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2022-03-01 06:51

27 万葉集の名もなき人の歌の集め方の謎

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1500年くらい前に、地位や身分の低い人たちの歌が天皇の歌の横に並べられているくらい「歌の前の平等」があったのはすごいことだけども、

そもそもそれら防人歌(九州)、東歌「坂東、東北)の名もなき人々の作った歌がなぜ中央の編者のもとに集められることができたのか。

ずっと不思議に思ってきたことがなんとなく解決できたよ、というお話です。
#万葉集 #古今和歌集 #不思議
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というスタイルの知的迷走ラジオ、人生三段ロケット。
今日は、若衆ってあるでしょ、いろいろな日本の昔の歌を集めた。
この若衆の弊社の人たちは、どうやって歌を見つけてきたんだろうかっていうことをずっと考えてたんですよね。
これ不思議だなぁって思うんですけど。
それまでの古今若衆とか新古今とか、いろいろあるじゃないですか。
それまでの若衆に入っていたものとか、歌わせで読まれたものとか、そういうのが発掘の仕様もあるけれども、
例えば個人の旅の中で読んだものとか、当時の身分の低い人の歌であるとかね、
そういうものってどうやって発掘してきたんだろうかなってずっと思ってたんですよね。
古今若衆とか、4千何百種もあるけど、一部の閉じられた世界の中だけのものじゃなくて、
あずま歌とかね、さきもり歌とか、広く日本中にその歌の作者が散らばっているじゃないですか。
千何百年も前の歌手ですよ。そこがね、すごいなと思うんです、僕。
で、読んだ人がね、あずま歌だから万能東北とかね、あとさきもり歌だから九州とかね、言われているんですけども、
まあその名も残してないような人がね、九州とか東北とかでね、読んだ歌が、
どうやって中央の編産のね、祖上に載せられたんだろうという、その経歴がずっと知りたいなって前からずっと思ってたんです。
で、進行期間ぐらいの頃になったら、かなりね、偏者の身の回りの人の歌とかで固められるようになっていったかなと思うけれども、
それにしても同じことで、それってどうやってストックされていたんだろうというのをね、いくら考えてもわからなかったんですね。
ところがね、考えのヒントが一つあって、あの本を読んだんですね。あのね、すっごい題名ですよ。
クソジジイとクソババアの日本史という本なんですよ。
で、歴史上の、言葉めちゃくちゃ悪いんですけど、歴史上のじいさんばあさんたちへのレスペクト感がね、満載なんですよね。
例えばね、見出し見るとすごいですね。ルポライターババアが歴史を作る。
これね、あの紫色帽とか、あ、違う、聖書ナゴンか、聖書ナゴンとかね、の枕草子みたいなね、そういうやつなんですけど。
あと81歳で聖界デビュー。100歳過ぎても聖界に君臨とか。平安鎌倉時代のアンチエイチングババアとかね。
昔の人は短命は嘘、ヤバい老人クリエイターとかね、すごい見出しなんですが。
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まあその誰を表しているかっていうのはね、まあお読みいただくとして、ジジイとかババアとかいう言葉にものすごいレスペクトが込められているんですよね。
その中にですね、ソネヨシタダという歌読みの話が出てくるんです。
世の中にですね、自分の歌が広まってほしいので、桜を使って広めようとして笑われたという話なんですよね。
でね、情報の拡散をするために、まずは認知されたいという気持ちが1000年前ぐらいからあったということを示しているんですけど。
ある歌読みがですね、いつの間にか私の歌をね、巷で人々が口ずさんでいるよと得意げに言ったことを受けて、
そのライバルの人がね、人に金をやってそれを広めさせたことっていうのが紹介されているんですね。
そしてその話の締めとしてさっきのソネヨシタダが金も払わずに広めてくれるように頼んでいたそうだよというところで笑われているっていうのがこの話のオチなんですね。
ですので当時からね、1000年前の話なんですが、当時から情報の拡散ということへの認識があって、
そしてそのためにお金を使うのだということは普通に行われていたというようなことなんですね。
なので本当に良い歌なら自然に人が口ずさみますよ、そして広まっていきます、広まっていきますよという考えがそれが理想で、
でも人為的に拡散は行わないといけないよね、お金払ってでもという認識があったんだよなという、そういうことなんですよ。
ここで万葉集に帰ってくるんですけど、日本の津々浦々の様々な地位の人々の歌が掲載されているという、
すごいですね、歌の前に平等って渡邉正一氏が言われたんですが、日本は歌の前には地位とか身分とか関係なしですもんね。
その万葉集なんですけど、当然メモとかがあったわけじゃなくて、口づけにずっと歌われていって広まっていたから弊社の元に届いたということなんですよね。
さっきの曽根義多田の千年前の歌読みたちのお話みたいに、人為的にお金を払って広めようとしたことができるはずがないですよ、1500年くらいですかね、前の貨幣経済でもないような時代にね。
そのようにしてものというのは残ったはずもないわけでしょうか。
そうじゃなくて、たくさんの人がその思いに共感して口ずさんで、やがて言霊ですよね。
場所と時間を超えて弊社のところに届いていたんでしょうね、当時の有名な歌として。
誰が歌ったか知らないけどこういう歌があるよねっていうのが、一般のみんなが知るところのものだったんでしょうね。
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それほど東歌とか先森の家族への思いとか傍聴の念というのは深かったんだろうなと、そういうことですよね。
ということで長いこと抱いてきた疑問、何で演者の元にそれらの歌が届いたんだろうかという疑問を何とか解けたかなと。
良い歌だったんで、自然に人が口ずさんで、時と場所を超えて演者に届いたんだなと、そういうようなお話でした。
ということで今日はこれで終わりたいと思います。
それではまた、リュウサイルでした。
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