Nobuhiro Seki
でも2年で、そんなに仕事が変わった人はいないのかもしれないですけど、やってることは結構変わってたりしますか?
最初って自己紹介で過去の話をしたじゃないですか。
私こんな人でした、みたいな。
Mika Ueno
及川さん一番最初にね、やって。
関さんと私は50回ぐらいのときにやった。
Nobuhiro Seki
そうです、だから1年経ってからですけど、でもやっぱり2年3年ぐらいすると、
いや実は結構変わりましたよみたいなこともあってもいいような、我々の大企業務めとかでもないので、
皆さんフリーランスとは言わないけど、フリーランスに近いような、いろんなハットを被って。
Mika Ueno
及川さん一番変わってるっていうか、常にいろいろやってるんじゃないですか。
Takuya Oikawa
なんかでも、私なんかこういった道場っていって、私的な勉強会を定期的に持っていて、
そこでも数ヶ月おきに近況報告みたいなのをすることがあるんだけれど、
数日前にそれやったときに、いやなんか棚下ろししてみてもあんま変わってないなっていう感じがあって、
基本的にやっぱり仕事は研修とコンサルなので、
中身細かいのはどんどん変わってはいますけれど、やってること自身変わらないし、
契約先が多少変わったりとかしてるけれども、大きく変わってないんですよね。
そういうとなんか悲しくなってくるんで、そのときも話しながらすごい悲しくなっちゃったんだけれど、変わんないんですよね。
Mika Ueno
多分ご自身の認識と外から見ていると、こんなこともやってるんだ、あんなこともやってるんだ、
最近だとほら本も出したりしているし、いろんな変化飛んでるように見えるんですけど、
ご自身が見ているものと違うのかもしれないですね。これが変化っ捉えてないのかもしれないと。
Takuya Oikawa
本も今回のやつ、完全に書き下ろしていなくて5年前に書いたやつの改訂版なんですよね。
何年か前?2年でしたっけ?
Mika Ueno
もうすぐ2年。
Takuya Oikawa
2年だとあんまりやってないんですよね、多分。
でもJASMINE TEAっていうプログラミング学習サービスを始めたのは去年なんだけど、
でも作ってたのはもう2年前から作っていって、外に入れるようになったのが去年からだっていうのがあるんですが、
VCももうやっていたし、ということで、ちょっと悲しくなるんで他の方から行きましょう。
Mika Ueno
ベースは不動のベースがあると。
Nobuhiro Seki
でもJASMINE TEAも途中で出ましたって話をこの番組のエピソードの中でしたし、
投資の話も最初のうちは言えなかったのかできなかったのかわからないけど、途中で話をするようになったじゃないですか、このミーティングの中で。
そういう意味で言うと、僕らの受けるインプレッションは新しい顔が出てきてるっていう感じが、
実は一番あるんですよ。僕の中で言うと及川さんが一番新しく加えてるって印象があるんですね。
Takuya Oikawa
うん、だといいんだけどな。
Mika Ueno
関さんは?
Nobuhiro Seki
僕のケースは、この今座っている場所、考えたら2年前から変わってなくて、
仕事先も変わってなくて、仕事のタイトルも変わってなくて、
新しいことを始めたっていうと、イベントのオーガナイズをしましたみたいなところがあって、それがこの1年。1年経ってないです、まだ。
それが唯一新しいことなんだけど、それ以外はあまり変わってないんですね。
普段の仕事のスタイルも変わってないから、自分の中で言うと、仕事が変わるみたいなことを言うと色々問題、差し支えあるんですけど、
その違ったことにチャレンジしてみたいなというのは思ったりはしますね。
Mika Ueno
仕事面でいくと、私もそうですね。
ちょうどこのPodcastを始めた2年前の秋が切れ目だった案件とかがいくつかあって、これを始めること自体がすごい変化だったんで、自分にとっては。
それが今2年間続きましたっていう感じなんですよね。
本当のお仕事自体も、私は元々マーケティングのご支援をしたりとかするんですけど、そこが変わりなくと、
ひよっこ、プロダクトマネージメントのやつもよちよちやってるみたいな感じなので、あんまりそこのとこは変わりなくですかね。
あとは、これもPodcast始めた頃からですけど、個人の趣味の方で外に出歩けるとかね、実際にイベントに行けるみたいなものが徐々に始まりかけたところから今に至ってるんで、
