1. 研エンの仲
  2. 116 - コロナ禍、どう乗り越え..
2024-05-04 36:54

116 - コロナ禍、どう乗り越えた?

忘れてしまう前に、2020年に起こったことを思い出してみよう。意外と語ったことのなかった、コロナ禍の2人の過ごし方。トイレットペーパー、リモートワーク、帰省や結婚式、(mRNA)ワクチン開発など、主に2人の主観的な体験を思い出しながら話しました。

サマリー

2020年のコロナ禍について話し合い、その時期の特異な状況や感染の爆発的広まり、ワクチンのスピード開発などを振り返ります。 コロナ禍では、人々は家族や友人との交流が制限され、なかなか会いに行くことができませんでした。この時期には、不安や懸念がありながらも、マスクや手洗いなどの予防対策が身についています。また、パンデミックを経験する中で、人々の意識や考え方も変わっています。 コロナ禍において世界中の人々の意識が感染症に向いた特殊な時期であり、多くの人々が新しい経験をしています。その経験を残しておきたいという思いもあります。

コロナウイルスの流行と社会の変化
Ryohei
Ryoheiです。
Ayaka
Ayakaです。
Ryohei
研エンの仲は、エンジニアのRyoheiと、研究者のAyakaが、その時々で好きなことを話すポッドキャストです。
はい、では今回の研エンの仲は、珍しくテーマがあります。
Ayaka
はい。
Ryohei
コロナウイルスについて話したいと思います。
Ayaka
おー。
今更。
今更感すごいね。
1024年ですけど。
確かに。
Ryohei
いや、もう4年、丸4年経つんだよね。
Ayaka
私たちが多分、その、ポッドキャストをやってる時期に、もろかぶりしてる、というか、私たちもファンデミックの最中に始めてるのかな、多分、ですよね。
Ryohei
結構、同じ時期に始めた、その個人のポッドキャスターさんは、勝手に同期ポッドキャスターだと思ってるんですけど、
同期の人もやっぱこうね、そういう理由が多かったですね、ちょっと暇になってとか、そういうコミュニケーションの手段が欲しくて、みたいな。
人もいるのかなと。
Ayaka
で、なんか、なので結構その、そういうことについて、ポッドキャストで語ってる人あんまりいなかったかもしれないですけど、
そのメディアは多分、新型コロナウイルスの話ばっかりだった時期だったんですよね。
だからこそ、あえて、多分個人のポッドキャストさんとかで、めっちゃその、新型コロナウイルスの話してる人たちって多分少なかったんじゃないかなと思うんですけど。
確かに。
Ryohei
僕らも結構その、時事ネタは避けがちっていうのもあって、
Ayaka
そうだね、そもそもこのネタに。
Ryohei
あえて自然になのか、話すことはあんまなかったんですけど、
なんかふと、いつかもうこの話忘れちゃうぞ、みたいな。
僕らの体験とか、どういう思いで、そのね、感染者のグラフを見ていたかとか、
なんか忘れちゃう前に、もしくは10年後の自分たちに向けて、
こんな時期もあったんだぞ、ということを残すという意味でも、ちょっと話したいなと思って、
Ayaka
そうですね、確かにね。
Ryohei
パッと話題に出したら、あやくさんも結構食いついてくれたので、コロナについて話そうと思います。
Ayaka
ね、もう、だって多分その、最初に2020年頃の記憶ですから、
なんか今思うとすごく特殊な時期だったけど、
もう今結構みんなそんな時期はなかった、みたいな感じになってるところもあるので。
Ryohei
そうだね、思ったよりやっぱ戻ったよね。
普通の生活に。
まあ今や結構マスクもつけないで歩くっていう人が多くなってきたけど、
まあ人によってはね、毎日まだつけてるよっていう人もいるし。
Ayaka
そうですね、人もいると思います。
なので別に完全に終わったわけではないのかもしれないというか、
まあ別に感染者の方はまだに出てはいるけれども、
ただやっぱり2020年頃のなんかいろいろあった、
例えばトイペなくなるとか、
Ryohei
トイレットペーパーが消えたんですよ。
Ayaka
マスク、
Ryohei
10年後の皆さん、信じられないかと思いますよ。
