1. めいそうラジオ
  2. 【#10 関係性が終わるのはなぜ】
2024-07-22 23:42

【#10 関係性が終わるのはなぜ】

関係性の終わりがなぜ訪れるかを考えることから、関係の継続要件を探ります。タントラワールドの頻出用語「明け渡す」、「関係性」と「関係」の違いにも踏み込みます。


死がふたりを分つまで/関係性と関係の違い/明け渡す/信じる/漢字の成り立ち/負けて参って任せて待つ/間をあける/active waiting/呼吸/循環/タントラブレスワーク/出世の階段/努力/鮭の遡上/階段を下りる/受容/Osho/重力に任せる

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⦅めいそうラジオは⦆

インドで出会った瞑想コンビが、愛と性と死とお金の瞑想、タントラから生きるヒントを探ります。

⦅スピーカー⦆

アビラティ:医学教育コンテンツプロデューサー。出生家族のアレコレ、男女関係の不毛さに悩みタントラへたどりつく。

ラシュミ:マルタ島で留学コーディネート、アーティスト支援などを行う。西洋/東洋の様々な自己探究をたどり、タントラへ。


サマリー

「関係性が終わるのはなぜ」というエピソードでは、タントラから生きる処方箋を探る中で、関係性の終わり方について考察しています。名護市の原江で、あたご神社の急な階段から登って降りてみることについて話し合い、階段の上から下への明け渡しの難しさや人間の受容的な質について考えています。

