1. なかよしインターネッツ
  2. 212. 創作における尊さを言語..
2024-01-27 35:27

212. 創作における尊さを言語化してみよう

どうしたら出汁をグルタミン酸ナトリウム化できるか=尊さの感情を再現性のある形で創ることができるか、について考えます。一次創作が物語のためにあるのであれば、二次創作とは美しさや尊さのためだけにある物語といえる。それは愛の物語であり、既に物語がある前提の思想であるという話。そこから、イトッポイドがポータルサイトを作ろうと考え始めている理由について。

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📝¦感想は #なかよしインターネッツ

サマリー

彼女は創作に込められた尊さを言葉にしようとしています。一次創作と二次創作の違いや、二次創作を愛の物語と考えることを考えています。また、二次創作におけるキャラクターの尊さや描き方についても話しています。彼女は創作における尊さを言葉にしようとしています。五条悟の極文教の封印の一部分は、非常にゲトー・スグルトの少女漫画的な要素であり、キャラクターや尊さを描くことに重点を置いています。彼女はキャラクターと尊さの関係性だけでなく、キャラクターと物語の関係についても考えています。彼女はログを残すことで、多くの意図やコンテンツを表現することができます。また、一期一会な出会いを演出することも可能です。彼女は創作における尊さを言葉にしようとしています:人間の感情は非科学的なものであって、その気がするという気持ちによって人間が行動を起こし、それによって物理的な状況が変化するというのは否定できない現実世界の話なので、作品の運命的な出会いとその尊さに通ずると思います。

創作における一次創作と二次創作の違い
創作に込める尊さを言語化しよう。
はい、えーと、まあすごいシンプルに言うと、
二次創作と一次創作を作るにあたって、
どういうところが違うのかというのを言語化してみようという試みになります。
で、一言で言ってしまうと、まあふとこう気づいて、
いわゆる一次創作オリジナルですね、というものは、
言うてしまえば、例えばそれが漫画であったり小説であったりストーリーであったり、
最近ちょっとそういうことをよく考えるんですけれども、
その一次創作というのは、ある種物語を作るものに結構近い。
もちろん、ビジュアル作品、いわゆるアート作品とかそういうのは別ですけれども、
ここではストーリー、いわゆるキャラクターが登場するような創作のことを話しているという前提で聞いてください。
その一次創作というのは物語がある前提、物語を作るような創作。
一方で二次創作というのは何かというふうに考えたときに、
物語のためだけではなくて、美しさや尊さのためだけにある物語なんじゃないかというのをふと気づきまして、
すなわち二次創作というのは愛の物語でもあると。物語がもうすでにあるよ、その上で何かを描くということ。
もちろん文字通り二次の創作なんですけれども、
二次創作、なんでこういうことを考えているかというと、
いとぷりの二次創作の漫画とか、1ページ漫画、2ページ漫画とかを読むのが少し好きで、
昔からはまったジャンルの、だいたいはまる、そういうふうにはまるものっていうのは、
二次創作の愛の物語とキャラクターの尊さ
女性に人気のある女性ジャンルのほうが多いんですけれども、
例えば今だったら、今FGOのサムライレムランとコラボが激アツで、
ユイ小説先生とか知恵門とかが激アツなわけですよ。
オベロンとかも好きなんですけどね、グダをかけるオベロンみたいなのを、
普通に同人誌買うぐらいに好きなんですけれども、
そういった二次創作で1ページ漫画、2ページ漫画とか、
もっと長くて何十ページも即売買いに書かれるようなものもあるんですけれども、
それを読んでいるときの楽しさって何なんだろう。
その満足感、幸せな気持ちって何なんだろうって、
これをどうにかして再現できないか、どうにかして自分も作れないか、
そしてより多くの人を喜ばせることはできないか、そういうことを考えるわけですよ。
