奈良の魅力と中川正七商店
奈良に行って次世代を感じよう。
京都の杉に奈良に行ったんですよ。
倉間山登って、重曹して、岐船神社まで行って、
で、降りてきて、で、そのままもうその足でずっと南下して、奈良の方に行ったんですね。
で、奈良で見たかったのが、もう具体的に、中川正七商店の本店を見に行きたかったんですよ。
で、中川正七商店っていうのは、すごいざっくり言うと、
雑貨屋さんですか?みたいなイメージだと思います。
正確に言うと生活雑貨であったりとか、あとは昔からの、何でしょうね、
茶道とかやってる方は、お茶の、いわゆる布巾とか、そういった布物というのをイメージするんじゃないかなと思います。
包むタイプの風呂敷みたいなものとか。
で、あとは奈良布巾みたいな、いわゆる台所の拭くやつとかですよね。
手拭いたりお皿拭いたりみたいなのが有名な商品としてあると思うんですけれども、
いとこいでは中川正七商店の13代目の社長さん、今はもう会長さんなのかな、の方のインタビューとかが結構好きで、
あとはブランディングの思想が、ちょっと共感するところがあるというか、
仕事のスタンスであったりとかっていうのも結構好きで、ずっとウォッチ追いかけているんですけれども、
奈良の本店にはずっと行ったことがなかったんですよ。
中川正七商店というのも、言うてしまえばすごい長く続いている会社で、何代目何代目って続いているわけですよ。
しかも伝統工芸みたいなものをアプローチとして扱っているということで、
普通に考えると潰れてしまったりとか、うまくいかなくなってしまったりとかっていうのも全然あるはずなんですけれども、
それをそうじゃなくて、いい感じにやっていこうぜっていうような、そういうののかなりうまくいっている事例と言えるんじゃないかなと思います。
その奈良の本店というものがリニューアルして、もう数年経つんですけれども、行ったことがなかったんですよ、遠いから。
奈良の観光と京都との比較
じゃあ行こうということで、ファンって電車に乗って行ったわけですよね。
もちろんそのお店もすごかったんですけれども、何よりも驚いたのが、奈良めっちゃ人いるんですよ。
めっちゃ人いるの。土曜だったんですけど、めちゃくちゃ人いて、
その人の半分以上がインバウンドの外国からのお客さんなんですよね。
ただ京都と全然違うのが、もちろん倉間山に登った時もある程度ブッディズムに興味があるような、
そういう性質の外国からのお客さんが多かったって話をしたと思うんですけど、考えてみたらそうですよね。
奈良にわざわざ来るっていうのって、大仏見に来たんだろうなっていう感じじゃないですか。
あと五重塔であったりとか。
ものすごくそっち系をわざわざ見に来るっていうお客さんなわけなので、それはそうかと思ったんですけど、
それにしても本当に多くて、すごく京都と比較して、
京都と奈良って全然別の、都道府県的にも全く別だし、距離的にも離れてるので、
もちろん隣にはくっついてますけどね、全然別のエリアだと思うんですよ。
京都の人は奈良のこと知らないし、奈良の人は京都のことそれはわかんないけど、逆かな。
結構別物じゃないですか。
雰囲気も全然違っていて、いわゆる外国のお客さん向けに英語で書いた張り紙を貼るか貼らないかってあると思うんですよ。
例えば浅草とかだったらべったべたに貼ったりとかして、
ある種なんかちょっと景観的に良くないというか、売らんかなみたいな雰囲気になってしまって、
なんかチャキチャキ感が隠せてないんだけどみたいな、
なんでもいいから良いものじゃなかったとしても観光客に売ったれやみたいな、
ある種ヨーロッパの観光地の広場的なノリっていうのがちょっとあっちゃうと思うんですけど、
京都は逆にそういうのはあまりやらないと思うんですよね。
たぶんそのノリとしてその美意識のノリとして、
そしてお客さん観光客へのスタンスとして京都の人はあんまりそういうのやらない。
少なくとも井戸っぽいが歩いて見てる限りはそういうのはあまりなかったんですよね。
もちろんその外国人向けのお店、いわゆるインバウンドのガイドブックとかにガッツリ営業かけてるようなお店とかは、
もちろんメニューが英語化されていたらペラッとめくると英語のメニューがあったりとかあったんですけど、
もっと小さめのお店ですよね。
小さめのお店でそういうアプローチをしているのはあんまりなかったかなという印象です。
奈良の場合は結構あるんですよ。
あるんだけどそのいやらしさみたいなのがなくて、
すごい理性的でかつ何て言えばいいのかな、
井戸っぽいが知ってるんですよこの感じ。
これ何かなと思ったら、
アニメの聖地とかになるような商店街とかが遠くからわざわざ来てくれて嬉しいなっていう気持ちで、
だからおもてなしとかじゃなくて、
おもてなしって単語ってもはやなんかちょっと変な文脈と偏りが出てくるから、
ちょっと使いにくいなって最近一方で思ってるんですけれども、
そのおもてなしとかじゃなくてですね、
いわゆるそのヘリクだったりとか上下とかじゃなくて、
愛のある形というか、
なんかすごく理性的でかつ優しい感じ、
そして排他的で全くないんですよ。
京都はいい意味でも悪い意味でも、
なんというかちょっと一線が引かれてる感じというのはあって、
でも奈良にはそれがあんまりなかったんですよぶっちゃけ。
それはその街並みの雰囲気とかもあるのかもしれないし、
もっと歴史をひも解いていくと平城京と平安京の違いとかも全然あるだろうなっていうのは、
いとぽでも肌で感じた。
奈良のノリとインバウンド市場
本当に肌でわかるんですよね。
あ、違うっていうあの感じが。
もちろん四条五条のあたりまでの五番の目のところの京都の感じと奈良と全く違うわけで、
もうでっかい公園があってみたいな話でしょみたいな奈良の場合はね。
だからもちろん全然違うんだよ。
もちろん全然違うんだけれども、
ただ歴史的な街として観光客から日本の歴史をめぐる旅みたいな形で、
ある程度の宗教建築みたいなものが観光になっていて、
その周りのお店であったりとかが旅人のコンテンツになっている観光になっているという面では、
正直外国の人くらいしたらよほど詳しくない限りは結構一緒くただと思うんですよ。
