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こんにちは、アポロです。
今日のテーマは、多数派の真逆を行けという話をしていきます。
多数派の真逆を行けですね。
一般的に、多数派の意見に従っていれば間違いないみたいな考え方があると思うんですけど、
あえて多数派の方に行かないということが重要かなと思います。
考え方は人それぞれなので、多数派の方に行っていれば安心だとは思うんですよ。
自分一人じゃない、他にも同じような人がいっぱいいるから、
安心感は感じるけれども、それが果たして正解なのかという部分になると、ちょっと怪しいと思うんですね。
例えば、世の中を見渡してみてもらって、多数派と言われる人たち。
多数派の生き方に従っている人たちを見てもらって、本当に彼らは幸せそうに暮らしているのかということ。
もちろん個人差はあると思うんですけど、なんかちょっと人生に不満を感じていたりとかっていうのはあると思うんですよ。
そういう人たちを見ていると。
だから多数派に従っていれば、人生の正解かというとそういうわけではない。
むしろ、R. Nightingaleも言っていますけど、大衆は常に間違うという言葉があるように、
多数派がやっていることは往々にして間違いである可能性が高いわけです。
特に今このウェブマーケティングの世界とか、オンラインの情報発信をするときっていうのも、
他の人と同じことをやっていたらどうなるかということですよ。
みんなやっているから、じゃあ自分もやりますというふうになると、2番センジ、3番センジになって結局埋もれてしまうというわけですね。
だから他の人と同じことをやっていてもうまくいかないんですよ。
よくモデリングはどうだとか真似した方がいいって言われると思うんですけど、
表面的なものだけを真似しても意味がないんですね。
もっと中にある本質的なところを真似しないと、表面で、
例えばこの人がFacebookをやっているからじゃあ自分もFacebookをやろうとかそういうことじゃないんですよね。
自分にそれが合っていればFacebookでもいいかもしれないし、
そこに見込み客がいるんだったらFacebookでもいいかもしれないけど、
自分の見込み客がいないし自分に合っていないんだったら、
仮にモデリングしている人がFacebookを使っているかといって、
自分もそれをすればいいというわけではないんですよ。
だから何でもモデリングだとか真似しろとか言われますけど、
みんながモデリングしたらどうなるかということですね。
みんながモデリングしたら同じような人がたくさん増えて、
自分は埋もれてしまうというわけですね。
テンプレートの話とかもよく言いますけど、
例えば文章には型がありますみたいな、
プレップ法だ、なんだとか言われるじゃないですか。
パソコンの法則とかいろいろ言われると思うんですけど、
テンプレートをみんなが同じテンプレートを使うようになったら
どうなるかということですね。
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またこれかみたいになるじゃないですか。
テンプレートって徐々に陳腐化していくんですね。
みんなが使うから。
コピーライティングとかのキャッチコピーとかでも、
だいたいキャッチコピーって穴埋め式じゃないですか。
型を真似てそこの中の単語だけ入れ替えるみたいなのがあると思うんですけど、
ああいうのも一時期ものすごくキャッチコピーが流行った時があって、
みんなそればっかりになったんですね。
そうすると逆に見てる側も、
なんかこれ見たことあるなとかってなるわけですよ。
そうすると真似するってことがむしろ逆効果になったりするわけですね。
だから何でもかんでも真似すればいいってわけじゃないし、
多数派のほうに行けばいいってわけじゃない。
これからは多数派とも逆に行くっていうのはすごく大事で、
特にマーケティングの世界においては僕はそうじゃないかなって思うわけです。
ニッチっていうのは隙間とかって言われることがあると思うんですけど、
まだ満たされてないニーズとかそういうふうに解釈されることも多いわけです。
ニッチのほうに行くとみんな多数派のほうに行ってるわけだから、
まだ少数派のほうに行けばそういうニッチな人たちがいっぱいいるわけですよ。
誰も気づいてくれない満たされないニーズがあって、
そこを自分が満たすことができると。
例えば僕みたいにこういう情報を発信してる人って少ないと思うんですよ。
多数派の真似しててもダメだとか、
みんな成功者の真似を知らうだとかモデリングだとかって言ってる中で、
他はそういうことをあんまり言わないじゃないですか。
むしろ逆、そんなの真似してたらダメですよとか、
多数派と同じことをやってたらダメですよっていうふうに言うってことは、
違うわけですよ、彼らと。
ってなると、僕と同じような考え方を持っている人からすると、
すごく共感できたりするわけですよね。
それがまだ満たされてないニーズ、ニッチってことです。
世の中には多数派と同じ生き方ができない、
大衆に迎合できない人たちがまだいるんですね。
決して多くはないでしょうけど。
でもそういう人たちってやっぱりフラストレーションを感じてるわけですよ。
