守破離の概念
では、最終回第4回ということで、今回も村松歩実さんにお越しいただいております。よろしくお願いします。
前回の終わりでね、ちょっと前回は美しさ、美についてお話ししましたけど、今回はですね、守破離。
食も、なんとか道とかね、なんとか道、家道、茶道、書道、こういったものには、守破離という概念が昔から言われていまして、じゃあこの守破離から外れる時、離が外れてるもんね。
守を守って破に行く、この辺りの話を、いい言葉が見つからないんだけど。
片から外れていく時みたいな。守から破に行く時をどう捉えているか。
多分実際今、あゆみさんって守よりも破から離に向かっていくあたりに見えるんですよね。
そうやってこの破に行く時って、意識していたのか、もしくは振り返ってみたら、守から外れていたのかっていうのはどっちになるんですかね。
やっぱりその、書道家としてお仕事をもらう上で、破は絶対起こってなきゃいけないし、離のところでやっぱりお仕事をもらう表現でいたいなと思ってるんですよ。
振り返ってみたら、まだまだだなって感じなんですけど、自分の中では一応多分意識して段階踏んでんじゃないかなと。
守の時点では、やっぱりお仕事としては自分は受けたくないしね。
これね、ちょっと難しいなと思ってるんですけど、僕ちょっと昔誰かに聞いて、いいなと思って大事にしてるのが、個性っていうのは出そうと思って出すもんじゃないんだよ。
抑えて抑えて抑えて抑え込んでも、それでも溢れ出るものが個性だから、無理して出そうと思うと気持ち悪いっていうのを、読んだか聞いたか本当忘れちゃったんですけど、すごくいいなと思って今でも大事にしてるんですよね。
で、たぶん守破りの破っていく破って、守を突き詰めていったら、なんか違うところが勝手に出てしまう。漏れ出す。
知ってる方で、アートで絵を描いてる方、西洋画なんですけど、その人は学生時代とかにむちゃくちゃ徹底的に好きな画家さんの模倣させられるんですって。
何度も何度も徹底的に模倣していくと、すごく心が折れるんだそうです。何でですか?って言ったら、どんなに模倣しようと思っても、絶対線が違うのが気になってくる。突き詰めれば突き詰めるほど。
その辺は書道でいう朱って何になるの?
母 朱はもともと多分、さっき言った流派があって、指定関係みたいな感じで、朱字だったら絶対にお手本があるとかね、そういう形で模倣していくのが朱。
先生の教えを守って正解を求めてやっていくのが朱。学び学び、先生の尊敬を持って、今まで道としてあったものをいかに破らないかだよね。いかにはみ出ないか。
それは本当にコピーしていく方って感じなの?同じように。
母 本当にコピーしていく世界が最初にあって、そこからでも朱の中って抑えられてるっていうか、限定された世界。それのおかげではみ出たいものってだんだん湧いてくるんだよね。
制限されると制限されたくない部分が見えてくる。
母 そうそうそう。制限が何かってわかると、そこから歯が多分生まれて、ここを破ってみよう。これはどうだろうとか。
だから道具どうこうっていうよりかは、その学んできた朱、守られているものを破ったらどうなるんだろうみたいな、好奇心もあるかもしれない。
確かに。
母 破りたくなるんだよね。だから拘束もそうだけど、抑えられると反発したくなっちゃうんだよね。
破ってたとは言わないけど、破ってる側になった気がするもんね。昔からその気があったのかな。
破らせるためにわざと朱を作ってるかもしれない。
母 そうですね。
確かに。自由にやっていいよって言われたら、破るも何もないんだよね。
母 そうだね。迷っちゃって終わっちゃう。
本当に宇宙空間に投げ出されましたみたいな感じで。
それも例えば四方八方を取り囲まれて、がんじがらめになった朱があったとして、そこからどの方向に破っていきたいかは、一回朱で固められないとわからないのかもしれない。
確かに。境界線を知るみたいな。
右に行きたいのか左に行きたいのかも、その欲求が出てこないと気づけないとか。
母 朱がありがたいことでもある。朱のおかげです、全部。始まりです。
そういう欲求が出てきた瞬間みたいな、この時期だなとかって振り返ってあります?