我々だってイタリアの南の方と北の方で何か違いとか言われても、よほどグルメな人しかわからないし、
食のことはわかったとしても、その年のフードとか歴史とかまでがっつり知ってるかっていうと全然わかんないじゃん。
だからその、いわんや奈良京都の大きさですよって話ですからね。
でも全然違っていて、もちろんどっちがいいどっちが悪いとかじゃないんだけれども、
ただ奈良の方がかなり懐がでかいなという感じがしました。
いわゆるその警戒心がないという感じがありました。
事実、奈良に来ているお客さんは、なんて言えばいいのかな、もちろんこれはイトプルの主観だし偏見かもしれないんだけど、
ずいぶんとおとなしそうだなと思ったんですよね。
京都は、やっぱりかなりポップなイメージがある。
もちろん事実としては違うんですけれども、やっぱり神社の朱色って結構映えるじゃないですか。
だから伏見稲荷の朱色の映える感じと奈良の感じの色彩のセンスっていうか景観、全然違うわけですよ、本当に。
じゃあ朱色がないような清水寺はどうなんだ、同じ寺じゃねえかってなったとしても清水寺に向かうまでの道の賑やかさであったりとか、
やっぱりどんという感じ、言ってしまえば平安とか室町時代とかですよね、特に銀角寺とか金角寺であったりとか、
いろいろ歴史が積もっているわけで、だんだん新しい方向に行けば行くほどワンチャンちょっと派手になっていくというか強そうになっていくっていうのって我々日本史で勉強してるじゃないですか。
それはもう本当日本の文化史の話ですよね。技術もいろいろ発達してきたからっていうのもあると思うんですけど。
で、奈良はやっぱりおとなしいっちゃおとなしいんですよ。もちろん大仏はでけえし、五次の戸もでかいけど、結構のびのびしている感じがあるんですよね。
そののびのび感というものと、あと京都ほどそんなにめちゃめちゃコンテンツが大量にあるかって言われるとそうでもない感っていう、わざわざ足箱に来てるっていうのがターゲットが違うというか、
これちょっとマーケティングの話にしてしまうとちょっとあれかもしれないんですけれども、たぶん好みが違うんだろうなっていう、来る人のっていうのはすごく感じました。
でね、プラス、ニトプルが最後に奈良に行ったのはたぶん10年前くらいだったと思うんですけど、駅前の本当にビジネスホテルかなんかに泊まって、奈良に泊まるところがあんまり少ないみたいなのはよく観光の話で言われたりもしますけれども、
夜中に公園歩いて、電灯、明かりが全くなくてめっちゃ怖かったみたいな、でも楽しかったんだけどみたいな、そういう記憶が最後だったんですよね。
で、久しぶりに奈良駅で降りたらまず駅綺麗だし、うお、すげえみたいな。で、街並みも歩いててもその個人商店みたいなところが結構あって、そして元気なんですよね。元気でかつ排他的でもない感じというか。
いわゆるそこで暮らしてる人もそうだし、観光地もそうだしみたいな。で、そこの差があんまりない。結構ぬるっとしているというか寛容なんですよね。ちょっとだからその器がでかいというよりもゆっくりしている感というか。それは京都を歩いてるのと全く違った。
いとぷりは関西の出身でもない、育ったわけでもないから、いや京都の奈良じゃ全然違うよみたいな。それはあるかもしれないと。どっちが都会とかもね、人によっては考え方があるかもしれないけど。でもインバウンドという目線で見たときに少なくともノリが全然違って、そして伸びしろがめちゃくちゃあるのは奈良だなっていうのは正直感じてしまった。
伸びしろって言い方をしてちょっと手心加えたんですけれども、完全に可能性って言い換えてもいいなと思った。それは何でかっていうと、あのね、なんだろうな、優しいんだよね。雰囲気が。なんかピリピリしてない感じというか。
で、かつその、お客さんもいいお客さんが来ている。まあもちろんそれってまだまだこれからだから単純に質のいい感じに収まってるって考え方もできると思うんだけれども、でもなんかすごくいい感じで。で、実際にもちろん全てが英語化されてるわけでも全くないんだけれども、ちゃんと中国語と韓国語と英語とみたいなのが手書きで貼ってあったりするわけですよ。
で、その手書きのやつもなんか雑に書いてあったりとか、一回書いてなんか、なんかそのA4のコピー用紙に書いてぐちゃぐちゃになってるみたいな。若干その東京のね、あの下町の東の方の浅草感みたいな。ああいうなんかそのうーんちょっとちょっとやだなみたいなあの感じっていうのは全くないんですよ。全くないの。
で、かといってじゃあものすごく丁寧に印刷されて、あのすごい整頓されているか、いわゆるその処理されているかって言ってもそうじゃないんだよね。その塩梅ってすげえなと思って。でもやっぱりね、なんか駅降りたらなんか募金してくださいみたいなノリだったんだけど。
なんかそういう募金箱持った人たちがたくさんいて、お坊さんがめっちゃいたの。で、ちびっこもみんないて。で、めちゃくちゃあの般若心経だったかな。すごい大きな声でこうみんなでわーってやってて、うわすげえみたいな。でもそれを結構みんな優しい顔で見て、でも結構でかい音だと思うんだけど。でもね、なんだろうな。やっぱね、その仏教文化のノリというのが多分あるんだろうなと思ったんだよね。
音はでかいんだけどうるさくないし、大阻かすぎないんだよね。ちびっこもなんか真似してやってるみたいな感じでやってて。だから攻撃的ではないんだよね。そういうとこなんだろうなっていうのはちょっとね、ちょっとあって思ったんですよね。
で、実際に例えば中川雅史商店とかのブランニングとかのインタビューとか本とか、あとはその実際の店舗とか、商品のやり方とか経営とかを見てみると、いわゆる歴史というものをきちんとアピールすることが難しさ。自分たちがこんぐらい歴史があって、そしてその歴史のもとにあるんだっていうこの良さというのをきちんと伝えることというのが伝統工芸のいろんなブランド、ブランドになってないってことなんだよね。
そういうのがうまくできてないっていうのは、だからこそ頑張らなきゃいけない。日本の伝統工芸を元気にするっていうスローガンが中川雅史商店にはありますと。で、すげーなーってずっと思ってるわけなんですけれども、歴史の話でいうと、やっぱりホモサピエンス、人間というのは歴史というものに抗いがたい魅力を感じてしまうような生き物であって、
