1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 「なにをしても私の価値は上下..
2024-11-13 49:59

「なにをしても私の価値は上下しない」と思いたい理由【1088】

行動が価値の上下を決めるなら「間違った行動」があることになる。
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00:05
おはようございます。働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト、第1088回をお送りします。
11月13日水曜日、7時41分です。
めっきり寒くはならないですよね。
まあ今ちょっと天気が良くてですね。不思議なことにね、首にね、ククラ巻いてですよ。
なんかですね、頭がボーッとするんですね。
一つはこのヘッドホンステレオっていうの。ヘッドホン付きのマイクのせいで、耳がやっぱり塞がれると。
耳当てと効果ですよね。たぶん熱が逃げなくなって、熱い。
で、頭がボーッとすると。
ネッククラ行き過ぎなんですよね、やっぱりね。行き過ぎだなと今やってて思うんだけど。
これ良い方法があんまり考えつかなくてですね。
下は温かいんですよ。結構温かくしてるんですよ。
割となんかモコモコ感のある。
ヒートテックはまだ開いてないんですけどね。
こうしないと年なんですよね。たぶんね。
残念なことでもありますが。
まあまあお知らせしよう。
11月17日ですね。日曜日ですね。今週の末の日曜日ですね。
ぜひぜひと精神分析の話をしようみたいな話でもいいと思うんですけども。
これ手帳術の回なんで、精神分析の話とかを私がその場でしていくわけにはいかないので。
しちゃったりするのが私ですけど、しないつもりですので。
振られればしますよ。振られればしますが。
前に立って登壇したりはそういう話はしないんですけれども。
手帳はちょっとね、サンプルの手帳がありますので。
これを実物を見て予約をしましょうと。
こういうお話なんですよ結局はね。ある程度は。
できればその予約された、入手された、ゲットしたタスクシュート手帳という最新の第一版を見て。
こことこことここが改善だって思うところをタスクシュート協会なり。
あるいは認定トレーナーさんなりを通じて知らせていただければ、手帳が変化していくと。
これを進化って皆さんおっしゃるんですけど、何でもいいですが。
ぜひこういう流れで。
自分の好きな、完全に頭から1からカスタマイズはできませんが。
タスクシュートという架線がありますからね。
これをでも変化させていくというのは結構面白いのではないかと。
私だってほぼに手帳会議とかに参加させてもらえるぐらいなら絶対行けますからね。
絶対参加できそうな気がしませんけど。
03:01
そういうことです。そういうことです。
うまくいけば負けるかもしれないじゃないですか。
そしたら面白いよねっていうところにちょっと期待をしつつ。
簡単じゃないですけどね。世の中には手帳ってあふれてますから。
まあでもそんなことを考えております。
ではですね。
11月17日日曜日渋谷。午後2時からかな。
オンラインでもやっております。ハイブリッド開催です。
本題は何なんだろうな。
最近ちょっと変異の話をずっとしてきましたが。
変異をじゃああんた扱うのかというと、
もちろん扱わないわけですよ。扱えないんですよ。
変異というのは変異的治療空間みたいなものは多分必要とするんですよね。
つまり2人で1つの部屋に閉じこもって自由連想を開始してしまうという。
かなり異様な感じのする空間があると人間はそこを変異的空間として。
特にクライアントさんの夢がそこで展開されていく。
そうと気づかずに2人で夢の世界に入っていく。
入っていることに気づいてもいないということが起きていく。
それを極端な形で示してくれているのが日本では藤山直樹さんという方だと私は思うんですね。
あの人のお話が一番そのいかに無自覚に入っていくかといった話をしているように思います。
松木くにひろさんの方はそういう話よりはやっぱりどこか松木さんの方が相当冷めている感じが伝わってきます。
実際はわからないですよね、もちろんね。
そこにいたことは僕らないわけだから。
絶対原理的にいることはないはずですから。
ただ書いているものをそのまま受け止めるならばそういう感じがしますよね。
で、私は店員は扱えないわけですけども実質的に。
同じ空間とかを共有しないし、2人きりとかには決してなりませんから。
オンラインだからなれるわけですからね。
一つにはね。
で、もう一つはそもそも私は店員を扱うつもりはないということがあります。
それはそれはいい意味が大きな意味があるんだと思うんですよ。
自分の夢の中から自分の夢の登場人物が自分の夢について解釈してくれたら、
それは精神的に大きなインパクトがどのようなインパクトにせよあるだろうなと思うけど。
それを、これを私が精神分析を知らないうちからこういうやり方こそが正しいんだと思っていれば、
それもそれでいいと思うんですけど、
僕はやっぱりこれを人から習っている格好になっているんで、
その人たちに習う必要があるんだろうなと。
これを教育分析と言ったり訓練と言ったりするんでしょうね。
06:02
トレーニングですよね。
私はそれはないからやんないってことも一つあります。
ただ、投影は扱います。
なぜならば、私は投影を精神分析から習ったつもりはないからなんですね。
投影は扱うというより、投影を扱わないで生きてはいけないだろうって僕は信じてきてるんですね。
これはみんながみんなそうではないのであればですよ。
みんながみんなそうなんじゃないかと思ってるんだけど、
みんながみんなもしそうでないならば、
