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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーと、倉園圭三さんと教材で行っている文章講座、書き上げ塾の第3期がですね、
募集開始しました。で、こちら、私はもちろん教材だから、これはCMなんですけれども、
是非とも、この興味ある人は一度参加していただいたら大変いいんじゃないかなと思って、こちらでもですね、
どのくらい興味ある方がこれ聞いていらっしゃるかわかりませんが、応募してみます。
というのはですね、私はビジネス書を書いてこれまでずっと生きてきたわけですけれども、
つくづくですね、あの講座を横で一緒にやっていて、
これを先にやっていればどんなに良かったかと思うわけですよ。先にこれを聞いておけばですね。
6ヶ月で、赤を倉園さんがですね、入れてくれるのと、
あとですね、企画を、企画段階で一緒に企画を考えるというのと、
あと、文章の細かい書き方とか、
なんていうんですかね、
書いていく途中のその、 意識の使い方みたいな話ですね。
どれもですね、大変本を書くのには欠かせない要素ばかりなんですよ。
で、これあれば、
もっと書けたなと自分は思うんですよ。 これまで50タイトル以上出してきたんで、まあこれ以上別に出さなくてもいいんですけれども、
本当これを知っていればもっと書けたなと思うんですよ。 まあやっぱり倍数近くの没企画ってあって、
後から考えても、いろいろな意味で惜しいことをしたなというのは、つくづく思うものがあるんですね。
あの、蘇生乱造しない方がいいと、
時間をかけずにガンガン出すのは良くないみたいな話もありますし、それもその通りなんですが、
一方でですね、出せるタイミングに出さないと出せなくなるもの。 本って本当にそういうもので、
もう全てを残しておくことなんてできないんですよね。 これ私よくよくよく多くの人に、これは書き上げ塾と関係なくお伝えしたいことでもあるんですが、
いつでも書けるということほど間違った感覚はないです。 書かなければもう二度と書けなくなるものっていっぱいありまして、
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それはですね、ブログ記事とかではないんですよ。ブログ記事であってもですけどね。 ほっとな時に書かなければ
二度と書けなくなることってあります。 でも本当にですね、なんで昔それ書きたいと思ったんだろうぐらいに思っちゃうんですよ。
あとになってしまうとね。 例えば私で言えば、
アトピーというものと食事療法で結構格闘してきたんですね。 これは書く価値あると思ってたんですよ。ずっと。
アトピー大変ですからね。体中痒いですから。 これを
砂糖を完全に絶つことでかなり沈められる。 人にもよると思うんですけど、沈められるんですね。
で、砂糖絶つっていうのはこれはこれで大変ですよ。 普通の食べ物に砂糖ってかなりの確率で入ってますから。
しかも私の場合、加糖も絶ちましたから。果物のですね。 でですね、
医者でも医療関係者でもないのにこういうの書くのはどうだっていう話あるじゃないですか。 私も当然そういうこと、それに私は医療関係者でもないから書かずにきたんですけれども、
でもですね、医者がアトピーなわけじゃないんですよ。 アトピーなのは自分なわけですよね。
医療関係者であろうとなかろうと一番の当事者は病気の場合、やっぱ病気持ってる人間で 書く価値があると思うなら、そして強引に出せば出せた時期はあったわけですよね。
あったんですよ。でもなんかこういろんなことを考え出すと書かなくなっちゃう。 他に仕事が忙しいという話もありますしね。
で、蘇生乱造しない方がいいとか思うじゃないですか。そうして書かないでいると書けなくなるんですよ。 もう書こうという気自体が起きないんですね。
自分が完全に治っちゃうと。 完全に治ってから書こうって思うこともあるじゃないですか。
でもそれも良くないんですよ。完全に治ると書こうという気って失うんですね。 だからこういうことって留学とかもあるんですけど、いろいろありましてね。
書ける時に書かないと書けなくなります。
で、その時一番こう実はですね、ポイントになってくるのが、書く気持ちを悩させる何かを
なんて言うんですかね。
大きくしない。その悩させる何かを大きくしないということ。 これは結構書き上げ塾でメインテーマにしますし、
あと、やっぱりどう書けばいいのかわかんない。 これはもう完全にメインテーマなんですけど。
