1. 心の砂地#
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2024-05-29 41:59

第75回『いつも一人の女の子のことを』

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《いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。

 いつも。たった一人の。ひとりぼっちの。

 一人の女の子の落ちかたというものを。

 一人の女の子の落ちかた。

 一人の女の子のダメになりかた。

 それは別のありかたとして全て同じ私たちの。

 どこの街、どこの時間、誰だって。

 近頃の落ちかた。

 そういうものを。 》

(「ノート(ある日の)」

  岡崎京子『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』:平凡社 より引用。)


岡崎京子の作品について、91年生まれの鮫がどのように出会ったのか、受け止めていたのか、ということをお話しています。次回は『チワワちゃん』について。


◇参考文献など、第75回のnoteは⁠⁠⁠こちら!⁠⁠⁠

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(2024年5月23日収録)

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朗読:nagisa (#kotohana)

00:00
いつも、ひとりの女の子のことを書こうと思っている。
いつも、たったひとりの、ひとりぼっちの、ひとりの女の子の落ち方というものを。
ひとりの女の子の落ち方。ひとりの女の子のダメになり方。
それは、別の在り方としてすべて同じ私たちの。
どこの街、どこの時間、誰だって、近頃の落ち方、そういうものを。
岡崎京子っていう名前をいつ知ったか、てらださんは覚えてますかね。
そうね、2017年夏とか。
夏、その。
確かにね、イントロっぽかったけど。
イントロっぽかったね。
はっきり覚えてるのは、兄が『リバーズ・エッジ』がすごいみたいなことを急に言い始めて。
『リバーズ・エッジ』ね。
それでなんか、お前も読んだほうがいいぞみたいなことを言われて、読んだ記憶がありますね、ブックオフで。
中古のやつ買ってきてね。
そうね。だったら僕ら世代って多分、岡崎京子と出会ったところがブックオフのA5版の棚っていう人結構多いと思ってたよね。
絶対多いなそれは。
多分2017年だと、次の年に『リバーズ・エッジ』の行定勲の映画版っていうのが公開されるのね。
そうそう、だからさ、翌年にすぐ映画化してめっちゃびっくりした記憶がありますね。
だからなんかその辺でちょっと、また言われだしたりしてたのかな。メディアの仕掛けとかもあったのかもしれないし。
そういうので、てらだの兄にも届いてたのかな。もちろん偉大な、もうビッグネームの作家なんで、いろんなぶつかり方があるとは思うんだけど。
そうですね。でもなんかその時に『リバーズ・エッジ』とか『ヘルタースケルター』とかを買って読んだ記憶っていうのが最初ですね。
読んでどう思った?『リバーズ・エッジ』。その時20歳ぐらいやんな?てらだで言うと。
そうですね。なんかいいよねとしか思わなかったですね、正直。
ね。でも例えばさ、その岡崎京子的なもんみたいなんで、そのタイミングでてらだそんな読んでない、岡崎京子フレイバーを感じてるもんっていうかさ。
そうですね。ほぼ読んでないかな。イメージだけで言うと浅野いにおとかと近いような若者の性と暴力みたいなことを雰囲気で、僕の頭の中の箱にはすごい同じ箱に入れられてたんですけど、ただなんかやっぱ決定的に違うし、
絵柄とかもどっちかって言うと僕がそれまでに読んでたオノ・ナツメとかそういう目がグリッとでかくて、鼻が立ってるようなイラストとかとも近くて、多分だからそういう岡崎京子の影響を受けたものをたくさん触れてたけど、これはなんなんやろうみたいな。
03:08
そうなんだ。
見てきたものと近しいけど何とも違う、意外と違うなと。
全然違うし、みたいな感じだね。少女漫画、例えば別マとかりぼんとかそういうものも触れてないから、そういうものと違うっていうのも判断はついてないけど、なんか違う漫画だなみたいな感じってことだね。
そうですね。やっぱり絵がかっこいいなっていうのが先行してたかな、でも。
20歳のバンドとかやっててみたいな、そういうお兄ちゃんからするとかっこいい、言ったらサブカルみたいなもんで、こういうもんがあるんだみたいな感じに新鮮に受け止めるみたいな感覚なんかなっていうふうに思ったんやけど。
サブカルチャーっていう言葉にビシッと当てはまるものではあったのかもしれないですね。
