1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 077国枝史郎「今昔茶話」
2024-11-12 41:09

077国枝史郎「今昔茶話」

077国枝史郎「今昔茶話」

真珠湾攻撃の年に書かれた文章。もうすぐ戦争が起こりそうなカケラが散らばっています。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。



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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青ドラ文庫から選んでおります。
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さて、今日は国枝史郎さんの今昔茶話というテキストを読もうと思います。
国枝史郎さん、日本の小説家、怪奇、幻想、 端微的な電気小説の書き手、
代表作には神州高潔城があり、因散怪奇、 神秘的色彩の濃いその作品世界が高く評価されたということだそうです。
今日読む今時期茶話ですが、
このいくつかのパートに分かれているんですが、
それはすべて外交という雑誌に寄せて書いたもので、 かなり政治色の強いテキストになっていると思います。
しかもですね、寄せて書いたのが1941年3月から7月にかけてということで、
この年の12月、日本は真珠湾攻撃を仕掛けるということで、 まさに海戦目前のテキストということですね。
しかもね、政治っぽいということで、 少し刺激の強いテキストが並ぶかもしれません。
ちょっとわかんないです。 僕も読んでないんで。
その分ちょっと難しくて、小難しくて、 値落ちには良いのかもしれませんけど。
それでは参ります。
婚弱茶話
1. 風見明さんのこと
全司法大臣風見明閣下とこう書くと、ずいぶんすごいことになって、 僕などが手が届かないことになる。
しかし全大阪朝日新聞記者風見明とこう書くと、 僕と言えども気やすく者が言える。
そこでその頃の風見さんのことを書く。
その頃僕はその大阪朝日新聞社の社会部の記者であった。
その時の同僚といえば、この記事を掲載する外交の社長の竹内和美や、 画家の羽田恒春や、
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今は亡き橋戸元徹や水島仁夫や、 尺氷済などであり、
社会部長は長谷川如瀬官先生であった。 通信部には支那通の羽田の官一がいた。
そして風見さんは社会部でなくて、外報部の副部長角であったような気がする。
さてある日その風見さんが、頭を白い布で巻いて和服姿でぬっと編集室へ入ってきたことがあった。
おい風見どうした? 喧嘩して頭割られたのか?
などとあちこちから悪童どもが声をかけた。 すると風見さんは山抜けが起こって、俺を埋めようとしたって、俺ビクともしないよと言ったような、
よく言えば強胆、素直に言えば壇住室のぼーっとした態度で、 ハゲ頭病、特等病にかかったんだ、と言ってのんびりと椅子へ腰をかけた。
特等病と言えばかなりうるさい病気で、わけても風邪やメンツを気にする性格者にとっては致命的に苦痛の病気のはずなのに。
それにかかった本人が脳本だったので、それを取り巻いた編集室の悪童どもも脳本で。
特等病? ああそうかい。
治る見込みはあるのかい? などと自分の席から対岸の舵でも見るような態度で声をかけた。
時の問題だそうだ。 これがその時の風見さんの返事であった。
時の問題でね。つまりこの病気には2種類あるんだそうだ。 一つは神経性、一つはカビ菌性。
ところで俺のは神経性特等病なのだそうだ。 だからぼーっとしていると治るんだそうだ。
果たしてその後6ヶ月ばかり経つと以前よりももっと濃い厚い髪が生えた。 さてその髪も内閣書記官庁だの、司法大臣だの、
翼山会の三馬役だのといううるさい役目を次々と担任された現在ではどうなっていることやら。
だいぶ白くなったということも聞いているが30年近くもお会いしない僕には真偽のほどはわからない。
2 小林商工大臣の昔。
商工大臣小林一蔵閣下といえば僕など3歩下がってお辞儀をしなければならない。 だからそういう偉い小林さんのことはお預けとしておいて、ざっと30年もの昔
阪神鉄の社長であった頃のことを書く。 その頃僕は大阪朝日新聞の記者をしていて全校に書いたように
