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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
すっかり寒くなってしまったんですけど、
これもイリュージョンといえば間違いなくそうなんですけどね。
でも、なかなかこれは難しいやつですね。
もちろん、感覚はイリュージョンでも
状況によっては、夏もそうですけど、死んだりするんで
イリュージョンで片付けられないところもありますが、寒さに対する
不安っていうのですかね、恐れんみたいなものって、私は割と強い方なんであるんですよ。
でも一方で昔からこれは決定的にイリュージョンだなと思っていたこともあるんですよ。
っていうのは、私は北海道生まれなんで、はっきり言ってですね、埼玉県の冬とかは寒いうちには入らないんですよ。
母も埼玉に越してきた直後ぐらいはですね、冬は暖かくていいねと言ってたんですよ。
これが10年ぐらい済むと、すっかり埼玉県の冬がダメになっちゃうんですね。
あの、イリュージョンってそういうところがありますよね。
別に埼玉県だからといって北海道から来た人が冬半袖で過ごせるってことはないんだけど、
やっぱりそれに対する不安感っていうのかな、寒さ、恐怖感みたいなのはまたイリュージョンなんですよね。
これあの、私はスキーが好きだったんで、大学時代スキーばっかり行ってたんですけど、
冬嫌だと思ったことはその頃はなかったんですよ。
ところが今はすっかり嫌になったのは、行かなくなったことも大きく関係するんですよね。
そういう意味でもすごくイリュージョンなんですよ。この点は大きいなと思うんですよね。
あの、ゲレンデで寒くて嫌だと思ったことないですからね。
でもゲレンデの方が寒いじゃないですか。
今日は寒くて大変だと娘も妻も言っておりましたが、まあ2度ですよね。
ゲレンデマイナスじゃないとちょっとやっぱり、ゲレンデで4度なの6度なのだと雪質が結構よろしくなくて嫌なんですよ。
しかも滑ってると汗だくになりますからね。滑る場所にもよるんだけど。
だから寒いのが嫌だっていうのは、寒いのが体に応えるっていうのは幻想じゃないんだけど、
嫌だっていうのは結構幻想的だったりしますよね。
これはまあみんな常識的にご存知な話だと思うんですけど。
まあとはいえこう冬は、冬大変苦手ですという方もいらっしゃると思いますので、
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全然繋がってないんですけども、
そういう方はですね、この年末年始だけグッドワイブスファクトリーにいらっしゃるというのもありかなと思ってます。
あの今確かね無料体験キャンペーン中だったはずなんですよ。
1ヶ月ぐらいは無料で体験できるので、損にはならないんですね。
これは1ヶ月無料体験がもしやってて使えばと思うので。
あのなんだか知らないですけれども、初詣は自粛だそうなんで。
私は家が寺だったので、初詣というのは実は全く縁がないんですよ。
あの面白くないですよね、寺って言うのは。
クリスマスはないわ、初詣はないわ。
まあ寺自体で正月の御行会みたいなのをやるんだけど、
あんなのはね子供にとっては全くいかなる楽しみでもない。
そうは言っても楽しんでた気もするんですけど。
まあでも初詣とかの方が面白いだろうなと子供心に思ってました。
今年はそれをオンラインとか言ってるんで、
オンラインであれやったら面白くないと思うんですけれども、分かんないですけどね。
そんな感じで、よろしければファクトリーは普通なのかちょっとこれから考えるかも分かんないですけど、営業しておりますんで。
オンラインが中心なんでね、自粛とか関係ないので、よろしくなったらどうぞということで。
で、今日もと言うべきなのかな。
断続的にずっとこのところこういう話題だなと思っておりますが、
自分の時間問題というやつですね。
なんかやっぱり根深いんだなと思いますね、いろいろ配読していて。
最近ちょっと子供ネタをですね、
たぶんうちのこの受験に僕がちょっと関わりが深くなってきたせいもあって、
なんか目にする記事に子供ネタが多いなと思うんですけど、
子供に時間を取られるっていうやつですね。
あれがまたその自分の時間問題の中でも濃い灰色なグレーゾーンだと思います。
あのですね、なんかこう何なんだろうな。
嫌なんでしょうね。
子供に時間を取られるっていう問題ってもうずっと言われているじゃないですか。
特に女性はその問題に引っかかるんだと思うんですけど、
