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こんにちは、こんばんは、おはようございます。フリーランスで主に野球関係のライターをしてます。キビタキビオです。
この番組は毎回5分から10分ぐらいで、野球に関する取材のこぼれ話をお伝えしてですね、皆様と野球の楽しさを分かち合えたらなぁと思っております。
はい、えーと、10分になっちゃうんですよ、録音時間が。どう頑張っても。何なんですかね、これね。
5分でできればね、納めたいと思ってるんですけど、5分だったらね、なんか電車の中とかでもね、聞いてもらえるかなとか思うし。
これ余計な話をしてないといけないのかなと思うんですがね、なんか小ネタを話したくなっちゃう。
例えばね、この間のちょっとある某とこからの依頼で、野球の芝生に関することについてちょっとネタ出しをしてくだせませんかみたいなね、そういう依頼が来てですね。
どことはちょっとまだ言いませんよ。多分数ヶ月後ぐらいには分かると思いますけど。
まあまあ、細かいことは何も言いませんけど、こういうね、下調べみたいなことの依頼もあるわけですが、
そこで調べてる時に、ちょっと新聞の検索サイトみたいなね、ちょっとお金払ったりとかして見るようなものがあるんですけど、
余裕があればね、国会図書館とかに行くと、まあタダで調べられるんですけど、ちょっともうそっち行ってる時間もないというね、
明け方とかにね、必死にやってるみたいな感じだったので、もうやむなく有料サイトを使って見たんですけども、
その時にですね、その野球の芝生ね、外野のそのことを調べてくれみたいな形で、検索ワードとして芝の状態っていう風に、
要するに選手がね、芝の状態をチェックしたりとか関係者とか、そのグラウンドキーパーの人とかが芝の状態をどうチェックするのかとか、そういうのをね調べたいと思って、
芝の状態っていう風にやってね、やってたら90年代ぐらいに何かいくつかバーっとこう出てきた広報が出てきて、
あ、これロッテとかね、パリーグのチームが出てきたんで、これかなと思ってバッとやったらですね、
それはなんとロッテ初芝の状態画みたいなね、初芝の状態画の初を取って、芝の状態画っていうところで検索ワードがヒットするというね、
まったくその、これね1個ヒットさせるだけで何十円とかかな、場合によっては何百円とかね取られちゃうので、
なんだこりゃお金無駄にしまったよみたいなね、そういう感じで、まあそう言いつつもですね、初芝の状態画なんて言ってるんだな、やっぱり90年代はなんてね、思ったりしてね、
まあまあどうしようもない、しょうもない話なんですけども、まあそんなことでね、明け方とかにこういうものが出るとね、
なんなんだよっていう風にまあ嘆く思いとですね、ちょっと笑っちゃうようなね、そういうことを最近体験しました、はい。
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そうですね話題としては、まあプロ野球の話題がどうしても多くなりますが、高橋コーナー投手、
今季ゼロ勝11敗で、どうやらまあの脇腹ですかね、のちょっと張りを訴えてですね、
今季の当番はもうない見込みという、まあそういうニュースがありました、ゼロ勝11敗ですね、
まあ残念と言えば残念ですけども、コーナーくん、はい、あのコーナーくんなんて言ってね、そんなに別に親しくもなんともないんですけど、
あの親しくもないんですけど、2014年に、まあ前にもねちょっとお話ししたかもしれないですけど、
高校侍ジャパン、高校日本代表がアジア選手権に出場するのでですね、甲子園終わった後にですね、
招集されて、タイで国際試合に挑んだ時にですね、高橋コーナー投手、エース格というか、実際エースでしたね、
当時のその高橋監督、代表監督はですね、まあの早稲田大学の監督とかね、ナルト工業、ナルト渦潮高校の監督で、
札崎さんのね、恩師でもある監督さんですけども、やっぱり同世代っていうか同じ学年の安楽投手をね、安楽投手と高橋コーナー投手による
2トップ的なダブルエース的な構想があったようですが、まあ残念ながら安楽投手は当時はね、投げ過ぎというか状態が悪くてですね、
事態という、事態を表立って事態としたのかな、ちょっとわかんないですけどね、ちょっと忘れちゃいましたけど、報道されたのがどうだったかなとありますけど、
まあでも口にしてましたんで高橋監督が、安楽、なんか事件があったんだっけ、ちょっと忘れちゃったけど、
すいませんそういうのあんまり裏取らないで今言っちゃってるんでね、興味のある人はちょっと調べてもらえればと思うんですが、
