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皆様こんにちは、ニュートンのゆりかご始まります。 ニュートンのゆりかごは、毎回パーソナリティが今話してみたいゲストと対談を行い、
そのゲストに次回のパーソナリティを託すリレー形式の番組です。 今回のパーソナリティは、スピリチュアルラジオというポッドキャストをやっております
Ikukoが担当します。そして今回のゲストには、Moさんに来ていただいております。 Moさん、よろしくお願いします。
ありがとうございます。お呼びいただいて、あの2回目。 2回目。いいのかなと思ったんですけど、日口塾のみんなにはお許しをいただいたので、すみません、またMoかよ、みたいな感じですけど。
嬉しいです。今回の収録は、なんとアメリカのコロラドでリアル収録をしております。
では、Moさん、簡単な自己紹介をお願いいたします。 毎日お祝いしよう、配信してます。ご近所系ポッドキャスター、Moです。
今回ですね、Moさんをゲストにお呼びしてお話ししたかった内容は、子育てについてです。
私は2003年から6年間シンガポールに住んでいたことがあって、2004年に長女を、2008年に長男を出産しました。
そして長女を出産した時に通っていたサンゴのヨガで、Moさんとお友達になって、それ以来お互いの長女が18歳なので、18年来のお友達であります。
この夏はお互いが知り合った時赤ちゃんだった一人目が高校を卒業して、それぞれアメリカの大学に送ることになります。
そして一人目の子育ては一段落ついたというところで、この子育てを振り返ってのお話をしたいなぁと思いました。
また私たちはそれぞれシンガポールとアメリカで子育てをしているので、海外での子育てについてもお話できたらなぁと思います。
それでは、よろしくお願いします。
じゃあですね、私がちょっと聞いてみたいなぁと思ったのが、18年間の子育て全体を振り返って、それをよくある漢字一つにまとめると、なんでしょうか?と思って。
ちなみに私はそれで何かなぁって考えると、やっぱり楽しいの。
楽の方。いや、絶対楽じゃなかったから、楽はダメだなぁって。
りこうちゃんは楽?
楽、楽しいっていうことで、楽だったっていうわけではないけど、全体を振り返るとやっぱり楽しかったことが多いかなぁって思うんですよね。
でもやっぱり最初の段階は、まあ必死っていうのがあって、必死の、なんだろう、必、みたいな。
やらないと、やらねばならないって感じだったよね、初めからね。
私はね、うちの子はね、やっぱり長女の方は、今思うと、そうだね、なんかね、最近ちょっとね、年が始まる前に一つの漢字をね、選んでたりするんだけど、今年はね、あふれるって感じ、選んでて、去年はね、満たされるって感じだったのね。
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でね、その2つがね、やっぱりもうどんどん大きくなっている自分の娘を見ても、家族もみんなそうなんだけど、その2つはね、どうしてもパッと思い浮かばっちゃうんだよね、浮かぶ。
で、そうだね、だからどっち、あふれる方かな、やっぱり、娘の、いつもね、笑ってるっていうかね、あのね、本当にどこ行っても笑ってるから、だから、あふれる笑顔っていう感じの意味であふれるかな。
おー、もうさん自身も笑顔があふれますか、娘ちゃんのことを考えると。
素敵な笑顔っていうよりはニヤニヤしちゃう方の笑顔かな。ふむふむ良かったなぁ、ニヤニヤみたいな感じかな、ね。
なんかそのあふれるっていう感じをね、思い浮かぶっていうのを聞いて、やっぱり思いがあふれるっていうのも今年はいっぱいあると思うんだけれども、
そうだね、そうだね、でもどうなのかな、もうなんか訓練してるって感じで、自分の中でこういうことが起こるのは当たり前だから、だから、いつかは来る、いつかは来るっていつも、やっぱりね、それが来たっていう感じですね。
なんか今そういうふうに話してるのは、日本のやっぱ大学でもね、地方に住んでる人はさ、ちょっと離れたところに子どもたちを送り出すっていうのがね、あるから、まあそれを考えると同じ環境かもしれないけど、
アメリカに住んでるともう18歳で高校卒業した時点でも、ちょっと親離れみたいなのが本当にあって、まあただ私の娘は、うちから車で15分のとこの大学にね、寮に入るとかいう近くにいるんだけど、もう毛さんは国を挟んで、やっぱ子どもを大学に送り出すわけで、もう感覚としては全然違うかなって思う。
