【キッカケラジオ】この番組は、20代・40代の聴き方・働き方応援する音声番組です。
人はきっかけがあれば必ず変われる。インタビューを通じて人生を変化させてきた、内定きっかけや外定きっかけをご紹介していきます。
東洋ゼロファンスパーソナリティの児童未来株式会社の千葉です。
今日はですね、きっかけインタビューですね。週に1回やってるインタビューの、僕もちょっとご紹介いただいて、初めてちゃんと喋るのを楽しみにしてるんですけども、
早いある20人目の方に、話が聞ければなと思っておりまして、
もう一人のパーソナリティの坂井さんにも来ていただいてますので、洋ちゃんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。本日もいろいろ深いお話を聞いていこうかなと思っております。MC2の坂井でございます。
よろしくお願いいたします。
今日はですね、洋ちゃんにご紹介をいただいて、坂井さんのお知り合いの方に来ていただいてますので、
じゃあ最初に呼んじゃいましょうか。今の会社がベスポですよね。ベスポのアキツさんに来ておりますので、アキツさんよろしくお願いいたします。
はじめまして、ベスポのアキツと申します。よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
やるのもったいないぐらい、アキツさん爽やかな方だなって感じますが。
いい声でもしっかり爽やかさを伝えてきた。
打ち消すわけじゃなくて、乗っていく感じが素晴らしい。
ありがとうございます。
アキツさんはそうですよ。僕はほぼ初対面で、これからいろいろ話を聞いていくのが楽しみです。もともと坂井さんのお知り合いということですもんね。
そうですね。
ありがとうございます。ご紹介いただいてありがとうございます。
早速インタビューに入って、どういうキャリアを歩んできて、今何をしているかということも聞いていければなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
はい、お願いいたします。
今はそれこそベスポという会社で始まっているんですけども、キャリアをスタートさせたのが、先ほど伺うと2011年の世代の進出ですかね、おそらく。
はい、おっしゃる通りで2011年の震災があった年ですね。
震災があった年に株式会社NTTドコモに新設で入社した形ですね。
ありがとうございます。もうね、確かに2011年で震災があったんですね。ドコモさんというとまた一番日本の代表性の大きい企業に入られたなと思うんですけども、
ベタな質問からいくと、就職活動をしてドコモを選んだと思うんですけれども、そのときってどういう基準で就活とかされていましたか。
ありがとうございます。私はとてもシンプルでして、人気企業ランキングトップ10に入ってる企業を受けると。
へー。
そういうところで、当時まだNTTドコモもトップ10にいたんですね。
っていうのもありまして、その中でやはりちょっと証券系と銀行系はちょっと苦手だなっていうので、ハブキですね。
それ以外を順次受けていったというふうな形でしたね。
絵に描いたようなシンプルな活動されて、逆に新鮮で珍しいなと思うんですけど、それは何だろうな。
ご自身が結構人気があるところにまず行こうと思ったのか、最初は大手志向があったのかとかどういう志向だったんですか。
ありがとうございます。各業界のリーディングカンパニーっていうところに興味がありましたっていうところです。
そうですね。
このリーディングカンパニーならではの持っている先進性っていうところと守備力、この2つと、やはりそこに対しての人材への投資っていうところはやはり素晴らしいものがあるなと思ってましたので。
大学の域で当時はあまりインターンとかもしてなかったので、若い中であればやはり人気があると言われるところを上から受けてみようみたいな形で、ここはもうざっと頭の中シンプルに考えてただただ動いてたって感じですね。
ありがとうございます。なんか面白いですね。逆に新鮮で感じるんですけど、洋ちゃんとか多分今の秋千さんは知ってるわけじゃないですか、その秋千さんの印象からして結構納得なのかっていうとか意外とかで言うとどんな感じだったか。
パッと聞いたときは意外だなと思ったんですけど、理由を聞くと確かにそうだなっていうところありますね。合理的な部分と、結構みんなが複雑に考えそうなところを割と体系だってシンプル化するのがお得意な印象がすごくある。
なるほどですね。ありがとうございます。そんなにコメントいただけるとは思ってなかったです。