ありますよ。きっとあります。取られますよね。
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ただ、なんて言うんですかね。
その掃除関数は短くはないんですけれども、
すっごい絶望的に長いかというとちょっと違うような気がするんですよ。
私は計測してたんで、確かに0歳1歳の頃は長いんですけども、
実はですね、例えばそれが睡眠時間よりも長いかみたいな話になってくると微妙なんですよね。
昔からこれもあるんですが、
例えば睡眠時間っていうのは自分の時間なんですかね。
そうじゃないというふうに言わんばかりじゃないですか。
というのは最近は少し流行らなくなってきましたけど、
短眠術みたいなのはずっと流行ってましたよね。
とにかく寝るのを短くするんだみたいな。
あれしてどうするんだろうなと私は本当に思ってたんですけれども、
この一点だけとってもですね、
私はナイフハックの中では一貫して生産効率っていうものにはすごく懐疑的だったんですよ。
それは自分の時間というものに対する懐疑精神、懐疑精神おかしい、懐疑的であることと強く関係があって、
みんな自分の時間と言ってるもので何を意味してるんだろうと。
私は寝てる時間って絶対自分の時間だと思うんですよね。
だって自分のためにしかなってない時間なんで。
この時間を除去するという話になってくると、
自分の時間ってどれを指すんだ一体と。
食事時間もお風呂の時間も睡眠時間も自分の時間に含めないというのであれば、
自分の時間というのはどれのことを言うんでしょうね。
子供との時間は自分の時間じゃないんだろうかという問題ってすごく主観的だと思うんですね。
私、子供との時間は全部自分の時間なんですよ。
ここに感覚的な疑念は入らないんですよね。
これって他人に指摘できることではないと思うんですよ。
主体性とかいう話もここで非常に曖昧になってくるんですよ。
子供が遊ぼうと言うから遊ぶっていうところに主体性はないですよね。
でも私はこれが自分の時間以外の時間だというふうに認識できないんですよ。
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どうしても感覚的にそうは思えないんですよね。
どう感じても自分の時間なんですよ。
だから自分の時間という計測に入ってますからね、子供との時間は。
寝てる時間は私にとっては自分の時間なんで、そうすると自分の時間って膨大にあるんですよね。
子供との時間が長ければ長いほど自分の時間はたくさんあるんで、
1日20時間くらいは自分の時間だったりするんですよね。
これがどうしてそうであってはならないんだろうなというのがあります。
とはいえこれは主観的な話なので、子供に時間を取られるっていうからには
自分の時間ではなくなるわけですよね。
そうするといきなり大きく逆転するじゃないですか。
長ければ長いほどダメであるという話もなるし、
4時間とか5時間とか言うに行くと思うんですけど、ごっそりなくなりますよね。
ただこれはテクニカルに技術的に確保できるできないの話ではないんで、
どう感じるかが全部を決めてしまうんですよ。
見方を変えましょうって言っても無駄だと思うんですよね。
例えば私は子供との時間は自分の時間ではありません。
その見方を変えなさいと言われても、
無理ですって話になるんですね。
無理じゃないですか。
そう言われてもどうすればそういう感覚に切り替わるのか自分じゃ分からないし、
睡眠時間がまさにそうなんですよ。
長いから短くしなさいって言ってきた人実はいるんですよ。
一人や二人じゃないんですよ。
佐々木さん寝すぎですって話をしてきた方いらっしゃるんですよ。
出版の編集者さんにもいるんですよ。
出版の編集者さんにもいるんですよ。
でもできないんですよ、そういうことは。
昔チャレンジしたことはあるんですよ。
でもできなかったんですよ。
私7時間半は寝ちゃうんですよね。
たとえ7時間、7時間、6時間半とかやってても、
これも計測してて分かったことなんですけど、
日曜とかになるとガーッと寝ちゃうんですよ。
それの反動がきてね。
いろんな理由があるんですよね、睡眠時間を取るということには。
時間効率という点だけを取るというのはすごい無茶苦茶な話で、
例えばメラトニンのバランスとかってありますからね。
これも無視はできないんですよね。
モノアミン系によるフラジアイルが起きる、
それに対するバランスとかも、
物質だけの点で言っても意味がないというか、無理なんですよね。
そうすることのメリットがない。
