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はい、季節がだんだん明きめいて、いい感じの気温になってますね。
過ごしやすくなりましたね。
今朝はね、夏の手洗いの必要な服をですね、一斉に洗って、全部きれいに干しましたね。
衣替えもね、秋冬ものに変えて、いよいよこれからまたお洋服楽しめる季節になってきたなって思っております。
はい。こんにちは、こんばんは、おはようございます。内観マニア 〜空と煩悩の間で〜、ライフコーチのはたです。
今日もですね、日々の内観で気づいたことや本質についてお話ししていこうと思います。
自分の中にある答えの正しさについて
今日はですね、何の話ししようかなーって思ったんですけど、自分の中にある答えは本当に正しいんだろうか。
なんかね、この辺りをね、ちょっといろいろ見てたよっていうお話をしようと思います。
前回とか前々回ぐらいでも言ってるんですけど、この夏本当ちょっとなかなかいろんなことがあって、
ずっと自分を立て直し中、ほぼほぼ立て直ってきたんですけどね、それをしてる間でちょうど本質を見る材料がいろいろ揃ってたので見てたんですね。
その一つが、自分の中にある答えは本当に正しいんだろうか、みたいなことをもうちょっと内観してたことがありますね。
いろいろあってちょっとしんどいなって時、何ていうか、負には落ちてるんですよね。
自分の中に答えはあるんだ。答えは自分の中にあるよ。
あと、今感じていることが現実になっていくよ。今感じていることが全て、みたいな。
その辺り、ようよくわかってるつもりなんですけど、でもやっぱり体が疲れちゃったりとかして、体感覚的にリアルにしんどいなっていうふうな時って、
単純に元気さが少ないというか、エネルギー切れのようなガス欠みたいなふうになってしまってるんでね。
そんな時って、なかなかこう、自分で自分を信頼することすらしづらくなるんですね、信頼ね。
で、そんなしんどい時ほど、もうそのしんどいから、ちょっとなんとか肺を抜け出したいやんねってなるので、
何ていうか、速攻性のある答えがすぐ欲しくなっちゃうな、みたいなふうになるなって思うんですよ。
もともと、自分の中にある答えって本当に正しいんだろうかって思っちゃってるから、
言い換えると、私の今持ってる答えは正しくないから、今こんだけしんどいんだよねって思ってるから、
外側の情報とか、ググったりとかしてね、こうすればいいみたいなふうに、情報を取り込むことに翻弄されちゃってたような感じ。
みたいなのがよくあると思うんですよね。
もちろんね、そのググって、その情報が非常に助かることもたくさん、それに助けられたこともたくさんあるんですけど、
こういう時って、自己信頼ができてないから取りに行くっていうものなので、どこまでやっても満たされないような、そんな状態だと思うんですよね。
やっぱりね、基本的に正しいとか正しくないとか、だから二極化視点で物事を見ていくと、
二極だから、何でもこう、どちらかゼロ百みたいな考え方になっちゃうので、バッサリバッサリ、何でも切っていくような感じになるんですよね。
この答えが正しいか、みたいな、その一時この答えは正しい、この答えは間違ってる、おかしい、みたいなことをやってると、
自分に対してやってると、自分で自分の首を絞めるというか、自分がどんどんしんどくなるし、それでまたさらに正しいのか、みたいなことをやってバッサリバッサリしていくと、
自己信頼にできなくなっていきますよね。そもそもですね、何が正しいかっていうその正しさも、
基本的には自分の固定観念とか価値観、主観的なものの見方で正しい、正しくないって言ってるので、何ていうのか、裏返すと、その正しさの物差しでは、
計らないで住んでる世界線も同時に存在はしてると思うんですよね。正しいとか正しくないじゃなくて、今物事がそういうふうに進んでるんだなとか、こういう出来事がありましたね、みたいな。
それだけ二次的ラベリングしない世界線ってももちろんあると思うんですよね。
で、そんなことを思ってると浮かんできたのが、
誠実さと自己信頼
誠実さって何だろう、みたいな、その辺のことが浮かんだんですよ。
バッサリバッサリやってる正しさを誠実さに置き換えて見てみると、どうなる、どんな世界が広がるかな、なので、自分の中にある答えが正しいのかじゃなくて、
今の自分は自分自身に対して誠実かな、みたいな。
これも、誠実だ、誠実じゃない、みたいなふうに、できてる、できてないで切っていくっていうよりかは、
今の自分は自分自身に対して誠実さを持って丁寧に扱ってるかな、みたいな。
そうじゃなかったら、どういうふうにしたら誠実、自分に対して誠実なのかな、みたいな。
その辺りを丁寧に見ていくと、本来の今自分が感じてることをベースにした選択がしやすくなるんじゃないかなって思ったりしたんですよね。
すると、バッサリバッサリしてて自分で自分が信頼できなくなってるのが、自己信頼ができる方向にベイクトルが向いていくような感じがしたんですね。
誠実だ、誠実じゃないっていうふうになると、結局それが誠実がイコール正しいだし、誠実じゃないが間違ってるとなるから、そういうものの見方ではなくて、
自分で自分のことを誠実に対応していこう、そうするにはどうしたらいい、みたいな、そういう視点ですよね。
前提には、どんな自分も愛すること、どんな自分も丁寧に扱うことがあるっていうのをくれぐれも忘れずに、ちょっと誠実さ視点で見ていくといいんじゃないかな、みたいな、
そんなことを思ったよっていう話でした。
またね、気づいたら音声録っていこうと思います。
今日も聞いてくださってありがとうございます。
ではでは。