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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
えー、大晦日ですね。
まさか、大晦日までこれを収録することになろうとは思ってなかったんですけど、
えー、この流れでいくと、正月もやりそうな気もします。
あの、まあ、休日はお休みにするというつもりなんですけどね。
まあ、これは行き当たりばったりなんで、えー、よしとしようと。
で、あのー、
今日はですね、昨日たまたまツイッターで、えー、
多分これをよく聞いてくださっているロングリススリーパーさんという方からツイートされていて、
あー、これは、さもそうだろうなと思った話をしようと思った、思うんですけど、
まあ、このネタがあったから、今日はスムーズにやれるということもあります。
えー、昨日までと全然違う話になってますからね。
で、これもグッドバイブスの基本の型の一つなんですが、
えー、現実に教わる、現実に教えてもらうというのがあって、
えー、一つこれによって簡単に解消される問題としてですね、失敗というものが消失するんですよ。
えー、一つ現実に教えてもらうという形になるんで。
で、これは、まあ、あのー、
ポジティブ自己啓発みたいな感じもどうしてもすると思うんですけども、
あのー、グッドバイブスは背景に、この辺りはちょっと仏教的だけど、
えー、今ここしかないというのがありますんで、
あのー、普遍のものがずーっと、えー、時間軸上をスーッと動いていくみたいなそういう発想がないんですよね。
少なくともそういう事実はないとみなす。
まあこれ、多分どんな物理学に話を聞いても、
えー、普遍の物質が、
えーと、現存する時間軸上をスーッと流れていくというのはあり得ないと、
今では当然みなされていると思うんですよ。
あの、クォークみたいな話を見ても、全くそういう感じは一切しませんし、
あの、量子力学でもそうですよね。そういう感じって一切しないじゃないですか。
だから、あの、このビー玉みたいなのが時間軸上を転がっていくっていうのは、
人間の頭が作り出している発想であって、そういう実態があるはずないんだけれども、
僕らはそう、カレンダーとか時計とかがいっそそういうものを信じさせるから、
えー、一本間違うとですね、
あの、自分自身すらビー玉みたいになっちゃうんですよ。スーッとこう、時間軸上を流れていくと。
そうすると、でも、年取ったり死ぬっていうのはおかしいじゃないですか。
ビー玉だっていつか壊れると思うんですけど、
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あの、人間はその普遍性が全然ないですからね。どんどん変化してるんで、
あの感じを自分に抱けるのは、ある意味かなり若い時、
20代前半ぐらいかなと思うんですよね。私20代前半でも実際には無理でした。
この辺って多分、健康と関わってくるんですよね。
私あの、朝晩では結構体調が違うんで、そんな風には信じるのはできなかったんですよ。
えーと、そうじゃない日ってなかったような気がするんですよ。朝晩で体調が違わない日なんて。
で、えーとですね、その、ロングスリーパーさんのお話の中に、
いろいろすごく書いていただいてですね、勝ち負けという話。
私の、多分自分の時間がないんですの問題と関係してるんですけど、
要するに自分の時間が必要だと言っている人の大半はですね、
勝ちたいからだという話をしたんですよ。した、と思う。
で、勝ちたいということはですね、かなり私は抽象的な意味で使ったので、
例えば受験勉強で勝ちたいって言っても、特定の誰かさんに勝つわけではないですよね。
この場合の勝つは受かるってことで、それもより高い偏差値の学校に受かるっていうような意味ですよね。
で、えー、私は自分の時間を、そもそもですね、
何に使ってもいいような自分の時間という意味で、みんな使ってないなと、
その、そういう意味でこの言葉を使用してるんじゃないだろうなと思ってるわけです。
あの、例えば受験勉強って、うちの子ですらそうですが、
うちの子ですらというのは、うちの子は私が小学校時代よりはだいぶ勉強好きそうだから、そう言うんだけど、
えー、勉強時間が大好きでやってるわけではないですよ。
