HSS型HSP、天才HSPの音楽ノート、パーソナリティのきらてんです。
この番組は、きらてんのApple Musicに保存してある約10万曲を、
敏感すぎるHSPならではの視点で曲解説を行っています。
HSPは一周回って超天才だ!という歓声をフルオープンして、
世界一前向きにHSPと非HSPの橋渡しを行っています。
もうシーズン4を始まって、何回か収録と配信させてもらってますけど、
もう楽しいだらけです。
この番組面白いでしょ?とは自分では言わないですけども、
楽しんでる私の雰囲気、きらてん楽しいなというところは伝わってほしいなと思うんです。
実際皆さんが楽しいかどうかは別にしてください。
私本人が、もう誰にやらされてるわけでもなく、
ひたすらこいつ自分で自分のことを楽しんでノンツァ騙しとるな、
感じてもらえたら嬉しいですね。
なぜかと言いますと、HSPっていうのは敏感とか繊細とか言われてますから、
自分の人生を生きるっていうのがちょっと苦手なんですよ。
人にポットを当てたり、人を立てたり、
自分よりもその人にまず着眼してちょうだい、注目してちょうだい、
っていうふうなことを人生の中で数多く皆さんもされてると思うんです。
ですから余計にそれを経た上で、
僕みたいに今自分の感性を大開放してるんだっていう、
こんな姿をみんなにも感じてほしいんですよね。
ここまではやってもいいのかぐらいに思ったら、
ちょっと皆さんの自分の人生を生きるんだっていう何かの気持ちはね、
得られやすくなるかなと思いますし、
僕もそんな偉そうなことをね、
自分の言葉として言うほど立派な人生は生きてないので、
やはり音楽という力を借りてですね、
そのメッセージをお伝えさせてもらいつつ、
あくまで音楽がいろんなことを気づかせてくれて、
今の僕があるからこそ、みんななんてもっと気づける。
みんなのそのHSPの感性もあったらもっと気づけるよっていうふうなヒントに、
ぜひ私のこの自分で喜んでる姿をね、
こいつ楽しいなって思いながら、
そんなところをうまくいっつけて、
インプットしてもらえたら嬉しいなと思います。
ではでは今日も楽しくお届けしていきましょうか。
今日はどんな1曲をご紹介するかと言いますと、
この曲です。
プリンセスプリンセスパパです。
鳴ってほしいよねこれもね。
あのピアノ。
鳴っていただいたら嬉しいですけども、
残念ながら今日もポッドキャストですから。
鳴らない。
プリンセスプリンセスは皆さんにとってはどうですかね。
解散してるからそもそも存在知らないよっていう人もいれば、
その後にね、
ダイヤモンドとかMとかっていう名曲をいろんな人がカバーされてますから、
そっちで知ってるわっていう人もいるかもしれない。
もしくは私と同じようにタイムリーで、
プリプリーファンだったよという人もいろんな人いると思いますけども、
それぞれにプリンセスプリンセスとはこういう人たちだっていうような観点がありますけども、
私はやはり最初の1曲を選ぶのにはそこの、
あきらてんはこういう観点でプリンセスプリンセス聴いてるんだねって思ってほしかったのも含めて、
パパになっちゃいました。
この曲どうですか。
もう今言いながらでもねちょっと涙ぐんできているぐらいの感情が入りすぎる曲であるんですけど、
私のテンションが上がる前に、
そもそもパパってなんやねんというところを知らない方もおられるかと思いますから、
Wikiビデオから今回もご紹介して読み上げたいと思います。
パパは1989年11月17日にリリースされたプリンセスプリンセスの4枚目のアルバム
ラバーズに収録されたバラード。
作詞の中山さんと作曲の奥井さんが個人となっているZIPに向けて送った楽曲である。
ZIPっていうのは実の音だね。
実話と言いますか、中山さんが歌詞を書いてるんですよ。ギターの中山かなこさんが。
中山さんが自分のお父さんがこうだからっていうところなんかも踏まえてですから、
実話であるとかじゃなくて、