歴史の魅力
この歴史というもの、いわゆるその良し悪しとか正しさ正しくないとかは置いときますよ。置いとくんだけど、一つ武器というかツールとして人間はどうやら歴史というものを前にぶら下げられるとかなり目を惹かれてしまうっていう、そういう生き物であるという現実は多分認識しておいたほうがいいと思うんですよね。
良くも悪くも。で、良くもなんですけど、それは意図っぽいろ的な考え方をするので、ちょっと悪者みたいな考え方になっちゃうんですけど、歴史というものをうまくアピールする、うまく表現する、うまく伝えるっていうことの大切さというのがかなりこれから重要になってくるのではないかと。
具体的なもの、刑事課の具体的な物物ですよねっていうもので、良いものなんていうのはぶっちゃけ結構たくさんあるし、かなりみんな頑張って作ってるから良いものってどんどん良くなってるっちゃ良くなってるんですよ。しかもそれが安くできてきちゃってるっていう問題もありますよね。ワンチャン日本一番安いぜみたいな。
で、なったときに物が良いのは当たり前で、何だったらどんどん新しいのがポコポコ出てくるから良い悪いみたいなものがないと。ってなったときに歴史があるみたいな。すなわち今ここに存在しない一回性のアウラー、ベンやミンじゃないけど、そのアウラーの話じゃなくて、歴史からなるオーラですよね。歴史というオーラ。
一回性ではなく今ここにしかないではなく、いわゆる今ここにしかない世界に一つだけしかないあなただけのじゃなくて、歴史というものが脈々とあり、その歴史の上にあるもしくは歴史によってようやく今あなたの目の前に来たのがこれですというオーラですよね。
そのいわゆるシャイニー的な一瞬の輝き、きらめきではなくて、荘厳な五行の指し方みたいな。歴史の概念ってそうだと思うんですよね。別に歴史があるからすごいっていうわけじゃないんですよ。ただ人間は歴史って言われるとかなり弱いっていうところがある。
ワンチャン日本人が一番弱くないんじゃないかみたいな。いわゆるヨーロッパの街並みをすごく守ろうみたいな文化が、じゃあ日本にたとえどれくらいあるかっていうとそんなんないわけですよ。それこそ京都ぐらいじゃねみたいな。もちろん景観条例とかはあると思うんですけど、それもやっぱり富士山とかになるんですよね。歴史の街並みとかじゃなくてビッグネイチャーに対しては結構あるんだけど。
日本ってたぶんそういう感じなんですよ。もちろん例外はあるよ。例外ある。こういう考察の話をするときに例外の話ばっかりするやつは基本的にはこの中吉インターネットのリスナーたぶんいないと思う。そういうのはたぶんツイッターにいる。そういうのはたぶんツイッターにいる。ここツイッターじゃないからね。だからそのエキスキーズはもうこれ以上は言いません。話が進まなくなるから。おいしいとこ全然しゃべれなくなるから。
ちょっと話し飛ぶんだけど、そういうような例外みたいなもんなんだろうな。そうじゃない場合もあるよねとか、一般的にはそうじゃないけどねみたいなものであるじゃん。
文章とかを書くときに人間がわざわざ文章とかを書くときにそういう一般的にこうみたいなものしか書かないとしたらたぶん文章を書く必要ってないんだよね。それたぶんデータでいいんだよね。
データじゃないような文章っていうものをわざわざ書くっていうときに一般的かどうかっていうのは関係なくて一般的であるんだったら人間がやっぱり書く必要はないし読む必要もない。
これ我々インターネット世代は結構勘違いしてしまうんだけどテキスト、いわゆる文章ですよね。文章みたいなのがテキストであってそれは何バイトのテキストデータだとか、あとは情報が書かれて、情報がたまたま言語で書かれていてって思うと思うんだけど、
多分その考え方はこれからの時代結構危険で、それって書かれてるものが全部データであるっていう前提で考えちゃったりする場合もあるし、そうじゃないとこも全然ある。書き手の文脈があるよね。もちろんそれはリスナーデンキーだったらわかってると思うんだけどね。
散々中吉インターネットで話してるからそのコンテクストとコンテンツとみたいな話はね。でもそうじゃなくてワンチャンいところが最近あーと思ってるのが言語が変わった瞬間にマジでやばいっていう言語が変わるとその言語の後ろのマルシュその民族の文化みたいなものがワンチャン言語なわけですよ。
だからその共通言語を使った、まあいわゆる例えばそれはプログラミング言語の考え方でもいいかもしれないんだけども、プログラミング言語と自然言語全く違っていて、自然言語はやっぱりその民族の歴史であったりとか文化国民性みたいなものをかなり反映しているんだよね。
だからプログラミング言語っていうのはある種言語が違えばデータが同じだから情報のやり取りは過不足なくできるだろう。もちろん文法は違うけどみたいな話じゃん。これね全くやっぱ違っていて、で今までの時代はワンチャンそのコロナでインターネットが人類に実装されてなかったからみんなまあある程度理性的だし、
わきまえていたと思うんだけど、そうじゃない状態なわけですよってなった時に結構無茶だなと思って、無理だなっていう。だからその産業以上の文章が読めない、うーみたいな話、まあ糸っぽいでもよくなんでやねんと思ってたけど、でも多分そういうレベルでももはやないっていう感じがするね。
そこまでまだ人類ホモサピにたどり着いてない気がするっていう。とにかくホモサピの進化のスピードが足りてないっていう感じがすごくあって、我々は成長していかなきゃならないなっていうのを思いました。
いや別に君はホモサピ代表じゃないから別にいいだろう、もちろんそういう考え方もあるんだけど、単純にそうじゃなくて、人類が対応できてないっていう波乱の状態の中で、いかに自分のボートをひっくり返らないようにオールをいい感じにさばいていくかっていうのは、
少なくともある程度の筋力や知恵というのは必要だよねと。ネットブレードではかなりそれを考えています。すべてがうまくいくというわけではないと思うんですよ。
すべてをうまく処理したりうまくできたりっていう時代は多分終わっていて、どうにかしていなしたり流したりっていうのを考えなきゃいけない。すなわち話せばわかるっていうのが、インターネット民の間では話せばわかるよねっていうのってあったと思うんだけど、マジで話せばわからないわけですよ。
