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2023-02-12 38:54

第28回『たかだがデビュー4、5年目の』

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「誰かになりたいと思ったことある?」という質問からはじまる今回のエピソード。
自分をやってきた時間が30年近くなる、私たちは自分自身の肉体と精神をどのように受け止めていくのか、認めていくのか。
本題は「自己肯定感という言葉、及び言葉に身体が飲み込まれていく」ということについて。
たかだがデビュー4、5年目の彼や彼女に、気づけば「やられ」ない考え方(常にルーツからしっかり検証する姿勢!)を提案してみたり、「やられ」る気持ちを見つめてみたり、あえて「破壊」欲を肯定してみたり…。

そして最後にたどり着くのは、あの映画?

◽️ラブクラシックス・フォー・エピソード
MUNA feat. Pheobe Bridgers『Silk Chiffon』(2021)
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(2023年2月8日収録)
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2023 Special Thanks:セキヤ@urosiita
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00:00
これ、前も聞いたことあるんやけど、しかしこと。
自分じゃない人になりたい、みたいに思ったことってある? うん、最近はなくなってきたかな。
まあまあ、そうか。そうやんな。 うん。
何やろうな。歳をとっても、自分という形が作られてき始めてるから、あんまりこう、他人になりたいなって思ったことは減ってきたかも。
知れないですね。 なるほどね。 うん。 そうやな、まさしく言ってくれたとこなんやろうな。自分をやってきて
30年近くなってくるから、まあそんなこと言うとられへんというか。
何だろうな。まあだからそういう、ちょっと歳とってくればくるほどさ、 まだ言うても30歳やけど、
新しいことにチャレンジするとか、今さらこれやんのか、みたいな感覚出てくる感じがあって、自分としては。 なるほど。
なんかそういうところで、付き合ってきた自分の体と心とみたいなのを受け止めていくみたいな
感覚がちょうどくるんかなーみたいなとこなんかなぁ。 なるほどね、自分自身っていうのを
認めていくみたいな。 そうだねー。
だからまあ、前々回かな、話したような急に自分の生活がらっと変えるみたいな、急にミニマリストになるとか、急に悟ってる方向に30代行きがちみたいなんて、
なんかそこの飛距離っていうかさ、考えてたことと実際の計算というかさ、それにかかる時間とか、今の自分の生活とどうのこうのとか考えたときに、
近しいところでここかな、みたいな感じで悟った風な行動をしちゃうみたいなことって、まあそういうとこから
あんのかなーとかも思ったりとかして。 あーなるほどね。生まれ変わりたい願望の中でもこの最短距離のところに行っちゃうっていう。
多分まあそういう願望はなんかあるんだろうなーと思って、なんかそんなあんのかなーと思って聞いてみたって感じじゃないけど、
まあ寺田さんもしかしような感じっていうあれなのよね。 ある意味つまらなくなってきてるなーみたいな感覚もあると思う。
分かる分かる分かる。 まあだからそこもね、つまらなくなりたくないっていうことで、
アクションという意味でミニマルな生活とか。 やっぱ30代ぐらいになったから急にアウトドア趣味とかにやっぱ開眼するやんか。
多くの人が。そういうのも多分アクションだと思うんだよね。割と違うことやった人がそういうアウトドア方向に行くとか。
なんかそれはそういうアクションなんだろうなーと思ってて。 なるほどね。でもなんかそういうことをしなくても、
03:05
