00:06
こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
今回も世界一周の船旅にお付き合いいただき、ありがとうございます。
大変遅くなってしまって、申し訳ございません。
それでは、今日は7月11日、出港から71日目の日をお伝えいたします。
船は、花、咲き乱れるアゾレス諸島のポンタデルガータを出港し、大西洋を8日間かけて横断しました。
船内イベントもそろそろ飽きてきた頃、私が世界一周の気候地の中でも楽しみにしていたキューバの首都、ハバナが近づいてきました。
ハバナへの上陸を盛り上げるため、船内では連日、ルンバ、マンボ、チャチャチャ、サルサのダンス教室が開かれ、船内コンテストが開催されたり、
上陸前夜には夜中にブエーナシスターソシエールクラブが上映されました。
私も見に行き、未知の国、ハバナのイメージを深めていった。
深夜だったこともあり、はっきり言って内容はよく覚えていないけれど、その雰囲気、音楽はよく覚えています。
太陽はヨーロッパと違い、朝からギラギラと猛烈な光と熱を鉄筋に届けてくれて、
深いコバルトブルーのきらめく海はイヤガオウでも久しぶりの気候地、ラテンの島国への期待が高まる。
私はこのキューバでは下船の前にボランティア活動に参加をしていた。
ピースボートでは世界各地の気候地でのボランティア活動をしていて、参加者は参加をできるものもあります。
私も一度は体験してみようと思い、UPAという船内ボランティアサークルに参加することにしました。
ベトナム・キューバ・エルサルバトルで支援物資を船から下ろすという作業だ。
ピースボートのNGO団体としての面も知りたかったし、実際、援助物資を運んだり下ろしたりするということがどのようなものか知ってみたかったのだ。
タオルを持って友達と一緒に、カーデッキという車や貨物を搬出入するような船の貨宝、大きな出入口へ向かいます。
ここは初めて空いているのを見た。
カーデッキに入るというのも実は密かな目的の一つだった。
カーデッキはとにかく暗くて暑い、まさに倉庫。
思ったほど広くはなく、私たちがいる部分よりさらに奥まで奥まで広がっていた。
03:02
扉をくぐると目の前にダンボールの山々。
向こうには自転車が山となって積まれている。
ボランティアスタッフとしてずっとUPA活動をしている通称ボラスタたちの指示に従い、
まずはダンボールの山を崩して、キューバで下ろす分とエルサルバトルの分を仕分けする。
私はエルサルバトルの分のダンボール運びと手取り仕作業を手伝った。
手取り仕作業というのはそのまま、残っているダンボールをうまく組み合わせて片付けるという作業のこと。
今回の作業には予想外にたくさんの人がボランティア参加希望を出したようで、
人が余るかもということも言われていた。
毛布122箱、楽器、野球グッズ、本、算数セット、家電、自転車50台、その他にもたくさんの物資を運んだ。
大きい箱、小さい箱、重いもの、軽いものを2人一組になってバケツリレー方式でカーデッキの前方へ下ろしやすいようにと運んでいく。
ボランティア志願者が多かったので、作業は1時半、1時間ほどで終わり、一度キャビンへ戻る。
パスポートの返却に行った後、キューバ・ハバナコーの入港シーンを見るためにデッキへ上がった。
ハバナコーは細くなった入口から入って、広い入れ屋が広がったフラスコ型の港だ。
入り口から入って、入り口から入って、入り口から入って、入り口から入って、入り口から入って、入り口から入って、入り口から入って、
入り口には左手に美しい白い灯台を持つカスティジャ要塞をいただく世界遺産、モロ城が建っている。
青い海、きらめく太陽と熱い風、白い建物、それらがゆっくりと目の前を横切っていく。
ハバナには要塞が多く、スペイン植民地時代の名残を残す建物が旧市街をはじめ多く残る。
ハバナのキリスト像の白く輝く姿がゆっくりと後方へ流れていくのを見ながら、我らがオリビア号はゆっくりと港に着岸した。
明るい太陽は船が止まるとともに急に力を増したようだ。じりじりとデッキを肌を焼いていくのがわかる。