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風見明さんなどと一緒に上福島の下宿屋に転がっていた。 その頃のある日小林さんの経営しておられる宝塚の少女歌劇を見に行った。
僕が演芸と文芸等を担任していたからである。 あんな役はその頃の小林さんの秘書
今の東方の銃役吉岡十三郎さんであった。
のんびりした格好でその頃のスターの久萌恵良子の歌舞を見ていると背広姿の個表の人が 吉岡さんに連れられて
国枝先生ですかようこそと言われた。それが小林さんであった。 ここで注意を加えておくがいかに女才のない小林さんといえども
国枝志郎の人間に対して先生という敬語を使われたのではなくて その肩書きの大阪朝日新聞記者に対して使われたのであることは言うまでもない。
これが小林さんとの初対面であった。 その後僕は朝日を辞めて松竹会社の脚本部員となったが、芝居ぬ空気が僕に合わず退社しようとし、小林さんへ
何かいい仕事はありませんかなぁと漠然とした態度で相談すると、 漠然とした態度で何やら返事をされた。
ところが数日経った時小林さんから手紙が来た。 見ると会いたいから来訪するようにとのことであってご丁寧にも阪神電車の切符が
同封してあった。 そこで僕はお尋ねした。
ねえ国枝くん、松竹を出るのは考えものだよ。 松竹は今でも大したものだが将来はもっと大したものになるのだから
わがままを起こさずに辛抱したらどうかね。 これが小林さんの言葉で、つまり小林さんは大多忙の時間を僕のために割いて、
わざわざ僕を戒められたのであった。 小林さんはそれから順々と戒められた。
僕はぼかんとして聞いていた。 そして小林さんの話の切れた時、
私は昨日松竹の方は辞めてしまったんですがね。 と言った。
その通りだったからである。 小林さんはこれには呆れ返ったらしかった。
でも怒りもしないで。 そうかね、辞めてしまったのかね。
それじゃあ浪人だね。では東京へ行った方がいいね。 大阪は浪人に住み心地の良いところではないのだから。
そこへ行くと東京は浪人の吐き溜めのようなもので、 大臣のふるてなんかうざわざいるからね。
と言われた。 その小林さんもとうとう大臣になられた。
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いずれは大臣のふるてになることであろうが、 東京におられるのであるから大臣のふるてになったところで、住み心地は良いにいそういない。
3.白い糸 独と見ろかに外交鬼談という著書がある。
翻訳の短編集であったような気がする。 その中の一つに白い糸をテーマにした物語があった。
何でもある外交官が夜会帰りの街頭の背中に白い糸がついていたのを、 ある婦人が
あなた糸がついておりますよと言って取り捨ててくれた。 さて会場を出てその外交官がモスクワの通りを歩いていくと
この物語の舞台はロシアなのである。 通りを歩いていくと後ろから人が近寄ってきてその外交官を誘うとしたが
おや白い糸がない。 と言って外交官を指すのをやめて立ち去った。
つまり白い糸を街頭につけた外交官を殺せという指令を受けた虚無党員が、 それと目指した外交官を殺そうとしたところ白い糸がなかったので視察せずに立ち去ったというだけの話なのである。
僕がこの物語を読んだのは中学の初年生頃のことであって、 その後繰り返し読んだことはない。
だからおそらく物語の筋も原作とは違っているかもしれない。 白い糸を取り捨てた婦人はあるいは外交官の恋人であったかもしれない。
またその外交官は今の僕には記憶はないが何か重大な使命を持った人物だったかもしれない。
それに第一それだけの筋では探偵小説にはならない。 その外交機団は探偵小説集なのであった。
それにも関わらずこの物語が30年以上も僕の頭につきまとっていて、 何か小説でも書こうとするときっと頭の隅へ浮かんでくる。
なぜだろう。そんなに僕の創作の圏内へ顔を出す物語なら、 その著書をもう一度手に入れて読み返し、もっとはっきりとその筋を掴んだら良いではないか。
ところが幾度となくその外交機団を神田編の古本屋や、 読み世の見切り物の古本屋で見かけるのであるが、買おうともせず読み返そうともしない。
なぜだろう。 主にこれは少年時代に楽しく経験した遊戯や風景や初恋など、