そういう意味でいくと、ここでよく話す、私好きなものがパフォーミングアートとか、ああいうイベントとかそういうやつなんですけど、アクティビティができるやつ。
ああいうのがどんどん増えていってっていう、そういう体感がありますかね。
Takuya Oikawa
そうか、仕事以外だったらいくつかあるかもしれないですね。
自分の資産のポートフォリオを、米国株主体から債権比率を高めましたとか。
Mika Ueno
債権。
Nobuhiro Seki
利率が上がったからですね。
Takuya Oikawa
それもそうですし、ちょっと巻き込みますが、我々世代って、どちらかというと債権比率を高めていったほうがいいんですよね。
っていうのが教科書なんで、あまりにもずっと米国株のパフォーマンスが、特にハイテク株のパフォーマンスが良かったからずっと持ってたっていうのがあるけれど、今後何あるかわかんないし、
関さん言うにみたいに利率が高かったんで、普通に突っ込んでても5%ぐらい取れたり、5%はかなり大きいですけれど、でも一時は5%は楽に取れた時があったんですよね。
そのぐらいだったり、もともと円が国際通貨として安くなってたっていうのと、今後も一時的な色々な変動があるにしても安くなるんじゃないかなっていうのを思うところもあって、
最近比率を高めたとか、あとは趣味の登山でテント泊を初めてやったのが昨年だったんで。
Mika Ueno
テント泊?
Takuya Oikawa
テント泊ですね。
そんなところはありました。良かった。多少は進化してた。進化かな?変化してた。
Mika Ueno
テント泊は初めてっていうのはチャレンジしてみたってことなんですか?それとも流れで今回機会があったみたいな感じなんですか?
Takuya Oikawa
テントで泊まれると色々楽なんですよ。山小屋って予約がいっぱいになっちゃって泊まれないことがあるんですけれど、テント博の方が予約不要なこともあれば、予約する必要だとしても、山小屋よりも予約取りやすいことがある。
テントで泊まれて重装ってできるようになると、山で色々自由度が高くなると。
ただ、3000m級のところまで重いテントを装備をして登るのが未だにできてなくて、登山口から近いところでテントして、そのまま軽いバッグに変えて山頂アタックするっていうぐらいしかできてないから、テントを持って重装はまだまだできていないんですけれど、
まあでも、テント泊はできるようになりましたと。
Nobuhiro Seki
テント泊するときって、泊まるに必要な物資とかっていうのは全部持っていくんですか?それとも山小屋みたいなところで調達したりするんですか?
Takuya Oikawa
水とかは調達できるし、ご飯も食べれることはあるんですけれど、山小屋によってはテント泊の人には夕飯は出しませんっていう山小屋もあるんで、その場合には自分で全部食材からクッカーからバーナーから全部持っていかなきゃダメですね。
まあでもそれが楽しいんですよ。
硫黄岳に登る途中のオーレン小屋っていう小屋があって、とてもいい小屋なんですけれど、登山口からも結構緩やかなところで山頂行くかなり前のところにあるんで、とてもいいんですけど、そこのポリシーとしてはテント泊する人は全部自分でやるっていうことに、それに醍醐味があるから夕飯は出しませんっていうふうにされていて、それはそれで最もだなというので、自分でもっていって頑張って作ってます。
Nobuhiro Seki
ミカさんとかそういうアウトドアの雰囲気あんまりないけど、やったりします?
Mika Ueno
いやそうなんですよ。よくも言われるんだけど、私アウトドアのはそんなにないですね、確かに。外には出る、外出しないと死んじゃうタイプなんですけど、アウトドアアクティビティっていうのは確かにそうなんですよね。ないんですよね。
昔はスポーツ、インラインスケートとかはガンガンやってましたけど、それぐらいだから、山に登るとかトレッキングするとかサーフィンするとかね、ああいうのはないですよね。
Nobuhiro Seki
インラインスケートがすごい懐かしい言葉が出てきましたよね。
Mika Ueno
めちゃくちゃ前です。
Nobuhiro Seki
何十年前くらいやってましたけど。
Mika Ueno
本当に面白かったですね。今でも爽快に滑れるとこあるとはやりたいぐらいですけど、なかなかないんで。
Nobuhiro Seki
絶対滑れないと思います。脚力がなくて。
Mika Ueno
そうかもね。バランスもあるからね。
趣味的なところは関さんは?
