2021-06-06 11:22

「○○のせい」というパラダイム

何でもすぐに人のせいにする人がいますが、

もしあなたがそういう傾向があるなら要注意です。


この「○○のせい」というパラダイムで生きている限り、

成功することはまず不可能だと思った方がいいです。


なぜなら、自分の人生をコントロールすることができないからです。


ブログ記事はこちら。

「○○のせい」というパラダイム - 潜在意識と引き寄せの法則でどん底から人生逆転 (theloablog.com)

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こんにちは、アポロです。
今日のテーマは、「○○のせい」というパラダイムについてお話していきます。
何でもかんでも、すぐ人のせいにしてしまうとか、状況のせいにしてしまうとか、
そういう人って結構いると思うんですよ。自分の身の回りにそういう人がいたりとか。
僕の過去もそういうような傾向があったので、すぐに人のせいにしたりとか、
自分の環境のせいにしたりとかっていうのがあったんですけど、
やっぱりそういうことをしていると、人生のステージって上がっていかないんですよね。
だからこの○○のせいだっていうパラダイムから抜けないといけないわけです。
基本的にこの○○のせいっていうふうに何事も考えている人っていうのは、
人生がいくつかのステージに分かれているとしたら、
一番底辺の部分にいる人たちがこういう○○のせいっていうパラダイムで生きている人たちです。
子供なんかイメージしまったら分かると思うんですけど、
子供ってすぐ言い訳じゃないですけど言うじゃないですか。
僕のせいじゃないよって、○○が悪いんだよみたいなこと言うじゃないですか。
だからまだちっちゃい子供たちっていうのは成熟しきってないから、
そういうふうに他人のせいにしたりとかってあるわけですけど、
そのままそれが大人になったみたいな感じですよ。
なんでもかんでも自分は悪くないとかってね。
口癖とかを聞くと分かるんですけど、
何か問題が起こったときにですね、
誰がやったんやとかってね。
関西弁で言っちゃいましたけど、誰がやったんだみたいな感じで言うような人。
どうやったら問題解決できるんだろうっていう発想ではなくて、
まず最初に誰が問題を起こしたのか。
責任の所在をすぐに明らかにしようとする人とかっていうのは、
この〇〇のせいでっていうパラダイムで生きている人たち。
問題っていうのはまず解決策を考えるのが先だと思うんですよ。
誰がやったかとかなぜ起こったかっていうのは、
後から必要であれば調べればいいことであって、
その段階で誰がやったとか何で起こったのかってことを考えてもしょうがないわけですよ。
だからまずは解決策を考えるのが一番なんですけど、
一番最初に誰がやったのかとかっていうことを気にするっていうのは、
まさにこの〇〇のせいっていうパラダイムで生きているってことですね。
この〇〇のせいっていう考え方を持っていると、
本当にいろんなところに問題が生じるんですけど、
まず何が問題なのかっていうと、
〇〇のせいっていうふうに言うってことは、
要するに自分は悪くないっていうふうに言ってるのと同じことなんですね。
自分は悪くない、悪いのは相手だとか悪いのは環境だとか、
そういうふうに言ってるわけですよ。
ってなると何が起こるかっていうと、反省しないんですよね。
だって自分に非はないって思ってるわけだから。
自分は悪くないと思ってるから反省しないですよね。
反省しないってことは成長しないってことですよ。
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成長しないってことは同じ問題に何度もぶち当たるというわけですね。
いつまでたってもその問題から先に進むことはできない。
同じ過ちを何度も繰り返すってことです。
なので基本的に全部自分は悪くないっていう発想になると、
当然相手とか環境とかそういうもののせいにしてしまいますよね。
そうすると自分は悪くないと思ってるから何も改善しない。
そしてまた同じ過ちを繰り返して人生がどんどん悪くなっていくっていう状態ですね。
この○○のせいっていうふうに考えるのは本当にマイナスなことが多くて、
そもそも○○のせいっていうふうに考えると他人の悪いところばっかり目につくんですよね。
だって他人が悪いと思ってるわけだから。
だからそういう視点で物事を見てるから悪いところばっか目について腹が立つことが多いわけですよ。
あの人が悪いんだっていうふうに思うのは、
自分がそういう物の見方をしてるからそういうふうに見えて自分が腹が立っているだけなんです。
その人っていうのは相手が悪いから自分が腹が立っていると思ってるんですけど、
実際はその状況を作り出しているのは自分自身なわけですね。
もし○○のせいではなくて○○のおかげですみたいなふうに考えている人はですね、
他人のいいとこばっか目につくと思うんですよ。
あの人がいてくれるおかげでみたいなふうに考えるといいとこが目につくんですね。
そうすると嫌な気分になることって減ると思うんですよ。
だからその人はそういう見方をしてるからあんまりマイナスの出来事が起こらないというか
ふうに見えるんですけど、実際は怒ってるんですけどそういう見方をしてないだけなんですよ。
だからこの○○のせいでっていうパラダイムで生きていると
本当にストレスが溜まったりとかイライラしたりとかフラストレーションが溜まったりとか
そういうようなことが増えるんですよ。
なぜなら物事のマイナス面ばっかり見てるからですね。
結局僕たち人間っていうのは一人で生きてないわけですよ。
いろんな人に支えられてお互いが支え合って生きてるわけですね。
自分で一人で生きてるわけじゃないですよね。
だからどんなに相手のことが腹立つ存在であったとしても、
その人も何かしらの形で自分の役に立ってくれてるわけですよ。
直接何か恩恵を受けることはなくても、
例えばその人が生きてることによってその人が経済活動をしますよね。
何かしらの消費行動をします。
そうするとそのお金が回り回って自分のところにやってきたりするわけですよ。