私のオリジナルだというならば、
その原点は私が寺育ちだということですよね、きっと。
これは扱うのに寺で訓練を、そういうのはありますよ、もちろんね。
小坊主になって修行するってやつだけど、
必要だと言われても、それは私は無視する。
なぜならば、私は好きで寺に生まれたわけじゃないですからね。
というか、はっきり言って子供の時期は結構嫌でしたからね。
メリットはいろいろありますよ、家広いとか。
だけど、まあ普通の家が良かったよなって正直は思いますよ。
鳥居の下を通るときに、修学旅行に行ったり社会復元学に行ったりするとき、
鳥居を蹴るとかやるんですよ。
やってられないですよ、はっきり言って子供にしてみればね。
なんでこんな馬鹿げたことをやらなきゃならないんだろうと。
おみこし担ぐなとかね、すっごいめんどくさいんですよ。
おみこし担がないっていう地域でね、
お前そういうのは地域の祭りには参加するもんなんだぞみたいな、
急にどっから出てきたのかわからないようなおじさんに説教されてみたりするんですよ。
いや、そりゃあ私だっておみこしぐらい担ぎたいけどさ、
おみこし担ぐと後で親に何言われるかわかったんじゃないんだよっていうね。
わかんないですよ、そんなことは相手にも私にも。
でも結構ビリッキッチリ言われるんですよ。
それもまたよくわからないおじさん、知らないお坊さんからめちゃくちゃ怒られたりするんでね、
怖いんですよね、子供にしてみれば。
迫力ありますからね。
なんか坊さんの中には元軍人とかいたりしますからね。
わかんない世界ですよね結構ね。
なので、寺には好きで生まれたわけではないので、
空間とかね、一切は空であるとかね、
全ては幻であるとか、繰り返し繰り返し繰り返し、
本当に一切の頃から繰り返し、何かにつけて聞かされてるんで、
あれですよ、これを別になんだっていうわけじゃないですけど、
マインドフルネスとかいろいろあるじゃないですか、
グッドバイブスでもいいんですけれども、
別に初めて聞きましたって話はないですよ。
そうはないです。
そういう話は僕にしてみるとですね、昔から聞かされてはいたんです。
でも初めて聞くようにして聞くべきなんですよ。
別の人が言うんであればね。
これはもうそういうもんなんです。
それはマインドフルネスですよねっていうのは違うんです。
全く同じことを言っていたとしても、
その人が言ってるわけじゃないんで。
ジョン・カバトジンがマインドフルネスの創始者かな。
ジョン・カバトジンが、それはあなたの考えに過ぎませんっていうのと、
倉野の慶三さんが、それはあなたの思考に過ぎませんっていうのと、
09:03
うちの親父が、それはお前の考えに過ぎないっていうのは全部違うんですよ。
ここがめちゃくちゃこういうものでは生きてくるんです。
情報じゃないんですよこれは。
情報じゃないじゃないですか。
それもあなたの考えに過ぎませんっていうのはね、
情報として受け取ったら無意味だもの。
無意味極まりないものだと思いますよ。
これは私が例えば小児漸俗とか、
腰炎菌感染症とかでね、
もうなんかうわーってなってるんですよ。
体中なんかわけわかんない赤いブツブツができて、
熱がくどくぶぐらいあって、小学校2年ぐらいの時にね。
その時にうちのじいちゃんとかに、
これは何しようも考えに過ぎないんだって言われるから意味があるんですよ。
こういうものはね。
で、えっと、
その時にジョン・カバトジンも、
倉園慶三さんも近くにはいなかったんですよ。
こういうことなんですよね。
宗教ってのはそういうもんです。
そうでなかったら、のようなものはですね、
ただそれこそみんなよく言うじゃないですか。
お題目を唱えるって。
あれ、小バカにして言ってますよね。
何の意味もないときに何の意味もない気持ちで
唱えていても何の意味もないですよ。
あれは、やっぱり意味があるときに
一生懸命やろうとして
この一生懸命がいけないっていうのが
仏教の考え方だと思うんですけど。
その一生懸命を唱えなければ
いてもたってもいられない
心理状態に陥ったときに
一生懸命唱えても無意味だっていうことを
認識していくっていう
多分方針なんだと思うんですよ。
だから言葉に意味があるわけじゃないんですよ。
言葉だったら、だって頭から最後まで暗記してるんですよ。
それを1日5回も唱えるわけですよ。
朝っ端からですね。
朝っ端から星座させられて
最初は意味も分かんないのにですね。
延々に唱えさせられるわけですよ。
子供にとっては延々ですよね。
1時間なんだけど。
朝のうちの場合6時に始まって
たんですけどね。
その後がこういくわけですよ。
この中にはそれこそグッドファイブスとか
マインドフルネスで言われているようなことは
全部入ってるんですよ。当然なんですよ。
だってそこの部分だけ抽出して
繰り返し唱えてるんだから。
仏典ってのは聖書と同じくらい
もっと長いのかもしれないんですけど
本当は。あるんだけど
全部唱えてたら
1日唱えるだけで終わっちゃうんで。
一番大事そうなところを
抽出して唱えてるんですけど
その中にマインドフルネスみたいなのが
全部入ってるんですよ。
それを2歳の時から
制作させられて朝の6時から
朝の7時まで。夜も6時から
7時まで。必ずやらされるんですよ。
朝は5回。
夜は3回。
周波によって違いますけどね。
いろんなのがありますけど
だいたい似たりよったりです。
やってることも唱えてる内容も似たりよったりです。
それは頭には入ってますよ。
頭にはね。
話でしかないわけですね。
この中に僕は
12:00
東映というのは
一番僕の
オリジナルの近い
何かになったわけです。
東映は。
なんでか。タスクシュートなんですね。
タスクシュートだけじゃないですよ。
でもタスクシュートにさえ
