00:05
はい、おはようございまーす。
今日も喋りましょうね。もう懲りずに喋りますよ、本当に。よく喋るなぁ。
はい、今日は日曜日ですね。土曜日の夜に撮っておりますけど、日曜日。
日曜日は誰も聞いておりませんのでのこのやりとりね。お決まりのやつやっておりますけども。
どうなんでしょうね。やっぱり土日は聞いてる人少ないから、なんかね、どうなんでしょうね。
最近思うのは、タイトルによってやっぱり聞いてる人数変わるなと思いますけどね。
一時期、最近あんまりやらないけど、川口社長云々って話をやるとブワッと伸びた時がありましたね。
あの時はね。川口社長のコミュニティーが結構でかいのがありますからね。
私、同じことばっかり言うからさ。まあいいんだけどさ。川口社長のやつは伸びてたな。
あと、タイトルに西野昭寛っていう名前を入れると結構伸びますよね。
と思ってやたら入れてみたら伸びなくなったことがありましたけどね。
まあそんな、ちょっと遊びでね、やってるだけですけども。
っていうようなことで、本当に日曜日が聞いてる人が少ないかどうかはよく分かりませんが、
思いつきでね、やっておりますが、さあ今日思ったことをやりましょう。
今日もバックヤードをやっていきましょう。精神科のバックヤード。
じゃあ、始めるぜぃ!
えーと、ツイッターを…じゃない、Xを見てたわけですね。
われらが、藤野先生がね、藤野君がね、ツイートをしてましてね。
ちょっと見てみるか。何だかね、ちょっとね。
藤野君は、あってもあんまり悪いことを言わないホワイト社会の
申し子みたいな人なんですけどね。
かなり酔っ払った時間帯になるとちょっと毒吐きますけどね。
かなり酔っ払ってほんの少しの毒が出るかどうかってね。
いやー、あの防御が…おっとなんかボーンってなっちゃった。
固いですけども、藤野君のツイート見てなーいうねーと思ったんですが、これだ。
はい、ポストね。
めちゃくちゃいるので炎上覚悟で言いますが、精神疾患にかかった人が経験談だけで自傷カウンセラーになったり、治療本を書くのはおすすめできません。
きちんと学んで資格を取り、覚悟を持ってやるならいいけど、単に経験しただけでできるものではありません。
骨折した人が骨の治し方を語るようなものです。
言うねー、言うねー、言うねー、言うねー、それ言うねー。
私、うつ病になったからうつ病のこと詳しいです。うつ病カウンセラーいっぱいいるじゃん。
言うねー、言うねーと思いましたけど。
僕はそういうことは言いませんよーと思ったけど、僕は藤野君の仲間を自称しておりますので、僕も賛同させていただいて、僕もそう思います。
03:04
そう思います。
なんでうつ病になったことあると、うつ病の治し方に詳しくなったつもりになるんだろうね。
面白いですね。
まあね、とはいえですよ。
藤野君に申し訳ないけど、とはいえですね。
専門家がそんなに詳しいんかいっていう、両方とも詳しくないんじゃないかって思ったりしたりしなかったりするんですけど。
僕なんかは、日本の精神医学やってる奴みんなおかしいんじゃないかくらいの勢いでいつも、
人の診断ひっくり返したり、偉い先生の講演聞きに行っても、何言ってんだこいつみたいなことを言ったりするわけですけど、思ったりもするし言っちゃったりするんですけど。
でもね、大人ですから、面と向かってはたまにしか言わない。
面と向かってもたまに言うんかいっていうことですけど、まあそれは言いますよね。
あるいはこの人にはわからんなと思ったら、いろいろ話をして、あ、なるほどと思いながら、後であれは言っても説得できないなっていうね。
どこが違うかわかったらね、ああそういうことかってね。
先生どう思います?って僕がこう思うって相手が言ったら、ああそういう考え方か、これはこれ以上言ってもラチはあかんなってなってね。
物は味方ですからね。
ということで、まあまあ本人にも喧嘩吹っかけていたりしますけど、議論だよね、喧嘩っていうか本当はね。
議論を吹っかけに行って、議論負けることもありますよ。
負けるっていうか、ああなるほど、そうかというふうな気持ちになると、勝ち負けじゃないんだけど、一応勝負の形で論破に行ったりするわけですけど、
論破が目的じゃないんで僕の場合は、精神医学の議論に関しては。
ただ論破の形をとって、俺が合ってるわって議論をぶつけていくことで、自分の論史の荒というかな、僕が考えていることの問題点みたいなものがつまびらかになって、
