2025-02-01 08:47

129 授業力というものはどうやって測るモノなのでしょう!?

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先日Xでつぶやいたのですが・・・モヤモヤするので語ります。

#国語教育 #授業力 #学力 

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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、ゆるっと配信しています。
今日のタイトルは、授業力というものはどうやって測るモノなのでしょう!?というタイトルですけど、
毎日毎日授業やってるんだけど、一体どういう状態が授業が上手くて、どういう状態がまだ発展途上なのかということは、私にもはっきりわかっていません。
というのも、概要欄に貼ったんですけど、Xでちょっとつぶやいたんですね。
今年は高校2年生の特訓のクラスを持たせていただくことになりまして、この特別進学コースの生徒だから、ある程度学力が高くて、勉強に対して前向きで非常に熱心に取り組む生徒が多くて、私は本当に助かっています。
はっきり言って、このポッドキャストを聞いている生徒もいるんじゃないかと思うんですけど、はっきり言って、この子たちは自立した学習者になっている子がとても多くて、読んだらちゃんと理解するし、やれって言われたことはちゃんとやるし、
それは中には適当にやることか、上手に力を抜くことがいますよ。いますけど、もう大体大枠として、読んだり書いたり聞いたり話したりということがある程度できる生徒なので、私も自分で考えた単元構想、これをよくわからないままぶつけてもちゃんと返ってくるっていう、そういう力量の高い生徒たちが特訓のだけ揃っているわけですよね。
私もあんまりそういう状態のクラスをたくさん持っているっていう、そういう状態じゃないんだけど、大体いろんなクラス、いろんな力の幅のあるクラスをよく持つっていう経験が長い方なんだけれど、やるたびにこっちが狙ったことがこんなにスムーズにいっていいんだろうかって思っちゃいます。
今年なんかいきなり私がパーッと教科端でいってみんなびっくりしたんじゃないかと思うんだけど、こういうふうなことやりますって言ってもうしくしくとやってるし、これやってくださいって言ったら2、3質問があるけど文脈を理解してやるし、特にパフォーマンス課題はみんなびっくりしてからえーとか思ったかもしれないんですよね。
例えば、一六百字のレポートを書こうとか、何々の立場になってこれを書こうとか、結構パフォーマンス課題を投げるんですけど、結構無茶振りでもすごくやってくれるし、こっちが予想した通りの答えが返ってきたり、あるいは予想以上のことを書いたり、私が想定していた以外の範囲から書いてきたり、もういろいろな熱心に取り組んだ跡が伺えて、
とても私も手応えを感じるんですね、この授業はね。でもね、同じような熱量と同じような手間暇労力をかけて、進路多様校の生徒に教材研究して、単元学習して、パフォーマンス課題を与えてって本当に練り練って与えるんだけれど、一生懸命頑張るんだけれど、返ってきたものはね、こっちが想定していたよりも、うーん、まだまだ深まってないなーっていうものがどうしてもね、
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多いんですよね。多分、その子たちはそれが精一杯の力で、精一杯書いていると思うんです。その子たちにしたらすごく成長していると思うんだけど、どうしても優劣っていうふうなことを考えると、ここら辺まで行ってほしいって思っちゃって、
単元企画するもんだから、そこまで行くクラスと、それから今回の特別進学コースのように、狙い通りか、狙い以上のものが思いのほか出てしまうっていう、そういう状態を数多く経験してきました。
もう一体ね、自分の力量ってどこにあるのかって、いつも思いますね。授業をする先生っていう人の力量ってどこで測るんだろうって思っちゃいます。
生徒にね、アンケートとか取らせても、はっきり言って生徒の方に授業を分析するというか、授業を観察したり、授業をしっかり捉えて分析したり、改善点を出したりっていうのは、教科教育の学力があるっていうふうに私は思えなくて、どうしても自分たち目線で、
例えばしんどい課題だったら嫌だとか、面白かったら面白いとか、そういった生徒目線の評価であって、学習指導計画の目標に照らし合わせて自分たちの学びはどうだったかっていうようなことは書いてこないと思うんですよね。
だから生徒のアンケートっていうのも、それは生徒目線のアンケートで、決して指導からどうなのかっていうのは参考にはなるけれど、そこらの評価の目線が全然違うっていうことになるので、生徒のアンケートとっても授業力が測れているとは言い難いものがあると思いますね。
そんな中で、そもそも授業の力量というものを客観的に測れる指標っていうのはないんじゃないかと。そんなふうに思ったり、生徒に優劣をつけるように先生にも優劣をつけるっていうこと自体がとても良くないことなんじゃないか。
そういうふうに思ったりとかして、果てしなく難しい答えのない問いについて考える羽目になりました。
皆さんどう思われますか。自分の授業っていうものの評価っていうのはどう思われますか。
例えばですね、いろいろなイベントとか、それからいろんな模擬授業とか、そういったところに登壇される先生は、例えば国立大附属の先生とかね、それから東大を何人も排出されている学校の先生とかね、そういった人に評価がとても多かったりするじゃないですか。
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どうしてもネーム割りもあったり、それからずっとそういうレベルの高い生徒を指導し続けたっていうことで、その先生自身もある程度力量があるということを社会的にも認定されて、それでそういうお仕事が来るんだろうと思うんだけれど、その先生が果たして私がずっと体験してきたような、とても難しい状況の学ぶということに向き合えてもない。
学びを諦めてすらある生徒に、学ぶということに向き合わせるための授業をできるんだろうかって、ちょっと批判的なものの言い方になってしまいましたけど、そこすごく疑問ですね。
というのも前任校で、私の前任の方が、ずっと進学校にいらっしゃったんだと思うんだけど、シラバスも進学校っぽいシラバスで、なかなか生徒の興味関心喚起できるような並びではなかったりなんかしてびっくりしたんだけど、その先生が一体この生徒たちに私は何ができるんだ、教えてほしいみたいなことをかっこおっしゃってたっていう話を聞いて、
やっぱりある程度力量の高い生徒ばかり相手にしていると、そういうところが難しくなるだろうし、私みたいにずっとしんどいところばかり行くと、そういう極めて力量の高い学力のある生徒を教えるということに慣れていないという状況もあったりすると、
じゃあどういうことなのかなって語りながら考えているわけですけど、結局、自分が望んで力量のある程度学力の高い現場に行けるとも限らないし、自分が望んで厳しい教育実態というところに行けるということでもないし、こればかりは生徒実態というのは巡り巡ってきた縁ですよね。
その縁の中で、自分がどれほど精一杯やりきれるかっていうところが勝負になってくるのかなって思いました。
有名なドラッガーという人が、未来を確実なものにするのは、今を一生懸命生きるしかないっていうことをおっしゃっていたわけですけれど、多分そうなんだと思います。
先生の力が高いとか低いとかじゃなくて、今この現実目の前にいる生徒たちに、どれほど一生懸命やっているかっていうことが先生の価値なのかなっていうふうに、このポッドキャストでしゃべり始めて思い至りました。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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