なぜなぜの迷走入門
なませー。
めいそうラジオ。
インドで出会ったタントラ迷走コンビ、アピラティとラシュミが、
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための迷走入門、始まります。
今回は、【関係性が終わるのはなぜ】。
なぜー。そんな歌ある気がするけど、全然思い出せません。
なぜなぜ。この迷走ラジオって、なぜなぜ攻撃が多いね。
もうね、なぜが知りたいのよ、子供だから。だって、みんな当たり前に身の回りにあることをなぜって聞くことってさ、大人になってからあんまないじゃん。
確かにね。で、なんか聞いても無駄だと思って聞く前から諦めてるとか?
うん。あとは、常識とか今まである概念でそれを捉えているから、そのスキームでいる限り悩みが消えないっていうこともあると思うんだよね。
だから、一応常識というか、だいたいこうだろうって思っているものを疑ってみる。正しいか正しくないか分からないけど、自分なりにそれがなぜなのか、理由とか背景とか原因を考えてみるっていうのはとっても建設的なことだと思うよ。
うん。それは私も同感です。当たり前だと思っていることのメタ認知をし、本当にそうなのかっていう第三者の目を自分で持つっていうことかね。
うん。そうそう。終わらない関係もあるのかもしれんけど、でも基本的に終わるよね。
関係性っていうのは安全策じゃない?閉じられた契約っていうか、例えば彼氏彼女でも夫婦でもなんでもいいんだけど、契約を結んでますっていうことだと思うんだよね。
うん。だから契約だからイコール契約違反があったら終わるよね。
うん。それは分かりやすいよね。どちらかあんた契約違反したんでしょって言ったら終わります。だからさ、関係性をイコール愛って誤解はしているとさ、関係性自身が崩壊するんじゃない?
うん。まさにこの夫婦だから愛がありますっていうのはそりゃ嘘だよね。水やりしないと枯れるよね。
いや、嘘って言っちゃってもさ、あってもいいと思いますよ。
あ、そうか。ごめんごめん。契約をしているという点で愛はあるかもしれないけど、そこにアグラを書いてたら終わるのか。
うん。まあ水やりってさっき言ってたようにさ、世話しないと枯れちゃうしね、その関係性自身が。
契約と関係性
うん。
でもよく結婚式の誓いの言葉っていうのに、死が二人を分かつまで、はいって両方言わないと多分結婚成立にならないんだと思うんだけどさ、まあ死をもって関係性が終わるっていうのは一つあるかもね。
なぜの一番明確な答えかも。
そうね、物理的にいなくなったら関係が終わるか。
うん。
でも私そこはちょっとクエスチョンだな。
なんで?
なんかさ、亡くなってからの方がより存在を身近に感じる人っていうのもいるからね。
それは多分ちょっとここで言っている関係性とはちょっと違うとは思うんだけど、今ここで私たちが言っている関係性は性愛の関係性に限定するとすると、ちょっと話はそれだ。
でもそうかも。
RelatedっていうのとRelationshipっていうことだよな。
Relationshipは確かに終わりを迎えるかもしれないけど、その人と繋がるとか関係性じゃなくて、繋がりっていうのは別に死をもって二人が別れてっていうんじゃなくて、もう肉体を超えた世界だよね。
うん。なんかその人の考え方とか、その人と一緒に過ごした時間とか、何かそういうものが私の一部になっている場合って、それは死が二人を分かたないんだよね。
そういうふうに思うとさ、これ誰が考えた文言か知らないけど、死が二つを分かつまでYes、Yesとかはい、はいとか言ってるけど、誰が考えたんだろうね。
キリスト教の人だよね、きっとね。
そっか、やっぱりキリスト教か。
キリスト教を別に目の敵にしてるわけじゃないんだけどさ。
でもほら、だってキリスト教はさ、亡くなったら天国に行って、なんかキャッホー苦しい属性終わりっていう感じのイメージだよね、確か。
そっか、天国で待ってるからこっちのいい世界においでっていうふうに先に、もうなんかスゴロクの上がりじゃないけどさ、ゲームオーバーで私ここで待ってますみたいな感じがあるな。
そうそう、上がっちゃった人とまだちょっと人生ゲームやってる人っていうのだと確かに分かたれてる感じはするかも。
なるほどね。
関係性っていうリレーションシップの方をさ、肉体関係、セックスを伴うっていうところまで戻したら、もう少し分かりやすいかな。
そうだね、それに限定して話をすると、あと私あるなって思うのは、前の回でも言ったけど、ゴミ掃除をしてなくて、私のゴミを相手が移してくれていて。
いや、怖い。
自分自身のゴミを相手の欠点として、お前って言って避難し始めるので終わるっていうゴミの闘技。
それはあるんじゃない?ゴミだらけ同士の感情の不法闘技、あとはゴミを出してない人たちがゴミのぶつけ合いみたいな世界だね。
そうそう、それはね、結構大いにあるんじゃないかなと思うな。