じゃあ結構その習慣自体は何だろう、基準が明確で受けてたので、めちゃめちゃ数多いというよりかはそういうリーディングカンパニーを何者か受けられて、結構すんなりドコモに決まってスタートしたって感じですかね。
ありがとうございます。おっしゃる通り、比較的すんなりとですね、NTTドコモに最初に入ってもらってですね、もうそこで打ち止めみたいな形で変え終わった形ですね。
その時には、いろんなキャリアステップがあるよみたいなところで、私としてはそこまでこれをやりたいっていうのはしっかり軸決まってなかったので、この会社にいながらその軸を見つけようかなといった形で、そこを最終的にマッチして入れましたといった形で。
いやー、スマートですね、秋さん初めてなんですけど、スマート感がもうプンプン感じられてて素晴らしいなって。特集活したときとか、全然自分たちじゃないですけど、人材とかでリクルートのゼクシーに行こうと思って、それ受け受けてて当然受かるなと思ってたんですけど、気づいたら7次面接ぐらいで落ちてやり直して結構大変だった。
7次面接。
俺らの時代ってリクルートとかって、トントンと行く人はもちろん行くし、秋さんの時代もそうかもしれないですけど、結構基準ラインのギリギリに乗せてずっと横に流されるような感覚があったんで、後から考えるとそうだったのかなと思ったりはするんですけど。
なるほど。
それでは2011年ですね、ドコモでキャリアをスタートさせて、印象的なエピソードだけ少し伺えればなんですけど、結果的にドコモの本体の方にも、あれですよね、2011年から19年ぐらいまでいらっしゃった。
大きく3つのお仕事をしてまして、和歌山支店という本当に壁地に所属をされまして、もう左遷だなと一瞬で感じたんですけれども、実はそれが地方ならではのやはり少人数で回すっていうこともあって、いろんなお仕事をやらせていただいたっていうところなんですけれども、そこは代理店営業というドコモショップのコンサルティングの営業ですね。
そういったところの、どうやってドコモショップでお客様が来ていただいて喜んでいただいて販売が上げましょうか、みたいなところをご一緒させていただくお仕事を3年やりまして、そのあと関西車っていう、このドコモってすごくプログラムがしっかりしていて、支社、御社みたいな形の3ステップっていうのは比較的入社の最初からわかってまして、そのときに関西車といったところで関西管轄のドコモショップ全体の営業企画みたいなお仕事を3年した後に、
本社にスマートライフル領域と今呼ばれてますけれども、DポイントとかDバラエとかDTVとか、今ちょっとDTV名前変わっちゃいましたけれども、そういったD何々みたいなサービスの戦略部隊に身を移してですね、お仕事をしていたといった形になってます。
ありがとうございます。これもすごいすごいですね。後から多分いろいろ振り返ってくるんですけど、すごい綺麗なキャリアですね。僕もなんか友人が本社に以前いたことがあるので聞いたことあるんですけど、多くの方が視点から多分配属されるんですよね、きっと。
あ、そうですそうです。
僕も非常にそうだったのですごく。どうですか、いきなりご出身とかって別に和歌山とかってゆっかりがあるわけじゃなくていう感じ。
そうですね、私京都なので比較的関西エリアで良かったってなったんですけど、和歌山かってなると、大阪からでも1時間半ぐらい天王寺ってところからかかってですね、なんと大阪で飲み会があるよって言われたらですね、もう年給をかまさないと開始時間に間に合わないという。
つらいですよね、それ確かに。
つらかったですね、それだけは。
なるほどですね。まあそうですよね、その規模だとなかなかどこの社にいるか分からないっていうのは多分。
でもなんかこれも聞いてる人の参考になればいいですけど、その当時のどこも、今もそうかもしれない、もちろん大きい会社なんで、同期って何人ぐらいいらっしゃったか覚えてます?
同期はですね、だいたい500前後だったと思いますね。
500前後の中で技術職と営業職とで分かれて、半分半分みたいな形だったと記憶してます。
ちょっとグループ会社もどこも何々みたいな方々もいらっしゃったような気がしますけれども、それぐらいの規模でしたね。
ありがとうございます。
スタートアップで言うと立派な組織で人数だったり、ミドルぐらいの規模ですよね、それだと。
そうですね、内定式とか迫力ありましたし、こんなにもいるんだっていうのと、やはり周りみんな優秀だなっていうふうに思った記憶がありますね。
いいですね。
この先のキャリアも意外と気になるんですけど、
なきさんの方が2011年から社会的にスタートして、その他社会的なキャリアが今12年とか13年ぐらい進んでる。
同期の人って今どのぐらい残ってるんですか?