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大人になってからもう一度経験することによって、 幻滅することを恐れるあの心理と似ているのであろう。
さて、これはこれで良いとして、こう書いてきた順序が何か最もらしいことを言って、 この茶話の締めくくりをつけたいものだ。
こんなことを言おう。 外交官などというものは、天下国家に関する重大なことばかりに日夜頭を使っていて、
案外細かいことには不注意らしい。 昔はそれで良かったろう。
しかし国際情勢が複雑回帰になった今日では、それではいけない。 やはり一筋の白い糸にも注意していただいて、
夫人に取り捨ててもらう前に、自分から取り捨ててもらいたい。 まして赤い糸などはね。と。
4.カルタの打ち方 ベルリン会議の始まる前のある夜、
ビスマルクはロシアの最将ゴルチャコフと主敵の夜会を開き、 その席でカルタをした。
ビスマルクとゴルチャコフとはそれ以前から親交があったというのは、 ビスマルクがロシア中東のドイツ大使としてペテルスブルクにいたとき、
ゴルチャコフはそのロシアの最将であり、 皇帝の無二の長臣であり、欧州最大の政治家かつ大外交家として、
国内にありてはアスカを落とすような勢力を持ち、 国外においては政治外交の神様とまで謳われていたところから、
ビスマルクはほとんど支持するような態度でゴルチャコフに接し、 その政治ぶりと外交ぶりとを直の薬かごに取り入れ、
ゴルチャコフもその真摯な若きビスマルクの態度に好感を寄せ、 何かと世話をしてやったからである。
さてそれから長い年月が経ち、今回のベルリン会議が開催されることになり、 ゴルチャコフはロシアを代表して会議に列するためベルリンへ来たのであった。
ベルリン会議とはロシアとトルコ都が戦い、 ステファノ条約によって平和となったところ、
英国がその条約に不安を抱き、抗議を申し入れたのをドイツのビスマルクが仲裁に入り、 その相談をするための会議であって、
これはゴルチャコフやビスマルクのほかオーストリアの最初アンドラシー、 イギリスの最初ジスレーリ、フランスのワジントン、
イタリーのコルチと当時の欧州の堂々たる政治家たちが列することになっていた。 ところでゴルチャコフは昔自分の門下であったビスマルクがこの会議を主催するというので気を良くし、
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十分頑張ることができるものと安心していた。 しかしこの頃のビスマルクはもう昔のビスマルクではなく、ナポレオン三世を屈服させ、
その鉄血外交の手腕を発揮しつつあった時であった。 さて、夜会の席でビスマルクとゴルチャコフはカルタをした。
その時のビスマルクの傍若無尽ぶりはどうだったか。 カルタをいちいち叩きつけて打つ。唾を吐く。鼻を噛む。歯をせせる。
呆然と笑う。相手を併芸する。 足踏みをして喚く。
非社交的の限りを尽したことであった。 ゴルチャコフの驚くまいことか。
変わったなぁとまず思い。 まるでタイラントだと思い。
不愉快から主題に嫌悪となり、やがて恐怖となった。 なぜビスマルクはそんな非社交的の行動をしたのであろう。
それは、 昔は昔、今は今さ。現在の僕は昔ペテルスブルグで君の靴の紐を解いた時代の僕とは違うのだよ。
そのつもりでね。 という意味をあらかじめゴルチャコフに知らせ、その胆を奪ったのであった。
この事前のビスマルクの外交手段が功を奏し、 ベルギン会議ではゴルチャコフは終始意気承知し、ビスマルクに牛耳られた。
その結果、ステファノ条約は破棄され、 ロシアに不利の新条約が締結された。
どうもこれによると、外交官というものは、 カルタ一つずつにも最新の注意をしなければいけないものらしい。
5 十王家 今、シナに関するちょいとした著述をしているので、シナの現在と過去のことを調べている。
戦国時代の七国の公謀が面白い。 戦国の七優、シン、ソ、セイ、エン、カン、ギ、チョウ。
これらの国、うち六国が滅びてシンに平等されたのは、 結局、タテヤコ、十王の説を説いたソシンとチョウギトのためだということになる。
ソシンという男は、最初は連行の策をシンに説いたのであった。 連行の策というのは、シンを頭にして、ソやセイ等の六国をこれに服従せしめて、天下を統一しようという策なのであった。
ところがシンの王がその手に乗らなかったので、ソシンは、それでは合唱の策を講じて、シンをとっちめてやろうと。 ソをはじめとして、六国の王にその策を説いた。