風は乾いているけれど、久しぶりの暑い暑い気候地。
港からも海岸沿いに伸びる車道、そして高い椰子の木、古いカラフルな色のアパート、それらが連なる街並みが見て取れる。
どこからともなく賑やかなラテンのリズムが聞こえてくる。
11時に着岸、12時に仕分けをした支援物資の荷卸があったので早めに船内でランチを済ます。
06:04
船内放送で荷卸ボランティア集合のお知らせを聞き、準備をして向かう。
先ほど仕分けをし、カーデッキ前方へ集めた荷物を今度は船の外へ運び出すという作業だ。
カーデッキの横の部分がフェリーの出入り口のようにゴゴゴゴゴゴと音を立てて大きく開くので、そこから港に荷物を下ろす。
みんなで協力をして汗だくになりながら運び出していく。
14時ごろになってやっと全ての支援物資を港に運び出すことができた。
ボランティアスタッフは汗だくの中、みんな笑顔でビールやコーラで乾杯をした。
これらの物資は、キューバの国際流通団体NGOイカップによりキューバの民間の方々の手に渡る。
役に立ちますように、喜んでいただけますように。
キャビンに戻って軽くシャワーを浴びて準備をし、仲良しの4人組で羽ばなに上陸。
ちょうどスコールが降ってきて、軒下でやり過ごしながら歩き始めたのは15時ごろだった。
今夜は20時30分からサルサフェスタ、地元の青年たちとのダンスパーティーなんて行く気はなかったけれど、
せっかくだから行ってみようよと、友人たちの熱意に押し切られ、10ドルを払ってチケットを買ったので、それまでに帰ってこなくては。
港から出ていくときにパスポートチェックと手荷物検査があった。
ポートビルから一歩外に出るとすごい熱気に包まれた。
すぐ目の前は広場になっていて、左手には石造りの教会が。
広場には観光客向けの馬車がたくさん並んでいる。
広場前の車道はかなりの車の往来があり、いわゆるクラシックカー、年代物のアメリカ車、オールドカーが普通に乗用車やタクシーのように使われていて、
いかつい、ごつい、そしてとってもかっこいい。
ミニカーや映画、展示会でしか見られなかった。
もちろん中古の中古だからみんなくたびれて傾いていたり、真っ黒いくむりを出しながら走っているのだけれど、
そのくたびれ具合が石畳の街並み、オールド葉花にじつにマッチしていて、映画のワンシーンのようで本当に素敵だ。
車が大して好きというわけではなくて、車に乗ることができる。
映画のワンシーンのようで本当に素敵だ。
車が大して好きというわけではない私も、古びたクラシックカーがギラギラの太陽を浴びて同じように古びた街並みを走る。
この風景には足を止めてほれぼれと見てしまう。
09:04
葉花に上陸したはいいけれど地図もなければスペイン語もわからないので、いきなりきょろきょろしているといろんな人が話しかけてきた。
はじめは馬車のお兄さんで乗れ乗れと誘ってきたんだけれど、なぜか一緒に写真を撮ることになったり。
陽気な人々は東洋の島国から来た私たちに気軽に声をかけては一緒に写真を撮ろうよと言ってくる。
今と違いデジカメではなかったので撮った写真をすぐに見られるというわけでもないのに不思議だった。
教会の前には庭園のギャラリーのような場所があり、中に入るとさまざまなオブジェが緑の熱帯植物の中に無雑差に置かれている。
これも芸術作品と思いきや尻尾をくるりと巻いたきれいな色のトカゲだった。
こちらではトカゲも色鮮やかで美しい。もう一度広場に戻り、さて今度はどっちに行こうと考えていたら、またしても二人組の男性に声をかけられた。
こちらは全く誰もスペイン語がわからないんですが、全く相手は気にするそぶりもなくどこかへ連れて行こうとする。
気持ちはありがたいんだけどガイド寮とか言われるのもやだし、どこへ連れて行かれるかわからないのも怖い。
行かないと言ってもあきらめずコミュニケーションがなかなか取れないので、もう放っておいてと四人全員郵便局へ逃げ込んだ。
二人は外でうろうろしていたんだけれど、どうやら警察に職務質問されているみたい。ラッキー助かった。
