死に向き合う感情
はい、それじゃあ今日も始めていきます。今日は、人の死は涙が出るものっていうタイトルで話してみます。
まあやっぱりね、人が亡くなって大きなイベントじゃないですか。
で、そう、なんかこう、そうだな、私結構
悲しまないタイプって言われるし、自分もそう思うんですけど、
でもまあやっぱりその人が亡くなった時ってちょっとなんか一段違うなぁとは思ってて
全然関係ない人でも、だからまあ病院で見ててね、その本当にじゃあ極端な話も
救急外来で来たけども、そのまんま最後確認しないといけないみたいな時もですね、やっぱり経験はたびたびあるんですけど、
そういうのでも、なんだろうな、こう、なんか涙って出るもので不思議なんですよね。
あの、なんか悲しいとは別の感情の気がするけど、
そう、だから、その他人でさえそれだし、ある程度こう心霊してね、付き合いが長くなってきている人が亡くなったらやっぱりそれは悲しいし、
って思うと、自分の親族、めっちゃ近い人が亡くなったことまだないので、
まあなんかちょっと想像できない部分はあるんですけど、
なんかその、多分悲しいとは違う感情で、こう自分が
ストップしてしまう時間がおそらくできるんだろうなーって、
なんか思います。やっぱ亡くなった時ね、近い人が亡くなった時に、
休み取るじゃないですか。 気引きでね。
あれすごいなんか妥当だなぁと思ってて、まあ多分、働けない、みんな働けないから休むのかな、多分ちょっとどういう事情であれが世の中の常識になっているか、僕詳しいことはわかんないですけど、
でもなんかこう、やっぱりちょっと落ち着くために時間はかかるだろうなぁと思いますね。
それってその、まあ何だろう、自分が当事者でそうやってこうしんどい思い、しんどい、しんどいでもないんですよね、なんていうのかな、
もうやっぱりなんかちょっとね、しんどいとか悲しいとかとはちょっとまた別の感情なんですけど、
なんかその、思考が止まってしまうというか、
まあそれこそただただこう、僕等を捧げたくなるような感じがね、なんか
必要な時間があると思うんですよね、その人のことを忍ぶっていうか、
っていうのが、まあ当事者自分自身もそう思うし、あとはその、なんか亡くなった家族の患者さんとか見てても、やっぱりそうなんだろうなぁって、なんかこう受け入れるまでに、
それが1週間で受け入れられてる人ってあんまりいないと思うんですよね、
本当にゆっくりゆっくり時間かけて、だんだんだんだんその現実を受け入れていくんだよなぁって思うので、
で、まあ自分はね、比較的こう、死に関わりが強い仕事だと思うので、
まあそれでね、そういうふうになっているのが、まあ普通なんだよなっていうのがわかるんですけど、
でもこう、今の世の中でなかなか死に関わることって少なくなっていると思うので、
それこそね、急に自分の友人なり家族なりが亡くなった時にどうやって受け入れたらいいかわかんないのが、
まあわかんなくて当然だよなぁと思うし、受け入れ方がわかるとかじゃなくて、もう受け入れるしかないんですけど、
それまでにかかる時間がどれぐらいになるかっていうのは、
なかなかちょっとわかんないですけどね。
まあ一方で、やっぱりやらないといけないことも多々あるわけで、生きていくためにはね。
だからその受け入れるために時間はかかるけど、そのための時間も必要だけど、でも周りのことも進めていかないといけないから、
なかなかね、まあ辛いですよね。
医療における選択
あとはそうだな、まあやっぱりそのそういうふうに悲しむにしてもね、なんか私思うのはその、
なんだろう、亡くなる瞬間、亡くなった後だけ悲しむのってなんかずるいと思うんですよ。
あの、なんていうかな、今までその人のことそんなに大切にしてたんですかっていうか、
大切ならちゃんとコミュニケーションをこまめにとったりとかして、すごい仲良くしてるんだったらわかるけど、
なんかめちゃめちゃ疎遠だったのに、なんか急に亡くなった途端、なんかその人のことを忍ぶのって、
まあなんていうかな、
ダメじゃないですよ、ダメじゃないけど、なんか、
そうするよりも、やっぱり生前から仲良くしてた方が絶対いいじゃないですか。
ね、なんかこう、亡くなった後にその人のことをすごい大切に思うのって、なんかこうどんどん美化されていく感じがして、
なんかずるいというか、ずるいも何もないんですけど、
なんかね、あの、そういうふうにするんだったら今を大切にしてほしいなとも思います。
個人的に。
なかなかね、その死って難しい受け入れがね、
あとは、やっぱりこう治療してて、そのそういう死が目前に見えてきた時に、やっぱりその死ぬための準備もあるんですよね。
病院で患者さんを生かそうと思えば、人工呼吸器つけて、
場合によっては心臓をマッサージして、形状を生かしとくことはできなくはないくなっているので、その何だろうな、医療技術がすごい発達しているので、
そういうこう、人を死なせない技術は発達してきているので、なので、
やろうと思えばいろんな手立てはあるんだけど、でもそれをみんなにするわけにはいかない。みんなにするわけにはいかないっていうか、
そういう処置をしたら、それはそれでやっぱ苦しかったりとか、体に傷が入ったりとかするわけで、だしそれしたからって、また元の生活に戻れるとは限らない人が大半なわけだから、
だからそういう選択を基本的にはしないことの方が多いんですけど、でもその選択をしない、人工呼吸器をつけない選択をするとか、
心臓マッサージをしない選択をするとかっていうところは、
事前に決められるんだったら、本人が決めとくべき話じゃないですか。
その話をどういうタイミングでするかって言ったら、患者さんからはなかなかしてくれないので、
結局こっち側、医療者側からそういう話をしないといけないんですけど、やっぱりどのタイミングで話すかっていうのはね、難しいんですよね。
その、ある程度もう決めてしまわないといけないことだし、時間がかかるから早めに話したい気はするけど、
でもその人との関係性がちゃんとできてなかったりとか、あるいはその人が病気のことをまだ受け入れられてない状態で話しても、
余計混乱するだけだから、なんかその良い方向に進まないこともあるだろうし、
っていうところで、なかなかね、やっぱりね、死を考えるのって難しいんですよね。
もうちょっと今日は終わってしまいました。なんかね、ダラダラ喋ってすみません。
まあちょっと死についてもね、また今後もたまーに話していけたらと思っております。
ということで、今日もありがとうございました。