でも何よりも私からすると寝てる時間は自分の時間なので、
これは自分の時間に乱してはいけませんと言われてもよく分からないんですよね。
何を言わんとしているのかもよく分からないんですよ。
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多分なんですけど、
自分の時間というものは自分の成長のためとか、
社会的な意義のために使わなきゃいけないというふうに
暗黙の了解があるような気がするんですね。
例えば自分の時間にひたすらGをしていましたってダメじゃないですか。
私それがなぜダメなのかが説明できてないと思うんですけど、
知的生産の世界で自分の時間はGの時間に使ってましたっていうのが
納得される気配を感じないんですよね。
でもなぜ納得されないんですかね、これ。
まさに自分の時間にやることじゃないですかね。
これを人と一緒にやるとかって難しくないですか。
私これ人と一緒にできたこと一回もないんですけど、
人と一緒にいると無理なんですよね。
そういうモードに自分の頭がなっていかないというか。
これもう昔から僕考えてるんですよ。
これを自分の時間に含めない理由は
誰かちゃんと証明できるんだろうかって思うんですよね。
カントバリに証明してほしいんですよ。
オナニーは自分の時間ではありません。
そうかな、絶対そうじゃないと思うんですよね。
で、あれは私は精神的成長のためにやったりはしないんですよ。
で、社会的な意義があるとも思えないんですよ。
で、社会的な意義のためとか他人からの承認のために
自分の時間を使うのはよろしくないって考え方もあるじゃないですか、一方で。
一体自分の時間って何のために使ったら自分の時間になるのか。
本当に悩んだ時期があったんですよね。
社会的意義のためにではいいのかいけないのかと。
社会的意義がない方がいいとか
他人からの承認を得るためじゃない方がいいっていうのは
私はGは絶対入ると思うんですよね。
だって自分の楽しみのためだけだから。
かなり純度高いから。
とはいえこれにポジティブな気持ちを覚えるということは
つまり思想を残したいということになるから
やっぱり自分の純粋な楽しみとは思えないんですよ。
非常に私はあれはですね、前もどっかで
倉園芸能さんとの何かとTVで喋ったんだと思うんだな。
戦争に行った時の高揚感と似てるなって思うんですよね。
その高揚感って、行ったことないんですけど
でもそういうようなものと似てるだろうなって思うんですよね。
極度な興奮状態に入りながら
実は自分のためにはなってないというところがですね。
性欲ってそうじゃないですか。
あれ、自分のためのものじゃないですよね。
特に男性にとってはですね。
昔、村上隆という小説家ね、有名な小説家さんが
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すべての男は消耗品であるとわざわざ消耗品に
てんてんてん売ったりしたタイトルで
あの人ほんとタイトルつけるのうまいなと思ったんですけども
あれ、わたしたちが消耗品であると
うまいなと思ったんですけども
あれ、わたしは性欲って完全にそういうもんだという感じがするんですよ。
有名になっちゃった話で、ほんとかどうかわたし知らないんですけど
カマキリのオスって性恋中に頭食われるって話あるじゃないですか。
頭食われても性恋は続くらしいんだけど
エサになっちゃうんですよね、メスの。
子供作るわけだから、オスはもういらんわけですよね。
メスで全部まかないような生物が。
だから、メスの栄養分になったほうがよろしいってことで食われるんですよ。
あれ、好んで食われてるのかどうか疑わしいですけれども
まあでも、ほんとに食われるんだとしたら
結局そういう結末に終わるわけで
要するに、言ってしまえばカマキリの世界では
子供ができる以後の男は存在価値がないわけですよね。
あのこと考えるだけでも
私は性欲ってのは自分のためにはなってないんだろうなって思うんですよね。
自分の興奮は認められたとしても。
で、これはなんでみんな平気で自分の時間から除去する気になるのかがわからないんですよ。
で、結局自分の時間ということが
例えば、プログラミングの勉強ならよろしいが
Gはよろしくない。
Gはよろしくない。
睡眠は微妙である。
わけわかんないんですよね。
全然、全然理解できないっていうのが本当のところですね。
プログラミングの勉強って完全に社会的なもんだと思うんですよ。
この世に生きてるのが自分一人でもプログラミングの勉強ってしますかね?