もともと身も蓋もないこともいえば前提があって、
その上でちょっとオムニバス的に読むから、
ある種コンテンツを読むにあたって、消費するにあたってのいわゆるMPですよね、
気持ち、腰を上げたりする気持ちが少なくて済む、
もうすでに権がある、権っていうのは見るという感じを書きますね、認識のことです。
もう権があるようなキャラクター、登場人物をもう一回見るっていうのは、
すごい心理的なコストが低いからっていうことだけだと思っていたんですけれども、
そう考えても違うと。
じゃあ何なんだろうって思ったときに、
この間コロナで今もちょっと病み上がりではございますけれども、
10日間ぐらい地獄を見たときにものすごく苦しいわけですよ。
辛いときに、あまりにも辛すぎて寝れない、
もちろん不眠は別の症状だったんですけど、コロナとは別に今もちょっとあるんですけれども、
あまりにも辛いときにこのコンテンツは見ても辛さが加速しない、
いわゆる穏やかな気持ちになれる。
このコンテンツはより辛さが加速する、
いわゆるちょっとトゲトゲしてる感じがする。
このコンテンツはアドレナリンが出て痛みを忘れられる、
もちろんネガティブな意味でのアドレナリンでもあるけれども、
みたいな形でどういうコンテンツが、どういう表現が人間にとってセラピーになるか、
そして逆に刺激になるか、
そしてまた別の方向でアドレナリンが出て痛みを忘れられるか、
ポジティブなアドレナリン、ネガティブなアドレナリン、
いわゆるそれが核化する怒りの気持ちでもアドレナリンも出ますから、
そういう人体実験を実は10日間ずっとしてたんですね。
あらゆるコンテンツを自分にぶつけてみて、
より辛くなってもうスイッチを切りたいという気持ちが加速するコンテンツ、
それかものすごく和やかな気持ちになって癒される、
一時の痛みを忘れられるようなコンテンツ、
そういうものは何なんだろう、その要素は何なんだろうっていうのを全部試してたんですよ。
かなりいろいろな発見があって、
これは人をどういう気持ちに、いわゆる何か作ったものにおいて、
デザインされたもの、作られたもの、アーティフィシャルなものにおいて、
人をどういう気持ちにするかっていう、ある種魔術ですよね。
こういった魔術の取り組みというのはマイトポイドのずっと研究しているトピックともいえるので、
非常に有意義な実験だったんですけれども、
そんな中で、やっぱり二次創作で素敵な漫画とかを見たときの、
やっぱり癒される気持ちっていうのは何だろうと考えたときに、
それは愛がそこに込められているから。
そういう言葉にすると、それは好きだから、何か大切に描くからじゃないのっていうふうに思う。
二次創作における尊さの表現方法
そういう一言でついつい考えを止めてしまう。
それが今までの自分だったんですけれども、
そうではなくて、美しさや尊さのためだけにある物語、
すなわちキャラクターというものはある種、
それこそゼロ年代のアニメとかはキャラクターが主体であって物語がない、
たぶん日常系アニメとかそうだったと思うんですけれども、
でも冷静に考えてみるとキャラクターというのは物語のために存在するものであって、
物語を駆動させる一つの歯車でしかないと。
プリンセスチューチューのドロッセルマイアさん的な思想なんですけど、
歯車の一つでしかないと。
そうなった時にどうしても役割をやらなくちゃいけない。
いわゆる物語を進めるために、
本当はこんな辛い思いをしたくないけれども辛い思いをさせたりとか、
別に感動をしたいわけでもないんだけど感動しなきゃいけない。
例えば恋に落ちなきゃいけない、失恋をしなきゃいけない、
ショックを受けなきゃいけない、立ち上がらなければならない。
すなわち障壁を乗り越えるためのアクションを映さなきゃいけない。
キャラクターというのは物語のある種奴隷となる、
そういった側面がゼロではないというのが一つ言えると思います。
ただ二次創作の場合は、
日本とかでよく描かれるような二次創作というのは、
物語のためではなくキャラクターのためにあるんですよね。
キャラクターが素敵好きだから萌えだから可愛いから、