母 私は大学の時かなって思います。高校までは中国の古典があって、自分がどの古典が好きかっていう感じで部員みんな別れてくんですよ。
創書系の人もいれば、転書系の人もいて、この有名な人の作風、自分好きだな、心地いいなを見つけてやっていくんですね。
大学に行った時に、漢字かなってわかりやすくあった時に、同じ比率で別れてくださいみたいな。
私、本当に嫌で。なんで決められなきゃいけないの?みたいな。私も漢字いきたいのに、人数があれだからかなをやれって言われた瞬間に、嫌だなと思って。
それは技法とは関係ないけど、こういう書道の世界、書道界っていう、閉ざされてきてはないけど、道として当たり前に残っているそういうことをはみ出たいと思って。
伝統の中の自由
それが作品に反映されたのかなってまず思う。ちょっと違うかもしれない、今質問の答えと。
いやでも、なんとなくわかるよね。
なんとなくわかる。
料理とかもそうじゃん。こうしなさい、ああしなさいで学ぶ時があるけど、その意思とは別の掟みたいな、暗黙の了解みたいな、道がつくものも結構あるから、そういうのあります。
料理は茶道みたいなね、道がつく言い方はあまりされない。最近は料理堂っていう人もいますけど、僕の場合は割と料理の世界で本格的にやり始めたのはかなり遅いので、自己流をやめようと誓ったんですよ。
基礎がないので。よく創作料理みたいなこと言われるじゃないですか。看板で出たりしますけど、僕はそれを一切捨てたんですよね。
そもそも創作したものがすでにあって、ちょっとへりくつなんですけど、創作料理と言うからには歴史上何万とあるレシピ、お前ら全部やったんやなっていうふうに思っちゃうんですよ。
僕はそれやってないので、今まであるもの一回全部やってみようって思って、家にある父の本を片っ端から見ながら片っ端からやっていく、再現していくってやって、俺は一生朱から出ないぞって思ってたんです。
気がついたらね、守ってないんですよ。あれ?ってなってるのがここ数年ですね。
でもあの、このね、お食事むと、一代目じゃないじゃないですか。そうですね。
ちっちゃい時から触れてるって、すごい感覚と強みだなって思ってるんだよね。触れてる?触れてるじゃん。
触れてますね。
でもそっから朱始まってんじゃないかなって。
どうなんだろうね。
僕はタクの時よりも、世代がちょっと前なので、比較的そのお店のものだとか父の味っていうのは擦り込みが大きかったと思うんですよね。
でいくと、まあうちの家族で言ったら、うまいの絶対基準みたいなのが父の味にはなってますよね。
そうなんでしょうね。
うまいんだけど父の味からこのぐらい違うよねとか、ベクトルがこっちだよねっていう、なんか基準にはなってますよ。
絶対基準みたいな。
で、そこに寄せていこうとする自分と、そこからずれていこうとする自分が、せめぎ合い続けてるかもしれない。
せめぎ合いだな。
でもすごい近くにいるわけですもんね。ずっとね。
そうですね。なので、タクは家が別なので、帰ってくるとかするじゃないですか。
たぶん月に1回ぐらいね、父と厨房で2人で飲んでるときがあるんですけど、そしたら味付けの話をして、
だから親父の料理はこうじゃんって。
で、俺が再現したらこんなになっちゃって、どう?って言ったらなんか違う。
でも俺はこれよりもこういう風味をつけてこういう風にアレンジしたらこれうまいと思うんだけどどう?っていう会話をしてて、
思いついた葉を本家本元に1回ぶつけてみてるっていう、これはね贅沢ですよ。
贅沢ですね。
めちゃくちゃ贅沢。
時々夜中にやってるんです。
夜中にやってるね。長いこと。
長いこと。何時間か。
でもね、その告示のさっきね、たぶん第1話かな、お話しした木を掘るところで先生についてたんですけど、
先生も、もう永遠に先生なんていないわけでね、お年とかいろんな事情があって引退されていくわけですよ。
だからそこの時点で朱はもう習得しきって、やっぱり先生のところから育ってもっと上を目指すとか、
