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寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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さて、今日は坂口安吾さんの
明日は天気になれという
西日本新聞での連載のエピソードをいくつか読もうと思います。
今日は相撲関連っぽいですね。相撲関連から3つ読みたいと思います。
坂口安吾さんです。
日本の小説家、評論家、随筆家、戦後発表の堕落論、白痴らが評価され、
太宰治と並んで無礼派と呼ばれるということで、
坂口安吾さん自体のテキストは何度か読んでるんですが、
今回は明日は天気になれというエッセイ、
エッセイじゃない、連載シリーズから読み上げたいと思います。
どれぐらいになるかな。
30分いかないくらいですかね。はい、だと思います。
それでは参ります。
明日は天気になれ。
うっちゃり。
相撲というものは、お酒でも飲みながら見物するに適したもので、
愛嬌を楽しむゲームだろうと私は思っている。
無論相撲取り当人の身になれば、真剣な本場所で遊びどころじゃないだろうが、
見物本来の性格は諸次相で、
芝居にしろ文学にしろ、
演者当人は一生懸命であるが、
要するに良き酒の魚になればよろしいものである。
相撲の勝敗は近代スポーツのような合理性がない。
そこが相撲の愛嬌である。
大きな男が狭い土俵から一足出ると負けなのだから、
幼稚園以下の遊びである。
それを寄り抜きの大男が技を練り、
行を凝らしてやるところにますます愛嬌があろうというものだ。
勝敗判定のルールも子供並みで、
立派に相手を寄り倒しても、
足の指先が土俵からちょいと出たために負けたりする。
これを勇み足という。
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可愛い名だ。
何々山勇み足で負け、という。
慣れ慰めているようなところが、
がんぜない子供をあやしているようで面白い。
野球のような近代スポーツでも、
子球をくらったのに、
それがバットをこすったりするとアウトになる。
痛い思いをしてアウトになっては、
ましゃくに合わない話だけれども、
だいたいスポーツはご愛嬌で、
そう合理的にいくものではない。
相撲は特別ご愛嬌である。
相撲の愛嬌のうちでも、
私が一番好きなのは、
うっちゃりという手である。
これぐらい勝敗判定の網路をたる基準は滅多にない。
実際の組打ちの場合、
あれからどっちが勝つだろうかと考える。
ボクシングでもレスリングでも柔道でも、
一応決まったところで勝敗がつく。
実際の組打ちとして、
とことん勝敗はわからないかもしれんが、
一応は決まりがついている。
うっちゃりはそうじゃないな。
誰の目にも勝敗はこれからという出発点である。
あれから上になり下になりして、
一勝負始まろうというスタートで勝負が終わりを告げてしまう。
いかにも子供並みで面白い。
しかし実際の組打ちの場合に、
下へ落ちてからどっちの体勢が有利なのだろうか。
土俵という限定があって生じてくる現象なのだから、
実際の組打ちに当てはめて、
後を考えるのは間違いかもしれないが、
うっちゃり決まって、という。
うっちゃりにも相撲上では決まりがあるところが、
私ははなはだ面白いと思う。
土俵という限定があって、
うっちゃりという手がある以上、
難しい術を尽くして積極的に技をかけるよりも、
安直にうっちゃって勝った方が楽のようだ。
わざと寄らせてうっちゃる。
うっちゃり専門という力士が現れると、
不運を巻き起こすだろうと考えるが、
どういうものだろうか。
昔は引き分け専門の力士もいたし、
足癖の名人、釣り専門、
より身の名人といろいろあったが、
うっちゃりの名人というのは効かない名人だ。
うっちゃりも勝ちのうちだから、
わざと寄らせてうっちゃる名人が現れると、
オチオチ寄れなくて面白かろう。
うっちゃりって投げるやつですよね。
えいってね。
よりの峰。
うっちゃりの阿部小部のよりでは、
峰山が現役中の専門家である。
彼は相手を土俵から寄り出すことしか考えていない。
相撲は土俵という制限の中の競技であるから、
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当然こういう専門の狙いを持った力士が
現れてよろしいわけだ。
したがって、うっちゃり専門の力士が現れても
よろしいわけなのである。
峰山は立った瞬間に寄っている。
そのまま一気に寄り切れば勝つが、
途中で食い止められると95%負けてしまう。
2、3年前までは100%負けた。
峰山は私と友達の唯一の力士である。
私の家では峰山の取り組みをラジオで聞いているとき、
立ち上がりました、立ち上がりました!
