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にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に、様々な話をしています。
今回のタイトルは、「理解を放棄して読書する。」というものです。
月曜日は、自宅の本棚にある本について話しています。
家の中にはかなりの本の量があると思っていますが、その中には結構な量の読んでいない本があります。
読んでいない理由はいろいろあります。
読んでみたいと思って入手したけれど、興味がなくなってしまったとか、
読みかけたけどいまいち乗れなくてそのままになってしまったとか、
なんとなく義務感で手に入れたもの、などですね。
それで読まずに置いてあるわけですけど、本好きたるもの、そういうことではいけないと思うのです。
好きな本しか読まないというのは、本好きとか読書家とか名乗ってはいけないのではないか、
と、このような問題意識を持つべきであろうと思っているのであります。
どこかの政治家みたいな言い回しをあえてしましたが、
実際は読まない本があるというのは悔しいというのが本音です。
で、たまにやってみることがあります。
それが今回タイトルにした、理解を放棄して読書するということです。
本を開いて文字を追うことに専念する感じでしょうか。
一行一行目を走らせるだけです。
そんなの読書じゃないとか、意味がないという方も多いでしょう。
でも、僕はこれも読書の一つの方法だと思うんです。
なぜかというと、こうやって目を走らせただけでも、どういうわけか頭に残るものがあるからです。
ただ、これはかなり根気が必要です。
そりゃそうですよね。
穴を掘って埋めるみたいな、まるで意義を感じないことをずっと続けるのは苦行みたいなものですからね。
それでも意味があると思うのは、即読法を学んだからだと思います。
即読には、まず読めていると強く信じて読むというやり方もあるからです。
そんなスピリチュアルなアプローチは変だという人もいるでしょう。
別にスピリチュアルじゃないのですが、これはやってみないとわからないかもしれません。
そうやって案外読めてしまうという効果の他に、
よし、苦行のように読むぞと決めて本棚を眺めてみると、案外そういう本はないということに気づいたりするという逆説的な効果もあります。
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結局何が言いたいかというと、この世に読めない本などない、という本好きの教授みたいなものになります。
やっぱり理解を放棄して淡々とページをめくり続けるのも読書なんですよ。
本当の本好きならわかりますよね。読まれない本があってはならないということを。
まあそんなことを、昨日図書館戦争The Last Missionを見ながら考えたのでした。
道場教官はやっぱり岡田くんですよね。
読書と編集では、ITを特別なものではなく、常識的なリテラシーとして広める活動をしています。
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今日もワクワクする日でありますように。
千葉直樹でした。ではまた。