思いを乗せてその人なりの価値を
そこに作っていくわけですね。
でも基本の仕組みは全く変わってないわけですよ。
さすがにその牛乳のフタを対象にするのは
無理になったっていうだけで、
多分3ステップなんですよね。
まずは好きになるっていうね。
好きになったら思いが乗る。
思いが乗ったら価値あるものになるっていうね。
この3ステップでなんとなく僕らはね、
あるものにこの思いを乗せて価値を作ってるわけですね。
今でいうと、もうこのデジタルになってきましたから、
実体のないものもこれができるっていうかね。
例えば暗号資産とかもそうですよね。
あれはデジタルの数字なんだけども、
そこにそれぞれのブランド名が乗ると、
そこにものすごい億単位の価値が乗るっていうかね。
それからゲームのアイテムね。
ロールプレイングゲームをやっている時の
武器だとか防具だとかね、
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いろんなアイテム。
これも相当価値が高くなりますよね。
僕は前も言いましたけど、
モンスターハンターにハマってましたんでね。
この自分でコツコツ作って、
モンスターの素材を集めて作り上げたね、
この防具とかね。
それから弾があるんですよね。
能力を上げる弾みたいなやつね。
あれとかも頭の中にものとしてありましたからね。
僕はやっている時ね。
自分の部屋にクローゼットがあって、
そこにリオレースの鎧とかがかかってたような
そんなイメージがありますよね。
僕は装中コンっていうのをよく使ってたんだけど、
心の棚の中にね、
いつも使っている愛用のコンがね、
10本くらい並べてあって、
戦いに行く時にはそのドアをガチャッと開けてね、
よっしゃこれを持って行こうみたいな感じで
ずっと1本選ぶみたいな。
ものすごく価値のあるものでしたよね。
そういうゲームのアイテムね。
それから今でいうと、
ガチャでゲットするキャラクターとかもそうなんでしょうね。
僕も一時期、
モンスターハンターやめようとか思って
ゲームから足を洗った後ね、
ついついスマホのゲームに手を出して、
これだったらハマんねえだろうとかって思ったんだけども、
結局私は多分そういうゲーム好きでね、
やればハマってしまう。
ムーミンコロルというね、
そんなに有名でもないんだけど、
このムーミンを操作してね、
もうちょっと忘れてしまったんだけど、
全部消していくのかな、
そういうゲームにハマってね、
これがまたガチャがあるゲームで、
スナフキンが大好きでね、
スナフキンを何体も何体も出すと強くなっていくんですよ。
掛け合わせていくとね。
そのスナフキンに結局課金してね、
1万円以上お金をかけたことがありますね。
その時のスナフキンも価値高かったなって思う。
でも、そのスナフキンはどこにいるのって見ると、
さっきのモンスターハンターの防具もそうなんですけど、
どこにもないんですよね。
まさにデジタルの世界っていうね、
それをこんな風に大切なものとして思えるっていう、
こういう才能なんですよね、僕らが持ってる。
これから多分そのメタパースとかね、
そういうバーチャルリアリティが流行っていったら、
ますますその実体のないものにこの思いを乗せて、
価値を作り出すっていうね、世界は増えていくんでしょうね。
だから面白いんですけどもね。
このやり方で、僕らは多分その時間というものにも
価値を見出してきてるんだけども、
これ大きな問題が一つあってね、
さっき僕が言った3ステップ、
好きになる、思いが乗る、価値あるものになるっていう、
この3ステップの起点が実は好きだけじゃないんですよ。
ここにね、恐れや不安っていうのもこの始まりになるんですよね。
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おそらく、じゃあ私は時間が大好きっていう人がいるかって言ったら、
ゲームは別だけどもね、
暗号士さん大好きとかね、ゲームのアイテム大好きとかね、
モンハンの防具大好きっていると思うんですよ。