関係性が終わるので考えられることは、相手に明け渡せないからじゃないかなと思うんだよな。
はい、それはとってもあるよね。
明け渡しと待つ
なんか、アビラティが漢字の成り立ちのこと言ってくれてなかったっけ?明け渡すに関して。
なんかさ、明け渡すって漢字の話をする前にさ、とっても瞑想ワールドで私たちはよく使うじゃない?
確かに。
じゃあそれを一般的な概念として説明し直そうとするとさ、なんて言ったらいいのかな?
例えば自分が思っていなかったこと、自分とは異なる相手の意見とか、やりたいこととか、思い出とか、
自分とは異なる何かに、そっかあなたはこう思うんだねって言って、自分の意見はさておきそれを尊重するみたいな。
もしくはそれに完全にじゃあ僕もやってみるよとか、あなたがそう言うんだったら私もやってみるねみたいな。
自分の意思を一旦脇に置いて、相手を尊重するみたいなことに。
一応ね仮にそんな感じに引き換えられるのかなと思うんだけど、どうかな?
相手を信じるってこと?平たい言葉で言うと。
そうそうそうそう。そこまで来てだね、さらに信じるって一体何さってなるわけだよ。
明け渡すっていうのと信じるちょっと違うかな?なんか信じるって言うと盲目的な感じがしちゃう。
その漢字の成り立ちで言うとね、信じるって人弁にことって書くじゃない?
あれね、甲骨文字って言って、昔の古い文字のね成り立ちから言うと、
神様に対して人間が私の命を懸けてこれをやります。これをもし私がやらなかったら死にますっていう命懸けの宣言。
へー、それは明け渡しに少し近いかもしれない。そんな重たい意味なんだ。
うん、すげー重たいんだよ、真の字って。
それちょっとさ厳しすぎね。っていうのもあり、ここからはね野口大蔵の野口先生が漢字にすごいハマってた時に書いてた本の中からね、
私が出てきた本の中からね、その本の中からですね、
野口大蔵の野口先生が漢字にすごいハマってた時に書いてた本の中からね、私が大好きな引用なんだけど、
信じるっていう漢字はちょっと重すぎっていうか、その日本人の雰囲気にはちょっと僕はしっくりこない。
感覚としてしっくりこないから、これをもっと開いて、意味を開いて、違う言葉に言い換えたらどうなるんだろうっていうのを、
研究っていうか体操してね、自分の実感としてそれをつかみたいって言って出てきた言葉がね、
負けて、参って、任せて、待つっていう風に言ってたの。
開いてみたんだ。
そう、なんかさ、負けるも参るも任せるも待つも、男性性強い人にしたらさ、そんなん無理じゃんみたいな負けたくねーしみたいに、私のことなんだけど。
あ、そうか、戦っちゃう感じだとダメなんだ。これさ、アクティブウェイティングって漢字?
そう、負けるも参る、それもね、それもまた開いていくとだね。負けるって、間を開ける。
はあ、ルーズじゃなくてってこと?そこに距離を置くってことか。
そう、時間の間かもしれないし、空間の間かもしれないし、気持ち的な間かもしれないけど、間を開けるっていうのが、そういう捉え方をした方がいいよねって。
なるほどね。
で、参るも、あれはもともとは神様のところに参り出るが語源だから、漢字もさ、参拝の参、参拝か、拝の方もあれも参るって読むけど、降参の参、参加の参、あれも参るって読むから、その二つがね、神様に猛出る、その敬意を持って、自分より大きなもののところに行くっていうことと、参りましたっていうのの参るが、その二つに分かれてはいるけど、現代は。
でも基本的には同じ、もともとは同じ意味で、自分より大きなもののところに参り出るっていうのが語源だから、そんなに悪い意味でもない?
参ったって言っても、ほら相手に明け渡すような感覚はあるけれども、参ったって言うとちょっとなんか、I loseっていう感じで、マイナスではないけど、負けるが勝ちとかって、辻褄合わせみたいな感じがしちゃうから、ネガティブとは言わないけど、
自分がなくなるとか捨てちゃうとか、そうね。マイナスイメージがあるかな?
あるよね。任せるも間を空かせるだから、そんなに負けるとそんな変わらない。空間的なスペースを空けるっていうこと。私これが一番すごいなって思ったんだけど、待つっていう感じ?
私待つは?
私待つはアミンです。あの曲好き。人弁?行人弁か。行人弁に寺って書くじゃない?行人弁は人がいっぱい集まってる、人がいるところっていう感じで、寺はね、あれはね、もともと人が集まって何か作業をしている場所を表してたんだって。
なるほど。
たまたま、そもそも漢字が成り立つような時代っていうのは、基本的に宗教というよりはアニミズム的な感じだと思うんだけど、何か神様に祈るみたいなことが仕事の大きなパーツを占めてたから、そこで何かしら人が集まって作業をして、神様に関係することをしてたんだと思うんだけど、
でも待つって、何もしないでシッとタイトで、ただ単に待つという意味ではなくて、何か仕事をしながら自分以外のものが来るのを待つっていう。