書く専門家であっても、やっぱり書けないことがテーマになった時、悩むことは同じなんですよね。
ネタが足りない気がするとか、アイディアが湧いてこないとか、
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どういう組み立て方をしていったらいいかわからないとかですね。
それらの中にはですね、マクロにこうやって見ている時に見落としがちなんですけど、
表現が不十分だってことがあるんですよ。
で、これをですね、結構この書き上げ塾では大事にしていて、
僕よくこう感じるんですけど、なんてことはない、本当になんてことはない1,2文であってもですね、
完全に言い切れたと感じると、人は…
なんて言うんですか、あれは。 自己実現みたいなものを感じますよね。
私はそれを感じるんですよ。 別に本当なんてこともない、ちょっとした二言ぐらいなことを、
倉園さんの赤入れを見ながらやってみるとですね、構成かけてみると、
これでいいって思えるんですよ。言い切れたっていう感じを抱くことがあって、
このこれでいいって感じを抱けるとですね、批判されるとか、
出さずにいる安心・安全とか、本当にどうでもいいことに感じられます。
何かが出来上がった時の自分に与える影響って絶大だなと思うんですよね。
これ今日、これだけでグッドモーニングバイブスいいかなと思い始めたんだけど、話ちょっとしますけど、
家で茄子作ってたりするんですよ。 完璧にいいのができること、たまにあるんですね、1個か2個。
そうすると、これでいいなって思えるんですね。あれと似てます、文章を書き上げられた時っての。
これがないから何か余計なこと考えられるんですよ。言い切れた時の、
言い切れるというのは、言いたいことをただ表現できればいいっていうものじゃないんだってことを、
この掛け上げ塾ではお伝えできるかなぁと思うんです。
言いたいことを言うんだけど、それをですね、
うまく表現できてないんですね。 私はこれでも
100万文字は言うに超えて書いてきてるんで、 この点は間違いないです。
言いたいことをただ言うだけでは、言いたいことは言えないんですよ。 言いたいことを
言い切らないと、言い切れる表現形式を取らないと、言い切れた感じって自分に伝ってこないんですね。
茄子は作れるんですよ。ただ作るだけじゃ十分じゃないんですよ。
これを作りたかったんだ自分はってものを食べないとダメなんですよ。 これができるんだと思うんですね。これでこれができればですね、
人からの批判って全く気にならなくなるんですよ。面白いことに。
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家で茄子作ったって買った方が安いじゃんとか言われても気にならないんですよ。ここまで来られれば。
それを伝えできるといいかなと思っております。 なのでぜひですね、
本格書かないは結構ポイントなんだけれども、 なんかこう自分が言い切るっていうことは
大変いいことなので、その辺で書き上げ塾を受けてみていただくというのもいいかなと思います。
で、全然関係ない本題に入っていくんですけれども、
今日は時間が… 書き上げ塾でいっぱい使ったりには面倒くさいテーマなんですが、
考えたのはですね、
ブラック企業で勤めている人がですね、
グッドワイブスではないんだけど私の多分記事を読まれたんでしょう。
ブラック企業に勤めているというのはご本人が言っていることで、私がそこはブラック企業ですねと認定しているわけじゃないですね。
そういうところで、
上司とか、まあ上司なんでしょうけど、会社は自分を支配し、
要するに言ってみれば支配し、可能な限り労働力を絞り取ろうとしている。
まあ搾取ってやつですかね、をしようとしているところなのだと。
こういうところで私たちが言うような、
その本気で働いたりするのは危険なんじゃないかというご質問。
ご質問というか、まあ疑問をぶつけられた感じがしました。
そのメッセーいただいたんですけど、あ、メッセーありがとうございました。
それでですね、この話は私結構自分の中では弱くて、
倉園さんは全然気にされてないんですよ、あんまり。
多分それは、倉園さんが結構過酷な組織で働いていた経験があるからだと思うんですね。
私はあんまりそういうのないんで、自分結構楽してるなというふうに思ってたんですね。
ただよくよく考えてみると、例えばアメリカ留学経験とか結構過酷だし、
あと昔居酒屋でバイトしてた時もそこそこ過酷なんで、
あとはもう過酷作業、種競争みたいになっちゃうんで、あれだなっていうのもあるんですけど、
まあ過酷であるかどうかは、そんなに大事じゃないんじゃないかと思う一方で、
