球辞苑の紹介と守備固めの重要性
先週の日曜日に、球辞苑の守備固めの会でオンエアされました。
はい、皆様いかがだったでしょうかね。
キビタも出演させていただきましたけれども、
今回ね、今年のオフの会はですね、
柴とか雨とか雨天とかですね、
僕出ない会のピッチャーの打撃とか、
どっちかというとね、本筋というか、
球辞苑ってもともと本筋じゃないところをね、
重箱の隅に突くようなテーマが多いんですけど、
それにしても相当外れてるだろうっていう感じのテーマが多かったんですけども、
守備固めに関してはね、
まあ、真っ当な野球の話題ということで、
結構ね、やっぱりやりがいがある会でしたね。
飯山裕司選手の業績と技術
これはもう本当偶然というか、
数字を追っていけばね、出て導き出されるはずではあろうとは思いましたけども、
2000年代ですね、特にね、
その守備固めという回数、試合出場数ということでね、
一番多かったのが日本ハムの飯山裕司さんということでですね、
今ね、今年から来年からか、
中日の総合守備コーチになる予定になっておりまして、
それまでずっと日本ハム一筋で、
その前の前の日ぐらい、前の年ぐらいかな、
コーチをやられてましたけれども、
現役時代ですね、
私がTwitterの方にちょっとあげましたけれども、
野球小僧、編集部員時代だった時ですけれども、
編集部員をしながら、
キビタ・キビオ・ソーノのストップウォッチャーとしてね、
ずっと原稿も書いてたんですけども、
その時にね、飯山選手の逆シングルで取ってから、
セカンドにフォースプレーを取る、
ショートの時ですね、
その時のスピードがですね、
非常に切り返しが、基本ほぼほぼノールックで投げるという感じで、
ものすごく素早い早球を見せていたことに気づいてですね、
その野球小僧の企画で、
執筆人のライターが見た、これぞプロみたいなね、
そういう技みたいなことについて、
1ページ原稿を書いてくださいみたいなもので、
20個ぐらい出たのかな?
20個か30個ぐらいワーッと並べたというね、
読書企画があった時にですね、
2009年の12月とかぐらいだったと思うんですけども、
僕2つエントリーしてます。
1つはね、福浦選手ね、ロッテの福浦選手のショートバウンドの処理がね、
すごく上手いっていう話ですね。
グラブをね、変な風に動かしたりとか、
突拍子もない自由度の高い取り方をするんじゃなくて、
福浦選手っていうのは、
ショートバウンドの弾んだ先、
ショートバウンドの弾むところにミッドを伏せるような形、
そのライン上にミッドを置いて取る、
その姿勢がね、結構美しくてかっこいいっていうのが1つとね、
もう1つがその飯山選手の、
ショートを守っている時の3優感の逆シングルからの6-4ですね、
スコアブック上で6-4フォースアウト、
あるいはね、6-4-3に繋がっていくわけですけども、
そのプレーが素早いみたいなね、
そういう話とですね、2つ原稿をその時に書きまして、
原稿を書くというか、自分でね、
これを提案するわけですね。
提案して、それが採用されて原稿を書いたということですね。
飯山選手は、
ヒルマン監督体制の時は実は、
サードの守備固めが多くて、
結局ファーストに外人選手が入ってたのかな、当時は。
で、ちょっとすいません。
そこは申し訳ない記憶が定かではなくて、
確認をしてませんけども。
サードにはですね、よく小屋の選手ですね、
小屋の英一選手が入っているんですけども、
試合終盤になると、
飯山選手がサードに入って、
サードの小屋の選手はファーストに回るとかね、
そういう守備体系もあったし、
あの当時はショートがね、
金子誠選手だったんですけども、
結構ね、シーズン終盤になって、
飯山選手のスタンメン企業なんかもね、
当時は結構増えたりして、
飯山選手、守備固めの時に打ってたかというと、
それはまた別なんですけど、
割と各年で打率がまあまあいい時があると。
年によっては3割、
もちろん既定打席には到達はしないんですが、
打率3割以上シーズンで記録したこともあったりしてですね、
何気に当時はただの守備固めじゃないというね、
飯山選手との感動の再会
そういう感じでございました。
守ろうと思えば当然セカンドも守れるし、
ガイアも守ってましたという形でしたし、
守備固めとしてね、
