対決の導入
こんにちは、なっちゃのです。今日はですね、ちょっとうまく喋る自信がないんですけど、
真面目な、すごい義理堅い、真面目な男の人と、太々しいホラ吹きな策士の決戦の行方は、ということで喋っていきたいと思うんですけど、
どうでしょう?この2人の男の人なんですけど、この2人の男の人を、私なら断然、断然、
まあね、真面目な義理堅い男の人を応援したくなりますが、なんか勝ちそうなのは、決戦したら勝ちそうなのは、太々しいホラ吹きの方っぽくないですか、っていうことなんですけど、ちょっとその話をしまいます。
で、この真面目な義理堅い男っていうのは、関ヶ原の戦いで有名な石田三成の話です。
で、この一方で太々しいホラ吹きの策士っていうのは、徳川家康の話ですね。
で、結構この関ヶ原の戦いっていうのは、どうなんでしょう?石田三成に割と同情的に描かれることが多いと思うので、どっちかというと三成目線で語られることっていうのが結構多いと思うんですよね。
で、まあだから、家康の方が悪者に見えるっていうことは大なり小なりあると思うんですけど、それでもやっぱり家康はあの時相当ふてぶてしたかったんだと思うんですよね。
あの状況はですね、この関ヶ原の時の状況っていうのは、まず織田信長が本能寺で焼け殺された後に、豊臣秀吉が台頭してきますね。
で、この豊臣秀吉っていうのは漢博になって、漢博になった後、漢博を老いっ子の豊臣秀次っていう人に譲るんですね。
で、譲った後に、漢博のこの上の位っていうかに、会長職みたいな感じで大公と名乗るんですね。
だから全国の米のマスを統一したのは大公賢治とかって呼ばれたりしますよね。
きちんとどれぐらいの収穫量があるのか、自治体ごとにマスが小さかったり大きかったりとかして、数字が出ていてもそれが正確じゃなかったので、それを統一しようとしたのは豊臣秀吉大公さんっていうことなんですね。
で、秀吉はですね、大体の人、9割ぐらいの大名たちは秀吉に従うっていうことになったんですけど、やっぱり1割ぐらい秀吉なんかクソくらいつって、従わない大名とかも出てくるわけですね。
それの代表なのが小田原城の北条氏なんですけど、だからこの北条氏がなかなか従わないんですけど、
ただ北条といえば小田原を中心に関東の覇者だったわけなんですね。
だから相当な大大大大名なんですけど、まだ秀吉に従わなかった北条っていうのは4代目なんですね。
1代目の北条宗運っていう人がこの北条の時代を築いていって、相当拡大に拡大を広げて4代目にまで上るんですけど、ここでかなり力をつけた北条も秀吉に従わなかったことによって、
もうこの関東をぐるっと周り、海まで含めて包囲されて、小田原城が落ちるということになってしまうんですね。
北条家滅亡ですね、ここで北条家が終わってしまうんですよ。この大大大名が安定、例えばどうでしょう、パロソニックが潰れるみたいな、そういう感じですかね、だと思うんです。
秀吉に逆らったら痛い目に遭うぞっていうことがよくわかって、この元々伊達正宗って仙台の方で有名、仙台というかあの辺で仙台の青葉城とか有名な武将がいますけど、
この伊達正宗も秀吉に従わなかった一人で、小田原城攻めを見て、本当は北条氏、この小田原城の北条氏に加勢をして、北条伊達正宗軍と豊臣軍という感じで戦う構図になるはずだったんですけど、寝返ったんですね、これは自分も殺されると思って北条が一人ぼっちになっちゃったんですよ。
思いしたかということで、相当起こりはしたものの伊達正宗は秀吉に代われて武将の臣下になるということで、そうこうあって、秀吉って天下統一をしたのって徳川家康のみ、だから小田信長も秀吉も惜しかったって思われてる方結構多いなっていう印象なんですけど、
そうじゃないんですね、秀吉っていうのは一回天下統一してるんですよ、日本国内は。天下統一してるんですけど、これまたね、すっごい秀吉って豪欲で、朝鮮の方まで治めないと天下統一とは言えないみたいになっちゃったんですよ。
