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2024-09-17 18:21

第402回「お墓のあり方」

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北川八郎、人生を変える出会い。
こんにちは、早川予兵です。
北川八郎、人生を変える出会い、この番組はポッドキャスト、YouTube、各プラットフォームでお届けしています。
番組のフォロー、チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
ということで、北川先生、今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は、リスナーの方からご質問をいただいていますので、先生にお伝えしたいというふうに思います。
では、早速読ませていただきます。
50歳女性の方からいただいています。
そろそろ実家のお墓について決めたいと家族で話し合っていますが、母は樹木葬を希望しています。
先祖代々のお墓は畳んでしまい、母が亡くなったら樹木葬にしてほしいそうです。
私たち夫婦には兄弟はおらず、子供は息子一人だけです。
私たちが亡くなったら両親のお墓、さらにお嫁さんのお墓を孫が背負うのはかわいそうだからとのことでした。
息子は実際どうなるかわからないけど、お墓があるならゆくゆくは自分管理していくと言ってくれています。
幸い両家のお墓は同じ市内にあるので管理はしやすい方だと思うのですが、自分たちも死んでしまい、これから結婚することを考えるとどうしたらよいか悩んでいます。
お墓だから仏壇があるから先祖が喜ぶ、樹木葬だから薄情だというわけではないと思いますが、
お墓のあり方、考え方、付き合い方などについて先生の考えを教えていただけると幸いですということです。
これはもう時代ですよ、みんな考えてると思いますよ。
そうなんですか。いろんな今、お葬式とお墓に対する考え方がずいぶん変わってきましたよね。
ほんとそうですね。
家という存在はほとんど、100%とは言いませんが、
たとえば北川家とか早川家とかの先祖代々のお墓というのは、そういう考え方はほとんどみなさんしなくなったと思うんですね。
そういう意味では日本から宗教とか信仰心というのはなくなっていくつもあって、
それもある意味、悪くない、正しいのかなと思いますけれどもね。
私の感想としては、お墓というのは死んだ人のためにあるのではなくて、
後の人がその人を死ぬためにあると思うんですよね。
だから私が、私の母とか兄とか父が亡くなりましたけれども、
私のところも兄と父と母と兄弟を、骨を入れたお墓があるんですけれども、
お墓というよりも、兄や母や父や姉や私の子供たちを凌ぐところと思ってますね。
03:08
だから、うちの嫁さんの方は同じように家族がいなくて、
自牧草にしてますね。
まさに。
その家には例えば女性ばっかりで、
その人が死ぬと、もう後はいないと言いますかね、
なんとか系というのは消えてしまうというかね。
みんな嫁さんに行ってしまうと。
そもそもね。
だからもうそういう時は、家門というか家のあれが消滅ですよね。
だから、こんなにお墓作っても誰もお参りしないからということになってしまうんですけども、
それは極端な例であって、それでもうちでは自牧草にしてますね。
うちの奥様はね。
私の阿蘇の近くの自牧草の場所があって、なかなかいいんですよね。
阿蘇だとまた良さそうですね。
生活でいいとこだなと思って綺麗に作ってありましたね。
だから、実際に私も体験してみて、自牧草も悪くないなというか、
だから何をかんだかって言ったら、この方に対する答えとしては、
お墓というのはそんなにこだわらなくていいのではないかなと思います。
お墓というのは、今の縁のある人、その人の顔を知っている人、
その人と触れ合ったことがある人をしのぐ場所だと思うんですね。
私はこう思って思いますね。
そんなに何々家のお墓とか、千年代々のお墓という考え方はしなくていい時代に入ったと思いますね。
そうですね。
私の近くの昔の南小倉、小倉町というか古い土地なので、
あちこちにお役所さんたちや、土地の名物の人たちが亡くなったお墓があるんですけども、
誰も、みんな市内に移ってしまって、お墓回りする人はいないんですよね。
完全にお墓が崩れ落ちて、木に囲まれて、
この間木を切り取ったら、いきなりお墓が、墓所が現れて、
もう後から誰も、
ありますね、今ね。
木が生えてきてひっくり返ってしまっていると言いますかね。
だから自分を読めなくなっているところがあったりして、
完全に崩壊しているなと思いましたね。
どうぞどうぞ。
いやいや、そういうふうに、
触れ合っていない人の先祖というのはなかなか、
06:01
孫、非孫とかだとすると、もう意識が遠ざかるんだなというか、
現実を見ましたね。
本当こういう社会なんで、今まさに、
高齢者の方が多いですし、当然亡くなる方も多いので、
今後ますますこの話が出てくると思うんですけど、
