なんか、そういう風に話すると、みんな心配すると思いますけどね。
自分の生きがいって、何だろう?
いや、ハイカ君じゃないですけど、孫、孫だろうか。
いや、僕は、もう、孫に対して生きがい持ってないし。
どうですかね。
何だろう。はい。
孫が生きるまで、孫が果たしている、って、あんまりないんですよね。
なんか、なんか、そうではなくて、私の場合は、多くの人の喜びとか、生きる力とか、助けられたとか、
僕によって目覚めたとかいう、言葉を聞く方が、なんか、生きがいになるんですね。
ああ。
作ったとかいうのが。
いろんな考え方とかね、その人、その人ありますね。生きがいを、例えば、こう、外部の、ね、例えば、さっきのお孫さんとか、別に子供が生きがいっていうのも、全然悪くないと思うんですけど、そういう何かに求めるか、もしくは自分の内面に求めるか、外部か内面かとか、いろいろありますよね。
だから、まあ、普通の人は数字とか言いますかね、会社の数字とか経営とか、そういうものね、とか、自分の。
能力の達成感が生きがいなのかなとか思えながら、生きがいっていうのの深さをちょっとこう考えてみてもいいかなっていうふうに思ったんですね。
思ってるんですけどね。
だから、生きがいが、何が良い悪いってことはないわけですよね。
先生から見たら、ちょっとこれを生きがいにするのは今後危ういみたいなものは、ひょっとしたら誰かの話聞いててあるかもしれないですけど、
そのあたりどうですか。
まあ、でもせっかくなんで、こういうのは生きがいはちょっと危険なんじゃないか、みたいな。
まあ、自分の欲、生きがいっていうのは、自分の欲と生きがいを混同してる場合だと思うんですよね。
数字とか人を支配するとか、なんか、今、ちょっとだけ外れてる言い方をすれば、
ロシアとか中国のように、自国の勢力を拡大して争って、
それを、国の威勢を大きくするっていうのは、大統領たちみたいな偉い人たちは、そちらの方向に生きがいを持つと、
まあ、なんか、国同士の争いに行ってしまいますよね。
それは間違いだなっていうのは、トップの人たちの生きがいっていうのは、すごい大事だなと思いますね。
なんか、でもそうやってお話聞いてると、やっぱり特にトップの話、ちょっと交渉の話になっちゃうかもしれないけど、
そういう方にとっての生きがいってのは、
やっぱりその外翼だけになっちゃうと、なかなかおかしな方向行っちゃうし、
まあ、いつも先生がお話してる、このね、あの、やっぱり他者というか、先生の生きがいがそうであるように、
やっぱりそこがないと、結局はその本人にとっても、さっきの幸福感には、長期的に見たら繋がらなそうですけどね。
そうそう。
早川君が今、切り口を言ってくれたから分かるけれども、
国を大きくするとか、会社を拡大するとか、
人々に名前を広げていくとかいうときは、やっぱり、
それは争いと、相手を投げ倒さないといけないっていうところがあるので、
それはなんか、それを生きがいに感じる人たち、やっぱり、権力的な人たちがいるんですね。
そういう人たちは、なんか、往々にしてたくさんの人を苦しめたり、死なしたり、死亡したりさせるから、
そういう機会については、こう、なんか、あまり私は望ましくないなと思います。
はい。
まあ、先生自身がね、また、そこの言葉だけでちょっと心配になっちゃいますけど、
最近ちょっとまた、昔に比べたら今、生きがいがあって話ありましたけどもね、
本当にそういう方は、多かれ少なかれ、いろんな形で、みんな年齢も関係なくあると思うんですよ。
やっぱり、生きがいやりがい、その辺がなかなか見つけられないとか、ちょっと見失ってるかもっていう、
そういう人たちが増えたのかなって感じたもんだからですね。
ちょっと早川くんに、こう、聞いてみたんですね。
早川くんの年代で、生きがいとは何だろうっていう。
そうですね。なんか、僕個人の話になっちゃいますけど、僕の年代というか、僕の場合はやっぱりなんか、
子供もいるので、まあ、その子供、生きがいとはちょっと違いますけど、まあ、もちろんね、
より良く、というか、子供たちにも育つようにっていう、まあ、要は、
あと、その関わった、例えば当然ですけど、スタッフだったり、もちろんお客様だったり、その関わる人の何か、役に立てる何かをどこまでできるかってことと、
まあ、イコールかもしれないですけど、やっぱり自分自身を今世でどこまで、ね、その宿題というか、それと向き合って高められるかというか、っていう、なんかその、
自分と他者との、なんか、両方どこまで、こう、
残りの人生、ちょうど折り返しかわかんないですけど、
っていうのがなんか、だから、あの、そう、幸福感とはちょっと違うし、結構大変なんですけど、でも、まあ、それがやっぱり原動力になってますかね、日々の。
高くの話を聞いて思ったんですけど、達成される生きがいと、それもするほど深い、奥の深い生きがい、あの、仕事、あの、なんか追求って言いますか、のがあるような感じがしましたね。
ああ、そうなんですね。両方あるかもしれないですね。
例えば、数字とか経営とか、例えば、あの、子供に対する、あの、愛情と子供を幸せにするとかいうのは、ある意味、ほら、子供が成長してしまえば達成されてしまうんですね。
そうですね。
大人になったら、家庭を持ったらね、それに気合を持っている人は、喪失感を失う。
言いますよね。
なってしまうしね。私もそうなんですけど、子供が結婚して、
自分たちの、あの、また、私にとっては孫なんですけど、そういう家庭を持って幸せにしていると、そこで私の達成感というか、生きがいは消えてしまうって言いますかね。
