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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
雨の音がうるさいかもしれないんですけど、
昨日も言ったことなんですけど、撮っている場所は、
熱中症になりたくないので、ここを空けておくしかない。
上に、今日はとんでもない嵐で、雷がバリバリ鳴って、
さっきから止まっているんですけど、雨も猛烈なんで、
しょうがないと思ってください。
見逃してください、グッドバイブス的に言うと。
7月31日に、立場のたけしさんとクロストークをやるんですね。
自己発信と情報発信といったのが、私のテーマで。
もう一つここに、どうしようかちょっとまだ悩んでいるんだけど、
ノープランですね、無計画を付け加えようかなと思っています。
先日も、Jマスザキさんとの100日チャレンジのキックオフで、
これも盛況で大変ありがたかったんですけれども、
しかも非常に好評だったんですが、
みんなのみんな、100%満足というわけにはいかないんですね。
ノープランというのは納得がいかないという話がありまして、
一回聞いてすぐ納得されるほど、
このノープランが簡単に受け入れられる話だとは私も全く思っていないので、
もう100回ぐらい言っているけど、全然納得されているようで、
計画立てまくるという人の方が普通だと思いますから、
この話をちょっとしなきゃらもっと、みたいに思いまして、
しようと。
というのはですね、
これは橘さんのところでもしようと、
ただどういうふうにしようかはまだちょっと悩んでいるというところなんですね。
で、私最近、私のオリジナルって何なんだろうと考えるようになったんですよ。
ずっと小橋哲夫さんのタスクシュートを使って、
しかもそれを伝える、広めるということを仕事のメインに、
ほとんど中核はそれで来ているわけですね。
スピードハックス以来以降、だからもう事実上2006年から後はこれなんですよ。
それは小橋哲夫さんのある意味オリジナルなわけですね。
私もすっかり背骨に入ってきたって感じなんだけど、
そうは言っても作ったのが僕だけじゃないですから。
その後2019年になって、もうだいぶ経ってますが、
倉園圭三さんのお手伝いをして、
グッドバイブスというもので、
グッドバイブスがもう有名詞だからそれでいいと思うんですけれども、
03:02
中でも私が最初に感銘を受けたのが、
怒らないでいけるっていう考え方だったんですね。
そして、怒っている人を恐れない。
私はやっぱりここが最大のネックだったと思うんですよ。
エリプスに対する恐怖ってやつです。
精神分析的に言うと恐らくほぼ確実に。
別にあれですよ。
私が父ちゃんにチンチン切られて怖いとか思ったってことはないですよ。
ない、ない、全くないですけど。
結局私はでも、何ですかね。
一番悪名高いのが網本制度みたいなやつなんだけど、
要はお父ちゃんみたいな親方がいて、
そこに劣地暴行に行ってバカバカ殴られても頑張るんですよ。
あのエピソードがダメなんですよね。
しかもあのエピソードに強いコンプレックスを抱いているんですよ。
男らしいとはああいうことだっていう感覚が私の中には何か知らないけど、
バッチリ染み付いていて、
だから自分はすごい男性としてなってないっていうコンプレックスが
すんごい強いんですね。
これがあるがゆえに、
何してても仕事は特に釈然としないばかりでなく、
夫婦喧嘩とかになるとほんと困るわけですよ。
なんかこのコンプレックスがあるために一方では理不尽なんだけど、
圧倒的に勝ちまくらなきゃダメだって考え方があって、
現実には圧倒的に負けてるわけですよ。
だからもうなんかものすごく辛くなってくるわけですね。
そういうのがタスクシュートではどうにもならないので、
タスクシュートっていうのはそういうことと直接関係ないですからね。
で、どうにもならないので、
そういう僕のエギプス的なもののコンプレックス、
文字通りエギプスコンプレックスなんですけど、
例えば相撲会とかに入って、
親方にしごかれみたいな、