ポッドキャストは続けてるし、音楽作ったりとかっていうのはし続けてるけど、なんかそういうことで結構満ち足りてるし、
前より自分のことを好きになってきてるかもなって感覚もあるから、逆にこうバッサリ着るとかっていうのと逆行してるけど、
周り見るとバッサリ着る人も出てき始めてるから、なんかここら辺でこう、生き方が結構変わってきそうやなっていう。 そうだねー。
気持ちがしてて、もしかしたら、ああもうこういう方向性になっていくんだったらこの友達とはなかなか今後会えないかもしれないというか、
会わないかもしれないなっていう。 あるねー。
巻き広になってきてるんかなーって、年々思いますね。 そうだねー。
寺田が今言ってくれたような巻き広であったり、行動の選択っていう意味でもいろんな話ができると思うんだけど、
僕は前、前々回でやったスピードの話みたいなのとかは、そのスピードの欲みたいな、多分行動にある根底の何か欲みたいなところみたいな考えだと思うんだけど、
今回はちょっとこう、違う方向で考えてみたいっていうか、その今言ってくれたこととかも、自分っていうすごくミニマルな自分の気持ちっていうところに落として考えると、
最近流行ってる言葉で、自己肯定感っていうことについて考えることになるんちゃうかなと思っていて。 そうね、ここ何年ぐらいやろ、めっちゃ聞くようになった気がしますね。
特にSNSとかで。 そう、でもこれってほんとここ最近で、調べた話とかもちょっと後でするんだけど、あんまりね、自己肯定感っていう言葉をポジティブな意味で使ってないような感じになってるなと思ってて、僕は。
この社会が。 あー、社会全体として。 その言葉自体っていうよりは、自己肯定感が低いっていうことに対してすごく悩んでるとか、
自己肯定感高そうだよねっていうディスとかさ、なんかあんまりその言葉が捉えようとしてた本質よりも、多分そこに対するネガティブなおひれがいろいろついちゃって、そこに悩んじゃってるみたいな人すごい多いと思ってて。
なんかこう、コンプレックスと結びつけられて、語られるような感じになってきちゃってるのかな。 そう、だからね、その現象とか、まあそもそも自己肯定感って言葉はなんなんやろうなーっていうことと、自己肯定感ってことについて考えていこうかなという回にしていこうかなと思っております。
この番組、心のすなじは、様々な文化や日常の気づきをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。 私、シャア君です。 はい、そして私はテラダーです。よろしくお願いします。
06:05
ということで、本日も始まります。心のすなじ。
ほんま、見た瞬間、俺はランディ・サブウェイジみたいだと思ってます。 あんまおらんけどね、派手さ引き出しにランディ・サブウェイジって言ってますね。 ランディ・サブウェイジみたいだよな。なんでやっぱ天竜とランディ・サブウェイジの試合も見るよ、実際に考えれば。
まずですね、自己肯定感っていう言葉はどこから来たのかっていうことを、チラッと調べたぐらいなんですけど、話してみたいんだけど。
あー、気になりますね。 テラダーがさっき言ってくれてたように、自己肯定感っていう言葉がGoogleのトレンズ、Googleトレンズっていうので検索してみると、何年からヒット数が増えるかみたいなやつが出るやつね、Googleトレンズで。
で、見ると2016年の半ばから急にめっちゃ増えてるんだよな。 あー、7年前ぐらい。
学者の人が調べてる記事から引用して喋ってるんですけど、これもノートに載せておくんで見てほしいんですけども、文部科学省とか教育の再生会議みたいなところで、日本の子どもたちの自己肯定感が低い現状についてみたいな話題があって、そこで一気に使われてるみたいな感じだと思うんだけどね。
だから、もっとそういうメディアとかそういうところに落ちていって、私たちも使うようになるみたいな感じ。だから本当に最近。最近だからここ5,6年と考えてもいいかもしれないね。
なんかその教育よりも、結構メンタルヘルス的なところから出てきてる言葉だと勝手に思ってた。