疑わしいと思うんですよね。
この世にコンピューターというものがなくて動かなくてもプログラミングの勉強ってしますかね?
普通はしないと思いますよね。
でも寝はしますよね。
睡眠は取ると思うんですよ。
で、Gするかな?
私は疑わしいと思うんですよね、正直。
この世に自分一人しか人類がいなくなった場合
それは多分、改として認めにくくなっていくんじゃないですかね。
って考えていくと
眠るっていうのはかなり自分の時間だなと思うんですよ。
多分寝ますからね。
でもこういうふうに通ってみてもですね
厳密に考えていけばいくほど
自分の時間というものを純度高く持っていくっていうのは
僕にはすっごい困難だと思えるんですよ。
で、これなんか男だけが通用する話じゃないと私は思うんですよね。
男女関係ないような気がするんですよ。
女性の方がこういうことを口にするのは
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僕は同じだと思っているんですよ。
で、子供のために子供との時間を取られるっていうことは
それは自分の時間じゃないわけですよね。
ところが私はGに比べりゃ社会的意義はあるし
自分の成長というやつにも貢献している気がするんですよね。
子供と一緒に過ごしている方が。
だからそれよりははるかに
自分の時間として有意義っていうふうな顔はできるよね。
本当にどうなっているかは知りませんよ。
ただ自分の時間として子供に時間を大量に費やしましたっていうのは
社会的には言いやすいですよね。
いっぱい寝てましたっていうよりは
世間的にいい顔ができますよね。とは思うんですよ。
そういう意味で子供との時間というものを
ネガティブに捉える意味ってよく分からないんですよね。
つまり社会的に意義がある方がいいっていうなら
子育ての時間って絶対社会的に意義はあるっていう風に言えると思うんですよ。
結局残っているのは自分の時間だと感じられるかどうかじゃないですか。
私は睡眠も入浴も子育ても食事も全部自分の時間だと感じられるし
それ以外の何かであるとは感じられないんですよ。
あとは自分の時間を言いたい人たちが
社会的意義、有効である生産的意義が高いという話をするんであれば
子育ては絶対そうだと言えると思うんですよ。
私これ子育てっていうのは育てっていうのではないんですけどね。
子供と過ごすっていうのはまさに自分の時間だと主張できる
決定的な時間だと前々から思ってたんですよ。
なんでこれを除外することになっちゃうんですかね。
これを除外するということは何だったら自分の時間なんですかね。
そこが見えてこなくなっちゃうんですよね。
ということを時間を取られるという表現を見て考えさせられるんですよ。
そういう方が書いているのは何となく自分の時間だと
そういう方が書いているのは何となくやっぱりですね
オブシリアンでしたっけ、の新しい使い方の勉強とか
そういうのは自分の時間だという話になっているんですよね。
やっぱり社会的な感じがするんですよね。
社会的な感じがした方がいいのかしない方がいいのかっていうのが
大きな分岐点になるとは思うんですよね。
しない方がいいって言うなら
睡眠って間違いなく自分の時間じゃないですか。
社会的意義が全く感じられない方がいいのであれば
純粋に自分の楽しみ、自分のためだけ
自分の欲求を乱すということが全てであれば
だから私Gをここに絶対入れるべきだと思うんですよ。
その観点からするのであれば。
逆であるというならば
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生産性とか社会的意義とか
他人にとっての価値というものを重視するのであれば
真っ先に子育ては来ると思うんですよね。
特に今みたいに子育て、子少子化みたいなのが
何かと問題にされている時代であればあるほど
子供を育ててます。
それこそ社会的意義が高いし
自分の時間ですっていうのでいいんじゃないかと思うんですよ。