ムーミンコロンのスナフキンたまらんみたいな人はね。
でもね、時間が大好きっていう人は僕はまだ会ったことがない。
時間管理が好きとかね、そういう人はいると思う。
時間の計算が好きとかね、
でも時間そのものが大好きっていう人はまずいないと思うんですよね。
そうするとおそらく僕らは、
この時間に関して価値を抱くというのは、
好きの方じゃなくて恐れや不安の方じゃないかなと思うのね。
さっきの3段階が同じようになるんだけど、
一発目が違うんですよ。
好きになる、思いが乗る、価値あるものになるが、
恐れや不安があると。
そして同じように思いが乗るんですね。
怖いぞ、不安だぞっていう。
そして価値あるものになるっていう、
このもう一つのコースがあるんですよ。
こっちは、
例えば無駄にしてはいけないとかね、
時は金なりとかね、
時はまさにこの時間こそ人生なりとかね、
あとは人生は短いんだからみたいな教えによって、
僕らはたぶんその時間に対して
ある種の不安を追いつけられてきている感じがするのね。
いろんなところでね。
学校もそうだし、会社もそうだしね。
もしかしたら家に帰ってもそうなのかもしれない。
当然だけでも、
大事にしないとやばいんだぞっていう恐れや不安でも、
そうだよなっていう思いが乗って、
それは大切だ、価値のあるものっていう風になるわけね。
でもこの2つの大きな違いというか、
ここに大きな違いがありましてね、
好きになる、思いが乗る、価値あるものになるっていう、
こっちの方はどう使うかっていうのは自分で決められるんですね。
勝手に好きになって思いが乗って価値あるものが目の前にあったとしたら、
これをどうやって使おうかなっていうのは楽しいから、
こんな風に使おうとかね、飾っておこうとかね、
戦いに行く時に使おうとかって言って何も迷うことなく使えるんですよ。
でも恐れや不安から始まった場合は、
その使い方っていうのが自分の中から出てこないんですね。
なぜかというとそもそも好きになるからじゃなくて、
恐れや不安、これを大事にしないとやばいんだぞっていうところから来てますから、
じゃあその価値あるものという時間をどうやって使えばいいんだっていうのが、
自分の中から出てこないんですよ。
これは当然ですよね。
じゃあどうするかっていうと、自分の中から出てこないんで、
大切だし価値があるってことは決定してるんですね。
もう思いが乗りましたからね。
この不安だというところから来た思いなんだけども乗ってるんで、
価値あるものにはなってるんですよ。
で、それをどう使うか。
でもそれは出てこない。
好きから始まってるわけじゃないから出てこない。
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そこで仕方なく世の中で正しいとされてる使い方に沿うんですよね。
それしかなくなっちゃうんですよ。
例えば計画やスケジュールに沿って有意義っていう認定されてることをやるみたいなね。
この認定っていうのははっきりと誰がどういったとかって言うんではないんだけど、
なんとなくこの発言力の強い人とかね、インフルエンサーだとかね、
もしくはその実績を残した人ですよね、結果を残した人。
この人はいい人生を送ってるな、たくさんいろんなものを持ってるな、地位や名声をゲットしてるな、
この人は時間をどう使ったんだろう。
まさにこういった本を読んだりするんだけどね。
この使い方にのっとるしかなくなっちゃうんですよね。
で、それ以外のことをやるとどうなるかというと、
まさにさっき言ったもう一つの自分に罪悪感を抱くという結果になってしまうわけね。
これはね、やっぱり好きになる、思いが乗る、価値あるものになるの世界にはなかなかない話なんですよ。
この価値あるものを扱いながら、罪悪感を抱くっていうのはなかなかないんですよね。
ないでしょうね、たぶんね。
僕が一生懸命作ったリオレースの防具と、
それからとびきりの装中コフンを持ってモンスターに向かっていって負けたとしても、
装中コフンを作ったこととか、それに対して何か罪悪感を持つことはないですよね。
