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2025-01-01 12:45

2025/01/01:時を知る

2025/01/01 元旦礼拝

加藤満牧師

マタイの福音書 3:1-6


サマリー

2025年の始まりに際し、バプテスマのヨハネの教えを通じて、時の意義について考えている。特に、イザヤ書40章の教えが王の到来を告げる重要なメッセージであることを強調し、現在という時を神の視点から見つめ直すことの大切さを説いている。

新年と時の意識
ここから短く、見言葉を取り継がせていただきますが、高いところからではありますが、みなさん改めまして、明けましておめでとうございます。
今年も、旬にあってよろしくお願いいたします。
年末年始という時ほど、私たちは、時が変わるということを意識することはないかもしれません。
改めて考えますと、12月31日から1月1日に変わるというのは、普通に考えたら、日が普通に変わるということでしかないわけですけれども、
ただ、それでも私たちは、昨晩もおそらく日付が変わるまで起きておられた方もいらっしゃるでしょうし、私も紅白最後まで見たたちですけれども、
でも、そのように、時が変わる。そして、2025年になったんだ。
2024年は終わりました。そして、2025年が始まったんですね。
そのように、この時が変わったということを、私たちは今日ほど意識している気はないと思うんです。
今朝は、少し時を知るというテーマでお話をさせていただきます。
お開きしましたのは、この又江の福音書の3章というところです。
この箇所は、実はじっくり読みますと、時というのがすごく意識されている箇所なんですね。
日本語に訳すと、ちょっとそのニュアンスが落ちるんですが、例えば、3章の1節というところ。
その頃、バプテスマのヨハネが現れ、ユデアのアラノで教えを述べ伝えたということが書かれてありますが、
これ、その頃と言われている言葉、ギリシャ語ではこれは、だいぶしっかりとした書き方をしているんです。
単に副詞で終わっているのではなくて、今この時にというニュアンスなんです。
ニュアンスで言うならば、ついに時が来たみたいな感じなんです。
ついに時が来た。
バプテスマのヨハネというのは、皆さんご存知かもしれません。
知らない方もいるかもしれませんが、簡単に言うと、イエス様が来たぞと叫び始めた人なんです。
ついに時が来た。
彼は、この預言者イザヤの言葉の成就であるということが3節にも書いてあります。
この人は預言者イザヤによって、アラノで叫ぶ者の声がする。
主の道を用意せよ、主の通られる道をまっすぐにせよと言われた人であると。
これはイザヤ書40章の引用なんです。
イザヤ書の40章というのは、またちょっと急逆な話をいろいろ絡めて申し訳ないんですが、
イザヤ書40章、急逆成書にあるイザヤ書の40章と言いますのは、
簡単に言うとこれは、補修の終焉を告げる言葉です。
例えば、ちょっと開ける方だけで結構ですので、
イザヤ書の40章のその1節からというところを読むと、こういう言葉があるんですね。
イザヤ書40章の1節からお読みしますと、こういう言葉です。
慰めよ、慰めよ、私の民よ。
あなた方の神は仰せられる。
エルサレムに優しく語りかけよ。
これに呼びかけよ。
その苦役は終わり、その咎は償われていると。
そのすべての罪に変えて、二倍のものを主から受けていると。
あらので叫ぶ者の声がする。
主の道を用意せよ、荒れ地で私たちの神のために。
王子をまっすぐにせよ。
すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。
曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。
このようにして主の栄光が表されると、
すべての憎なる者が共にこれを見る。
誠に主の御口が語られる。
この40章が言いたいことは、厳しい裁きの時を終わりましたということの明確な宣言です。
そして慰めの時が来た。
慰めの時が来るというのは、
いざや氏の文脈では一体何を意味するのか。
王様が来るということです。
王がやってくる。
王が帰ってくる。
あのやけの原になったエルサレムに、しかしこの国を建て上げる、再建する。
王が再び帰ってくる。
だから、さあその道を整える準備をしなさいと語っているのが、いざや氏の40章です。
そして、ヨハネはまさにその言葉の長寿だと、マタエの福音書では言われる。
このヨハネが登場するまで、このいざや氏40章が語られたヨハネまでは数百年の時の隔てがあります。
そして数百年間、ユデイ人はこのいざや氏の言葉を見ながら待ち続けたんですね。
王が今か今かと、いつ帰ってくるのかと待ちわびました。
そして、この箇所はヨハネがそれを宣言し始めたということです。
今や、その時が訪れました。
神の時を知ること
王が帰ってくるんです。
さあ、それにふさわしい道を整えましょう。