自分の生き方を周りに認めてもらえなかったりして、
すごく辛い思いをしたりとか、
僕自身も本当にそういうことが何回もあったんで、
本当に人に会わせるっていうことができなくて、
本当にそれが嫌だったんですね。
日本って横並び思想が強いから、
みんなのやり方から外れると批判されたり、
バカにされたり、非難されたりってあると思うんですけど、
そういう心に嫌味を抱えている人っていっぱいいると思うんですよ。
でもそういう人がインターネットで情報発信を見て、
例えば僕みたいな情報発信をしている人がいたら、
その人わかってくれるなって思うわけじゃないですか。
だからそういうところをあえて狙っていくっていうのは大事です。
僕は別に意図してこういう情報発信をしているんじゃなくて、
自分の性格がこういう性格だから、
ただそれをありのままに伝えているだけですけど、
こういう情報発信にも響く人はいるわけですよ。
結構僕も過去のエピソードとか振り返ってみて、
YouTubeとかPodcastとか見てみると、
天の弱マーケティングとか、
異端のマーケティング戦略みたいな動画とか上げたりしてるんですけど、
そういうところがやっぱり視聴回数が多かったり、
やっぱりそこにひどく共感している人がいるってことですよ。
だから決して数は多くないけど、
そういう人たちを幸せにすることはできるわけですね。
だから必ずしも大衆の方に行けば正解かというと、
そういうわけじゃないし、
成功法則って1個じゃないですよね。
だからみんなこうやってるからこうすれば正解かって言われると、
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必ずしもそういうわけじゃない。
何個も成功法則はあるんだから、
そのやり方じゃなかったとしてもね、
成功することはできるわけですよ。
みんなこのやり方じゃないと絶対ダメですみたいなふうに決めつけてるんですけど、
答えって1個じゃないじゃないですか。
学校のテストじゃないんだから。
人生っていくらでも答えはあるわけだから、
自分なりの答えが見つかればいいわけだって、
大衆がやってて上手くいってる人はみんなこのやり方やってるからね、
じゃあ自分もこれやったら上手くいくかって言ったら、
そうとはいえない。
自分に合ってなければ上手くいかないしってことじゃないですか。
だからその辺は自分を見て、
自分に合ってるんだったらやればいいけども、
自分に合ってないんだったらやらないほうがいいと思うんですね、僕は。
そこで絶対にこれが正解だみたいなのを決めつけること自体が
僕はちょっとおかしいなっていうふうに思うわけです。
この大衆の真逆をいけってことですけど、
なんでその大衆がそういうふうになっていくのかってことですね。
大衆というか多数派ですね。
多数派に従ってるとどうなるかってことをちょっと考えてみてほしいんですけど、
多数派に従うってのは楽ですよ。
自分以外にも同じような人がいっぱいいるから安心しますよね。
自分一人じゃないから。
ってなるとどうなるかっていうと、
思考停止に陥るんですよ。
もうみんなやってるからっていう発想で同じことをやって何も考えない。
安心で楽で、
もう本当にそういう不安とかもないわけですよ。
船が沈むんだったらみんな一瞬沈むから自分一人で沈むわけじゃないじゃないですか。
だから安心だみたいなふうになるわけですけど、
そうすると思考停止になるんですね。
自分の頭で考えるっていうことをしなくなるわけです。
この考え、思考停止になるとどうなるかっていうと、
本質が見えなくなるんですよ。
物事の本質が。
自分の頭で考えないわけだから、
本質なんか見えるわけないじゃないですか。
本質っていうのは本当に物事の深い部分にあるところなんで、
しっかりと考えて、これはどうなんだろうとかなぜだろうっていうふうに考えて、
深掘りしていかないと見えないものなんですね。
でも周りに合わせていて、自分の頭で考えるっていう能力がついてない人は、
そういうものが見えないわけです。
だから表面的なものだけを見て物事を判断して騙されてあるとか、
っていうふうになるわけですね。
だから本質を見抜けるようになりたいんだったら、
この思考停止状態に陥るってのはまずいわけですよ。
でも思考停止にならないためにどうすればいいかっていうと、
自分の頭で考えるっていうことですね。
自分の頭で考えるっていうのは、
例えば多数派と違う方、少数派とか、
自分独自の道を生きていったら、
多数派は自動運転の車に乗っかってるみたいなものですよ。
勝手に運転して連れてってくれるから、
自分で何もしなくてもいいわけですね。
でも少数派っていうのは自分で運転していくわけですよね。
険しい道書家を自分で運転しないと、
だって誰もそっちの道を進んだことがないわけだし、
自分に全部責任があるわけじゃないですか。
みんなに合わせていれば責任がないからある程度楽ですけど、
そういうみんなと違うことをやるっていうのは責任が生じるわけだから、
全部自分でハンドリングしていかないといけないですね。
ってなると必然的に頭を使わざるを得ないわけですよ。
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前例とかがないわけだからね。