次の思考につなげられるんで、なので僕のが合ってる、おかしいなら言っても怖いっていう感じで議論の状態に持ち込んで、
喧嘩みたいな状態に持ち込んでいくことによって、相手がついてきてうっと僕がいてってなったら、そこに論理の穴があるわけですから、
そこを見つけてあれ?と思ってなんでここが疲れて痛いんだ、確かになっていうことで、それってどうなってるかなっていうことをちょっと考えたりするので、
自己批判じゃないけど自分でもそういうことをやるんだけど、自分だと気づかなくなる時があるんですよね。
一つのそういうものを考えるヒントというか、いいのは発表をしたりすることね。
人前で発表するということで準備をすると、やってて分かりますよ。発表する、やっぱり人に教えるって大事だよね。
教えようと思ったらその時にね、何回かやらないとダメだと思うけど、何回かやってると教える、例えばスライドみたいなパワーポイントだとか、
06:05
ああいうプレゼンの資料を作ってる時に、1回、2回じゃダメか分かんないけど何回かやってると要は相手の質問が浮かぶんだよね。
こういう風に言ってこれはこうですと言った時に、あ、でもこういう質問来るかもなってパッと思うわけね。
そこでこういう質問来たらこう回答するよなとかって思うんだけど、自分が想定した質問に自分が答えられない時があるわけ。
あれ、だとするとさっき先生おっしゃってた、きめい力障害と全校生憲法って何が違うんですか?みたいな。
これは実は実際学生に言われた話で、全校生憲法の話ときめい力障害の話をしてた時に、授業終わってから、講義終わってから全校生憲法、先生の定義だと全校生憲法ときめい力障害が同じってことになりますよっていう質問が来て、
ああ、確かになと思って、そこから僕の概念をもう一回構築し直すことになって、確かになと。
でも合ってるはずなんで、どこに僕の話の弱いところがあるのかなと思って、あれ、どこで間違えた?みたいな感じで、
その時は一瞬で考えてパッと答えて、一生懸命考えましたけど、そんなような感じでね。
実際、誰かに質問をぶつけられるっていうのもいいと思いますし、何回かやってると、実際やらなくても相手が力に質問してくるとか想定ができて、
自分が想定した質問みたいなものを、自分で自分のなんていうかな、イマジナリ誰かさんみたいなやつが浮かんで、
そのイマジナリ観客が質問してくるわけね、僕にね。
そのイマジナリの質問は僕が考えてるわけだけど、イマジナリが勝手に質問してくるんで、意識としては。
ああ、これ言われたらどうしよう、みたいな。
あれ?答えられんぞ、みたいなところでね、自分の論の問題点みたいなものに気づくことができたりするわけ。
だからさ、やっぱね、大事なんで発表するとか発表するつもりになるっていうのがね、
勉強は自分でやりながら、やりながら、誰かに教えるような、家庭教師をするようなつもりで、
誰かに説明するようなつもりでやるとね、さらに勉強になるなんてことはよく言いますがね、
あれやっぱりね、そうやって教えるときにね、生徒が質問してくるっていうのが想定がパッと浮かぶんで、
それで自分が分かってないこととか、あるいは説明しようとした段階でうまく説明できなくて、
あれ?分かってないぞってことがね、分かることがありますよ。
そういう意味でね、これ何の話だっけな、説明したりするのは大事だと思うわけですが、
あれ?僕、藤野くんの話をしてたはずなのに。
えー、ちょっと分かんなくなっちゃったな、なんでそっちの話に行ったんだかな。
まあ、忘れちゃったけど、とにかく藤野くんは、どうして分かるつもりになるんだっていうことで、
09:00
精神科の先生たちも、とはいえ藤野くんがおっしゃるように、
うつ病になったことがある人がうつ病を語るってのはちょっとどうなんだいとは思うものの、
精神科医者も分かんないんじゃないかと思うよね。
そして僕が、
あー、なんだっけ、どうして、まあいいや。
で、まあ、そんなことがあってですね、ちょっと話の筋が分からなくなっちゃいましたけど、
これがADHDですね。
ですが、そういうふうに藤野くんがおっしゃるように、
うつ病になったことがあるだけでうつ病を語るのはおかしいなとは思いますけど、
確かに骨折した人がなんで骨折の治療法について語ることができるんだよっていうことは、
分からんではないがですね。
えー、分からんではないが、しかし、
精神科医とってそんなにしっかり分かっているわけではないなと思うのが一つと、