いやでも、もともとは多分そういうところから出てきてるという感じかな。ちょっとごめん、そこは詳しくは分かってないんだけど、欧米のところの論文から持ってきてる概念だから、セルフエスティームっていうのをもともと自尊感情って訳したらしいのよ。自尊感情っていう訳語がもともと使われてたらしいんだけど。
あーなるほど、自尊感情か。そう聞くとちょっと違う気もするな。まあ言葉じりの問題やけどさ。
そうそう。で、なんか初めの方はその学者さんとかも、自尊感情っていうのを概念として自己肯定感みたいな。
海外だったら、自分の悪い部分も含めて全部を自分自身と捉えるっていうのが自尊感情、セルフエスティームっていう感じだったと思うんだけど、日本に多分それを自尊って言葉を輸入したときに、悪い部分も含めて自尊感情するニュアンスがちょっと違うみたいなさ、感覚が多分あるっぽくて。
そうだな。なんか自信過剰な感じというか、古代妄想的なちょっとなんか行き過ぎてる感じちょっとする。
09:04
うん、自尊って聞くとね。なんかそこが多分、自分を肯定的に受け止めようっていうニュアンスを入れるために自己肯定感っていう、そういう言葉が使われるようになったみたいな感じっぽいんだけどね。
これもちょっとネットの記事、喋ってる人が学者さんのあれを見ただけなんで、ちょっとこの辺は実際はどうかわかんないですけど、そういうこと言ってる方がいらっしゃるという感じみたいなんですね。だから、そもそもこんなに新しい言葉やから、自己肯定感について悩んでる人は大丈夫っていう。
なんか概念として全然まだ。
うん。もともとあって、研究とかもっと前からあるんかもしれんけど、日本に輸入されて使われるようになったのは、ほんとここ5、6年の話なわけよ。
そうね。だから、共有されてる概念としてはわたくしがあったんだよね。学説的には昔からあったかもしれんけど。
実際悩んでたことが、いろんな悩みが自己肯定感っていうものに起因するものだったっていうのはあると思うよ。今まで悩んでたことが。
ただ、でも、言葉に引っ張られてるんちゃうんかなって思ってて、僕が自己肯定感について悩んでてっていう相談とか、実際悩みとかを聞くと、その自己肯定感っていうものが、やっぱ肯定っていう言葉も入ってるし、絶対にあったほうがいいよねって社会に押し付けられてるから、そこに持たないといけないっていう感じで悩んじゃってるってところもあるんだろうなっていうふうなのは。
逆に呪いになっちゃってる感じが。
そうそうそう、と思ってて。だから、まずこの言葉を全然跳ね返していいよっていうことは、もう先に言っちゃいたくて。
そうねー。いやー、でもなんか言葉の流行りとかさ、コミュ力とかさ、空気読むとかなんかそのあたりも流行ったけど、全然跳ね返していい言葉やなって、途中から気づいて楽になった人とかいっぱいおっただろうし。
そうそうそう。で、自己肯定感って漢字5文字だから強そうっていうの結構あると思うねんな。
まあそうね、なんかラフな言葉には聞こえへんな。
そうそうそう。笑っちゃうんだけど、多分、それこそ学説から出てきた言葉ではあるから、ちゃんとしたことで昔からみんなが持っていなければならないみたいな、その重厚な雰囲気を感じちゃうっていうか言葉に。
でも全然、自己肯定感って言葉は日本社会デビュー5、6年目やから。
あー、なるほどね。ベテラン感出してるけど全然わかってる。
そうそう、全然5、6年目やから。
そうか。
あなたの方が戦ってきてるから、多分大丈夫みたいな。まあその5、6歳の子は同期ぐらいやから、ちょっとむずいかもしれんけど。
まあ今の小1ぐらい。
うん、ぐらいはちょっと同期ぐらいになるから、社会的なまま、まあどんどんかなみたいな感じになっちゃうけど。
12:02
そういう問題なんか、確かにちょっと楽になるかもね、そう考えたら。
と思うのよ。結構普通に、僕の同世代ぐらいの人との会話でもよくすごく出るんだよね、自己肯定感が。これやると上がる、下がる、みたいなのとか。
僕もかなり使っちゃってると思うな。