人類の歴史でももう証明されてるわけなんですよ。話してもわかんないっていうことは、話してもわかんないというこの環境下で話そうとするのって多分無茶なんですよ。別に対話を断絶させるかというかそういう話じゃなくて、それはそれこれはこれでうまくいなしていくしかない。
なんだったらたまにはスルーするみたいなっていうのも必要で、そのためには筋力と知恵がいるよね。だから我々はいわゆるこの困難は乗り越えなきゃいけないとか、自分が成長してクリアしなきゃいけないと考えるのではなく、ここの道別に通らなくてもいいなっていうような知恵を身につける必要がある。
そして、そういう回路に来てしまったときにちょっと遠回りでもぐるっと悪魔の渦みたいなところを遠回りして迂回するような体力というのが必要っていう話なんですよね。それはなんかね、いとぷる最近というか旅行から帰ってきて、もしかしてそうかもみたいなっていうのは思いましたね。
なんか話せばわかるってわけでもないしみたいな。なんかね、結構そういう感じなのかもっていうのをなんとなく考えてますね。で、緩和休止で話戻すんですけど、歴史の話ですよね。歴史、ブランディングの話から、ブランディングというのはワンチャン歴史というのを結構使うと人間には効く、ホモサペには効くっていう話。
神殺しの儀
で、そっから歴史に対して抗いがたい魅力を感じてしまう人間っていう話ですよね。この間の生配信、ちょっとまた雑談になっちゃうんだけどさ、この間の歯医者さんの先生が来た生配信でさ、普通にいとぷる油断してさ、いちいち歯とか磨かなきゃいけなくて普通に生きていくだけでどんどんダメになっていって、
人間のテクノロジーの手を加えないと健康になれないっていうのは人間って大変っすねって普通に言ったら、なんか周りのゲストの人たちが結構ギョッとして、なんか人間じゃないみたいな立場で言うじゃんみたいなことになってしまったみたいな。
普通だったらVTuberさんがそういう風なことを言えるようなボケ次郎を誘導して言わせてあげて、それに対して突っ込んでわかりやすく見せ場を作るっていうのをやってたんですけど、やってたんだけどちょっと一瞬油断して普通に関心しちゃって、人間って大変っすねみたいな。
で、それが完全にその人っぽどの素の、すなわちこのなかよしインターネットの素のこの感じっていうのが出ちゃって、で、やっばと思って、なんか一斉にこう画面の向こうから結構ギョッとするような空気感が出て、やばいやばいやばいみたいな。ちょっとね、びっくりしちゃった。
ちょっとびっくりしちゃった。しかも別にボケで言ってるわけではないっていうところが厄介なんだよね。普通に、普通に、なんか人間さんって大変っすねみたいな感じで言っちゃって、あ、やべーってなって焦りましたね。で、わははーみたいな感じになりましたけど、あ、やばいやばいやばいみたいな。ちょっと笑っちゃったな、あれはね。
テレ朝動画の方でね、そういうシーンがあると思いますよ、冒頭でね。YouTubeからテレ朝動画に切り替える冒頭ですね。歴史の話なんですけど、歴史というもので、昔、いわゆる過去ですよね。過去から作っていくっていうのも大事だな。いわゆる過去の蓄積。でも冷静に考えると、歴史ってだから時間の蓄積で過去の蓄積からしか作れないということは、今、我々が歴史を作ることってできないのではないか。
だから歴史というのに光を当てて、フォーカスを当てて、見えない経時上の歴史という存在をある種経時下に下ろすっていう神殺しの儀みたいなものをすることによってオーラを作る、誤考察っていうのが、ワンチャン例えば宗教建築とかって結構そういうような設計になっていると。
特に、土地からの設計の話で言うと神社の方がそうだけど、お寺の話で言うとお寺は結構修行の場だからな。本殿の本当にナムナムするところとかはまさにそうかもしれないけど、あれはどっちかっていうと、司会の仏像があって結構美術の話なんだよな。
仏教って美術なんだよな。神道は建築なんだよな。もちろんお寺さんのミクロとしての建築としての総合さとか技術とかいうのはもちろんそうなんだけど、人をどうにかするって考えたときのそのアーキテクチャーの話で言うと、仏教はかなり美術の力を借りている。やっぱり像があるからね、偶像崇拝があるからっていう。
それはあるよね。神社はいわゆる鏡しかないからっていう話ですよね。しかもワンチャン飛び出しまってるしみたいな。これは面白い違いだなっていうのは思いますよね。
そうなんだよね。だから全文化博物館の村松先輩のロケのときはもうちょっとそういう難しいことを本当は聞きたいんだよな。何というか。見てわかることとかはぶっちゃけどうでもいいので。そんなの誰だって見てわかるじゃないですか。
意図っぽいのはちょっと初心者すぎてテンション上がっちゃって全部なぞるみたいなことしかできなかったっていうのはちょっと悔やまれるですね。もうちょっとかなり当時のアーティストがどういう目論みでこういうものを作ったのかということに関して結構意図っぽいとは興味があるっていう。やはり人間が作ってるもので絶対そこに意図がある。意図とかテンションとか好みとかがあるはずで。やっぱそういうのは知りたいですよね。
実際にそれでもっと人が動いてるわけなんでそして大事にされて残ってるわけじゃないですか。それって結構イケてると思うんですよね。イケてるというか人間をこういてこましてる感じがあるじゃないですか。やっぱいてこましい結構気になるんだよな。ちょっと言い方があれかもしれないですけど。
ちょっと歴史の話なんですけど、昔、過去が歴史なんですけど、意図っぽいことが奈良で思ったのが、若い人が働いてたの。若い人がお店の店員さんをやってたアルバイトさんだとは思うんだけど、例えば中川正商店の店員さんほとんど若くて特に2階の雑貨コーナーとかマジで若いわけよ。
あとは中川正商店のブランドではなくて女性向けの結構マダム向けのお洋服であったりとか茶道の風呂敷みたいなちょっとターゲット層が上のところの店員さんはもちろん大人の方がいたんですけれども、雑貨のところは本当に若い人たちで接客もマジ良くて。