昨日もなんか、えー、なんか、宮崎駿、宮崎アニメみたいなのを見てましたからね。
つまり、自分の時間でしたいことっていうのは、そういうアニメ見るとかじゃないんですよね、きっと。
あの、アニメ見るなんかはまだだいぶいいと思うんですけど、
例えば自分の時間ですることがパチスローでとかってやっちゃダメなんですよね。
私はここがまず、非常に実は引っかかってるんですよ。
あの、むしろそれっちの方がよっぽど自分の時間だと思うんですよね。
えー、算数の勉強とか、ちっとも自分の時間じゃないじゃん、
これはもう価値観なんですけど、私はそういうの嫌いなんですよ、正直言うと。
えー、自己計算とかそういった言葉がですね、
あの、本質的に好きじゃないんですね。
嫌悪感があるんですよ、多分。
恐れと不安なんですけどね、これは。
自分を高めるためにこう、トレーニングするとかが、
あの、こうやって好きじゃないっていうのはちょっと歪んだところがあるんだと思うんですけど、
かなり僕は嫌いなんですよね。
で、えーと、まあ好きな人が好きであることにイチャモンつける場面じゃないじゃないですか。
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例えばうちの子に向かって受験勉強やめなさいっていうのはおかしいですよね。
だからそこは、あのー、人がやるのは嫌がらないようにしてますし、
人がやるのは嫌じゃないんですけど、自分やらされるのは嫌なんですよね、そういうことは。
一切しないんですけれども、
でも自分の時間と言ってるときにパッと出てくるのは、もっと建設的かつ生産的で、
つまり私にとってはちょっと生理的に、あのー、私はやりたくないぞっていうことなんですよ。
ほとんど全部。
となるってくると、これは、えー、やっぱ勝つっていうことがそこにないと、
社会的な何かがないと、受験なんかがまさに異例ですけど、
えー、おかしいだろうなと思うんですよね。
ただ、ただただ自己検査だけがしたい。
それは、えー、まあ、なんだろう、言ってみれば、
誰も知らないほうがむしろいい、そして、
それができるということすら知られたくないんであればですね、
多分その人は、えー、違うことに時間を使うんじゃないかなというふうに思うわけです。
なぜなら人工的行為だと思うのでね。
えー、人工的じゃないですか。
外国語って、他の国の人々が、まあ、作り育んできたものですよね。
それを外の人間がさらに勉強するというのは大変人工的だと思うので、
生理的要求じゃないと思うんですよ。
この話してるとこれだけで終わっちゃうんで、えー、先へ進むんですが、
要は勝つってことがそこには、えー、あると思うんですね。
多くの場合、感心されるとか、人に、えー、評価されるとか、
ある程度までは少なくともそれ、勝つということと関係があると思うんですね。
勝つと言ってしまうと言い切りすぎているから、
今回のロングスリーパーさんが考察されていたようなズレが出てくるんですけど、
えー、ただ勝つという意識が多少入ってこないと、
あのー、持続的なモチベーションとしては機能しないだろうな、
つまり続けにくいだろうなと思うということなんですね。
で、えーとですね、そのー、で、ロングスリーパーさんはおそらくご自身はそうじゃないと思うんですけど、
えー、野球選手というのを出されていて、
一つ、あのー、まあ当然この問題があるんですが、えー、
野球選手になりたいけど実はマネージャー適性がすごく高い子がいたと、
まあそういう話しますよね。
で、えー、野球チームのマネジメント職に就くような形で欲求が、
たとえ解消されるとしても、これ社会的欲求だからって意味ですね、
えーと、欲求の実現としては野球選手になることであって、
そっちが満たされないと不満が残るだろうというお話だと思うんですよ。
で、私こういう時にですね、えー、よく思うのが、
えー、端的に言ってしまうと、これは野球選手を目指してやったらいいと思うんです。
あのー、それが多分、えー、一番話としては手っ取り早くてですね、
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あのー、自分の欲求について何が自分がしたいんだろうって考えるっていうのは、
あのー、いまいち、なんて言えばいいんですかね、