トイレットペーパーが不足するのではないかというデマが、
意味わかんないんだけど、
でももうみんな買ってるから買いに行くしかないんだよね、うちらも。
なくなると困るから。
Ayaka
ね、みんなでトイペを買い占め。
なんか物が、物資がないよね。
Ryohei
お米とかをしないようになってきたんだよね、確か。
Ayaka
買い占め感がちょっと。
Ryohei
当時のGoogleフォトと記録アーカイブをさかのぼると、
お米がスーパーの棚からなくなってるみたいな写真がありました。
それはね、確か一時的だったんだけど、
トイペは結構続いたよね。
Ayaka
確かにそうですね。
あとマスクも不足するとか言われたりしてましたね。
いやー、なんか今思うと、
あの時期はなんかすごかったですね、
2020年のちょうど今頃、4月とか、
それぐらいですよね、たぶん緊急事態宣言。
Ryohei
緊急事態宣言とかがちょうど4年前であってるかな。
Ayaka
そうだね。
が、たぶんこの4月って、
たぶんいろいろなんか入社式とか、
入学式が中止になったりとか、
そういう時期でしたよね、たぶん。
だった気がします、今を振り返ると。
でもなんか、あんなガラガラの電車が見れることってもうないのかなってくらい。
Ryohei
東京の電車が。
渋谷のスクランブル交差点とかも本当に人いなくて、
Ayaka
なんかすごい不気味だったの覚えてます。
Ryohei
そしてリモートワークですね。
Ayaka
リモートワークって可能だと思わなかったな、始まった当初。
その前はってことね。
そう。
Ryohei
確かに。
なんか理論上はさ、海外の人とも普通に働いてるわけでさ、
一オフィスの人とも全く会わずに仕事するって、
とは思うけど、いや無理でしょそんなって思ってたけど、
いざもう感染が広まってしまうと、オフィスに行くわけにもいかないから、
なんかもうなんとかやるしかないみたいな感じで、
Ayaka
だんだんみんな慣れてきたって感じだよね。
なんか結構友達で結婚式の予定してる人が延期したりとか、
そういうイベント系、ライブが中止になったりとか、
なんか今思うと結構すごかったですよね。
だし、なんかこれはいつ終わるんだろう。
まあなんかさ、たぶんちょうど4年前のこれぐらいの時期は一家的なものだとみんな思ってたと思うんですけど、
爆発的な感染の広がりとワクチンのスピード開発
Ayaka
それがなんか長引くにつれてデルタ株とか出てきて夏とかに。
で、それぐらいの時期って本当にこれいつ終わるんだろうっていう感覚にみんななってたかなと思いますね。
あとまあその実家に帰省するしないとかも、
その地方と東京での感覚の違いみたいなのかなりあったし、
Ryohei
東京から帰ってくるなっていう雰囲気もあったもんね。
Ayaka
そうそうそうそう、あったあったね。
Ryohei
実際ニュースでさ、何々県最初の感染者みたいなのはさ、
いちいちさ、地方のニュースの一面になってた時代あったじゃないですか。
たぶん4月ぐらいかな。
Ayaka
あれ怖かったですよね。
Ryohei
そうそう。
岡山県の第1、僕の故郷ですけど、第1号感染者はどこどこに勤めていたあの人らしいみたいな噂レベルで、
Ayaka
えー、怖すぎ。
Ryohei
回ってるって聞いたことはあって、いや怖すぎみたいな。
でも今となってはね、もう1人目とか別にね、その人が悪かったってことは全くないですけど、
みんなその気になるから探しちゃうっていう、ちょっとそういうのは感じましたね。
Ayaka
ねー、なんか結構社会全体の雰囲気としてギスギスしていて怖かったなーっていうのは思いますね。
なんかそういうこう、なんだろう、ずっと不安感みたいなのがあると同時に、
なんかワクチンが出てきた時の、そっからまさかそれで本当になんだろう、
今みたいな状況が戻ってくるとは思えなかったですよね。
いろいろ試したりしても、こんな劇的に状況が変わることがあるとは思わなかったですよね。
Ryohei
しかもそこに結構最新の、今までその方式作ったことないけど、これで作ってみますみたいな技術が、
そういうテクノロジーが使われるという、MRNAワクチンっていうやつですね。
もう今は結構よく聞くようになったけど。
Ayaka
