そりゃそうだよなみたいな感じはしたかな。
そこはね、繋がってる感じするけど。
うーん、とかで、この『エッジ・オブ・リバーズ・エッジ』すげえいい本なんで、ぜひ読んでほしいんですけど。
あと、ドレスコーズのね、志摩さんも、すごいファンらしくて。
めっちゃ僕が思ってて言おうと思ってたこと、結構言っちゃってるやんと思ってて。
これ志摩さんが言ってたことなんですけどっていうのを紹介するんだけど。
一般的に岡崎京子の作品って、やっぱりなんだかんだ一作って『リバーズ・エッジ』になるのよ。
うん、そうですね。
だいたい。『ヘルタースケルター』とか『pink』とか。
でもこの3つかな、基本。『pink』、『ヘルタースケルター』、『リバーズ・エッジ』。
うん。
で、そういうんじゃない初期の作品とか、あと時代を描いた作家っていう点で言うと『東京ガールズブラボー』。
みたいな。だいたいこの4つぐらいの話になりがちで。
ただ志摩さんが書いてたのは、『リバーズ・エッジ』って、たぶんこれは岡崎京子先生のアーカイブで言うと、
移行期の作品っていうか、新しい時代にあったものを書こうとして書いてるもんだよねっていう。
挑戦した作品だと思ってるみたいなことを書いてて、で僕もそう思う。
ああそうなんや。
やっぱ『pink』以前以後みたいなのがたぶんあって、ちょうど『pink』が89年なんだけど、やっぱりその時代を切り取ろうとした結果、
死のモチーフとか暴力のモチーフとか、
言ったら消費社会に対する虚しさと、そこにある個人の実存みたいなものっていう感じの作品。
っていうのが、言ったらイコール岡崎京子先生の作家性だと言われがちだし、書いてるからね、後期はそういうのが多いから。
そうだとは思うんだけど、昔の作品から追っていくと、
時代に合わせてこういう感じのものを鋭く切っていってたんだなっていう。
作家としての実力が上がっていくのと、時代へのキャッチアップっていうのがむっちゃ早いっていうのがあって。
だから90年代の漫画、80年代後半の漫画といえば岡崎京子の話になりがちっていうのはしゃーないし、
そこを全部背負わされてるところが多分結構あって。
でも、もちろん力が乗ってる時だし、そういう人でもあっただろうけど、
これが全部岡崎さんの作品ではないよなっていう感じは結構思う。
やっぱりこの『リバーズ・エッジ』が強すぎてそれイコールさ、それが岡崎京子の作風やと思われちゃってるっていう。
ただ話してるだけみたいな、アンチプロット、今の言葉で言うと日常系みたいな。
もう結構書いてるのよ、80年代にはね。
ていうか、もともとそういうとこから出てる人で。
なるほど、何も起こらないみたいなとこを生きてるっていう。
そうそうそうっていうところにすごい意識的な人で。
岡崎京子先生っていうのは、63年生まれなんですよ。
下北沢の理髪店の長女として生まれてて。
下北沢生まれっていうのはやっぱり東京の人、でも家は昔からある理髪店の娘っていう。
でもこの下北沢っていうのも、50年前40年前の下北沢、90年代の下北沢と今の下北沢は全然違うと思うから。
そうね、今のイメージじゃないよね、多分。
香りとしてはね、もちろん昔から小劇場があって、レコード屋さんがいっぱいあって、みたいなのは変わんないと思うんだけど。
今ほどこの、なんていうかな、今の下北沢は結構大企業の力が入ってきちゃった感があるやんか。駅とかもさ。
綺麗になりましたよね、駅前。
うーん、なんかそういう感じではない前の下北沢の人ではあるんだけど。
下北沢だからいいところだと思うんだけど、理髪店、ってとことか面白いところだなと思ってて。
そこで結構漫画読んでたんやって。あるやんか、理髪店にある漫画雑誌みたいな。雑誌がバッと置いてある。
あの感じで、大人の雑誌に書かれてる漫画とか、青年向けのものとかもそこですごい読んでて。
多分そこって結構岡崎先生のルーツの一つっていうか、もちろん大島弓子、萩尾望都、山岸凉子とか、あの辺にはもちろんガッツリやられてると思うんだけど、
プラスそういうもんも家にあったからって言うとんで、読んで結構面白いなと思ってて読んでたらしいのね。
そういうとこやったらファッション雑誌とかもあるやろうね。
そうそうそうそう。だし、岡崎先生自身もおしゃれな人でね、雑誌とかにも出られてたり。言ったらファッションアイコンの一人みたいな感じの人でもあったからさ。