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合唱の策というのは、六国が同盟して、六国の力でソを滅ぼそうという策なのであった。 これは成功して、ソシンは六国同盟の名手となった。
ところがシンがその切り崩しに着手し、これが成功して間もなく合唱は破れ、ソシンは逃げ出した。 その後にまた起こったのが連行の策で、これを成功させたのはソシンの友人のチョウギという男であった。
チョウギは、友人ソシンの合唱策が成功している間は、のんびりと構えてシン王に仕えて、いずれにも仕事をしなかった。
しかし合唱策が破れるや、僕の出場所だと言って、六国を順々に回って連行策を解き、成功させた。
ところがこれも間もなく破れ、六国はシンから離れてバラバラとなった。 面白いのはシンをはじめ、シナの六大強国がそんなように合唱したり連行したりとしたのは、
ソシンとチョウギの弁説一つに関わっていることである。 合唱連行のもとになった偽っぽいですね。
いかにこの二人の弁説が優れていて、いかに各国の王公がそれに厳惑されたか。 ところでこの二人の説の根本をなすものは、孔子や孟子のように、
まず人間個々の身を治め、それから家を治め、然るのちに天下を大平にする、などという有縁なものではなく、
のっけに、そならその王にあい、祖国の得点を持ち上げたり欠点をついたりして、各々の祖国であるから、とても一国だけでは国家を保つことができませんから、
他の国々と同盟したら良いでしょう、と説くのであった。 この二人にとっては個々の人間の道徳問題など問題でなく、国そのものの不況、
その他物質的方面のみが問題だったのである。 だから各国の王には分かりよく、一時的ではあったがその説は行われ、その策は具体化し、
本人たちは最小となり、父母兄弟、妻君、兄嫁等に威張ることができたのである。 これに反して、孝子や孟子などは、個々の人間が本当の人間にならなければ天下国家は治まらない、などと、
あんまり本当のことを説いたため、一生貧乏をして時には我視しようとした。 さてところがである、
曹と張との二人が出て、その柔王の説、 後世の人は二人の説を柔王の説と呼んだ、お古い、六国を指定合掌させたり連行させたりしたため、
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六国は本命に疲れ、互いに疑い合い、とうとう秦のために次々滅ぼされてしまった。 六国を滅ぼしたのは秦ではなくて、成り上がり者のほら吹きの、
殿上家の、 口舌の言うばかりで真理の恥じ者でない祖神と張儀という柔王家だったのである。
6.ウェルスの予言 HGウェルスは現代の英国の文豪というよりも、世界の文豪であることは周知のことであり、
その彼の科学小説が単なる科学小説にとどまらず、 宇宙の未来を予言している予言文学であることも周知のことである。
僕はコナンドウィルの探偵小説とイビセンの儀曲とウェルスの科学小説、 この3つだけは全部読んでいる。
そこでここではウェルスの科学小説のことについて、ほんの瞬間を漏らすことにするが、
彼の「火星人の来襲」の一編を諸君よ、しっかりと肝を締めて読んでみたまえ。
それは現在ドイツが試みて成功を収めつつある火炎砲なるものを、 ウェルスはその「火星人の来襲」という小説において、
二十数年前に百倍、千倍にもして予言しているからである。
その小説の筋のあらましは、一人の火星人が地球へ降りてきて殺人光線放射器を使い、 世界中、地球全部を征服するというのである。
不幸にしてこの火星から地球へ天下った生物は、 地球の気候や温度の研究におろそかだったため、
細菌に食われて死んでしまい、地球征服は不成功に終わったのである。 ここで注意すべきことは、火星人の持ってきたような、あんな発達した殺人光線放射器が発明されたら、
全く一人で地球を征服することができることである。 軍隊も政治家も外交官も必要なくなることである。
ところで今度の欧州戦争で、ドイツ元は火炎砲なる新武器を用いて、ずいぶんすごい効果を上げているらしい。
その火炎砲はもちろん、殺人光線放射器でなくて、 単に強烈の火炎を筒口から放射して、人間や鋼鉄やペトン等を焼きとろかすだけのものであるらしく、
ウェルスが頭脳で想像した火星人の殺人光線放射器とは、 比較すべくもない低い程度の新兵器ではある。