先生に顔向けできるような自分でいることが朱葉梨の梨のところのリスペクトとか大切な部分なのかなって。
その先生が引退されたのがちょうど去年で、すごくそれを思ったんですよね。
ああいう伝えていく技法って伝言ゲームみたいなのと一緒で、すごい変わっていくんだろうね、結局。
本当にね。
だって人が人をまとえたら絶対解釈変わるからさ、一番最初の人はたぶん、そんな風に書いた覚えはない。
全然違うとか言ってそう。
60代くらい前の人がいたら絶対思ってると思う。これ何?って。俺のあれか?みたいな。
平気でなんか違うこと言われてる。
あれかもね、その抽象度が高いというか、師匠の一番コアの精神性は受け継ぎます。
でも精神性あってるからこっち方面もありだよねって弟子が勝手に行きますみたいなね。
有名なところで千利休というすごい人がお茶を大成させました。
お弟子さんの古田織部が作った表現物って漫画になってるけど、全然違うもんね。
器そんなねじ曲げるのってどうなの?みたいなね。
それ話だったね。
さらにその後の氷演習とかは綺麗サビとかって、わびサビのサビが綺麗ってどういうこと?みたいな。
でも千利休こそ本当その引き算の人。
家康が来た時に庭にバーって咲いてた花全部取っちゃって、一輪だけ置いてお迎えしたみたいな。
引き算は極端だなって正直思ったよね。
確かに。極端。
極端だなみたいな。
千利休もなんかいろいろ過去を破壊してるからもう理まで行っちゃってるよね。
だから理があってできること、自信というかね。
自分はこれがいいんだっていう信念が生まれてるじゃん。
確かに。そういうところを見るとやっぱアーティスト、アートで頭一つ抜けてる人ってもう最後は我が道を行き過ぎて、ある意味わがままに見られがちだよね。
せっかく招待してくれた茶会、きょうざめだって言って途中で帰っちゃうしね。
自分に正直やん。
正直。
守破離の魅力
ワビサビの世界観では予告なく行ったらそこの場でできることだけが出てくるところのそこのもどかしさが美しいっていう概念があるんですって。
そのつもりで呼ばれてないのに行った、突然ね。
したらなんかそこの邸主がおもてなしでご飯出してくれたんだって。
これさ、このかまぼこって昔は超高価なんだけど、これさ、何日か前から準備しないと絶対用意できんやつよね。
ごちそうさまっつってそのまんま途中で帰っていっちゃうみたいな。
それはもうサビではないと。
言い切ったね。
それはそれで。
なんか無言でスタスタって言っちゃったらしい。
という逸話が残ってます。
そうなんだ。だいぶ極端な、そうやって見るとね。
なんかかっこいいのかわがままなのか。
かっこいい人前だな。捉え方だもんね、これもうね。その人の、聞いた人のね。
いや、難しいね、そうなるとね。難しいっていうか難しいんだけど、難しくないと言えば難しくないんだよね。分かりやすいよね。非常に。
でもなんかこうスパンスパンスパンって行動があるっていうのは、もう本当に自分の中に考え、確立してるからじゃん。
なんか後からなってそう言えばあれとかってね、なるかもしれないけど、その場でそれが出てくるって、常にもう自分の中に自分の思考がはっきり存在してる。
なんかアートもそうだけど、そのじゃあ理になった時に、それを誰に何を言われようがやり続ける。そこがねすごくね大事だなぁと思って。
あれか、じゃあ宗派理に行って、それを突き詰めていくと新しい宗ができるみたいな感じなのかしら。
でも本当にそのね、循環で次にまた宗を誰かに教える機会が回ってくるかもしれないし、宗が生まれる確立したらね、そうですよね。
宗の中に結局宗を見つけてるんだな。
循環と道の哲学
そう、一回離れて新しい宗を作って、そうするとリウハがどんどん増えていくみたいなね。
確かに。
グラフでも波打って一生そう。
無限ループやな。じゃあ伝言ゲームを無限でそれをループ繰り返してたらやっぱり別物になるよね。
まあでも根幹はどこかしら合ってるんだろうね。宗から宗を見つけてるから。