で、結局そうするとしたら、
結局、納得感、説得力、納得感の問題だと思うんですよね。
いかにね、相手が納得する論が晴れるかっていうことが、
ただしたになってくるんだよね、結局ね。
なぜならですね、成果率が高い方が詳しく知っているということになるわけですが、
結局これは納得感と説得力でしか証明できないと思うのは、
うつ病が何かだとか、精神病が何かってことは基本的には分かっていないわけで、
分かりようもないわけで、
この分かっていない、分かりようもない事実に関して、
どちらがより正解に近いかということを議論することができないわけだよね。
だって正解は分からないんだから。
そうなると、人が正解と思うかどうかということになりますね。
そうすると、納得感と説得力の問題になるでしょうね。
えー、難しいのは、一つここで難しいのは、
そうしたら、アンケートを取って、
どの先生の言っていること、
どのうつ病患者であった、
エッセカウンセラーだとかエッセ専門家みたいな、
私、うつ病になったことがあるから、うつ病詳しいですみたいなエッセ専門家と、
本当の専門家ということになっている精神科医と、
で、例えば全部込みで、
どの人の言っていることが正しいのかを、
結局答えが分からないのであれば、
権威に聞くという、権威に決めてもらうという方法も一つありますが、
基本的にはさっきの話で説得力と納得感の問題であれば、
アンケート、その話を聞いてもらって、
アンケートでも取って、
アンケートの点数が高かった方が、
より正しいということにするという方法は一つあるでしょうね。
しかしなんですよ。
しかし。
さっきの例でも分かるように、
どちらが正解か分からないものに関して、
素人の人が、
どちらがうつ病のことをよく知っていると判定すること、
これ自体ができないでしょ。
だって判定する人がうつ病が分からないんだからさ。
素人なんだから。
こういう問題が生じるんですよ。
物事はアンケートだとか、
民主主義の玄関もここにあるんですけど、
と思いますが、
物事はベルカーブというのがあって、
能力とか知能とかも全部ベルカーブね。
12:02
ベルカーブ知らない人は勉強しろ。
ということで、ベルカーブは正規分布になってるんですよ。
何言ってるか分からない人は勉強しろ。
だけどこうなるでしょ。
分からない人は勉強しろしかしょうがないじゃん。
だって分からないんだからね。
だからベルカーブって真ん中が膨らんでるわけ。
ベルみたいになってるってこと。
知能も全部そうです。
賢い人は少ないんです。
アホも少ないんです。
真ん中の普通の人が大半なんです。
大半の人は普通のことしか分からないんです。
難しいこと分からないんです。
言ったらそれぞれの分野に対して。
アンケートを取ったら、
あんまり分からない人の票が一番多くなるんです。
例えばIQで言うと、
IQ120を超えるような人っていうのは、
IQ120を超える人っていうのは、
標準偏差がいくつかな、
いくつなのかちょっと忘れましたけど、
どういう風にIQを
統計的に数字付けるのか
忘れちゃったからパッと言えませんけども、
IQ120
IQ130を超える人は
2.2%しかいないんだよね。
IQ79
IQ79を切る人も
2.2%しかいないんだけど、
真ん中の100から30離れると、
2%ずつしかいないんですが、
そうするとね、
IQ130を超えている人が、
IQ170を切る人が精神地帯だとすると、
130を超える人がすごく賢いということになるわけで、
同じく左右対称にね。
そういうことは賢い人って
2%しかいないんで、
賢い人には理解できるけど、
アホには理解できないなんてな、
正解みたいなものはですね、
アンケートでは絶対負けるわけですね。
みんな賢い人もアホも分かるっていうのは
話であれば勝てるけど、
賢い人にはこの難しい話分かるけど、
アホには分からんと、
あるいは普通の人には分からんと、
いう話をアンケートでいくら正解を取ろうとしても、
これは分からないんですよね。
ここにね、
民主主義やらの問題、難しさがあるわけね。
で、
バカとムチの立花隆さんの本に書いてあったのは、
バカとムチの立花隆さんの本に書いてあったのは、
バカとムチの立花隆さんの本に書いてあったのは、
アホな人が混ざると議論をすると、
アホな人が混ざると議論をすると、
民主主義と言って言ったら間違ったほうに行くと。