ほら、有名な会社で死んじゃったりする人もいらっしゃるじゃないですか。
だから、よくわかんないことだから言いにくいなっていうのもあるんですよ。
あるんですけど、なんかちょっとですね、やっぱりイマイチ釈然としないことはあったんですね。
過酷だから、
その上心なり仕事の仕方なりを、いわゆるグッドバイブス的でなくする。
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昔私も一時本当に、それこそ震災の前ぐらいだから10年以上前には、
温存と配分みたいなことを、
提唱はしてないんだけれども、検討していた時代はあったんですね。
セミナーとかでは実験的に、インタラクティブにそういう話もしてみたことはあったんですよ。
抽象的な理屈ならば、そういう話もあり得なくはないなと思うんですけど、
つまりですね、温存しながら働くみたいなやつですよね。
午前中に少しエネルギーを出して、夕方は流すみたいなアレなんだけど、
あれあの、どっかやっぱりですね、しっくりこなかったんですよね。
自分でそういうことをやってみても、
これでちょうどいい配分で、あんまり夜も疲れなかったぜとかって思えなかったんですよね。
むしろなんかこう、
夕方になった頃に原稿書かなきゃということを思い出して、一生懸命ガーッと書くと、
割とすっきりするみたいなのがあって、
ああいうの全部、電気エネルギーの分配法則みたいなので、
説明しきれない、しきれないとしか思えなかったのがあるんですよ。
で、僕結構好きなんで、野球の監督の本とか読むじゃないですか。
アスリートの本とか読むんですよ。
読むじゃないですかって知らないですよね。読むんですよ。
最近で言うと辻監督の、なんて言われても知らない人もいっぱいいると思うんですけど、
辻流とかを買って読んだりしてるんですけど、
結構ですね、最近どんどんどんどん、
アスリートの世界も、近代化というのかな、
昔みたいに根性論みたいなのは全然出てこなくなっているんだけど、
その中でもですね、どこかで手を抜くのがいいっていうふうに言う人って誰もいないんですよね。
で、人間なんでアスリートであろうとなかろうとですね、
疲れてそんな本気でなんかやってられないと思うことはあるはずなんですけれども、
娘の、今中学受験やってて、娘を見ててもですね、
ある問題で力をあまり発揮せず、ある問題で発揮するようにするとかいうことができるようには見えないんですね。
頭のいい子ならば、簡単な問題にそんなにやけにエネルギー費やさなくて溶けるってことは絶対あると思う。
そんなことなら、うちの娘にだってあるんだけど、
温存した力がどっちかに回るとかっていうことって、あり得る感じがしないんですよ。
で、私仕事していてもそうなんだけど、
基本的に集中する。最大、マックスで集中するっていうふうに今は考えるようにしてるんですね。
どんなことであっても。その時に、もちろん実験的にやるんですよね。
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集中度を下げる。全然それによって何かが節約されている感じはしないんですよね。
これが問題なのはですね、私はでもブラック企業とかに勤めてるわけじゃないから、
過酷な労働環境にいないんで、過酷な環境であれば節約に意味はあるんだろうかっていうことについて、なかなか答えが出せなくてですね。
答えは未だに出せるわけじゃないし、答えがそもそもあるとも思えないのですが、
最近立て続けに読んだ本、これはそういう理由で読んでたわけじゃなくて偶然読んでいた本の中にですね、
いわゆるナチスの強制就業所ですね。あの種の本が入っていて、
そこで一つヒントを得たんですね。
あれ以上のブラック企業ってあんまないと思うんですよ。基本的にナチスの強制就業所なんで、
囚人を90何%以上はユダヤ人なんで、犯罪者でもなんでもないのに、鍵カッコつきで囚人と呼ばれてるんですけれども、
目的はですね、それこそ労働力を絞り取れるだけ絞り取って、あとは基本殺すという。
あまり労働力として絞り取れなさそうであれば、もはや労働力として絞り取るということすらせずに殺すという、
この辺がちょっとあまりにも非合理的だなというか、合理的であっても良くないけど、不合理であるのも十分、もっと良くないような、
もうなんかどっちにも転びようがないほどひどい話が多すぎるんですが、
そういう思っ苦しい本の中であってもですね、
だからこそなのかな。 方向性はですね、実は結構グッドバイブスであって驚くんですよね。
やっぱりあるんですよ。そういうところに行った時に、戦略としてなるべく、