もちろんそれは関係性もあるとは思うんですけど、
キャラクター同士の関係性も。
ただそこでやはりなぜ描かれるのかというと、
非常に平らな言葉で、開かれた言葉で喋ると、
そのキャラクターの素敵なところというのを、
消失化するために描くんだと思うんですよね。
このキャラクターは好きなんだ、
このキャラクターのこういうところが萌えなんだ、
可愛いんだって思ったその瞬間を描くわけですよ。
すなわち物語があって、そのためにキャラクターがあるのではなくて、
キャラクターの素敵なところ、素敵な瞬間、
美しい部分、尊さの部分、
尊いじゃなくて尊さですね、目的誤化しているから。
尊さの部分、そこを描く、
そこだけに集中しているっていうのが、
素敵な愛を感じる二次創作であろうと。
やっぱり、もちろん見てわかるじゃないですか。
これはこのキャラクターが好きなんじゃなくて、
その作品の何かお決まりのギャグみたいなのがあって、
そういうのを人気のキャラで描けばいい。
こういう言い方もあるんですけど、
ブルーアカとかはあまりにも人気ジャンルだし、
キャラクターよりももはやブルーアカというジャンルが
ミーム化している。
先生というシステムによってかなりミームになっているので、
愛を感じるものと、そうでないものというのが
玉石混合になっている。
これは人気ジャンルの宿命なので、
昔からそうだしブルーアカに限ったものでもないんですけれども、
全然昔からそうなんだけど、
春日とかもそうだったしみたいな。
別にイットポイラーはそういうのも好きですけどね、
もうなんか春日が描いてれば何でもいいみたいな。
そういうのはぶっちゃけありますから。
もうそこはね、イットポイラーは嘘つけませんよ。
そういうのもありますけれども、
だから全てが愛が込められているわけではないけれども、
その尊さのためだけにある物語、
すなわち物語があり、キャラクターがあり、
そしてその中、その物語を駆動させる中で、
読み手が築いたそのキャラクターの美しさみたいなものを、
逆にですよね、構造を全く逆にして、
今度はそこを主体に描く。
だから尊さのためだけにキャラクターが駆動するっていう、
ちょっと逆説的な構造になるわけですよね。
でもその尊さを描ければいいから、
1ページ漫画でも2ページ漫画でもまあいいわけですよ。
例えば少女漫画のネームを描くときみたいなのって、
時系列でコマを進めていくんじゃなくて、
女の子、いわゆる主人公ですね、
主人公の感情とかでコマ割りをしていく。
だからちょっとこう、なんだろうかな、
ああしてこうしてこうしてこう、みたいな、
それこそ物語のコマを進めるためのコマ割りではなくて、
感情を動く、本当に感情を描くっていう、
少女漫画のノリであるじゃないですか。
結構大ゴマで背景が映っててみたいな、
なんかその一瞬、男の子にちょっと告白されたシーンとかで、
その一瞬の時間がものすごく、
1ページ、2ページぶち抜きとかで結構ゆったりと描かれる。
あれは流れている時間じゃなくて、
主人公の感情の時間ですよね。
いわゆる五条悟先生の、
キャラクターと尊さの関係性
五条悟の脳内で何秒みたいなやつ。
極文教の話ですね。
あれって本当に少女漫画的で、
五条悟の極文教の封印の一くだりというのは、
非常にゲトー・スグルトの少女漫画的なやつ。
だから青の住処で、青は住んでいると、
北谷達也さんも歌うわけでして、
あれが女性ジャンルとしてかなり人気になるのもうなずけるというか、
というかそれそのものですよねという、
関係性を描くというよりも単純にその、
関係性を描くと今までは結構ざっくり考えてきてしまってたんですけれども、
関係性じゃなくて、そうじゃなくて尊さを描いてるんじゃないかっていう。
尊さ、いわゆるキャラクターそのものの感情ではなくて、
それを誰かが見た時、今ここで言うと作者であったり読者であったりですね。
いわゆる壁、壁になりたいの壁ですよね。
壁から見た時の、
現実している尊さですよね。
だからキャラクターと別に尊さという、
尊さ君、尊さちゃんっていうのも、
そのキャラクターからポップアップしている。