民主主義と言って言ったら間違ったほうに行くと。
実験で示して立花隆さんはバカとムチに書いておりましたけど、
実験で示して立花隆さんはバカとムチに書いておりましたけど、
それは当然というか、ある程度予想がつく事であって、
それは当然というか、ある程度予想がつく事であって、
アホな人と議論をすると、
アホの方に引っ張られるというのがあるみたい。
オネエ、ごめんなさい。
ベルカー部の話は違いますよ。
ベルカー部の話は、多数決で負けるって話ね。
橘隆さんの話は、多数決なら まだいい方に行くんだけど、
議論をすると必ずアホに 引っ張られるって話なんでごめんなさい。
僕の数ベルカーブで真ん中がボリュームがあるから アホに引っ張られるって話は、
橘隆さんの話とは論理構造が違いました。 間違いました。
こういうのもちゃんと説明しないと どうせわからんでしょう。
ちゃんと考えてないから、人々ってのは。
てなことでさ、結局、人にはわからんわけですよ。
どっちが正しいかなってことはね。 未知のものに関してはね。
そして精神医学だとか精神病なんてのは 未知のものなので、
これは基本的にはわからないわけね。
なので僕らが合ってるのか、
15:00
エッセイカウンセラーみたいな人が 合ってるのか、これはわからないし、
一般の人に聞くと、結局エッセイカウンセラーが 勝つ可能性だって大いにあるわけですよね。
そういう意味で、結局は納得感とか 説得力だとかでしか評価できないんだよねと、
どっちが正しいなんてことはわからんよね というふうには思いますね。
特にこういううつ病みたいなのがわからない分野はね。
ただね、先ほど言いましたね、
この辺は納得感の話ですけど、
納得感と説得力という意味で言うと、
そういう構造なので、アンケートの結果が あまり当てにならないと、
人々の意見はあまり当たりにならない というふうにとりあえずしておいて、
前提、精神科医が普通の人よりかは、
精神科の実家に詳しいとまず一旦仮定しましょうね。
物事は仮定が必要ね。
証明するのは仮定が必要でしょ。
まず一旦精神医学は、
一般の人よりは精神科医の方が詳しいと、
一般的にとりあえず仮定しましょうか。
そういった仮定をした時に、
じゃあ一般の人が納得するよりも、
精神科医の納得感が高い人の方が、
精神医学に詳しいということになりますね。
今定義をそうしたからね。
というふうにした時に、
僕は実は精神科の仲間たちやらから、
割と信頼されているので、
だから僕が正しい。
そういうふうに自分で自負して思っているわけですね。
というふうに自分で自慢をしたんですよ、
なんちゃって。
これは本当にありがたいことでね。
それはどっちが正しいかもちろん分かりませんけども、
割と飲み会だとか、
久しぶりに会った先生とか会うとね、
よく聞かれる。この前こういう患者さんがいたとかね、
この前ああいう事件ありましたよねとかね、
先生はどう考えているの?先生はどう思いますか?
僕の意見を割と求めてくる。
なるほどね、みたいな。
先生がどう考えているか一回聞きたかったんですよね、
みたいなことを結構言われるんです。
病気に関してもね、すごい遠くの病院からね、
わざわざ患者さんを送ってこられたりすることがあってね、
それは知っている人ね、
一回見てもらえないかな、みたいな。
一回見ていただけませんか、一度この患者さんを。
先生、どう思いますか?っていう。
先生、どう思いますか?みたいな。
僕はこういうふうに思いますよ。
これこういうことでしょ、みたいな。
患者さんにもどうする?家に通う?めちゃくちゃ遠いよね。
ザ・モトンとか行くか、手紙書いておくねって。
手紙書いて戻ってもらったりしますけど、
何人かの先生からは僕は信頼を得ていて、
たまにその中の先生の中で、
僕に聞いてくる先生がいる。
18:00
全然偉い先生じゃないんですよ。
大学の先生とかでもないし、
大学の偉い教授とかでも全然ないんだけど、
そういう意味では、ある種の先生は教授に聞かずに、
僕に質問してくることがあるわけですよ。
臨床的にその患者さんをどう捉えるかは、
その人にとってはですね、
その人の納得感的には、
教授と名前がついた人よりも、
その人にはしっくりくるというか、
納得感があるというかなんでしょうね。
割とそういう、僕よりも上の先生も下の先生も、
割と話しかけてくる。
先生、この前こんなことはどう思う?