うーん、そうな。岡崎京子先生の話をしようと思っていて、特に『チワワちゃん』っていう作品について語っていこうと思うんだけど、やっぱり自分の体験から話すっていうことがまず大事なんかなというふうに思ってて。
てらださんがどんな感じなんかなっていうから聞いたんだけど、言ったら岡崎京子ってすごいちゃんと評価されてるんですよ。
そうですね。
すごいちゃんと評価されてて、でも俺が言うことそんなもんないっていうぐらいちゃんと批評され、仕事も膨大な仕事もまとめてる本が出てたりとか、映画になってたりするし、ちゃんとしかも届いてんのよ。
たぶん今の10代とかにも届いてると思う。
うーん、そうですね。
届くべきところにちゃんと届いてる感覚があるのよ。ある程度の道筋も用意されている。映画からとか、なんか好きになったものとかでもアクセスしやすいところにいるっていうか。
うーん、そうですね。友達が岡崎京子のバックを使ってて、それ岡崎京子やんって言ったら知らなかったっていう人がいた。
いや、あると思う、全然。
でもそういうグッズとか入りでもハマる人全然おるやろうなと。
うーん。
入り口が多いんですよね、意外と確かに。
そうそうそうそうっていうのはあって、僕もこの10回ごとに漫画の話をしてて、主に女性の作家の話をしてることが多いから、たぶん一番多く名前の出てる作家なのね、僕の口の中で、岡崎京子って多分。
かも、確かに。
で、岡崎京子のことはみなさんご存知だと思うんでっていう感じでやってる。ちょっと1個ずらしたことをやってるから、僕的にまだ評価が足りてない、ミスしがないものを語っていこうみたいな意識が結構あったから、今もあるんだけど。
そこの中で、じゃあ俺がわざわざ岡崎京子の話しなあかんことはないか。本で出るし、もういくらでも調べれば出るし。
06:07
そうね。
なんか最近思ってるのは、自分のルーツみたいなものをちょっとすごい考えてるの、最近。何で自分ができてんのかっていうことをよく考えるんだけど。
なんかそういう中で、岡崎京子のことをこのポッドキャストでね、話してないっていうのは、僕の中ではすごい不自然というか。
なるほどね。根幹になる部分でもあると、すでに語られてるから語ってないっていうのは変な感じか。
そうそうそう。リアルタイムじゃないっていう多いとか、しっかり語ってくれてる人がいるっていうひけ目があるところっていうのはいろいろあるんだけど。
ただ、やっぱり僕も岡崎京子さんが出た以降の周辺みたいな、言ったら岡崎京子が作った文化っていうのをすごい好きなんですよね、僕って。
うんうん。
ただ、どっから入ったかっていうと、本当嘘つかないベースとしてはやっぱり矢沢あいなんですよ。
あ、そうなんよ。へー。
うん。やっぱり矢沢あいを小学生、中学生とかの時に読んで、なんかこれすごい面白いって感じたものっていうのがベースにあって、大学生になった時に先輩が読んでて、岡崎京子を初めて知ったの。僕も18とか19の時に。
なるほど。
その時に、あ、矢沢あいのパラキスとか『NANA』にあったもの、っていうか僕がなんかおしゃれだとかかっこいいなと思ってた感じてたもののオリジナルっていうのは岡崎京子にあったんだって思ったのね。
あ、そこ繋がったんや。
その『Paradise Kiss』がA5版で出てるっていうところも含めてね。オリジナルっていうものに僕が触れた時に、あ、ここにあったんだっていう繋がりと、岡崎京子の方が面白いやんって思ったわけよ。
あ、それらにもう超えてたんや。
もう超えてた。で、今僕が話すようになったのは、結局でも入るは矢沢あいからだからそこに嘘つきたくなくて、で、みんな矢沢あいで育ってると思ってたから。当時『NANA』とかさ、爆発的に売れてたから。
うんうん。
だからそこに嘘つきたくないっていう目線があって、僕の女性作家の人たちの漫画の評論のベースに何を置くかってなると、やっぱ矢沢あいから始めないと嘘になるよなと思って、矢沢あい史観をベースに考えてるとこがあんのよ。
なるほどね。そっか。
うん。
それが人によってはいろんな入り口、別の作品やったりするけども。
だから、それこそ魚喃キリコで入った人は魚喃キリコだっただろうし、岡崎京子と魚喃キリコ並べても魚喃キリコの方が好きっていう人もいても全然おかしくないし、そりゃそういう見方があるしっていう感じかな。
でもなんかさ、言ったら元ネタ、影響元みたいなものに触れて、そっちの方が段違いでかっこいいってことって、たどって影響元が買っちゃうことって意外と少ないっていうか。
うーん、そうですね。特に音楽とかはね、その録音環境とかいろんな要素も入ってくるしね。
09:04
そうそうそうそう。パンクっていうものも知った。それこそ『NANA』とかでセックスピストルズの名前とかも出てくるしさ。いろんなところでパンクっていうの、名前。俺の世代って青春パンクっていうものとかもあったし。
そうね。
で、GOING STEADY、銀杏BOYZとかあって、そういうの聞いてるやんか。銀杏BOYZのグシャーってした音とか聞いて、うわすごいなって思ってるわけやん。あ、これがパンクなんだって思ってるんだよ、先に。