そう、一個が循環してるのかわかんないけど、精度が上がっていくのかもね。台を重ねると。
止まっちゃいけないんだよね。
これさ、一話に戻るな、ループするこれも。
行く川の流れは絶えずしてって話に戻らんこれ。
そうだね、水も循環してるからね。海まで行って、また山に戻って、どっちか水から湧き水になって。
そうだね。
繰り返しますね。
なんだこれ、何の思想、何の哲学これ。
山登りするって言ってたじゃん。たくさん。
山に登るから、それはすごい感じる。循環してるな、みたいな。
確かに、この湧き水はいずれタイガーを流れて、海に行って、いずれまた雨になって戻るのかと思ってね。
同じとこ通ってるのに、一度たりとも同じものはなしみたいなね。
でも水分という意味で見たら一緒なんだよね。
そうだね。
化学式は一緒だから。
不思議だね。
海が生まれて何がね。
だって水だってさ、その一点、その一つの原始を見れば別物が流れてるかもしれないけど、水というその存在自体を一つとして捉えるのであれば、全部一つだから。
循環してるっちゃしてるけど、ただ中で渦巡いてるだけだよね。
地球からは外に出ないじゃん、基本的に水って、みたいな話になっちゃうからさ。
どこまで解釈するかっていうのは、これがいろいろな形で流派として、ある意味宗教だよね、流派ってね。
そんな感じもしてきた。
今の話を聞いていて、道という話ね。
さっきの床川の流れっていうのは鴨の長名だから、老僧思想に結構影響されてるもんね、老子の言葉のね。
タオっていうのに。
タオっていう言葉ってすげー難しいんで、俺まだ勉強中だからよくわかってないけど、宇宙の真理とか世界はこうなってるみたいな概念。
一方で、なんとか道の道ってさ、一般的にはゴールがあるもの、正解があるものにたどり着くための道みたいなイメージで捉えられてるじゃん。
でもね、今の話聞いてたら、ゴールが決まってる道のように見えて、ずっと永遠にゴールがたどり着かなくて、気がついたら循環をしていて、結果タオだったみたいな。
無限ループの中にいるけど、その道はこの人がこういう道を通るよっていう、あくまで一本のその示した道でしかないって話だね。
途中から気がついたら自分で道作っててさ、でもゴールに思ってたものは実は蜃気楼でさ、無限に行っちゃってるみたいな。
じゃあその人のたどった道をもう一回同じ道を次の人がたどろうと思ったら、やっぱ州の部分で入り口を一緒にしておかないと、最初から分岐してたらそれは分岐ではなくて、ただ別の道が新しく作られただけ。
人間と道のつながり
なんかジャングルで書いてちゃうしね。
だから入り口は州としてしっかり同じところを入り口として一回やりましょうよ。これが基礎か。
そういうことね。なんかそれが和食たる和食にたらしめてる根幹だろうね。
多分冒頭に出てきた前々回の五道みたいなのも、全部同じ思想のもとにあるのかもしれないですよね。
人間ってもうほぼ水でできてるんですよ。
さっきその水、川の話があったから、もうほんと人間はそういうふうに組み込まれてる。
水分っていうかね、そういう水の流れの中に。
さっと潤化しなさいみたいな。
確かに。人間の体を通ってるから、これも一つの道だもんね。人間の体を通るという道があるもんね、水にとっては。
僕ね、最近思ってるんですけど、ここ数年感じてるのが、人間ってモヤだと思ってて。
モヤ。
霧があるような、あのモヤかかってる状態あるじゃないですか。
あれがギューって凝縮してるのが人間のように見えてきちゃったんですよ。
細胞って半年後には全部入れ替わってるわけですよ、基本的にはね。
で、ほんと分子よりももっとちっちゃいレベルだと、この手のひらから結構放出してたりとか。
人間の、例えば握手すると、何個かは交換されるらしいんですよね。
っていう話があるんですって。
すっごいミクロの世界ですけど、あれ?俺の手のひら、表面で固まってるように見えたけど、意外と入れ替わりしてんだなみたいな。
それってね、霧が固まって凝縮してるのとあんまり大差ねえなっていう気がしちゃってますよ、最近。