こういう時に僕は言葉を最近詰まらせるな。
えー、要は、野球選手になりたいというような話であれば、
なれる云々にかかわらず、やってみるしかないと思うんですね。
で、えー、それが自分の時間なんですけど、
結局それはすぐに社会的な時間に切り替わっていくと思うんです。
えー、多分ですけれども、あのー、状況がそれを絶対に許さないというほど
切迫したり逼迫していない限り、周りは応援してくれますよ。
その途端もうそれ、社会的欲求に切り替わっていくと思うんですよね。
えー、そのことに自分が好きでやってるのか、
人が期待するからやってるのか分からないほど簡単にのめり込めるのであればですね、
その人は結構先まで行けるだろうし、
すぐにそれが義務以外の何物でもない感じがしてくるとすればですね、
えー、自分の欲求じゃなくなっていくので、
多分そこで挫折すると思うんですよ。
で、えー、このお話の中でですね、
えーと、問題なのは、
えー、それが実現されるべきかどうかって話になってくると思うんですね。
当然実現されるべきだろうということなのかもしれないですけど、
ここが社会的欲求の一つのポイントに分岐点になるところだと思っておりまして、
勝つということに切り替えたのはこれを一層見えやすくするためなんですが、
全員が欲求を実現できるということであったら、
この欲求の価値はないんですよ。
えー、どっかにあったな。
そうそう、世界のトップを目指している人がいたとして、
世界のトップにならなくても幸せになれるという方法がありますよといったところで、
その人は満足できないよねっていう話ですよね。不満に思うよね。
それは当然のことですよね。
えーと、グッドワイルスというのは、
世界のトップになるための方法じゃなくて、
勝つための方法でもなくて、
いかなる時でも平安で自分が幸せになる方法の話じゃないですか。
方法論ですからね。その方法論ですから。
方法論と言えない部分もあるような気がしますが、
ただ確実に言えることはですね、
これは誰でも実現できるんですよ。
しかもそう難しくないとも言えると思うんですね。
世界のトップは、まあ分野にもよるかもしれませんが、難しいですよね。
で、一番のポイント、誰もがなれるはずがないですよね。
誰もがなれたら意味ないですよ。
誰もが世界のトップになれる方法というものがあって、
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しかもそれが有効に作用するんだったら、
多分目指さなくなる人はいっぱいいると思いますね。
つまり、この2つの価値観は全然違うと思うんですよね。
誰もがなることに何の問題もない価値と、
誰か1人しかなれないからこそ意味のある価値と、あると思うんですよ。
で、人工的なものの価値は、
人工的なものである人たちが目指すということに意味のあるものの価値は、
全てレアだから価値があるんですよ。
お金みたいなもんです。
誰もが億万長者になれる方法とかいうものほど意味のないものはないんですよ。
そうするとナチスドイツが没効する直前のドイツみたいになっちゃって、
5億マルク持って行ってガム1枚とかいう話になるじゃないですか。
誰もが億万長者になっていれば、当然そういうことになるしかないですよね。
希少であることに価値があるわけでしょう。
誰もが簡単には手に入れられないから価値があるんですよ。
人工的なものの価値というのは全てそうなんですよ。
ここに疑いを一切差し挟まないという人もいらっしゃるんだけど、
私はそれは相当少数だと思うんですね。
誰だってここにはすぐ疑念を差し挟むわけですよ。
うちの子も小学校2年の時に言ってきましたもん。
つまりこれで他人と比べるということをやり始めれば、
どう考えても年から年中嫌な思いをし続けなきゃならない人が発生するはずだと、
その通りだと思うんですよね。
これは子供には分からないとは思わないんですよね、子供の話を聞いていると。
子供なりにこの問題が鋭くなりすぎないように気を使っている子の方が多いです。
話を聞いているとね。
みんながみんなトップを目指さないわけですよ。
でもここもまた一つのカラクリで、
みんながみんな目指せば目指すほどそのトップの価値は高くなるんですよね。
簡単に言うとゴルフでトップになることの価値は世界的に超高いです。