こんな労働なんだから、そのする方はしたくてしてるわけでも、有意義なわけでもないからこそ、なるべく手を抜いて、
体力を温存するという考え方と、なるべく頑張って働いて、労働力としては使えるから殺さずにおこうというふうに思わせようという戦略。
と2つあるんですね。 で、後者の方が生き延びているように見えるっていうふうに言うんですよ。
私これ非常にヒントにしかならないですけど、これはもはや企業じゃないからですね。
ならないんですけれども、1つは、
たぶんですね、 なんかやっぱり伝わっちゃうことってあると思うんですよね。
なるべく温存するということは、当たり前なんだけれども、なるべく距離を取りたいということですよね。
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で、なるべく距離を取りたいということは、
基本的には、 そうなんて言えばいいんでしょうかね。
これも当たり前なんですけれども、相手がブラック企業であっても当たり前かもしれないんですけど、
距離を取る、すなわち
まあ常識的に考えても攻撃対… 攻撃的対処ですよね。
怒ってるわけだから。怒ってないにしても恐れているわけですから。
で、この怒りや恐れというものが相手に伝わるということはですね、
普通に考えれば、怒りや恐れというもので 返されることにはなると思うんですね。
これも当たり前なんですよ。何しろことが強制収容所ですからね。
だけれども、その中で生きていくということになるんですね。
なるべく自分が使えると思わせると。
で、あの強制収容所っていろいろ… どこを取ってもひどいけど、
この労働力という点についてもすごいところがありまして、結局ですね、
その労働量はですね、ちゃんと算出されてるんですね。
で、ある生き残った男の子の労働量はすごくて、
普通の人の2倍以上だったんだそうです。
つまりそれはどういうことかというと、 タダでほとんどこき使ってるから、
それなりのビジネスとして利益をもたらすわけですよね。
あの、企業に回したりもするんですよ。ひどいことに。
だからこの話の中でもそうなんですけれども、結局人はですね、
人はというのはいろんな意味がありますけど、 この場合、使ってる側の人ですね。
使えると思うかどうかとか、
好意的…好意的はありえないはずなんですが、 好意的と思えるかどうか、少なくとも…
的意が多いか少ないかというのは、 感じ取ってしまうということがあると思うんです。
で、これ…
強制収容所じゃなくて、 例えばブラックであろうと企業となるとですね、
まさかこう…
使用…あの… 労働者を集めて、あるいは雇用人を集めて、
絞り取れるだけ絞り取ってから殺すとか 思ってるわけじゃないわけですから。
距離を空けようとしているのか、そうでないのかというのは、 大事な選別ポイントになっちゃうと思うんですよ。
だから、そこで一生懸命働くべきだという話ではないんですよ。
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そうは私は思わないんですよ。 ただ、
相手には、的意を持っているのか、憎悪を持っているのか、好意を持っているのか、 少なくとも何とも思っていないのか伝わるということですね。
で、この何とも思っていないっていう4つ目は、 結構滅多にないことで、私たちはそこがですね…
これは精神分析科のバリントが言った通りだと思うんですけど、 この対人、いまして働く先では、
好意か悪意かになりやすいと思うんですね。 中間ってあんまりないと思うんですよ。
そうすると、温存って考え方は結局、悪意になってしまう。
悪意として伝わりやすく、相手がそれを感じ取ってしまうと、 結局のところは敵対関係に入る。
で、こういうふうになってしまったらですね、 それがブラック企業であろうと、ホワイト企業であろうと、
結局は削除官になってしまうと思うんですよ。 つまりこれ不思議な話だと思うんですね。
自分が削除されたくないから温存するわけじゃないですか。 そうすると、労働が削除になっていく感じってあると思うんです。
だから、だからではないんですけど、 とはいえっていう話を僕はぶつけられたと思うんですけど、
ここのとはいえは、当てにならないなと思ったのが、 最近の特殊経験で思ったことなんですよ。
ヒントとしてあったのはですね、SS親衛隊ですよ。 SS親衛隊が強制収容所でそういうことを感じるんだなということなんですよ。
もう一つ、生き延びた人が言っていること。 これは生き延びた人がみんなこういうふうな考え方だったとか思うわけじゃないんですけれども、