実体験とか自分の血とか肉とかが込められているものをそのまま歌詞の世界観にグッとくっつけたっていう曲なんですよ。
その背景を知ってしまうともう本当に腰砕けてしまう状態です。
曲としてはこのラバーズっていう4枚目のアルバムプリンセスプリンセスの4枚目のアルバムって
シングルカットされたりっていう超メジャーみたいなのがあんまなくての状態でアルバムリリースされたんですよ。
だから僕にとってはという解釈ですけども、やっぱりプリンセスプリンセスっていう5人のプリンセスたちがですね、
私たちが解釈する音楽、私たちのロックってこうだよっていうふうなものを、つまり何かにタイアップして使われている曲ですよとかっていう、
そういう宣伝がない状態でこの私たちの作品はこうだっていうのを見せたいんだなっていう姿勢が現れているのがこのラバーズだったんじゃないかなっていうふうに私は当時から解釈しておりまして、
その中に入ってた曲がパパでしたからシングルじゃないんですよ。
その後にシングルになった曲のカップリングとして収録されて、おそらく後にその結婚式の定番曲みたいになったんちゃうかなと思うから、
そのシングルとして作るとかカップリングとしてのエンターテイメントじゃない、本当の自分たちの細胞レベルを作品化にしたような曲じゃないかなと思って、余計にグッときます。
私みたいなバンドをやってて中山かな子さんというギザリストも上川さんというボーカリストも一ミュージシャンとして見てた人たち、僕もそうですね。
そういう観点で見てた人たちはパパっていう曲は良いバラードだねだけじゃない感情を持ってるはずなんですよ。
そんなあたりもお伝えしていこうかなと思います。
この曲を選んだ理由ですね。今回ピックアップした理由っていうのは、泣かずに歌える人がいるのか曲のうちの一つで。
めっちゃ泣いてます。むしろ泣きたい時に歌うぐらいのチョイスですね。
聴くだけでもアウトのレベルじゃないかなと思うんです。
良い曲やからとか泣ける曲やから聴いてっていう意味で言ってるんじゃなくて、僕自身がそうです。
HSPの私がこの曲聴いたり歌ったりしたら条件反射的に涙がボロボロ出ちゃうっていうその事実を伝えてるだけです。
だから聴いてねって意味じゃないんですよ。
そんな曲を選ばせてもらったことによってですね、プリンセスプリンセスというバンドの魅力、
それから女子だけでガールズバンドというところの中でも一番注目を浴びトップを走ってた方たちかなと思う。
そんなバランスとかを同時にお伝えするっていうことがしたかったという背景もあって、やっぱりパパを選ばせていただきました。
プリンセスプリンセスよりも前にガールズバンドっていうのはいたんですよ確かに。
それこそ濱田森さんとかがいて、松屋ですね。
寺田恵子さんというボーカルでハードロックで歌ってたっていうかっこいいガールズの方たちのロックっていうのは存在してたんですけど、
それが全部先輩たちの姿をぐっと凝縮して、お茶の間のところとか、本当の当時の歌のランキングの番組とかがあった歌番組っていうところにまでぐっと入り込んでいって、
ガールズバンドっていう存在感を確立したと言ってもいいぐらいの人たちかなと思うのがプリンセスプリンセスなんです。
音楽的にすごくゴリゴリのロックっていうわけでもない、でも見た目がそれっぽい人もいるし、
どう解釈していいんだろうっていう風なところとかも感じさせてたんですよね、当時からね。
あとはあれですね、僕らがバンドで、例えばホコテンバンドみたいなのがブームだったときに、
そういう人たちのコピーとかカバーとかをライブハウスで僕たちは演奏してたんですけど、
女子たちはね、やっぱりプリンセスプリンセスを演奏する機会が圧倒的に多かったですね。
そんな存在感のあるプリンセスプリンセスのパパという曲です。
私の個人的なキラテンのエピソードですけれども、間接的な愛を届けている曲なんだなっていうのが、
当時から思ってて今でも思ってます。