私事ですけど、うちも父が2年前に亡くなって、
やっぱり父は割と新しい考え方の人だったので、
こだわりがなくて次男だったってこともあって、
もともと家の流れは東京とかではなく外だったんで、
本家の墓は地方にあるんですけど、
やっぱり父は母とかのことも考えて、
お墓はあれだったんですよね。
もう新たに作るんじゃなくて、
今すごい綺麗なデジタルのお墓参りって、
ちょっとイメージわからないんですけど、
横浜、僕住んでますけど、
家からすぐ車で15分ぐらい行けるところに、
熊賢吾がデザインしたすごい綺麗な、
お墓参りできる美術館みたいな建物があって、
そこにお墓そのものはないんですけど、
裏側にお骨を何百体積んどいて、
実際のリアルな墓はないんですよ。
だから場所はそんなに取らなくて、
その綺麗なスペースが4つぐらい区切られていて、
そこを訪れると、うちの父の名前を言うと、
そこに父の個別のスペースがあって、
いわゆるデジタルで出てきて、
お参りできて、
母とかうちの子どもたちとそこでお参りして、
その後、そこ自体にすごい素敵なカフェとかもあったりもするので、
そこで父を忍んだりみたいな感じで、
本当に車で10分ぐらい、
つまり一切管理もいらないわけです、
お墓がないので。
なので非常に母もすごい喜んでいて、
きっと父もたぶん満足してるんだろうなと。
ただ、やっぱり先生のお話伺ってて思ったのは、
僕なんか父亡くなったり、
そういうものを見てるときに極端な話。
もう俺はその場所に行くことすら、
もう自分が死んだら別にいらない。
もうそれ自体もやっぱり子どもたちに手間出しとか、
なんかもうそのお金ももったいないとか、
管理費もみたいに子どもたちに思ったんですけど、
でもやっぱり先生の話がかかっていると、
考え方いろいろあると思うんですけど、
形はどうあれ、やっぱりお墓というかそういう、
樹木層でも全然いいと思うんですけど、
やっぱり場所というかね、
そういうものを作るのは、
僕が行く僕自体は置いといて、
残された人が忍ぶために、
ある種の形が必要なのかなっていうのは、
すごくなんかちょっと刺さりましたね。
だからお墓とかそういうものは、
残された人たちが忍ぶ、
その亡くなった方を忍ぶ場所だと思いますね。
だから統一戦争のことはわからないと思うんですね。
09:02
そうなんですよね。
それともう一つ言えることは、
魂という考え方をするならばですね、
私が死んだら、
私の魂は向こうに行って解き合ってしまうんですけども、
次はもう同じ日本人の北川家にも、
私は生まれることはないんですよ。
おっしゃってましたね。
僕もないって言われましたね、先生に。
早川さんもおそらくもう亡くなったら、
また早川家の魂といって出てくることは、
ほとんどないと思いますね。
例えば西郷隆盛がまた西郷隆盛家を盛り立てるために、
西郷隆盛のような人物が出てくることは、
もう西郷家にもないと思うんですね。
坂本隆盛もそうなんですけども、
信長はもう西郷家のためにと言って、
西郷家に現れることはないと思うんです。
全然別の魂といって、
別の国や別の時代に生まれて、
全く西郷家や早川家や北川家や、
この人の家の家紋に来ることはないっていうか、
魂はね。
魂の再生という形ではありえないから、
そういう意味ではお祭り、
先祖お祭りというのは、
残された人たちの意識だと思うんですね。
その特定の魂を忍ぶということは、
ほとんど不可能に近いし、
その魂は再生しているかもわからないし、
あと何千年後かに出てくるかもわからない。
それはきっと、
よその国だと思うんですよね。
世界が変わってしまって、
日本もないかもわからないし、
中国もないかもわからないし、
アメリカもないかも、
全然別な国家形成という形で民族となってしまうと、
その意味では非常に、
ある意味で、
家という考え方は、
日本特有のものだと思うんですけどね。
アジアもそう。
言えることは、
亡くなった人は、
同じ早川家、北川家に生まれることはないし、
特に多くの意識を持ってはない。
魂という人は。
お祭りに来ないからといって、
あなたのお孫さんや家族を、
魂が怒って病気にするということはないと思うんですよ。
自分の大事な人たちに、
称えるということはないと思いますね。
そういう意味では今、
亡くなった方が称えるということはないというところはあると思うんですけど、
もう一つ現実なところで最後に先生に一言いただきたいなと思うのが、
僕なんかは、
父もそうですけど、
次男だったんで、
本家ではないので、
つまり、
身近でさっきの話じゃなくて、
もう樹木草でいいやとか、
近くの先のデジタルのお墓でいいやとかって結構決断しやすかったと思うんですけど、
知り合いでですね、やっぱり長男、本家でずっと来てる、
彼も長男でっていうところで、
やっぱりもうすごい遠く離れたところにお墓があって、
その管理がものすごく大変で、
お金的にも時間が。
いわゆるお寺の管理してる住職に、
12:01
その辺の話をして、いわゆる墓じまいって言葉が最近ありますけど、