で、そのポップアップした尊さちゃんっていうのを、
尊さちゃんっていうのがいるんだよ、
ここにいるんだ尊さちゃんってこういう顔してて、
こういう子なんだっていうのを表現するためだけに、
キャラクターが駆動されると言っても、
もちろんこれはちょっと身元もなさすぎる言い方ですけれどもね、
尊さちゃんとキャラクターというのは、
キャラクター本人というのは、もちろん切っても切れない関係でもありますからね。
ただ物語とキャラクターが切っても切れない関係かというと、
そうではないと思っていて、なぜかというと、物語の、
いわゆる始まって、物語が始まって、
終わりを迎えた後も、そのキャラクターというのは、
もちろん死んでたらそのままですけど、
誰かの記憶で生き残るから、生き続けるから、
そうだと思うんですけど、キャラクターというのは生き続けるわけじゃないですか。
物語がある前、もしくは後、
もしくはその物語がなかった世界線みたいなところで、
キャラクターと物語の関係
キャラクターというのは生きているわけで、
キャラクターというのは物語のためだけにあるっていうわけではないという、
この創造力というのは、
現代において、現在においては、
非常に皆さんすっと納得がいくと思うんですよね。
それはその、
ゼロ年代のデータベース消費運動とかそういう話とはまた別に、
もう普通に本能でもわかると思うんですよ。
それにしても世界線というその概念が、
ここまでも通じやすいというのは、
スタインズゲートでそこから影響を受けたヒゲ団の影響もあるんじゃないでしょうかと思いますけど、
プリテンダーですね。
グッバイの曲ですね。
プリテンダーもね、プリテンダーってなんだって感じですけど、
FGOやってるとオベロのプリテンダーでね、
クラスを隠して嘘をついて、
身に纏うっていうね、
そういうクラスプリテンダーっていうね。
ヘファイスティオンもやっぱ好きなんだよね。
あれなんだよね、
ロードエルメロイ2世の次元ボイトっぽいのが知らんほど好きなので、
やっぱりヘファイスティオンは、
ちゃんとFGOでも、
レベルを上げてちょっとレベルを高くしてるんですけれども、
でもなぁ、FGOのヘファイスティオンはちょっと
良い子すぎる気がするんだけどなぁ。
話を戻すんですけど。
その尊さの瞬間っていうのを、
そこまでなんとなく、
きっとそういうことだなっていう分析ができましたと。
じゃあそれをどうやってたくさん作るか、
どうやって無限に出るようにするか、
仕組み的に尊さというもの、
そしてその尊さを見た時に、
うわぁ尊いって感じるこの感動と、
この癒される気持ちというものを、
もっと味わいたいと思うわけですよ。
一方で強欲の壺なので、
デッキからカード2枚ドローするので。
これをね、どう考えるべきかってなった時に、
結局、
すなわちキャラクターというものは、
その描かれていないところでもいますよね。
ただ結局描かれていないところも、
想像できるためのヒントとなるような要素というのは、
ストーリーではなくて、
ストーリーの記録ではなくて、
むしろその尊さちゃんのところではないか。
いわゆる尊さちゃんというのを一つ認識すれば、
その尊さちゃんというものが、
たくさんこういうところでも尊さちゃんって出るよね、
っていうふうに想像できればいいんですよね。
だからキャラクター性みたいなふうに言われていたものというのは、
もちろん物語、
例えばお話を書いていくにあたって、
キャラクターが勝手に動き出すっていうのはあると思うんですよ。
でもそこで言われているものは多分、
キャラクター性と言われるもの、
その子の性格であったりとか、
いわゆる外部の刺激に対して、
時間経過も外部の刺激としましょうか。
そこに生きているだけでも、
何らかしらの外部の刺激はあるからっていう意味ね。
外部の刺激に対してどういう反応をするのかっていう、
どういうふうに考えるのか、
そしてその理由は何なのか、きっかけは何なのか、
それがキャラクター性だと思うんですよね。
それは物語を書くにあたってはいいんですけど、
トートさをとにかく感じてしまい、感じたいんですよ。
トートさをたくさん想像できるようになるような、