しかし僕の思うところでは、ドイツの科学者はこの火炎砲発明あたりから発足して、 そのうちには恐るべき殺人光線放射器を発明しはしまいかということである。
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全くドイツの火炎砲はウェルスが頭脳の中で想像した殺人光線放射器にかなり似ているのである。
数十年の過去において、飛行機や潜水艦の今日の発達を幾人予想したろうか。
ところが文学方面においては、飛行機や潜水艦の今日の発達をちゃんと予想して、 小説に書いているのである。
フランスのユール・ベルノの著作などはそれであり、 日本の押川春夫の著作も程度こそ幼稚ではあるが、やはりそれである。
文学のあるものは予言の書と言ってよい。 そして文学において予言されたことは、後年クブクリーンまで具体化されている。
ではウェルスの予言小説火星人の来週の中に書かれてある殺人光線放射器がやがて発明されないと誰が言えよう。
7. ゴズメ
ゴズメというのは日本の昔の戦争における専門語であって、 それはAという国がBという国を攻めるとき、CというU法に向かい、
どうぞ兵を出して私たちの軍隊の光栄をしてくださいと申しやる。 よろしいと言ってC国が英国軍を助ける意味で兵を出したとき、その兵をゴズメという。
そのゴズメの兵はただ出兵してぼんやりしているのではなく、 同盟軍の英国兵が不利のときにはもちろん合戦に加わって力戦するのである。
秀吉が高松城を水攻めにしたとき、 薩摩の始末が高松城を救おうとし出兵し、水に遮られてどうにも救うことができなかったが、
しかしこの時の始末の兵はゴズメの兵なのである。 また天子市の高杉城を毛利の兵が攻めたとき、秀吉が高杉城を助けようとして出兵した。
それもゴズメの兵なのである。 ところで現在行われつつある欧州対戦で英国が
「わしらの国が味方をするからドイツと戦いなさい。 大丈夫、勝ちますよ。」と進めて、
ノルウェーだの、ベルギーだの、ポーランドだの、チェックだの、 オランダだの、フランスだの、ユゴだの、ギリシャだの、出兵したのもゴズメの兵なのである。
ただしこれはイギリスの方からそれらの国々へ押し売りをしたゴズメの兵で、 頼まれたから疑狂心で出したゴズメの兵ではない。
だからそれらの国々が負け始めると、そりゃこそとばかり。 マラソン競争のような勇敢さで撤兵し、新しくまたゴズメの兵を押し売りしてその国を地図の上から消し、
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そうしてその都度、いくらかでもドイツの兵と物資等を消耗させようと、 けろけろあたりをねめまわす。
およそ世界に歴史あって以来、 アングロサクソンのゴズメの兵ほど薄気味の悪い、悪質の狡猾な戦略というものはない。
兵こそ出さないが、中継政権におけるイギリスのやり口がゴズメの兵と同じである。 わしらの国がついている。
武器でも食料でも金でもどんどん送る。頑強に好日を続けなさいよ。 と言ってビルマルートを閉じたり開けたり、
カー大使を自動車でマゴマゴさせたり、 香港と中継との空を飛行機を行ったり来させたりする。
ところがこの頃はイギリス本土がドイツのために危なくなったところから、 わしらのほうはもうあかん。そこでアメリカへ肩代わりじゃ。と、
どうやら冷淡の素振りを見せ始めた。 ゴズメの兵をそろそろくりびきに引き出したと同じである。
もっか最大級にイギリスのそのゴズメ戦術に引っかかっているのが米国である。
ドン・キホーテ、アンクル・トムは自由主義というイスラエリズムをお題目にして、 英国がドイツに負けたら同じ自由主義国の我が米国も危ない。
とばかり、今度は米国のほうから英国をゴズメしている。 しかしこれは老海英国がもうゴズメの手で自国防衛ができなくなったので、その手を抑え、
巧みに米国へ肩代わりさせたまででカラクリの意図の操り主は依然として英国なのである。
8.天才 19世紀にはずいぶん優れた外交家が出たが、
そのうちでもオーストラリアのメッテル・ニッヒは分けても傑物であったと思う。
最も愉快に思うことは、彼が15歳の時、ストラスブルグの大学へ入ったところ、 ナポレオンが同じ学校にいて、同じ教師から数学を学んだことである。
その後、長い年が経ってナポレオンはフランスの皇帝となり、 メッテル・ニッヒはオーストリアの忠実大使としてパリに駐在していた。