テレビ放送でも出ましたけども、
守備固めとしてはガイアも何試合か、
わずかですけど守ったことがあるということで、
非常に僕が待ち望んでたってわけじゃないですけど、
その飯山選手、本当ね、
当時どこまで評価されてたんだろうっていうのは、
もちろんあくまで評価してる人はいるにはいるんでしょうけれども、
少ない中で僕が自分が言ってた選手がですね、
それ2009年とかですからね、
まさか15年後とかね、
14年後、15年後にね、
自分がそういうテレビ番組の企画出しをして、
自分も出ていて、
そこにですね、
ご本人とお会いできるというね、
話っていうのはね、
それこそよもやよもやだですね。
15年前の自分にね、
教えてあげたいっていう気持ちですね。
15年後にね、
そういうことでね、
あるんだよみたいなね、
ちょっとね感動しましたね。
飯山選手の談話っていうか、
コメントとか言動っていうのは、
僕は谷口優弥選手ですね、
今の引退されて、
日本ハムの球団のね、
PR活動みたいなところの部署で、
球団の顔、
PRの顔になってね、
結構やってますけれども、
谷口キュンですね。
彼の本を出す時に、
僕は構成を担当しまして、
本を出すって決まった直後にですね、
結構大きな怪我を、
彼がしてしまった関係で、
結構ね、
長く時間がかかったんです。
3年越しぐらいになったのかな。
復帰するまでにもね、
えらい時間がかかったので、
結構ね、
最初はなんか、
なんか退場方針だった、
なんだっけな、
なんか退場方針じゃないんですけど、
なんかその、
単なる故障だはずだったのが、
ちょっと皮膚の方のなんか、
病気というか、
ちょっとそういう、
あれも併発したりとかして、
余計時間がかかったりしてですね、
あと前十字ですね、
痛めていたりということで、
手術もしたりとかって、
そういうのもあったりしてですね、
結局時間がかかってしまったので、
結構ね、
何回かに分けて、
シーズンオフにですね、
お話を伺ったんですね。
その時にね、
やっぱりその背番号4番、
あの飯山選手も晩年付けていた番号で、
谷内選手も最終的に、
背番号64番からかな、
4番に変わったということで、
そこで結構ね、
飯山さんとこう、
背番号4も今度引き継ぐことになりました、
みたいなね、
そういう会話をしたとかっていうのをですね、
いろいろ話ししてた時に、
やっぱり日本ファームのコーチをやってる人っていうのは、
川菜コーチにしてもですね、
まああと今、
楽天のね、
監督、
日本監督と監督行ったり来たりして、
三木はじめさんにしてもですね、
まあ当時はね、
結構ね、
熱血感っていうかね、
ファームの監督コーチっていうのは、
もともとそういう方の方が多くてですね、
まあ、
何て言うんだろう、
わーって言うね、
感じで、
わーって言う感じのね、
まあもちろん付き合いが非常に良いんですけど、
選手に対してね、
もうじっくり向き合ってっていうタイプですけども、
まあ結構ね、
あのー、
オラオラってわけじゃないんですけども、
まあ気持ちをね、
振り立たせるようなコーチが多くてですね、
まあその中でね、
飯山さんというのは、
まあ非常に物静かなんですよね、
でも物静かなんですけど、
身体の、
心の芯の中ではね、
めらめらこう、
燃えるものがあるみたいなね、
やっぱりタイプの方で、
はい、
あのー、
まあまあそういうところをね、
谷口さん、
谷口選手のまあ、
本の制作の時で、
谷口選手を経由してお話を聞いてた時にね、
感じておりましたが、
実際ね、
90円でお会いした時に、
何て言うんだろう、
それ以上の物静かさっていうか、
なんかやっぱ鹿児島の人っていう、
あのー、
感じですね、
西郷どんじゃないですけどね、
そういうあの感じをね、
すごく、
雰囲気が、
えー、
得られてですね、
なんかね、
やっぱり直にさ、
あのー、
そういうことを、
感じられて嬉しかったですね、
はい、
という、
はい、
の一面としてね、
ありました。
ちょっとこれもう時間になっちゃったんで、
えー、
今回はこれでおしまいにしたいと思いますが、
もう1回ぐらいね、
90円守備固め会の話したいかなという風に思いますので、
お楽しみにしていてください。
それでは今日はここまでといたします。
では、バイバイ。