握手の時にちょっと霧同士の、あれがちょっとついて交換して。
っていう話を聞いた時に、なんか感覚がおかしくなって、まひちゃったまま今います。
なんか放出してる気はします。
でも、僕、半年前の僕も、5年前の僕も、ずっと同じ人間だと思い込んでるじゃないですか。
なんだこれっていう気持ちですよ、今。
不思議くね。
この体の感覚と道を、道を突き詰めてって、手張りを延々循環するのと、なんかリンクするような直感的なものを今感じました。
ある意味、道というものが一つの体なんだね。人なんだね。
でもね、同じスタート、入り口からっていうのは確かにそこを間違えたら、手張りも始まらないもんね。
同じ道はたどらないし、別の人物になるよね。
普通に最初から。出会わなかったものみたいな。
門を叩く。
門を叩く。
この入り口からね。
確かにその道からだね。
これさ、いつできたんだろうね、この概念。
僕らは今こういう話をしながら、こういうことなんじゃね、そうかもしれない、すげえって言ってるけど、この真理にとっくに到達して教えを残した人がいるんでしょ。
そうですよね。
すごない。
そうね、なんとか道を作った人はそういうことだからね。
そうだよね。
2000年前とかね。
はるか昔です。
寿命も半分ぐらいですよ。
そう。
そうね。
人生2倍速。
2倍速。2倍速か。
じゃあ余裕があるね。食にも困らないしね、食べ物にもね。
そうだね。
忙しくてそこに意識を向けてる暇がないとかね。
帰ってね。
みんな初動やったらいいね。
でもね、もっとね、料理人さんが調理してるところをね、料理してるところか、見せた方がいいですよ。
戻った。
初動もそう。それは一緒だなって思う。
確かに初動見て思った。やっぱ書いてる時のやつがすごい綺麗。
そうだよね、お互い思うよね。
確かに。
今日ね、この収録の前に僕仕込みしてたじゃないですか。
で、その間にあゆみさんがタクローの持ってるVRで空間にアート描いてましたよね。
ずっとやってたよね、こう1時間。
僕トイレに行ったりするんで、この部屋の前を何回か通ってるんですけど、なんかね、踊ってるように見えてた。
めっちゃ楽しかったし、踊ってる感覚でした。
多分あゆみさんご本人はアートに夢中になって楽しんで創作活動してたと思うんですけど、
僕はVRの画面を見てないので、ただただ外から誰か人が動いてるだけなんですけど、
外から見るとその動きがアートなんですよね。
嬉しい。
って思ってました。
確かにね。
嬉しいな。
めっちゃ立ったりしゃがんだり、急に振ったり、一人でブツブツ言いながら何か描いてたけど、
俺は横で作業してたからね。
人ずっと動いてるな、右から左まで。
結構広さあると思うんだけど、前後左右ずっと動いてるからさ、そんな動く?みたいな。
そういうのがやっぱ、その動きそのものが人から見て美しいと思っちゃうから。
俺は今日思ったから。
そういうのを見せてくっていうのはいいんでしょうね。
どこを描いてるかわからないけど、何か空中に文字か何か描いてるんだなって時の手の速さはすごかったね。
そんな流れるように動くんだ腕って思ったもんね。
確かに。
見たことがないから、その書道家さんがでかいものというか大きなものを描くっていう。
瞬間をパフォーマンスで遠くで見るのはあるけど、こんな目の前でさ、さーって描いてるのを見ると、
しかもこっちは逆に字が見えてないからこそ動きにしか目が行かない。
その時の腕の速さはすげーなと思って。
守破離と書道の表現
見せよう見せようと思ってパフォーマンスだと思って形を作るんじゃなくて、熱中してる姿を見られるっていうね。
見る側からしたら一番興味惹かれるのかもしれないですね。
確かにね。
でも難しかったです。やっぱ四方八方に終わりがないから。
確かにね。
どこに重心を置いて、どこを見せ場にしようとか。
そうそう今日ね、やってみるっていう気持ちで来たのに、もう最終的には作品描きたいみたいな。
途中からね。
ずっとね。
もう本当にただ無言のやつだもんね。
