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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えー、今月の26日ってもう完全に年末なんですが、えーと、私の主催というセミナーで、私だけでやっている、まあオンラインなんですけどね。
あのー、人の起源が気になる人のためのっていうセミナーでして、まあ、これ私のことだったわけなんですが、
えーと、自分がライフハック、タスクシュートとかタスク管理とかですね、時間管理とか仕事術とかをやっていた最初のきっかけというのはやっぱり、
人にとやかく言われたくないというのがすごくあったんですね。
仕事に関わらず、で、まあこれでなんとかしてきた、しのいできたっていうのかな、ところがあったんだけど、
しのいきれなくなったところでタスクシュートだけじゃなくて、まあグッドバイブスを倉園圭三さんに話していただくようになったという、
まあ僕の中の側からの流れだとこういうのがあるんですけど、
まあこれでなんとかなるようになったというか、人の起源が気にならなくなったという感じなんで、
まあこの2つをですね、合流させるというのではないんですけど、継ぎ木するみたいな、そういうところでお話ししようと思ってます。
で、メインの仕事を全部これにするわけではないですけど、重要があるようならばこの辺の話も随時やっていきたいとは思っています。
もともと心理畑系に強く惹かれてきた人間なんで、こういう話は好きなんですよ。
で、今でいえばHSPとかが話題になってきていますけれども、必ずしもですね、発達障害ということが、
発達障害とかパーソナリティ障害みたいなことが問題でもないような気が最近は特にしてきています。
これもグッドワイブスの知識による影響も大なんですが、私自身が昔からですね、ADDとかADHDの診断基準には大いに当てはまるんですが、
どうしても実感としてですね、自閉気味かっていうと、そうは思わないなっていうのがあったんですよね。
あえて言うならばジゾイド気味?分裂気味だなとは思ってたんですけど、自閉っぽさっていう感じでは自分は認識してなかったんですよ。
今では特に主流として脳の機能的な傾向というふうに強い傾向とされるんですけれども、私はそれもちょっとですね、違和感があって、
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仮にそうだとしても私にはどうもそんなのが当てはまるとも思えないと。
ただ一方でADDの診断基準を見ると大いに当てはまってしまうというのも実際なんで、そこをどうしようかっていうのもありつつ、
今ではどっちかというとタスク管理とかでは補いきれない問題は、周囲の欠落とか視覚過敏というようなものではないと思っています。
その辺の話と交えつつ、人の起源が気になるとか顔色を伺っちゃうとか、そういう方向けのセミナーなんで、オンラインセミナーなんで、よろしければチェックしてみてください。
12月26日になります。
このHSPの方も当然人の起源とか気になるかもなんですけれども、起源が気になるということを遥かに通り越してですね、
もう安定はいいんですかね、遥かに激しくなってしまう、そういう事例の話を昨日聞いていて、ここにつながるケースは多いんだろうなと思ったので、
今日その話をしようと思っているんですけど、一見すると全然つながらないんですけどね、HSPという話とは、人の起源が気になるという話とは。
私の中では元々つながってたけど、改めて事例の激しさというものを度外視すれば近い現象なんだなと思ったことのこととして、バイバラ、つまり相極性障害と言われているやつ、日本で一番馴染み深い言葉で言うと相鬱ですね。
なんで英語が出てきたかというと、この話を先日ですね、アメリカのカウンセリングをやっている人から聞いたんですよ。
インタビューしている中でなんですけどね、大変凄まじい事例で、やっぱり日本とアメリカはいろんな意味でサイズが違うというか、よしよし関わらず規模がでかいの向こうって思ったんですけど、死刑囚のお話なんですよ、お話なんですね。
でも亡くなっちゃってるんですけど、相鬱だと、少なくともサイコロジストに言わせれば相鬱という風に診断されるでしょうと。
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問題なのは鬱痛の時も問題はありますが、鬱痛の時は当然、起死燃料で一杯で自殺したいわけですよね。
で、その時になると犯罪をしてしまうと。レープしたり殺したりという話になっちゃったりするわけです。