っていう風になると自分の頭を使うっていう能力が磨かれるわけです。
もちろん少数派に行ったからといってそれが100%正解ってわけじゃないし、
みんながやってないってことはそれが間違いであるっていう可能性も大々にしてあるので、
何でもかんでも多数派の真逆を行けばいいっていうわけじゃないですけど、
やっぱり自分の性格がもし多数派とちょっと違うんだったら
そっちに行けばいいと思うんですよ。
逆に自分が多数派のものの考え方が合ってるんだったら
そっちに行けばいいと思うんですね。
大切なのは自分がどうなのかってことであって、
そこがみんなと違うからみんなに合わせないといけないのかなっていう風にやっちゃうと
一番最悪なパターンに陥ってしまう。
他人軸で生きることになってすごく人生が苦しくなってしまうので、
ここは自分がどうなりたいのかとか、どうありたいのか、
どういう人生を過ごしたいのかってことをベースに考えるっていうのは大事だと思います。
僕的にはあんまり多数派としての考え方が合わないので、
そういう言い方はしてないんですね。
例えばYouTubeとか見てもらってもわかるんですけど、
僕YouTubeは一切編集してないんですよ。
編集できないわけじゃないですよ。
時間取られるのが嫌だからやってないっていうのはあるんですけど、
よく言われるわけですよ。
YouTubeの動画編集者の人が勧誘してくるわけですね。
こういうふうに私に編集任せていただければもっと良くなりますみたいなことを言われて、
確かにそうだと思うんですけど、
例えばサムネイルとかもよくあるじゃないですか。
文字入りで出演者の表情があって、びっくりしてる顔があって、
〇〇がヤバすぎたみたいな文字がサムネイルに入ったりするじゃないですか。
ああいうのってキャッチだからああいうふうにしてるわけですよね。
でももしみんなそれやってたらどうなります?
逆に目立たなくないですか。
みんなが同じようなサムネイルをバーってやってたら、
みんな変な自分の変顔をして横に〇〇がヤバすぎたみたいなテロップっていうんですか、
文字が入ってて、そんな顔の動画がずらーっと流れてたら逆に埋もれるじゃないですか。
そんな中で僕みたいに一切編集してない、
何のサムネイルもただ自分の動画中の部分の一部が切り取られて写ってるだけで文字も何も入ってないものがあったら、
逆に目立つと思うんですよ。
結局サムネイルとかをいじるのはなぜかっていうと、
お客さんの目に留まってもらうためですね。
視聴者の目に留まるためにサムネイルをいじるわけじゃないですか。
だからああいう風にした方がキャッチーだから目に留まりやすいんですけど、
みんながそれをやったら逆に目立たなくなるんですよね。
だからそういう意味もあって僕はやってないってあるんですけど、
実際僕はどうなのかっていうと、
着実にチャンネル登録者数は増えてるわけですよ。
だから今のやり方、もしそのやり方に変えればもっとすごいスピードで増えるのかもしれないけども、
僕がそういう風にしないのはもう一つ理由があって、
もしそのキャプチャ画像、キャプチャ画像じゃないね、
サムネイルかサムネイルとかをいじって、
その視聴者が増えたとしますよね。
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でもそれって多分そのサムネ画像に釣られてやってきた人だと思うんですよ。
わかります?
だからそういう表面的なものに釣られてやってくる人なんですね。
だからそういう人を集客したいのかっていうと、
僕はそうじゃないからしてないわけです。
もし本当に本質がわかる人だけを集めたいんだったら、
大半の人は多分価値を感じないと思うんですよ。
なんでこいつ編集もしてないし、
サムネもそのまままた死にたくなるわけじゃないか。
でもそれでも僕のチャンネルを見てくれる人とかチャンネル登録してくれる人っていうのは、
それでもいいから見てくれるし、
それでもいいからチャンネル登録してくれるわけですよ。
だからそこに価値を感じるわけですね。
そういう表面的なサムネ画像がどうだとかテロップがどうだとか、
そういうところだけで判断する人っていうのはやっぱり、
そこしか見えてない人。
話の内容がどうとかっていうよりも
サムネがどうだとかテロップがどうだっていうところしか見てない、
それで価値を判断してる人だから、
そういう人は僕は集客したいと思ってないからやってないってのもあるわけです。
あの辺であえて意図的に絞り込みというか、
それでもいい人、
本当に話のそのものの内容の価値を感じてくれる人だけを集めたいから
あえてやってないってことですね。
視聴回数が増えてもやっぱり見込み客、質の高い見込み客が集まらなければ意味がないんで、
僕は数ばっかり追い求めるのはちょっとどうかなと思うタイプなんで、
そういうふうにしてないわけですね。
数が増えればいいわけじゃないし、
僕は別に広告収入で稼ごうとは思ってないから、
視聴回数を増やしたいとも思ってないんで、
そういうような感じで僕はYouTubeをやってるので、
もし興味ある方はYouTubeチャンネル見てほしいんですけど、
人と同じことをすればするほど埋もれるってことなので、
そこはマーケティングの世界でも重要になってきますから、
ぜひ意識してほしいと思います。