あるとすれば俺はまだまだ腕がダメだなっていうか下手だなっていう、
そういうテクニックに関する罪悪感はあるのかもしれないけどもね。
でもこの時間に関しては、やっぱりこの正しいとされているもの、
有意義と認定されていることっていうのがね、
自分の外側にあるっていうのがやっぱり一番大きな問題ですよね。
外側にあるから、それに合ってないっていうかね、
それをやることが全然自分に合っていなかったり、自分が好きでなかったりすると、
それをしないという選択をする方が多くなってくるんですよ。
例えば朝起きたら必ずジョギングをしなさいというのがね、
これが朝の正しい使い方なんだっていうことが認定されたとする。
私がそれを、そっか、じゃあやっぱり時間というのは価値ある大切なものだから、
朝はジョギングに使わなきゃいけないんだと思ってね、スケジュール表に書き込む。
自分を鼓舞するために毎朝走れみたいなことをこの紙に書いてね、
紙に貼ったとする。
でも私はまず朝起きるのが苦手だし、起きてすぐ体動かないんですよね。
全く動かない。
だから朝の運動みたいなものは僕の人生の中ではもう本当に採用する余地もないみたいなものなのね。
そうすると当然やらないことの方が多い。
そして僕は起きるときに眠いなと思ったら、
これはもう小学校の頃から、中学校、高校もそうでしたね、
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寝るという選択をするので、
たまたまうちの親はですね、そういうのを全然咎めない親でもあったんで、
遅刻するのはあんたが起きんきゃ悪いんやんみたいな感じで、
起こして叩き起こして行かせようなんてことをしない人だったんでね、
寝坊したんやったら遅刻して怒られればいいやんみたいな人だったんで、
もうずっとそれを繰り返していたので、
頑張って起きるみたいな習慣はゼロなんですよね。
そうするとどうなるかというと、
1年363日ぐらい、2日ぐらいは走れるかもしれない。
1年363日は残厄感を抱きながら1日を過ごさなきゃいけないんですよ。
だから今お話ししてきた、
僕らの思いを乗せることで価値を想像するという力は素晴らしい。
でもこれは恐れや不安を起点にすると結構めんどくさいことになるってことですね。
結論から言うと、この時間を何に使うか、誰に使うかっていうのを、
いくら大切な価値があるというふうに思いを乗せて思ったとしても、
この使い方だけは自分で決めたほうがいいんじゃないかなというふうに思うわけですね。
合わない人がいるんでね。
面白いことに、世の中で正しい有意義って認定されているものにバッチリ合う人もいるんですよ。
ここが不思議なんですよね。
だからその正しい有意義っていう認定がされるんだと思うんですよ。
それが1人も世の中にいなければ、
こんなもん誰もできねえじゃんって育てていくんだけど、
結構な数やっぱりいらっしゃるんですよ。
おーバッチリだみたいなね。
僕のようにそれに合わなかった人はですね、そこで罪悪感を抱くんではなくて、
さっき言ったように、
そっかそっか、この価値というのは僕の思いを乗せて作り出したものなんだなってところにね、
戻してもいい気がするんですね。
なんかまさに子供がね、その牛乳のフタとかお酒のフタに価値を見出せなくなる瞬間というのがあるんですね。
それは思いが乗らなくなったってことなんですよ、きっと。
だからこう、特に子供の頃はね、
あんだけ熱中して遊んだヨーヨーみたいなものが、
もう本当にね、ゴミのように部屋の片隅に放っておかれてるみたいなことはしょっちゅうありますよね。
だからこの思いをスッと取ってしまうとね、
しかもこの思いというのは恐れや不安だったわけだから、
この時間に対する恐れや不安みたいなものをスッと取り除いた瞬間に、
僕は生きている限り時間は永遠に供給され続けるっていうところにね、
いけるんじゃないかなと思うわけですね。
元々、なんでこんなにね、
今のようなその時間に対するこの今のような価値観というのかな、
とにかく一秒も無駄にしちゃいけないみたいな感じが生まれたかというと、