と言った途端、1、2秒でワーッと観衆の声が聞こえると、
峰山が勝ったよと言い合って、みんなでにやりと顔を見合わせる。
立ち上がって2、3秒、5秒ぐらい過ぎても勝負が決まらないと、
娘が、ラジオ止めましょうか、と言う。
私はややスケベ根性を起こして、
ま、待て待て待て、と言うが、
10秒たって勝負が決まらなければ、もう待つことはない。
ラジオ止めちまえ、ということになってしまう。
彼の勝つときは大概1、2秒の相撲である。
つまり立ち上がった途端寄り切ってしまう。
食い止められると95%負ける。
なぜなら彼は非力だからである。
彼は身長は私と同じくらい、6寸5分ぐらいある。
しかし骨格は私の方がしっかりしているかもしれない。
しかも彼は鼻肌しく太っている。
つまり鼻肌弱々しい骨格の上に、
人の何倍もある肉をつけているだけなのだ。
だから力がないのである。
ただ、体重の重さを聞かせて夜一手である。
その代わり相撲を取りになって以来、
他の何事も考えずに寄りの一手にぶち込んできた。
友江方という彼の師匠が選んで教えた一手なのである。
むろん相手の力士は
峰山が寄りの一手で出てくることを100も承知で、
その用心繊維に心がけているところへ
あくまで寄って出るのだから。
十数年この一手で磨き上げた寄りとはいえ楽じゃない。
たまには投げて勝ってみせろよ。
酔っ払った私がついむごいことを言うと
峰山はしょんぼりして
巡業中その稽古をしていますが
と口ごもる。
稽古は熱心だが非力だから無理なのだ。
太り方が異常なのだ。
もう五貫太りたい。
二十七八貫の頃そう言っていた。
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重さで寄る以外に手がないからだ。
昨年から急に四十何貫になってしまった。
今度は太りすぎだ。
あの弱い骨格では支えるにも楽じゃない。
しかし全然非力で
五秒以内に寄り切れば勝ち。
食い止められれば負けという峰山は
私の一番好きな力士である。
川津賭け。
相撲四十八手のうちに
川津賭けというのがある。
川津三郎が
又野と相撲を取って勝った手だと言われている。
講談本によると
返り気の又野が川津を釣り上げて
今や大地へ叩きつけんばかり
勝敗定まったりと思う時に
釣られた川津が
片手を又野の首に巻き
片足を絡んで力を込めると
又野の膝が折れて
図伝道塔
仰向けに倒れたということになっている。
四十八手の川津賭けが
こういうのかどうか私は知らない。
私が見た本場所で
川津賭けで決まった勝負を見たこともない。
私は伊東温泉に住んでいた時
ゆかりの土地であるから
蘇我物語を気の向くまま
足で調べてみたりしたが
当時の地名は
概ね今も残っていて
人名地名の煩わしい本であるが
その土地で読むと楽しんで読める。
しかし蘇我物語の原本には
川津賭けに相当する手が現れていない。
川津と又野の相撲の下りは
国名の描写があって
両者の身長や姿形まで描かれているが
口談本と違って
川津は楽々と勝っている。
一度は両手を押さえて膝をつかせ
二度目は目よりも高く差し上げて
片手で投げ飛ばしたことになっている。
足を絡む手は現れていないのである。
川津が又野と組んでみると
余儀に反して又野の力はたいそう弱い。
しかし日本一の名の高い又野を
手酷くまかしては気の毒と
両手を押さえて膝をつかせる。
すると又野は今のは木の根につまずいたのだ。
それここに木の根があると
血を指し示して取り直しを求める。
描写が細かくて面白い。
この相撲を取った奥野の狩りの帰り道に
川津三郎は殺される。
川津の子供の祖が五郎十郎の仇討ちが
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そこから始まるのである。
川津三郎の墓はようやく大正の頃
伊東の兵山というところに発見された。
兵山の外れ、
くすみ神社と差を対して
万林寺という寺があって
その裏山の谷部の中に墓がある。
今でも近所の子供に道を聞いても知らない。
幅一尺ぐらいの道と
谷部の区別のつかないようなのを上るのである。
その道は自然の岩肌に
ギザギザをつけて滑り止めにした道で
そのギザギザも真滅し
道と谷部の区別も定かでない。
川津の首を三畳に埋めたときから
変わりのない道のようであった。
誰のものともわからなかった墓石の下を掘ったら
守兵が出てきて
