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アマチュア野球の世界では、今、高校野球の周期大会と、大学野球のリーグ戦ですね、周期のリーグ戦が過境を迎えているかも、実際ほぼほぼ終わったかなという感じになりましたかね。
最後までやってた東京都、高校に関してはですね、東京都の東大合わせてね、秋は行われる東京都大会がですね、
決勝戦が行われまして、2奨学者代付属高校がですね、早稲田実業にさよならスクイーズでね、勝利して優勝するということで終わりました。
で、大学も本日ね、総計戦、今週ね、同日、まあケリがつかなければ月まで行くんですけども、総計戦ですね、東京六大学リーグが、まあこれ他の大学リーグはほぼもう全部決まって、優勝が決まってもリーグ戦としては閉幕という形になっているんですが、
総計戦がこの最後の試合になるのかなという感じでございます。
で、この終わった後にですね、11月20日から、まあこれ毎年開催されている秋の全国大会という位置付けになりますが、明治神宮大会というね、明治神宮球場で行われる、
まあこれもだいぶね、歴史が重なってきたなという大会が行われるという感じですね。
あと、社会人野球ですね、本日、日本選手権の決勝戦が行われますね。
社会人野球の日本選手権に関しては都市大公はね、いわゆるその所属している、会社の所属している都市を代表するという形で、地域を代表するという形で行われるんですが、
これも社会で日本選手権に関してはもう単体の企業チームあるいはクラブチームという形での参加ということになりますので、
これはまた純粋にチームとしてのね、単体のチームで参加する大会としては一番最大のものになりますので、
これもね楽しみというか、もう距離がつきますけれども、この辺がね、秋の王者がほぼほぼ回って揃うかなという感じになっております。
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神宮大会の話ですが、これは11月20日から6日間にわたって行われるんですが、
昔はね、お祭り感が結構あったんですよね。
というのは明治神宮第2球場、今はもう取り壊されてしまったんですけども、第1球場と第2球場のチケットを買うと、
県の左サイドと右サイドに第1球場用の判件と、左サイドに第2球場用の判件があってですね、
行き来できる、まああれは繰り返しできるのかな、繰り返しはやっとしたらできなかったかもしれないですね。
両方ちぎるだけみたいな感じで、1回ずつ行けるみたいな感じだったと思うんですけども、
そういうのがあってですね、第1球場でも第2球場でも同時に開催されているなんていうことがね、ちょっとね、フェス感あるじゃないですか。
そういう楽しみはあったんですよね。
第1球場がどちらかというと高校生の、高校生がだいたい昼間、今もそうですけども朝から朝1から午後の試合ぐらいまでやって、
午後の第3試合ぐらいからあとナイトゲームで大学生もやると、大学生の試合もやるという展開になっていて、
ちょっとね、やっぱり高校野球の方が人気があるんですよね。
高校野球に関しては各地区大会で優勝した1チームだけが参加するので、これ10校の争いになるわけなんですけども、大学もそうですね。
大学はもっとたくさんの各連盟リーグがあるんですけども、地区に分けて場所、ところによっては決定戦を行ってですね、
それが関東に関しては例えば横浜市長会であったりですね。
もう終わったよね、今日までかな。このアレティって僕行きたいなと思ってたけど今年も行けなかったみたいな感じになってるんですけど、
そういうところで争われる、とにかく10チームごとで争われるんですね、高校も大学も。
第2球場の方が狭くてアレなんですけど、あっちで見るのは結構楽しみだった時期があってですね、
いまだに何か思い出すのが、東和大というですね、中国地区の代表として、
一時期、ものすごくしょっちゅう全国大会、大学選手権もそうですしジングル大会にも出てたんですよね。
足の速い選手を育てるのが実はうまくて、監督さんと監督さんの奥さんがですね、
陸上の指導者でもあったりしてですね、早くからですね、
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神経系を鍛えるっていうんですかね、下り坂を走らせだったりゴムチューブを使って、
速く走る、体に擦り合わせるというかね、そういうようなことをやったりして、
瞬速の選手をたくさん作るという感じの攻撃的なチーム、足を絡めた攻撃的なチームスタイルというのが当時結構多かったんですが、
その時に竹林投手というですね、右のピッチャーで120キロ台、125キロくらいのストレートを投げるピッチャーがいたんですが、
この投手が不思議な投手で、急速が遅いんですけどみんな打てないっていうね、ピッチャーだったんですよね。
その第2球場の思い出として、東和大とですね、中央大学が対戦したんですよね、その第1回戦というか、初戦という形で、
その時の4番、3番だったかもしれないですけど、とにかく最上級学年で中心選手だったのが、元ジャイアンツの選手だった、
亀井由悠季選手なんですよね。亀井選手はもうこの時すでにドラフト4年生だったのかな?3年生だったのかな?
ちょっとすいません、いきなりこれ成り行きで始めた話なんで、ちゃんと調べてないんですけど、確か4年生だったと思うんですけど、
もう注目されている、ものすごい超注目選手みたいな感じだったんですけど、その竹林選手の126、7キロくらいのストレートをですね、
亀井選手がものすごく手を焼いて、顔の高さくらいのクソボールをですね、最後はね、それもストレートなんですけど、
空振り三振するというシーンがあって、すごく覚えてますね。なんかね、それが強烈なインパクトがあったんですよね。
で、竹林投手っていうのは、違う年だったかもしれないですけど、早稲田大学の、いわゆる今年卒業した青木選手の台ですね。台だったと思うんだよな、鳥谷選手もいたかもしれない。
あと竹内選手ですね、その下の学年でですね、今広島の多色高校やってるはずのヒンガー選手なんかも行ったはずで、ヒンガー選手のバットとかをですね、へじ折ったことがあった記憶、すいません、ちょっとこれかなりうろ覚えで言ってますけど、
その鳥谷和瀬田の選手をですね、もうギリギリ前させた、その126、7キロの速球とスライダーくらいしかないんですけど、あとチェンジアップかな、あったかもしれないですけど、
ギリギリ前させたっていうのがあってですね、それはね、第一球場のことだったんですけども、まあでもその第二球場とか神宮大会というふうにね、思うとですね、第二球場で竹林が、あれそんなにたくさんの数見てないんですよね、観客が、なのであれはなんか貴重なシーンを直接目撃したなあなんていうふうにね、思い出されるわけです。
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まあこういうね、昔の話を思い出すっていうのは年取ってきた証拠なのかな、みたいな気がしますけどね、2000年代、2000年ゼロ年代ですからね、もう20年近く前にだんだんもうなりつつあるような時代だったと思いますので、
まああんまりね、過去のことばかり振り返ってもいけないんですけれども、まあそんな思い出話がありましたということでございます。はい、ということでいかがでしたでしょうかね、また次回聞いていただければと思います。それでは皆さんバイバイ!