うんうん。
で、オリジナルのセックスピストルズ、幻想が高まった状態で聞いたときに、あれ?こんなもんなんてやっぱなったっていうか。
みんなそこはやっぱあるんじゃないですかね。
あるやんか。
そうね。僕らの世代やとあとGreen dayとかそういうさ、パンク?なんかポップパンクとかそういうの聞いてた人らが辿って、ピストルズ聞いて、俺こんな感じなみたいな。
そう、確かに。Green day、『Dookie』とピストルズのファーストだったら『Dookie』の方がやっぱかっこいいやん。今聞いたら。
そうね。
と思う、俺は。今になったらピストルズのファーストのかっこよさもわかるし、いいなって思えるけど、10代の肌に合うんはやっぱGreen day、『Dookie』だろうなみたいな。バスケットケースのイントロには勝たれへんやん、やっぱ。
そうね。
っていう感覚がある中で、憧れみたいなさ、背伸びして音楽なり映画なり漫画なり見るやんか。その中で、オリジナルの方がかっこいいなんてなるやつもあったんやけど、音楽にしろね。
特にニューウェーブとか、それこそ岡崎京子先生も大好きやけど、The Smithsとかって、シロップとかアートスクールとかよりも、The SmithsとかJoy divisionの方がかっこいいなってやっぱなったっていうか。
そうですね、確かにね。
なんかそういうのはあったんだけど、矢沢あいとか安野モヨコも読んでたな。とか、もう好きだったけど、岡崎京子の方がやっぱその、当時の僕らの言ってる言葉で言うと、真剣。本物の刀って感じがした。
大好きだし、矢沢あいも好きだったけど、そっちはちゃんとチャンバラにしてくれてる感覚だったんだなって思ったんです、当時は。
なるほど、そっか。そっちはそっちで、いかにしてチャンバラで本質を伝えるかみたいなさ、なんか予算はあるんやろうけど、真剣と比べた時のこのくらい方がちょっと違いすぎるっていうのはあるんでしょうね。
し、プロレスと総合格闘技の境目と、もう僕の中では一緒っていうか。
なるほど。
でもやっぱり、10代20代前半の時は、もう真剣。そういうもんだけしか欲しくなかったっていう気持ちだったの。僕の10代から20代前半。時代で言うと2000年代後半から10年代前半。そういう気持ちだったんだけど。
だから、俺、『ヘルタースケルター』読んでるんだよ。大学の先輩が教えてもらって初めてね。そのすぐ1,2年後に『ヘルタースケルター』が、蜷川実花で映画化するのよ。そのタイミングで、やっぱりめっちゃ岡崎京子関連本とかブワーって出たのよ。
12:15
文芸別冊でもともと出てたのが、また新版っていうのになって出たりとか。沢上信さんの有名な批評本がまた再発されたりとか。バルボラさんっていう、めっちゃ雑誌とか集めてる、もう本当にデータに関しては狂ってる人がいるんやけど。その人が岡崎京子の研究っていう、もう雑誌の端っこでカットとか書いてるやつとかも全部拾ってる研究本みたいなのが出て。
だから俺ら世代で、普通に多分新刊書店とか行ってても、「あ、岡崎京子っていう人がいて、今度映画化するんで、今は書いてないけど、めっちゃすごい漫画家がいたんだ。」っていう。もしくは今も書いてると思ってる人もいただろうし。なんか多分、触れる機会としてはめっちゃいい時期に僕らは20代だったっていうところが多分あるのね。
そうですね。確かに2010年代に結構いっぱい映画化してるっていうのはあるんですね、確かに。
いろいろこれあると思うんだけどね。岡崎さんの状態、後で言いますけど、事故に遭われて漫画を書けなくなるんだけど、映画化したいみたいな人絶対めちゃめちゃいたはずで、その辺がオッケーになったタイミングとかも多分いろいろあるんだと思うんだ。裏読みだけどね、これはね。
展覧会があったりとかしてね、2015年には。
で、その展覧会で急にシークレットで、この後ライブしますみたいな感じで、オザケンがなんか急にライブするらしいぞみたいな。
めちゃくちゃやねん。
そうそう。で、ライブやったのよ、オザケンが急に。その時ライブしてないからね。
いやそうですね。
2010年に復活して、いきなり、え、日本にいんの?みたいな状態の時に、いきなりオザケンがライブして。この時大阪いたからさ、ツイッターとかで流れてくるわけよ。《岡崎京子展来たら、オザケンがライブこれからするらしい》みたいな。
信じられへんよね、何か起こってるから。
でもその辺も含めて、俺は東京にいなかったから、東京への幻想みたいなもさ、特に『東京ガールズブラボー』で描いたような東京とか、もっとこの後ね、それこそ『リバーズ・エッジ』とか、『ヘルタースケルター』に描かれるような東京とかもあるけど、
そういう東京の漫画家っていうのもやっぱすごいあるやんか、岡崎京子先生って。
なんかその感じも含めて、もうやっぱもうね、これはもう恥ずかしいけれども、もう心の底からかっこいいと思ったし、羨ましかった。