で、まあ、同じように数字というものを追いかける人たちも、経営の数字とか、腕上げとかを追いかける人たちも、果てしない共通と達成感の中に埋没してしまう。
まあ、国との国の争いを生きがいにする人たちは、
まあ、それが、こう、紛争を持っていますかね。多くの人々を苦しめるという国にありますね。
そうではない生きがいもあるのではないかなっていうのが、今、早川君と話せて感じたんですね。
それは何なんだろう。
追求しても、追求しても、深い愛に行き着くとかね、なんか、多くの人を助けて喜びをやって、そこで喜びをやって、
やっぱり生きがいっていうのは、どこか神とつながっている部分があると、それが、なんか、すごく深い喜びにつながるのかなっていう、
それは前から思ってましたけど。
どうなんでしょうね。なんか、僕の場合は、まあ、そういう意味では、今、いろいろわかりやすく、自分なりの話をしましたけど、
なんか、そういう意味での生きがいって、もう、なんか、ありがたいことに、その、会社員辞めて、起業してからずっと変わってなくて、
なんか、古今東西、有名無名、老若男女、世界中のいろんな方のお話を聞いて、やっぱり、なんか、人生の真理とかね、英知みたいなものを、こう、インタビューを通して、
あの、お話を伺って、それを、まあ、こうやって、この番組もその一つですけど、世の中に、ね、あの、まあ、シェアって言うとちょっとおこがましいですけど、
その、なんか、サイクルというかね、あの、そういったものを一生ずっと続けていくことが、まあ、もう、それが全てっていうので、
全く、
迷いが、なんか、僕はもう、それだけですね、なんか。
今、世の中、今、よく分かるんですけど、数字を追うとか、達成感に生きる生きがいっていうのもあると思うんですね。
それは、なんか、数字を追う、快感につながる生きがいかなっていうものなんですね。
国を拡大して、ロシアがやってるような、あれは人を殺しながら、でも、
相手に預けていく。
両方、
広がったっていう、達成感とか、快感につながっているけれども、
特に、人格的な、人間的な愛の損失は考えてないような感じがしますね。
それは、逆に罪になる。そういう生きがいは罪になるのではないかな。
ちょっと深い話なんですけども、
それをちょっと切り替えて、個人的な生きがいを感じる、
あの、考える場合、やっぱ、人間的な深い愛に基づいた、
生きがいっていうものを、なんか、見つけた方がいいなと、
見つける、人格、人間的な愛から切り離された生きがいは、
苦悩になるのではないかと。
ちょっと言葉難しいですね。
人間的な愛から切り離された生きがいは、苦悩になるのではないかな。
そこをちょっと、みんなに見分けてほしいなって思うのが、今回の、ちょっとこの話なんですけどね。
確かにそうですね。なんか、ね、そこの部分、切り離されてると、
まあ、本当にさっきの話と繰り返しになりますけどね、
その本人は、その時はいいかもしれないですし、ね、
10年、15年、それが続けられるかもしれないですけど、やっぱり、ね、
先生がよくお話してる、宇宙の法則とかじゃないですけど、なんか、最終的には、
あの、周りにね、傷つけたりももちろんすると思いますし、本人も最後の最後は、傷つくんじゃないかなと思いますよね。
そうですね、はい。
だから、やっぱり、その、気がついてほしいのは、こう、まず、
愛に基づいてないとダメだっていうことだと思うんですね。
かっこいい言葉で、基づく、数字に基づくとか、達成感に基づくものは、こう、
そこに苦しみとトラブルを生じる、悲しみを生じるのではないかなっていうのは、ちょっと今日の、
でも、我々は、なんか、生き甲斐がないと生きていけない、
と思うんですね。なんか、こう、気力が湧かないと言いますかね。
これ、でも、そうすると、なんか、僕の人生相談になってもいいですか?
はい。
僕が、この、してる仕事っていうのは、
まあ、数字とかお金をガンガン求めるのは、あんまないつもりです。
そこが、まあ、ある意味、ちょっとなさすぎて、もうちょっと、あの、
ビジネス職出した方がいいぐらいに言われることはあるんですけど、まあ、それはちょっと置いといて、
さっきお話した、その、ね、あの、ココン東西有名な老若男女の方の、まあ、やっぱりお話を、
伺って、なんか、人間の、こういう、北川先生の話もそうですけど、なんか、大事なことを、
こう、伺って、それを、こういう、いろんな形で、ポッドキャストかもしれないし、
YouTubeかもしれないし、本かもしれないですけど、あの、みんなと分かち合いたい、みたいなのってあるんですけど、
これ、正直言うと、なんか、先生がおっしゃるような、
愛に基づくって言いたいとこなんですけど、なんか、そんな高尚なこと、
あんまり、実はなくて、と、とにかく、あの、
それをやりたいって言って、何も考えずに続けてくれるっていうのが、
あの、嘘のない誠な気持ちなんです。
これはいいんでしょうか。
だから、そこの、基本的に、そこが、やっぱり、こう、
人々に対する愛というか、喜びとか、
生きがい、生きがいに通じるものでなければ、
やがて、自分の欲を果たそうとする、ね、
有名になりたいとか、本をたくさん売りたいとか、
そんなの全くないんですけどね。
そちらにつながってしまうと、こう、やがてそれは、
早川君のことを言ってるんじゃなくて、一般的な話なんですけども、
みじめな、みじめな廃残者になると思うんですよね。