ああいうのがもう見てるだけでも気持ちが悪くなってくること、
多分なんかあるんだろうな、私と父との関係の間にね。
父がそうやって毎日僕のこと殴ってたとかないんですよ。
それどころか父というのはすごい人で、
人殴んないんですよ。
母親に実は殴られたことあんだけど、
これ面白い話で、
この辺関係あるんですけどね。
母はもう暴力振るったら絶対離婚するからっていうぐらい、
実家の暴力に悩まされてきた女の人だったんで、
そういうことを父に言ったんです。
ところが現実に殴ることがあったのは母の方なんですよ。
父は手を出すことなかったんですね。
これは面白い現象だなと、
私はそのことを一生懸命殴ってたんです。
面白い現象だなと、
私はそのことを一生懸命考えることがあったんですけどね。
そういう僕のエリプスコンプレックスがありまして、
エリプスコンプレックスは私こういうものだと思うんですよね。
極端ですよ、土手制度っていうのはね。
特に僕すぐ思い浮かべるのは、
相撲の相撲部屋みたいな。
なんか市内で殴られても、
ただただ言うこと聞かなきゃダメみたいな。
06:02
ああいう絶対自分入れないだろうっていう世界にですね。
そんなに私は肉体化で生きたことないんだ。
だけど多分こういうコンプレックスがですね、
知らず知らずにして、
大学時代に例えば居酒屋でアルバイトするとかになっちゃうんですよ。
なんか自分から好んで近づいていってるというところがあるんですよね。
家庭教師とかやっときゃいいだろうって感じじゃないですか。
そんなのが嫌だったら。
なのにわざわざ居酒屋でアルバイトする。
こういうところにコンプレックスというものの
一筋縄でいかないところがあるわけですよ。
そういう雷鳴が出したな。
そういう意味で、
グッドバイブスを先に私はタスクシューターより知ったらよかったんだけど、
それは不可能ですからね。
グッドバイブスの方は言われだしたのが
少なくとも17年よりは後だったはずで、
タスクシューターも2007年より前からあったわけですから、
しょうがないですね、これは。
で、そういうコンプレックスがあったから
グッドバイブスというものが非常にこう、
この部分を僕にとって解決できる稀な方法論だったわけなので、
怒らない。怒らないのは、まぁ怒らない。
これも結構大事でしたね、結局。
で、怒られても怯えない。
恐れないってことじゃないですよね。
僕でも怯えちゃうんで、怯えない。
怯えないだけで全然違うんで、
そういうところから入ったわけですね。
今でもそこが私にとってはやっぱり
長い時間かかってみると一番効いてるなと思います。
例えば、左の脇腹、
肋骨の下とお腹のちょうど境目ってあるんですか、
しかも左側、ここが痛くなるんですよね。
多分これは本当にそうだと思うんですけど、
福神からのコロチゾール過剰における副作用だったと思うんですよ。
ずっと子供の頃から痛くない日はないぐらいな感じだったんだけど、
全く痛くなくなったんですよね、気づいてみると。
厳禁なもので痛くなくなると、
もうそんなことが痛かったことに悩んでた自分のこと自体を忘れるというね、
ことが起こるんですけど、
多分これが僕が怒らなくなった自分のことと
怒らなくなった自分のことと、
怯えなくなったこと、
これは怯えないから怒らないんだけど、
との兼ね合いなんです。
今でも恐れや不安がないとかは全然ないんだけど、
あるんですよ、つまり恐れや不安っていうのは。
だけど、あそこが痛くなるっていうほどのことはほぼなくなったんで、
痛くなるとむしろ思い出すんですよ。
よっぽどこれは今まずいなと思って、
割と一生懸命いろいろ頑張るっていう感じ。
そこまでは来ているんですよね。
そこまではってなんだって話なんですよね。
で、自分のだから最近オリジナルはないんで、
09:01
僕には考えてたんですよ。
で、私はでも子供の時から、
例えばかわいいかやおは、
多分もう小学生の頃から読んでたんですね。
記憶してる限り。
当時は精神分析ということすらよく知らない言葉でしたからね。
フロイトだってはっきりは名前ぐらいは知ってたかぐらいな感じで。
で、その頃から読んでた。