そういったキャラクターが生まれていれば、
いわゆる自分がめっちゃハマってるキャラクターのことですよね。
それを擬似的にアーティフィシャルに人工的に作り出すことができれば、
キャラクターの創造と尊さの表現
もっと快感を得れるんじゃないか。
イトポールはかなり快楽主義、協力主義、
もうとにかく欲望に弱すぎるので、
やっぱ欲しくなるわけですよ。
そう考えた時に、
じゃあどうすればいいか。
トートサちゃんというのを、
たくさん突然の要素があれば、
もちろんそれだけいっぱいシチュエーション生まれますよね。
だからトートサちゃんというのをポップアップさせればいい。
ってなった時に、
ちょっと思ったのが、
トートサちゃんがポップアップするような機械を
多く作ればいいという話になるわけですよね。
ってなってしまうと、
ものすごく身も蓋もないことを言えば、
いろいろな物語にそのキャラクターをぶつけて、
そのキャラクターが何かしらの反応をした時に、
ワンチャントートサちゃんがポップアップするかもしれないっていう賭けに
ベッドするために、たくさんの物語にぶち込む。
これも一つの手ではあります。
ただ、トートサちゃんが生まれない場合もあるわけですよ。
普通に死んでしまったとか、
全然活躍できなかったとかそういうのはあるわけじゃないですか。
100%いけるというわけではないんですよね。
それってものすごく時間もかかるし、コストもかかるし、めんどくさいし、
大変だと思うんですよ。
じゃあどうすればいいかというと、
多分トートサちゃんを読み手の中でポップアップさせるための
ヒントというものをたくさん作ればいい。
たくさん用意すればいいんじゃないかって思ったんですね。
ここでちょっと話が
アクロバティックになってくるんですけれども、
インターネット、
いわゆるログというものがあるじゃないですか。
ブログとか、
過去ログみたいな、
いとっぽいとのポータルサイトを作ろうと思っていて、
ポータルページみたいなものをノーションでまとめようと思っていて、
何でやろうとするかというと、
過去の発想から来てるんだけれども、
すなわち、
過去の軌跡、いわゆる過去ログですよね。
すごい簡単に言うと、まじで昔のミクシーブログだから何でもいいよ。
黒歴史と言われてしまうかもしれないけど、
ログが残っていること、
いわゆるたくさんコンテンツがある。
過去こういうようなことを考えていた。
過去こういうようなやつをやっていた。
これがなぜいいかというと、
過去、いわゆる今とは違うわけですよ。
今とは違うポイントポイントで言うと、
過去、例えばブログ記事を読みますと、
それが2019年のブログ記事だとしますと、
それを読んでいるとき、
そしてその書き手が、例えばそのキャラクターだったり、
その人物だったり、もしくは誰かが描かれている、
話題に上がっている、
その過去に描かれた○○ちゃんというものと、
今想像する○○ちゃんというのは、
その読み手においては、
読み手、読者、ここで言うとイトッポイドであったり、
リスナー電機のあなたであったり、
というのが同じ時間で聞く、
いわゆる2024年の1月27日の13時15分に、
それを認識するという時点で、
そのキャラクターが、
今いるであろうキャラクターと、
過去のログの中にデータとしているキャラクターというのの、
2つがいっぺんに存在するわけですよね。
すなわち、
この時間軸において読み手の想像力の中で、
実は分身している、
いわゆる複数ある、
すなわちそれは世界線が2つある状態、
その両方をいっぺんに観測している状態、
ルートを観測している状態と技術的に同じだと思うんですよね。
この同じ状態というものがありますと、
ってなると、
キャラクターが、
意図とコンテンツの多様性
この瞬間、
1時16分のタイミングで複数ある、
これをたくさん、
いっぱい並べられるとしたら、
今この瞬間にキャラクターが、
トートサちゃん、
キャラクターの素敵なところというものが、
ポップアップする可能性というのを、
この1秒の瞬間に複数回やることができるわけですよ。
わかりますか?