そう、やっぱりアクティブウェイティングだな。
そうなのよ。
漢字じゃなくて英語で言ってどうよって思うけど、動的に待っているっていう感じだよね。
自分以外のことはコントロールはできないけれども、自分のやることはやって待ってる。開くと信じるってイコール開け、ちょっと違うけどニュアンスとしては開け渡すっていうのもそういうことなんじゃないのかなっていう。
相手が変わることを期待せず、相手に時間と空間と私の期待的なものが外れた、そういう気持ちのスペースを渡しながら私は自分のすることをしておく。
意味が深いね。そう思うと。
ね。
これが相互にできないと関係は終わりますな。
逆を言えば、それができれば関係はいつまでも続くわけだよと思ったりする。
だから呼吸と同じ感じかもね。
そうそう。
呼吸って吐くだけでもダメだし、吸うだけでも循環してるよね。呼吸っていう風になぞらえると。
それはだから循環しないと死ぬっていう。
呼吸が止まる、それは死。関係性が終わるのもそういうことですってことね。
そう。流れが止まると終わる。
だからタントラでは7回明け渡し合いの道っていうのもそこを指しているのかしらね。
そうだと思う。
タントラのトレーニングの一つに男女のワークの中で循環呼吸のワークがあって、プラスマイナスとプラスマイナスって女性の体と男性の体っていうのは出たり入ったりするっていうところが、
チャクラのプラスマイナスみたいな感じっていうのがちょっとずつ違うので、プラスの方から出したのをマイナスに入れて、それが交互に違うわけよ。
男子は一番下からプラスで、女子は一番下からマイナスでみたいのがあるんだけど、循環呼吸ワークっていうのも結局、
これ上手くいく人っていうのは確かに振り返ってみればだけど、相手に明け渡して自分が需要して循環させるっていうのをやってみると、
この人素敵、この人とだったら上手くワークがいくかもっていうと、エゴの混ざり合いっていうかエゴの戦いみたいになって、
ちょっと、ちゃんと吸ってよここでみたいな、いやここはお前が吸うパターンみたいなの、無言の戦いみたいなのがあってさ、全然回らない人っているんだよね。
戦争っていうか戦闘モードお互いにみたいな、コントロールしようと思うんだよ呼吸でさえ。戦争。
そうすると、全然上手くいかなかったなっていう例があったなって今思い出した。
あー、なるほどね。なんかさ、ちょっと話はずれるんだけど、基本的に明け渡す方が怖いよね。
それは怖いんじゃない?鍵を開けて入ってくださいってことでしょ?明け渡すって。
階段の上から下へ
なんかさ、努力するのってそんな辛いけど怖くはないじゃない?頑張ったら頑張った分だけできるけど、頑張った、なんていうの、明け渡すことのさ、怖さとはちょっと違うじゃない?すごいしょうもない話していい?
いいよ、してして。
私ね、この前ね、名護市の原江で、あたご神社に行ったの。東京の新橋にあるすごい階段の急な神社で、あそこね出世の階段って言われてる死ぬほど急な階段があるんだけど。
私は行ったことないけどね。
本当、帰ってきたらさ、ちょっと行こうか。すごい本当に急だよ。
えっ、その階段登りに?いいよ。
いやでもね、その階段降りたいのよ。私降りてきたの。この前行った時にね、出世の階段を登るのは前にやったことがあるからいいやと思って、別の楽な道から登って、帰りにね、降りるのだけやったの。もう降りる人ほとんどいないのよ、怖いから。
えっ、でも登ったら降りなきゃいけないじゃん。あ、女坂男坂みたいのがあるってことか。ゆるく。
そうそうそうそう。
車椅子でもどうぞみたいな。
でも大体の人は出世の階段を登るっていう、その何か願掛けみたいなのがあるから大体みんな登るんですよ。
努力するんだ。
そう、でも私は絶賛明け渡しワークの練習中だからね、ちょっと降りてみようと思って。重力に従ってみようと思って降りたの。
これはすごいね、その発想が。
まあね、怖いんですよ。
外側の相手に明け渡す
面白い。
降りるのめっちゃ怖いの。足震えんだわ。
いやそれは怖いよ。私も神社の上ったり登ったりっていうバレー部の部活トレーニングでも降りるの怖くて足がすくんだもんね。スピードがなんか乗らない感じ。重力が怖いのかな。
私も怖かったんだけど、でも一歩一歩行けばちゃんと転まないで行くわけですよ。
踏みしめて。
踏みしめてすごく気をつけてないといけないんだけど、でもドキドキと怖っていうのを外さえながら降りてったらすごい快感なわけ。楽しかったみたいな。しかも楽なわけ、登るよりははるかに格段に。でも怖いんだよ。
あ、そっか。じゃあポイントはさ、その怖さとまず向き合って調子が出てきたら重力に任せてトントンと行ける感じ?
スピード的にはどう?足が震えて怖いって思うとさ、足が前に出なくなるじゃん。
私は全然スピードは出せなかったの。
部活じゃないからね。
そう、スピードを出さなくてもいいんじゃないかと思ったんだよね。
へー。