みんなユニフォームみたいな素敵な格好してるわけよ。これはやっぱりさすがだなって思ったんだけれども、でもね、なんかあって思ったのが中川正商店中川さんが社長を辞めて会長になって、初めて中川家じゃない人が社長になったわけよ。
女性の社長になって、いい感じにやってるんだけれども、最強のプロダクトですみたいな感じから結構生活に目指した感じになっていって、ちょっとターゲット層変わったなみたいなノリが変わったなって思って。
いとぽいどの次世代の考え
いとぽいどはあんまり実際にそのめちゃめちゃ何かを買わせていただくっていうのはなくなったんだけど、ここ数年は。でもね、実際に本店見てみてすっごい納得したの。うーわなるほどと思ったのが、これね、次世代のことを考えてるんだなっていうのをすごく感じちゃって。
いわゆるこれはね、いとぽいどの反省というか、いとぽいどがまだ全然考えられてないことなんだけれども、今とか次とか今年とか今週とか今月とかそのぐらいの今のタイムですよ。今いいものを作れるようになりたい。今勝ちたい。今負けたくないっていうか、今もういてこましたいみたいな。
そういう考え方じゃなくて、ちょっと75点でもいいよねっていう。でも5年後に10年後に変わらず90点取れるようになりたいよねみたいな。
今120点取るのと、5年後に90点取り続けるっていうのって、どっちの方が難しいかっていうと、めっちゃできるやつが一人いればいい話なんだけど、これどんな話でもそうなんだ。あといとぽいでも年齢的にそういうことを考えるかもしれないけど、分身はできないわけだし、毎回自分がキッチンに立ってるわけにもいかないと思うんですよね。
ってなってくると、どうしようっていう話なんですよ。で次世代ってなって、でこれって多分街とかってミクロじゃなくて結構マクロで雰囲気。でいとぽいでもその街並みを歩いてそのお店の雰囲気であったり、張り紙のミクロのところから歩いてる人の雰囲気とかなんか全体の空気感とかで、なんかちょっと奈良来てんじゃねえみたいなふうに思ったわけですよ。
でもちろんミクロの積み重ねなんですけども、それって結構時間かかる世界観なんですよね。いわゆる一週間で最強にできないんですよ。
例えば自分の部屋だったらさ、なんか2日ぐらいでバキバキに大掃除して断捨離しまくりみたいな。でめっちゃ掃除するみたいな。でもう世界変わりましたみたいな。ビフォーアフターってできちゃうじゃん。でも多分観光とかの街とかでそういうの無理で。
ってことはさ、人も動かさなきゃいけないじゃん。いとぷりは人が動くみたいなのって分かんなくて。脳では分かるんだけど、全然実はピンときてないの。だって人間の話でしょみたいな。
だからどうやらちょっとね、ガチで変わってるっていうのが最近分かってきて、みんなに結構あん?みたいな感じにリアクションになって、あれ?っていうのが結構多いから、ちょっとあたしちょっと違うのかもって最近思ってきたんだけどね。人間の話でしょみたいな。人間だろ?なんか人間だろ?みたいな。
なんかそういう、人間でしょ?みたいな。でも、そうか街って人間が作ってんだみたいな。マジかみたいな。いやマジかって当たり前なんだけど。当たり前なんだけど結構衝撃なんだよね。そっかみたいな。
で、そのためには、歴史、文章にしてみるとすごい分かりやすいじゃん。歴史って今、脈々とこう流れていく時間の一番先頭走ってるのが自分である。今である。自分じゃなかったとしてもね。今であると。
自分たちが文化を作っていくっていうことになるわけですよね。で、自分たちが文化を作っていくっていうのもそうかもしれない。いわゆる我々は文化ということは結構やっぱりカルチャーが好きだからなんとなく概念としてはよく分かってるつもりでいるじゃないですか。文化、カルチャーってそんな感じでしょ?みたいな。でも歴史って考えたときにちょっと分かんなくなるっていう。ん?みたいな。ん?なんかちょっとなんか危ない話ですか?みたいな。ちょっと怖くない?みたいな。
それは日本の教育のミスだとは思うんだけど、ちょっと避けてきちゃったところだとは思うからね。それは大人って学び直せばいいと思うんだけど、考え方とかはね。全然怖いものじゃないっていうのはね。
で、その歴史を作っていくんだって考えたときに、いまパチンコみたいに、いま当たりスロットでもいいや、スロットのほうがいいか。スロットのほうが分かりやすいやん。スロットみたいに、いま目が揃う揃わないをずっと繰り返してって、もうワンチャンもちろんそういう揃う揃わないっていう勝負をずっとやってたっていうのは歴史になるかもしれない。
けど、スロットの当たり外れ、長半博打ずっとやってて、長か半かはーっつって、一騎一遊して盛り上がって、みたいな。それもいいんだけど、なんだろうな。ちょっと先のことを考えてもいいのか?みたいな。
ちょっと先のことを考えるというのが、ワンチャン視点は未来のほうに向かってる。いわゆる右側のほうに向かっているんだけど、その右側を考えるというのが、未来から見た今っていうことを考えるということになる。すなわちその左側を振り返るということになるんですよね。
その左側を振り返るというのが、ある種歴史のことを考えるという、そういうフォームなんですよ。考え方のフォームとして、動きね。フォーム。体の動かし方として。そうなったときに見えてくるものって結構あるだろうなと思ったんですよ。歴史って考えたときに。
すなわち具体的にどういう話?めちゃくちゃ、めっちゃすごいしょうもない。しょうもないって自分で言うのはなんだけど。考えると、例えば、なんか適当に中吉インターネットがもう250回近いわけですよと。ってなったときに、250回続くということを考えてやってきたかっていうと、やってきてないわけ。
イトっぽいと何も続かないから、こんなに続いてるのはリスナーレンキーのおかげだしみたいな話で、全然予想できてなかったわけよ。でも、例えば、250回の歴史の上でのイトっぽいとって考えると、結構なんかしみじみしてしまうというか、ああまあ確かにそうかもみたいな。
すごい具体的に言うと、例えば、久しぶりにコロナ明けで即売会に行きました。面白かった。テンション上がった。だから申し込みます。申し込みました。やりました。売り込みできました。夏コミもやりました。暑かったですね。コミテもやりました。なんかそういうのあるじゃん。