これは楽しいと思って。
あれよね、書道っていう目で見たら今日のVR空間のアートは朱梁のその向こうかよね。
その向こうか。
新たな次元に行ったからね。
朱を作ろうかしらっつって。
面白いけど。
今始めたら朱に行くんだよね、それが。持ち込んでるから。
でもその筆圧と奥行きを理解してるから3Dで描けるんだなっていうのは思った。
本当に難しいなと思って。
1回目であそこまで描けるのやっぱすごいなと思ったよね。
ありがとうございます。
全然違ったよ、見たことない。
VRとアートの新たな挑戦
さっき真ん中に道、動くという字が描いてたじゃないですか。
あの時はおーっていう感想だったんですけど、
この収録を経て、奥行きとか隅の重さとかっていうのを話を聞いた後にあれを思い出すと、そういうことかと思う。
この道のあそこにグッと奥に踏み込んでる感じはそれなのかっていうのを今思い出しましたね。
作品はたぶん写真でそのうちエックスかどこかに貼っておくと思うので、これを聞いた方はぜひ見ていただくと分かるかなと思います。
すごいよね、3Dで見るとこんな感じじゃないかなと思って。
初めて触って30分の即興であれだからね。
初見だからね。
初めてだからね、本当に。
かなりやっぱ試行錯誤してわけわかんなくて、だんだんこういうのがいいやった。
龍の顔描いてる時もちょっとね、体の癖で顔が歪んじゃうんだけど、違うこっち側に見せたいと思ったら体が自然に引いてくようになって、分かってきちゃったら楽しかった。
料理はやっぱVR全くダメなんですかね。
ダメってことはないんでしょうけど。
料理を味わうための五感のうち大事なところが封鎖されている感覚ありますよね。
そうですよね。
でもなんか今のだとさ、結局動く所作自体がその道の表すとこってなると、料理を作ってる動きではいいんだよね。
そうかもね。
かつら向きをしている動きが目の前でリアルに見えると、たぶんこんな風に動いてるんだっていうのがたぶんエンタメになるんだと思う。
こんなんどうや。どうでもいい思いつきですよ。
こんなんどうや。
VR上の筆を持って、手の動きは僕がかつら向きをずっとしてます。
だからずっとそこになぞった線だけができます。
で、そのまんま僕が回転します。
一箇所ね、ぐるっと回ったらよくわからん波がぐるっと回るみたいなのとか。
なんかそういう創作活動とかできるのかな。
確かに。
意味ないけど。
意味はないけど。
でもアートだよね。
アートだよ。だっていろいろそういう方法は過去にやられてるからね。
ただ3D空間じゃないとできないのは動作の反復、普段やってる反復をその線にするという。
そうですね。面白い。
立体だからね。ただ初動には平面だけど、今回VRは立体だからね。
そこがね、一番やっぱり想像もつかなかったし苦戦した。これからもするけど。
でもね、やっぱそれが楽しいよね。
楽しいよね。
職の話でいくと、職はその盛り付けが立体じゃない。
ある意味3D空間は職の舞台の方が初動よりは近いはずなんだけど。
この辺がさ。
でもね、立体で盛り付けがあっても、
お客様とか視点は決まってるじゃないですかね。
こっから見た時の立体みたいな。
VR空間ってこっから見た時っていうあれがないんだよね。
確かに。回り込まれちゃうからね。
だから今日やってても、回り込んだ時にどう見えるかなんて計算できないからやったけど、
そこがどう見せるか?盛り付けに関しても。
それはそうですね。
よく僕らがびっくりするのが、
父が本当に無造作に盛り付けをするんですよ。
この皿の下にこれを下敷きで持ってけって言って、
厨房で見ると割と真上から見るんで、
え、これいる?って思うんですけど、
お客様のところに配膳して置いた瞬間に、
お客様の目線で見たらそれが抜群にいいバランスなんですよ。
かっこいい、そうか。
お客様の見る角度を知っていて、
しかもテーブルの色が何色かとか、
照明の感覚を熟知してるからそれが感覚でできちゃうみたいなのがあって、
VRってそれが逆に全部ゼロになるわけでしょ?