その辺にいるかもしれないと思ったので、辺りを歩いていた同じ船の中年女性の団体に一緒にくっついて歩くことにした。
当時私たちは二十歳を超えるか超えないかのピチピチの小娘四人組。格好の異色だったかもしれない。今なら見向きもされないでしょうけどね。
旧市街にあるオールドハバナの街並みは古いアパートが五番の目のように立ち並び、細い石畳の道路が美しい。
扉は木土と鉄の網戸というような美しい透かし細工の飾り扉と二重になっていて、熱い国の知恵だな。
バルコニー付きの窓はどこも開かれていて、洗濯物や植物が風に揺れている。生活感があるのに雑多に見えないのはなぜだろう。
それさえも風景の一部に溶け込んでいて、奇妙にカーブを偉く、カラフルな家々が視界の先に描き出す絵画のようだ。
人々は通りで座っていたり、歌を歌っていたり、寝転んでいたり、子どもが走り回っている。
12:02
社会主義の閉ざされた島国というイメージがあったけれど、観光客も思ったより多い。
熱い太陽の下、時間がゆっくりゆっくり流れているのが目に見えるようだ。
4人で迷路のような旧市街を散策していると、見つけました。アイス屋さん。
この後もたくさんの小さなアイス屋さんを街中に見つけた。
道行く人たちは必ずと言っていいほど、みんなアイスを食べている。
熱いからということもあるだろうけれど、砂糖が名産品の一つでもある、このキューバ。
砂糖がおいしいからだろう。アイスはチョコ、ココナッツ、キャラメルの3つ。
1ドルでキャラメルアイスを買って、友人と半分に分けた。甘い。大きい。おいしい。
甘いのだけれど、人工的な甘さというよりは砂糖本来の甘さ。
砂糖本来の甘さ。くどくなくてすっきりしている。
そして下のコーンがパリパリで、こちらも素朴な甘さで、とってもおいしい。
こんなにおいしいコーンは初めてかもしれない。
何を隠そう、私はパンも好きだけれど、アイスも大好きなのだ。
アイスを店の軒下で立ち食いした後、お土産屋さんで絵描きを購入。
キューバは社会主義国の一つ。そして配給制によって、必要なものはある程度国から支給されるため、
いわゆる商店は少なく、物も他の国の商店よりも格段に少ない。
歩き回ってみると、いわゆるお店、特にスーパーマーケットみたいなものはほとんど見かけず、
小さな商店でお菓子や油、石鹸やシャンプーなどの生活出土品を売っている。
日本との大きな違いは、それらがすべてショーケースに入っているということ。
それを店員さんに取ってもらう形での売買形式だ。
私たちの普段の買い物スタイルとはかなり違う。そして種類が本当に少ないので、全く選べない。
キューバでお菓子を買おうと思ったけれど、やめておこうかな。
そしてもう一つ買い物のネックになったのがお金。これがものすごくめんどくさい。全然わからないのだ。
手始めにコーヒーを買ったのだが、これが3.1ドル。
4ドルUSドルを払ったら、90セント分のお釣りが帰ってきたのはいいんだけれど、
25セント2枚と10セント分が3枚。これらはキューバのコインで帰ってきて、アメリカの通貨コインは10セントが1枚。
1ドルのいはがきを買うためにコインで払おうとすると、10セントのアメリカコインは使えないよと言われた。
なになに?どういうこと?使えないものをお釣りでよこすなよ。
15:04
なんで使えないものが出回っているのかという理由もよくわからない。
コインが汚くてキューバコインなのかアメリカコインなのかもよくわからない。
キューバが社会主義国として立国し、アメリカと対立を深めることになったキューバ革命の盾役者、
アルゼンチン出身の革命家チェ・ゲバラは今でもとても人気があるようで、そこ賢でその姿を見かける。
私もその姿に魅了されてカレンダーを購入することにした。
カレンダーのモノクロ写真は素晴らしい。問題なのはその年度だ。
なぜかというとすべてこの年、2002年もの、今年のものなんだ。
日本だったら同年の7月になって同じ年のカレンダーが店頭で売られ続けるなんてことは考えられないんだが、