そうだね、やっぱり、まあアメリカ人の主人になって子どもが生まれたらっていう時、その時ぐらいから、いつかはそういうことになるっていうのを、なんかの時に区切りの時に必ずなんとなく考えてきたことだから、あ、とうとう来てしまったみたいな感じで、どうなるかなと思うけど、まあ子どもにもそういうことだから、時差もあるし、って言って用意はさせてきてるからね、精神的にこう、だからあんまり心配はないんだけど、
でもね、始まってみたらギャーギャー泣いてるかもよ、私も、それはもうあるかなーって思いますね、だけど一個だけ言えるのは、やっぱり今飛行機とかもすごく便利になってるから、遠いとはいえ、まあ1日か1日半以内には娘のところに飛べるっていう感覚があるから、そんなに遠いと思わないようにはしてるのかな、
なるほど、なるほど、なんか今回こうやって大学にね、子どもを送り出すっていう風になった時に、私自分がね東京で育ったんだけど、大阪の大学に行ったんですよ、だからその時に母がついてきてね、寮に1年間入ったんだけど、その寮の準備とか必要なね、諸々のものを一緒に買い物に行って、大学の入学式があって、その大学の入学式の後に母と駅でね、
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電車側のドアが閉まるのでバイバイしたのね、で私がホームにいてね、母は電車に乗ってっていう、なんかあの時の感覚を映像でもちゃんと覚えてるし、その時に感じた感情とかそういったものを元々覚えてたけど、なんかもうちょっとリアルに思い出しちゃう、あの時のこと。
そうか、そうか、なんか母の立場になったんだなっていうか、そうかそうかそうか、そうね、どうなのかな、だからどうなるかわからないけど、もう一応ねもう半年前とか1年前から、二人でもうあと1年なんだねとか言って、でなんか涙をする、二人でなんかね涙をしてたりとかもしてて、そんな頻繁ではないけど、でもだから十分お別れもしたし、もうね一緒にできることも
限られてきてるしね、興味の先が違うから、関心ね。確かに、なんかその子どもたちがね、初めて会った時は赤ちゃんだったわけで、ほんとだよね、その一人目の子育ての時って赤ちゃんの時ってどうでした、もんさん、どういうなんかこう気持ちっていうか、心構えっていうか、そういうので子育て向かってた。
私、子どもが本当に欲しくて、子育てってしたくて、自分でやっぱり、だから前もやったかもしれないけど、年齢も言ってたから、もしもできなくて、もしもうちの主人と結婚するんであれば、あのやっぱり子どもがいないと一緒にね、いや一緒にできることがないとね、なかなか難しいかなっていう感覚が私があったから、結婚する前からね、だから自分の子どもができようが、もし結婚するんだったら養子をもらってでも、
一緒に主人と育てていきたいねっていう話をしてたのね、もともと付き合っている時から、だからできた時はすごく嬉しくて、もうねその嬉しいのの延長だったよね、子育ては。私楽しかったよね。
楽しそうだったよね。
そうなの、楽しそうだった。
思い返してみるとね、私も楽しいという漢字を選んだものの、少女が生まれる時は楽しむっていうよりも、その時ちょうど27歳だったのね。まだ今から考えれば27歳なんてこのもんじゃない?
最高のことをやってあげたいとか、なんかそういうふうに思ってて、あるね、なんか子育て本があって、それをなんかバイブルみたいにして、やんなきゃっていう。
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そうそう、それはあるね。
やんなきゃいけないみたいなところがすっごい強くて、1人目の時は。だからね、なんかめちゃくちゃ必死だったし、それだから逆に赤ちゃんに優しいはずの子育てが、すごいきついものだったね。
その時はね、きつい印象はなかったんだけど、今を思い返すと、すごいきつかったし、神経質に子育てしちゃったなっていうのがあって、下の2人と比べると長女は神経質な子になったなって思って。
本当?本当?やっぱりやんなきゃいけないっていうのはあったよね、私もね、この子をちゃんと育てなければいけないとか、あと福子ちゃんちはどうだったかな、旦那さんがいないことってなかったっけ、そんなには。
そんなにはなかった。
1年の3分の1ぐらいはいなかったから、もう自分でやんなきゃいけないからって言って、やっぱりちょっとプレッシャーっぽいのはあったけど、そういう辛い1日の中でね、うわ、大変この子も泣きじゃくってどうするのっていうのはあるんだけど、バギーに、バギーって言うの?ストローラー?日本語で言うと最近はなんて言うの?
