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どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
今日は、仏教×現代社会シリーズの第5回をお送りしたいと思います。
このシリーズの最終回となります。
今日のテーマは、コミュニティの再構築ということでお話をしていきたいと思います。
特に仏教の根本思想である縁起という考え方から、現代社会におけるつながりについて考えていきたいと思います。
このシリーズを聴いてくださっている方、また縁起のことを言っているよって思ったかもしれませんね。
どうしても、仏教にとって縁起というのは、コア中のコア、ど真ん中の教え、考え方、思想ですので、外せないんですよね。
結局、いろんな仏教の教えはありますけれども、最終的にここに行き着いちゃうというところで、どうしても縁起になってしまうという。
言葉を変えてもいいんですけど、どうしてもそうすると、少し説明をするのに足りなかったりとか、少しニュアンスが変わったりとかというわけで、結局のところ縁起に戻ってきてしまうというわけなんですが。
そんな言い訳はさておき、本題の方に行きたいと思います。
この縁起について、ちょっとおさらいをしたいと思います。
縁起とは、すべての物事や現象が相互に関連し合って、依存し合って成り立っているという考え方。
つまり、この世界に単独で存在しているものは何一つないということ。
いきなり難しいことを言っちゃいましたね。
要するに、私たちの存在というのは、必ず何かと何かの組み合わせであるんだよという事実ですね。
それが事実なんだということ。これが縁起ですね。
この間はご飯について例えましたが、いつも同じ例えだとつまらないので、方向性を変えていきたいと思います。
机ですね。皆さん机使ってますよね。ありとあらゆるところにあるこの机。
机というものをよく見てみますと、どういう風にできているでしょうか。
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一番シンプルな作りでいうと、木の板に足が4つ付いたものですよね。
じゃあこの木の板に足が4つ付いたものをちょっと分解してみましょう。
まずは1本足を取ってみるとどうなるでしょうか。
取ってしまった足の方、よく見るとこれは木の棒、あるいは鉄の棒。何らかの棒状の何かですよね。
それともう片方のを見ると、木の板に棒が3つ付いた何か。
かろうじて机っぽいなというものですよね。
そして引き続きもう1本足を取ってみます。
棒が2本になりました。そしてもう1つは木の板に足が2本付いたもの。
これ机かな。何とも不思議なものになりましたよね。
じゃあ思い切って全部取っちゃいましょう。
棒状のものが4本、プラス木の板が1枚。
これはもう机じゃないですよね。どう見ても。
このような形で、今シンプルな説明ですけども、
棒4本と木の板が組み合わさって初めて机って成り立っているんですよね。
つまりその組み合わさったものを机と呼んでいると言った方がわかりやすいかもしれません。
このような形で私たちの存在というのは、何かと何かの組み合わせができたときに、
それを名前を付けたということなんですよね。
それは私たち人間もそうですし、私たちの人間の社会もそうですね。
街とか国とか、学校とかそういったものもそうです。
もっと言うと、国もそう言ったので地球もそう。
地球にいろんなものが合わさって地球ですよね。宇宙もそうですね。
宇宙というのは、いろんな星が存在するからこそ宇宙であるというような形で、
この世の中にあるありとあらゆるものはそのような形で依存し合っているからこそ存在すると。
ちょっと全問答みたいな、何言っているのかよくわからない状態にはなっていますけれども、
とにかく私たちの存在というのは、何かと何かが合わさったときに初めてできるということ。
これが演技の教えということなんですね。
この演技の教え、演技の考え方から現代社会を見てみたいと思います。
私たちはスマートフォン、あとSNSといったものの普及によって、かつてないほど簡単に人とつながることができるようになりましたよね。
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しかしその一方で、実際の対面でのコミュニケーションというのは減少して、
本当の意味でのつながりというものが希薄になってきているというふうにも言われております。
例えば電車に乗ると、皆さんスマートフォンを見ちゃいますよね。
私は田舎者ですので電車に乗ることは少ないんですが、
たまに電車に乗ってみると、私の肌感覚だと6割、7割ぐらいの人はスマホを見ているような気がします。
なので周りの状況が全然見えてないですよね。
電車に乗ると、私はいつも見ちゃうのは外の風景なんですけれども、
外の風景を見ていると、いろんな街の様子であったりとか、自然の移ろいであったりとか、
看板に書かれている最近のトレンドだったりとか、そういったものを見て楽しいなと思うんですけれども、
そういったものを一切見ずに、スマホの小さな画面に集中すると。
周りで何が起きているかわからない。
もしかしたら隣の人が体調が悪いかもしれない。
もしかしたら道に迷っているかもしれない。
そんな人たちを気がつくことなく過ごしてしまう。
そんな状況が、今のはちょっと極端な例ですけれども、やっぱり多いのかな。
昔に比べたら多いのかなと思います。
どこまで言ったかな。
その繋がりが希薄になってきているというお話でしたね。
そしてちょっと別の場面で言うと、働き方。
働き方はもう変わってきましたよね。
働き方改革で、テレワークの普及によって、職場での人間関係とか地域の繋がりというのも大きく変化してきた。
と言われております。
特にコロナ禍以降、この傾向はさらに加速したと感じております。
しかし演技の視点から見ると、これは単なる繋がりの損失というわけではなくて、
新しい繋がりの形を模索する過渡期と捉えることができるんじゃないでしょうか。
では具体的にどのような新しいコミュニティを築いていけば良いのでしょうか。
古来よりお寺というものは地域のコミュニティの中心として重要な役割を果たしてきました。
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現代においてもこの役割は決して失われていないと私は感じております。
むしろオンラインとオフラインを融合させた新しい形のコミュニティハブとしてさらなる可能性を秘めているのではないかと感じています。
例えば最近では若い人向けのオンライン説法、オンラインフォワーですね。
TikTokで短いフォワーを流れているのがバズったり、何万回再生されたりとかね。
あとはテキスト上でも仏教の言葉というものは、いつも私の知っている範囲ですけれども、
閲覧数がそれなりにありますし、いいねもたくさんついております。
そういった形でオンラインというものを通じて若い世代にも仏教というのが広がっている。
他にも地域の人々が気軽に参加できるザゼンカイであったりマインドフルネス講座であったりとかね、
そういったものを開催する寺院というのも増えてきております。
これは伝統的な寺院の役割と現代のニーズを組み合わせた良い例と言えるのかなと思います。
ここで皆さんの日常生活でも実践できる具体的な取り組みというものをいくつか紹介したいと思います。
まずできることから始めてみましょう。
例えば毎朝の挨拶から始める、ご近所付き合いや職場での些細な声掛けも劣気とした演技の実践なんですよね。
また地域の清掃活動、あとはボランティア活動といったものの参加、
これも新しい繋がりを生む機会となるということですね。
積極的にアクションするというこの一言ですね。
これが新しい繋がりを生む、新しい演技を生むということですよね。
演技の教えというものは私たちが決して単独では存在しないということを説いているわけなんです。
現代社会が直面している様々な問題もこの視点に立ち返ることで新しい解決の糸口というものが見えてくるのではないでしょうか。
一人一人が自分は常に誰かと繋がっているという認識を持って、そしてそれを大切にしていく。
それが新しい形のコミュニティづくりの第一歩となるはずなんです。
今回の仏教かける現代社会のシリーズはこれで終了となります。
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ぜひ皆さんも日々の生活の中で演技を意識してみてください。
些細なことから新しい繋がりというものが生まれるかもしれません。
では今日のお話はここで終わりたいと思います。
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どうぞよろしくお願いいたします。
では蓮城院副住職の幸文でした。ではではまたね。