こういうエリプスな悩みがあったからっていうのは間違いないんだけど読んでて、
私にオリジナルがあるとするとですね、その辺りなんですよ。
つい先日、自分でも面白い記事を自分のエヴァノートから偶然見つけて、
別人問題っていうのを僕は盛んに言ってたんですよね。
2010年から前後だったと思います。
それからずっとぐらいな。
これはすごく美容にあったグッドバイブスと似てるなと思う一方で、
ベースは確かにタスクシュートなんですけれども、
タスクシュートを使っていればみんなが別人問題的な方向に向かうとも限らない感じがするんですよ。
現にこれが先日のキックオフイベントの時の一つのポイントになってるんですよね。
アンケートで私の評価として、
ノープランっていうのが納得いかないっていう話は、
結局別人問題が受け入れられないって話なんですけど、
私は別人問題っていうのがタスクシュートやってるからには自明だと思ってるところがあるんで、
この辺が自分らしさなんだろうなと。
考えてみると精神原石にすぐ行っちゃうのも、そんな小学生の頃からね。
こういう感覚がなかったら、ちょっとああいう発想って無理だと思うんですよ。
イヴ・ホワイトとイヴ・ブラックっていうのはかなり早い段階で、
可愛いハヨさんの影って本にパッと登場するんですけど、
後に私がすごく愛読するようになって、
これ高校時代以降、浪人あたりから愛読するようになったコリン・ウィルソンっていう人がいるんですけど、
コリン・ウィルソンもこういう話大好きなんですね。
どっちかというとコリン・ウィルソンはムーとかオカルトとかで有名なんですけど、
あの人はもうちょっとプラグマティックな感じがする人なんですけど、
非常に幅広い著作があるので、
いろんなことがあるって方多いと思うんですけど、
一体何の人なんだって言うと、
人によって全然捉え方が違うと思うんですよ。
SF作家だっていう人もいるでしょうし、
犯罪心理学者の専門家みたいに見えるケースもあるでしょうし、
それこそオカルトっていう人もいるし、
哲学者だって思っている人もいると思いますね。
で、そのコリン・ウィルソンも大好きなんですよ。
ああいうイヴ・ホワイトとブラック。
私そういうのにすぐ引っかかるっていうか、
引っ張られるのは、
多分この別人問題というのが私の中では
すごく重大な問題だったからだと思います。
これはもう子供の時からずっとなんですね。
ここのところに私のオリジナルっていうのがあって、
そのさっきのエヴァーノートの記事で一番私が
ああそういうことをそういえば言ったなと思ったのが、
12:01
GTDののみ子さんの方と、
私あの人好きなんだけど、
論争っぽいことに時々なっちゃうんですよ。
彼女GTD大好きな人で、
GTDの地下活動みたいな、
勝手に地下言っちゃ申し訳ないんだけど、
昔大手町にあったルノワールの、
それこそ地下の部屋で、
GTDの会合みたいなのを開いてたんですよね。
ちょっとオタクサークルみたいな感じがあって、
僕大好きだったんですけど、
大好きなわりに2回しか行ったことないんですけどね。
大手町は当時から遠かったんだよね。
そのGTDの会合をやってたぐらいだから、
タスクシュートと相入れないところが、
彼女的にはあるんですけど、
私的にはないんですけどね。
で、論争っぽくなっちゃうんですよ。
あれが不本意にもね。
なんかあの、
向こうからすると大変、
何をお前言ってんだって思われるかもしれないけど、
僕あれを、あの人と論争すると、
好きな女の子をいじめてる幼稚園児のバカなやつみたいな気持ちになってきて、
嫌な気分になるんですよね。
なんかやってることと気分が裏腹になってくるみたいな。
俺は別にタスクシュートとGTDの論争とか、
全然したいと思ってないんだけどなっていう感じを持ってやってたんですよ。
でもそういうことをやる記事って面白くて、
その中で私は、
ある程度別人問題的な話の集大成みたいな記事を
当時ブログで上げてたんですね。
何度かに分けてるんだけど、
その辺念入りですよね。
なんでやりたくもないことは念入りにやっちゃうのかという、
その辺が私は別人的だなって思うんですけども。
あの、変な絵でね、
パワーポイントの絵に、