登場してきたのが東映だったわけです。
東映を僕は
東映って言うと
なんとなく精神分析っぽいなと
僕は当時ユング
かわいい早尾が大好きでしたけど
ユング派っぽくて多分ダメだなと思ったんで
えーと
やく流行りませんでしたけれども
別人問題という
言い方をしました。
買い入りと思われたくないってのもあった
買い入りとは違うんで
多重人格じゃないんですよね。別人問題なんですよ。
別人格みたいなのになってしまうと。
だからやっぱり東映なんですよね。
自分がある種の人格に
乗っ取られるという感じがする。
例えば僕なんかほら
ファンザファンザ言ってるじゃないですか。
お前どんだけファンザ好きなんだよって思われるかもしれませんけど
僕でも
これタスクシュートで測ったから分かるんですけど
ファンザにのめり込んでる時間は
日に1時間いくかいかないかですよ最大でも。
日によってよっぽどひどい時は
3時間とかいくけど滅多ないです。
1時間はいかないですね。
平均とれば多分20分
そこそこです。
これは何を意味しているか。
どんなに自分がその人格に
見えてもやっぱりセクシャルなものに
のめり込める時間って僕の場合は
まあ平均にすると
1日1時間はいかないよってことなんですね。
で時間で測る
っていうのは大して意味はないかもしれないけど
つまり別人問題
っていうのはこういうことなんですよ。
24時間のうち1時間
ファンザにのめり込む佐々木正吾が
現れたとしてもそれ以外の時間は
ファンザにはのめり込んでないわけですよ。
そりゃそうですよね。
あれに10時間とかのめり込んでられないですよ。
だから全然楽しくも
なんともなくなる。
やっぱりゼルダに
ハマる佐々木正吾も登場する。
これが別人問題じゃないですか。
この中でもとびきり大事なのが
夜寝るときには
まだ寝たくないよって言ってる
やつがいる。
子供によく言うじゃないですか。
まだ寝ないのだみたいで頑張る子供。
でも朝起きるときには
あと5分でいいから寝させてみたいになってる。
これがまさに別人問題。
これ乖離じゃないですよね。
多重人格じゃないですよね。
昨日の夜私は寝るのしぶりましたってことを
完璧に忘れてるとかってことないじゃないですか。
イブホワイトとブラックみたいに
うわぁもう完全に乖離してるわみたいな
あの噴霧起きてる
とんそう起きてる
記憶喪失になっちゃってるってことは別にないじゃないですか。
これ乖離ではないですよ。
やっぱり僕は投影で説明するのが一番いいと思う。
転移と言ってもいいのかもしれないけど
あの
転移で
自分には人格がいくらかありましてですね
典型的な人格がいくらかあって
そいつを
自分に投影しちゃうわけですよ。
投影ってのはすごく
すごく便利で人にも自分にも投影できるんですよ。
だからエナクメントなんてものができちゃうわけですよ。
15:00
演劇
私お父さん、あなたお母さん
あんた子供ねみたいな
それを暗黙の了解のように
人に押し付けたり
押し付けられたりしてるうちに
その中に転移ってものが出現するわけじゃないですか。
転移が出現しないまでも
お互いが投影同一化をやりあって
私お父さん
あなた息子だから
言うこと聞きなさいみたいなことを上司と部下がやっちゃうわけですよ。
しかもこれ後退するんですよ。
部下が強気になったときは
部下がお父さん、上司は子供みたいに
上司がシュンとして
やたらと言いくるめられる
言いまくられるみたいなことも起きる。
これが人間の社会の
私はそれこそ
力道だと思うんですよね。
だからそこら中に投影は
見受けられる。
しょうがないっていう風に思うんですよね。
そうじゃないといつもいつもと対面みたいな感じで
ぎこちなくってしょうがないじゃないですか。
やっぱり気心が知れるとか
家族同然になるって
家族同然にならないじゃないですか本当は。
私と大橋哲夫さんは長い付き合いですけど
彼と本当は
家族同然になるはずないんですよ。
家族じゃないから。
大橋家と佐々木家は全然別の家ですからね。
でもなんとなくそういう風に
親しみやすさみたいなのを覚えるのは
お互いがお互いに投影するようになってるから。
なってないんだったら
全てが記憶と知識と情報だけの
やりとりだったら
絶対にある種のことは起こらないはずなんですよ。
で、どんな人間関係でも
すぐ起こる。小学校とか
教室が同じっていうだけで
前後に佐々木君と佐藤君で
差がついてるから仲良くなるみたいなことができるじゃないですか。
人間は。
それは結局佐藤君いたんですよ。
私の中学時代の親友。
これは明らかに
投影ですよね。
で、投影以外はあり得ないと僕なんかは思う
ということです。
不思議とですね、そういうのは
よろしくないと。
今はSNSでいろんな人と知り合えるから
価値観で人は知り合うんだみたいな。
価値観って投影じゃんって僕なんか思うんですよ。
価値観が揃ってるのは
家族って価値観が嫌でもおでも揃うじゃないですか。
家族特有の文化って
必ずあるんで。
どれほどの関係が悪くったって
佐々木家では、例えば佐々木家で
私と父親の関係がどれほど悪くったって
うちの身内には現にそういう人いますけど
お前と親は
そっくりだよってことは現実に起きる。
これがすごい許せない
っていう人がいっぱいいるんだけど
許せても許せなくても起きる。
これはやっぱり、それこそ同じ釜の
飯を食うからですよ。
有名なことわざを使うなら。
しゃあないんですよそれは。
だから価値観で整えるっていうのは
全然グローバルな感じはしないけどなと
私は思いますけどね。
SNSで繋がってるからって
友達がみんなインド人になりましたって
人、滅多にいないじゃないですか。
それは価値観がすげえ違うから
言葉の壁もありますけどね。
でもこれ言葉の壁が
