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どうも、コウブンです。座禅をしたり、葉っぱを育てたり、野菜を作ったり、最近ではAI漫画にチャレンジしたりしています。
さて、本日は、仏教の基本的な概念の一つ、諸行無常についてお話をしたいと思います。
本日のタイトルは、「お前も死ぬぞ」というちょっと強めの言葉にしました。
皆さんはどうですか、この言葉を聞いて。ドキッとしませんでしたか。
やっぱり、皆さんもいろんな経験をしている中で、自分にとって大切な人、ご両親とかご友人とか、
あるいは自分の大切に飼っていたペットだったりとか、そういった身近で大切な人とか大切な生き物が死んでしまう、
命が亡くなってしまうということを目の当たりにしたときに、
ああ、人はいつか死ぬんだな、命はいつか亡くなるんだなということを感じたと思います。
だけども、普段の生活、日常の生活、忙しい生活をしていると、そういったことがついつい忘れてしまって、
なんとなく、命はいつまでもあるような、そういう形で物事を決定したりとか、そういうふうに考えたりしてしまうことってあるかと思います。
だから、このお前も死ぬぞという言葉を聞いたときにドキッとするんじゃないかなというふうに思うんです。
このお前も死ぬぞという言葉ですね。何でこういうテーマにしたかというと、
とあるサイトに、ネットの記事の中にお寺の掲示板を紹介するというものがあったんです。
ここにお前も死ぬぞと書かれていたんですね。
お寺の掲示板というのは、よくお寺の前にある屋根のついた、お寺の屋根がついていてガラスが張ってあって、
その中に緑のプレートみたいなものがあって、そこにお寺の行事とか、何かお寺にとって伝えたいことが書いてある、
というものがお寺の掲示板なんです。
そこにお寺の住職さんが一般の方にこういうメッセージというものをたまに貼ってあるのがあるらしくて、
そこにお前も死ぬぞと書かれていた。
それを紹介したサイトがあったわけですね。
私もですね、このお前も死ぬぞという言葉を聞いてドキッとしました。
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やっぱりですね、私は僧侶、お坊さんですので、どうしても一般の方よりかは人の死というものに対して触れる機会が多いとは思います。
自分が御葬儀の時にお経を読んで、その御遺族の方が涙を流している、そういった場面はよく見るんですが、
それをですね、まるで自分のことのように受け止めるというのはなかなかやっぱり難しいです。
どこかね、仕事と言っちゃうとあまり良くはないんですけども、
自分の日常の中にある死因の一つのように捉えていまして、特に自分の死というものに対しては意識することはほとんどない。
だからこそこのお前も死ぬぞという言葉を聞いてドキッとしちゃったわけなんですね。
このお前も死ぬぞという言葉を聞いて、私はですね、この言葉は諸行無常ということを少しですね、印象強く表した言葉なのかなというふうに感じました。
諸行無常というのは何かと言いますと、全てのものは変化して永続するものはないというそのような教えです。
全てのものは変化する、全てのものは移ろい変わっていくということですね。
そういったものがこの仏教においては、もうお釈迦様がいた頃から、もしかしたらお釈迦様がいる前からかもしれませんけれども、
その頃から仏教ではとても大切な基本的な概念、基本的な教えとして存在していたというわけではございます。
お釈迦様がこの教えというもの、諸行無常というものを大切にしていた理由というのは私の想像なんですけれども、
自分の心というものは、人間の心というものはちょこちょこ移ろい行く。すぐに人の影響、あるいは環境の影響を受けてコロコロと変わってしまう。
そういったことをとにかく感じていた方なのかなというふうに思います。
だからこの諸行無常ということをすごく大事にしていただきたいと思います。
お釈迦様の基本的な根本的な考えとして、直接的に諸行無常というようなことはおそらく言ってはいないんですけれども、
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その諸行無常ということを感じるような内容の教えというものをたくさんと、たくさん残されていたわけなんです。
この諸行無常ということを教えていただきたいと思います。
おそらく言ってはいないんですけれども、その諸行無常ということを感じるような内容の教えというものをたくさんと、たくさん残されていたわけなんです。
この諸行無常ということ、今私はいろいろと語っておりますけれども、具体的に言うのであれば、自然界の変化というものが一番わかりやすいのかなと思います。
四季の移り変わりというのはとてもわかりやすいですよね。
例えばね、あれば桜の木。今の時期は青々と葉を植えておりますけれども、これがあと1、2ヶ月もすれば葉が落ちてしまって、そして冬自宅をするわけですね。
冬自宅が終わって、また春を迎えたら桜の花を咲かして、またしばらく経つと桜の花が落ちて、緑の葉を生やして、そういったサイクルを繰り返す。
桜の木一本、ぱっと見ただけだと変化しているようには見えませんけれども、大きく一年を通して見れば変化をしているようなところがあります。
他にも人間の生活なんかも、授業上ではわかりやすいのかなと思いますね。
特に子どもの成長なんていうものが、人間が絶えず変化しているというのはすごくよくわかるかなと思います。
さらには自分の体でいうと、老化・減少なんていうのもですね、日々刻と変わっているんだということを実感する一部だと思います。
他にも、手を利用してしまったりとか、亡くなってしまったり、死んでしまったりなんていうのも、これも変化の一つと言えると思います。
他にも、社会での変化、社会の変化と言いましょうか。
わかりやすく言えば、科学技術の変化なんていうのはわかりやすいでしょうか。
昔はね、それこそ石で動物を飼っていたというような時代からだんだんと進化していって、火を使ったりとか銃を使ったりとか、そういったもので人間の生活というのは変わっていって、
今ではスマホはスマートフォンというものを使えば世界中の情報はあっという間に得られる。
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そういった人間の生活、人間の社会の中の情報の変化とか、文化のありようとか、そういったものもどんどん変わっていく。
こういったところからも諸行無常というのは感じられるのかなと思います。
この諸行無常が私たちの生活に何の役に立つのか、何の影響を与えるのかということを考えてみますと、
やっぱりそれは私たちが日々の生活の中でいろいろ思い通りにならないことがあって、こうしたりあしたりと思っているのに思い通りにならないことがあって、
その時に怒りとか悲しみとかそういった感情が生まれてきてはしまうんですけれども、
こういったものを心も一回変化していくんだということをさえ分かっていれば、そういったいつまでも自分の心にとって悪い影響というものに対して、
執着を手放すということができるのかなと思います。やっぱり自分の人生のことを考えてみますと、苦しい時間よりも楽しい時間が長いほうがいいですよね。
なので苦しい時間というものを少しでも少なくして楽しい時間というものを少しでも増やすためには、苦しいというものはいつまでも苦しいわけではない。
何かをすれば変化するんだというところを頭の中にインストールして、そしてその変化するということを受け入れて、
そういったものがあるんだということを考えながら生活をすれば、日々の行いをすれば、だんだんと良い生活に変わっていくんだというふうなところが、
この書業無常の教えでとてもいい、自分の人生に役に立つところなのかなというふうに思います。
それでは本日は、お前も死ぬぞという言葉から仏教の基本的な概念、書業無常についてお話をさせていただきました。
ではでは、またね。