これに比べるとカーリングは低いと僕は思うんですよ。
それは要するに世界でトップを目指している人の数が多いか少ないかによって左右されて、
多いものほど無理が出てきて、
例えばテニスで頂点に立つとか、もうめちゃくちゃ難しくなってくるわけですよね。
まあまあトップは全部難しいですが、
それにしたってもうウィンブルドンで優勝するとか、
本当日本人が届かないみたいな話、
大体日本人は届くじゃないですか。
先にしっこりケーって人が有名ですけれども、
なかなか難しいと思うんですよ。
で、なんでかって言うと結局目指している人が世界中にやたらいるからですよね。
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届く届かないの話をしていてもしょうがないのでやめますが、
要するにですね、勝たなくても良いという話をグッドバイブスがしているわけではなくて、
ただグッドバイブスは全然違う方向に向かっているというだけだと私は思うんですね。
私の自分の時間がないんですの話はですね、そうです。
この話を多少話をしています。
だってタスクシュートの話ですからね。
でも私はですね、勝たなくても良いというわけではないんだけれども、
世界のトップを目指す人が、似たような話はピカソで話してますけど、
世界のトップを目指す人がタスクシュートを使わないとできないなどという段階で、
既に目指すことは不可能だろうという気がします。
大谷翔平だったと思うんですけどね、軽省略してますが、
彼は高校出た頃に、食べ物でも、たとえトイレに行くことであっても、
野球には役立たないことはしたくないとはっきり言ってました。
あれをやるという気になる人がですね、タスクシュートを使わないと時間管理ができないとか、
自分時間というものが野球の時間と同じでいいんだろうかとか、
疑問をかすかでも頭をよぎった瞬間にもダメだと思うんですよ。
あんな人がいる以上。
彼がって大リーガーでトップと言えるかどうかはまだ微妙なところじゃないですか。
世界でトップとまで言うならばですね、
たぶんそのことを念頭に入るような段階でもダメだと思うんですよね。
無理だろうなという気がします。
藤沢さんみたいな人に将棋で勝とうって話ですよね。
それはやっぱり、将棋の時間が自分の時間なんだろうかという問いを立てていたらもうダメですよね。
という気しかしない私は。
そうするとですね、要するにこの話とグッドバイブスは全然違うし、
もうグッドバイブスは確かに僕は違うと思うんですね。
役割って話でここは行くことになると思うんですよ。
グッドバイブス的に言うと役割が違うんですよね。
世界のトップを目指す人っていうのは自分の役割は何だろうってまず絶対考えないと思うんですよ。
あまりにも自明すぎて。
自分の時間と将棋の時間を分けるとかもないと思うんですよね。
少なくとも今のような時代には。
そしてそこまでやったからといって欲求が実現されるという保証はどこにもないと思うんですよ。
しかもそんなことは多分分かってやってると思うんですよね。
そうすると方法じゃない部分が絶対あるだろうなということになりますよね。
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勝つっていうことはですね、多分勝つことが役割みたいになっているケースの場合は特にそうですが、
何て言えばいいのかな。
どこかでですね、イメージしているようなものとは全く違う欲求に支えられているようなところがあると思うんですよ。
私は何になりたいんだろうという段階と、
藤沢が将棋をしている時間に入っている時の段階はあまりにも違いすぎて、
ただそこをですね、タスクシュートとかが埋めるはずは僕はないと思うんですね。
タスクシュートというのはそういう人のためのものではないと思うんですよ。
タスクシュートは私が思うに人工的な時間で全域を埋めるということをしたい人のためのものではないと思っています。
つまり、将棋もするけれども仕事もして、自分の時間があったら漫画も読んじゃいますという、このタイプのためのものだと思っているんですね。
自分の時間がないんですという人は、この流れの中の自分の時間がたとえなくなったとしても、
本当は困らないで済む考え方があるんだという話をしているんです。
