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どうも、コウブンです。
自然をしたり、蓮を育てたり、野菜を作ったり、最近ではAI漫画にチャレンジしたりしています。
さて、皆さん、コーヒーは好きですか?
私は毎朝コーヒーを飲むというのが習慣となっております。
私の場合は、コーヒーミルというコーヒーの豆を砕くマシンに、毎朝20g入れまして、
それを大体2、3秒くらいマシンにかけて、ミルにかけて、豆を砕いて粉にして、
そして粉となったコーヒー豆を紙のフィルターで濾してコーヒーを入れる、いわゆるハンドドリップという形で楽しんでおります。
そんな面倒くさいことをせずに、缶コーヒーとかペットボトルのコーヒーとかを買って楽しんでいる方も多いんじゃないかなと思います。
さて、その缶コーヒーのブランドの一つにジョージアというものがあるの知ってますか。
日本コパコーラという飲料メーカーが出しているブランドで、ジョージアというシリーズですね。
そのジョージアの缶コーヒーのCMというのが、ちょっと好きなCMが私あるんですけども、どういうCMかと言いますと、
山田孝行さんという俳優さんが出ているシリーズのCMなんですが、もしかしたらもう何年か前になると思うので、
ちょっと忘れている方も多いかと思いますけども、こういうCMがあったんです。
工事現場の作業員に訓した山田孝行さんが、自分のスマホを見ながらこのアプリすごいなみたいなこと、面白いなみたいなことを言うんですね。
そうすると、画面が変わって、今度はプログラマーに訓した山田さんが映ってですね、お弁当を食べながら、このお弁当うまいなみたいなことを言うんです。
そうするとですね、また場面が変わって、そのお弁当を作っている女優さん、名前はわからないんですけども、その女優さんの顔が映りましてですね、
この野菜がいいんだみたいなこと、この野菜を作ってありがたいみたいなことを言うんですね。
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そうすると、その野菜を作ってくれる、作ってくださっている農家さんの顔が映りまして、その野菜を作ってくれた農家さんがこの野菜を運んでくれるから、運んでくれてありがたいなみたいなことを言うんですね。
そうすると、また場面が変わって、その野菜を運んでいるトラックのドライバーさんが映るんです。
そうすると、そのドライバーさんがこの道路がすごく便利でありがたいみたいなことを言うんですね。
そしてまた場面が変わって、工事現場の作業現場の方の山田さんのところに戻る。
そしてトラックドライバーの運転手さんに手を振るという、そういったCMがあったんです。
そして最後にですね、世界は誰かの仕事でできている、というような言葉で染められている、そんなCMがあったんです。
そのCMを見たときに、世の中というのは必ず誰かの役に立つ、役に立つから仕事になるんだなということを実感するようなCMだったというのをよく覚えていて、
何かとても人と人との関係が温かいものというように感じられて、とても好きなんですね、私の中で。
すごくいいCMだなと思ったんです。
そのCM、どこかですね、ちょっと仏教的な思想と言いますか、考え方というものを感じられるなというふうにも思うんです。
というのは、仏教の基本的な思想の一つに、諸法無我という言葉があるんですね。
諸法無我というのは、どういう字を書くかというと、書というのは、諸説とか、そういったたくさんの、多くのとか、そういう意味の書。
法は法律の法、世の中の決まりみたいな、そういう意味合いですね。
そして無我、無我の無はない、我は我、我がないと書いて無我です。
諸法無我というのは、私という、この世界には私というものはない、そのような意味なんです。
私というものがないという、これだけだとちょっとよくわからないですね。
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もう少し威厄すると、私たちの世界というのは必ず誰かの助け、誰かの支えがあって成り立っている。
そういう事実があるわけですから、その関係性の中で私というものは存在している。
私が生きていられる意味は、誰かの助けがあって、誰かの支えがあって生きていられる。
だから私という固定したもの、私という単体で存在するということはできない。
だから私というものはないんだと、本質的な意味で私というものはないんだという、それが諸法無我です。
この諸法無我という教えですね、お釈迦様、仏教を開きになったお釈迦様が、
ダンマパダというお経の中でも、お釈迦様の語った言葉がたくさん載っているとされているお経、
ダンマパダというお経があるんですけれども、その中でもたくさん語られております。
それぐらい重要な教え、それが諸法無我という教えなんです。
この諸法無我という教えをですね、私たちはどういうふうに生かしていけばいいのかな、
私たちの人生に対してどういうふうな有効、メリットといいますか、効果があるのかなということを考えると、
私が思うに、何かトラブルとか、何か私たちの人生にとって苦しい思いをするときに、
怒りとか悲しみとか、そういった感情が芽生えたときにですね、
私たちの苦しみの原因というものは何かという考え方に追求するのに役に立つのかなと思います。
何かと何かがあって私たちは生きているわけですから、苦しみもまた同じく何かと何かがあれからこそ生まれてくる。
その苦しみをなくすためには何かと何かの一つをなくす、あるいは離れる。
そういったことで、そういうことをすることで苦しみというものは自らなくなっていくという、
そういう考え方に応用できるのかなと思います。
例えるのであれば、大切な、自分にとって大切な人が亡くなったときに、
その悲しみという、悲しい、とてもつらい感情、つらい気持ちではなってしまうかと思うんですけれども、
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その気持ちというものをですね、どういう原因でこの悲しいという気持ちが生まれてくるのかということを考えたときに、
自分の、自分にとって大切な人ですから、自分の人生で大きな位置を占めているというわけです。
その大きな位置を占めているものが亡くなったから悲しんだというふうに自分を考えたら、
その大きなものを埋めている何かを、別なもので何かを補う。
そういったことで悲しみという感情、そういったものを克服できる。
そうは言ってもなかなか難しいんですけれども、
そういう形で自分の感情、自分の気持ちというものをより観察する。
そういったことに役に立つというようなものが諸法無可なんだと思います。
皆さんもいろいろな日々、いろんなことを日常の中でいろんな感情に振り回されることはあるかと思いますけれども、
悲しみには必ず原因があるんだ、苦しみには必ず原因があるんだということを念頭に入れながら、
その苦しみから苦しみを離れるにはどうしたらいいんだというところですね。
そういったことを少しでも考えて、どうやったら日常に戻れるのか、
そういったことに頭を切り替えて、皆さんの人生を善やかになるものになっていただければ、
今日のお話というものも役に立つのかなと思います。
どうかですね、ちょっとしたことでいいんです。
日常の中でつまづいたときに、このつまづきはこういったことがあったからかな、
じゃあ次はこうしてみよう、みたいなふうに捉えていただいて、皆さんの人生が豊かになればとても幸いです。
では本日の話は、諸法無可についてのお話でした。
ではでは、またね。