それって結構ワンチャン歴史っぽくないみたいな。あとこの間のコミテのやっていきデポートとかも、リスナーレンキー、実はちゃんと聞いてくれてるレンキーいましたみたいな。うわマジかみたいな。実際にいろんなことをみんながやっていってました。うわすげえみたいな。すげえ刺激受ける。頑張んなきゃみたいな。
でもそっか結構みんな前向きにちょっとなんかやるかみたいな感じでやったりしてんだみたいな。ブログを書いてくれた人がいて、寄稿してくれた方でね。実際3Dモデリングをやられてる方だったんですけども、
自分が参考書にしてる本と同じものを見てるリスナーレンキーがいて、うおーって思ったみたいな。さすがリスナーレンキーだみたいな。そんなにメジャーな本じゃないと思うんだけどみたいなことが書かれていて、面白って思ったんですけれども。
歴史の味わい方
それもやっぱりずっと聞いてるんだ。もちろんリスナーレンキーによっては最近聞き始めたとか、ぼちぼち好きそうなタイトルだけ聞くとかもあると思うんですよ。いわゆる隣のリスナーレンキーが自分と同じだけのエピソードを1言1句すべて聞いてるかそうではない。そこはもうひとつずつあるじゃないですか。それはそうですよね。お皿洗いしながらガチャガチャ言ってたら聞き逃す話なんて全然あるわけで。
それも人によるわけですよ。理解力であったりとか、あと文脈も違うわけだからね。それは基本としてね。でも、ああそうなんだって、同じの聞いてんだっていう上で読むと、やっぱ結構うわってなると思うんですよね。そこってたぶんワンチャン歴史の概念が働いていて、それを意識していくっていうのは、もしかして結構みんなハッピーにすることができるのではないか。
そうではなかろうかというのをいとぷら少しずつ考えています。どうやらみんなが喜んでくれるのは嬉しいっぽいみたいな。そういうことをね最近考えてるので。歴史って結構面白いんじゃないかっていう。歴史というのは振り返ってそれをアーカイブして何かこう左上から右下に綺麗に並べるというものではなくて。
もしかしたら、歴史というのはもっと美味しく食べられるものではないのかみたいな。美味しく食べられるという言い方をするとちょっと語弊があるというか、角が立つというツイッタラーもいると思うんですけど、それはツイッタラーなので置いておきますね。
栄養があると思うんですよね、歴史って。地味深いはずなんですよ。その素材の味を生かすこともできるし、いわゆる調理をするか調味をするか。調味は味ね。できると思うんですよね。料理をしてもいいし、あと味の概念を調味料でつけてもいいと思うんですよ。
何かいろいろできそうな感じがすごくして、そしてそれってこれからものすごく結構いいんじゃないかっていう感じがします。もちろん、ササンオールスターズ目指しますみたいな。いわゆるポップのキングオブポップみたいな。ビートルズがポップかって言われるとちょっとあれかもしれないですけど。
そういうものを目指すって場合はちょっとまた違うと思うんだけど、ただ少し何かこうマニアックな趣味人のためのものっていうジャンルにおいては、結構この歴史というのをどうダンジョン飯の欲示しみたいな感じでぺろりと美味しくいただくかみたいな。
何かそういう考え方なんだよね。わかんない。今イトポリオが減量中でもう食べることしか頭にないから完全に欲示し状態になっていて、人間とか美味しいんじゃねえワンチャンみたいな。何かそんなことで頭がいっぱいになってるんだけど、何かどうやら何か結構味あるぞみたいな。結構これ何かチューチューすると美味しいんだけどみたいな。人間って美味しいんだよね。人間面白みたいな。うま!みたいな。
イトポリオ君完全に本気で今そうなってしまっているのはまたま減量中だからなんですけど。でもね歴史ね、味ある気するんだよね。歴史可能性あると思うんですよ。それは先人のものを勝手に何かアレンジして何か都合よくとかじゃなくてね。もちろんそういうこともできちゃうしそれの危険性というのも我々は歴史から学んでいますけれども教科書にも書いてありますからね。
それはそれとしてですね。今の自分の歩いていくこのなんていうかな、人生といったらちょっとエモすぎるかもしれないんですけれども、自分が過ごしていく時間、自分が作っていく時間、自分を通り過ぎていく時間というのも歴史の一つであって、その時間というのに、時間というのに塩を振って味の概念をつけることができる。
塩を振って味の概念をつけることによって美味しく食べれる可能性っていうのは全然ある。基本塩かければだいたい美味しいですからね。そうじゃない?もうダメだ。もう完全に欲示し状態になってるんだけど、ダンジョンビシのアニメの最新話見ました?めちゃめちゃおもろいですよね。
今回のエピソードは30分というか1話の中に2トピックぐらい入ってて、めちゃめちゃ面白かったな。海外でもバチクソ人気ですからね。めっちゃいい。あと異常に戦士がセクシーな瞬間があって、これ制作者に絶対好きな人がいるなみたいな。
あのね、わかるんですよ。わかんの。スタンド使いは惹かれ合うじゃないけど、もちろん趣味は違うかもしれないよ。趣味は違うけど、あっていうのってわかんの。見て。まじで。リスナー勉強わかんないかもしれないけど、わかんの。あっていう。あってあるのよ。ぜひ見てみてください。ダンジョンビシまじで来てますね。
アニメの最初の頃は、ぽぽんぽぽんぽぽーんって音で、なんかすごいカラフルで美味しそうなご飯が出てきてみたいな、結構なんかギャグで、マルシルは結構アホでみたいな感じだったんですけど、後半になってくるにつれて結構シリアスになってくるんですよね。そうすると、ちょっと待ってマルシルアホじゃないみたいな。マルシル強いぞみたいな。
で、なんかいろんなキャラクターも出てきたりとか、いわゆる人間味が出てきて、結構やっぱりね、やっぱ後半に行くにつれて味が複雑になっていく、地味深くなっていくんですよね。キャラクターのね、キャラクター性が出てきたりとか。いわゆるそれはパーティーがどんどんお互いのことを知るようになっていって、良いところも悪いところも見えてきたりとか、キャラクターの過去が見えてきたりとかっていって、だからこそ美味しくみたいな話だと思うんですけど。