そういうのにも繋がってくるところでもあったんだけど。でももう、高校時代ぐらいからやっぱすごいんだよね、岡崎先生は。
投稿雑誌っていうのがあって、今では考えられないと思うんですけど、『ポンプ』っていう投稿雑誌があったらしくて。
この投稿雑誌っていうのが何かっていうと、言ったら葉書を送って、それをこう載せていくっていう。
で、そこにイラスト書いたりとか文章書いたりとかっていうのをバーってやって、そこで文通したりとか。
言ったら、今で言うもうSNSですよ。
そうですね。なんかこう掲示板になり、今SNSになったぐらいの段数ね。
もうすでにそこで人気投稿者になってて、イラストとか文章が面白いとか。
アルファツイッターみたいな。
そうそうそう。だからもう完全なインスタグラマーみたいな感じで、もう当時から岡崎京子ファンクラブみたいなのあったらしい、もう『ポンプ』の中に。
すごいな。
そうそう。で、妹さんと一緒に表紙になってる回も。
そんな顔を出すぐらいまでの。
そうそう。人気だったんだね。で、それでただやっぱ漫画家になりたいっていう意思はあって、そういう。
『ポンプ』自体が割とその後なくなっちゃうんだけど、投稿辞めて漫画を同人誌とかで書いてて。
白泉社に多分一回投稿で持ち込んだりしたらしいんだけど、評価されへんかったよ。
志摩さんが書いてて、「わあ俺これ言おうと思ってたの書いてるやん!」って思ったんやけど、「ヤングマーブルジャイアンツみたいや!」って言ってんのよ、志摩さんが。岡崎京子の漫画が。
なんかその感じめっちゃわかるっていうか。
このちょっとたぶんてらだがピンときってないのは、これ初期の方が余計にもっとそうっていうか、もっとシリアスになってないから。
ヤングマーブルジャイアンツのスカスカだけどすごいグッドメロディーとなんかヘンテコなリズムだけがあるみたいな。
あのゴタゴタ感みたいなのが、僕の中ではすごい岡崎京子っぽいなって思ってるところがあって。
後期の言ったらもっとシリアスっていうかさ。
『リバーズ・エッジ』とかって、もうちょっとヒリヒリしてるやんか。オルタナっぽいやん。NIRVANAとかの方が近いか。
もうちょっと攻撃的な感じがジメジメしてる感じもあるし。
「イン・ユーテロ」とかな。スティーブ・アルビニプロデュースの音の方が似合う感じするやんか。
そうね、攻撃的なハードコアっぽい音の方がね。
なんかそういう感じがするけど、それは音楽がそういう風になってたと同時に岡崎先生もやっぱ鍵取って進化してるってのもあるんだけど。
ポストパンクっぽい感じで漫画を描きたいみたいなのがやっぱあるらしくて。
実際それはおっしゃってて。
言ったらアンチプロット。物語じゃないものを、物語みたいなのは必要ないっていう話を。
物語じゃないものを描きたいみたいなこと言ってるんだよね。
ポストパンクの「ロックじゃなければなんでもいい」っていうやつがあるやんか。
その感じの姿勢で漫画を描かれてるっていうところもあって。
僕も何十年も遅れてきたポストパンクキッズとしては、その姿勢にめちゃめちゃ感動するというか、「いや、そうっすよね?」みたいな感覚がある。
破壊だけじゃないっていう。破壊した後の中で、違う方法論で言ったらチェンソーのバンドがいるみたいな。
ドラムも普通のドラムじゃないみたいなさ。それでどうやってやるかみたいなのがあるやんか。
ロックじゃないものの中で、ただでもすごくロック的なものを精神性としては持ちながらやっていくみたいな姿勢っていうのがポストパンクに言えば面白さっていうか。
その感じはやっぱすごいかっこいいなって思ってて。
思想があってやり方を変えてるって感じがして、始めから気をてらってるみたいなさ。だから実験音楽みたいな感じとはやっぱ違うやん、明らかに。
ここで岡崎先生は言ったら、女の子同士が喋り続けるだけみたいな。そこを書き続けるみたいな。
いろんなストーリーみたいなのを展開する長編もあるし、いろいろ書いてるんだけど、
喋り続けたり、こうしたいのになーみたいな、一瞬みたいなのを漫画に落とし込んでいくっていう風にしていくんだけど。
これが言ったらさ、アンチプロットっていうか、日常系みたいなものが成立した現代からすると、すごい近いようで全然違うみたいな感じがすごい僕は思ってて。