別に雑談ベースのものとかだったら、一個その軸としてあったらその話題が膨らむっていうので使っちゃうみたいなのはさ、全然そういうことはいろいろあるんだけど。
なんかでも結構それに引っ張られてる人多くて可哀想だなと思うから。
なんかこう、自己肯定感上げるためにちょっと生活でこういうことやってみたっていうこと。僕自身も結構経験があって。
毎週筋トレするとか。なんかそういうことが、何やろうな、本来の目的っていうより、まさにそういう自己肯定感を上げるためっていうか、メンタルを回すために使ってるっていう時に、
なんかいや、自己肯定感上がるからさっていう言葉に飲まれて、そういうことに囚われてる気がしてるね。
自分の本音みたいなものが逆にちょっと見えづらくなってきてる感じがしてるな。
そうね。一つ今言ってくれたことで言えるなら、やっぱ言葉に体が飲み込まれていくっていう問題だよね。
そうですね。
それはしかも、デビュー4,5年目のぺいぺいの漢字5文字になんかやられちゃうっていうえぐさ。
やっぱ言葉のパワーってやばいなみたいな。それをみんなが使い出したら、そんぐらい飲み込まれていくっていうのはやべえなって思うんだけど。
しかもそういうさ、習慣とかって結構人と共有したりするから、最近こういうことしてんねんけどみたいなんだよ。
これやったらすごくメンタルも安定していいよみたいな感じで、なんかドラッグみたいな進み方やな。
いやー、でも実際そういうふうに広まってるみたいなことあるからね、流行っていうのは。
この難しいのが、これがグッドな方向にいい行動につながっていくんだったら、それはもうもちろん僕も最高だと思うのね。
で、この言葉を使ったり出していった人も別にそういうネガティブなニュアンスで使われてると思ってなく、
多分こういう言葉でこういうことの悩みが解決できますよっていうことを言いたいんだけど、なんかそういう言葉が汚れていってしまうみたいなさ、感覚でちょっとそういう感じになっちゃってるっていうような現状だと思うんだけど。
いい方向に行けばいいんだけどね、それで。
だから、今自己肯定感を上げようと思って何かをやっているってこと自体を僕は批判してるつもりは一切ないんだけど。
その言葉に飲み込まれていくっていう感覚は危ないし、そこは全然距離取れるよということを言いたいっていうのがまず一つ。
15:08
【早送り】
で、あともう一個展開して言うのであれば、自己肯定感っていう言葉の強さっていうか肯定感。
自己肯定感って持ってる何かみたいな感じに聞こえるんだよな、この言葉って自己肯定感って。
そもそも肯定してて当たり前っていうニュアンスを僕は感じるんだけど。
肯定してる状態がマイナスじゃなくてゼロになった状態って感じですね。
ちょっと違うふうに取る人もいるかもしれないけど、僕はそういうふうに感じていて。
でもゼロじゃない、それは。自己肯定感。自分のことを愛せないみたいなのがゼロとかもしくはマイナスみたいなのだと思うけど、そういう測るようなものでもまずないし。
そもそもデビュー4,5年目のぺいぺいやから、当たり前みたいな感じにいるけど、全然そういう測れるもんじゃないと思うから。
健康状態とかの話した時もそうやってるけど、そもそもめっちゃ健康な状態って半分以下ぐらいじゃないっていう毎日の作品、それと一緒で。
そんな自分に自信が見せられてる時って、そもそも1年で見たらそんなに毎日はなくて。
だから、自己肯定感がある状態を、それが365日、これが理想ってやっちゃうと逆に疲れそうやなっていう感じはしますね、確かに。それがゼロ、基準ってやっちゃうと。
一日も別になくてもいい?全然。
最悪に。
いいと思わん?最悪でもないと思うな、これ。いいと思う。
そもそも別に自分が自信がない状態がずっとでもいいよって。
何があかんのって思うなよ。
まあまあ確かにね。それはそうやな。
大半の人が自信を持ちたいっていう欲求があるっていうことが前提にはなってる。その欲求がそもそも本人が順として持ってる欲求ならいいけど、借り立てられたり追い込まれたりしてそうしないといけない、自信持ってないといけないって思ってるとしたら、それはやめてもいいこと?