ダンジョン美心は本当に原作読んでいただくとわかるんですけど、とにかくその食というものに対して、食と人間、食と生きていくことっていうことに関してすっごいテーマが最初からすごい考えられていて、ワンチャンやっぱタイトルでちょっとポップすぎてちょっと損してる気がする。でもあのポップさがあったからこそ読めるのかなみたいな。なんかちょっといろいろ考えちゃうんですけどね。
早かったですからね。ダンジョン美心の漫画が、連載が始まるのもね、かなり前なので。素晴らしい、すごい恐ろしい作品だなと思うんですけどね。今さらっと言ったけど、やっぱり過ごしていって味が深くなっていくみたいなのもあるし、歴史って美味いんだよな。歴史って美味いんだよな。
奈良での体験とプレゼント
いやなんかね、本当にね、上がすごくて、なんか味のしないものでも、結構ね味を感じるようになってきちゃって、いや別にそれでなんか共感があるスキリみたいなそういうイキリがしたいわけじゃなくて、もう普通に辛いから言ってんだけど、本当に辛いんだけど。
でもなんとなく、なんとなく元々イトッポイドは、刑事上の概念に対して頭のここらへんがグンってなってるみたいな、そういう謎の身体的な覚え方や感じ方というのをするような癖があるんですよね。これは本当に子供の時からそうですと。
で、それの結構亜種なんだろうなと。だからイトッポイドはワンチャン痛めつければ痛めつけるほど、なんかいろんな身体がおかしくなっていって、なんかこの味は知ってるみたいな、そういう謎の感覚というのを身につける可能性というのがあるなっていうのをちょっと最近思っていて、これは痛めつけがいがあるみたいな。やっぱ修行しかないんだよみたいな。修行するしかねえみたいな。寺か寺みたいな、結構そういう気持ちにはなってますね。
ということで、ちょっとこの話で奈良に行ってみてくださいっていうのは繋がらないと思うんだけどさ、いやでもね、すごいよかったよ。本当によかった。ちょっと時間とってちゃんと行きたいな。奈良は本当に一瞬寄ったみたいな、数時間寄って、そのまま京都駅に戻って新幹線で帰ってきちゃったので、ちょっと行きたいなと思ってます。
そしてですね、いろいろ郵便でプレゼントの差し入れをリスナー電機からいただきました。お友達と、あとはいつも送ってくださっている方と。
一人は可愛いカレルチャペック、伝説のカレルチャペックですよ。全然伝説のカレルチャペック。これは二次三次ファンだったらカレルチャペックってあれじゃんってなると思うんですけど、うさぎさんとか可愛い絵が描いてあるお茶のブランドなんですけれども、アリトフォールもあれ大好きで、それのめっちゃ美味しそうなやつが入ってて、水出しのやつが2つとティーバッグが2つと入ってて、ティーバッグの方はもう爆速で飲んじゃったんですけど、あまりにも耐えきれなくて。
キャラメルティーみたいなやつ。香りがついているフレーバーティー。あれキャラメル入ってないんですよ。砂糖入ってないんですよ。あれ飲んでいいんですよ。だからちょっとなんか、ちょっとやや煙って感じがあるんだけど、でもなんかすごいね。なんか香りがするみたいな。味があるみたいな。味はないんだけど香りなんだけどね。フレーバーティーだから。なんだけどすごいね。ああって感じになりましたね。水出しの方のやつも飲むの楽しみですね。
で、もう一方からはですね、出しのパックとお手紙に減量中なのにすいませんって書いてあったんだけど、おせんべが入ったって。でもおせんべもね、質素ほとんどなくて、100gあたり300kcalぐらいだったんで、普通に2日間に分けて食べれば150kcalなんで、何かしら調整はできる。めっちゃヘルシーじゃんこれと思って。ちょっと感動しました。
で、出しね。いや出し熱いんだよね。いや出しね。いやちょうど、いやほんとにね、出しに関してはちょっと勉強したかったんですよ。いわゆるうま味調味料、うま味という概念に関しては、科学調味料のアプローチでどういうものでどういう仕組みかみたいなものは正直勉強してたんですよ。
だけど、いろんなものから出しが出ます。例えば野菜であったりとかかつおであったり昆布であったりとか、あとはお肉であったりとかね。いろんなものから出ると思うんだけど、それの違いって何なのか、風味ってどれくらい変わるのかみたいな。で、もちろん水の溶けやすさとかもあると思うんですよね。
例えば日本の水だと野菜の出し取れるか取れないかみたいなの全然あるわけです。有名な話ですけどね。で、風味どれくらいに差があるのか。で、それはどういうもので代替ができるのか。ぶっちゃけどう違うのかっていうのをやっぱり感じてみたかったんで、なんか出しがいっぱい入ってますみたいな。いろんな種類ですみたいな。もう最高じゃんみたいな。これを勉強しろってことだろみたいな。もう最高だぜと思って。
もう早速ね、来週、来週前、もういっぺんにもうコーヒーのカッピングみたいにこうスーってゾゾゾってこうやって、これとこれはこの味が違うみたいな感じでやろうかなと思ってますね。あとね、手描きで絵描いてもらうのいとぷる大好きなんだよね。めちゃくちゃ好きなんだよね。何なんだろうね。なんかわかんないけどめっちゃ好きで、めっちゃ好きなんだよね。何だろう。
多分だけど、多分あの若干優しい世界な感じあるじゃないですか。その、保育園とか、あとは児童館とかで、あのお兄さんになんか仮面ライダー描いてって言って、なんかちょっと描いてもらうみたいな。なんかその優しさってあるじゃないですか。なんかあの感じがやっぱり結構好きで、なんかめっちゃ好きなんですよね。
いやずっと考えてたんだけど、これって例えば、じゃあいとぷる先によく考えてるのが、自分こういうの好きだ。なるほど、これ好きだ。じゃあその好きって、その本質的には何が好きなんだろうみたいな。で、それってよりもっと上位互換ってあるのか。
よりもっとその好きなもの、いわゆる快感を得ることってできるのかとか、何かで他のものと同じで大体は可能なのかみたいなことを結構細かく毎回考えるのしてるんですよ。もう毎秒考えてるんですけど。でもね、あんまり変わりがないなと思った。なんかお手紙、なんかちょっとした落書きみたいなのをもらうっていうのって、なんかすごい買い難い喜びがあって。