どっちでもないって議論が始まるんですよね。
始まってる気がするんですよ。
子供には時間を取られる。
Gは自分の時間なんかに使うべきものではない。
そうすると何が残るんだろう。
こういうふうに考えていくと袋小字になるので
私は自分の時間というものは
いらないことにしてしまったんですよね。
そこまで言うのであれば。
そういう本だったと思うんですよ。
そうすると足りなくはならないんですよ。
これがGoodVibesで私が一つ得た新しさだったんですけれども
タスク収納だとどうしてもね
終了予定時刻というものにこだわる限りは
足りない感じってものが表現はされますよね。
僕はもう気にしなくなりましたけど
おかしいんですよ本当はね。
なぜならばタスクがこれだけあります。
今日中に終わりません。
いやそれは明日やればいいじゃんって話なんですよ。
遅れを取るっていうわけなんでしょう。結局。
ここに最後のポイントがあるんですよね。
遅れを取るということを言いたいんだと思うんですよね。
つまりそれが全部終われば
私は他人よりも前へ出られるっていうことなんだと思うんですよ。
この話になって初めて自分の時間というものの
言葉の意義ができると思うんですよね。
これ以外の議論が成り立つ気がしないんですよ。
人より抜きんでたいとか人に勝ちたい。
勝ちたいが一番手っ取り早いですよね。
これなら話はわかるんです。
子育てをしていては人に勝てない。
辞位をしていては人に負ける。
寝てばかりいては人に勝てない。
これならわかるんですよ。
こう言わないからわからなくなっちゃうんじゃないかと思うんですよね。
これならいいと思うんですよね私は。
うちの子にさせていることですもん。
受験ってそうじゃないですか。
他人に勝つためにやるものですよね結局。
他人を蹴落とすって言ったら言い過ぎだと思うんですけど
少なくとも競争において上位に出るためにやるものですよね。
寝てばかりいてはいけない。
ゲームばかりしていてもいけない。
うちの子は子育てはまだしませんが
子供を泣いてばかりしていてはいけない。
まさにそうなってますよ。
これなら話はわかると思うんですね。
自分の時間を自分が勝つために使う。
こうじゃない使い方をするからわけわかんなくなっちゃうんじゃないかと思うんですよ。
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やれこう知的生産みたいな話になって
知的生産だけを言ったら
よく意味が通らないような日が僕なんかはするんですよ。
勝つためであれば
例えば
そうですね。トルスという用語とかだって
そうすることが国語の試験通るのに役に立つかもしれないじゃないですか。
そう思って読んでるとは言い難いですけどね。
だから
教養を深めるということが
単純に社会性的なものから
完全に独立して自分の楽しみのためだけであるということになった場合は
私はそれと睡眠は同じだと思うんですよ。
完全に。
私にとっては同じなんですよ。
トルスというものと寝ることは。
だからどっちを優先することについて悩む理由がなくなっちゃうんですよ。
勝つためなら違いますよ。
はっきり言えばどっちもやるべきじゃないですよね。勝つためだったら。
私だったら
そうですね。他人に勝つためだったらトルスというのは読まないし
寝るのもダメだと思いますね。
とはいえ私は結局これはどこまでも自分が望むかに左右されるんで
勝つためといっても様々じゃないですか。
世界で一番という話になってくるのでなければ
別に寝りゃいいって思うんですよ。
そういう意味では寝過ぎだって他人に指摘されるのはやっぱり筋が悪いなとは思うんですよね。
それはトルスというのは読み過ぎだよって言われるのと変わらなくて
勝ち負けが問題であるのであればね
多分私はそこまで望んでいるとは到底言い難いのでいいんだと思うんですよ。
さっき途中でちょっと述べた