人の、人型みたいなのあるじゃないですか。
ああいう人型に日付入れてるんですよ。
7月14、7月15、7月16。
つまり、7月14と15と16の佐々木は別人だよって言ってるわけですよ。
しかも、ご丁寧にですね、色を分けてるんですよ。
これは伝わらないんですけど、
この色分けはセクションが違うよって言ってるわけですよ。
だから7月15の佐々木の中でも、
8時代の佐々木と20時代の佐々木と15時代の佐々木は違うよって言ってるわけですよ。
この佐々木、みんなでですね、
みんなで一つのタスクというのを追い詰めていくんだよっていう考え方なんですよね。
でもみんなで追い詰めるという時に、
仲間から裏切り者が出たら良くないじゃないですか。
でも、出るじゃないですか。
ここから原稿というプロジェクトを、
これはみんなで戦っていくんだぞってやっても、
すぐ16日の20時代の佐々木は、
この日はもう寝てますみたいになるでしょう。
これが先送りの原点だし、
理想通りにいかない理由なんだと。
だから、この別陣というか、
15:02
ここで私は総力という言葉を使ってたんですよ。
私はこの、倉澤さんが全て自家だって言った時の感覚が、
すごくこの辺でフィットしてたんですね。
総力を上げてプロジェクトと戦いましょうと。
グッドバイブスとすごく違うのは、
戦っちゃってるところなんですけどね。
みんなで追い詰める。
だから、なんかあれなんですよ。
この日付の顔のところに日付が入っていたキャラには、
実は私刀を持たせたかったんですけど、
刀の絵とか描けないから、
やむを得ずなんかわけわかんない絵になっちゃったんですけど、
実際に刀を持たせたかったんですよね。
で、そういう風にして、
やっていくんだっていうことに加えてですね、
その後ずっと温めてたというか、
タスクシュートベースの話ばっかりなんですけど、
なんとかこの別人問題という問題に決着をつけるべく、
もう一つ考えたことがありまして、
各別人にはそれぞれ関係者というものがいるんだと。
パーティーみたいなものですよね。
だから例えば食事をするという私、
7月16日のお人形みたいな朝先には、
食事をするという時には、
例えば娘と妻がそこのパートナーとして登場すると。
だからこの人たちも味方につけないと、
このタスクはうまくいかない。
まさに総力なんですよ。
総力を上げるって感じが僕の中ではすごくあって、
この感覚でタスクシュートを運用すると一番うまくいく。
これならもう絶対うまくいかない。
うまくいく。
これならもう絶対いけるっていう感じを持ってたんですね。
真逆の別人がいるじゃないですか。
別人って言った時は私は真逆をまず意識してたんですけど、
例えばよく言うのは私が、
寝る時は寝たい自分が主人公だけど、
起きる時は起きる自分が主人公ですと。
ここでさっきのノープランが引っかかってくるわけですよ。
つまりこの別人たちを統合できる私ってのはどこにもいない。
ここは繰り返し書いているんですよね。
脳には先端がないっていう表現を同時に必ず使うんですけど、
一見脳に先端ってあるように人は思っちゃうんですよね。
これはブルーバックスで、
前東洋は脳の社長さんっていうタイトルの本がまさにぴったりなんですけど、
そこに同じ問題が取り上げられています。
もちろんこういうことを言ったのはブルーバックスだけじゃないですよ。
脳科学者みんなこの点言うんだけど、
前東洋っていうのは人間のいわゆる、
今私が喋っている時は前東洋中心になっていると思うんですよ。
一番活性化しているのは前東洋だと思うんですね。
だけど前東洋が全ての他の脳のそれこそ扁桃体とか小脳とか、
そういう変異園系ですね。
18:00
大脳変異園系と言われる感情を司る部分を
部下にしているのかというとそんなことはないわけですね。
逆転しちゃうことがあるわけですよ。
扁桃体のほうがほとんど主導権みたいな感じになって、
前東洋はその部下みたいになってしまう。
だからクラゾンさんが言うところのホラーみたいなイリュージョンが出来上がるわけですよ。
扁桃体一つだけではイリュージョンは作れないんですね。
そんなでかい脳じゃないんで。
まず確実に感じるんですけど、