ベビーカーかな。
ベビーカーに彼女を乗っけて、押してる自分とかめちゃくちゃ好きで。
自分がね。
嬉しくて、どっか行って、そこで今でも思い出すけど、楽しくてそれが、楽しいっていうかウキウキしてるの。
それのバランスだったかなっていうのを今思い出しても、大変だったけど、夜とか寝られないしね、5歳ぐらいまで寝られなかったもんね。
私、ほら、4年おいて3人生まれてるから、本当にね、1番下の子が5歳ぐらいになるまで寝られなかった。
そっか、じゃあ10何年だ。
長い。
下の子が5歳になるときか。
13年ぐらいか。
13年ぐらい、1番最長に寝て、4時間とか。
そうだよね。
そういう感じ。
起きてこなかったとき、下の子が、あれ、1日今日、夜起きてこない、起こしに来なかったねって言ったとき、今でも覚えてて、それが5歳の何か途中だったと思うんだけど。
で、その次の日からもう全然起きてこなくなって。
8年かな、じゃあ。うちは3歳離れてるから。
あ、思い出すね、そういうのもね。寝られない日々。
それでしかも、その長女はね、夜行症を持ってたの。10歳、10歳、過ぎても時々あったかな。
夜行症って何?
夜中に叫んだりするの。寝てるのよ、本人は寝てるんだけど、キャーって叫び声をあげたり、大泣きをしたり、怒鳴るっていうか、ほんと叫ぶ。
でも知らない人が聞いたら、親が虐待してるんじゃないかって思われるような、すごかったね。
そういうのがあったんで、下の子が寝てても長女に起こされるっていうね。
とても寝られない。でも不思議なことに、下の子たちはね、弟もね、普通に寝てんの。
もう、お姉ちゃんがギャンギャン叫んでようが何だろうか関係ないよね。
関係ないよね、ちっちゃい時から一緒だとね。
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こっちはハッと気づいて、聞こえて、その度にやっぱ起こされてっていうのがあって。
それは結構大変だなって。
あるよね。うちのね、一番大変だったのは娘はね、1歳になる前に大きな病気しててね、大きい手術したりとかしたし、
あとはロタウイルスとか流行ってた時、覚えてるかな、その時にね、脱水症状になってね、入院すぐさせなきゃいけなかった。
みんなさ、発症した時は旦那いなくてね。
あー、そうだったんだ。
だからね、やっぱり鍛えられたのはあるかもね。
そうですね、あるよね。
なんかその、シンガポールでの子育てで、日本でやっぱ大きく違うっていうのは、お手伝いさんがいたりするじゃない?
それで私も、長女が生まれた時は、かよいでお手伝いさんがいたんだけど、
2人目を妊娠した時に、長女にちゃんと構ってあげられるようにしたいねっていうので、
せっかくシンガポールにいて、環境ができるからって言って、住み込みでお手伝いさんを雇うことにして、
やっぱそれによって、かなり楽になったっていうのは。
時間がね、あるからね。
私は主人がいなかったから、娘が4ヶ月の時から、もう全然私たちの時間がなくなるし、
一番の理由は、近所に親戚がいない。
そう、そうなの。
だから、ちょっと何かがあった時に、私たち自身に何かがあった時に、
頼れる大人っていうのが、やっぱお友達はいるけど、なかなかやっぱりね。
お友達だとね。
それぞれあるから、メイドさんに来てもらって、ずっと。
そのメイドさんも、18年一緒にいてもらったけど、
この前フィリピンに帰ったので、本当の帰国でお別れをしましたけど、
そういうのもあってね。
一人を育て上げた気はしてますね。
素晴らしいです。
素晴らしいです。
素晴らしいから、これからだけどね。
どうなるかね。
おーちゃんの長女も、うちの子供たちも、
私はシンガポールから日本に2年半引っ越してね、2年半いたんだけど、
その間に日本のアメリカンスクールに入れてて、
もうちゃんはもうちゃんで、
子供たちはシンガポールのアメリカンスクールに入ったわけだけど、
インターナショナルスクールで良かった?