そう、自分でもうちょっとこうしたいなっていう、ほんまに自分の中からあふれるものなんだったらいいけど、それがこういろいろ細かく見ていって、別に例えば会社で成長しないといけないとか、なんか自分の行動とかで自信がないことで上手いこといかなかったとかで、それに対する反発として頑張るために持とうとするとかさ。
18:03
失敗するしさ。全然無理に無条件に自分を愛そうって全然しなくていいと思うし、ダメなまんまで生きるも全然それはいいやんって思うねんな。
うーん、そうやな。それで追い込まれて潰れるよりは全然いいと思いますね。
潰れるよりはって言っちゃうとね、それちょっと厳しいかなと思うねんな。
いや、なんていうの、自信を持とうとして逆に自分を潰してしまうよりはっていう感じ。
難しいねんな。今の会話のテラダンとのニュアンスがわかってるけど、今も突っ込んだんやけど、何でもこう話してるとプラスに捉えようとやっぱしちゃうねん。どういうもんも。会話ってそういう風にせえへんといい感じに進まへんから。
まあまあそうやねん。スンって終わっちゃうから。
でも、そう、それもネガティブなまんまで別にいいやん。
あー、なるほどなー。
っていうとこまで言わんとはあかんよなーって思ってて、ずっと走らなあかんっていうことに耐えられへんから。
なるほどなるほど。
その、一生愛せない自分っていうのを許していいし、許すっていう言葉も何か何がやねんって思う。一生愛せない自分を肯定しなくてもいいよなーっていうのは思ってて。
うーん、なるほどね。愛した状態が完成では別にないよっていう。
全然ない。
し、完全にやられてる自分っていうのもそれで、そうなんやったらそうやん。そっから上がったほうが楽になるんやったらそれはいいなーと思うけど、別にそのまんまでも全然いいやん。
あー、なるほどね。
なんかそれって、測定にしかわからん表現にやっちゃうかもしれんけど、すごくこう、スミスのモリッシーとかはそういうことを訴え続けてたような感じがするんだよなーやっぱり。
愛されることとか、愛すこととか、そういうことにとらわれなくてもよくねっていう。
愛されないことって何が悪いの?みたいな。
うーん、そうそうそう。
グッと言っちゃうと、すごくこう、今言ってることもすごくなんていうかな、キリスト教的なことを言ってるような感覚になっちゃう。
隣人愛的なさ、生きてるだけで愛みたいな感じになっちゃう。
でもまあそれは本当そうだと思うんだけど、うーん、なんかそう言っちゃうとこうなんかさ、それはそれで大雑把に怖いなみたいなさ。
わかるんですよね。愛してもいいし、愛されなくてもいいというか、まあ愛し愛されじゃないか。自信があってもなくてもいい。
21:02
なんか別に自信なくてもそれでええやんって言ったら、すごいなんかこう、ネガティブな感じになっちゃう。
そういうニュアンスでとられちゃう感じがするけど。
そういうことでもないやん。
ではないよね。フラットにってことやな。
そうそう、もしくはちょっとパンクな意味とか、ちょっとこうヒッピー的なさ、感じ。
もっと破壊しろみたいなさ、ダラダラしろみたいなニュアンスで言ってるようにももしかしたら聞こえるかもしれないけど、そういうことでもない。
ああ、そういうふうにも聞こえるかもな、この裸を受け入れるみたいな。
そうそう、そうとって、それでいいんやったらその人が、それでもいいんやけどっていう、うーん、まあ難しい、非常に難しいことを言ってるんやけど。
そうやな、まあだからどういう形であれ自分のその自然な姿勢っていうものでいいやんっていう、それは別に肯定ない状態でもいいやんっていうことやな。
そうそう、今ちょっと話しながら気づいたけど、たぶんそもそも肯定感、自己肯定感って言われると、その肯定してるか否かっていう二択を強いられるっていうところがあるね。
ああ、なるほど。
僕はしないっていうところを今わらわら色々言ったけど、そもそも肯定するしないっていうがないからなっていうことを言いたい。
ああ、それですね。
ことを言いたい。
うん、それはすごいわかりやすいな。
だから、やっぱそういう何か言葉が生まれたりとか問いが生まれると、それを選ばなければならないっていう、これ好きなん嫌いなんみたいなのをなんか選ばなあかんみたいな。
でもそんなんって、犬派猫派で別に何でも言わんでいいのと一緒で、その問いは無視して歩いてもいいと思う。
そんなあるんですかみたいな、その自己肯定感っていう言葉がない世界に、「ああ、そんなあるんですか?」っていう感じで生きるっていうのは、結構俺アリなんちゃうんかなっていう。
これは一つの提案。
それはいいですね。もうそういう物差し自体知らないですっていう。
うん、っていうとこかなあ。
ああ、なるほどなあ。なんかでもそういう物差し捨てるみたいな感覚っていうのは結構、僕らぐらいの年齢になってきたときに主者選択としては出てきてるかもなあって思うなあ。