私、もうちょっと来年2021年はタスクシュートというのは社会時間を管理するためのものなんだという方向で行こうと思います。
ただこれはですね、開発した大橋哲夫さんが、仕事の大橋哲夫さんが、その通りだと思わない可能性があって、
しかもですね、私と大橋さんの話で悩んだらあっちを信じてください。
特にこのグッドモーニングバイブスとかを信じたらいかんです。
これヨタ話なんでね。ヨタ話だと思って聞いてくれないと困るんで。
大体そうじゃないですか。どっかで言ったと思うんですけど、タスクシュートに関しても作ったのは大橋さんですし、
グッドバイブスに関しても作ったのは倉園慶三さんですし、
最近盛んに喋っている精神分析なんか、私は精神分析を語る資格はゼロなんですよ、本当ならば。
もちろんソーシアフロイドですけれども、あれは分析してみておそらく初めてわかることであって、
私は泳いだことのない人間が水泳について語っているようなもんなんですよ。
精神分析とカウンセリングとかコンサルトとかセッションというのは全く違うものなんで。
だからこれはヨタ話だと思って聞いてくれないといかんのですよ。
で、タスクシュートは私は社会時間を管理するためのものだと思っております。
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だから自分時間と社会時間が分離してしまっているケースの中で、
それがすごくややこしくなってくるから、あれを使っておくと割と安全に、
かつ迷子にならずに済みますと。そういうものですね。
決してあれを使って全社会時間を全自分時間と同一とみなす自己鍛錬をしようみたいな、
そういうためのものだとは僕は思っていない。
現に僕はそんなことはできていないので、そういうことをしたいともあまり思わないですからね。
つまりあまり勝ちたいという欲求の弱い人間なので。
ここがですね、私はすごく誤解されているんですよね。
私はすっごいストイックだって思っていらっしゃる方が何パーセントかいらっしゃっていて、
そうじゃないんですよ。
私は自分時間に自己鍛錬をしたいなんてかけらほども思わないし、
というかそんなことをするのはごめんです。
そういうことを、ただ自分の世界のトップレベルとか、あるいは転職のようにして自分の役割に邁進していくみたいな、
そういうケースでは多分私はタスクシュートを使うというやり方ではないだろうなという気がするんですよね。
藤井聡太がタスクシュートを使うはずないと思うんですよ。
使ったって将棋将棋将棋とかなるじゃないですか。
そうなるに決まっていると思うんですよね。
これみんなそうですよ。
あそこまで行かなくても、たぶん将棋で食うような人、苦談とかいう人たちはみんなそうですよ。
上記を一視しているレベルだと僕は思うんですよ。
だからピカソのところで言った通り、将棋の枠組みの中でやることですよ、タスク管理というのは。
私は彼らは狂気に近づいていると思うので、精神障害だとかそういう意味ではないですけれども、
何にせよ普通じゃないなというところがあるので、
極端なに突出した役割という意味であればその通りだろうというふうに思うんですね。
あれは私とは違う人種、人種と言ってはいけない。
人間があそこまで行けるんだなということを示してもらうための、
こないだそうそう羽生譲さんがやっていたじゃないですか。
なんかやっぱり凄まじいですよね。
僕はアイススケートって割と北海道生まれなんでやったことがあるんですけど、
後ろに向かって滑るってことはできないですよ、普通。絶対。結構やらないと。
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回転するなんてとんでもないですから、空中で回転するとか怖くて全然できないですよね。
だからただあれはやっぱり役割なんだと思うんですよね、そういう意味では。
その羽生さんですらインタビューで自分が1位になるっていうことは、
結局2位3位4位の人たちが嫌な思いをすることになるみたいな話をしていて、
こういう人でもそういうことを考えるんだから、勝つっていうのはですね、
よっぽど、何て言うんですかね、の人でも勝ってすごく満足ってのは難しいと思いますね。
あれは結局ちょっとサッカーとは違うじゃないですか。
どっちが上手いかどうかを目で見て競い合うっていうやり方なので、