もう今だと他の病気とか、ガンの治療、もともと多分ガンを目的として作られてたところがあったと思うんですけど、
そっち方向の応用も進んでるみたいですし、今ではそういうの意義がこれ以上なく理解されてるけど、
多分パンデミックの前とかは、そういうのあったらいいかもしれんけどって感じで、
ちゃんと投資とかはされてはいたんでしょうけど、
でもなかなかそのめちゃくちゃ日の目を見ていた技術ってわけではなかったんで、
その転換器とか、いろんな薬がこれが効くんじゃないか、あれが効くんじゃないかっていうのが現れては消えてた時期でもあったので、
そういう意味でもすごく特殊な時期だったなっていう感じがしますね。
Ryohei
全世界の研究者、疫学の人だったり薬を作ってる人だったりが、これも試せるんじゃないかみたいなとか、
いろんな視点から研究してて、それもそれですごい雰囲気だし、面白いかったですよね。
Ayaka
やっぱり世界的に重要なトピックだったこともあって、コロナウイルス関係の論文がめちゃくちゃ公開されるのも早いし、
まずみんなスピードも早いしみたいな感じで、いろんな研究成果が出て、
もちろん全部が全部その信頼に足るものだったわけでもなく、
だからそういう意味でもフェイクニュースみたいなのもたくさん出回ったりして、
いい面悪い面両方、スピードのいい面と悪い面両方出てたかなと思うんですけど、
なんかすごかったよね、あの感じっていうのもなかなかない経験というか。
Ryohei
コロナ以前では新しいウイルスが出てきたとして、従来の方式のワクチンは開発に3から5年ぐらいかかるっていうふうに言われてたらしいんですよね。
でも実際、ファイザーとモデルナが多分MRDNAのワクチンを最初に出した2社だと思うんですけど、
その2社は2020年の12月には接種開始していると。
で、第3相試験って言われる、治験の最終段階はもう7月に始めてたっていうことですよね。
2020年の7月。
すごいスピード。
Ayaka
今考えてもちょっと信じられないぐらいのスピードですよね。
でもそれぐらい人がなくなってたし、なんか結構見てましたもんね、国ごとの感染者数の推移みたいなのが、
Ryohei
ワールドコロナなんとかっていうのあったの覚えてます?
Ayaka
国別に。
そう、国別に死亡者とか重症者を含め、感染者数とかいろいろ載ってるやつがあって、
それとかを結構見てましたね、私。
それこそ私は今ニューヨークに住んでるんですけど、ニューヨークとかは本当になくなってて、人が。
だし、病院とかがもうあふれ返ってみたいな感じだったから、
なかなかね、今思い返すとすごかったなっていう。
日本の行動制限対策と国民性の影響
Ayaka
今むしろ人が、ニューヨークから人がいなくなって、今はかなり戻ってきてっていう状態みたいなんですけど、
私はその時期は日本にいましたけど、それでもなんかなんだろう、あの時期はああだったからみたいな、たまにその頃の話とか出てきて、
Ryohei
その頃にニューヨークにいた人の話。
Ayaka
そうそう、その頃にニューヨークにいた人の話とか聞くと、やっぱりなんかすごい壮絶だったみたいで。
Ryohei
結構爆発的に感染が広まったっていう感じらしくて、今調べてみたらニューヨーク州においては、
3月の16日ぐらいまでほぼゼロ人感染者数だったんだけど、
5月末までにもう40万人、35万人ぐらい感染してて、その2ヶ月だけで2万人以上、2万5千人ぐらい亡くなってるということだったんで、
Ayaka
ものすごい爆発的な広まり方でした。
そうですよね、すごい爆発的に広まってるし、その当時はまだワクチンとか治療薬とかもなかった時期なので、本当に亡くなってるんですよね、人がね。
だから今考えると本当になんかすごい時期だったなっていう感じがしますよね。
Ryohei
ちなみに2023年時点で日本での累計死者が6万人なので、ニューヨークだけでそんだけ死者が出てるっていうことなので、
結構その感染の爆発の度合いっていうのはすごい想像を絶するものだったっていうことですよね。
Ayaka
そうですね、確かに。
なんかそういう意味では日本はすごいなんだろう、行動制限は厳しくはあったものの、たぶん一番最初の爆発的な感染っていうのをワクチンが届く前の時期には比較的抑えられていた方だったので、