そこもこのオープニングで話したところに繋がると、肯定感っていう言葉の逆の意味になる。自分を破壊したい、欲みたいなのと表裏一体、自己破壊感と言い換えられるかもしれへんけど。
そういうのは今言われてないからこそ、今俺はあえて言うけども、その自己破壊感みたいなのはどんどん持っててもいいかなとは思うかな。
そうそう、自分がどんどん保守的になっていくみたいなことをオープニングも喋ってたと思うんやけど、ざっくり言っちゃうとね。守りに入るっていうかさ。
どう今を保つのかみたいなベースで、行動やいろんなことが決まっていくからっていうことだと思うのね。
24:04
30年くらい生きてきた自分っていうのをどう保つかっていうふうに。30年と言わずとも、今の自分をどう保つのかっていうのがベースに、いろいろ考えちゃうようになるっていうことだと思うんだよな。
そうやな、すでにある程度形作られちゃってるから、それをどう保っていくのかっていう方向性になってる。
でもそこをどんどん破壊していく勇気みたいな、それは持ってった方が割と楽しんちゃうんかなとか思ったりすんねんな。
これもちょっと難しいことを言ってて、さっきの話で言うと。自己肯定感っていう言葉が本当は捉えたかったのは、「ありのままでいいよ。それこそ、どんどん成長しなくていいよ。」っていうことを言いたかったと思うんだけど。
ただ、そういうことを言うと、「愛せよ!」って言われてるふうに受け止めちゃって悩んじゃうみたいな感じがあって。
それは今起きたことのせいだけど、もっと自分を破壊していこうっていう言葉を今後流行っていったら、またこれは転用されていって変な感じになるかもしれへんけど、一旦いい方向にできるなんか一つみたいな。
それこそ肯定感っていう言葉の壁をもう一個、こっちの言葉もあるよみたいな感じでごちゃごちゃになって、いい感じになれへんかなとか思ってるんやけど。
その概念を壊して代替概念ができるだけになるかもしれへんしね。
それに、今の自己破壊的なところを聞いてると、シャークさん的なニュアンスが違うんだと思うんですけど、それこそバッサリミニマリストになる方向性とかにも近いかな。
それは本当に自己破壊感の象徴みたいな感じだと思う。急にミニマリストになるとかって。
そうよね。そういう欲求でもあるんかもな。
でもめっちゃ怖いんが、ある自分を捨てろっていうのって、ネットワークビジネスとか、信仰宗教に入れとか、そういう危ないビジネス的なもんって基本的にはそういうもんやねんな。
そういう入り口でだいたい。
自分壊せよっていうさ、あれやから、今喋りながら、めっちゃヤバいこと言ってるなって反省しながら今喋ってます。
でも、肯定してもいいし、破壊してもいいからな。し、がむししてもいいのよ。
それってさ、方向性なくてもいいっていう方向性やからさ、伝えるのめっちゃむずいよね。
めっちゃむずい。
心のすなじ。
27:02
言葉に体が飲み込まれていくっていうことにどうやって抗っていったらいいんかなっていうことを考えながらいろいろやっていくしかないんかなっていうことなんかな。
言葉にとらわれてたなーっていうことあります?自覚的になった瞬間みたいな。
言葉っていうか、これはよく話す話だけど、先輩、年上の先輩たちに教えられたルールが絶対やと思ってたから。
なるほどね。
いろんな縛りルールみたいなのがガーって無条件であった。そういうもんなんや、そういうもんなんやって言ってて。
それってたぶん高校までの学びっていうのがそういう詰め込み型でしかないから、そういうふうになるほどなって言ってやるしかないと思ってて。
それがガンと好きなもんで入ってきたけど、たまにちょっとはみ出た世界に行ったときに、「いや、全然そんなことないやん。」みたいな。
そうやった。その習慣とかルールとか、そういうものにとらわれてたことに気づく瞬間って全く別のコミュニティに入った瞬間とか。
そうそうそう。じゃないと気づかれへんから。
たまたまそうじゃない人、一人に出会ったぐらいじゃなくて、このコミュニティの中では全員こういうことしないんだとか、こういう言葉を使うんだとか、そういう集団にあったときぐらいの衝撃がないと、やっぱり自覚できないかもしれないですね。
だからネタ的によく言ってるけど、寺田さんは2000年代に大体の日本の家庭がご飯食べながら富士テレビを見てたっていうことを信じられへんわけやん。
信じられないですね。知らない世界って。
ちょっとニュアンスつれるけどさ。でもそういうことだと思うし。
それは本当にそうやな、確かに。テレビとかファッション雑誌の話とかになったときに、ポッドキャストの人たちが集まったときに、みんなが、「あーそういえばそういう雑誌あったー!」とか、「あーあの番組懐かしい!」とか言ってたら、「え、こんなにみんなこの情報を共有してたんや!」っていう。