僕の意見を聞きに来るんだってこと。
あるいは、もっと激しいので言うと、
患者さんを送ってくるっていうね。
一回見てくれっていうね。
嬉しいことでね、僕はそういうことをね、
そういうふうになりたいと思ったんですよ。
昔、医者になる頃にね。
医者の仲間が僕に頼んでくる、
あるいは自分の家族を見てほしいと言ってくる、
そういう精神科医というか、
精神科医になる前に思ったんだけど、
そういう医者になりたいなって思っていたことがあって、
若い頃にすごく。
精神科の問題を僕に相談してきて、
その時は結局うまくいかないことがあってね、
僕が回答したのは、
それはこういうふうにしたほうがいいって言ったんだけど、
結局やっぱり大学病院にいたので、
しかも僕の大学とは違う大学にいたんですよ、
その先生がね。
僕、知り合いだったから一応回答したんだけど、
大学病院だし、いろいろあって、
僕、よその大学の医者だから、
ごめんなさい先生にせっかく聞いたんだけど、
元の自分のところで見てもらうことにしますって言ってね、
そっちの先生に見てもらうことに、
偉い先生に見てもらうことに、
いいんじゃないとは言ったんだけど、
ただ僕は危ない状態だとは思うよみたいなことは言ったんだけど、
結局ね、僕の言ってることが悪い方に当たってしまうというね、
何とも言えない気持ちになりましたけどね、
強引に自分が見るって言い張っておけばよかったんじゃないかなと思ってね。
とかね、この前もそういうことあったんだよな、
別の件で僕はダメだって言ったんだけど、
もっと強引に止めればよかったと思いますけど、
他の先生の判断は。
だけど、医者っていうのは一人一人がね、
裁量権を持ってきていて、決める権限があるんですよ。
僕がね、外から違うよって言ったところでね、
その先生が言い合ってますって言われたらもう、
どうもないでしょ。
たわごとだもんね、関係ない。
でももっと強く言えばよかったなと思って。
間接的に違うって言われたんで、
21:01
危ないと思うけどなと思って。
言わなかったらやっぱり悪い方が当たっちゃう。
ほらねと思って。ほら言ったじゃんっていうようなことで。
でもね、たまたまそういうふうに思っただけですから何とも言えませんが。
みたいなことでね、知り合いの先生から、
あるいは他の課に進んだ知り合いの先生から家族のことで相談を受けたりとかね。
実は別の先生にも聞いたんだけど、うち病だって言われたんだけど、
家族がこうでこうですって。
いや、僕それ違うと思います。
僕は知り合いだったんで別のところ紹介して。
それで僕の言ってることがあってたみたいなね。
そんなことありますね。これ自慢話ですよ。
でさ、結局さっきも言いましたけど、
こういう特に先進医学みたいなものっていうのは、
もうポジショントークでしかないというか、
納得感と説得力の問題でしかないと思うんです。
なので藤野君は藤野君のポジションから言ってるに過ぎないわけで、
僕は藤野君とポジションほとんど同じなので、
僕もそれはそう思います。やっぱし。
うち病治療になっただけでどうしてうち病治療ができると思うのっていう。
本当に危ないと思いますけど、うち病ってかなり広いんで、
そういうものすごく無責任な気がしますよね。
死ぬよ、人って。本当に分かってるって思いますけどね。
どの人が死んでどの人が死なないかあんた分かんのってことですよ。
僕らでも分からない時あるけど、すっごい難しいんだよ。
でもやっぱりさすがに30年やってますからね。
30年やってないか?30年やってるか?
30年やってますからね。
なのでアドバイスしたくなるんだよね。
それは危ないよ先生って。
でも聞いてもらえない時があるんだね。
僕も若い時先生、上官の先生の言うこと聞かずに失敗したことあるから
なかなか聞けないんだろうけど。
でも人の命かかってますからね。
そんな余っちゃうものじゃないと僕は思いますけど、
本当に甘く見てる。
自分がうつ病って言われたからって言ってね。
うつ病っていろいろなのよ。
死ぬうつ病もあればあんたみたいに死なないうつ病もあるんですよ。
めちゃくちゃ危ないんで、
やっぱり素人が手を出すべきじゃないと僕なんかは思いますけどね。
藤野君も同じ意見ですけど。
ということでその説得力がどれだけあるか問題と、
結局アンケートを取ると素人には賢い人の意見は分からない。
それは皆さんそれぞれ専門家の分野があるでしょ皆さんにね。
どうですか皆さんの専門分野の一番難しいところをね、
簡単に僕に説明できますか?