Ryohei
送らせることはできたっていう。
Ayaka
そうそう、送らせることはできて、それはなんか今振り返ってもすごい判断というかだったなっていう感じはします。
まあ国民性とかももちろんあるんだろうけどね。
いろいろ、今になって振り返ると専門家への誹謗中傷がひどかったっていうのもやっぱりあった時期じゃないですか。
すごく行動制限も結構あった、たぶん他の国と比べても厳しかったというか、みんな自主的にそういうことをやってるっていう節もあったし。
Ryohei
実は強制したことはほぼないんじゃないかな。
捕まりますみたいな意味ではなかった。
自粛願いみたいな。
自粛だったけど、それが社会的にはほぼ強制というか。
Ayaka
ピアプレッシャーだけでそこまでいけるのが逆にすごい国だなって思ったけど。
Ryohei
本当に日本人の国民性とかって言って、よく聞くワードではあるけど、一番実感した気がする。
Ayaka
ことかもね、確かにそうかもね。
お願いレベルのことがかなり強制になるっていうのは、それはそれで本当にすごい話というか、だよね。
学校もそれこそいろんな行事がなくなったりとか、
その時代にやっぱり学生生活を送ってたりとかすると、いろんな楽しみにしてた行事がなくなったりってこともいろいろあっただろうし、
飲食店やってる人からすると、いろんな自粛が辛くて、もう耐えられなくなって辞めちゃった人とかもたくさんいるから、
本当にやっぱりあの時期はすごかった。
なんかいろんな意味でね、なんかあったなっていう感じはしますよね。
Ryohei
そんな中で僕らがしたこと、どういう印象に残ってますか?過ごし方とか。
Ayaka
過ごし方、なんかまだその時は私たち一緒に住んでなかったんですよね、多分最初の頃は。
Ryohei
そうだね。
コロナ禍での交流制限と予防対策
Ayaka
で、たまにガラガラの電車に乗って、お互いに会いに行ったりとかしてた時期があって、
で、結構それは怖かったですよね、まず街に全然人がいないし、なんか大丈夫かこれみたいな感じだったし、お互い感染してたらどうしようみたいなのもあって、
で、私はなんかあれかな、その時は博士の学生だったんですけど、研究してて、
で、日によってとか時間帯を変えて研究室にこうやって人がたくさんいる状態を避けようと。
Ryohei
シフト制みたいな感じ。
Ayaka
そうそうそうそう。で、研究室についてもずっと私は顕微鏡室にいて人と会わないようにするみたいな感じだったり、
あとまああらゆる場所を消毒してたね、今振り返るとさ。
Ryohei
顕微鏡とか共有で使うから、そういうところをいちいち全部消毒してから、
Ayaka
手を触れるところを。
そうそうそう、手を触れるところをめちゃくちゃ消毒してて、
今振り返るとほんとすごかったね。
仕事はそんな感じで、プライベートだとリモートはzoomのみとか、
友達となんか会えなくなったりした分、
Ryohei
そうだね。
Ayaka
喋ったりとかはしてたね、あの時期めっちゃzoomのみ流行らなかった。
Ryohei
そうだね、流行ってた。zoomのみ、懐かしいな。
なんか、でも意外とそれきっかけで海外に住んでたりとか、子育て中だったりとか、
普通の飲み会には来れない人とも話すことができて、
その当時すごく、友達と電話するっていうのすごい新鮮だったんだよね。
Ayaka
確かにね、確かにね。
Ryohei
でも、今は結構なんか普通というか、
めちゃ親しくないと、それまで電話とかで声を聞きながらってなくなかったですよ。
Ayaka
確かにね、なんか飲みはする友達でも、会うならわかるけど、電話するってよっぽど、
Ryohei
電話するってよっぽどだったよね。
それはすごい新鮮だったの。
Ayaka
確かに確かに、そうかもそうかも。
私も結構地元の友達とかとはzoomのみでとかは結構ありましたね。
今までってやっぱ近くにいる友達と飲んだりとかはあるけど、
でもやっぱ気軽に飲みに行ったりとかが本当に全くなくなった時期だったから、
その時期にちょうど、みんなでzoom飲みとかしてたの懐かしいですね。
懐かしい。
でもなんかその飲み会の仕事とかが、電車の人でそれなりに戻っても、