この表現ありなの?ありなのというか、こんなんされたらもう全員赤になるやんっていうようなことを思ってるんですよ。
何のことを指しているかというと、僕らバンドをやってる人間ってだいたいボーカルとかギターが曲を作って、
歌詞はボーカルの人が書いてみたいなケースが多かったんですね、バンド二人として。
シンガーソングライター的なことで言うと、やはりボーカルが作詞作曲する。
あるいはギターが曲を作って歌詞をボーカルが書くみたいな役割分担ではないんですけども、
オーソドックスなタイプが多かったのに対して、このプリンセスプリンセスは曲をボーカルの奥井香織さんが作るんですよ。
メロディーを作るんです。
歌詞は中山かなこさんも書かれますし、あと他のメンバーが歌詞を書くっていう風なスタイルが多くて、
ボーカルの奥井香織さんが曲担当なんですよね。
僕も作曲が好きやから、どっちかというと歌詞よりも。
そんなところのシンパシーも余計に感じてた。
で、さらにですよ、さらに。
やっぱりね、歌詞を担当するだけあって、
中山かなこさんのね、この歌詞のえぐられるような日常感、
決して背伸びしないんですよ。
全然背伸びしないんですよ、むしろ。
かっこよく見せようとか、私ってこんなのもできるのよ、のところを一切見せずに、
ただただ人間の本質を捉えてるっていうような歌詞を書かれるんですけど、
他の曲でもね。
パッパもそれがもう如実に現れてまして、やられっぱなしでした。
で、そんな意味でもその間接的っていうのは何を指してるかというと、
もうネタバレになっちゃいますけどね、この曲の社会感をお伝えしたら、
中山かなこさんのじっぷ、お父さんですね。
お父さんが亡くなられてるんです。
他界されてて、私にはこう自分の父親がもうこの世には肉体としてないという状態だから、
そのお父さんに向けて結婚式の時にはこんななるんじゃないのかっていう風なところから入ってるんです。
歌詞の連想というか着想が。
で、パパに会わせたい人がいるのというこのフレーズが出てきたんですって、言葉として。
そこからグーッと世界観、物語を作っていって、
そこを小井香里さんが聞いて、
このフレーズだったらこんな曲作ろうかっていう風に、
詩が先に出来上がった後に曲がくっついていったっていうバランスらしい。
やっぱそれ言うだけのことがあって、中山さんの本当のそのお父さん、
中山さんのお父さんが亡くなられているからこそパパに会わせたい人がいるんだよから始まるこの流れがもうたまんないです。
それは結婚式にはピッタリなんですけども、
結婚式にお父さんありがとうっていう背景で、
ここしか解釈してない人も世の中にいると思うんですけど、
今お伝えしたいように、実際亡くなられてるわけですから、
お父さん亡くなられた後に書いてるってことは、
結婚式のありがとうだけじゃないんですよね。
だからパパにやっぱり言いたかった。
パパが言ってたら私もこれしたかったっていう風な、
そこの観点も中山さん絶対お持ちのはずだったろうなっていう風に、
どんどん解釈が大きくなっちゃって僕は泣いててくると思うんです。
ごめんなさいまた脱線しちゃいましたね。話を戻しますと、
その歌詞の世界観が中山さんがおそらく主人公になってるんだろうなっていう風な女性目線の歌詞です。
パパに会わせたい人がいるんだよって言って自分の彼氏、ボーイフレンド連れてくる。
その時に主人公の女の子はおそらくパパのこと好きなんです。
パパ大好きっていう直接的な愛じゃなくて、
パパに会わせたい人がこの男性なんです。
その男性はパパに似てるんだよって言うんですよ。
パパに似てる人を私好きになったのっていうのは、
間接的にパパのこと大好きって言ってるわけじゃないですか。
直接言ったら恥ずかしいし、
パパ自身も、お父さん自身も大好きって言われるより、
そういう風なニュアンスで、
だからパパもこの人のこと気に入るよって言われたら、
よりグッとくるっていう。
そんな間接的な表現がたまらなく。