どうだろう、比べられないから。
でもね、うちは半分ね、うち両方。
いくこちゃんちも、もともとアメリカ人だから、
インターンに入るしかないというか。
そうだね、あるよね。
中には途中で日本人学校に行って、
日本語を学ぶみたいな子たちもいたんだけど、
お友達の中ではね。
やっぱりそういう子たちは日本語もよくできたし、
でも相当の苦労をね、子供たち自身がしなきゃいけないっていうのが、
環境が変わるから、
だからうちの子供たちは、
私見ててもらってもわかると思うけど、
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アマちゃんなので、そういう辛いことはちょっと無理だったんだよね。
やっぱり子供たちに他の性格を見てね、
この子たちは一つの学校に行くだけで十分だから、
そういった他の人たちとは違うからと思って、
それがアメリカンスクールでよかったなと思ってるけど。
伸び伸びしてるよね、なるかと。
そうだね。
最初の上の子だけだったけど、
プレスクールからキンダーが1年生をやったんだけど、
アメリカンスクールってキンダーから12年生、
高校卒業の12年生までを考えて、
日本のアメリカンスクールはカリキュラムを組むから、
最初がすごいゆるゆるスタートなの。
1年生でも日本の幼稚園でやるようなことを、
1年生でやるような、すごいゆるゆるスタートだったのね。
なんだけれども、日本のアメリカンスクールは、
日本語教育がめっちゃ厳しくて、
あんなにゆらゆらなのに、日本語のクラスは宿題もいっぱい出るし、
すごい必死でね、娘も宿題をやったりとか、
読み、書き、特に書きは羽とか留めとか、
そういうのまでめちゃくちゃ厳しいから、
私も必死になってみて、
その日本語教育のおかげで、
少し長女は日本語をキープできたなっていうのはあるんだけれども、
日本語教育のことはどういうふうに考えてきたんですか?
日本語は初め日曜日の補習校っぽいところがあって、
補習校って海外で、現地校に通っている子たちが、
だいたい土曜日だと思うんだけど、
土曜日か日曜日に現地の日本人学校を借りてとか、
そこでだいたい、そういった現地校に行っている子どもたちを集めて、
日本語を教えるっていう補習校っていうのがあるわけなんだけど、
その補習校がいっぱいなわけ、シンガポールは。
人がね。だから入るのに、
今後日本に住む予定のある人を対象にしますみたいになっちゃってて、
うちの子どものときは。
で、うちはもうそこ、その時まで一応日本語の学習塾、
塾とまでいかないけど、稽古のところみたいなのがあって、
そういうとこに行ってたは行ってたんだけど、
やっぱり日本人同士で、元々日本に住んでた方たちとは全然違うから、
元がね、シンガポールで生まれてるから、
やっぱり補習校には入れなくて、
っていうか、全然受けにも行かなかったんだけど、うちは。
将来日本に住むつもりなかったからね、子どもたちはね。
だから補習校のようなことをしてくれる学校があったのね。
で、そこに日本語を習いに行ってて、毎週ね。
いつまでかな、4、5年行ってたのかな。
だから娘はね、ずいぶんまだ喋れる方だと思うけど、
同じ土地の子に比べて、一生懸命やってきた子とかはもう全部ね、
読み書きもできるわけだし、でもそういうことはできないから、
18:00
まあね、自分でこれから勉強すれば、って思ってるけど。
日本語すごい上手だと思う。
まあね、でもね、やっぱり。
私はそのさ、自分が学校を連れてくから、
そこで先生を募集してたので、
私は他のクラスを教えながらやってて、
他の子たちも見てると、もう全然ダメなの。
やっぱりうちの子は。
でも、日本に住んでるわけじゃないし、
コミュニケーションを取るっていう意味では、もう十分っちゃ十分な。
だからね、やっぱり言語能力っていうのはパーソナリティもあるよね。
その本当に、だからうちの息子は同じだけ言ってたけ、
もう口数が少ない方だから、全然上達しないしね。
だからやっぱり性格もあるよね。
それは喋りたいとか、伝えたいとかっていう思いがね。
あれば言語はどんどん上手くなっていく。