僕って全然テレビのこと知らんかったんやっていうのはそのときにやっぱり気づいたしね、初めて。
そもそも知らんもんな。なかったんだもん、それ自体が。そのコスモがなかったんだからさ。
で、そのシャークさんに会ったときは、シャークさん一人がただ詳しいだけやと思ってたら、違う、みんな詳しいっていう。だからやっぱり集団に出会わないとわからないよ、それは。
あ、そうなんよね。で、ちょっと戻って、言葉っていうものに戻ると、最近これこそ流行りだしてる、そしてもっと使われて、もっと肯定的な力を持つだろう、言語化っていう言葉があると思うんやけど。
これは使ってますね。
でもそう考えたら、言語化っていうのもかなりきな臭い使われ方をどんどんしていくから、今ちょっと気信号ぐらいでみんな持っといた方がいいんちゃうかなって最後に言っときたいっていうか。
そうね、シャークさんがこの前出た解像度とかと結構近いような気もしますね。
30:02
言語化することで見えるものとか、それこそ大雑把なニュアンスみたいなのは伝わることめっちゃ多いと思う。それこそ自己肯定感っていう言葉のニュアンスをみんな自己肯定感って言われたときに、全部大体の人が同じようなニュアンスを感じ取れる言葉やね、たぶん。
5文字しかないけど、「自分をどれだけ愛せるかな?」みたいな感じのニュアンスまで取れるような言葉やから、でもこれってたぶんすごい大雑把なニュアンスしか伝われへんし。
これは短い単語として言語化したもんだけど、僕もポッドキャスターでやってるけど、話しながらこの感情とかを言語にしていくっていう作業みたいなんて、本当は違った。自分のモヤっとしてるものが本当は違ったはずなのに、
この言葉だっていうふうに置き換えちゃってるっていう現象の方が多いと思ってる、僕は。
そうなんや。ある程度何か話そうっていうのは決めてると思うんですけど、それとは違う言葉、想定してた言葉じゃないところに落ち着いたなっていう。それってどうなんですか?感情としては違和感があるんですか?それともこっちの言葉で正解やったなって思うんですか?
それは当人も聞いてる人もやっぱり気づかへん、どっちも。でも、言葉として、会話として成立してて、「あ、そうかも!」って思える力が働いてるから、判断ができへん。ただ、そこに当てはめれる、返す言葉としては言語化してくれて、スッキリしましたってことになると思うね。
でもこれね、結構危ないと思う。
危ないね、それは。確かに。本音じゃなくても近しい言葉とか、そういうのが出てきたら、これが本音かも。こう思ってたわ、自分、みたいな。それで、結果スッキリしたな、みたいなことって確かに結構あんねんよな。
そうそう、あるやん。これは決して悪いことではない。もちろん、そもそも悩みとかに正解があるわけじゃないし、そこでスッキリして気分よくなるってことは超最高やん。勘違いでもさ。
本来の意味から、俺らがさっきしゃべった意味からしたら勘違いとか、ちょっとズレてるよって言うけど、別にそもそもズレててもいいし、それで気持ち悪くなる、解消された気分が良くなるんだったら、ほんま最高やと思うんやけど。ただ、「ちょっとズレたよ!」ってことは忘れんといてほしいってことを俺は言いたいっていうさ。
ちょっとズレたで、そこっていう。もしかしたら、あなたが思ってたこの奥の方にあったやつは、腸が原因だったけど、胃って言われて、「あ、胃でした!」って言ってるみたいなことはあるよっていう。
33:06
お腹っていうとこで言えばさ、ほぼ一緒なんやけど、でも厳密に言うとちょっとズレてんねんよなみたいな。
ちょっとズレたよってことは、俺は結構大事にした方がいいと思ってる。これが気持ちっていうこととか、悶々する何かなんやったら。もちろん解消されることの方が僕は大事だと思うけど、ちょっとズレて当てはめたでっていうのは持っとかないと、もっとデカい、それこそ大きな宗教みたいな力とか、
大きなマネーの力とか、すごく自分を塗りつぶすような大きなものが来た時に、そこに負けちゃうんちゃうかなって思ってて。負けやすくなっちゃうんちゃうかなと思ってて。
そうかもなー。僕も特にね、そういうのって仕事してたりしたら多いような気がすんねんけど、「なんかちょっと違うけどニュアンス伝わってるからいいや。」っていうのって、「それで仕事が回るからいいや。」みたいな感覚やねんけど、こういうことを日常的にやってると、そういう感情を共有する場合においても、「まあまあニュアンスだいたい合ってるからOK。」みたいな感じで終わっちゃって。ちょっとそういうところが雑になっていくかも。
そうそうそう。あんま例えよくないかもしれんけど、恋愛関係とかに当てはめるとわかりやすいかなとも思ってて、今話しながら思いついたシリーズやけど。だから、「なんでこんなにも僕とあなたはすれ違ってしまったんだろう?」ってそういうことじゃない?