払拭されるようになっても
非常に価値観でものが
出てくると思いますよ。
最近コテンラジオをよく聞いてるんで
インドの人とは価値観が違うのは
18:00
当たり前だわって本当思います。
カーストの話とか聞いてると
日本には全くないものですよね。
なくて幸せだと
言うしかないと思うんですけど
でもある以上はそれが
ある世界で生きることになるわけだから
もうこれは全然価値観は
違うんですよ。
だから仲良くなれないとは言いませんけれども
仲良くなればなるほど
価値観の違いというものは
お互いが強烈に意識するしかないだろう
なくなるだろうなという感じがします。
あの種の異文化体験期みたいな
話って何読んでもそう思いますね。
人間というのはいかに
いろんなものになれるか
なんか浦沢直樹のモンスターじゃないけど
人間は何にだってなれるんだよ
ってやつですよね。
確かにそうだなって感じがしますよね。
私はやっぱそれは
投影ってものの幅広さだと思うんだけど
一方で幅は狭いんですよ。
大変。
私自身が私に投影する人格なんて
6つ7つなんですよ。
タスクシュートでやってると
よく分かるんです。
このタスクをやるのは嫌だとか
このタスクをやるときはこういう風になるとか
大体決まりったパターンを
繰り返すことになるんですね。
このパターンをうまく使いましょう
って考え方もタスクシュートにはあるんだけど
私はそれは基本採用しないですね。
なぜなら
投影の幅を自分で先に決めておくっていうのは
いいことをもたらさないと思うので。
投影の深幅というものは
結果として
現れてしまうものではあると思うんですけど
先に決めておくべきものでは
僕はないと。
で、なんでか。
なぜかというと
それを先に決めようとすると
これを先に決めようとするからこそ
人格の分裂という
人格はいくらかの
人格がいる
いくつかの投影がセットになる
転移が起きるというのは
つまり分裂してるからなんですが
その分裂の裂け目は
できるだけマイルドにする
べきであって
あまり亀裂を深めるべきではないと思うんですよね。
亀裂はなぜ深まるかというと
それは
どれかの人格に正しさを求めてしまうからですよ。
非常に
わかりやすい例として
短く寝る方が立派なんだ
っていう
これはつまり寝る人格を否定してますよね。
起きて
活動的である。そして
その価値観にはもう一つ
起きて活動的であり
多産的であり
自己マネジメントが
よくできるという考え方がありますよね。
あの
発達障害の項目を見てほしいんですよ。
感情の
制御が
難しいほど
感情的になることがあるみたいなのが
発達障害の項目にあるんですよ。
僕はこれを
見るたびに非常にこう
なんとも言えない気持ちになるんですよ。
感情を制御することが
良しとされてるじゃないですか。
いいですか。これはですね
僕非常に引っかかるんですよね。
認知行動療法であれ
21:00
精神分析であれ
価値的に中立って歌うんですよ。
でも価値的に
中立というのが担保されてはいないんですよ。
この辺のことは
私がこの番組で好んで
ちょっと推しですみたいなことも言ったことのある
山崎孝明さんって方が
繰り返しおっしゃっている
割とこだわっていらっしゃると
価値的中立は可能かって話なんですよね。
でこれ
可能だとは言わないまでも
めっちゃくちゃ難しいと思う。
だって最初からそういうこと書いちゃってあるんで
過集中っていうのを最近
Jマスタキさんと
3waysで取り上げて
彼とは意見が合うんだけど
過集中の良し悪しってどうなのって
話ですよね。ひとつにはね。
過集中が悪い
というか過集中に
陥るという表現はすでに価値的に
全く中立じゃないじゃないですか。
過集中に陥らない方が
良いって言ってるわけですよね。
こういうものが
カンセリングでは避けるのは
非常に難しいはずなんですよね。
だってカンセリングって
人を良くするってことになってるんで
良いってのは誰が決めるのと。
最近あの井上さん
っていう中国嫁日記書いてる人が
略資本論っての書いてて
僕はその話の
大半がよく分からなかったんだけど
あれは共産主義というものに
対してその
動機は良しとするけど
その手法に問題があるみたいな考え方で
まあまあそうだろうなって感じはするけど
僕は経済のことはよく分からないんで
ただあの
彼が書いてる中で僕もそれは
ソビエト連邦の話を
読むときいつも感じたことなんだけど
誰がそれを
決めるのってのはすごい大事だと思うんですよ。
誰かがそれを決めちゃうんですよね。
価値的に正しいってことを。
そうですよね。だって
計画経済ってそうじゃないですか。
良いものをいっぱい作りましょうって話ですよね。
良いって誰が決めるのっていう
まあそれを
僕はあの略資本論という漫画では
それを中核に置いてると思うんだけど
僕もあれはやっぱり
全ての権力をソビエトへっていうのは
ソビエトってのは人民会議みたいな話
言葉っぽいんですけど
それはいいとして
全ての権力をソビエトに集めてしまったら
誰もそれに逆らえなくなるじゃないですか。
それがどんなに良さそうなものであったとしても
それってめっちゃ怖いじゃないですか。
やっぱり。
それが会議であろうと国会であろうと
フランス革命の時そうでしたよね。
だから会議で
決まったからといって
それがいい決定になるかっていう
仮にそれがいい決定だとしても
やっぱりそれに納得できるか
っていうとそれはまた別の問題ですよね。
会議であなたは殺されることに
決まりましたみたいなことで
殺されちゃったりするわけじゃないですか。
それは何かこう
いいことなのだと言われても
多分殺される人がそう思うのは
無理だと思うんですよ。
そこまで極端ではないかもしれないけど
やっぱり過集中を
しない方がいいって誰が決めるの?