怖い。
怖いよね。
確かに。
怖いです。
道を極めた人ほどVR空間は何もない宇宙空間だから怖いよね。
守るべき何かがないから。
本当にそれこそ丸じゃないと存在しえなくなるよね。
確かに。
球体からスタートみたいな。
けどどうなんだろうね。
結局どっか見るポイントって山の景色とかと一緒で、
どっかビューポイントみたいなのあるんだろうね。
なんかだんだんVRの話になってきちゃったけど、
このままいくとして、筆って紙に触れた瞬間に曲がるじゃん。
VR空間、何にも当たらないから延々に当たらないから曲がっていかないんだよね。
そうですね。
面ができないわけでしょ?
そう。
どうすんのって感じになりますよね。
だからなんかありがたいことに、
ゆっくり書くと太くなるようなペンだと、
ここで折れてるなみたいな感覚で書く。
だからあの折り曲がりの鋭角な感じ?
ローとかのところとかっていうのは表現できないかな。
戻るところの感じね。
グッとなる。折り曲がりはできない。
確かに。
だから全部優しいものにはなるかな。
そうか。
そこはやっぱ物質と物質がぶつからないとダメなんだよね。
確かに確かに。
ぶつかるね。
ぶつかるね。
今日道の話をするとか言いながら、
だんだんBの話に戻ってきた気もするけど、
そこが繋がってるんでしょうね。
重なったところの重みね。
確かに。
まだVRとか技術的なものがあったり、
結局最終的にはデジタルだからさ。
アナログには寄せていくのかもわからないし、
寄せていかないのかもわからない世界なので、
またこれはこれで新しい何かが出来上がるんだろうなとは思ってるけど、
多分手法ができるんだろうね。
そういう中でね。
そこは本当にある意味階層的なね、
初めましての空間なので、
世界線が全く違うので、
繋げられる部分と引き継がない部分が変わっていくのではないかなと。
すげえ。思想モードに入ってきたな。
ちょっといろいろと寝かせて考えてみたい話がいっぱいありますね。
またこういった話もね、できればと。
今日ももうなんだかんだそろそろ0時を回りますので、
なかなかのいい時間です。
何か言い残したことはありますか?