で、まあ終身刑だったのかな、最初の。なんかそういう話なんですよ。
で、相極というのはつまり相鬱なんですけど、相鬱といったっていろいろですよね。ものすごくハイになった時とすごく落ち込むのがある。
それを、なんていうのかな、程度が並ならばみんなあるじゃないですか。日本語でも晴れの日と毛の日とかって言いますよね。
相鬱だからといって死ぬか殺すかみたいにはならないんですよね。
でもなるケースも、なるケースがあるというのかな、そういう相鬱もあるみたいな感じなんだと思うんですが。
ものすごく上がってしまった時というのか、ものすごく興奮してしまった時はもうほぼ自覚がなくなり、その時の自分は何をするかわからないという。
これは風語が入っているような感じもあるんでですね。
相鬱では片付かないような気もするんですけれども、相鬱って多分その時もその時も自分だという感覚はあると思うんですよ。
なくなっちゃうということになってくると、もうこう乖離が入ってますよね。自分から乖離してしまっている自分が出てきてます。
そんな気もするんですけれども、わかんないですから、遠いアメリカの話ですからね。
こういう話になればですね、今の主流、特に少し前の主流は行動科学だったから、あるいは認知行動療法なんかもそうなんですけど、
むやみに幼少期を探っても仕方ないという考え方もありますが、やっぱり普通の感覚としてですね、
別にフロイト派の訓練をいっぱい受けているとかでなくなって、幼少時に何やったんだろうって思うじゃないですか。
こういう話になると自然とそっちに目が行くと思うんですよ。
しかもこの方の話はですね、催眠療法とかカウンセリングとかをしなくても、すぐもうちょっと前に戻るだけでも、この人はむちゃくちゃな目に遭ってきたということはすぐわかるような話だったんですね。
で、すごくすごくマイルドな話になっちゃうんですけど、それでもですね、私が数少ない会社員時代、数少ないというか歴史のほとんどない会社員時代、ほんのちょっとだけ勤めていたことがあったんですけど、
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その時に孫を肩書きと言ったら失礼ですが、診断はしてませんけれども、診断を見たわけじゃないですけど、ほぼ確実にあの人はボーダーだったという人がいたんです。
教会例。似てると思うんですよね。教会例というケースと相打というケース。すごくハイテンションの時と驚くほどローテンションの時とは、まるで別人のように。
だから会議はその人は全然ないんですよ。ボーダーですからね。会議はないんだけど、やっぱこう、すごくこう、別人のようになっちゃうわけですね。
前に言っていたことはどうなったんだっていう。会社なのでやっぱりそういうことって問題になるじゃないですか。あんた前に言ってたことと全然今違うこと言ってるじゃないかっていうのは業務上いろいろとね、さしさあるんで。
ボーダーといっても、特にボーダーのレベルで、いわゆる協会性人格障害のレベルであれば、協会例って漢字になっちゃうとちょっと違いますが、協会性人格障害気味だなぐらいの例だと、まあまあ問題になってくるのは会社では業務だけなんですよ。
いやいや、前に言った時はあなたはこう、課長すごい良い人だからこのプロジェクトは絶対いいよみたいに言ってたのに、翌日になったらもうあの課長は最悪でみんな死んじゃった方がいいぐらいなノリになってるけど、どっちなんだっていう話が出てくるわけですよ。
その出てくる書類とかも大きく様子が変わっていたりすると、やっぱりちょっとみんな困るじゃないですか。そういうことだったんですけどね。
で、ボーダーラインという病気は心理学ではまず教科書的にはですよ。教科書的にはチャイルドアビューズといって子供の頃に性的虐待を受けていたケースがあります。
これは教会性人格障害の人がみんなそうだとかいう話ではないです。
多分これはですね、教会っぽい人っていうのの一つの普通に出会うケースでの特徴はですね、人のあげさげが激しいんですね。
この人はよく会ったんですけど、もうあの課長は素晴らしいって言ってたら翌日にあの課長死んでしまうみたいになっちゃうという、こういうケースなんですよ。
まあこんなに1日でコロコロ変わるわけじゃないけども、このパターンはすごくあるんですね。
ある女の先輩とずっと一緒にいて、あの先輩素晴らしくてみたいに言ってたと思うと、もうなんか口も聞かなくなってるみたいな。
そういう切り替わりというのか、ちょっと表裏みたいに言われるケースもあるんですよね。そうじゃないんですけどね。