カエルとかトカゲにも扁桃体はあるわけですけど、
だから彼らはパッと逃げたり出来る。尻尾切ったりね。
だけれどもあれイリュージョンはいらないんですよ、彼らからすると。
だからすげえ怖い光景があるから一目散に逃げるんじゃなくて、
人間が考えるようなイメージとは何の関係もなく逃げることができる。
早いんですよ、それだけに。
だけど人間は扁桃体主導権になった時は、
そういう行動が取れるといいんですけど、
特に行動を取れない時なんかは、
前東洋が大脳が映画を始めちゃうんですよ。
映画制作を始めちゃうんですよ。
考えてみると実に悠長でくだらないことをやってる感じもするんだけど、
二度と危ない目に遭わないための作戦なんでしょうね、これはイッション。
イケガヤユウジさんが、農科学者のイケガヤユウジさんが
そういうことをよく書かれてますけどね。
扁桃体がコーチングみたいな役目を据えて、
そういう考え方です。
恐怖コーチなんですね。
だから恐怖の映画が始まっちゃって、
大橋さんがすごい怖い人になりましたみたいな。
勝手にそういう妄想をどんどん作って、
それを現実と取り違えるから、
彼と仕事するのはやめようとかいうわけがわからない結論が出るんですよ。
この結論が出るってことは、
前東洋、つまり大脳が全ての指揮権を握ってるわけじゃないってことですよね。
司令塔じゃないんですよ。
司令塔である時もあるんだけど、
司令塔でない時もあるわけですね。
だから、私はこの別陣問題というものを、
どこか一点のタイミングの自分に委ねるのは危険だということも書いているんですよ。
こんなことをですね、のみ子さんという方相手に
切々と訴えている俺バカだなって思うんですけど。
何にも別にそんなことやりたいわけじゃないのに、
もう目的を見失ってるわけですよね。
別陣問題論を打ち立てるみたいになっちゃってるわけですよ。
でもあれ打ち立てておいてくれて、大変その後私の仕事には良かったんで。
ここら辺もあれなんですよ。
総力を上げてる感じが、僕の中では手前がってて恐縮なんだけど、
のみ子さん巻き込んで私の仕事の役に立っちゃってるじゃないですか。
つまり私は別陣問題っていうのは、総力を上げることと常に関係性があると思うんですね。
だって、例えば寝たい自分と起きたい自分がいる。
起きたい自分がいる。
ダイエットしてる時とかが一番いいですね。
甘いものを食べたい自分と痩せたい自分がいるわけですよ。
21:00
意見が勝ち合う。
でも両方必要じゃないですか。
どっちかだけになったら大変なことになるんですよ。
ダイエットしてる人は、甘いものを食べたがる自分なんかも死刑だくらいに思ってるかもしれませんけど、
そうすると物を食べられなくなるんですよ。
そういう病気ってあるじゃないですか。
寝起きが一番わかりやすくて、寝たい自分しかいなくなったら起きられなくなる。
そういう病が現実にありますね。
必ずしも体の病気じゃない。この辺がヒステリー的なんですけどね。
じゃあと言って寝る時間も無駄だから削ろうと。
そもそも寝たくなるからいけないんだってあんまり真剣に考え込むと寝られなくなるんですよ。
そういう人はいっぱいいるじゃないですか。
起きたい自分しか機能しないとか、起きたい自分が主導権握っちゃいましたみたいな。
そういうことになると眠れなくなるわけですよ。
だから司令塔できちゃまずいんですよね。
この観点を取るならばですね、計画というものを立てるのはいかに危ういことかっていうことが、
私の中では明らかになった気がするんですね。
計画ってどいつかの脳の司令塔にその法を全部従えって話ですよね。
そういう話になると思うんですよ。
今後スマホを使うべからずみたいな計画を立てるわけじゃないですか。
そういう暇があったら原稿書き続けろみたいな。
そうするとスマホを使いたいと思っている人格はそれこそ追放されるわけですよ。
そういうことをするっていうことがどういう結果を招くことになるのか、
分かったものじゃないですよっていう話をしているわけです。
だからタスクシュートだったから当時は特に。
タスクシュートしか私にはなかったですからね、意識の上では。