なんとなく
それが
中国嫁日記の人だから
24:00
ユエさんっていう女の人が
奥さんが出てくるんですけど
それはみんなが決めるんですよって言うんですよね。
みんなって誰だよ。
いやみんなはみんなでしょっていう感じなんだけど
みんなが決めればいいのか
そもそもっていうことですよね。
みんなは全員
という話じゃないですよね。
だから過集中
しない方がいいっていうのかもしれないけど
それ誰が決めるのっていう風に
僕ならものすごく
思いますけどね。
なんでそれでみんながみんな
なのか知りませんけど
納得できるのかが僕には全く
理解に苦しむんですよ。
朝2時に起きるでも
3時に起きるでも早く起きるでも
なんでもいいですけど
それ誰が決めるのって感じがしますよね。
朝早く起きた方がいいだなって。
倉田の圭三さんとかめっちゃ困るじゃないですか。
そもそも朝起きられない人だし。
そういう人はなんか
強制とかされちゃったりするわけですよ。
強制っていうのは正しく
ためるやつ
ですよね。
なんで強制されなきゃ。
誰が決めたのって感じがするじゃないですか。
これは日本は濃厚社会だったから
朝早く起きるのが良しとされてるんだと。
今でもその名残を引っ張ってるんだ
と思うんですよね。
なんかこう私立と言ったって
自由だとか言ったって朝やたら早く
学校に来させるわけですよ。
だから家でも私は5時半とかに起きなきゃならないんだけど
お前これ誰が決めたんだよって
本当は言いたいわけですよ。
別に9時に起きて10時に登校すれば
こと足りそうなもんなんですよね。
これぐらいオンラインが発達してる時代
だからでもダメなんですよ。
5時に起きて8時までには
学校に送り届けなければならん
ということになるわけですよね。
だから朝早く起きるのが正しいと。
誰が正しいと決めたんだろうって
思いますよね。
結果として朝いつまでも起きられない
なんて項目が精神病理の
項目に入ってきちゃうわけですよ。
抑鬱的である。
朝早く起きられない。
お前誰が決めたんだよって。
なぜ朝早く起きられる人間が健康で
起きられない人間が病気だっていうことを
有権利をいつ持ったんだって感じが
僕ならしますね。
僕はそういうのはめちゃくちゃします。
内心ではね。
あんまり戦わないことに決めてるんですけれども
基本的にはこれは
大変腹立たしい現象だと思ってます。
だから
ちゃんとした服を着るとかね
あるわけですよ。
ヒゲを剃っていくとか。
でもヒゲ剃りって結構高いわけですよ。
これはメンズの悩みなんですけどね。
僕は肌が弱いんで
結構いいヒゲ剃り買うんですよ。
それは結構お金がかかるわけですよね。
ヒゲ剃りだからね。
フィリップスとかね。
そうなんですよ。
そうすると稼いでいる人間が正しいってことになるじゃないですか。
だんだん新自由主義っぽくなっていくじゃないですか。
で、これ
ある程度は
戦わないと無理ですよね。
お金ないからさ、ヒゲボウボウだし
髪ボサボサだし
よくわかんないヨレヨレの服着て
面接やりますっていうのに比べると
以前そういう話が
ライフハック界隈でも流行りましたよね。
27:00
ちゃんとした服をビシッと着て
ビシッとして人に会おうみたいな。
私あれに内心猛烈に抵抗していて
実はね
上も下も
ユニクロにしてやるっていう
なんなら島村にしてやるぐらいになった。
すいません、島村さんごめんなさいって感じなんだけど
もう絶対そうしようって思ったんですよ。
それで人が来なくなるんだったら
それはそれでそうしようぐらい。
なんか僕はちょっとこういうところがあるんですよね。
ちょっとバカっぽいなって自分でも思うんだけど
たぶん自分の
自分の父親が完全にそうなんで
神上作家的なところが
あって、しかもその
なんていうんだろうな
価値的中立とか多様性とか言いながら
なんか平気でこれをやってくるっていう
世界がやっぱりどうしてもね
あるんですよ。
だからあれですよ
ファシズムだとか言うつもりはないです。
そこまで戦う気はないし
そんなことはないと思う。
だけどやっぱりですね
なんか納得がいかないんですよね。
ひもてだった
っていう人間ですからやっぱり
そういうことに納得いかないわけですよ。
やっぱり
いろいろとあるじゃないですか。
それっぽくあったほうが良さそうに見える。
でもこれっていうのは
すごく差別的でもあるとやっぱ思うんですよね。
それっぽくなさそうなやつは
結局ダメであるという
そういう権利が誰かにあるみたいな感じで
本当にそういう権利があると
信じてる人もいますからね。
まあまあいいんですけど
良くはないけど
とことん戦うほどのことでも
ないなとは思ってますけど
そうなんですよ。
だから多様な人格が
あるのは
いろんな人にあるのではなくて
自分の中にあると思うんですよね。
それは投影の結果なんですよ。
それは分裂なんですよ。
だって朝早く起きたいのと
夜更かししたいっていうのは両立はしませんから。
よくろうにやってしまうと両立はしませんからね。
やっぱり早く寝るから
早く起きられるんで
一定の時間寝なきゃならないんで。
これはダイエットしたいけど食欲はあるとか
いろいろとあるわけ。
あの
さっさと仕事を済ませたいけど
面倒そうな仕事にはいつまでも
手をかけたくないとかね。
あるわけですよ。
そういう視点で
発達障害なり
HSPなりでも何でもいいんですけど
抑鬱性パーソナリティ障害でも
何でもいいんですけど見てみると
いかにあの種の項目が
価値的に中立ではないか
こういう人間が良いという
人間なんだと言わんばかりなのかが
よく分かる。
そしてそれは僕はカウンセリングという
ものの存在として
自己否定的だと思うんですよ。
なんかちょっと過激なこと喋ってんな
今日はどうかしたんですかね
ネッククーラーとかいけないのかな
ネッククーラーのせいにしておきたく
なるぐらいのことちょっと今
口走った気がするんですけど
まあいいんですけどね。なぜなら
これから別に炎上してもいいんで。
炎上しちゃいけないってのは
炎上しない意見を言う人にならなきゃならなくなるんですよ。
30:00