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で、これとさっきのものすごく違いますけど、相打つっていうのはでもパッと見どこか共通点があって、なんかすごいこうスーパー範囲で興奮して手がつけられないのかと思うとスーパーローみたいな。
やっぱりその人のあげさげもですね、素晴らしい言ってるときはテンション高いんですよね。
テンションかなり高めなんだけど、もう本当にあの人は失望したみたいになると、本人失望してるんでモチベーショングーッと下がって仕事する気も全くないとか、食欲がないから会社休むとかそういう感じになるわけですね。
グーッとローになるわけです。
で、子供時代っていうものをどうしてこういうケースでは特に大重視するかというと、性的虐待とかは非常に極端ですけど、
要は子供のような親を好きなわけですし、今風の言葉で言えばリスペクトってのは変だと思うんですけど、
まあまあこう素晴らしい人くらいに思っていても不思議はないですよね。
で、一方でその親が評辺するわけですよ。
むちゃくちゃなことを言い出すとか訳わからん人になっちゃうっていう風に子供に移るような評辺ぶりがあると。
この性的なところで言ってもそうですよね。
昨日まではとても良い人だったのに、いきなり自分に性的なことを要求してくる。
非常に怪しげな人になると。
この相手の極端な二面性が自分の反応としても対応しちゃうわけですよね。
すごく親の前では気分よくいられる自分と、いきなり自分が別人のように相手を警戒しなければならないというのが、
切り替わりが激しくなるというのが日常で続いちゃうと、他の人に対しては勢いそういう傾向が出ると思うんですよね。
大体害して他人というのは遠くから見ているとまともなので、関わりが薄い時は大体の人はまともですよね。
駅でホームで立っているとコートとか着たおじさんとかはちゃんとしてるじゃないですか。
いきなりその段階からやばい人っていう感じの人って非常に少ないと思うんですよ。
でもやっぱり人間というのは付き合っていって付き合いが深くなっていけばですね、
関心しない振る舞いを、よろしくない振る舞いをするということも往々にしてあると思うんですよね。
この時に受ける失望のギャップがでかいんだと思うんです。教会でというようなケースでは。
これが著しく僕はですね、大きくなると騒鬱っぽくなっていくと思うんですよね。
この番組では何度かお話しているグライン的なむしろ発想になってきて、
いいお母さんと悪いお母さんがいるみたいな、そこはもう非常に極端じゃないですか。
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実際にお母さん一人しかいないのに、いいお母さんと悪いお母さんいないけど、悪いお母さんが出てきたらもう殺すみたいな。
ここに行くとやっぱりウォーダーでは進まないと思うんですよ。
ウォーダーはあくまでもいいお母さんなんだけどもおかしなところもあるとか、
もうちょっと進むとあの人はいいお母さんだと思ってたんだけど実はろくでなしだったとか、
そういう一人なんですよね。教会入れの人に言わせればあくまでも。ただ表現するだけであり。
他の人にはしかしそうは見えないので、あの課長はそういうところもあるかもしれないけど一貫してそんなに良くない子はないと思うんだけども、
その失望してしまった人は強烈に失望するので反応としてですね、その人自身の表現、本人は気づかないんですよ。面白いことに。
多少は気づいてるんだけどもやっぱり気づきにくいですよね。自分のことなので。
ひどい課長だったと、尊敬していたのに部下にも実はひどいことをおかげでは言っていたみたいな、
そういう話になって失望するんじゃないかと。周りの人からすると失望した人の白黒無理がむしろ極端になったように見えるわけですね。
これが多分教会で嘘つきだとか表裏がひどいとか不安定だとはよく言われてましたね。
そういうことになるんだと思うんですよ。
で、この総打にせよ、教会ボーダーにせよ、教会成人確証にせよ、やっぱりその
チャイルドアビューズまで行くと明らかに行き過ぎちゃっているから、さっきアメリカでインタビューを受けたって言ったときにはですね、
ものすごくチャイルドアビューズぶりが凄まじくて、日本では想像するのも困難なレベル。
たぶんなくはないんでしょうけどね、残念ながら。
でもやっぱアメリカってすごいなと思わせられるような事例だったんですよ。
これをうんとマイルドにして考えてみると、日本で言えば親がですね、すごく日頃は穏やかですと。
でも例えばテストでちょっと悪い点を取ってくると、ものすごく人が変わっちゃいますみたいな。
こういうケースになるとボーダーっぽくなるのはしょうがないですよね、子供にしてみれば。
そしてこのケースでは、どのケースでも同じになるんですけど、