なんかスピードを出すことってさ、世の中で生きていたら絶対求められるじゃない?もっと早くやれとかさ、効率的にやれとか言われるけど。
そうね。もっともっとと早く早くね。
かといって別に最終的には降りるし、そこで急がなくてもいいのでは?って思ったので、急ぎはしなかったんだけど。
もしかしたら慣れれば急げるのかもしれないけど、急がなくてもいいじゃんっていうのが私のあたご神社での明け渡し体験。こわー。
努力の真逆にあるのが明け渡しかもしれないな。
でも怖いのは怖い。
だからさ、受容的っていうか明け渡すっていうのは受け入れるっていうのに繋がるのかなと思うんだけどさ、アビラティが神に対しては人間はみんな受容的?なんかそんな話してなかった?
そうそう。それはね、和尚が言ってる。和尚が神に対しては人間はみんな女性的な質を持っていて受容的だって言っている。
私たちの先生もレッスンとかワークをする前は、自分は完全に自分の女性的なところを使ってどういうワークをしたらいいかを考えるっていうか、和尚にもらってる。
ただそれをデリバリー、みんなに話してデリバリーするときは男性性の質を使うよって言ってたから、基本的に神というか自分以外、自分よりも大きなものに対しては人間はみんな受容的な質、女性的な質を持っているっていうふうに考えていいんじゃないかな。
そうか。そういう意味では、外側の相手っていうか関係性を持ってる相手っていうのに対する明け渡しが結構難しいなって思うのは、大きな存在とかって思わないからかもね。リスペクト少ないかも。
関係性の終わり
いや、なんかさ、だって自分と同じ人間じゃんって。そうね。ゴミも持ってるし、ボディもあるし、だからこそとっても訓練になるっていうことなんだろうなとは思うんだよね。
それを先生に言われたよ。幻聖ってすごく恵まれてるよねってね。なんでですかって言ったら、そういう瞑想ワークをするような機会が散りばめられているではないか。チベットの山とか行かなくてもいいんだよって言われて、はあ、そうですよね。だけど散りばめられすぎていませんかってちょっと思ったんだけどさ。
それで思うのはさっきの階段の例じゃないけど、努力する。外側の相手に明け渡すのってめっちゃ努力じゃん。私にはそれがね、階段を登る人も外側に明け渡す人も頑張って訴状してる社系のように見えてならないの、最近。
それはまさにヨガの修行ではないですか。とりあえず努力はしないけど道は長い感じ、上に行くのに。
そう、重力に逆らって上がっていくっていうか、障害物を。
そうか、だから下から上、人間から存在じゃないけどさ、人間のその存在に明け渡すって言うんだったらいいけど、下から上に行くっていうのは、努力をして頑張れるからさ、酒だってほらすごい努力してるじゃん。ヨガの道だって努力するけどさ。
うん、努力してる。
まあ頑張るのは怖くないからね。
そう、頑張るのは怖くないからさ、でも怖いのかもしれない。できることなら先に存在に明け渡してから人間に行きたいって私は最近思ってる。
なるほど、階段の上から下へしっかり降りてくる感じね、明け渡した後に。
なんかレイジーだからさ。
怠けてっていう風にレイジーを取り入れるとさ、ちょっとタントラの道っていう感じではないけど、上から下へっていうのはビジュアル的にそうだそうだって思うな。
だから外側で、それこそ鮭の訴状のようにあれこれやってたらどっかで石にぶつかって死ぬよなっていう関係性が終わるの。
そっか、鮭の例ですね。これは私たちの関係性が終わるのは。
障害物が多い川を登ってるから、それ当たって死ぬわっていう。
必ず終わるよね。それが鮭の習性だったりするけどさ、人間やってるレイジーはもうちょっと賢くなってもいいのかもしれないね。
ファーストトラックを行きたい、私。
え?ファーストトラック?
なんていうのか、いやなんか楽な道を行きたい。
いや楽な道っていうのは気づけばいいんじゃないの?まず階段の上に行けばいいんだ。ゆるゆるとした道でって。
そう、ゆるゆるした道で階段の上行って、それから階段下る。
一歩ずつね。そうすると重力助けてくれるからさ。タントラの道は上から下へっていう感じかしらね。
うーん、そうなんじゃないかな。
はい、ではそろそろ今回も階段あたこ神社に皆さん出かけてみてください。
ぜひ登ると下るの違いを確認してみてください。
そうね、そういうお寺ないからな、こっちには。
あ、坂の上をゴルゴダの丘の上っていうのはあるけれど、階段がなかった。
はい。
という感じで今回もありがとうございました。
ありがとうございました。ナマステ。
ナマステ。
また番組では人間関係、性にまつわること、お金、老いや死に関する疑問質問に答えていきます。
ぜひ番組のアンケートフォームからお寄せください。
聞くだけで今日の生きるヒントがきっと見つかる。
瞑想ラジオ、次回お楽しみに。
23:42

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