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それではやってまいります。
バスベンの精神科やリブラの 精神科のバックヤードをよろしくお願いします。
今日は、メキサークさんの放送を聞いてたら、 テーマが善と悪だって言うんで、
スカンクさんとやってるラジオの 性善説と性悪説に似てるんで、
興味があったんで、聞いてみたんだぜ。
言いたいのは、NHKは面白い。 NHKは面白い。
ぶっ壊すな。間違えた。
で、これいつまでやればいいの? もうやめていいかな?
どういうこと?
疲れたので、やめさせていただきます。 これいつやめるのか全然わからない。
始めたら最後。いつやめていいかわからないんだぜ。 NHKは面白い。
特にNHKスペシャル面白い。
やっぱお金かかってるな。 公共放送というだけあって、
金があるから面白いんだな。
金払ってないけど、これは言っちゃいけない。 NHKの人来ないでください。
見てない。うちにはテレビがない。
何だっけ?
善と悪のお信号をこえます。
申し訳ございません。
急に電話がかかってきて、途切れてしまいました。 再開します。
NHKはぶっ壊す。間違えた。
何だっけ?
善と悪の話をミキサークさんされていて、
ちょうど我々先進のパンティーラインの方で、
偽善じゃないな。
正善説と正悪説のことをスカンクさんが提案して、
昔からあの人は正善説と正悪説というものに疑問を持っていらっしゃったようで、
正善と悪というものは相対的な価値でしかなく、
決まっていないにも関わらず、生前生まれつき、
正善と悪というものがないはずなのに、というスカンクさんの思想がありました。
僕もそう思うんだけど。
正善と悪というものは、相対的で絶対的な善も悪もないはずなのに、
正善も正悪もないだろうと。そういった差がないじゃないか。
おかしいじゃないかということで、
正悪に暮らしたいというようなことはあるかもしれないから正悪説ということで、
スカンクさんが提案していらっしゃるという話をちょうどしたところで、
ちょうどタイムリーに今流行っているのかな。
正と悪という。
正と悪!
という放送されていたので。
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NHKは面白い!
違うね。なんだか違うね。
TNTはダイナマイト!
鳥にトロトロへの略ですね。
これなんでもいけないね。
どう思ったら意外といけない。
NNN!
まあいい。なんでもいいやね。
じゃなくて、正と悪ですよね。
正と悪。もうダメだ。
NHKとかNのつく何か略語ばっかり考えちゃう。
NN、NMP、あーダメだ。
LNP。全然関係ない。
あーダメだねこれ。
NKTは!
もうダメだな。めちゃくちゃだ。
これダメだねこれ。
やめときゃよかった。こんな物真似すんの。
失敗しましたねこれはね。
失敗したー!
全然似てなくなってきた。
最初から似てないじゃないか。
なんだっけ。
そう、正と悪、相対的なのに、
正々も誓約もないだろうと。
これがSカンクさんの提案でしたね。
そこでね、何かその、
正と悪の話がミキサックさんのやつにもありましてね。
それでちょっと興味を持って、
それもちょっと言ってみようかなと思ってですね。
で、撮っております。
でね、ギリシャでは、
僕は知らないんですけど、
ミキサックさんの話によると、
ミキサックだってのかな?ミキサックなのかな?