その話をした時にやっぱりすごい怒ってというかですね、
いわゆるさっきのたたるではないんですけど、
代々っていうこともあると思いますし、
やっぱりそのお墓自体もね、
逆にある意味、
お客さんでもあるという現実もあると思うので、
その辺で結構苦労してる人が、
周りに長男、長兄、本家兄で何人かいるので、
やっぱりこれ聞いてる方もそういう方もいらっしゃると思うので、
なんかその辺って簡単な問題ではないと思うんですけど、
一言何かアドバイスいただけると。
もう一言というよりも、さっきのお話ですね、
本家という考え方自体も崩れてくるのではないかな、
その名門という形も優れてくるのではないかな、
日本で残ってるのは天皇家ぐらいか、
その宮家ぐらいに限られてくると思うんですね。
大部分の進化の人たちは、
混乱と殺戮と追放になって消えてしまってると言いますかね、
例えば戦争で負けてしまった徳川家は、
完全に朝廷から迷らされて、
お墓もどうなっているかわからないところになってしまいますもんね。
だからそんな風に、古代の偉人を知るものは構わないけれども、
家を繋いでいくという考え方自体は、
もちろんそれでいいと思うんですけども、
だんだん薄れていくし、
国がなくなっていくことを考えてしまったら、
民族が移住してしまったりすると、
アメリカのように新しい国家になったりした200年後、300年後には、
ちょっとしたらそういう考え方はないかなっていうと、
長い年月で見ればですね。
だから放っておけとは言いませんけれども、
そういう大切な人は大事にされればいいと思いますけども。
これだからあれですよね、ちょっと今お話しかけながら、
先週のね、先週でしたかね、先々週、
真面目と誠実の話だったと思いますけど、
そこが真面目な人ほど、自分は誠実じゃないんじゃないかみたいな、
例えばお墓をね、もうここで字幕層に変えたりとか、
いろいろあるかもしれませんけど、やっぱり大事なのは今の話でいけば、
誠実っていうことであれば、形よりも忍ぶことってことになるんですかね。
やっぱでもそうですね、その通りであると、
古い習慣を打ち破るというのは難しいと思うんですね。
浄土宗とか浄土新宗とかいったような、
一つの宗教には形があるから、
そこではお墓を作るとか、なんとかそういう形で忍ぶという形をとっていると思うんですけど、
それはそれで構わないと思うんですけども、
今だんだん時代が変わってきて、意識も変わってきたということは認識していいと思いますね。
あんまり自分の孫や下の人たちにそれを押し付けると、
15:03
亡くなってしまうと、それを受け継がない人が増えてきているということは事実だと思いますね。
だからひょっとしたら100年後にはないかもわからないという可能性もありますね。
最後に先生もちろんまだまだ先ですけど、先生ご自身はどうしたいとかありますか。
僕はどうしたらいいか何もなくて、
私の熊本に父と母との兄弟の墓があるんですよ、すぐそばに。
だから子供も亡くなったんですけど、そこに祭ってあるので、
そこに私も別に入れてもらうというか、別に私一緒に入るとかないんですけども、
後の人が入れるだろうなと思って、わがままではしなくてもいいと思いますね。
どうせ私はそこにこの地球上に再生するのは、
あと2000年後か4000年後だなと思っているからですね。
もう人間として蘇ってくることはなかなか目ではないというか、思っているので、
北側系、日本人とはおさらばというか、
だから良き転生をしたいという、別な良き転生を目指してますね。
ありがとうございます。
今日はなかなかこういうテーマなかったんで非常に興味深く聞かせていただきました。
さあこの番組では引き続き皆様から北川先生のご質問ご感想を募集しております。
詳しくは概要欄からお寄せいただけたらと思います。
そしてもう3日後ですね、まだ空きがあればの話ですが、
北海道空地で断食会が9月20日から200日で開催されます。
ご興味ある方はこちら北川先生のホームページをチェックしてみてください。
1月の始めから10月末に特化した断食会をやるので、またブログを見てください。
ワンランク上のですよね、瞑想断食会。
こちらもぜひチェックしてみてください。
そしてこの番組と連動してお届けしている北川八郎先生の音声プログラム
瞑想の基本と実践、直接先生のガイダンスで瞑想ができる音声プログラムも引き続きリリースしております。
このプログラムについては概要欄をご覧いただけたらと思いますが、
現在ですね、この先生の音声プログラム第2弾、第3弾、第4弾、ちょっと間空いてしまいましたが、
今実はですね、収録制作を鋭意行っていますので、
この瞑想に続く新たなシリーズもまたどこかでお伝えできると思いますので、
こちらも楽しみにしていただけたらというふうに思っています。
ということで今日は第402回をお届けしました。
北川先生ありがとうございました。
ありがとうございました。
18:21

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