いわゆる物語にぶつける物語の時間軸がありますよね。
流れていく時間があります。
だから1秒に1回しかできないわけですよ。
カコログというものを、
コンテンツという形で、
当社受報じゃないですけれども、
パコーンとしおりを閉じた。
そのしおりを閉じる瞬間に、
読み物、見物、何でもいいんですけど、
情報でも何でもいいんですけど、コンテンツ、
いわゆる人物キャラクターがコンテンツになった瞬間に、
写し身になって分身するわけですよ。
それがたくさんあれば、
多数の方がポップアップする可能性ってでかいじゃないですか。
っていうことに気づいて、
ああなるほど、そうすればいいんだっていう。
すなわち、そもそもだって二次創作というものを、
物語が、
例えば一期が完結しました。
まあ完結しなくてもいいけど、自律解散終わってないしねみたいな。
解決してなかったとしても、
ifの歴史というものを書き手が大量に、
AさんとBさんとCさんが、
コミトレとかで、
アカブーとかのイベントで、いっぺんに同人誌書くわけじゃないですか。
ってなったときも、このアカブーのイベントに来たときに、
たくさんの同人誌に50のソフトウェアが書かれてるわけですよね。
それと結構近しいじゃないかっていう。
すなわち、書き手が少なかったとしても、
ログがたくさんあれば、
鑑賞者的には、
たくさん同人誌をこのイベントで、
グワッて出てくる状態と同じにすることができる。
さらに美味しいのが、
時間というのは流れていくんですよ。
奥さん知ってますか。時間って流れるんですよね。
止まってないんですよ。ここヤバいんですけど。
時間って流れていくから、ログさえ残っていれば、
無限にそのしおりというのは挟まれていくわけで、
無限にそのコンテンツが増えていくんですよね。
これは結構ヤバい概念だなと思っていて、
時間って進んじゃうんだみたいな。
時間って進むのヤバくないですかみたいな。
ハッと気づいて、
すなわち、
わざわざ、
今かなり抽象的な話、
かなり魔術的な話をしてしまっているんだけども、
これをもっとひきんな話にすると、
例えば、
何かキャラクターを描きたいっていう時に、
すごいそのキャラが魅力的に映るような、
障壁とか、
ストーリーとか、いわゆる長編の、
すごい一生懸命描いたストーリーみたいなものを用意して、
コストを高くするっていうのも、
もちろんいいんだけど、
物語の中でのキャラクターというのもいいんだけども、
そうじゃなくて、
その美味しさだけを、
すなわち、味の素の話なんですよこれは。
これね、味の素の話で、
グルタミンですよね。
旨味ですよね。
グルタミンを、鰹節から鰹を取って、
乾燥させて鰹節にしてシャシャシャシャって削って、
それでそれをお湯に入れて、
出汁を取って、濾してみたいな風にして、
旨味のグルタミンを作るか、
味の素、グルタミンだけをパッパッパって3振り、
1、2枚3振りくらいですよね。
やるかという話なんですよね。
もちろん、ゼーシャにはゼーシャの良さがあるし、
いろいろな複合的な香りのものとかもあるので、
また違う味わいももちろんあるんですけれども、
旨味だけを感じたいって場合は、
味の素を使うしかないでしょ。
味の素がヤバいみたいな風に言う人が、
まさか中越インターネットのリスナーにはいないと思うんですけど、
もしいたら、
違うポッドキャストとか聞いてほしいんですけど、
ちょっと申し訳ないんですけど、
申し訳ないんですが、
向き不向きがあると思うので、
ちょっとなんか違う、
違うポッドキャストとか聞いてほしいんですけど、
それはお話を戻しますが、
グルタミンを作りたいという話なんですよね。
で、そうなった時に、
例えばじゃあイトッポイドを
もっと素敵に
するには、
それはイトッポイドが成長するためにはっていうのもそうだし、
イトッポイドをもっと魅力的に
リスナー電気が楽しんでもらえるように
するためにはどうすればいいかみたいな、
そういう命題にも応用が可能ということなんですよね。
すなわち、大きな目標を作って、
それに向かって努力をして、
しかもそれが確実にクリアされなければならない
っていうような、
そういうストーリー的なものを用意するのではなくて、