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これはもう私、世界史を勉強してたんで、高校の時に。
この世界史の中に書かれてますよね。
最初は多分僕らはね、もう古くかつて中世とかその前ぐらいかな、
自分の家っていう単位で、これが一番ちっちゃい単位ですよね。
ここで数人の家族とかね、ちょっとした職人さんとかで少人数でものづくりをしてたんですよ。
それは工業用語なんですけどね、東宮製屋内工業とか工場製手工業とかね、
それから工場製機械工業みたいなまさに産業革命かな、
そのあたりでどんどんどんどんそのものづくりの規模が大きくなっていくわけね。
そうすると当然これはそうすることによって生産する能力が高まるわけですよね。
よりその多くのものを作れるようになる。
そこにいろんなたくさんの人が集まるようになるね。
最初は家族の少人数だったのがもう一つの工場にね、何百人何千人みたいな単位で人が入るようになる。
そうするとこの過程で様々なコストというのがね、時間で算出されるようになりますよね。
当然だけどもその働く人の賃金も時間で計算されるようになったりすると、
ここで効率という概念が生まれてきますよね。
できるだけ時間をかけずにより多くの製品もしくはサービスを生産することというのが無視できなくなるんですよね。
そうするとそういうふうに社会が移行していくと将来のこの働き手である子どもたちに
世の中はそういう価値観で動いてるんだよってことを伝えなきゃいけないですよね。
これが多分高度成長期ぐらいの感じなんだろうなと思いますね。
まさに私が育った頃、貴重な時間を一秒も無駄にしてはいけない。
生産性の高い時間の使い方をしなさい。
これがまさにそのさっきの正しい有意義に当たるんでしょうけどね。
そして人生は短い時間には限りがあるっていうね、こういうその教えを僕も相当受けてきましたよね。
要はこれ単純に言うと早く動かすっていうことですよね。
人を早く動かすためと言っても過言ではないですよね。
あまりにちょっと単純化しすぎてる部分はあるんだけども、
そういう結論にたどり着かざるを得なくなると僕は思いますね。
早く動くっていうことですよね。
効率よくっていう言葉で言うともうちょっと賢い感じがするんだけど、
結局はやっぱり早く動くってことになるんでね。
早く動く教育をされてこられたと。
そしてそれと同時にこの一秒も無駄にしてはいけないんだなと。
そして生産性の高い時間の使い方と低い時間の使い方っていうのがあって、
それがこの短い人生、限りある人生にものすごく大きな影響をもたらすんだな、
33:05
結果として帰ってくるんだな、まさに恐れや不安ですね。
怖いな時間ってのはってことになるわけ。
だから大切にしなきゃいけない価値があるんだっていうふうに言ったんでしょうね。
でもなんかね、これって僕が今喋っていてね、
これは僕は本当結構自分でラッキーだと思っていてね、
昭和37年からこの2023年まで60年生きてきたっていうのはね、
このいろんな変化みたいなものを目撃できてね、
とてもラッキーだったと思っているんだけども、
途中インターネットが登場したりもしたしね。
この発想というのかな、これはやっぱりね、
高度成長期に生まれ、今でもずっと引きずってるし、
途中そのネットが出てきたところでもう1回ね、
このデジタル化っていう波が来たところでもう一度この強力にね、
ちょっとそのそれ以前のアナログとかね、
モルタルの世界とはまた別にデジタルならではの効率っていうところがね、
そこに組み込まれてきて、ここでちょっと強化されてきたんだけども、
なんかこれはどうもそんなに新しくはないなって感じがするのね。
なぜかというと、今まさにね、まさに時代はこのキロを迎えていてね、
さらに効率化しなきゃいけないみたいな課題を僕らは抱いているわけですよね。
もうとにかくね、進みすぎてるんですよ、それが。
だからもうAmazonのハイテクな倉庫とかよくニュースでありますけど、
あの中に人がいないんですね。
もうAIと機械にはこの効率とかスピードでは立ち打ちできない時代になっているわけですよ。