そんなことはないでしょうしね。 絶対ああいう無茶苦茶なところだから、運が全部みたいな部分も多分にあると思うんですけど、
やっぱりこう、憎しみを持たないことだっていうのが出てくるんですよ。 この憎しみを持たないということと、
労働条件においてできるだけのことをするっていうのって、 ことが強制収容所なので、
いびつな感じはあるんだけれども、 でも少なくともブラック企業について私たちが考えることと似てくるじゃないですか。
憎しみを持たずにできるだけのことをするってことが、 そんなことをしたらもっと酷い目に遭うって話をされてるんですよね。
しかし、強制収容所ですらこれが生き延びるための戦略だとするとですね、 ブラック企業ならマシテアじゃないかなと、むしろ私は思ったんですね。
ブラックであることが確定であるならば転職した方がいいと思いますよ。 強制収容所だって逃げられるんだったら絶対逃げるんで。
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だけれども逃げられないということが問題なのであればですね、 逃げられると思うんですけれども、ブラック企業は絶対に。
どちらかというとですね、温存して上司に対して警戒を怠らないという戦略は
少なくとも強制収容所の本を読む限りは、 結果は逆に出るような気がするんですね。
単純に言うとこれだけの話なんですよ。
僕はそういう労働環境にはないので、 全力を出しても出さなくても、距離といっても上司というものがいませんから、
距離を置こうと行為を持とうと、結果がそこまで劇的には出ないんですね、すぐには。 出ないんですけれども、
いわゆるオフィスワーカーの人は劇的に出るんじゃないかと思うんですね、即座に。 私なんかよりは。
そういう意味ではやる価値は高いんじゃないかなという気がします。 多分、搾取を心配されることはこの反対しかしてこないと思うんですよ。
だって全力を尽くして相手に対して行為を持つっておかしいじゃないですか。 相手が搾取するということに決まっていれば。
でもですね、これを強制収容所でやるっていうのもおかしいじゃないですか、明らかに。
でもこれをやらないと、死んでしまうとなると、 やっぱりやる人は出てくるわけですよね。
これは何しろ生き残った人というのの比率が少なすぎると、話が無茶苦茶なので、
貝として出てくるものではないんですよ、決して。 あくまでも参考か何かのヒントになるというのが精いっぱいなところで、
それ以上の話にはならないんですけれども、 ブラックじゃなくてですね、普通の企業だった場合について考えてみると、
結局その伝わってしまうというか、伝えてしまってるじゃないですか。 私はギリギリしかしないんですって、伝えてしまってるじゃないですか。
これを伝えられたと考えた時に、相手は絶対に良い印象を持つのは難しいと思うんですよ。
相手の上司がたまたまグッドワイブスであれば、いろいろ考えてくれるとは思うんですけれども、
たぶんグッドワイブスはそこまで日本中に知られていないので、たぶんそういうことはないと思うんですね。
そうすると、たぶん相手の人は良い印象を持たないと思うんですよ。
これをわざわざ伝えるメリットって何なのかなと。
これを伝えることによって、作書が本当に未然に防げるんだろうかっていうのが、一連のことを考えて私が出した結論なんですよね。
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つまり、警戒することが身を守ることにつながっていないケースっていっぱいありまして、
それはグッドワイブスで私がよくよく思い知ったことなんですが、
警戒することって自分の身を守ることになると私たちは割と安直に思い込むんですが、
警戒することが自分の身を守ることに直結していないケースってたくさんあるんですね。
この企業がホワイトだった場合、これが一番良くないことなんじゃないかなと思うんですよ。
つまり、ホワイト企業ではないということを前提にしてしまっている、その視点が自分ではニュートラルだと思っているんですよ、多分。
ホワイト企業などこの世に存在しない。これはしかも客観的な事実であると。
そこをなんとかチェックするところが、まず第一歩なんではないかなと思うんです。
これは前向きに仕事しましょうとか、ポジティブに考えましょうという話とは全く違うと僕は思うんですね。
この世の企業が全部ブラックとは限らないのではないでしょうか、ということなんです。
でもこれを真剣に考えれば、温存すなわち安全ということが結論として疑わしいという視点は得られるのではないだろうか。