いや、でも今日はありがとうございました。
日本色とか書道とか、
日本伝統的なものとして生き残っていくっていう言い方が正しいかわからないけど、
でもVRとかARとか、一緒に挑戦したりお話ができる仲間はありがたいなと思って、
そういうのを一緒に挑戦しながら、
私たちが伝えたいもの、アナログだけど、再現性のないものだけど、
やっていけたらいいなと思ってます。
ありがたいね。
伝統と革新の融合
ありがとうございました。
どうなかったか、感想。
感想、あまり書道とか、やってきたけど考えてなかったなっていう部分がすごく多くて、
同じ日本の伝統と呼ばれるジャンルなので、
だけど触れてこない部分ってやっぱあるし、
分かっていたつもりだけど分かってない部分がかなりあったなって。
すごくもっとね、分かって、
全部が分かってるとは思ってないんだけど、
もう少し分かってる気でいたが、分からないことが増えた。
っていうのが今回だったね。
だからすごい今回、しかも同級生で話しやすいのもあるし、
その辺の無茶ぶりもね、いろいろ聞いてもらったので、
今日もVR体験してもらって、書道を普段プロとしてやってる身として、
VRってどうやって見るんだろうっていうのは、
自分がIT好きっていうのの目線から見るとすごい新鮮な感想だったし、
そうやって見るんだっていうのは、
すごくこれからもやりようがあるなっていうのが分かったので、
今後とも他の活動、フォレスト以外でも、
一緒に何かできたらいいなと思いました。
ありがとうございます。
感覚でやってることがうまく言語化できなかったりするじゃないですか。
特にクリエーションやってる時って。
今日こうやってクリエーションやってる方とお話をすることで、
無理やり頑張って言語化するんだけど、
結局お互いクリエーション側にいるから、
ふわっとした言語で分かり合った気になっちゃってて、
何だろうね、言葉も、例えば創作物を作る時も、
数学的な思考って僕ら知ってると思うんですよ。
数字を使って算数的に計算してるんだけど、
言葉も数学も全部ツールにして、
あと全部感性で動いてるんだなっていうのをすごく思った。
確かにね。
感性をブーストするためにロジック使ってるみたいな、
何だこれっていう感覚ですね。
それは相手に伝えるため、
ってか伝承するというか、
次に伝えるために、
そういったツール、道具を使っているっていう感覚だよね。
でも感覚から感覚だからやっぱ誤差はあるよねとか、
よく感じたよね。
守破離と模倣・オリジナルの関係
なんか音楽で、
例えばならば楽譜ってこうだよねって並べてて、
曲書いてるんだけど、
その演奏のところの話してるから、
なんか譜面のものが、
無機質なのに急に踊り出すみたいなね。
いうような会話を今日ずっとしてきたような気がします。
そうだね。
じゃあ抽象画を見たらそうやって見えるのかね、今度からね。
そういうのが塊だもんね、抽象画っていうのはね。
そうだね。
きっとね、なんかこう、
ロジックで僕なんか考えることをいつも食べ物ラジなんか特にね、
なんだけど今日の話って、
寝かせるというか、
体の中に置いといたら、
いつの間にかに発光して、
また違うものに変わっていくような予感がしてますね。
そういう意味ですごく楽しかったです。
本当に気づきが多かったね。
本当ですね。
でも日本食をもっともっと、
なんか服を脱いでください。
はい、そうですね。
ニュアンス。
ニュアンスがやばくて伝わってないけどごめんなさい。
いやいや、分かるけどね。
いやいや、ありがとうございます。
次回はまたなんか、
この後のゲスト会はまだ予定はないんですけど、
定期的に出てもらえればまた面白いかなと思って、
間にも他のね、ジャンルの方も挟みますし、
また僕らの話をぼちぼちしていこうかなと思いますので。
そうですね、今日のお話を聞いて、
僕も私も出てみたいという方は出てくるような気がしますので、
そういう方はまたぜひ応募していただきたいと思いますし、
あと、
アヨミさんに創作活動、お仕事をお願いしてみたいという方は、
ぜひどこにアクセスすればいいんですか?
インスタ?
インスタが一番いいかもね。
いいですか?
でも、武藤兄弟経由で。
ああ、はいはい。
入っていただいてもね、ちゃんと繋ぎますので。
ありがとうございます。
食べ物ラジオ、また食べ物フォレストに、
またうちのお店の方にご連絡いただければ、
そちらからお繋ぎしますので、よろしくお願いします。
はい、ということで、4回にわたりゲスト出演ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
それでは皆さん、また次回お会いしましょう。
食べ物フォレストでした。
さようなら。
さようなら。