だからうちの娘は中国語もやってるんだけど、
だから中国語も結構できるらしいけど、確認できないから。
どのくらいできるのかよくわかんないけど。
それはね、だから最近インターナショナルでは、やっぱり
2カ国語目はすごく厳しくやるみたいだから、
日本のアメリカンスクールでも日本語をやらされてたのは、
ちょっと当たり前かなと思ったけど。
私は長女がちょうど2年生になるときに、
アメリカに引っ越してきて、
いや日本語教育、これからどうするかってなったときに、
一応電話に補修校みたいなのがあって、
あと補修校ではないんだけれども、
日本語を教える日本語アカデミーみたいなところもあって、
でもそれはね、行われるのは土曜日と日曜日なの。
で、うちの子供たちはサッカーをやりたいって決めてたので、
サッカーは土曜日になるのね。
で、そうするとこの日本語アカデミーでは、
土曜日はほとんど日本人の子が来る。
で、日曜日のクラスは妹の子っていうか、
そういうもうちょっとゆるく日本語でもやっていきたい、
みたいな子供たちが来るっていう教室があったので、
そこに行かせようかなと思ったけど、
もうそうするとね、休みがなくなっちゃうの。
クオリティオブライフじゃないけど、そういうのを考えて、
いやーもう日本にね、私たちはもう住む予定もないから、
で、うちの夫はね、大学生の時に日本語をやりたいって言って、
そこからもう喋れるようになって、
私、アメリカ人の夫なんだけど、日本語でやりとりしてるのね。
で、なんかそういうのを見てて、
一応こうベースがあるわけだから、
市民たちがふって気づいた時に、日本語やったら、
それでいいかーって打ち話になったんですよ。
うちもそうよ。
それでやめたのと、
あとアメリカンスクールで結構ゆるーくね、
その通脳勉強をやってきたもんで、
2年生で入った時に遅れてたの。
国語っていうかイングリッシュ、
国語とかが遅れていたから、
ESLのクラスに入れられて、
ESLってね、第2言語が英語の子供たちが入る、
特別なそういう言語のサポートクラスなんだけど、
そこのクラスに入れられてたわけ。
21:01
で、長女の場合はそういうのもあったので、
いや、日本語より英語やらなきゃだろうって、
日本語をストップしちゃったのね。
でもね、本当私もシンガポールに行って、
本当に流暢にね、日本語を話して書いても、
新聞も読めるっていう外国人の方、
外国人って言ったら私も外国人だけど、
結構あって、いつそんなに勉強したのって言ったら、
やっぱり1,2年、もう学生の時とか、
あとはもう社会人になってからだよね、20代だけどね。
に、もうびっちり勉強して、
JLPTだっけ?ジャパニーズなんだっけ?
テストがあって、それの1級とかを取ってる人とかね、
何人もあったのよ。だから、うちの子たちは、
半分日本人だけど、後からね、
いや、本気でやりたかったら、全然できるから、
他のこととかもね、ままならなくなっちゃうぐらいだったらね、
その子のキャパがあるから、
泣く泣くよ、あれでギブアップさせたのが。
途中でうちもね、4,5年で辞めさせちゃったのはね。
でもそれから、娘とかはバレエとかダンスがやりたいって言って、
週に10何時間とか、学校の終わってから行ったりとかして、
それはそれでやっぱり日本語やってたら、キャパ的に無理だっただろうし、
学校のね、宿題もあるし、だから今のところ、
娘は結構やりきった感は、本にもあると思うかな。
スポーツとかも一生懸命やってたし、
自分でやるって言うまでと思って、
だから今、息子の方がね、なんとね、
日曜日にオンラインで教えていただいてるんだよ、
日本語自分でやるって言い始めて、
でもそれも先生が、何かどこを目標にしますかって言ってくださったんだけど、
とにかく日本語で話したりするのが嫌にならないように、
だから多分先生はちょっと困ってるかもしれないよね、
何も目標もないし、
とにかく日本語に触れるだけでいいんだよってお願いをして、
本当にその先生がすごい楽しんでくださってるっておっしゃってくるってね、
だから今も続けてるんだよね。
その先生オンラインで日本にいらっしゃるの?