なんとなくその飲み会は自粛するみたいな、結構長かった気がする。
Ryohei
長かったね、確かに。
Ayaka
結構長かった。
Ryohei
今は気にしないけど。
確かにね、でもなんかこう、やっぱ見方変わったよね。
換気とかは気にするようになった。
Ayaka
確かに確かに。
Ryohei
今でも、例えばコロナ前のテレビ番組とか見てて、
インタビューとかで咳の声が聞こえてくると、ちょっとギョッとするというか、
Ayaka
なんかちょっと敏感になっているところ、みんなちょっとずつあるんじゃないかな。
確かに、あるあるある。
いや、私もなんか今までは全然、昔より全然手を消毒するようになりましたね、やっぱり。
そうだね、それはジェネラルでやっていいことだと思う。
なんかもう残っちゃってるかもしれない。
私たぶんこれ、自分の移動量の割には、気づいてないだけかもしれないんですけど、
ニューヨークで人に言うとすごいびっくりされるのは、私まだコロナに感染してないんですよ。
いや、それすごいよね。
で、なんかずっと全然人と会ってなかったりとかしたら、まだわかると思うんですけど、職業的にね。
でもかなり移動してるし、国もまたいでるし、人とも会って、結構いろいろしてる割にはまだ感染していなくて、
それを友達に言うと、そんなやついるんだみたいな。
Ryohei
特にアメリカでは珍しいかも。
Ayaka
アメリカでは多分すごい珍しくて、みんなかかってるからね。
そうですね、なんか2回3回かかって当たり前みたいな感じかもしれない。
特になんか、やっぱ学会とかが復活し始めの時とかは、みんな学会、久しぶりの学会みたいな、
オンラインだったから学会も全部。
で、久しぶりの学会楽しかった。3日後ポジティブでした。
私と喋った人はみんな気をつけて、みたいなのをツイッターでわーって言ってた時期で、
それは本当にまだ、なんだろう、私がアメリカに来る1年弱前に来たんですけど、
その数ヶ月前ぐらいまではまだそういう感じ。
初めてインパーソンで学会に来ましたみたいな感じで、
ポジティブでしたっていうのをまだやってた時期だったと思う。
Ryohei
いや、懐かしい。そういう時期もありましたね。
みんな人が動き始めて、今までなお逃れていた人がかかるみたいな。
それもちょっと一瞬したのかな、さすがに。
Ayaka
そうだね。まだそういう時期が、たぶん2年、1年半前ぐらいまではあって、
最近だとすごいあんまり聞かなくなりましたね、本当に。
別に今も感染している人とかはいると思うんで、なくなったわけじゃないから、
気をつけることに越したことはないし、私もいまだに電車でだけつけてるんですけど、
地下鉄でだけマスクつけたりはしてて。
家族との会いづらさと結婚式の日程変更
Ayaka
さすがになんか珍しくなってきたけど、別にゼロじゃないですね。
見かけます。他にもつけてる人全然いるから。
別になんか1回習慣としてなったものを続けてる人は全然いて、私もだから。
Ryohei
他だと結構見るのは、ちゃんとN95みたいなしっかりしたマスク。
Ayaka
あーそうですね。
してる人はしてる。
すごいしっかりした。
Ryohei
ですよね。
Ayaka
そうですね。
これは結構面白い。
あと手洗いうがい。
そうだね。
手指のアルコール消毒とかは結局習慣として残ってそのまま続けてて、
風邪ひく頻度はやっぱり減ったんですよね。
減ったかもね、確かに。
Ryohei
普通の風邪ってひかなくなったな、コロナから。
Ayaka
だからそういう意味ではなんかちょっと血癖症すぎる時期っていうのはあったけど、
自分にそれぞれ多分あった血癖度合いで、それを継続してる人もいるのかなっていう感じはしますよね。
でもなんか私結構2020年というかコロナ禍の記憶として、自分の中でやっぱ残っているのは、
やっぱ家族と会えないっていうのはありましたね。
おじいちゃんおばあちゃんと会えない時期とか、家族とのどうするかみたいなんで、
りょうさんとちょうど顔合わせをしたり、結婚式を企画してた時期でもあったから、
Ryohei
私たちは多分一番大変だった2020年の次の年から2021年に結婚式してます。
Ayaka
でもその時期はある程度もう一回みんな2020年に延期した人が大体やり始める時期でもあったし、