勝ち負けと言ってもそういう独特の微妙さがつきまとってくると思うんですけど、
圧倒したりしているときは誰も文句をつけようのないレベルに入っていきますけど、
とにかくこれを持って実現なんだって思うものとは何かちょっと違うんじゃないかなという感じがしました。
自己実現という意味ですね。そういう意味ではないんじゃないかなと。
ただやってみないと分かんないと思うんですよ。
だから現実に教えてもらうということになるんだと思うんですね。
現実に教わるということになるんだと思うんですよ。
マネジメントが得意とか、あるいは何でもいいですよ、寄付を書くのが得意とか、
そんなことは多分相当近づかないと分からないですよね。
とりあえずだから野球選手であれ将棋者であれ、やってみりゃいいと思うんですよ。
明治的なものは少ないじゃないですか。
例えば私のような職業に憧れるとかいう人はいないと思うんですよ。
なぜなら私がやっていることって不明瞭で曖昧で見えにくいから。
これが野球選手とかさっきのアイススケートの選手とかになると、
はっきりその形式が分かるからみんなそこに自己実現みたいなものを乗っけようとするわけですよ。
サッカーの選手とか。
でもそれは無理があると思うんですよね。
なぜならば目にはっきり見えて、しかもそれがもてはやされているほど人気があるということは、
おおむねスポーツに限るんですよ。
しかも種類も少ないんですよ。
現実にあるオリンピックの競技と実際に私たちが目にする競技の数ってうんと違うと思うんですよね。
世の中にはもう見たこともないようなの。
最近そういうのも一生懸命取り上げるようにメディアの方してますけど、
まあまあそうは言っても釈然としない競技っていっぱいあるじゃないですか。
野球選手になりたいとパッと思うのは非常に自然だと思うんですけど、
射撃の選手になりたいとか思う人ってなかなかいないと思うんですよね。
つまりパッと見たものになりたいと思って動き出せるというのは、
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それだけでも半歩ぐらいのリードはあるかなという感じがします。
当然挫折はするはずなんですよ。
ここはグッドバイブスとは私は基本あんまり関係ないんじゃないのかなと。
グッドバイブスにそういう人が、いや挫折がつらいみたいな話をするのはすごくありだと思うんで、
そういう意味では関係があるんだけど、
基本的に人工的な価値を目指すものは、
すべて挫折する可能性というか、常に挫折はつきもので、
だって羽生選手ですらここ4期は逃しているという話があったじゃないですか。
しかも藤井聡太だって負けるわけですよ。
大谷翔平だって今年はほぼ活躍したとは言い難い年でしたし、そういうもんですよね。
つまり挫折込み込みですよね、あれは。
そうに決まってるんですよ。勝ち負けを競ってるんで。
これはつまり、勝利とか上に立つとか、特別な存在になるとか、
そういったものに価値を置く限り、常にその反対側に、というか、
おそらくすべての人がこの世界ではその反対は存分に味わうしかないんですよね。
そういう意味でも、何ていうのかな、欲求、
最終的な勝利者になりさえすれば自己実現できましたということにはならないような気がします。
必ずその次のシーズンが始まっちゃいますから、
その後負けたときはじゃあ自己実現には失敗したことになるのかということになりますよね。
だから自己実現というのが何を意味するのかちょっと分からないんですけど、
最終勝者になるということによって、
自分の全欲求が満たされましたという感じは多分持たないんじゃないかなという感じがしますね。
そうでないと、そこで終わったということになって、
今度は別の自己実現を目指しましょうみたいな話になっちゃう気がするんですよ。
だいたいそうはなってませんもんね。
当然、最近年末なのでむしろ多い、つまり一軍の試合に一回も出られませんでしたみたいな話あるじゃないですか。
あの辺からだと僕は思うんですよ。
トップクラスになる人もまたいろんなあの辺からがあるんですけど、
あの辺から、それでもなお何かこう、そこに投影したものを追っていくみたいな、
よくありますよね。
栃木BCリーグに行っても野球を続けるみたいな、
それもプロという定義に入るのかな、微妙なラインだと思うんですけど、