そして僕が理解できると思いますか?そんなこと。
僕がさあ、あなたの専門分野、
20分、30分、1時間、2時間、2週間、3週間、1ヶ月でもいいや。
僕に説明してさあ、
僕が全く同じことが全く同じ理解にたどり着くんだったらですよ。
あなたのその専門性って何ですか?
24:01
それって専門家と言えますか?
そんなの専門でも何でもなくないですか?
たったの1時間、たったの1週間、たったの1ヶ月で追いつけるものって
専門なのかなって僕なんか思いますよ。
なので専門家と名乗るからには、
1ヶ月程度で追いつかれちゃダメだと思うんだよ。
僕の精神医学の知識だとか判断力だとかに、
僕の場所に1ヶ月で研修して1ヶ月でたどり着けるなんて
絶対やり得ないと思う。
絶対やり得ない。
そうだったら研修医が僕と同じ、
研修医って1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月ぐらい回るか。
1ヶ月か。
1ヶ月かな今は。
1ヶ月回りますけど精神科に。
じゃあみんな精神科、僕と同じ判断できるプロになるね。
だったらね、研修医がね。
だし、1ヶ月間毎日ですよ、研修医は。
毎日精神が来るんですよ。
だけど全然できるようになりませんよ。
そんなできるようになるわけないじゃないかって
僕なんか思いますけど。
僕も研修医の時に精神科回ったけど
精神科の先生に1ヶ月じゃ何も分かるようにならないからさ
面白いとこだけ見ていきなって言って
面白いとこだけ見て好きになって精神科になっちゃったんですけど
本当は内科医になろうと思ってましたけど
てかそもそもは小児科医になろうと思ってたんだけど
結局なんだかんだって精神科になっちゃいましたけど
お医者さんになりたかったんだよね普通のね、本当は。
でも良かったんじゃないかと思いますけどね
僕はこういう感じの人だから
精神科に合ってたんじゃないかなと今は思うけど
てなことでですね
そんな1ヶ月2ヶ月勉強しただけで追いつかれるもの
専門家でもなんでもないじゃないかと僕なんかは思います。
そういうものとそうでないものの区別が
やっぱり素人にはつかない。
それはさっき言ったベルカーブの真ん中辺の人たちというのは
知識が少なくて分からないし
大半の人は難しいことが分からないわけでしょ
自分の分野のね。
だから評価ができないので
逆に言うと専門家を名乗ってる偽物が本当に専門家か偽物かさえも
一般の人には分からないし
僕なんかも自分の分野以外の専門家が本当に専門家かどうかが
ちょっとね区別がつかないという非常に難しい問題がありますので
そこは信用していくしかないかなと思いますね。
ということで今日は藤野君が言っていた
うつ病になったことがあるするだけ
うつ病に
言い直します。
うつ病になったことがあるからといって
うつ病の専門家を名乗るなという
藤野君の攻撃的珍しい
めっさ珍しい攻撃的ツイートを見つけて面白いと思って
その意見について僕なりに思うことを言及してみました。
解説してみました。
僕の意見としては藤野君と同じ
藤野君の意見というのはある種のポジショントークだから
そこまでね深刻に受け取る必要もないかとは思います
というのが一つ。
僕のポジションから言わせてもらうと
僕は藤野君のポジションはほとんど同じなので
27:01
僕も同じようには実は思います。
もう一つの話としては
うつ病が何かさえも誰も分からないので
僕らが合ってるかどうかさえも本当は分からないよねと思います。
専門家がうつ病に一般の人よりも詳しいんだと
まず仮定すると
専門家からの信頼を得ている僕なんかは
割と分かっている方じゃないかな
はい自慢ですよ
なんちゃってボンヨヨヨンを入れましたというね
という自慢話を入れたところで
今日はこの辺で終わりにしましょうか。
今日は日曜日ということでね
今週もねまた来週に向けてね
体調整えて頑張ってやっていきまっしゃい!
さよなりー
あれ?
さよならー