子供というのはどうしてもですね、自分が悪いって考えがちなんですよ。
アメリカでもよく問題になっているし、そのカウンセリングしている人も強調してたんですけど、
たとえ性的に虐待されても自分が悪いからだって考えようとすると。
で、ましてテストの点とかで親が表現してしまうとなってくる。
これは自分が悪い感じがするじゃないですか。
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自分が常に最高点を取っていけばこういうことは起こらない。
常にニコニコしたお母さんでいるのに、自分が失点するから悪いことを悪いお母さんになっちゃうという、
そういう発想になるんですよね。
ここに不安定さが出ますよね。
自分の失敗というものに対してものすごく神経質になっていくと思うし、
そうならば得ないですしね。親は強いんで。
その親の二面性というものを見たときに、
これも私たちの癖なんですけど、どうしてもひどい方、悪い方が本性だって考え方をとりがちなんですよね。
これは私も癖のようにそう考えていて、
クラザノさんと話をしていて、そうかと思ったんですけど、
なんかですね、悪と善が一人の人間にあると、悪が本性って感じを持つんですよね。
善が本性でたまたま取り乱しているというふうに、グッドワイブス的にはそういう言い方をしますよね。
恐れと不安がおかしな行動に行っていたときには、おかしな方がその人の本性であるって言わないですよね。
でもなんとなく私たちに思いやすいのは、あの人は日頃は善人面してるけど、
本質的にはとてもひどいやつでっていう、そういう言い方をすると思うんですよ。
この感覚って根付いているものがあるなとよく思うんですよね。
ただ、あまりにもここに偏っているケースほど、
やっぱりちょっとボーダーっぽい発想ってよく出ていて、
なんかこう、その人の人生観って辛そうだなって思うときはあるんですよね。
東語失調にも時々見られるケースですけど、
ひとかわを向けばみんな悪魔みたいな、ホラー映画とかゾンビ物ってそうじゃないですか。
みんな人間面をしてるけど、実はみんなゾンビみたいな。
あれでもなんか不自然に見えませんかね。
私あれ大変不自然に実は見えるんですよ。
多分、そうは全然見えないからなんだと思うんですよね。
本性みたいなものを考えたときって、
要するに二つあるから本性と表面ってものがあって、
しかも表面が善であって、中身が悪であるっていうのって、
すごく考えてみると生きづらいじゃないですか。
そうであったらものすごく油断にならない世界ができちゃうんですよね。
ここら辺に神経質さっていうのが現れると思うんですけれども、
要するに失望したって言ったとき、
失望したっていうのは本当に単なる失望であれば、
善人だと思ってたのに実は悪人だったということで、
失望して自分のモチベーションなりがグーッと下がっていくんだけど、
ここでモチベーションがそんなに下がるということはですね、
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実はテストの点で悪かった自分とお母さんの関係と、
実はよく似てるんですよ。
確かにお母さんが表現するんだけれども、
悪いのは自分だって思ってるじゃないですか。
この感情が多分ボーダーとかバイパラーとかには、
どこか絡んできてる気がするんですね。
本当に課長が悪いだけであれば、
自分が落ち込む理由ないですよね。
でもそれらの人たちは決まって自分必ず猛烈に落ち込んで、
こんなに落ち込んでいるのは、
あの課長が悪辣だったことが判明したからですって言うんだけども、
私はそれ同時に少なくとも起こっていることなんだろうなって思うんですよ。
落ち込むことと悪辣であることが判明したのは同時に起きた。
どっちが原因とか結果であるとは思えないんですよ。
本当に課長が悪辣であるだけならば、
自分別に影響を受けずに離れればいいじゃないですか。
これはグッドバイブス的ではないですけれども、
そういう対応の仕方は可能だと思うんですよ。
悪いのが課長だと言うならばね、
悪いのはあるいは上司なり女の先輩なりでも全部いいわけですよ。
ところがそうじゃないと。
必ずこうグーッと自分も落ち込む。
その時にですね、できている世界観というのがあって、
私が信頼できるのはこの人だけだったというような話になるんですよね。
それはつまり、世界は本質的にみんなゾンビだからなんだと思うんですよ。
この世界はみんな本質的にゾンビだというのは、
たぶんいつしかですね、
親子関係の中でお母さんなりが
表現した方が本性なんだというふうに捉えたところから来たんだと思うんですね。