僕はそういうのが嫌なんですよ。
内心ではね。そんなに
過激じゃない人間でいたいっていうのも
一方にあるから
実際ここまでめったに僕は炎上みたいなのには
かすりもあんまりせずに
来てるんだけど、言ってることを
よく聞くと炎上するだろうなってことは
いっぱい言ってますよね。でも僕は
これを言わずに済ませるぐらいなら
今ある人間関係が全部ダメになっても
構わないから言います。ぐらい
僕は過激なところもあるんですよ。
マイルドに生きていきたいんですけどね。
えっと
なんでなのかという話を
しなきゃいけないですよね。
なぜカウンセリングが
意識中立は無理でも
そっちを目指しておく
維持しようと頑張るべきだと思うのか
というと
つまりこれは精神病理学が
語ってることだと思うんですよ。
ある程度皆さんがもう
常識的にご存知のことです。
子供を正しく育てようとすると
子供は狂い始める
というような現象
少なくとも非常に苦しみ始める。
どうしてかというと
人間というのはやっぱり
投影する生き物だから
その投影は
背景に
これはメラニー・クラインが言ったことで
番組できちんと言えてないんですけど
投影はメラニー・クラインに
言わせると
本能的無意識的欲望
このね
八字熟語的なのが気に入らない。
だからあんまり言いたくない。
でもやっぱり人間本能あるじゃないですか。
精神分析では
これは皆さんあんまり意識されてないと思いますが
本能から人間は
隔たれているっていうのはすごく言われてます。
フロイトも言ってるし
ウィニコットが一番言いましたよね。
本能は遠い雷鳴のようにやってくる。
これは何を言ってるかというと
爬虫類は
直接近くの世界に生きてないってことなんですよ。
爬虫類は直接近くの
世界に生きてますよね。
羽が飛んでれば舌が伸びて食うみたいな。
そういうやつ。
現実とそのものですよね。
これは綺麗なんだろうか汚いんだろうかとか
そういうのがない。
つまり現実と人間は間接的に関わってしまっているんで
自分の欲望も
今出すべきなのか出さないべきなのか
トイレの欲求になって
完全にそうですね。
本能というものに隔たれているんですよ。
本能がなんか象徴みたいな
言葉みたいなものを介在して
それによって満たすみたいな。
その中間には
空想がやってくるっていう風に
フラインが言ってるわけですよ。
これは僕は全くそうだと思うんですよ。
このことは若い頃にずいぶん悩んだんですよ。
例えば私が
ファンザみたいな
女性の妖像みたいなもの
肩苦しい言葉を使いましたけど
思い浮かべる。
これは私の本能の欲求
すなわち性欲というものによって
意識させられている空想です。
だから
私は性欲というものを
直接的には意識できないんですよ。
まずイメージを持ってしまう
ってことが起きるわけですね。
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本能的空想というものが
そこにあるわけですよ。
これが私の
投影というものを引き出してくるわけです。
どうせだったらこういう女性がいい
みたいな。これは本能では
もはやないわけですよ。
どうせだったら母親に似てたりするわけ。
だから空想が
投影というものに引きずられていくわけです。
食欲というのも本能としては
物が食いたい。
基本的には空腹を満たしたいなんだけど
ケーキがいいとか
ケーキのイメージを持っちゃうみたいな。
これって明らかに余計なことじゃないですか。
人間はみんなやってるから
意識しませんけれども余計なことですよね。
そして何とかに
似ているものが食べたいとか。
結局のところ空想を始めちゃうわけですよ。
その時に
ケーキのイメージというものが
素晴らしいものに感じられるんだったら
たぶん腹減ってるんですよね。
それはさっきの別人問題ですよね。
だから食べたいという私が
食べる私というものになっていく。
だけど一方で
私は痩せるっていう
これもたぶん本能としては
性欲なんだと僕は思うんですけども
痩せるっていうものが出てくる。
筋肉的な
筋肉質な人間でありたい。
ケーキのイメージとは違うものが
僕の中のイメージとして出てくる。
そういうものを自分に投影すると
今度は食べたくないっていう
自分になっていく。
これ分裂してるじゃないですか。
そうやって本能から
本能的な空想というものを通じて
投影された私は
Aになったり
マイナスAになったり
自分にとって不都合なものが現れてくるわけですよ。
寝たい私、起きたい私
食べたい私、食べたくない私
タスクシュートの話を
したい私と
違う話をしたい私。
人間はそういうのを調律
しないわけにはいかないですよね。
分裂してます。
調律しないわけにはいかないはずなのに
どれかに過剰に語り入れしちゃダメなんですよ。
正しさとはそれなんです。
いや、寝ない私が正しいんだって
親が言っちゃダメなんですよ。
親は
あなたはこういう私でありなさい。
こういう私でありたいとだけ思いなさい。
えーと、なんかね
太谷翔平みたいに。
これは胸肉だけ食べたいと思いなさい。
いや、牛肉は嫌いになりなさいみたいな。
こうやって一つの本能に
一つの本能的な空想に徹底的に語り入れすると
何が起きるかというと
絶対他の形を取りたがる
他の形を取らなければならないような
別人が
全部淘汰されていかなきゃならないじゃないですか。
それは悪い私。
あなたのそれも悪い私。
いい私はこれだけみたいな。
そういう風になりなさいっていう
一個の人格だけを
やたらとどこかで
強化されていくとですね。
他全部否定的になるので
その否定的になった私ってものが
人に投影されることが
非常に多いんですよ。
あいつはだらしなく食っている悪人だ
っていうことになるんですよ。
あいつと付き合うのはやめようみたいな。
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本来なら強制収支に入れようみたいなね。
こういうことをやっちゃうんですよ。
だから
ある種の私っていうものだけが生きている人ってのは
すごい辛いんですよね。