それが川津三郎の守兵であることを物語る品々が
出てきたのだそうだ。
近年のことである。
その墓は谷を隔てて
父伊東助地下の墓と相対している。
この平山からは昔二つの守兵が出たことがあって
五郎十郎の守兵だと伝えられているが
その証拠はない。
川津崖の豪傑は数百年間
今に至っても小鳥の他に
大人うものがないような谷部の中に
死人のような孤独の姿を
損しているのであるが
思えば当時は腕力が死であった時代かもしれぬ。
今またしかり西武劇かね。
乱世の抜け穴
相撲の手料理を総称して
ちゃんこ料理と言っている。
他のスポーツマンが減量に骨を折るのに
相撲ばかりは太るために大骨を折るから
三段目ぐらいまでは
兄弟試練の食事の支度を
相撲と同じぐらい忙しくために
彼らは一様に美食家であるばかりでなく
一様の料理人でもある。
特に彼らのちゃんこ鍋というものは有名であるが
厳密にちゃんこ鍋という特定の料理が
あるわけではない。
獣肉、魚肉、野菜類
好みのまま一食単に煮て
酒としてポン酢で食べる。
食べ上げると雑炊にする。
内容の問題ではなく
相撲の食う鍋はみんなちゃんこ鍋である。
中に最も手の込んだものを
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ソップ炊きと言って
一日がかりで甘辛の味のついたソップを作り
これに獣、魚、野菜をぶち込んで食う。
ソップはスープのこと。
また相撲社会では
獣骨、ガラをソップと言い
痩せた相撲鳥をソップと言う。
太ったのはあんこである。
ソップ型、あんこ型と言う。
ソップ炊きだけが手が込んでいるせいか
世間ではこれだけをちゃんこ鍋と言っているけれども
相撲鳥は彼らの日常の鍋料理を
全部ちゃんこ鍋と言っており
面倒な流儀などはないのである。
首として九州博多の水炊きや
フグチリの系統だと思えば間違いない。
戦争中松浦型や
豊島が消失した空襲に
顔と手をやられて廃業した
新井川という相撲鳥がある。
六尺の大男で善と有望と言われていたが
重量で廃業せざるを得なくなって
日本橋で料理屋を始めた。
終戦後の食料難の頃
私はこの相撲鳥のおかげでうまいものが食えた。
なぜなら彼は驚くべき特権階級だったからである。
戦争中に廃業したのだが
八つ目、終戦後も五年間ぐらいちょんまげを落とさなかった。
このちょんまげが大変な特権なのである。
ちょんまげをつけた六尺の大男が買い出しに行くと
農家の人たちは
お相撲さんか。やれ気の毒なと言って
米だけでなく鳥でも卵でも
安値でじゃんじゃん売ってくれる。
米の大袋を背負い
両手に十羽の鳥をぶら下げて
大道せましと歩いても
やあお相撲さんか。
腹が減るだろうと
おもわりさんが全然かわいがってくれるのである。
だから八つ目は
ちょんまげに足を向けて寝られません。
と言って五年間まげを落とさなかった。
無理しても足はまげに向きっこない。
乗り物団の頃に
遠いところから一とだるお小学生が
弁当箱をぶら下げているように運んできてくれるので
私もたいそう助かった。
乱世にはこういう友達を持つに限る。
また乱世になったら
頭体の大きな人は
早速髪の毛を伸ばし
ちょんまげを言う心構えをお持ちなさい。
食料なんの心配はない。
私が乱世に実験した最もユーモラスな抜け穴は
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新川関のちょんまげであった。
1999年発行
ちくま書房
坂口安吾全集13
より一部読み終わりです。
はい、ということで
お相撲さんの話3つでしたね。
いつか見てみたいものですね。
お相撲ね。
少しずつ、周りね
お相撲好きが少しいるんでね。
少しずつ、少しずつ
ルールがわかってきました。
奇数好きに場所がある。
っていうことが最近わかってきました。
あと東京と交互にやっている。
っていうのもわかってきました。
でもなー、時間が早いんだよなー。
ねー、夕方5時ぐらい、5時とか6時とかに終わるでしょ。
ってことはそれより先に乗り込んで
いっぱいやりながらでしょ。
絶対もう金持ちの道楽ですよね。
悪せく働いている庶民にはまだまだ手の届かない遊びです。
いつか行きたいものですが。
それでは今日のところはこの辺で
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。