この別人問題と引っ掛けて記録を取りましょうと。
で、なるべくナチュラルな記録を取りましょうと。
そうすればみんなを平等に扱う。結局それしかできないんで。
我々は議事司令塔みたいなのに一時身を委ねることはできますけど、
だいたいそれは壺の悪いことしか起きないんですよ。
お金を大切にする脳が全領域を支配するってことになると。
ただ主宣部っぽい人が登場するだけで、
多分それは脅迫神経っぽい話になってくるんですね。
これ決していい話にはならないということなんですね。
だからなるべくみんなを平等にしましょうと。
で、私は倉澤さんの本を読んで以降は、
関係者の方をもっと重視するっていう風に切り替わってきているんですね。
私の中の別人が総力を上げるって方が、
どっちかというと私は最初考えた時にはメインだったんですけど、
それぞれに関係者がいるっていうのも非常に大事なポイントだとは思ってたんだけれども、
あくまでもメインは私の中の全別人を統合していくっていう考え方で
寝たい自分も起きたい自分も両方いないとうまくいかないよねってことなんですよ。
24:05
だけれども、さらにそれぞれの人格に絡んでくるいろんな人たちと、
こっちはリアルに存在しているわけですよ。
僕の中のいろんな人格っていうのはある意味イリュージョンですからね。
各イリュージョンに関係している、実在する関係者。
例えばそれこそ100日チャレンジをやりたい私っていうのには、
J.マズザキさんというリアルな存在がいるわけですね。
これらの人たちと協力していくという話になっていったら、
さぞ仕事は巨大なものであってもどんどん進んでいくだろうと思ったんですよね。
これが2019年、20年くらいに考えられるようになってきたポイントで、
私のグッドマイブスとタスクシュートがベースにあるのは間違いないんですけど、
もう一つここにあった別人問題というものに回帰していった感じがあって、
だから今一生懸命カワイハヨさんとかフロイトとかドイタケオさんとかを読んでいるという側面もあるわけですね。
このノープランというものが受け入れられないと、
プロンプトゥーって言ったりもするんですけど、
即興劇っていう風にアメリカでよく言われてたんですけどね。
即興的にプレゼンやれみたいな話なんですけど、
これも割と昔から思ってたんですよ。
留学中にすごく共感できてるところがあったんで、
日本人的にゴソゴソと徹底的に仕込むというのは、
私は余計な感じがしてたんですよね、当時から。
やたらと準備をして、準備をして、
でも準備が壮大な感じで、
準備が壮大なために準備しきれずに苦しむだけ苦しんで、
使わないスライドもいっぱいあるみたいな、
ああいうのがすごい私は余計だなと、
当時私はライフハック的な心理からしても釈然としなかったんで、
即興劇っていう発想をすごい好きだったんですけど。
最近それこそクラウドさんのギフトモードっていうのを聞いてから、
計画性というものを疑わしい気持ちで見るようになったんですよ。
これが好きっていう人はいっぱいいますから、
そういう方々には付き合っていくんですけれども、
私の中ではラディカルなくらいここはやめていこうと。
よっぽど理由がない限り、
そう簡単には事前準備とかに熱入れないぞっていう意識はあるんですよね。
すぐにこれがうまくいくとは思わないんですけれども、
27:02
どっちにしても熱っぽく事前準備をしたから、
かつてうまくいってたという実感は全くないんで、
いいというか、ここでうまくいかなかったと感じる部分は、
なんとかうまくいくように持っていこうぐらいな感じでいます。
このポッドキャストもまさにそうですよね。
だから話が時々ぐるぐるする。
これはもっとも事前準備したって絶対するんですけどね。
ノープランっていうのとギフトモード、
昨日そういうタイトルで喋っているわけですけれども、
つまり今言った通りで、
ノーってのはですね、
こういう複雑な仕事をする時はやっぱり大の主導である必要はあると思うんですよね。
変動対主導ではもうろくなものにならないわけですよ。
3Fですからね、逃げるか戦うか。
こういうモードででも、
実際セミナーとかやっちゃう人って結構いるじゃないですか。