私たちはもともと2020年にやる予定ではなかったから、最初に企画した時期通りにできはしたんですけど、
Ryohei
結局予約は変えずに済んだのはかなりラッキーだったかもしれない。
もともとだから顔合わせとかは2020年の3月だから、2月か。
2月18日だったんです。
Ayaka
ちょうど多分行動制限とか始まる直前ですよね。
3月ぐらいから始まって。
そっから多分ね、何週間か遅かったらもう顔合わせもズームでやるみたいな。
ズームになってたね多分。
Ryohei
おそらく、はい。
Ayaka
その時はまだダイヤモンドプリンセス号の話もまだないくらいかな、それぐらいの時期だったかな。
Ryohei
もうあったような気もするけど。
あったか、そっかそっか。
Ayaka
まだだから国内の感染者はまだほぼいないみたいな時期だったかな。
まあでも多分1例2例みたいな感じで増えてきている時期ではあって、今思えば全然感染する可能性はまだめちゃめちゃ低かった時期だけど、
でも当時もちょっと怖かったですよね。
もう一応気をつけなきゃみたいな感じで気にしてはいて、
まあでも本当にいろいろストップする本当に直前に両機顔合わせみたいなのをやってっていう感じだった。
結構その家族関係はやっぱりね、特に地方にいる両親とかおじいちゃんおばあちゃんってなるとやっぱりなかなか会いづらかったりとかして、
なんか難しい時期だったなって今振り返っても思いますね。
あとおじいちゃんが私はそのパンデミックの時期に2人とも亡くなってて、別に新型コロナウイルスに感染してとかでは全然なくてっていう感じなんですけど、
まあでもそのなかなか会いに行きづらいっていう感じの時期でもありましたね。
まあおじいちゃんのうち1人は会えずに、多分そのコロナになってから会えずに亡くなっちゃって、
施設にいて、施設ってなかなかその入りづらい時期だったじゃないですか。
Ryohei
面会とかなかなか厳しかったですよね。
パンデミックの終息と感じ方の違い
Ryohei
今となってはですけどそれも結構続いてたよね。
Ayaka
その感染者数が減ってからも。
で、もう1人の方は会いに行ったんですけど窓越しに会いましたよね。
りょうさんも一緒に来てくれて。
Ryohei
実感に同居されてるおじいちゃんと電話で通話しながら窓越しに手を振ったり、写真を撮ったりしたのを覚えてます。
Ayaka
まあでも声は聞ける状態ではあったから、なんかすごかったよね、窓越しに会いに行くっていうのも。
今考えるとなんかあれだけど、私たちは庭から先には入らないみたいな、実家に帰るけど庭から先には入らないみたいなことしてたよね。
みたいな感じで結構ね、いろいろあったなーって今振り返ると思いますね。
でもなんかその時期に、感染を抑えるっていう意味でも日本にいてよかったなと思うし、
おじいちゃんたちと一応近くにいて、ちゃんと葬式とか出れたりとかもしたから、そういう意味でもその時期は日本にいて本当によかったなって思う時期で。
Ryohei
不安がまた違うでしょ。
Ayaka
そうそうそう。その時海外にいたらまた全然違っただろうなっていう感じでは思いますね。
Ryohei
確かに。せっかく海外にいるのに、その同僚とZoomで会話して。
Ayaka
そうそうそうそう。あんまり人に会わないように。
感染度合いもすごいし、マスクしない人めっちゃいるし。
確かに。そうだね。
Ryohei
いやーマスクとか手洗いとかいう概念が意外と国際的には一般的じゃないっていうことも結構ショックというか衝撃だったね。
Ayaka
ね、確かにね。
Ryohei
それでもいじれもマスクしたくないっていう人もいたような気もするしね、国際的には。
Ayaka
別にね、日本にもそういう方はいますしね。
だしその病気とか他のいろんな理由で、別にしたくないからっていうだけじゃなくて、できないからマスクしないって人もいるわけなんで。
それを一概に責められるわけじゃないけど、
まあでもなんかその辺の文化的な違いみたいなのもあったから、あの時期は本当になんだろう、私は海外で博士してたらマジ辛かっただろうなって思いながら日本で博士しててよかったなっては思いましたね、結果的にはね。