やっぱり、岡崎京子先生の話をしとかないと、嘘になるな、自分にとってみたいな感じで、今回ちょっとてらださんとも話したいなと思ってやろうと思ってるって感じなんよね。
15:06
だってさ、あれやもんね、「岡崎京子再評価」みたいな言葉が存在しないぐらいずっと評価され続けてるから。
いやもうそう、そうよ、ほんとに。
そこに手を出すことの勇気みたいなのすごいいるよね、絶対。
わざわざ言うことないやろみたいなさ、だって。
言ったらもう90年代の一番の批評家全員が言ってるみたいな、大塚英志も言ってるし、宮台真嗣も言ってるし、2014年に宮沢章夫さんっていうね、劇作家の人が、『日本戦後サブカルチャー史』っていうNHKでやってたのよ、サブカルシーをこうやるみたいなやつ。
で、それでも90年代って岡崎京子の話すんだよ、宮沢章夫さんが。リバーズエッジの話すんだよ。
やっぱそうなんよ。
だからもう、いや、大塚英志、宮台真嗣、宮沢章夫言ってて、「言うことある?」みたいな。
椹木野衣も言ってて、「言うことあるか?」って。で、しかもその仕事まとめ系とかもばるぼらさんが全部やってるしみたいな。
うーん。
そういうのがあってね。『リバーズ・エッジ』の映画の時に、その『エッジ・オブ・リバーズエッジ 岡崎京子を探す』っていう本が出てるんだけど、2018年に。
で、この時も、1、2ページぐらい、いろんな人がリバーズエッジの岡崎京子みたいなことをいろいろ話してくれてるんだけど、、そうそうたるメンバーですよ。
いやー、すごいっすね。台本に書いてありますけど、メンバーが。
うーん。山形浩生、奈良美智、長島有里枝、浅野いにお、志磨遼平、ブレイディみかこ、佐々木敦、山内マリコ、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、宇川直宏、飴屋法水、西島大介、祖父江慎、あと他もいっぱいいますよ。いっぱいいるけど。
こんなんさ、もうみんないいの書いてんのよ、これ。西島大介さんっててらだ結構好きやんか。
大好きですね、ええ。
西島さんの漫画にさ、岡崎フレイバーみたいなのなんか感じた?今回ちょっと読み直してもらったりとかしてると。
どうなんやろうな。
いや、わかんない。あんまわかんないよな。
モノローグとかの感じとかは、あえて軽い言葉使ったりするところとか、近いところがあるかもしれないですね。
そうね。だからキャラ同士の会話がすごい、なんでもないことしか喋ってないみたいな。
確かにね。
で、モノローグは割とカッチリしたことを書くみたいなさ。
うん。
とかはちょっと、岡崎京子って言われたら確かにそうだよなって感じはするかなとか思ったり。
確かにね。
とかで、やっぱり浅野いにおさんも、『リバーズ・エッジ』を高校生とかの時に読んで、もう度肝抜かれたみたいな、すごい実直なことを書いてて。
18:04
そりゃそうだよなみたいな感じはしたかな。
そこはね、繋がってる感じするけど。
うーん、とかで、この『エッジ・オブ・リバーズ・エッジ』すげえいい本なんで、ぜひ読んでほしいんですけど。
あと、ドレスコーズのね、志摩さんも、すごいファンらしくて。
めっちゃ僕が思ってて言おうと思ってたこと、結構言っちゃってるやんと思ってて。
これ志摩さんが言ってたことなんですけどっていうのを紹介するんだけど。
一般的に岡崎京子の作品って、やっぱりなんだかんだ一作って『リバーズ・エッジ』になるのよ。
うん、そうですね。
だいたい。『ヘルタースケルター』とか『pink』とか。
でもこの3つかな、基本。『pink』、『ヘルタースケルター』、『リバーズ・エッジ』。
うん。
で、そういうんじゃない初期の作品とか、あと時代を描いた作家っていう点で言うと『東京ガールズブラボー』。
みたいな。だいたいこの4つぐらいの話になりがちで。
ただ志摩さんが書いてたのは、『リバーズ・エッジ』って、たぶんこれは岡崎京子先生のアーカイブで言うと、
移行期の作品っていうか、新しい時代にあったものを書こうとして書いてるもんだよねっていう。
挑戦した作品だと思ってるみたいなことを書いてて、で僕もそう思う。
ああそうなんや。
やっぱ『pink』以前以後みたいなのがたぶんあって、ちょうど『pink』が89年なんだけど、やっぱりその時代を切り取ろうとした結果、
死のモチーフとか暴力のモチーフとか、
言ったら消費社会に対する虚しさと、そこにある個人の実存みたいなものっていう感じの作品。
っていうのが、言ったらイコール岡崎京子先生の作家性だと言われがちだし、書いてるからね、後期はそういうのが多いから。
そうだとは思うんだけど、昔の作品から追っていくと、
時代に合わせてこういう感じのものを鋭く切っていってたんだなっていう。
作家としての実力が上がっていくのと、時代へのキャッチアップっていうのがむっちゃ早いっていうのがあって。
だから90年代の漫画、80年代後半の漫画といえば岡崎京子の話になりがちっていうのはしゃーないし、
そこを全部背負わされてるところが多分結構あって。
