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2024-01-31 03:52

【宗教の第三者性について】議論教僧侶 平羅院釈聖心(ぴいらいんしゃくせいしん)

昨日スタエフ山SOUSOU寺に赴き、法話を聞いてきましたよ。
https://stand.fm/episodes/65b905815a24009d02fe03e8
影響され、本日から議論教僧侶、平羅院釈聖心(ぴいらいんしゃくせいしん)の法名を用いることになりました。知らんけど。

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昨日の議題に、僕なりの回答も載せておきます

Q.
日本人の多くが無宗教と言われているのはナゼ?

A.
日本人は実際には神道の信者で、八百万の神の中に仏教的なものも混ざり込んだのだと思う。神道的ものが日本人に深く根ざし過ぎていて自分がその信者であることにすら気付いていない。OSとしての神道に対してアプリとして上に乗っているものを宗教と認識していて、神道以外に熱心に信仰するものが無い者は「無宗教です」と誤解しているに過ぎない。無宗教と言いつつ初詣に参拝する人は多いはずだ。


Q.
ある特定の人物や価値観に傾倒し、集まっている集団に対して「宗教っぽい」と言われることに対して、宗教者(僧侶)はどう思うのか。

A.
この宗教っぽいの宗教は神道や仏教、キリスト教などのことではなく、無批判無自覚に教祖を妄信するタイプの答えを教えてくれる系のものを指す。宗教っぽいという言葉自体が無自覚な神道信者である日本人をよく表している。


Q.
日本の神仏はお金で動くの?
厄祓いなどは「信仰はしていないけどお金払うから助けてよね」みたいな構造になっていないか?

A.
お金を払うにせよ、神仏の力で助けられると考えている時点で信仰は成立している。「信仰していないけど」というのはその人ノ誤解である。

神が金で動くのか、何で動くのか、動かないのか、それは我ら人間には分からない。金で動くはずだと考える人たちが居る、ということに過ぎない。神は、仏はどう考えるのか。どう動くのか。その答えはそれぞれのヒトの心の中にある。

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#NFT
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00:05
こんにちは。この番組は、Pライン 釈聖心こと、抜粋の精神科医リブラが、小さな小声でボソボソと、世の中の思ったことについて話したり、
たまにAことを言う、精神科の裏側でやっている、精神のPラインになります。よろしくお願いします。
昨日、曹正恵さんの、スタイフイン曹操氏の放送、お聞きになられましたでしょうか。
そこで、一つ思ったことを、今日は言っておこうかなと思っております。
宗教の悪いところがあるかと思うのですが、私は、宗教の特徴は、仏という第三者を出すことで、
第三者の言葉として、例えば、仏はこう言っていますと言うことで、
第三者視点を作って、納得感を増すことができるのではないかと、そういうふうに思いました。
かつて矢沢恵吉さんが、俺はいいけど矢沢はどう言うかなという言い方をすると聞いたことがありますが、
私はそうとまで言えないけど、仏はこう言っていますと言うことによって、納得感を増すという作用があると同時に、
責任の所在がほどけになってしまうことによって、責任の所在がはっきりしなくなるという点があるから、
その点で、僕は宗教が嫌いな部分かもしれないと思った議論教の私、Pライン、釈精神としては議論教僧侶、Pライン、陰謀も付けました。
03:15
Pライン、釈精神、いい名前だなと思いましたね。宗教嫌いとか言いながら、反野心理を案じますけどね、そういうふうに思ったということで、
今日はちょっと短めに、朝とっくにお昼になってしまったので、今、患者さんが途切れた瞬間に撮りました。はい、さよなら。
03:52

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