そういう話は頻繁にありますよね。
社会人としてつてでやっていけるぞみたいな電話が来たんだけど、
30:00
その1週間後にあのつてはダメになったみたいな電話を受けて、
子供3人いてどうしようみたいな、そういう話ですよね。
私こっちの方がですね、トップの人の方が実際にははるかに大変な思いをしてるんですけど、
こっちの方がですね、自分の時間がないんですとか、
タスクシュートの話と関係が深まってくるという気はしてるんですよね、実際には。
見えにくい部分だと思うんですよ、そっちって。
それで、つまりいいと思うんですよね。
つまり自分の時間だか社会時間だか分からなくなるほど、
1つの役割にどっぷりのめり込めるという状態っていいと思うんですよ。
ただそれは、少なくとも最終勝者ということが嬉しいと、
それが言ってみれば自己実現なんだということであるとすればですね、
そっちは価値がある人とない人を作り出しやすいとは思います。
この点ではグッドバイブスというワールドは全然違っていて、
最初から価値MAXって話があるじゃないですか。
これMAXであっても平等であっても結局は同じ意味になると思うんですけれども、
要は誰でもできるんですよ。
途中で話した通り、誰でもできては意味がないものではないんですよ。
二重規定的ですけどね。
誰でもできるんですよ。
だからいいんですよ、これは。
私は正直こっちだけでほぼいいという人間なんですよ、きっと。
割と。
子供の時からそうだったってわけじゃないですよ。
子供の時は結構勝ち負けにこだわるほうでした。
ただそれは普通男の方がありがちな勝ち負けにこだわるのとほとんど同列のもので、
それで一生食っていけるほど勝ち続ける方向に向かえる人間ではないです。
私は今だとそうなんですよ。
娘なんかを見ていても、勝ち負けは付きまとうんですよ。
人間が人工的にやった場合。
それはそれとして、そういうものとして、
なんて言うんですかね。
難しいんですよね、言い方が。
七八割方受け入れておくしかないみたいな感じですね。
けど、それと、
幸せというのが多分グッドバイブス的に正しいんですけど、
それと、
穏やかでいられることかな。
穏やかに生きられることは
両立するんですよね。
で、穏やかに生きるためには自分の時間は
別にいらないんですよね。これが大事なポイントなんですよね。
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少なくともふんだんに自分の時間がなければ穏やかに生きられないというのは
一つの大きな幻想なんですね。
多分あらゆる人に十分もたらせられる、供給される
それは日に数分なんですけど、数分から十数分。
子供はもう少し多くないとダメだと思うけど、
もたらせられれば十分なんですよ。
で、それは自己懸賛とかとは何の関係もないんですね。
何の関係もないんですよ。
そうですね。やっぱりこれは全部蔵園圭祐さんの受け売りなんで
ここでわざわざヨタ話として話すこともないんですが
欲求が実現しないと自己実現しないのかもしれないけれども
欲求は変転するんですね。
欲求って毎分変わってます。
自己実現というものは
もしかしたらイリュージョンなんですよね。
例えば精神分析って私はすごく人間の心理を
深いところまで見に行ったもんだと思うんですけど
自己実現というものは全く問題にされてないんですよ、あそこでは。
まず自我実現したらまずいですよ。めちゃくちゃまずいです。
多分その人生きていけなくなりますね。
自我が実現するということは
異度と超自我が全否定されるということになりますよね。
極めてやばいんですよね、それって。
欲求を感じず
言ってみれば自分に対する社会的ルールも一切
響いてこない人みたいな。
何にもしないと思いますよね、それは。
もしそんなことが起これば。
衝動が実現する。これは不可能ですよね、事実上。
私たちはいつも喋ってて思うようになったんですけど
犬猫のようには生きられないんですね。
多分無理です。本当に本当にそういう風に。
猫ってすごいなと思います。
最近猫よくうちの庭にも出没して追い払ってるんですけど
これを言うと猫好きな人にすごい憎まれるかもなんですけど
しょうがないんですよ。うち猫飼ってないんで。
こうは生きられないなって思いますね、やっぱりね。