戦闘モードになっているっていう人は、
絶対この長袖の誰にも負けないぞっていう調子で論争しちゃう人。
グッドバイブスな話をするみたいなことでもこれが起こせますよ。
ノープランじゃなきゃダメなんですよみたいなことを言って、
反論してくる人を徹底的にやり込めるってことは便の立つ人ならできます。
ただすごくやってることと言ってることが合ってない感じはすると思うんですけど。
つまり、変動対中核で行くこともできるんですよ、人間の場合は。
ほとんど同じ活動でプラン立てるとこうなりやすいんです。
気をつけてれば、計画を立てていてもこれをうまく回避できるんですが、
もしそれをするくらいだったら全く恐れることなく、
当日を、これ以上の言葉はないな、
冷暗な気分で価値マックスで進めていくより他ないんですね。
やっぱり絶対にプランと恐れがセットじゃなきゃいけないなんてことはないんだけど、
普通多くの場合、ほぼ9割9割以上準備ってのは恐れなんですよ。
そうなってしまいやすいんですね。
この議論で思い出すのはゴリゴさんのインタビュー本なんですよ。
私にインタビューされたものをまとめたと。
ささきさん自分の時間がないんですだったかな。
うーん、なんか違うな、もう一つの方だな。
とにかくそっちの話をしているときに、
プレゼンではささきさんだって1ヶ月前なら1ヶ月前から準備してるんでしょうと言われて、
30:00
私はそんなことはほとんどしたことがない。
よっぽど初期の頃だって話をしたんですね。
で、当日不安になるじゃないかっていう話をやっぱりされたんです。
これは自然の流れで出てきちゃうんですね。
みんなそう思うんですよ。
ってことはスライドってのは自分を安心させるための材料になっているじゃないですか。
そこがやっぱり問題、最大の問題だと思うんですね。
たぶんノープランで挑むっていうか望む。
ノープランで望まれると人によって気分を害するとすれば、
自分を軽く扱われたって感じに思うと思うんですよ。
でもここですらですね、自分を軽く扱われるってのは一つの恐れだし、
重しく扱うことがそういう論理武装みたいなものだとすると、
結局お互いを恐れあっている。
恐れ多いって感じですけどね。
恐れあっているのが一番いいっていう話になるわけですよ。
でも私は自分のパフォーマンスをベストにするのにお互い恐れ多く思い合うというのは
ほぼ最悪だと思うんですよね、やっぱり。
例えば娘に勉強を教えるというときに、
娘を恐れ多いと思って教えるっていうことは考えられないわけですね。
私の場合、娘に勉強を教えるみたいなときは、
もうベストパフォーマンス以外は絶対ありえないっていう状態で望みますから、それこそ。
この態度と全く同じ態度で徴収にも向かうべきだと思うんですよ。
その通りにはできないこともあるんだけど、できようとでいまいと姿勢としてそうであるべきだと思うんですね。
ということは娘のときはベストパフォーマンスを目指すけれども、
徴収のときは論理無双でなるべく安全なところから
やばい質問が飛んできたときの対策もバッチリ打っておいて、
つまりすごくネガティブに見てますよね、それは。
こういうことをやっぱりしない方がいいと思うんですね。
だからこういうことをするってのは、つまりどういうことかというと、
脳のシレートを見留めちゃってるという感じがあるわけです。
その日に起こること、来そうな視聴者、当日の私の気分や考え方、知識というものは
全部今の私が知っていると。
そして別人なんかいないよってことだと思うんですよ。
でもそれは僕の実感と全く相入れないんですよ。
だって夜はまだ起きてスマホ見てたいなって思うじゃないですか。
つまり寝るときには起きていたい自分があんなに優勢でも、
朝の6時になって起きなきゃならないってときには
もうあと10分でいいから寝てたいって思うじゃないですか。
こんなことは僕らは絶対対策しない。
こんなことは僕らは絶対体験してるはずだと思うんですよね。
33:01
すぐ僕らって別人になってますよね。
これ完全に別人じゃないですか。
こんな風にすぐなるのに、
俺は一貫した自分であって、
30日前に計画した通りに30日後もプレゼンがするのがベストだっていう保証は、