確かに。
素晴らしい質問ですよね。
比較的会社さんによって分かれると思うんですけど、ドコモは比較的技術職と営業職とで分けたときに技術職はあまりそこまで辞められるっていう方っていらっしゃらないようなイメージを持ってます。
営業に関しては今残ってるので半分ぐらいかなっていうところで、これも比較的我々の世代は残ってる世代だなというふうに思ってますので、残っているかなっていうところなんですけど、
今日まさにお話のこのきっかけインタビューだと思うんですけど、今ちょうど我々の年齢世代の方が転職をした側の人気ですね。
ヒアリングがたくさん入る。
なるほど。
みんな気になる。
気になって気になって、連絡をたくさんいただいてる状況ですね。
これがもうちょっと前の時代だったらまた違ったというか、もちろんそれでも動き出す人はいたと思うんですけど、
ここから5年後だったらまた増えている可能性も高いのかなと思ったりするので、一歩踏み出した人に話を聞きたいというのはめちゃくちゃ分かるなという感じがします。
ありがとうございます。
後半のぜひ今やってる話を聞いていきたいので、そうするとどこにいますかね。
死者に行って関西支店に行って本店にいたという話聞いたんですけど、本店ちょっと伺えると先ほどの戦略部門ですよね。
D00みたいな多分いろんなプラットフォームさんやってると思うんですけど、これは結構キャリアが少し変わったなって聞いて思ったんですけど、
移動とかどういう推移でそういう部署に移動になったんですか。
ありがとうございます。ちょっとそこは移動する前に一つ、お仕事の延長線上で日本マーケティング協会っていう協会、今もあるんですけれども、
そこの関西の支局か支部か、すみませんちょっと忘れましたけど、そちらに1年間関西支店にお世話になりましたと。
これは一応ドコモのほうから年で1人抽出いただいて、そこにお仕事の代わりで毎週水曜日に行くみたいなプログラムなんですよね。
そこでそれこそテンツー様、箱野様であるとかサントリー様とか、いろんなすごくマーケターの方々、ブランドを持っていらっしゃる方々とお会いしまして、
1年間最後は卒論まで書いてっていうふうな生活をしまして、そこでマーケティングとはなんと楽しいんだと、なんとはなんて奥が深いんだということを本当に体感できまして、
そこで本来は私のキャリア的には代理店営業から、本社の販売部みたいなところに行くのが普通だったんですけれども、
そこじゃなくて新たなマーケティングとか、新たな領域にチャレンジしたいっていうところでかなり無理を言って、スマートライフ領域に行ったっていう形ですね。
めっちゃ良いですね、これ。
いいですね、これでもなかなか誰もが経験できることじゃないですよね、きっと引いてると。
そうですね、ありがたいことにお声掛けいただいて、結構ハッとしたのがですね、ドコモショップ様の対応をしているところっていうのは、
お客様が自然とお越しになられるっていうところに対してっていうところだったので、あまりマーケティングっていうよりもおもてなしの感覚のほうが強かった。
ただやはり知っていただくとかっていうブランド力がないとかっていうときに、やはりどういうふうにそれを知ってもらうとか、
あとは空気を作る、いわゆるそのときはハイボールとかのブームがあったし、
そのハイボールのブームっていうのをどう広報を含めて空気感を作って入らせていくかみたいなことをですね、
力説されたときに、なんと顧客志向でいかないといけないんだっていうことに気づきまして、
全くそこの観点がもう減らしてはなかったかもしれないですね。
もちろんお客様のためにっていうのはあったんですけども、顧客視点での設計っていうところが比較的足りてないなということにすごく気づいたので、
そこからかなり思想とか頭を変えてチャレンジできるところっていうのに手を挙げた形ですね。
大企業にいてもちろんすごい恵まれてリーディングカンパニーというかトップやってることを学べるっていう側面もあるんですけど、
どこもカンパニーがなくてやってるのとやってないのと全然違うなっていうのがひいてみればそうなんですけど、