これ何なんだろうな。たぶん幼少期の何かなんだろうね。ここまでなんかこう、大体不可能なこの喜びを感じてしまうっていうのは、まあたぶんなんかそういうのやってほしかったけどやってくれなかったか、そういう悲しい話なのかな。ちょっとわかんないんですよね。ちょっとわかんない。でもすごい嬉しい。
旅行会やゲームの試遊会の告知
普通に素直に嬉しい。ありがとうございますって言っとけばよかったんだけど、急にそこまで言わなくていいよっていう自己解除を始めてしまってましたよね。恥ずかしくなってきたな。でもすごい嬉しいです。ありがとうございます。
ということで、旅行会京都と奈良と2回続けてお話ししました。ぜひ皆さんも軽々しくお出かけしてみてください。そして写真とかお話とか、ぜひリスナー電機のディスコードサーバーの旅行チャンネルがあるので、そこにポコポコ書いて写真とか送ってくれると非常に嬉しいです。
伊藤ぽいどのお出かけの参考にもなりますからね。そしてね、告知がございます。たぶん来週ですね。来週の14日に、某VTuberさんの某なんとかに伊藤ぽいどがゲスト出演する気配があります。これ気配です。気配。なぜかというとまだ正式には発表されていないので気配としか言えないんですけども、
ちょっと金曜日の夜帯になるので、ぜひYouTubeの方で生放送でね、リアルタイムで応援してくれるとすごく嬉しいです。マジで頼むリスナー電機頼む。何でかっていうと多分超アウェイだから。
なんで?っていう。なんで伊藤ぽいど?っていう感じになるので、マジでニコニコ動画みたいな感じで頼むわ。ニコニコ動画ってうぽつと8888、あの拍手のやつあるじゃん。あとわらわらわらの草生やすでしょ。あれ頼むわ。
伊藤ぽいどがなんかあー伊藤ぽいどちゃんなんか頑張ってるなーみたいな。あー頑張ってるあー頑張ってるみたいな感じでちょっとマジでその、頼むマジ桜でいいから。桜でいいから。ちょっとちょっと卑屈すぎるかもしれないんだけどちょっとマジ頼むわ。ちょっと応援してほしい。
頼む。伊藤ぽいどの普段の活動は結構その、あんまりそのあんまりファニーじゃないっていう問題があって、でも多分求められてるのはファニーな動きなわけよ。だからうわーなんか伊藤ぽいどちゃんあーなんかあーあー元気だねみたいな感じになると思うから、それをぜひわらわらわらわらをしに来てほしい。頼む。よろしくお願いします。
はい。つきましてはですねYouTubeの自分のアイコン設定とお名前をなんか適当なものにしてもらって、コメントしたときにスパムに見えないようにしておくっていう準備をお願いします。これが6月14日です。よろしくお願いします。
そして6月の末に、すごいざっくり言うと伊藤ぽいどが個人、完全に個人制作です。これは案件でもなければお仕事でもないです。個人の部活動で制作しているアーケードゲームみたいなのがございましてですね、そのアーケードゲームの試遊会みたいなものを全国3カ所でやる予定です。
ちょっとね、いろんな大人の、大人と言っても伊藤ぽいども大人か。場所をね、結構がっつりお借りして、全国3カ所って言いながら、多分神奈川と熊本と福岡。なぜ?その3つ。理由があるんですけど、理由があるんですけど、関東の人は神奈川。横浜の隣です。そんなに遠くないです。
はい。の場所と、いわゆる関西地方の方はちょっと福岡遠いかもしれないけど、福岡。で、熊本県民は熊本です。熊本県民、熊本のみんな、熊本に集合してくれ。よろしく頼む。なぜ熊本?熊本に会いたいからだよ。熊本に会いたいからだよ。熊本見たいんだよ。
熊本。熊本って歌の、この2節だけをなぜかずっと覚えて、伊藤ぽいどもね、暇になると同時にね、なんかちょっと手持ちぶさだなって瞬間に、熊本。熊本ってボソって歌ってね、毎日をね、みたいな感じにさせるっていうのがね、伊藤ぽいどものね、性質、口癖としてあるんだけど。熊本に会いたいですね。よろしくお願いします。
なので、7月の多分、6月の末か7月の頭にそういうのやりますっていう告知があって、7月の第3週、4週、5週、だから8月の1週くらいかな、の3週間にわたって、その神奈川と、熊本、神奈川、福岡の順番なのかな、多分。
っていう感じで多分やっていくと思うので、ちょっと是非、是非是非の是非、予定を空けて参加してほしい。なぜかというと参加してくれないと寂しいからです。これはガチなんです。これはガチ。
なので、ズボンね、ちゃんとズボンで着てください。ワンピースとかダメです。で、タオルとかも持ってきてほしい。うん。でもレボガンガン利かすから多分大丈夫だと思うけど。うん。で、お土産が多いので、ちゃんとエコバッグみたいなのデカめのを持ってきてほしい。はい。うん。そんな感じです。
お伝えしておきます。リスナー電気枠もちょっと設けようかなと思っています。うん。なんかみんなに喜んでほしいと、みんなに楽しんでほしいという気持ちが、イトっぽいでは最近は、あの、なんか人の心がやっと芽生えてきた。そう、イトっぽいでは、やっぱ、やっぱ最強の人間になりたい。最終的に。なんか、もうすべての、なんか、なんていうのかな、水々をじさない人間になりたい。
だから、水々を、水々をじさないっていう時点で、ダメなんだよって感じなんだけど、あの、なんかね、なんかめっちゃ、なんか、なんか偽物が本物を上回るみたいなさ、あるじゃん。エミヤシロー的な話。エミヤシロー的な話あるでしょ。あいつ倒してしまっても構わんのだろう的な話あるでしょ。
やっぱ、願作が本物であろうとするというその気持ちは本物よりも本物なのであるっていうやつだよ。それなんじゃないかっていうのをイトっぽいではちょっと最近思っている。はい。なのでね、えー、みなさんに喜んでほしい。はい。美味しいお菓子もございます。美味しいお茶もございます。お茶じゃなくて多分コーヒーですね。あとプロテインですね。
もうネタバレで伝わってしまったかもしれないですけど、よろしくお願いします。ということで、予定だけは受け取りくださいというのと、リスナーディスコードサーバーに入っていただくと、いろんなワクワク情報が、オープンインターネットに効果されないワクワク情報が出ると思いますので、ぜひ皆さん入ってください。挨拶とかしなくても入ってみてるだけでも全然いいので、入ってくれると嬉しいです。それではまた次回。