ただ今の時代というか
どんな時代もそうだと思うんですけど
その唯一正しい理想的な私だけで
行きますってやる人ってのは
ほんとに滅多に
うまくいくのは
小学校低学年がせいぜいなんですね。
だから食欲もきちんと
コントロールできるとか
感情的制御って
感情を制御できる私になるとか
調子に乗らないとかね。
言うじゃないですか。
調子に乗らないみたいな。
そういう風にしていくと
どんどん多発的に最初なるんだけれども
多発的になっていられるのは
最初だけで当然自発的になりますよね。
しかも
そういうことまで言える
親御さんというのは
親である私は理想的なんだ
というのをまず子供に信じさせようとしますよね。
だから親は理想化されているんで
親のようにならねばって
最初頑張るんだけど
途中から親のようにはなれないになります。
普通に考えれば。
親がある程度以上ちゃんとしていて
自分を理想化しているんだら
めっちゃ不天の虎さんみたいなのくせに
自分を理想化しているっていうケースは
ないわけじゃないんだけれども
なかなか子供もすぐ
それは信じなくなるんで
子供がいつまでも信じているときは
よっぽど危険なんですよ。
両親ともすごいちゃんとしています。
朝もきちんと起きます。
子供に対する愛情もすごいあふれています。
私のように理想的になりなさいねって言って
子供もそれを頭から信じるレベルに
入っていくということは
そうじゃない私って絶対いるんで。
そのままお漏らししちゃう私もいますし
勉強も
勉強ばっかりやりたいわけじゃない私もいますし
長期理想も
1位になれない私もいますし
それらの私は全て否定されるんですよ。
最初は
ダメ人間は
外にいることになっていて
ダメ人間を
下げ済んでれば済んだのかもしれないけど
いずれはそのダメ人間は
私の中にいるっていうことになっていくんですよ。
そうすると
ダメな子供である私っていう
対象が生まれるんですよ。
これで苦しんでいる人が
おそらく一番
カウンセリングの患者さんであったから
カウンセラーは
価値的に中立でなければならない
ってことになってるんですよ。
そのカウンセラーさんが
朝早く起きた方がいいですって言ったんでは
何にもならないじゃないですか。
こういう話なんだと
僕は思うんですよね。
だから
私はマスクシュートであろうと
何であろうと
価値的中立は手放したくないんですよね。
本当朝起きられた方がいいですよね。
佐々木さんって絶対
組みする気はない。
僕は自身が早く起きなきゃならないのは
やむを得ないからであって
放っておかれれば
僕は11時まで寝てたいし
11時まで寝てる日だって多々あります。
それは悪いことだと
全く思わない。
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たまたまお前がそれが
気楽に生きていられる
状況になってるからだって言われても
なってるからだって言い張ります。
だってなってるからであるべきだと
僕は思いますし
そりゃそうですよね。
僕がもし
ロシアかウクライナとかに住んでれば
そういうことは言ってられなくなる。
でも日本に住んでるから
こういうことが言ってられる。
その方が幸せじゃないですか。
これは過酷な
人生を生きている方が
いいんだってことになりかねないので
こういう価値的中立を手放して
しまうということをやっちゃうと。
だからこの状況にあるから
できることをやっているってことに
罪悪感を持つべきだとは
思わないんですよ。
この罪悪感は
結局のところ元を正すと
ある人格で
私は24時間統一されるべきである
っていう理屈になってるんですよ。
ないしは
せめて理想的な5つの人格で
24時間をまとめるべきだということになってるんですよ。
これはおかしいと思うんですよ。
誰が決めるのか
それっていう問題があります。
これは実は誰も決めてません。
どこかでそれは
親が決めてます。その人。
その人の親が
介在している長寿がが決めてるはずです。
私は人の長寿がに
誰かが別の人が
従うべきだという
義理はないと思うんですよ。
大橋家の長寿がなり
松崎家の長寿がなり
何でもいいですけれども
それこそ別に大谷将平家の長寿がであれ
私がそれに従うべき
義理ってないじゃないですか。
どうせ私の長寿がが言ってることは
私に従えと
佐々木の父親が言ってる
に過ぎないんですよ。
未だにあの人は言いますから。
自信家ですからね。
私が正しいんだと。
つまりそれは私が正しいと思う人に
従えって話になるでしょ。
自分の長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がなり
長寿がない
同期
順位は
同期
同期
同期
同期
同期
同期
同期
同期
上下させるという考え方がなければ どこかの人格を堅入れするっていう理由は出てこないはずなんです
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どう考えても原理的にすれば無理だと思うんですよね ある人格が別の人格に優先されるべきである理由はない
だからある人格が他の人格 私の中の話ね ある人格が佐々木Aが佐々木Bより上だというふうに主張できる理由は全くない
と思うんですよ ただ一家としてそういうことになってしまうというケースはありますよね
結局は朝5時半に起きる私というのがもっと寝てたい私に優先されてしまう 社会の
社会的な理由があるから だけどそれは方便であって
それはやむを得ずやることであって そういう上下が本当の意味であるはずがないということですね
だから僕は投影というものが投影の内容によらず 投影する人格によらずどちらの投影の方が優れてるっていう話はできないと思うんですよね
したがって 行動変容は望まない
のが3ヶ月チャレンジの方針なんですよ 私は人に行動変容は望まないんです
あの何かの依存だと例えばこうなんでもいいですゲーム依存でも sns 依存でもいいんだけど
それを修正するつもりはないそのことを修正する方法を人に伝える気もなければ お勧めしたいとも思わない