でも、もちろん力が乗ってる時だし、そういう人でもあっただろうけど、
これが全部岡崎さんの作品ではないよなっていう感じは結構思う。
やっぱりこの『リバーズ・エッジ』が強すぎてそれイコールさ、それが岡崎京子の作風やと思われちゃってるっていう。
ただ話してるだけみたいな、アンチプロット、今の言葉で言うと日常系みたいな。
もう結構書いてるのよ、80年代にはね。
ていうか、もともとそういうとこから出てる人で。
なるほど、何も起こらないみたいなとこを生きてるっていう。
そうそうそうっていうところにすごい意識的な人で。
岡崎京子先生っていうのは、63年生まれなんですよ。
21:02
下北沢の理髪店の長女として生まれてて。
下北沢生まれっていうのはやっぱり東京の人、でも家は昔からある理髪店の娘っていう。
でもこの下北沢っていうのも、50年前40年前の下北沢、90年代の下北沢と今の下北沢は全然違うと思うから。
そうね、今のイメージじゃないよね、多分。
香りとしてはね、もちろん昔から小劇場があって、レコード屋さんがいっぱいあって、みたいなのは変わんないと思うんだけど。
今ほどこの、なんていうかな、今の下北沢は結構大企業の力が入ってきちゃった感があるやんか。駅とかもさ。
綺麗になりましたよね、駅前。
うーん、なんかそういう感じではない前の下北沢の人ではあるんだけど。
下北沢だからいいところだと思うんだけど、理髪店、ってとことか面白いところだなと思ってて。
そこで結構漫画読んでたんやって。あるやんか、理髪店にある漫画雑誌みたいな。雑誌がバッと置いてある。
あの感じで、大人の雑誌に書かれてる漫画とか、青年向けのものとかもそこですごい読んでて。
多分そこって結構岡崎先生のルーツの一つっていうか、もちろん大島弓子、萩尾望都、山岸凉子とか、あの辺にはもちろんガッツリやられてると思うんだけど、
プラスそういうもんも家にあったからって言うとんで、読んで結構面白いなと思ってて読んでたらしいのね。
そういうとこやったらファッション雑誌とかもあるやろうね。
そうそうそうそう。だし、岡崎先生自身もおしゃれな人でね、雑誌とかにも出られてたり。言ったらファッションアイコンの一人みたいな感じの人でもあったからさ。
そういうのにも繋がってくるところでもあったんだけど。でももう、高校時代ぐらいからやっぱすごいんだよね、岡崎先生は。
投稿雑誌っていうのがあって、今では考えられないと思うんですけど、『ポンプ』っていう投稿雑誌があったらしくて。
この投稿雑誌っていうのが何かっていうと、言ったら葉書を送って、それをこう載せていくっていう。
で、そこにイラスト書いたりとか文章書いたりとかっていうのをバーってやって、そこで文通したりとか。
言ったら、今で言うもうSNSですよ。
そうですね。なんかこう掲示板になり、今SNSになったぐらいの段数ね。
もうすでにそこで人気投稿者になってて、イラストとか文章が面白いとか。
アルファツイッターみたいな。
そうそうそう。だからもう完全なインスタグラマーみたいな感じで、もう当時から岡崎京子ファンクラブみたいなのあったらしい、もう『ポンプ』の中に。
すごいな。
そうそう。で、妹さんと一緒に表紙になってる回も。
そんな顔を出すぐらいまでの。
そうそう。人気だったんだね。で、それでただやっぱ漫画家になりたいっていう意思はあって、そういう。
『ポンプ』自体が割とその後なくなっちゃうんだけど、投稿辞めて漫画を同人誌とかで書いてて。
白泉社に多分一回投稿で持ち込んだりしたらしいんだけど、評価されへんかったよ。
24:04
Cランクかなんかで帰ってきて、だからど真ん中のところじゃ難しいんだみたいな感じは思ってたみたいで。
友達に誘われてとか、その時の人脈とかいろいろあったんだろうけど、商業誌に持ち込みを続けるんじゃなくて、いろんなとこでこうイラストとか漫画を書くっていうところを始めてて。
で、そこでさっきも名前出してましたけど、後に評論家として名を挙げる大塚英志が当時「漫画ブリッコ」っていう雑誌をやってたんだよね、雑誌を。
で、これが何かっていうと、もうはっきり言ったら、もともとはエロ本です。
タイトルもね、そんな感じやけど確かに。
そうそうそう。もともとがっつり劇画系のエロ本だったのが、その当時、これも説明するとややこしいんで省きますけど、ロリコンブームってあんのよ。
吾妻ひでおとかの。
そう。
まさしく。で、そういうので言ったら、ああいう人たちの流れを含むような人たちがロリコン誌みたいなところに書くようになって。
で、そういうふうに大塚英志が編集者として入ってから移行したと。「漫画ブリッコ」っていうのがロリコン誌になっていって。
で、実際そのエロ本の、もう今の子には分からへんねんけど、自販機っていうのがあって、普通の出版社が出すんじゃなくて、エロ本の自販機にそこが入れられて、自販機で買えるエロ本っていう雑誌ね、として流通していくんだけど。
だからロリコン雑誌となった「漫画ブリッコ」に大塚英志がイラストとか漫画を見て、書いてくれっていうので書いてるっていうところが、商業デビュー。