僕はこの変化はとてもいいなと思っているのね、朗報として受け取っているんです。
なぜかというと、もうこのAI、機械に立ち打ちできない時代になってきたら、
この人を早く動かすみたいな教えはいらなくなりますよね。
どんだけ僕が早く動いたところで、もうアレクサにはかなわないわけで。
アレクサと僕が勝負することはないんだけども、
そうするとあの嫌な教えから解放される、
僕みたいに朝起きられない子供にとっては本当に嫌な教えだったんで、
解放される絶好のチャンスかなってそんな感じがするのね。
でも時代を巻き戻すことは当然できないから、
だからできるだけ時間をかけずにより多くの製品を生産することっていうのはね、
もう機械に任せられるんじゃないかなと。
そうすると僕らはね、もう一度この時間の縛りというかね、
恐れや不安によってこの作り上げてきた、
この価値あるもの、大切なものっていうここから解放されてね、
もともとそもそも僕らの人生の中に流れていた時間というのは何なんだってところに戻って、
もっとね、僕らが得意な分野っていうので貢献すればいいんじゃないかなっていう、
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そんな感じがしているのね。
おそらくそれはもしかしたらAIがどれだけ進んでもね、
もしかしたら追いつかない、もしかしたら追いつくのかもしれないけども、
なんとなくここは無理かなって感じがちょっとしてるんだけどね。
ひらめきとかアイディアとかね、それから表現力ですよね。
こういうものが僕らの得意な分野の一つじゃないかな。
あと今でもね、職人さんの世界で、
例えば新幹線の丸いところとかね、
ああいうところはやっぱり職人さんが手でやってるっていうね。
この指先の感覚というのかな、これで1ミクロの違いを触り分けるというか、
ある意味その器用さというのかね、手先の器用さみたいなもの。
これも今相当な部分機械に置き換わっていますが、
どこまで行っても多分この人がやらなきゃならない部分っていうのは残るんじゃないかなって気がする。
それから私がその緑の本、グッドバイブスご機嫌な仕事で書いた。
ここはまさに怪しいと言われれば怪しい部分なんだけど、
私はですね、やっぱりこの製品とかサービスにね、
思いを乗せるっていうことができるような気がしてるのね。
これはあの本でもたっぷり書いたんですけどね。
iPhoneを初めてiPhone3GSかな、手に持った時になんかゾワッとしたんですよね。
もちろんここにはすでに好きというさっきの思いが乗ってたから、
そのように感じたっていう可能性はなくはない。
でもなんかその楽器とかね、とてもいい楽器、オールドの楽器、
古い今で言うと60年代、50年代みたいなギターをクッと持った時にね、
ゾワッと感じるものがやっぱあるんですよね。
それはなんか作った人の僕は思い、バイブスなんじゃないかなと思っていてね。
こういうものをやらせる想像力っていうのが多分僕らの得意分野なんだろうなと思う。
だからギフトモードなんですよね。
ギフトモードで思いを乗せながら作るというのはまさにこの時代のね、
もう早く動くというのは機械にはかなわなくなった時の、
僕らがもう一度これ使っていいわけみたいなところに戻れる、
そのなんか一つの大きなキーワードかな、この思いとバイブスっていうのがね。
今言ったね、例えばひらめきアイデア、表現力とか、それから器用さとかね、
そしてこの思い、バイブスっていうのはどれもね、
やっぱり僕は時間の制限のないところで生まれる感じがするんですよ。
よくありますよね、あと5分で考えてみたいな。
ひらめきアイデアっていうのはそういうもんじゃないんですよ。
さすがにその10分でひらめけみたいなことがどうにかなる世界ではない。
最近私もね、あの面白い経験をしましてね、
何度かこの番組でもお話したんだけど、
そのザ・ギフトというね、まさにそのギフトのお話を本にまとめたいんだけども、
39:03
1月1日にやるぞというふうにね、一年発起して、
まさにこの時間の有益な使い方ができなくて、