この頃フランスとオーストリアとは犬と猿のように仲が悪く、 そしてオーストリアはそれ以前ナポレオンによって連載連敗させられていた。
そればかりでなく、ナポレオンはこの頃退去してオーストリアに侵入し、 オーストリアをして城下の誓いをさせようと食わたてていたのであった。
ところでオーストリアの方はどうかというに、そのナポレオンの侵略を食い止める手段として、 当時勃興の都にあったプロシアと同盟しようと策していた。
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ところがそのプロシアとオーストリアとは、それ以前から隣国というところから帰って反目、 失志し合っていた中であった。
そういう国際関係の下中にあって、しかも敵国とも言うべきフランスの首都パリにあって、 外交手段を振るわなければならないのであるから、
メッテルニッヒの位置は極めて困難であったと言わなければならない。 しかるに後世、健忘術術の権下のように言われているメッテルニッヒは、
その高い家柄と優れた教養と稀に見ぬ美貌と短礼な風彩等をもって堂々と振る舞い、 断章の間に折衝し、着々と四国の利益を図りながら、
各国指針の間に斬然当格を表し尊敬の的となった。 フランス外相のタレーランのごときは最も彼を敬重し、何かれと好意を寄せた。
彼の堂々たる、また炎天滑舌たる外交振りは、ざっと次のような有様だったのである。 何問題について彼はナポレオンと差し向かいで話さなければならないことがあった。
そうしてその何問題をナポレオンは容易に解決しようとしなかった。
全欧州が獅子のように恐れはばかる大皇帝と、マキャベリズムの実行者のような33歳の大外交官とは、そこでしばらく沈黙した。
占領役者同士の腹芸なのである。 卒然とメッテルに彼は言った。
陛下はストラスブルグの大学におられた頃から数学の天才として有名でございましたな。 するとナポレオンは目水でも弾き込まれたような顔をして、
そういえば機関もその頃同じ大学にいたように思うが。 座標でございます。ですから私は陛下とは同行の良しみあるものでございます。
皇帝ナポレオンの態度はにわかに15、6歳のいたずら小僧のような昔懐かしい態度に変わり、
さようさよう同行生じゃ。 陛下は数学の天才のほかにもう一つ天才があるというので評判でございました。
何かな? 陛下が父やの娘に親になりました小泉が大変名分だというので、
その時のナポレオンの顔をなぜ当時の旧帝画家はスケッチしておかなかったのであろう。
メッテルに彼は言い続けた。 陛下は数学のほかに文章の天才だという代表版だったのでございます。
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特に夫人にお使わしになる文章が。 もうその辺でよろしい。
難問題は数日後、オーストリアに有利に解決したそうである。 9、裏の事情。
今度の独訴戦争で正式的に思い出されるのはナポレオンのモスクワ遠征だろう。 ナポレオンがモスクワ遠征したのは、すなわちロシアを制伐したのは、
もちろんナポレオンのイギリスに対する封鎖政策にロシアが協力しなかったのが大きな原因であるが、
それ以外に小さないくつかの感情問題があったのである。 そしてそれは女と外交官に関係あることなのである。
第一には、 ナポレオンがコーゴをジョセフィンには漕がないところから、これを離別し、
ロシア皇帝の妹をコーゴとして迎えようとしたところ。 ロ帝アレキサンダー一世は大体承諾したが、交代号が反対して成立せず、
それをナポレオンが心よく思わなかったことである。 第二は、そのロシア交代号が温度取りで国内に配付熱を高め、
中老フランス皇子サヴァリに対し皮肉な陰謙な女性的迫害を加え、 首都ペテルブルク中でとまるに旅館の一室をも対応しないような国遇をしたことである。
ところがこのサヴァリがまた珍しい女性的な愚痴っぽい外交官で、 そういう自分に対する指摘の迫害をいちいち本国へ通知し、それがナポレオンの感情を害した。
その結果、フランス国内にはロシア超スベシの声が徐々に起こった。 これに対して浸通したのが中仏ロシア皇子のクラキンで、
クラキンは本国に向かい、 フランス内のハイ・ロネツを報じ、今においてナポレオンの象徴満の心を砕かなかったならば、 ロシアに対して何をやり出すかわからないと警告した。