だから、もう端っこの端っこよ、漫画業界で言ったら。
そうですね。なんかそんな『ポンプ』でこう、めちゃくちゃ大人気やったのに、漫画家としては意外とそういうところから始まってるっていう。
そうそう。だから王道の集英者、小学館のところではない。白線者でもないっていう。
で、大塚英志が「おたくの精神史」っていう本を書いてるんだけど、その時のこと。83年なんだけど(岡崎京子さんの)デビューが。大塚英志側からすると場所っていうのが、岡崎さん的な人が書く場所が多分なかった。
その当時の漫画業界には。でも、そういうエロ本のところでカットとかだけとかね、そういうところから漫画を書くようになって、そこから単行本も出すということになって。
85年には『バージン』っていうのがデビュー作として出るんだけどね。「漫画ブリッコ」で書いてたものが。だから自分で岡崎さんが場所を作ったという。
なるほどね、そっかそっか。
だからこれって多分めっちゃすごい功績で、インターネットない。だから、漫画を流通させるためには商業出版してる雑誌で書かないといけない。書き下ろしの単行本とかもあるけど、それはある程度単行本を出して見込める作家にならないと無理だから。
だからそういう中で、エロ本のカットとか何々を書きながら単行本まで出すっていう道を作ったわけですよね。ちゃんと評価されてる。
27:03
いや、すごいね。
いわゆる魚喃キリコであり、安野モヨコであり、ジョージ朝倉であり、南Q太であり、やまだないとであり、今もいっぱいフィール・ヤングの方々とか、A5で出てる漫画っていうのがあるけど、それの反形がなぜA5なのかっていうと、岡崎京子の単行本がA5だったからなんですよね。
うーん、そうなんやっぱり。
「漫画ブリッコ」っていうのがロリコン漫画の単行本が出てたらしいんだけど、判型がA5だったんだって。普通の新書版とかB6版、いわゆるコミックサイズじゃなくてA5で出してたらしくて。
そこから出てるから、普通の新書版とかB6版で出てる漫画雑誌のところじゃないからさ、他がA5で出てるから、岡崎さんの漫画もA5で出てたっていう。
へー、じゃあ今でこそA5の漫画ってちょっとオシャレというかさ、そういうイメージあるけど。
そうそうそうそう。その前に、大友克洋、高野文子とか、大友克洋の『ハイウェイスター』とか『ショートピース』とか、高野文子の『絶対安全剃刀』とかもA5版で出てるから。
前段としてはある。青年誌の尖った作家の人たちがそういうでっかい版で出したいって言って、そのまま出してるから。
土壌としてはその辺の方がスタートっちゃスタートだけど、岡崎さんみたいな漫画の人が女性漫画で文化はなかったからね。
高野文子さんみたいなそういう全然違うところから出してる人っていうのもいてっていうのはもちろんあるんだけど。
すごいことなんですよ、そこっていうのはね。場所自体、こういう漫画を書いて、ちゃんと受けて人々に届くっていう型から作った人っていう。
そうですよね。なんか全然だって、今の岡崎京子の雰囲気とは違う雑誌、自分の受け入れてくれるかわからん土壌の上でどんどん自分のものにしていったっていうのは、
でもそれが叶わなかった漫画家もいっぱいおったんやろうなっていう感じもするじゃん。
いや、もちろん。そうそうそうそう。とびきり才能もあったし、ちゃんと人気もね、そういろいろやりながらつけたからっていうので。
新しいものを出してくる世代ではあって、63年生まれて。
63年生まれってなると、俺の中でピッて、岡崎京子とダウンタウンと同い年やなって、まずパッて頭で鳴るようになってるんやけど。
ダウンタウンも63年生まれなんですよ。
へー、そう。
漫画家でいうと、吉田戦車。
はいはい、不条理4コマね。
そう、上條淳士、とか新井英樹とか、その辺が同い年なんですよね。
なんか納得いくな。
吉田戦車的なもんって、吉田戦車以前にさ、前段はあるよ、もちろん。
岡崎孝子先生の前段として高野文子とか、24年組でいうと大島弓子があるように、そのギャグ漫画史としてひしいひさいちがいたりとか前段はあるんだけど、やっぱ吉田戦車以前以後では全然違うやんか。
30:06
うんうん。
もちろんお笑いでも、ダウンタウン以前以後って、それ以前に紳竜がいてとかさ、あるけど、やっぱダウンタウン以前以後って確実に変わるやんか。
一番デカいよね。
そうそうそう。この人たちが63年生まれで残っているからこそ、そう言えるってことは間違いなく言えるけども、全員に共通するルール自体作った人みたいな。
しかもそれが今も通じてる人たちって感じがするけどね。
そうそうそうそう。みんな90年代にやっぱ花咲かせてて、90年代の突入が大体30代だからね。
なるほど。
だからその辺含めて、やっぱ面白いなみたいな。で、今もそのルールが変わらんっていうのが、この国自体が90年代からそのまんま変わんねえとこがあるんだな、特にカルチャーにおいてはみたいなところっていうのもすごい感じるし。