Good Vibesが新しかったことというのはですね
タスクシュートというものは
今言ったように擬似的な勝ち負けを何となく測ることができるような
イリュージョンを与えるんですね。錯覚という感じがしますけど
つまり今日決めたこれを全部やると勝てるような感じがするんですよ。
だから終わらないと負けたような感じがするんですね。
結局競争なんで
今日中に国語の漢字50台覚えておいたほうが
40台で終わっちゃいましたというよりも勝てる可能性が高まるじゃないですか。
この感覚をタスクシュートの1日のリストと
就業予定時刻までにこなせるかこなせないかが
関係があるように見えてくるんですね。
私はこの関係は受験と違うんでものすごく疑わしいとは思うんですよ。
果たしてそれを全部やることが社会的勝者になることに
本当に直結しているのか、寝たほうがいいんじゃないのという話があると思うんですよ。
私はそれはあまり考慮しない部分なのであれなんですけれども
でも残像のように残っていた時代があったんですね。
27:01
グッドバイオスを知ってから、たとえ勝つためであっても
他人からの依頼を優先するほうが有利だと思うようになりました。
これはグッドバイオスとは違いますけれども
たとえグッドバイオスでなくても
社会的勝者になりたいのだとしても
エヴァノートの整理とかスクラップボックスの充実とか
そんなことをしているよりは
人からの依頼をこなすほうが絶対に勝利に近づける気がします。
どう考えてもですね、やっぱり
寝てて勝つのは難しいんですよ。
私は勝つことにそれほどの意義を認めないので寝ますけど
寝てて勝つのは難しいです。
つまり自分の楽しみだけに近いことをやっておいて
他人から評価を得るというのは難しいことです。
依頼に応えるというのは当然そういう意味ではないんですけれども
仮に自分の時間を優先するという話を
最初はしているつもりであったとしても
結局それの目的が勝つことにあるのであれば
他人からの依頼を優先的に集中的にやったほうが
多分その道だとしても
近いような気がしますね。
しかも依頼を優先してやるとですね
絶対に時間が足りなくなるということは
私は無くなるような気がするんですよ。
なぜならばほとんど依頼は今ここでこなすものなんですよ。
対応するものなんですよね。
今ここで答えるものなんですよ。
娘との依頼というのは
娘と答えるものなんですよ。
娘との依頼とかもそうなんですけど
だから子供に時間を取られる感じって私はないんだけれども
依頼があって対応するというのが全てなんですね。
それはある意味ではその都度その都度終わっていくので
持ち越すことがないんですよ。
持ち越すことがないということは
その依頼を果たすために自分だけでする作業というのは
あるんですよね。
依頼に応えるということを中心に考えると
全くないわけではないです。
大人との特に関係になってくると。
でもやっぱり子供との関係ってそうですよね。
その場その場で終わるので
そのために延々やってなければいけないことが
どんどん持ち越していくみたいな感じってのはないんですよね。
私とかで一番それが大きいのは原稿ですね。
本の原稿あれほど持ち越すものは
他には滅多にないですね。
そういう意味では本の原稿は
さすがに自分の時間とは言い難いんですけれども
やっぱり子供との時間というのは
30:00
そのあれですよね。
取られる感じはしない。
だからあれが取られるんだとするとですね
やっぱり勝つために役に立たないという意味だと思うんですね。
それもちょっと疑わしいんですけどね。
実はそうではないと思うんだけれども
でもなんとなくこうそうですね。
仕事でキャリアを積むのに
例えば育児休暇のために育児休暇を取って
遅れを取るということが不利になるって話をしてみると
ピタッと合うんですよね。
社会的な勝者になるために子供は邪魔であるという感じってのは
分かる気が。
そういう文脈であれば
なるほどなというふうに思うことはできますね。