何をしようといいはずなん だから sns 依存を止めたいですというお話は聞きますが
sns 依存を止める方がいいと僕は思わないし sns 依存を止める方法はまして伝えるはずがないんですよ
ただどうしてやめたいのかのお話は伺うし なぜやめたいと思うのかの話も伺うし
やめたいとそんなに思ってるのになぜやめられないのかのお話も そしてその理由も可能であればお伝えしたいとは思うんですよ
それが苦しいっていうのであれば苦しいのにどうしてやめられないのかは一緒に考えて いくみたいなことはしたいと思うんですよ
でもやめなきゃいけないというふうには思わないしやめる方が本当にいいのかどうかは 僕にはわかんないと思うんですね
これは善意気について言えるんですよ多分善意気について言えるとは思うんですよね でも実際は
そうはいかない 結局はやめなきゃいけない時はあるんですよね sns ね
仕事中できないでしょ だからやめなきゃいけないことはあるんですよただしそれがいいことだとは思わない
別に止めた方が絶対いいと言えるのかどうかは僕にはわかんないしわかる気も別に ないということですね
これは 何度も繰り返し繰り返し同じ話ですけど究極究極というのが
基本的には東映同一化の考え方でこの線は行けるな 行けるだろうなというふうに私は思うんですよ
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アスクシュートはそれを僕にある程度 何種定量的な形で教えてくれたから
8未だにそれを使ってそれを図るということはちょいちょいはします もう基本的にするつもりはそれほどないんです
コード変容僕は自分に求めないので コード変容を求めないというのはこれこれをですよ
例えばこれ1088回目ですけど2000回まで行くぞとか決めないってことです事前には 1089回をやるかどうかだってわからないということですよ
コード変容を自分に求めないんだから当然どの行動を乗り続けるべきだとは私は思い ませんし思う
ギリがやっぱないと思うんですよね 僕今の脳内をよぎるのはプーチンに僕が従わなきゃいけないギリはないと思うん
ですよ ロシア人じゃないからそんなこと言ってられるのは確かなんだけどでもギリはないと思うん
ですよね別にね私にそんなことをしなければならない だからまして炎上を恐れるギリはないですよ
だってプーチンの方が怖いですよ炎上よりはね そりゃやっぱりあの人なんかガス爆発の事故とか予想って性的あっさり殺しますから
ね どう考えたってあの炎上炎上じゃないですか
家燃えちゃいますからね それの方が sns の x の炎上よりも恐れる理由はあると思いますけど私はその辺は
リアリティをリアリストでありたいと思いますんで 人に陰口叩かれる炎上などというものは
あのそういう炎上に比べれば全然 ok だと思うんだけどでもやっぱ 避けたいと思うのはわかるんですよ
でもそれは人に従わなければならないってことをどっかで意味しちゃうと思うんですよ ね
したがっておいた方が丸くは収まりますからね なんだかんだ言ったって朝5時半に起きるのがスッキリってやって
自陣娘を降り出してみたいにやると聞こえはいいですよね聞こえは外面がよくはできます ただこれは
そうすることによってどこかでいつか私のある人格が正しいってことになってしまうでしょう ね
それは避けられなくなってしまうと思うそして僕はそれはみんな避けた方がいいと 思うんですよ
分裂しない方がいいんですよ最終的にはいろんな自分がいない方がいいと思うんです だけどもいろんな自分はいるんですよ
だったらそのいろんな自分の関係が最悪のものにはならない方がいいと思う 最悪のものになったのが決定的な分裂状態ですよ
つまり桃太郎の世界です鬼ヶ島には鬼がいて桃太郎には正義の桃太郎がいる 村人たちは正しい
だから鬼からものを強奪してきても ok っていう世界 あれがもう分裂の究極的な世界
つまりクラインというところのいいおっぱいと悪いおっぱいしかない世界 どっちかになっちゃう世界ですね
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で愛入れないんですよいいおっぱいあれば悪いおっぱいはないし悪いおっぱいがある ときは良いおっぱいはなくなる
そしてそこには怒りが生まれる攻撃と怒りが生まれる これを自分の中に抱え込みたくないじゃないですか
そうするといつもさっきも途中で言いましたけど自罰自罰自罰になっていくんですよ それは慢性的に少なくとも欲打つ状態を招くことになると思うんですよね
基本的には何もする気がしない状態がずっと続いちゃうと思うんですよだって自罰 ずっとしてるんですよ
自分はずっとダメな人間だってことになってるんですよ どこかに理想の存在があり多くの場合親が理想的な存在であり
世の中で認められる人というのはそういう人たちであっても太郎であり 自分は鬼なんですよ
嫌じゃないですかこの状態がこの状態が好きだっていうんであればいいんですけども 私はこの状態嫌なんでやっぱりこうなるべく起きたい自分も寝たい自分も食べたい
自分も痩せたい自分もいずれも10日に10日に10日にしておきたいんですよ 完全に10日にならないけど極力10日にしておけば自分の中の酒目を
あの小さくすることができると思うんですよ あの借り物のゼルダの知恵の借り物は世の中に酒目ができちゃってますけど
あれやっぱ小さい方がいいじゃないですかなくなりはしないですよね ペアバーンが言った通り夢を見るってことは人格が分裂してるってことなんですよ
確かにそうですけれどもなるべくこの酒目を小さくしておきたい そうすれば人に何かを投影したとしてもその人異常に嫌ったりせずに済むから
この人異常に怖がったりせずに済むんですよ まだ私はそこまでいけてないけれどもやっぱり近づけている感じはするんですよね
30代の頃に比べてもそれこそ40代の頃に比べても他人が怖くはなくなってきています
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