だから今岡崎を呼んでも新鮮だと思える理由っていうのは、この社会自体の仕組みがそこで停滞してそこで提示された問題が未だに有効であるっていうことでもあるっていうね。
時代論とかそういう社会評論として考えるならそういうことも言えるなって思うし。
ある意味ちょっと虚しい感じがするけどね。
だから、そこが『リバーズ・エッジ』とかで描かれて言ったら平坦な戦場とかさ。
そういうもんが10代の俺が読んでもやっぱクリティカルだと思っていて、10年ぶりに読み直しても、やっぱそうだなって感じるとこが、感じ方は違えど全然やっぱリアルに読める。
『リバーズ・エッジ』が今も有効な理由っていうのは、そういう社会の病が変わらないっていうところでもあるっていうね。
そうですね。それが普遍的なものになるかどうかって当時はわからなかったと思うんですけど、結果としてそれを読み取ってるっていうのがすごいことですよね。
ただ本当にそういうさ、キワキワの、今回の「チワワちゃん」とかも読んだと思うけど、キワキワのとこまで行って岡崎さん自身が大型の四輪駆動車に引き逃げされるっていうので、作品を書ける状態ではなくなって、今も新作は書かれてない。
元気に暮らされてるんですけど。っていうとこも含めて、ストーリーとして読み取ってしまうとこがあるやんか。俺らからすると。
そうですね。
作家の業みたいなとこまでなんか感じ取っちゃうやんか。そこまでは。それ全然別のことだと思うんだけど、含めて。
本当に言っていいのかわからないけど、この出来事自体がすごく岡崎京子の漫画の雰囲気に近しいところがあるんです。
こういう消費の仕方をしちゃうとよくないんだけども。
でもみんなそれを感じてるのは間違いないと思うのはね。っていうのがあって。岡崎京子先生のどういう漫画を書きたいかみたいなところで。
ポストパンク、ニューウェーブがめっちゃ好きだったのね、岡崎さんって。その辺からの引用とかもめっちゃあるけど。
33:01
志摩さんが書いてて、「わあ俺これ言おうと思ってたの書いてるやん!」って思ったんやけど、「ヤングマーブルジャイアンツみたいや!」って言ってんのよ、志摩さんが。岡崎京子の漫画が。
なんかその感じめっちゃわかるっていうか。
このちょっとたぶんてらだがピンときってないのは、これ初期の方が余計にもっとそうっていうか、もっとシリアスになってないから。
ヤングマーブルジャイアンツのスカスカだけどすごいグッドメロディーとなんかヘンテコなリズムだけがあるみたいな。
あのゴタゴタ感みたいなのが、僕の中ではすごい岡崎京子っぽいなって思ってるところがあって。
後期の言ったらもっとシリアスっていうかさ。
『リバーズ・エッジ』とかって、もうちょっとヒリヒリしてるやんか。オルタナっぽいやん。NIRVANAとかの方が近いか。
もうちょっと攻撃的な感じがジメジメしてる感じもあるし。
「イン・ユーテロ」とかな。スティーブ・アルビニプロデュースの音の方が似合う感じするやんか。
そうね、攻撃的なハードコアっぽい音の方がね。
なんかそういう感じがするけど、それは音楽がそういう風になってたと同時に岡崎先生もやっぱ鍵取って進化してるってのもあるんだけど。
ポストパンクっぽい感じで漫画を描きたいみたいなのがやっぱあるらしくて。
実際それはおっしゃってて。
言ったらアンチプロット。物語じゃないものを、物語みたいなのは必要ないっていう話を。
物語じゃないものを描きたいみたいなこと言ってるんだよね。
ポストパンクの「ロックじゃなければなんでもいい」っていうやつがあるやんか。
その感じの姿勢で漫画を描かれてるっていうところもあって。
僕も何十年も遅れてきたポストパンクキッズとしては、その姿勢にめちゃめちゃ感動するというか、「いや、そうっすよね?」みたいな感覚がある。
破壊だけじゃないっていう。破壊した後の中で、違う方法論で言ったらチェンソーのバンドがいるみたいな。
ドラムも普通のドラムじゃないみたいなさ。それでどうやってやるかみたいなのがあるやんか。
ロックじゃないものの中で、ただでもすごくロック的なものを精神性としては持ちながらやっていくみたいな姿勢っていうのがポストパンクに言えば面白さっていうか。
その感じはやっぱすごいかっこいいなって思ってて。
思想があってやり方を変えてるって感じがして、始めから気をてらってるみたいなさ。だから実験音楽みたいな感じとはやっぱ違うやん、明らかに。
ここで岡崎先生は言ったら、女の子同士が喋り続けるだけみたいな。そこを書き続けるみたいな。
いろんなストーリーみたいなのを展開する長編もあるし、いろいろ書いてるんだけど、
喋り続けたり、こうしたいのになーみたいな、一瞬みたいなのを漫画に落とし込んでいくっていう風にしていくんだけど。
これが言ったらさ、アンチプロットっていうか、日常系みたいなものが成立した現代からすると、すごい近いようで全然違うみたいな感じがすごい僕は思ってて。
36:00
今の日常系と全然違うっていうか。漫画タイム切られ的なもんって、別に初期岡崎京子的なもんではないっていうか。