カジサック的な。ちょっと分かんないね。
まあいいやね。
前、ギリシャでは、
ギリシャではってのは、
ギリシャ、なんだろうね。
古代ギリシャみたいなとこあるかな。
ギリシャ、哲学上はってのことかな。
ちょっとよく分かりませんけど。
ギリシャでは、
何て言ったかな。
自分に役に立つものが前で、
悪は自分に役に立たないものみたいな基準なんです。
という風におっしゃって。
それが独善的で良くないんだみたいなお話だったんじゃないかなと思うんだけど。
まあ確かにそれはそうなんだけど。
僕はというか、
僕とスカンクさんの言い分で言うと、
前なんてものは、
そもそも相対的なもので、
自分にとって都合が良いものを前としているに過ぎないということで、
そのギリシャの自分に都合が良いものを前だというのは、
僕はもうその通りだと思うんですよね。
わがままでも何でもない。
傲慢でも何でもない。
そもそも前なんてものはその程度のもの。
自分に都合が良いものを前と言って、
自分に都合が悪いものを悪と言ってるに過ぎない。
価値判断に過ぎないというのが僕らの立場ですね。
例えばそれが僕の考えで言うと、
それぞれの人にそれぞれの前と悪が存在するんですよ。
僕に都合が良いものが全部僕にとっては前ですからね。
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僕に都合の悪いものが全部悪ですからね。
そうすると例えばスカンクさんにとっての前と、
スカンクさんにとっての悪というものがある。
ミキサックさんにとっての前と、
ミキサックさんにとっての悪と、
そういうものがそれぞれあって、
これが一致する場合はいいでしょうね。
近くにいれば一致することも多いと思うんだけども、
一致しないこともありますよね。
そうするとややこしいわね。
ということで、
前と悪というものは多分に主観的で、
自分中心な考え方なんですよね。
だからそれは良くないとおっしゃったけども、
それはもちろんその通りだと思うんだけども、
多分に自己中心的なものというか、
多分にも何もそれでしかないと思うんですね。
ギリシタはそれ知らないんだけども、
ギリシタの人がそう言うならその通りだと思うんです。
前というのは自分に都合が良い。
ところが、そういうふうに社会になってくると、
おっしゃる通り困りますよね。
勝手なことされるとね。
なので、社会を構成する上では、
社会の中でみんながそれぞれに
前と悪を持っているのが不都合なので、
その前と悪というものを一定の基準で、
社会的な前、社会的な悪というものを組織ごとにね、
作ったものが法律であり、
あるいは法律にはなってないけれども、
宗教的な常識、例えば、
キリスト教なんかだと、
十字軍なんかだとキリスト教的なものは前で、
キリスト教に反するものは悪だとするでしょうし、
モルモン教なんかもそうだよね。
モルモン教ってユタ州の、
これ話長くなるか、やめますか。
ちょっとまた今度にしましょうか。
そういうような、モルモン教ならモルモン教によっては、
あるいはアメリカの法律よりも
モルモン教のほうが優先されたような時代があってね、
ユタ州ですよね。
ユタ州、ソルトレイクシティですよね。
ソルトレイクですよ。
潮の湖ですよ。
あれ、迫害されているモルモン教徒が集まってるんですよ。
ソルトレイク、潮の湖なんかがありますからね。
作物なんか育たないんだよ。
っていうこう痩せた土地なんだよ。
だからそういうところに迫害されたモルモン教徒が集まってるんですよ。
だから、もうそれ話するか、これ。
ついでにここまでしたら。
なので、ユタ州っていうのは、
ソルトレイクシティっていうのは、
モルモン教の街でしてね。
人口が増えると州になるでしょ。
ハワイなんか最後の州で。
人口が増えると州になるんですよ。
ところが、ユタ州はなかなか州になってないんですよね。
人口が増えても。
なぜなら信仰宗教の街で、
当時モルモン教ってのは最初信仰宗教だったの。
今はそういうのもないんだけど。
信仰宗教の街で迫害された人たちが住んでるのが、
ソルトレイクシティやりユタ州であったので、
ちょっと嫌われているというかね。
迫害されているわけですよ。
その中では、モルモン教の法律、
何ていうかな、戒律のほうが優先され、
モルモン教徒じゃないものが殺されても裁かれなかったと。
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法律よりもモルモン教徒が優先されたなんてことで、
ちょっと特殊な地域として、
アメリカの中でも特別な場所ということで、
中にいる人たちが独立して差別されるような状況だったわけですよね。
それが歴史が経ちまして、
あそこも晴れて衆人もなったということで、
特別な場所だったのが、だんだんとアメリカに馴染んでいったんです。
僕は子供の時に、
ソルトレイクシティオリンピックというのがあったわけですよね。
オリンピックが開かれるまでになったんですよ。
もともと衆人もなれなかったところがね。
そういう意味でモルモン教が認められたというか、
ユタ州が認められたというか、
ソルトレイクシティが認められた瞬間なんだよね、あれが。
なのでソルトレイクシティオリンピックというのは、
ずいぶんと、ただあそこでオリンピックがあったんじゃなくて、
あれによってユタ州がアメリカの一部に正式に、
なんていうか心理的にも、
あそこはアメリカなんだなって僕なんかは思いましたよね。
そういう意味のあるオリンピックだったんだよね。
オリンピックって結構そういうね、ありますよ、いろいろ。
もうこんなこと言ってると長くなっちゃう。
ロシアのなんだっけ、
ソチオリンピックってあったよね。
ソチってめちゃくちゃ南にあるの知ってます?ロシアで。
あそこ雪降らなかったでしょ。
あそこは寒いロシアの人が温まりに行く地域ですからね。
そんなところでなんでオリンピックをする?