もっと再現できるのではないか、
もっとその旨味、グルタミンを作ることができるんじゃないかっていう、
そういう発想になるわけですよね。
確かに今言ったストーリーを作ってっていうのはすごい大変で、
それがうまくいくかわからない、
いわゆる現実世界というのは非常にアンコントローラブルなもので、
ドロセル・マイヤーさんみたいに
すべてと書きで書けばその通りに現実が運ぶ
っていうわけではないわけですよ。
例えば絶対に武道館に建てるかって言われたらそうでもないわけですよね。
武道館に立つんだみたいな
そういうところ1本だけに
ベッドするというのは非常に
ちょっとパワープレイすぎる
っていうのは我々はもう大人だからわかるじゃないですか。
そうじゃない時に
どうすればいいかってなった時にさっきの話が応用できて、
すなわちたくさんの意図っぽいのコンテンツを
作るのではなくて、見た瞬間にたくさんある、
そのたくさんあったいろいろな意図っぽい世界線を
割って見てもらえればその中で
その読み手の中でここが好きかも、ここちょっといいかも
こういうの好きだよねとか、あとは過去自分が
感じて素敵だった、好きだった
あれにちょっと似ているみたいな感じで勝手に
その読み手の中で醸成してくれたりするわけじゃないですか。
それを再現するためにどうすればいいかってなると
普通にログを残すこと、ログが見やすいこと
それがいっぺんに見れることだと思っていて
すなわちちょっとずつ追っていくっていうのももちろんあるんですけれども
出会った時に一気読みできた方が多分
感動しやすいと思うんですよね
ってなった時に、じゃあログを残した方がいいな
そしてそのログが見やすい方がいいよねっていう風に思うわけです
これ意図っぽいだけじゃなくて他の全てにおいて言えると思うんですよね
非常にこれ
かなりシンプルな話で
アクセシビリティを良くしましょうっていうのと
一覧性を良くしましょうっていうのと
積もり積もっていく形にしましょうっていう
やったものがその場その場で
インスタントに消えていくのではなくて
ちゃんと続きものとして
見た時とか
隣のものを見た時に面白さが
より発展するようにしましょう
いわゆる同じことをずっと
1巻2巻3巻4巻5巻6巻7巻8巻9巻って
同じことをずっとやって
AメロがあってBメロがあって
サビがあってCメロがあってってなって
AメロとBメロとCメロがなんと同じですみたいな
サビだけちょっと違いますってなると多分
隣のコンテンツ見た時にAメロが同じだったら
もう見なくていいやってられるじゃないですか
みたいなこういうすごいシンプルな話なんですけど
っていうことじゃんっていう風にハッて気づいて
一期一会な出会いの演出
すなわちなんでそれを
今更言ったのって話なんですけど
コンテンツがあまりにも
一期一会過ぎるじゃないですか
じっくり読むっていうノリでもないじゃないですか
でも逆にハッと思ったのが
一期一会なのであればこの一期一会性というのを
逆にもっと運命的に
演出することも可能ではないかと
すなわちこのたくさんの川の中から天の川の中から
この星一つを見つけたあなたと私というのは
運命的な出会いをしたのである
このコンテンツをあなたが今見つけたのは
本当にあなたの人生にとって今この瞬間に出会うべきだったから
出会ったのであるみたいな
イトポルはこういうことを
占いの価値
悪ビレもなく言うっていうか
結構本当にそう思ってるからそういう口から出ちゃうんだけど
イトポルはロマンチックなのでね
ロマンチストなので占いとか嫌いではないので
占いというのは
占いの書いてあることとか
言ったことではなくて
それを読んだ時に自分の中で生まれるような感情であったりとか
自分の中で自分を相対化する習慣のない人が
相対化した時にハッと気づくこと
そこの動きにこそ価値があるのであって
そこに書かれているものであったりとか
占い師さんそのものには全く実は価値がない
っていうことを言うと今度占い業界の人からめちゃくちゃ怒られるんですけれども
イトポルはそうだと思っていて
だから椎茸占いとか大好きですけどね
当たってるみたいな風に
イトポルはピュアに言いますよ
人間の感情と行動
当たってるとか当たってないとかじゃなくて単純に