まあなんかそんなことになるなんて全然思ってなかったわけだけど。
だしなんか結構やっぱあの時期に結構みんな打ち向きになった、考え方が打ち向きになったところはあるかなっていう感じはしました。
私自身もそうだったし博士取った後、今結局海外来てますけど、そう来るつもりはあまりなかったですね、その時期は。
ちょっとあんまもう外出ることを考えづらかった。
なんかメリットをデメリットが上回っている感じがした時期でもあったかもしれないですね、そう当時は。
今ではもうすっかりみんな国際的に移動してますし、旅行もね、いろんなとこ行けるようになって。
でも当時は全然そんな感じがしなかったからな、なんか今振り返るとすごいですね、なんか。
Ryohei
なんか意外に3年ぐらいっていうのは、1年で終わるか、もう一生続いていくみたいな感じかと思ってたから、
なんかこういう落ち着き方を、しかもちょっとぬるっと終わったっていうか、
ぬるっとだったね。
結構あっけなかったよね、なんか。
誰かが何かを宣言するってよりは、こうスッと、え、これもう大丈夫な感じだよね、みたいな感じで。
Ayaka
意識的にはね。
Ryohei
終わっていったような体験でもあった気がする。
Ayaka
ね、確かに。
なんかでも私アメリカに来て思うのは、でも結構な人が家族とかをなくしてるわけなので、パンデミックで、
特に初期の方とかは、なんかなんだろう、その人たちにとって逆になんかこのぬるっと終わった感じってどう感じられるんだろうなって思ったりはしますね。
私自身があまりその身の回りで直近でその亡くなった方がいるっていう方は知らないし、
まあ直接そういう人の話を聞いたりって機会があんまりなかったんですけど、
でもなんかね、それこそツイッターとかで見たりはしましたけどね、いろいろニュースとか見て、
でもやっぱりなんかその、あ、こんなぬるっと終わるならあれは何だったんだろうみたいな感覚っていうか、
なのかなーっていうよくわかんないですけど、思ったりはしますよね。
まあまあそんな感じで、なんか10年後とかにやっぱりこう、記憶が薄れる前になんか喋っときたかったなっていうのはあったんで、
なんかちょうどいいタイミングだったかもしれないです。
コロナ禍の特殊な時期
Ryohei
久しぶりに思い出しました、ダイヤモンドプリンセスコーのこと。
Ayaka
ね。
懐かしい日々だ。
確かにね。いや懐かしいよね、本当にね。
なんかCDCがどうのみたいな話とかもめっちゃあったし。
Ryohei
あーあったね、レッドゾーン、グリーンゾーンみたいな。
あ、そうそうそうそう。
薬学の人が、あ、え、疫学か、疫学かな?
Ayaka
で、なんか感染症のモデルを、なんか感染症の専門家じゃない人もめっちゃ研究してた時期とかもあったし、
Ryohei
あーそうだね、確かに確かに。
Ayaka
めっちゃ思い出すよ。
私自身も、なんかやっぱ新計画の研究をしてたし、それがメインだと思ったけど、
やっぱ急に感染症のことを私も色々調べたり勉強したりするようになったし、
そういう人はすごい増えたんじゃないかなと思うので、
なんかそういう意味でも、なんかこうみんなの、こう世界中の人の意識がそっちに向く時期みたいな感じだったじゃないですか。
で、それってなかなかすごかったなって今思うと思いますね。
Ryohei
そうですね。
Ayaka
ね、なんか今思うとやっぱりすごい時期だったな。
みんながだって、世界中の人がある意味共有している体験でもあるし、
Ryohei
そんなことって今までなかったよね。
世界大戦ぐらいのなんかイベントな気もする。
Ayaka
でもやっぱり、
Ryohei
あの時期はこうだったよねみたいな。
Ayaka
今もやっぱり、今ある意味感染が薄れてるのも私戦争の影響もあると思うんですよね。
ウクライナとかガザーでのこととかもあって、
ある程度なんかパンデミックから意識が逸れてるっていうのもある気はするんで、
なんかでも結構やっぱり、世界大戦の時も関係ない時期の人はいたと思うんですよね。
あんまりそういう情報が入って、その情報のスピード、入ってくるスピードも違っただろうし、
なんか巻き込まれてない国っていうのもやっぱあったわけなので、
でもほぼないじゃないですか、巻き込まれてない国が今回って、