今日までまだ書いてないんですよね。
もう2月の15日だから45日経ってる。
その間には本当に別にサボってたわけではなくてね、
もういろんな執筆教室の構成だとか、
さまざまなことがね、ワントレとかが詰まっていて、
そしてこの番組だとか、その日刊のワークアウトとかを書きながら、
その時間がやってこなかったってことなんですよ。
でもこの間、写真ワークの中にもあるんですけどね、
やりたいことができない間に不満を持たないようにするっていうね、
いじけないようにするっていう重要なメソッドがあるんですよ。
この間は例えるならば、遠距離でお付き合いしてるパートナーに会えない時間のように過ごすと、
早く会いたいなという、この待ち遠しさを持ちながら過ごしましょうっていうメソッドがあるんですよね。
こうしておかないとね、僕ら問題作り出すんですよ。
こいつが悪い、この環境が悪い、だから俺はやりたいことができないっていうふうにね。
そのように不満を持ちながら、怒りを持ちながらその時間を過ごすと、
せっかくできる時間がやってきても、そこで気持ちが切り替わらないんですね。
だから一番いいのは、遠距離でずっと会えなかったパートナーにね、
東京駅でも大阪駅でもいいんですが、どちらかがそこに行って、
ホームで、ああ、やっと会えたねっていうこの感じ。
この感じで、例えば僕であれば、文章の執筆に迎えたら最高ですよね。
もう楽しくて楽しくてしょうがない。
もうやらないですけど、3日未満でも書いていられるようなそんな感じになりますよね。
だから僕はそんなふうに過ごしていたんですよ。
これは全然問題ではないと、まだその時ではないんだなと。
必ずやってくる、必ずあの愛しいパートナーに会える日が来るっていうね。
そうしたら、何回か前かな、ヤママちゃんという方と
Good Vibes TVの収録をしたっていうお話をしたと思うんだけど、
その時にあるエピソードを僕がお話したんですね。
その収録が終わって、数日間は僕は気がつかなかったんだけども、
3日目ぐらいかな、ふってこう、ほってしてね、
この話が出だしじゃんっていうことに気がついたんですよ。
僕がね、なかなか筆が進まない理由の一つにね、
もちろんそのタイミングがやってこなかったっていうのもあるんだけど、
出だしにはものすごくこだわりたいなと思っていて、
出だしのエピソードは何にしようかなっていうのが本当に浮かばなかったんだけども、
このヤママちゃんとの対談の中で、本当に彼女のおかげなんだけども、
私が彼女の質問に対して最初にお話したエピソードっていうね、
例え話みたいなものなんだけど、フィクションなんですけどもね、
42:00
これがまさにこのギフトの出だしにふさわしいし、
書きたいなというかね、このシーンを書いてみたいな。
ちょっとね、中身はね、まさにその出だしの話で書くんでね、
ちょっとここでお話しするわけにはいかないんだけどね、
いつかノートに上がるんで楽しみにしていただきたいんですが、
僕が前からこのショートフィルムというかね、
5分か10分くらいの撮りたい映画みたいなイメージがずっとあってね、
これがまさにこのグッドバイブスのギフトモードと全て力を
象徴するようなストーリーなんだけども、
この話、ある電車の中で巻き起こるストーリー、ショートストーリーなんだけどね、
これを一発目のドア玉に持ってくればいいじゃんっていう風にひらめいたんですよ。
で、これが確か先週か先々週なんでね、まさに2月の頭、
1月1日から書き始めようと思って40日ぐらい経ったところなんですよ。
これが僕はね、やっぱりひらめきアイデアに必要な時間だなと思っているんですね。
そしてこれさっき言ったその指先の器用さ、
それからその思いやバイブスを載せる、
これ全部ね、時間の制限のないところで生まれるんじゃないかなと私は思っているわけです。
で、残念なことにやっぱりこの高度成長期からね、
この最近で至るまでこのようなところで時間をかけるというのは非常に贅沢な話で、
まあ相当売れている作家とかね、会社とかだとなかなかもうほとんど無理ぐらいな感じね。