ロシアは永久凍土みたいなところがあるんですよ。
冬将軍がやってくる国なんだよ。
冬将軍でドイツを倒した国ですよ。
なんでそんな寒い国であえて雪が降らないところでオリンピックしますか。
あれクリミアの問題があってね、あの辺の問題があってね。
やっぱりあそこね、オリンピックをするとそこがロシアだってなるでしょ。
ここロシアですよというね、
あんな南ここまでロシアですよという主張だろうなとプーチンのね、
プーチン大統領のね、おかしなふうに思って。
だからこんなところでオリンピックやるんだ、変なところでやるなと思って。
これはこの辺までロシアだという主張なんだろうなと思いながらね。
そうやって物を見るんですよ皆さん。
ソウルとレイクシティでオリンピックするんだ、
そっかアメリカ人ってもうモルモン教をもう信仰宗教とは見なくなったんだなー。
って見るんですよ。
まあどうでもいいんだけど。
てなことで、
えっとその善と悪に戻りますよ。
善と悪に戻るんだぜ!
NHKは面白いんだぜ!
ね。
えっとなんだっけ。
あの、そう。
で、なんだっけ。
善と悪はだからそういうふうで、
えっと非常に相対的なものなので、
まあだからルールを作ってね。
それがそういう宗教の解律であり法律でありと、
それが反村美宝典であり、
てなことを言ったんだよね。
え、何の話だっけ。
まあだからね、
善と悪ってものが非常にあの、
なんていうかな、
えっとその、
僕ら、僕なんかはあんまりそういうなんていうかな、
どっかに規定されているものではなくて、
コミュニティごとに違うわけですよだからね。
だから当然変わるんで、
僕だけの、僕の善しかないわけですよ。
本当のこと言うとね。
で、皆さんの善しかないわけね。
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皆さんの悪、僕の悪しかない。
ただ、それでは社会が構成できないので、
まあコミュニティごとにというか、
国ごとにというか、
いろいろそれぞれの、
まあ国といってもコミュニティですよ。
結局は。
昔は国家というか、
国民国家っていうのができたのが、
そんなにあの、昔じゃないからね。
まあ今で言うと国民国家、
単位で。
昔だともうちょっと宗教単位で。
で、
善と悪というものをまあ、
あの、
なんていうかな、
ある程度揃えていく。
揃えていかないと社会が回らない。
という風なものでしかないんだろうと。
という風に僕ら、
僕は、
僕らって言うと近くさん巻き込んじゃうけど、
僕はそういう風に思ってます。
なので、
ギリシャの善は、
自分にとっての善が、
自分にとっての有利なことが善、
自分にとって都合の悪いことが悪。
それはその通りだと僕は思ってます。
それを、
それぞれのコミュニティごとに、
これを拡大、
僕にとってのこの僕というのを、
僕らに変えていくという作業が、
社会を作る作業なんだろうなと。
だけど、
本当の本当の僕の善は、
僕にとっての都合の良いものだけが、
僕の善。
という風にね、
善悪というのは相対的であって、
非常に、
あの、
恣意的で、
えー、
ね、
正義とかね、
悪とかね、
ああいうもの非常に恣意的で、
非常に不安定なものなんだってことを、
相対的なものなんだってことを、
僕はね、
思ってるんだぜ!
では、
さようなりー!
ポチッとな!