そうなの。まだ一度もお会いしてないんだけど、
だから基本的にはね、自分のやる気が出た時でいいかなとは思ったりして、
そんな感じだね。
子育てこんなにいろいろ。
2人目が生まれてからはどうだった?
2人目が生まれた時のお互い3歳と4歳上の子はね、だったわけだけど、
どんな感じだった?
あのね、もう私あんまり詳しいことは覚えてないんだけど、
息子はさ、ほら、そうさんだったから。
そうなの!そうなんですよ。
実は、もうさんが2人目を妊娠してる時と、
2人目が妊娠してる時って、本当に同じ時期で、
出産予定日もすごい近かったの。
すごい近かったのに、ある日スーパーに買い物に行ったら、
私はすごいお腹が大きくて、
24:00
そしたらお腹が小さくなってるもうさんに会って、
え?え?え?って。
あの時のことすごい覚えてますね、まだね。
え?なに?え?って。
覚えてる覚えてる。私もなんか止まってて、
でもそうだよね、もしかしたらね、流産しちゃったかもって思ったりするよね。
え?なに?って。本当にすごい、でも全然悲壮さもなく、
悲壮さがなくて、めちゃくちゃ明るくて、もうさんこのままで。
いやー、一個ちゃーんみたいな感じで。
私も、え?え?え?って。本当それだけで。
覚えてる覚えてる。正面にね、ちょうどね。
そうなの。スーパーでね、お腹が大きいはずのもうさんが、
お腹が小さくなってて、
え?なになになに?みたいな。
で、なんて言ってたの?私はその時に。
いやー、そうなの。あんまり軽くね、
ミヤンも生まれちゃってー、みたいな感じだったんですよ。
で、はー?みたいな。まだね、2ヶ月ぐらい早かったの?
10週間早かったんだよね。
えー?
10週間、そうだよね。あれ5週間早かったの?
わかんない。どれぐらい?でもかなり早かったの。
何十週で生まれるんだっけ?子供って。
39週。40でしょ?
29週で生まれちゃったの。
うーん。
だからすごいちっちゃかったんだよね。
生まれちゃってーって、え?生まれちゃってーって何?みたいな。
でもすごい明るかったねー。
だって軽くなってよかったなーって思ってて。
そうなんですよ。
そう。で、病院にね、だからね、
あのー、5週間ぐらいいたんだよね、彼はね。
それで、その子が帰ってくる時に、
娘はほら、もうベタベタ私たちにしてる感じだったから、
2年ぐらいでしょうか。だからねー、発狂しちゃってね、あの子。
そう。
でね、本当に全然乱暴な子じゃなかったのに、
私とかが息子をこうやって抱いてると、
投げるわけ、何か物を。
あとお友達とか呼んで、お友達とかと遊んでなさいとか言うと、
すごい乱暴になっちゃってね。
私ももうほんとびっくりしちゃって、
だからおっぱいとかをあげるのも借入機にして、
うちのメイドちゃんとかにお願いするとか、
もうコソコソ見えないところに隠れて受入してた。
もうね、ベタベタしてるのを見られちゃダメだったのね、長女に。
だからかわいそうな思いしたけどね、息子にはね、きっと。
でもちっちゃかったからね、どっちを優先するかって言ったら、
やっぱり意識のもうすでにある3歳だった息子。
娘をね、よく見てあげなきゃいけないってすごい思って、
あれはね、今でも覚えてる。
なんかね、プラスチックのね、怪我しそうなものを投げたんだよね。
お友達に向かって、私が息子に抱っこして、
まだこうやってる時に、目を離した隙に、
あ、いけないと思って。
もうあの日から娘を優先にずっとしてきたんだよね。
そうだったんだね。
だからついつい息子のほうは後回しにしてて、
だからちょっとひねくれてるけどね、今。
そういうことあったね、やっぱりね。
そっかそっか。
結局ね、お手伝いさんにしたの子は、
おっぱいの時は私だけれども、
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その後はお手伝いさんにしたの子預けて、
長女と遊ぶみたいなことをよくやってたせいで、
私、長男の子育て、あんまり覚えてないの。
ちっちゃい時のこと。
うちもそう。
幼稚園とかに連れて行くのも、
連れて行ってもらっちゃったりしてたから。
歩ける距離だったんだって。
そうそう、遠距離だったからね。
でも息子が言うよ、やっぱりママはいつもお姉ちゃんとばっかりいたって。
覚えてるみたいで。
だからね、どうしたかっていうと、