それが本当になんか強烈な体験っていうか、
すごい話だって思うかな。
Ryohei
もう2020っていうその年を思い出すと、
その思い出も絶対ついてくるもんね。
ね。
Ayaka
あの以前以降っていう感じで捉えちゃう。
多分その以前以降でさっき習慣が変わったみたいな話もありますし、
リモートワークができるようになったりとか、文化が変わったみたいなところも多分あるじゃないですか。
それは良い意味の文化の変化もあるかもしれないけど、
より長時間会社にいる人以外の生産性が逆に可視化されたりとか、
そうじゃない人が働きやすくなったりってこともあるかもしれないし、
でもなんか悪い方向として、
例えばお店が続けられなくなってしまって、
ある文化が失われたり、
あるいは大学生がサークル活動とかできなくなっちゃってとか、
なんかいろいろこうなんだろうね、
なんか良い文化の変化と悪い文化の変化両方起きて、
なんかすごい時期だったなって今思い返して思う。
けど、多分10年後とかには何だったんだろうあれってなりそうな気もして、
なんか記録を残すって結構大事なことかもなって思いました。
その時の感覚とか。
でもなんかやっぱジジネタについて話すのは結構怖い時期でもあったよね。
コロナウイルスについてよいにSNSで発言したりすると、
なんか萌えかねんみたいな感じのこともあったから。
Ryohei
いや、まさに始めた1年ぐらいの頃は、
2人とも暗黙にその話題は避けてたような気がする。
それは多分いろんな理由はあるけれども。
Ayaka
なんか一番日常だったはずだけど、
その話はあんまりしなかったっていうのはあるかもしれない。
Ryohei
いや、でも完全に忘れてしまう前に話せてよかったかもしれない。
Ayaka
そうだね。
なんかやっぱり、自然の脅威じゃないけど、
みんなで何かの脅威に立ち向かうみたいな時期でもあったし、
なんだろう、そうね。
やっぱりすごい特殊な経験だったなって思うから、
その時自分が主観的にどう感じたかっていうのを、
どっかに残しておきたいって気持ちやっぱりあったかなっていう感じがする。
Ryohei
ですね。
結構自分たちの中では、
ちょっと5年後とか10年後に聞き返してどう思うのかっていうのは気になるところだね。
Ayaka
あったなーって。
Ryohei
もしくはまだ続いてるかもしれないですけど。
Ayaka
そうだね。
でもやっぱりこういう、少なくとも今あったなって気持ちになる、
これだけたくさん大きな変化があったっていうのは、
かなりいろんなそれに対して仕事をした人たちのおかげ、
それは医療従事者っていうこともあると思うし、
ワクチンを開発するとかもそうだし、
もうちょいいろんな行政的なこともあるかもしれないけど、
やっぱりなんかそのうまくいったこといかなかったことたくさんあると思うんだけど、
でもまあ、だしうまくいかないことのほうが多分多かったっていうのも多分あるのかもしれないけどね。
でもなんかみんなが何かのために頑張ったからあるっていうのもある気がするね。
初期の状態から続いてないっていうのは。
Ryohei
みんな頑張ったよ、やっぱり。
人々の頑張りと新たな経験
Ryohei
だって乗り換えも全部キャンセルしてさ、
だって仕事もなんか対面で会えばすぐ済むことをなんかズームでやってとかさ、
ね、大変だった。
Ayaka
まあそうだね。
まあその貢献の大きさは全然違うけど、みんな頑張ったっていうのは。
Ryohei
一通り命を削ってくれた人もいる中で、あのですけど。
みんな頑張ったねっていうことかな。
ね、みんな頑張ったねっていうところもあるとは思います。
Ayaka
そうだね。
乗り越えました。
Ryohei
異性ももちろんね、やっぱりあったけれど。
Ayaka
あるけどね。
Ryohei
今回コロナウイルスって何だったのかについて話しました。
いかがでしたでしょうか。
Ayaka
コロナウイルスというかコロナカード。
Ryohei
コロナカーについてだね、確かに。
Ayaka
何だったのかっていう感じかもね。
うん。
Ryohei
はい、それではまた次回も聞いてください。
さよなら。
Ayaka
さよなら。
36:54

コメント

スクロール