そこでアレキサンダー1世はゴーガンの大官チェルニシェフを特派大使としてフランスへ派遣した。 世界征服を心がけているナポレオンとゴーガンのチェルニシェフが会ったのである。
ことごとに折り合わなかったのは当然で、ためにナポレオンのロシアに対する悪感情は倍加した。 このナポレオンの心情を洞察してナポレオンを買って、
ロシア制伐の暴挙をさせようと裏から策動したのがオーストリアの大外交家で、 旧友とも言うべきメッテルニッヒであった。
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彼はこれ以前にナポレオンがロシア鉱脈をめとり損なったとみるや、 ナポレオンにオーストリアの皇女マリア・ルイゼをめとるよう所要し、
オーストリア皇帝に対しても、政策上ルイゼ姫をナポレオンへ人見孤空とすべきよう進言し、 これが成功して欧州第一の名家ハプスブルク家の姫姫はコルシカ島の成り上がり者の俳優となったのである。
後世の英雄ナポレオンもマリアを皇后に迎え一死ラマ王を設けてからは、 我が秀吉が淀組をめかけとし、秀織を設けて以来いささか凡人に帰ったように凡人化し、
マリア皇后の関心を買うためにはどんなことでもやろうという心持ちになっていた。 それへ付け込んだのがメッテルニッヒで、
新皇后のお心を喜ばせるためにも一つ花話しくロシアを叩きつけてなどとたきつけた。 こうして起こったのがロシア遠征でその結果は失敗した。
10 斬新。 剣道において斬新ということは重大のことになっている。
私も少し剣道のことを知っているので斬新のことについて書こう。 そうして斬新は剣道ばかりでなく人生一切のことに有用である。
だから一刻の運命を背負っている外交官などには特に必要なのである。 それで斬新のことを書く。
宮本武蔵が佐々木元竜を木刀で真っ甲を打って倒した。 それからしばらく様子を見ていたが、やがてそろそろと進み元竜の花へ手をかざし、その生死を確かめ。
それから初めて見聞の人々へ一礼し船に乗って立ち去った。 この様子を見てそろそろ進み花へ手をかざし生死を確かめの部分が斬新なのである。
今度は斬新のなかった外交問題について書く。 その一つは、
日清戦争後にロシア、フランス、ドイツの三国が連合して日本に対し、 両党半党を支那へ幹部すべく理不尽の交渉をしてきたのに対し、
日本がねめめに水の如くに驚き、その意に従ったこと。 第二は日露戦争が終了し小村幸が米国でウィッテ相手に講和談判をやっている時、
アメリカの鉄道王ハリマンが日本へやってきて、日本の元老連を解き、 せっかく日本国民が血を流して取った満鉄を買い取ろうとした。
元老連はそれを承知して仮調印をした、このことである。 幸いにこのことはその直後に貴重した小村幸によって覆されたが。
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さて、こう書いてきて斬新とは何ぞやということについて説明しよう。 斬新とは、
一つのことを遂行し、 すなわち武蔵が元老を打殺したことや、日清日露の戦争において日本が勝ったことや、
の後において果たして打殺したか、果たして勝ったのか、と確かめること、これである。 これが斬新である。
しかり、これが斬新の一つである。 もう一つは、打殺したにしても、また勝ったにしても、その後からその反動が来はしまいかと、
よく周囲を見渡して、その反動に対して用心をすること、これである。 しかり、これが斬新の第二である。
我が国民のホープ、日本外交界の志士 松岡さんは、一面大風呂敷を広げながら、他面細心緻密の人として低評がある。
斬新についても特に留意しておられることとは思うが、独装戦争の弱気した今日においては、一層の戒心を煩わしたい。
ただし、斬新のみに心を止めれば臆病となって、革新も新種も不可能のこととなる。
2006年発行 作品者 邦枝志郎歴史小説傑作戦 より読み終わりです。
いろんな人の名前が出てくるけれど、全然わかんないですね。
えらいさんに向かって何かを言っているのはわかっていたかな。
まあ、難しかったので、寝落ちにはよろしかったんじゃないでしょうか。
ということで、今回も長かったな。
といったところで、今日のところはこのへんで、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
41:09

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