この隣国の脅威まできちんと治めなければ、天下大平、天下統一とは言えないと、本当に戦が起こらない世の中にできたとは言えないということで、これはね、朝鮮まで手に入れようとしてしまったところ、ここが外れてしまって、朝鮮には第一次出兵、第二次出兵っていうのがあるんですけど、
この第二次出兵中に秀吉はもう相当な体にガタが来た状態で、結構失禁もしていたとも言われますし、相当な状態で亡くなったということなんですね。
家康の無本
秀吉にはですね、茶々という側室がいます。この人結構有名だと思うんですけど、この茶々っていうのは、父も母も秀吉に殺されたようなものっていう人で、なかなか不幸な女性の象徴として書かれるんじゃないかなと思うんですけど、
秀吉は相当な女好きであったのにも関わらず、60歳まで子供がいなかったんですね。しかし、この茶々が側室になったことによって、第一死も受けました。この子が3歳ぐらいで亡くなっちゃうんですね。
第二死、これが豊臣家最後の武将である秀吉っていう着難がいるんですね。これが60歳とか60歳過ぎて秀吉が生まれているもので、事実上の後継者にはなり得ないわけですよ。
4、5歳の子供がこんな小難しい、やれ何の戦争だとか、政治的な話っていうのは全くできませんよねっていうことで、ここで力をつけてくるのがこの後退郎、後武将っていう人たちがいて、どうでしょう。
わかりやすく言ったら後退郎は社長陣で、例えばトヨタの社長と、今この例として日本の売上高のランキングを見てるんですけど、全国1位がトヨタ、2位がホンダ、3位が三菱商事、4位が伊東中央、5位がエネオスみたいに出てくるんですけど、
例えばイエスはナンバーワンなので、徳川イエスがトヨタの社長を、その次に前田利恵がホンダで、というふうに5人有力武将が政治の要になっていくっていうことになるわけですね。
それだけでは偉い人たちに世の中を乗っ取られてしまうかもしれないから、見張り役みたいな形で腕利き社員みたいな人たちがいて、その代表が石田三成なんですね。
この石田三成っていうのは、秀吉にすごい小さい頃から仕えている人で、相当優秀な、どうでしょう、この豊臣政権でいうところの、やっぱり社長は秀吉なんで、どうでしょう、取締役とかそういう感じの人なんですよね。執行役員とか、常務とか。
ただ社長ではないんですね。社長ではないから、イエスと同じ舞台には立てないんですよ。だからこの五大老、五武将っていう、この10人の合議で秀吉亡き、あと秀吉、この息子の秀吉が成人するまでは、この10人の合議でいろんなことを進めていきましょうっていうことになるわけなんですが、秀吉はですね、生前いろんなこの一つにまとめ上げた
日本国っていうもとで、勝手にまた癒やしい気持ちを持って秀吉の首を取ってやろうだとかなんだとかっていうことにならないために、いろんなルールを作っていたんです。
例えば、いろんなものがあるんですけど、代表を2つ挙げると、一つは勝手に成略結婚をしないということですね。あそこの家とお近づきになりたいから、この娘を送って、家同士の仲を良くしようとかっていうふうに考えたりしてはいけないというか、勝手に成略結婚をしてはいけない。
成略結婚する場合には秀吉の許可が必要なんだということですね。その2、勝手に戦争を起こしてはいけないということですね。だからこういうのを起こした暁には、無本物ということで、どんなにそこの力が強くても1対10ぐらいの形で、もうわーっと無本物の追求としてことが荒立ってしまうので、
なかなかその状況下で、無謀な無本を起こすわけにはいかないというのが普通の人の考えなわけなんですよね。そこを堂々と破ってくるのが徳川家康ということで、ここで相当な荒波が立ってきますということで、ちょっと1回で喋り終えるはずが、いろんなことで全く咳が腹に行き着きませんでした。
ちょっとこれはまた別の機会でお話ししようと思いますということで、今日はこの辺でご静聴ありがとうございました。さようなら。