だって長い時間お母さん機嫌いいわけですよね。
テストで悪い点を取った時だけ表現するんだとすれば、
例えば24時間のうち23時間はOKで、
4時間ダメならば、本当はお母さんは23の方がいいお母さんだから、
テストの点のことだけ気をつけていればいいわけじゃないですか。
ところが私たちの頭はそうは考えない。
悪い方を中心に考える。
そっちの方が対処するべき問題だと考える。
これに対処しないとまたひどい目に遭うというふうに考えるので、
いつしかですね、本性は悪で、
表面に取り繕っている優しそうなお母さんは表面的なものであって、
本当は優しくはないとそういうふうに考えるんでしょうね。
それをあらゆる人間に適応するようになると、
当然良い人っていないので、人と関わるのは嫌になりますよね。
この辺すごくHSP的だなと私は思うんですよ。
だから私はHSPというのも、
ボーダーの一種みたいにしてみた方が分かりやすいな、
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あるいはすっごくマイルドな双極というふうにしてみると、
分かりやすいなとむしろ思ったんですね。
人は皆ゾンビなので、
あるいはゾンビ的な、もうちょっとマイルドにね、
本当は皆怒ってるぐらいな感じに。
本当は皆怒ってるって考えてみると、
周囲が分散しちゃうのもよく分かるじゃないですか。
あっちこっちに気を回しておかなければ、
いつ化けの皮が剥がれてですね、
怪物みたいなのがやってきて、自分を怒鳴りまくるか分かったものじゃないから、
モニタリングしてなきゃいけないですよね。
ウォッチしてなきゃいけない。
つかないですよね。
この辺がすごくHSP的だなと私は思ったんですよ。
そういうふうに考えてみると、
覚えてないかもなんですけど、
私なんかは思い出せる気がするんですよね。
親は表現しがちなところがちょっとあったわけですよ。
普段はやたらと機嫌がいいのに、
急に怒ると。
で、ここからですね、
飛躍があるんですよ次に。
子供の頭なんでね。
急に怒る方が本性だっていつしか思うようになったんですよ。
私もそう思ってたんですよ、長らく。
これなんだろうなと思うんですね。
これが自分のHSPらしさというものを作ったんだと思ったんですね。
私は幸いにも、
親はそこまで極端じゃなかったし、
まして逆体されたわけじゃないですし、
世の中のあらゆる人がみんな、
私の母みたいに本質的に急に変わるという風に考えてたわけじゃないですけど、
そういう人はいるみたいには考えるようになったので、
そういう人に対しては警戒するという癖がつきますよね、
どうしても。
この人がゾンビ化しないように気をつけようって話になってるんですよね。
でもそれって、
結局本当はですね、
その人がゾンビ化したところで、
本当は私がそんなに落ち込む理由は本当はないんで。
つまりは、
ボーダーっぽい人の場合は特にそうなるんだけれども、
尊敬できる人はごくわずかだという考え方を取ると思うんですね。
だから尊敬できる人以外はみんなゾンビなんで、
この程度が強ければ強いほど、
行動は極端になるわけですよ。
この人だけに私は全力で尽くそうみたいになるんですよね。
その人が普通の人間なんでやらかすわけじゃないですか。
もうダメだとなると。
こいつもゾンビだったと。
そしてグッと生きるモチベーションを失う。
この感覚っていうものが、
程度がひどくなればひどくなるほど、
僧侶に近づいていくんだろうなと。
これがなければないほど、
人格障害気味とかHSPとかで
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済んでいくんだろうなと。
そういうふうに思います。
この種の二面性って、
どうしても出ちゃうとは思うんですよね。
親はテストでいい点を取っているときのほうが機嫌いいでしょうし、
悪い点を取っているときのほうが機嫌悪いでしょうし、
よっぽどできた親じゃない限り、
こういうのって避けがたいと思うんですね。
そうすると自分の失敗というものが
何かを暴き出すみたいな、
その因果関係みたいなものを
脳内でセットするかしないかが分岐点かなというふうに思うんですね。
やっぱりそう考えると、
認知の歪みという説明でもいいんでしょうけれども、
やっぱり親子関係みたいなほうに戻るほうが
話としては分かりやすいなと。
認知の歪みというのはあれだと思うんですよ。
認知行動両方でいく。
HSPには多分認知行動両方のほうが
効果が大だというのは分かるような気がします。
双極になると多分効果が薄くなっていくというのも
何となく分かるような気がします。
それは先日のインタビューでそういう話があったんですけれども、