そういうことがあって、高橋投手がエースだったということで、その時にですね、何回かグラウンドで自由に取材していいですよという時とかにですね、お話はしたんですよ。
ロッテに入った県大高崎出身の脇本選手ね、残念ながらほとんど一軍に、一回もかな出場することもなく戦力外になってしまって、
球界を去ってしまった選手がいるんですけど、彼と同じ群馬県の出身で割とご近所だったみたいな話でちょっと盛り上がってですね、そういう話をしたんですけど、
その数年後にですね、西武球場の、西武の第二球場かなの近くの室内か、室内練習場でお会いした時に、あの時にちょっと会いましたよねみたいなことを言ったらですね、全然ピンときてないみたいな、はぁーみたいな感じでですね、
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よくあることです。そういうプロ野球の選手というのはですね、取材を受けた有名な選手だとか、注目されている選手ほど取材を受ける回数が山のようにあるし、もう1日にですね、15分単位とかで区切られて、まあ本当に練習試合前にですね、そうだな、
もう本当4つも5つもね、取材を受けたりとか、オフの時にはあんまり取材ってないですけど、でもまとめてね、あのキャンプ中とかだと本当もうものすごい数取材を受けたりとかして、はい次の人、はい次の人、はい次の人って感じなんで、覚えてるわけやないとは思いつつもですね、全く覚えてねえんだなっていう感じだったんですけど、
その時にですね、今年お亡くなりになったんですけれども、清川英二さんですね、西部で、我々の世代で言うとね、広島カープであったり、その後金鉄バファローズにも移籍してですね、左のサイドスローでですね、ご活躍したリリフトバンオンリーでですね、ものすごく鉄腕のように、
まあ鉄腕って言ってもワンポイントとかね、のが多かったですけども、投げまくった清川さんがですね、9次元に僕はご一緒させていただいた縁でですね、西部のキャンプの時に、当時巡回コーチだったかな、名義としては清川さんが、でなっていて、別の選手でね、まあ僕はもう今は西部にいない、某キャッチャーの選手の、
取材、強弾のキャッチャーのね、選手の取材があって、訪れた時に清川さんに、偶然ね、お会いして、あー久しぶりだね、みたいな感じでね、清川さん本当にね、気さくな方で、まあ誰に対してもそうなんですけれども、すごく明るくお話しされる人で、年賀状とかをですね、こっちが出されてないのに、
どうもね、皆さんそうらしいんですよ、年賀状清川さんからもらってるってすごい、あのー、豆っていうかでね、あのー、出していただいてる方で、その時偶然お会いした時もですね、清川さんの方からね、あー元気ですか?みたいな感じで声かけてくださったんです。で、その清川さんがいらっしゃってる時に、コーナ君が清川さんに、確かそれ実習トレか、実習トレの時だったかな、なんかこう、
ご挨拶に来てですね、それで、あのー、今、俺取材に来てんだよ、この人が、っていう風に言った時に、あー、あのー、アジア選手権の時に会ったよね、っていう話したら、結構盛り上がったよね、あの時みたいな話をしたら、えーっと、でしたっけ?みたいな感じで、まあその、でしたっけ?みたいな感じで言っちゃうとこが、高橋投手らしいんですけども、すごくね、あのー、
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なんだろう、ボクトスというかですね、本当にあのー、田舎の良い子みたいなね、感じなんですよね。それで、清川さんがですね、お前そんなこと言ってたら90に出してもらえねえぞ!みたいな話になって、まあまあまあ、っていう感じで、あのー、まあもう行け!みたいな話になって、あのー、選びます!みたいな感じでね。
確かね、高橋この年、新婚になったばっかりで、結構みなさんからね、祝福されるモードみたいになってですね、もう早々に次の方のところに挨拶に行って、みたいな感じでした。はい、そんな思い出があってですね、あのー、まあ他にもね、いろんな間接的にね、彼とよくしている人とかもいるので、まあいろんな話を耳にしてですね、
頑張ってほしいなというふうに思っています。はい、なので今回、今年ね、本当屈辱的だったと思うんですけれども、なんとかね、来年再起して、まあ元々はね、メジャーに行きたいと、まあね、いろいろ希望があるようでしたので、
なんとかね、それを成就できるようにね、これからもね、応援していきたいななんて思いました。はい、まあ残念でしたけどね、今年に関しては。はい、復活を期待していますということです。はい、ということで、また、えー、まあ今回はね、これでこの話でということで、また次回ね、お会いできればと思います。それではー、バイバイ!
いやー、やっぱり10分になっちゃったなぁ。