よっぽどお金が余ってて、
新規授業やってみ、1年好きにやっていいからみたいな、
それでもやっぱり許されないかなっていう感じだったと思うんですよね。
これをなんか僕らはね、そろそろこのやり方を取り戻してもいいんじゃないかな、
取り戻せるんじゃないかなっていう、
まあこれも私のね、楽観的な読みというか希望的観測なんですけどもね、
でもやっぱりこのもうAIや機械に立ち打ちできなくなったスピード効率がね、
これはいい話だと思いますね。
まあこれによって業界にもよる、職種にもよると思うんですけどね、
人があまり早く動かなくても良くなるみたいな、
そんな風な流れになっていってくれたらいいなと思うんですよね。
そうすると、まさにね、
あ、そっかそっかと、時間というのは生きている限り永遠に供給され続ける、
決して無くならないものなんだなっていうかね、
まさにこの地球上で生きている空気と同じようなものね、
酸素、まあ酸素ももしかしたらいつか無くなってしまうのかもしれませんけどね、
少なくとも僕らが生きている時代にはそれはまだ起こらないでしょうね。
そういう意味で時間というのはその後もずっとずっと流れ続けますからね。
地球が消えた後も時間というのは消えないでしょう、きっとね。
無くならないんですよね。
まあだからその中で僕らが生きている間っていうところを区切ってしまうと、
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残り時間が少ないとかね、限りがあるとかリミットがあるみたいな感じに捉えてしまうんだけども、
僕はそこを82年とか区切って、
この生きている限り時間は永遠に供給され続けるという認識も間違ってないんじゃないかなと思うんですね。
ここに納得できれば、
何に使っても誰に使っても一切気にする必要はないってことが言えるようになりますよね。
ここの結論だけ聞くとなんかうーんってなるんだけどね、
僕はそうじゃないかなと思っています。
そして罪悪感を抱かずにする。
何に使っても誰に使っても、
この僕は誰に使ってもってところがすごく重要な気がしているんですね。
これによってギフトモードそして総力というものを僕らは取り戻せるんじゃないかっていう風に、
こんな風に時間を捉えてみたいなと思っているわけです。
そのように捉えて実際に暮らしてみて、
どんな不都合が起こるかみたいなことを僕は実験しているのかもしれませんね。
今のところ悪くないな、これはいいなっていう感じがしています。
今日はそんな感じですかね。
2月1日にリニューアルオープンした、
今日のグッドバイブスっていうノートのマガジンなんですけども、
まさに今日私がお話したような、
生きている限り時間は無限に供給されるみたいなことをね、
毎朝一つワークアウトとして、
今日は1日このことを忘れずに過ごしてみてください、
みたいな提案を送るっていうワークアウトを毎日書いてるんですけども、
これを週3の配信でノートマガジンでやってます。
これがリニューアルオープン記念で、
確か今週末ぐらい2週間分ぐらいの記事が無料で全文公開されていたと思うんですが、
それがちょうど今週で終わるんですよね。
だからこれまでその読んでいただいた方で続きも読みたいなと、
もしくはまだ見たことない何それみたいな方はですね、
ちょっと今日概要欄にURLを貼っておきますんでね、
大体1000文字弱ぐらい、
多い時は1200ぐらいいくんですけどね、
そのぐらいの文章が月水金に届きます。
それを読んでいただいて、
その日をこれやってみるかみたいな感じでね、
使っていただけるといいなと思っている、
そういう日刊のマガジンありますんでね、
よかったらご購読ください。
じゃあ今日はですね、
まさに時間というのは、
生きている限り泉のようにね、
無限に供給されるんだっていう風に、
1日ぐらい、半日でもいいですよ。
48:00
そんな風にね、ちょっと時間を直してみて、
何が起こるかをね、確かめながら、
いい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。