ケースバイケースで使い分けていくみたいな話に
今多分主流としてはなっているんだと思うんですけどね。
認知の歪みというのをテストの点が悪かったからといって
あなたが悪いわけじゃないみたいな
そういう話をしていくんですけれども、
それは要するに多分常識に訴えるみたいなところも
あるんですけども、論理両方というのは。
それでいける時というのはやっぱり
世の中の見方が常識的な場合だと思うんですよ。
あのホラー映画でゾンビだらけになっていくのが
それが常識的な自分の見方だという人に
常識言っても非常に通じにくいと思うんですよね。
世の中の人みんなゾンビじゃないでしょって言った時に
いやみんなゾンビじゃないかって言った人には
要注意だと思うんですよ。
それはHSPでは済まないだろうなと。
だからそれはやっぱりアメリカだったんで話がですね。
本当にみんなゾンビだと信じても
これではおかしくはない。
出会う人出会う人が殴ってくるみたいな世界だったら
そういう風になるじゃないですか。
だけどそうじゃないですよね。
私たちはおそらく自分のヒストリーは
そういうものではできてない。
出会う人出会う人みんなが性的に絡んできて
殴るケロをして何していくかわからないみたいな
のではないと思うんですよ。
だから結局常識というのは
基本的なものの見方という
つまんない言い方になるんですけれども
太陽はあれですよね。東から昇ってきます。
でも西から昇ってきたことしか見たことがない
という人に向かって
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地球の光点画とか地点画という話は
伝わらないと思うんですね。
それとよく似ていて
西から昇ってきたのしか見たことない人って
いないと思うんですけれども
そういう雑魚豚実験がね
アメリカでは残酷な実験が
動物相手にはしばしばなされていたわけですけど
人間相手にすらなされた例が
なかったわけじゃないですけれども
あるんで
ずっと西から太陽が昇り続けているのを
見させられて生きてきたというような
人になってくると
そういう事例じゃないですけど
まさにそれに等しいことが
行われたケースに向いてはですね
認知の歪みっていう言葉が
意味をなさないかなと思う時は
時々あります。
話ずれてしまいましたけどね。
認知の歪みというのは結局
世界についてある程度
みんなとお馴染み方をしているんだけど
ここだけなんか変だよねっていうやつが
認知の歪みですよね。
大体
太陽は東から昇ってきますけど
結局人生はお金が全てですって言ったら
お金の部分だけちょっと認知が
歪んでる感じってするじゃないですか。
だけれども
地球上には基本的にはゾンビしか生きてないですし
太陽ってのは2個ありますみたいな人は
認知の歪みとか云々では
済まされないんですよね。
で、これがずっと進んでいくとですね
やっぱりこう
いわゆるパーソナリティの問題では
済まなくなっていくんだろうなと。
その辺から私はただ
私たちの問題というのは
どっちかというとパーソナリティの問題を
さらに少し和らげたようなところだから
そこは対応が可能なんだと思うんですけれども
ただですね、あれなんですよね
ことは全てが程度の問題ではないんですよ。
これも結構大事なポイントだと思うんですけど
フレームワークみたいな意味では
原則論としては
精神病と神経症であれば
精神病の方が重いとされるんですよね。
神経症というのは
正常な人でも神経症気味ではあると。
だけれども脅迫神経症という言葉があるとおり
ガスコンロの火を消すのを
忘れたんじゃないかと思って
家に100回も戻ってきたら
それは神経症かもしれないけれども
軽度とは言えない。
非常に本人にとっては困ると。
接触障害なんかも神経症気味なんだと思うんですけれども
ああいうものも
食べては吐くみたいなのを繰り返すんだったら
それは統合視聴症みたいな意味では
精神病じゃないでしょうけど
十分大変だと。
同じように私はHSPも
ものすごく進行してしまうと
あくまでもそれは
僧侶性障害とかそういうレベルではないにしても
結構大変なんだと思うんですよね。
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そこにはいろんな分岐点があるんですよ。
私自身もすごく楽でいられるときと
すごくHSP気味だったときがあって
そのすごくひどくなったときになってくると
だんだんですね、やっぱりこう
人革向けば人間なんて的な世界に
だんだんハマっていくんですよね。
だからそれはいつもいつも流動的に決まっているんだろうな
というふうな気がしてます。