お店の人に来年2003年のカレンダーはないの?と聞いたところ、
この小娘は頭がおかしいんじゃないのか?という顔で、そんなのあるわけないじゃないの?と一頭両断。
この国では新年が明けるまで新しいカレンダーは発売されないに違いない。
今日はオールドハバナの観光に集中。
マルティンの広場や大聖堂、国立劇場、僧侶で巨大な国会議事堂、革命博物館、モロ要塞、
アンクラツネ長像などを見て歩く。
途中で数え切れないほどの人たちに声をかけられた。
なんでみんなさよなら、こんにちはって知っているんだろう。
ちょっとでも立ち止まって、友達とどちらに向かって歩こうかと相談し始めると、
たちまち人々が寄ってきて、わからないスペイン語と大きなジェスチャーで何やかんやと教えてくれる。
野菜売り場では輪切りのパイナップルが売っていて、のぞき込んだが最後、
人々がわっと盛り上がって集まってきた。
八百屋のおじさんがトングを持って私たち4人に、
まるで親鳥がひなの口に餌を突っ込むようにカットしてあるパイナップルを口に突っ込んでくれた。
みんな本当に親切で人懐っこい人たちばかりなのだ。
ドキドキその圧力がちょっと怖いと思うときもあるけどね。
スペイン語勉強しておいたらもっと楽しかっただろうな。
この思いはその後、何度も経験することになりました。
世界の半分はスペイン語でできているということ。
まだ時間はあったけれどお店も多くはないし歩き疲れて海岸通り沿いを海を眺めながらオリビア号へ戻りました。
外で外食しようにもメニューもお金も時間もわからないので船に戻ってレストランで夕飯を済ませ、
18:00
20時半からのサルサフェスティバルのためにしばしの休息をとりました。
地域沢山になるまで歩いて本当は今すぐシャワーを浴びて寝てしまいたかったけれど、
10ドル払ったんだから楽しまなくちゃとサルサフェスタへゴー。
船が停泊している港から専用のシャトルバスが出ていて着いた先は白和の高級レストラン。
ここの庭が会場で椅子がずらりと綺麗に並べられている。
思っていたのとは随分違うなぁと思いながら入口でウェルカムドリンクをいただく。
これがびっくりすることに3種類しかない。
コーラかラムかもしくはキューバリブレだ。
ちなみにキューバリブレはコーラとラムで作るカクテルなので、厳密に言うと2種類しか選べないということです。
私はここでキューバリブレを初めて飲むことになった。
というよりラム酒を飲むことが初めて。
もともとコーラもお酒も好きではなかったけれど、
キューバの名産品であるラム、ハバナクラブをコーラで割りライズンを絞ったそのカクテルは、
むせかえる熱帯の夜に爽快感を与えてくれる喉越しと刺激的な味で、この雰囲気にとてもよく合う。
お酒もコーラも好きでもない私がこれだけ美味しいと思って飲んだお酒がかつてあっただろうか。
ラム酒は癖も少なく香りが良く、コーラの強い炭酸をマイルドにしている。
美味しいけれどアルコール度数は高そうなので飲みすぎたらまずいなと思う。
代表スタッフによる代表挨拶の後、キューバの若者たちの間で一番人気と言われるバンドによるサルサ演奏が始まった。
国際交流会ICAPのキューバ人の青年たちが加わって、賑やかなダンスパーティーとなった。
踊りたい人や盛り上がっている人はバンドステージの前に集まって思い思いに踊っているし、
椅子に座っておしゃべりを楽しむ人、ドリンクを楽しんでいる人様々だ。
疲れてはいたものの、ぼーっとしていてももったいない、楽しまなくっちゃ、と体に鞭打つって、
みんなの前、と言ってもダンスなんてドラえもん温度と、先日やっとソーラン節を覚えたぐらいの初心者には、
ラテンのリズムは非常に難しかった。
そうは言っても言葉の通じないながら、見よう見まねでキューバ人たちと一緒に輪になって踊り、
お酒の力も手伝ってみんな大盛り上がり、この時の光景は20年たった今でもよく覚えています。
23時30分のシャトルバスでオリビアへ帰りました。
21:03
こうして葉花の暑い夜は幕を閉じたのでした。
次回は葉花後編をお伝えいたします。お待ちください。