その人がいてくれるおかげで自分の収入が増えてるかもしれないわけですよね。
って考えるとその人も自分にとっておかげさまの存在なわけですよ。
いろんなことを気づかせてくれたりとかね。
反面教師とかってあるじゃないですか。
そういう良くない振る舞いをすることによって、
自分は気を付けようと思ったんだったら、
それって自分にとって恩恵がありますよね。
そういう意味で何かしらの形で役に立ってるんですよ。
でも自分のものの見方がネガティブだから、
悪いとこばっか目について腹が立つことが増えるってことです。
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なのでそういう見方をしてるとですね、
ちょっとスピリチュアル的というか宗教的な話になると思うんですけど、
感謝すべきものに感謝しない。
すごく傲慢な生き方だと思うんですよ、それって。
だから当然神様からもですね、
何も可愛がってもらえないというか、
神様からそれに準じた仕打ちというか、
こんだけ与えてあげてんのにお前は感謝もしないのかってなると、
天とか神様が味方してくれなくなるんですよ。
だからどんどんどんどん人生が悪くなっていくってことですね。
この〇〇のせいでって考えるとですね、
自分で自分の人生をコントロールできなくなるんですよね。
なぜかというとですね、〇〇のせいでって考えてるってことは、
相手の在り方とかそういうものによって自分の在り方が決まるわけですよね。
だから言い方を変えれば他人に人生を振り回されることになるわけですよ。
自分の在り方が一定な人っていうのは、
相手がどういう振る舞いをしようか、
その感情とか行動ってのは変わらないんですよ。
相手は相手だしみたいな感じで考えて変わらない。
でも反応する生き方をしてる人、他人に振り回される人っていうのは、
他人がいいことをしてくれれば喜ぶし、
他人が腹立つことをしたら怒るしみたいな感じで、
常に在り方が一定じゃないんですよね。
他人のせいにするとそういうふうになるわけですよ。
でも全部自分に原因がある。
自分は自己責任だって考えてる人は、
他人がそういうことをしても、
そういう原因を作ったのは自分にあるって思ったら腹が立たないんですね。
なぜなら原因が自分にあるからです。
なのでそういうふうに考えることが大事なんですね。
他人のせいだって思った瞬間に、
自分で自分の人生をコントロールできなくなるんですよ。
そういう外的要因によって自分の在り方が変わってしまうってことは、
要するに自分の人生を他人とか外部環境に
コントロールされてしまうということです。
この〇〇のせいって考えると、
どういうふうになるかっていうと、
結局何かに依存してるわけですね。
相手の在り方によって自分の在り方が変わるってことは、
相手に依存してるってことですよ。
人生で責任を負いたくなかったら、
何かに依存するのがいいんですね。
そうすると自分で責任を負わなくて済むじゃないですか。
〇〇のせいですっていうふうに言うってことは、
これは別にどんなシチュエーションにおいてもそうだと思うんですけど、
あいつが悪いんですとか、〇〇のせいですとかって言うっていうことは、
裏を返せば私の責任ではありませんっていうことですね。
責任逃れをしてるわけですよ。
で、責任逃れをするとどうなるかっていうと、
自由がなくなるんですね。
わかります?
さっき責任を負いたくないなら何かに依存することだって言いましたよね。
だから自分の人生、自分で収入を得るっていうところに
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責任を持ちたくないんだったら会社に依存して、
会社に恩募してもらってれば、
そういう責任って負わなくていいじゃないですか。
とりあえず働いてれば収入が入ってくるしみたいな感じになりますよね。
その代わり自由を失います。
会社に依存するから会社にコントロールされてしまって、
自由を失うわけです。
逆に自由になりたかったら責任を持たないといけないんですよ。
自由に行きたい場合ってのは自己責任ですよね、全部。
自分が例えばミュージシャンになりたいんだって言うんだったら、
どうぞどうぞ、じゃあ自由になってくださいと。
その代わり何があっても自己責任ですよってことじゃないですか。
だから自由には責任が伴うんですよ。
でも〇〇のせいですっていう風に発言するってことは、
責任逃れをしてるはずってことですね。
つまり責任を負いたくないと思ってるから、
自由も得られないんですよ。
常に何かに依存して何かにコントロールされる人生を歩むことになるということ。
なのでこの〇〇のせいっていうパラダイムで生きていると、
本当にいろんなものに振り回されて、
常に心が乱れているような状態。
そして自分で自分の人生をコントロールできなくなってしまうので、
主体的に生きることができなくなってしまうんですね。
だからもし自分がそういうパラダイムにまだいるんだったら、
まずこの〇〇のせいっていう発言をやめるとか、
そういう考え方をやめるってことをしてください。
そうしないと、さっきも言ったみたいに、
同じ過ちを何度も繰り返すことになるので、
一向に成長しないんですよ。
だからあいつが悪いんだとかって思ったとしても、
絶対にどんな些細なことでも自分が原因を作ってるんですよ。
例えば、夫婦喧嘩があって、
なんであいつはこんなつまんないことをぐちぐち言ってくるんだと思ったとしても、
その原因を作ったのは自分ですよね。
そのぐちぐち言われるような隙を作ってしまったわけですよ。
もっと言うなら、そういう人を選んだのも自分なわけじゃないですか。
ということは全部自分に原因があるわけですよね。
そういうふうに考えると、相手に対しての怒りもなくなると思うし、
全部自分に原因があるんだと思うと、
自分で自分の人生をコントロールできるようになります。
つまり、自由が得られるということです。
なので、ぜひこの〇〇のせいっていうパラダイムをもし持ってるんだったら、
今すぐにそのパラダイムを変えてもらって、
自律的に生きるということを始めてみてほしいと思います。
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