なるほどね。ちょっとしたずつのズレがあって、だいたいは合ってたから愛し合ってるように見えたけど、実はずっと差し違い続けてたところがあって、それが大きくなっていってっていう。
みんなあんま見てないと思うんですけど、これをね、描いた映画がありまして、ぜひ配信はされてるんで。花束みたいな恋をしたっていう。
いやいや、めちゃめちゃ有名な映画やな。ああ、そうやわ、でも確かにな。それが一番近いかもしれん。
有村霞も砂増貴も確かに近かったかもしれん。大雑把なサブカルという何かでは。でも砂増貴は別にミイラテンに誘われたら引くし、有村霞もようわからん、でっかい恐竜の卵みたいな、ガスタンクには興味がない、全く同じ漫画も持っていない、そんなには、みたいなさ。
でも大きく見たら一緒だよね、みたいな。とこにすると、やっぱこう、それをその白ですって言って白を塗っちゃうとさ、ちょっとずれたでっていうのが、関係としてはだんだんずれていって、なんで私たちはこうなってしまったんだろうっていうところにたどり着くみたいなことが。
これはまあ恋愛としてみたら、まあそういうこともあるよねっていうことで終わるかもしれへんし、なんじゃこいつらともなるかもしれんけど、これはもっと自分の中の感情とか判断するとこみたいな大事なところの話だと、かなり大きい何かになると思うから。
36:18
そうだなぁ、それで花束みたいな恋をしたって、結局自分たちは一緒っていうところから始まってるから、ずれがこう、やっぱり気づけない。
そして許せなくなるという。
そうそうそう、それはまあまさにさっきから言ってるその、まあ大体のニュアンスでこの感情あってるから多少違ってても、まあ一緒って言ってる判定で、なんか人間でやっちゃうとそうなるっていうことだよなぁ。
だからまあコミュニケーションの話とも取れるし、うんっていう。
そうね、まあでもその言葉自体が持ってるパワーみたいなものがこうやっぱね、ぼやけてくると、なんか飲まれるっていうのは、この自己肯定感っていうのは確かにかなり今、若手の割には危ないことだよね。
今もかなり萌え振ってるから。
うん、ぶいぶい言わせてますからね。
言葉に体が飲み込まれていくっていうことに、みんなね、意識的になっていくのはどうかしらという、私からの提案でございました。
この言葉にかけられてたぶん今後いっぱい出てくるやろうし、なんか定期的にこの言葉ちょっと1回考えておきたいっていうのをやっていくことに価値がありそうな気がしますね。
そう、だからネクストバッターズサークルには今、解像度と言語化が来てる俺の中では。
ちょっと若い割にはまた、良い意味でも悪い意味でも期待の新人がね、来てるみたいなんで。
えー、というわけで、心の砂地は引き続きお便りをお待ちしております。
すべてのお手先は、kokoronosuna.comまでよろしくお願いします。
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また、本編で出てきた固有名詞などは、ノートに応募集がありますので、そちらもご覧ください。
ノートのURLも各配信サービスのエピソードの詳細にございます。
ということで、今回も聞いていただきましてありがとうございました。
それでは皆様、ごきげんよう。
38:54

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