一体どういう根拠で手に入れてくるのかなって思います。
私はやっぱりそのときの自分が、
そのとき一番いいと思うやり方でやるのがベストだとしか思えないんですよね。
この話は今100日チャレンジで、
どうしても私が入り込むとその種の議論が起こっちゃうんだけど、
いわゆる例の第二領域問題に引っかかってくるんですね。
第二領域、第一領域、緊急かつ重要と、緊急ではないが重要なことは、
重要だが緊急ではないことをやりなさいと。
つまり筋トレとか英語の勉強をしろってことになるんだけども、
この話を聞くたびに別人が出てきたらどうするんだよって思うんですよ。
重要っていうのは、誰かが重要って決めたら、
それは永遠に重要なんじゃないですか。
緊急ってのもこの話を見てるとまるで、
ある行為には重要だが緊急でないというラベルが永遠に張れるっていう感じがあるじゃないですか。
ラベルが頻繁に変更するんであれば、
第二領やったつもりで第三やってるかもしれないし、
第一かもしれない、意味がなくなってしまいますよね。
でもさっきも言いましたけど、
もう寝るっていう時間になるとあと15分はスマホをしてたいという私、
この場合の私にとっては寝るってことの緊急度は低いんですよ。
低いからそういうことをやりたいわけですよね。
だけども、6時になって目覚まし時計がかかると、
あと5分でいいから寝てたいって絶対思ったことあると思うんですよね。
この時の私にとっての睡眠ってのは非常に緊急かつ重要なものですよね。
可能であるならば1分でも多く寝てたい。
しかも後でいいって言うんじゃないですよね。
即座に寝たいわけですよね。緊急かつ重要ですよね。
わずか8時間の間に睡眠の時間、
8時間の間に睡眠のレッテルってのはこんなに大きく変更されてしまうんですね。
それは睡眠が変わるからじゃなくて、私が変わるからでしょう。
私が変化するからに決まってるわけですよね。
もうちょっとアレな例で見ますと、よくあるじゃないですか。
これはもう私、男性に多いと思ってたけど、男女共だなと思うんですよね。
あんなに結婚する前は緊急かつ重要な結婚相手が、
しばらく経つと離婚こそ緊急かつ重要になってくるでしょう。
そういうことってそこら中で目にしていると思うんですよ。
俺だけはそうはならないって思う人がいたらよっぽどの楽天家だと思うんですよね。
つまり人ってのはある行為に対する判断基準がどんどん変わっていくし、
36:00
それが変わらなかったらむしろ不健全だし不健康なんだと思います。
なのに、ある行為の重要性など緊急性などは固定枠に捉えられるかのように、
4つの枠の中にピッチリ分けられるかのように扱っても、
多分それじゃうまくいかないと思うんですよね。
それはたった一人の人間しか自分の中にいなくて、
その人が常に判断すれば基本的に変化は起こらないっていう前提に立っていて、
そもそもそれには無理があると。
このことが例の第二証言的な発想にも、
ノープランニングという発想にもマッチしないと私は思うんですね。
だけれども、的に第二領域ということを意識さえすれば、
毎日筋トレができて幸せになれますというのであれば、
それはそれでいいと思うんですよ。
それは今言ったような話とは全然別の話で、
別の観点からの何かに邁進するというやり方で、
それはそれで全然いいんじゃないかと思うんですね。
私がプランニングする私とか、価値観を決める私というものに、
もっと強い疑いの気持ちを抱くべきだと思うのは、
うまくいかなかったということなんですね。
毎日筋トレしようと思っているのに、
クラゾンさんに言わせれば、
罪悪感を持っちゃうと。
毎日毎日全くやっていない、
非常に自分はダメな自分だという罪悪感を持っていくというのをやめたければ、
やめるのには、そもそも一人しか私はいませんという考え方に
囚われているはずだから、そういうふうになっちゃうのはですね、
この一人しかいない私というものを、
その観点を捨ててしまえば、この問題は消えるはず。
ただこの時には、例の四小言とも消えちゃうし、
プランニングすればうまくいくという確信も消えちゃいますと、
いったところなんですよね。