娘が手離れてきた、自分でどっか行くとか、
もっと長い時間学校にいるとかになった時に、
ほんとごめんねって言って。
そんなことを覚えてて。
ママはその時は一生懸命だったんだけどって言って、
それを何回も言ってるよね。
今でも言うもん。
そうなんだね。
うちは長男が2歳の時に、
日本に引っ越すことになったから、
日本ではもちろんそんな住み込みのお手伝いさんもいなかったから、
長男は多分そういう物心つく時には、
つくまでは、それまで2歳までは結構ほっとかれてたけど、
そのことは覚えてないね、本人は。
幸せなことだね。
だからやっぱり4、5歳くらいかな。
やっぱりだんだん分かってきた時に、
いつもママはお姉ちゃんとしかいなかったみたいな。
あるみたいね、ちょっとだけね。
でも言葉に出せないし、まだね。
あのね、その頃は。
だけどよく思い出すと、思い出すんじゃない?最近でも。
最近でもそうだよ、だって。
そうなんだね。
2人で一緒にいろいろ行ったりとかするようにはしてるんだけど。
そうだね、いいことだね。
そんな感じで。
そしたら今度ね、次のゲストは、
前回もそうしたんですけど、
今まで出てない人たちの中で、
くじ引きをね、私がして、
そこで当たった人にDMを送らせていただこうかと思うので。
じゃあ、くじ引きで次回のゲストが決まるということで。
楽しいですね、それもね。
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
楽しかった。懐かしい話がね。
懐かしいね。本当はね、ずっとね、
もっと中学の時も高校の時も、
まだまだ積もる話はいっぱいあるけどね。
いっぱいあるけどね。
今子育て中の皆さんに、
もしメッセージがあるとしたら、いいか。
みんなそれぞれ本当にね、
自分の子供なのに、
なんでこんななのっていうことっていっぱいあるし、
うまくいくことなんてほとんどないよね。
あの初めからね。
だから自分も人間だし、
自分も出てきても、
自分のものではないから、
その子の個性とかをね、
一番近くで見てあげられるのは親だから、
見てあげて、楽しんでね。
楽しんでね。
楽しめなかったら、ちょっと誰かにね、
少し時間をね、
もらえるようにお願いをして、
それを恐れないで、そういうことをね、
誰かに頼ったりするのをね、
恐れないで、みんなで育てていくっていう感じにね、
した方がいいから、
自分だけが育てるわけじゃないから、
社会が育てていくもんだから、
そういうのをね、ちょっと思ったりして、
お近所付き合いとかでね、
なんとかしていくとか、
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そういう風にしていったらいいんじゃないかなって思ったりしてます。
どこでもそうです。それは世界中どこにいてもね。
私はやっぱり、
子供のスケジュールを崩すことを
恐れるなって言いたいですね。
赤ちゃんのね、
お昼寝のスケジュールがどうこうこうって、
特に私は3人目の時は、
上の子の習い事とかで、
赤ちゃんのペースなんて100%無視だったんですよ。
そうだよね。
でもそっちの方が伸び伸びしてたりするんだよね。
伸び伸びしてるの。本当にそうなの。
伸び伸びしてて、だから、
ほんと疲れちゃったら、シャワーなんて
3日ぐらい入らなかったら死にはせんし、
たまにはカップラーメンに過ごしちゃったって
いいわけだし、
肩の力抜いて、
自分が楽にいける方向で、
ってことないから、
でもね、周りの大人っていうかね、
経験者の人が、
そういうこともしないの、
いるんだよね、たまに。
だけどね、あなたの子供が
面倒見てるわけではないから、
ほとんど、特に親御さんとか、
義理の親さんが
言ってきたりとか、
する場合もあるらしいから、
そういうのはね、無視して、
大丈夫ですって。
右から左に聞いて流して、
忘れちゃう。
自分のペースでね。
そうですね。
楽しんで、
肩の力抜いて、
頑張っていってくださいって。
多いよね。
今日は本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
楽しかったです。
次回はくじで決まって、
くじ引きをしますので、
ありがとうございました。
では、お聞きいただいて
ありがとうございました。
では、バイバイ。
バイバイ。