王様を迎える準備をしましょう。
それがヨハネの言葉。
つまり、ユデイにいる人たちを、あなた方はこの王様の民にふさわしいものとして、
罪から離れて神のもとに帰ってきなさいということを訴えた。
それがバプテスマのヨハネの活動です。
これは実に過激な発言なんですね。
この時が来た。今なんだ。
しかもそれで王が帰ってきた。
でも彼はまだ王を見ていない。
そしてそのような宣言を彼は荒のでただ一人叫び始めたんです。
それは孤独な戦いです。
ただ、数百年待たれていた事柄が、今こそが、これが神の時であると彼は悟りました。
それは言い方を変えるならば、
ヨハネが自分自身が今はこういう時だなって考えるだけではなくて、
神様にとって今の時はこういう時だと彼は悟ったということです。
今がどういう時か。
それはどのような神の時なのか。
そしてそのために私は一体何に召されているのか。
それを彼は悟ったのですね。
ヨハネはそれを先延ばしにはしませんでした。
今こそ、今こそその時だ。
そう理解して彼は勇気を持って叫び始めたというのがこの3章から書いてあることです。
少しひるがえて私たちも自分自身のことを考えてみるならば、
年明けに思い巡らせたいのはこのことです。
それは今という時は私たちにとって、皆さんにとってどういう時でしょうか。
2025年はだいぶ明るいニュースから入るのかどうか分かりませんけれども、
なんか暗い調べがあるかもしれませんね。
アメリカの大統領が変わりますし、世界がどのように舵を切られるか分かりません。
そのような世界の時に思いを馳せることは大事です。
余談ですが、私が新学校に入学したのは2010年の4月なんですね。
東日本大震災があった翌月に私は新学校に入学をしました。
その時に新学校の入学式である先生がお話しされた内容はよく覚えています。
皆さんがこの時に入学する意義をしっかりと考えてください。
主があなた方をどのような世界に召されているかをしっかりと覚えてください。
ということをお話しをされました。
大事だなと思います。私たちは一体どのような世界に召されているのか。
そしてそれは私たち個人においてもそうですね。
世界がどうであるかだけじゃなくて、私たち一人一人においても、
私たち一人一人が刻む時というのはそれぞれが違います。
置かれている状況が違えば、人生のステージも違います。
それぞれにおいて今という時は違うかもしれません。
だからこそ考えなければならない、誰かではなくて、
私自身が私の時のことを考えなければならない、
私にとって今はどういう時なのか。
ただ、ヨハネに習うならば、
私たちもまた今という時が、
私にとってどういう時であるかということだけではなくて、
神様が私の今という時をどういうふうに見ておられるかということを
思い巡らせることが大事ではないかなと思うんです。
そのことを思い巡らせていただきたいと思うのです。
つまりそれは、神様が今、私の今という時をどのように見ておられて、
そして私を何に召しておられるかということです。
招いておられるかということですね。
それは、もしかしたらヨハネのように荒野に向かう時なのかもしれません。
何か黙っていたことを叫び始めなければならない時なのかもしれません。
いやむしろ、叫ぶ声をつぐみながら、
悔い改めへと招かれる時かもしれません。
けれども時があります。
時を知るということは、落ち着かないとできないんですね。
私たちはいつも今という時を何かに追われながら、消費しながら生きています。
今、それがどういう時であるかということは、落ち着かなければわからないですね。
けれども覚えておいていただきたいのは、
神様はいつでも私たちの今という時に飯を持っておられるんです。
そしてその飯に従って歩む中に、神様の素晴らしさというのを私たちは知り続けるわけですよね。
その頃、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを述べ伝え始めたと、今日の言葉です。
その頃、ついに時が来た。ついに時が来た。
この歌詞を読みながら思います。
私たちの、私のその頃とはいつなんでしょうか。
この新たな一年の中に何があるでしょう。
ただ私たちの日々刻む、今の中にその頃は隠れていますよね。
そしてそれが、これが今私の時だと思う時には、決して先延ばしにはしない方がいいのだと思います。
時は今はすぐに過去になります。
主が召されたその時に、私たちはそこで立ち上がるということをぜひ願いたいと思うのです。
そしてそのようにしながら、これが今あなたの時なのですねということを知りながら、
私たちは主の時を知り続けるお互いでありたいとそう願います。
2025年もいろいろなことがお互いにあるかもしれませんが、
主がその時々に私たちを祝し、導いてくださることを信じております。
一言お祈りをしてメッセージを終わります。
12:45

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