自分の中で感動すればいいので
だから人の心を動かす人の感情を相対的にハッと気づかせるような
そういったテキストであったりとかそういった喋りであったりとか
そういった振る舞いであったりとか
っていうものなのでね
何か正しい正しくない
当たる当たらないっていうそういう話では全くないわけですよ
そんなものは非科学的でございますから
ただ人間の感情というのは非科学的なものであって
何か思い込みとか何かそんな気がするっていう風になってしまう
その気がするっていうその気持ちによって
人間が行動に移してその結果
何かしら物理的な状況が変化するっていうものは
それは否定できない現実世界の話なので
イトポルはそこは認めますよ
そこは認めた方がいいですよ
人間というのは非常にしょぼくて適当で思い込みが激しくて
作品の運命と尊さ
ただそれによって行動してしまう生き物で
その行動というのが現実に表出してしまって
もう二度と取り戻せないような歴史を紡いでいくという
こればっかりは現実でございますからね
非常に非科学的でございます
話を戻すんですけどということでイトポルでは
最近ログというのを考えないといけないなと思って
ノートとかにずっと日記とかを返したりする
その日記の一つをたまたまクリックして
なんかめちゃくちゃカコロがあるんだけどって見たら
なんか結構面白くて2時間くらい結構読んじゃったなみたいな
まだこういうインターネットでもこういう日記とかあるんだっていう
この感動の気持ちってあるじゃないですか
みなさんもまだギリあると思うんですけど
ぶっちゃけ仲良しインターネットのポッドキャスト聞いてる人の
ほとんどが多分この感情を持って聞いてると思うんですよね
こんな非合理的なものをやる必要なんてないわけですから
他の人はやらないですからね
でもそういったこの感情を作ることというのはできるし
よりその運命的な出会いというのを演出することもできるので
なんかもう一個一個が雑だから
なんかインスタントなものスナッカブルなものしかできない
っていう風にうーんって悩んでいたんですけれども
意図っぽいのもみなさんと同じでね
でもそうじゃなくてそれを逆説的にもっと
たくさんの人に伝えられるようなものを
伝えられるようなものを伝えられるようなものを
まそれこそマーケティングより
運命を信じようみたいな話でも
そこからもつながってるんですけれども
そこから
生まれる尊さみたいなのもあるんじゃないかな
っていうのを思いますね
なんかふと今まで知らなかったけれども
すごい好きな昔の漫画見つけたみたいな
でなんかめちゃくちゃ関数あってしかも完結してるから
一気読みできて最高みたいな、そういう気持ちってあるじゃないですか
しかもなんかなんか、え、意外と調べたらスピンオフもあるみたいだぞみたいな
商業BLとかってよくあるんですけれども
その時のうわぁみたいな気持ちってあるじゃないですか
で、その作品に自分がいつ出会うかっていうのってコントロール可能かというとそうでもなくて
じゃあなぜ今出会ったかというとたまたまで
でも昔読んだ時にここまで感動するかどうかっていうのもわからないじゃないですか
だからまあほとんどが全部偶然で運命的なものなわけですよね
で、そういったものとその尊さみたいなものというのは意外と通ずるところがあるんじゃないか
このグルタミンをどう作るかっていうのを最近は考えています
で、少しずつイトポイドもなんだろうな
まあこのグルタミン、結局グルタミンを作ってイトポイドがどうなりたいかというと
まあ皆さんが幸せにちょっとハッピーな気持ちになればいいなってそこまでしか考えてないんですけれども
あんまりそういう意味の欲はないので快楽は好きなんですけれども
いっぱい儲けようみたいなあんまりそういう欲望はあんまないので
そこはちょっとリハビリテーションで考えていかないといけないのかなっていうか
そこも血を通わせて想像力が運ぶようにやらなきゃいけないのかなみたいなのも最近はよく考えています
ということで今回はちょっと抽象的な話をしてみました
ではまた次回
35:27

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