そもそも漫画代表的なものは違いますからね、全然。
そうそうそうそう。物語がないものを書きたいみたいな。物語そんなにいるっていう発想としては一緒だけど、ただ、じゃあひたすらその人間の魅力みたいな。
ただダラダラしとけばいいっていうものをずっと書いていくっていうところに意味があるっていう進化の仕方をするんだけど、それは僕の中であんまり来なかったっていうか。
今の日常系ってキャラクター自体の強さがあって、それがほのぼのしたりしてるとこの良さみたいなさ、すごい言い方悪いんですけど、猫が可愛くてその猫がゴロゴロしてるとこ見てるっていう感覚とかに近い感じがするんですけど、そういうキャラクターの強さで売ってるわけではないじゃないですか。
空虚な会話をしてるってこと自体にも意味があるし、言ったら日常にもカッコつけてるみたいなところが俺は好きなのよ。
なるほどね。そこがやっぱり一番さ、10代前半ぐらい日本で影響を受けやすいところってそこですよね。日常なんでやっぱり。
その時って「けいおん!」とか一番アニメとかそういう文化の中で流行ってるもんが日常系だから、だからそこに対するアンチテーゼみたいなのもめっちゃあるからさ。
やっぱそういうとこでガッツンと来たっていうのもあったんだよな。いや、違うんだっていう。意味がないことっていうのはもっとすごいポストパンクなことなんだっていう。
なるほどね。同じ日常が流行ってたけど向いてる方向は逆やったからこそ、世代でも突き刺さるものがあったのかもしれないですね。
あるし、これは今もだけど、例えば全然おもんないYouTubeとかみんな見てるわけやんか。それってよく、なんでそれ見てんのっていうと、いや何も考えんで見れるからみたいな。
これめっちゃ言うねん今の人。何も考えなくて笑えるから好きとか。めっちゃ言わん?
頭空っぽにして見れるみたいな。
見れるからめっちゃ好きとか、めっちゃ言うやん。
面白すぎると疲れるみたいな。
それはそれで時代の病っていうか、情報型の時代みたいな。だからそれこそ今岡崎京子がいたらどうその辺を描いたんだろうなとか思うとこなんだけど。
そこに対してはやっぱ僕はそういう岡崎京子イズムというか、何もないけどそこにハサミとかナイフがあったら切るかもしれんみたいな緊張感みたいなものを持っていきたいと思っている。
なるほどね。
冒頭で話した兄が岡崎京子を僕に教えてくれたんですけど、兄は明確に「けいおん!」とかそっちの流れにはまれなかった人間なんですよ。
そこら辺からちょっとアニメにはまれなくなった人間だったんで、そういう人が岡崎京子に流れるっていうのはすごい納得がいくなという話で。
39:01
で、お兄ちゃん俺と同い年だろ。
そうですね。
だからリアルタイムの人からすると、やっぱ当時を切り取ってたキワキワの人やから、それを今好きっていう感覚が今も通じるとはやっぱもちろん思ってないから。
でもやっぱ2010年の俺に一番フィットした偉大な作家だと思ってましたけどね。
その辺はさ、「旧作もその人が出会った時が新作」っていう考え方もあるやんか。
やっぱそういう意味で、たくさん作品が残っててこれから読めるっていう時代に、しかも僕はほんま出会えるべき時代に出会えて幸せだなとは思ってる。
羨ましくも思ってるけど、上の人にはね。
そうですね。でもなんか音楽とかでもあるけど、それで影響を受けた人たちの作品が今もその入り口になってるっていうのはすごく文化としてやっぱり尊いことだなって思いますね。
ほんまそう思うなあ。そういう人多いと思うんだよね。
だから岡崎京子の漫画、南Q太とかやまだないと。
でも一番俺らの世代にしっくりきたんで魚喃キリコだったのよ、たぶん。
僕の周りの感じを見ると。たぶんみんな一番この辺で好きな、一番フィットしてるのは魚喃キリコなんだろうなと思ってて。
もうちょっとたぶん貧しさをうまく描いてるからだと思ってる、僕は。
なるほど。
魚喃キリコの方がね。岡崎先生の漫画にはもうちょっと景気がいいんですよ。80年代経験してるから。
それは感じますね、確かにね。バンと稼いでバンと使ってみたいなさ、そういう景気の良さを感じますね。
だから消費すごいしてるけど、空っぽな分、幅がでかいよね。ゼロから100までの。
魚喃キリコ先生はもっと狭いやんか。ギュッと狭いやんか。
それこそ、同じ下北沢でも木造アパート感がめっちゃしてるっていうかさ。
なるほど。
じゃあ具体的な作品の話については、次回のエピソードで話したいなと思うんですけども。
はい。
いつも一人の女の子のことを描こうと思っている。
いつも、たった一人の、一人ぼっちの、一人の女の子の落ち方というものを。
一人の女の子の落ち方、一人の女の子のダメになり方。
それは別の在り方として全て同じ私たちの。
どこの街、どこの時間、誰だって。
近頃の落ち方、そういうものを。
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