あれでちゃんとしてられるのはすごいと思います。
そこら中にするし、なんかゴミとかすぐ漁るし
掘っちゃうしね、なんか意味もなく掘っちゃうし
でも、なんていうのかな、蒸気を意識してないじゃないですか。
正気じゃないですか、明らかに。
あれ人がやったら完全に蒸気を意識してますよね。
ああ、生きられないという気がします。裸だしね。
で、長寿が自己実現する。
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まあ死んじゃいますよね、すぐ死んじゃいますね。
社会的ルールだけで生きるっていうことですよね。
多分自殺しちゃうという気がするんですよね。
だから自己実現って何なんだろうと
マスローが言ったことなんですけどもね。
マスローが言った。微妙なところですね。
とにかくこれは別物なんですよ。
タスクシュートとも別物だし、グッドバイブスとは無論別物。
グッドバイブスで自己実現って話は僕はしてないと思うんですよね。
幸せだという状態は自己実現は問題になってはいないです。
例えば私が完全に平安だという時に
自分が何者かということには興味はあんまりないです。
少なくとも自分は作家として本を何十冊も書いたから
こういう幸せがあるというのとは全く全然違う話ですね。
全く全然違います。少しも近くない感じがします。
本を十何冊書く上でタスクシューター役に立ちました。
それは結局僕が大谷翔平ではないからですね。
藤井壮太でもない。
それどころか多分オリンピックでカーリングで活躍しているような選手とかとも違う。
あのレベルには私は至ることができないんですよ。
本をぐっと40分くらい書けて
一章のある説を十分やれたなと思ったら
コーヒーを飲みたくなる。そして漫画を読む。
という程度だからですよ。
私はあそこまで一つの何て言えばいいんでしょう。
一つの役割に自己投入したくはないんですよ。
一日中ビジネス書のことを考えていて
新職とともにビジネス書を書き
多分藤井壮太さんがそうであるような
慣行で絶え間なく商業お金を考えているように
売れるビジネス書についてありとあらゆることを検討したいとは思わないんですよね。
そこまでその役割に自己投入したくない。
同一視したくないですね。自分を。
だからタスクシュートが役に立つんですよ。
この時間とその時間はどっちに配分するみたいなのを
検討することが役に立ってきたんです。
今はそういうことはあまりしていないけれども
でもやっぱり娘の勉強を見てあげる。
全然違う。
たぶんですけれども
例えば私は娘に洗濯物干してと言われたら干す。
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これを太谷翔平に頼まないでしょう。
お母さんとかが。
翔平ちょっとキャベツ買ってきてとか言わないと思うんですよ。絶対。
ヘデラーとか。つまりそういうことだと思うんですよね。
自分の時間がないとかそういうことで悩まないはずなんですよ。
悩ませない周りも役割があれほどあまりにも自明になってしまえばですね。
私の役割はそうじゃないですもん。
昨日も数の子会に近くのスーパーに行って
すげえ密だったのと
駐車場の交通整理があまりにもついてなくて
結局2時間半ぐらい買い物に暴殺されました。
これが私が思うに普通の人であり健全な状態ですよ。
こうしてみんなが自分の時間がないって言って腹を立てるわけじゃないですか。
だからあの本を対談本ですけど出す意味はあるんだと思うし
タスクシュートというものが意味を持つんですよ。
そうじゃないと私があの本を書く意味ないと思うんですよね。
昨日2時間半もそういうことをやったために原稿進まなかったわけですよ。
そうすると来年の収益に差し障るんじゃないかとかよぎるわけですよ。
グッドワイブス的じゃないじゃないですか。
こうであるからこそいいんですよ。
多分ですけども大谷翔平さんがそんなことをよぎるはずがないと。
未来のお金の心配とかする必要ないじゃないですか。
何十何億とかもらえるのに。
普通にやったら使い切ることすらできないですよね。
未来の心配というものをある意味しないと思うんですよね。
ヘデラーとかそういうことだと思うんですね。
役割があまりにも致命であるというのは私はそうじゃないと。
だから割と逆にタスクシュートが役に立っちゃうと。