Takuya Oikawa
関さんそもそも趣味って何なんでしたっけ?
Nobuhiro Seki
わりと家でネット見たり漫画見たりとかするのが好きだから、超インドアですよ。
で、趣味は旅行だったんですよ。旅行つっても海外旅行行って、いろいろ見るのかっていうとそんなもんなくて、
だいたい行った先の町のカフェとかに座って、人が歩いてるのを一日二日見てるみたいな、
そういうアウトドアっぽいけど高度はインドアみたいな、そんな感じですね。
知らない人と言葉が通じないところでコミュニケーションするみたいなことが結構好きだったりはします。
だから知らないところに行って、一人でうろうろして、話が通じない国、完全に通じない国に行ったことが2回ぐらいありますね。
全く通じないことはないんですけど、例えば25年ぐらい前に中国のシルクロードに一人で行ったときは、
中国語ができないと本当に何も通じないんです。英語とかももちろん全く通じないんですけど。
でもやっぱり筆談っていう技ができたんです、中国はね。
なるほど。
全然知らない町の中にあるラーメン屋さんみたいなところに行って、筆談だけで3日連続ぐらい通ったんですよ、なんかしたけど、偶然ね。
Nobuhiro Seki
そしたら3日目ぐらいはお父さんとお母さんがやってるお店みたいなのがあったんですけど、
僕だいたい時短保険になってて、いつも行くのがピークタイムを過ぎた時間とかに行ってたんで、行くとまた来たんだみたいな感じで言われて、
3日目とか最後の企画だったから昼と夜の間が結構空いてて、中からお父さんの方がいきなりビール持ってきて、何かと思ったら飲むぞみたいな感じで。
別におかゆ系関係ないと言い出して、そのお父さんと。
3回目の行った店なんですけど、そのうちお母さんの方も洗い物は終わって出てきて、よくわかんない3人で3、4時間飲む。
全く言葉は通じないから、ただ飲んで、時々僕が書いた漢字に対してこっちも漢字で返すぐらいのことしかしないんですけど、みたいなやつがいろんな国でありましたね、よく考えたら。
わりと知らない人と電車とかで知り合って、そのままその人の家に行ったりとか、みたいなやつもありますね、よく考えたら。
Takuya Oikawa
怖くないですか。
Nobuhiro Seki
なんとなくね、こういうことばっかりやってると、この人は怖い、この人は怖くないかってなんとなくわかる気がしてるんですけど。
そのうちなんかありますね。
そのうちになったときはもうこういう話はできないんで、別に大丈夫なんですけど。
Takuya Oikawa
われわれ二人で、関さんあんなこと言ったけどやっぱりそうだったねとか。
今日警告したんだけどねって話しますよ。
Nobuhiro Seki
確率的に当たっちゃいましたみたいなことはあるかもしれないですけど、
偶然そのパターンで中国の奥地のほうに行って、
中国人向けの観光バスみたいに乗ると全くまた何も通じないんですけど、大体そしたら面白いから行くんですけど、
そのときに一人だけいた台湾人の人がちょっと英語が喋れるってことで、
その人と片言で喋っていたら、その前の席に座っている人とも中国語で喋って、
この人なんか出張で来てるらしいんだけど、すごい良いホテルに泊まってて、ベッドも空いてるからなんか、
泊まればみんな行ってるよみたいな話してて、ずっと話してて、結局そこ泊まったことありますね、4日ぐらい。
で、その人は20代後半ぐらいで、英語は全然喋れないんだけど、いつかアメリカに留学したい。
だから、夜いる時間に英語で喋ってくれと。
そしたらもう宿代もなんもいらんからって話になって、
だから夜にその人と英語の会話の、こっちも別にそんなに英語は得意なわけじゃないんですけど、留学前だからね。
でもなんか英語で話したら、そこにも満足して、
で、その出張してる会社の金曜日だったらカラオケパーティーに呼ばれて、
その人たちの会社のカラオケパーティーに行って、中国語のみんなが熱唱してるところに連れて行かれたっていうのがありますね。
そういうのすごい多いね、よく考えたら。
Nobuhiro Seki
趣味で、趣味ですね、それね。
Mika Ueno
2年ぐらいだとあれですね、最近と言えなくもない頃合いでもあるんで、
いろいろ変わってないとか、趣味もそのままみたいなのがあるかもしれないですけど、別に悪いことじゃなくていいんじゃないでしょうか。
Takuya Oikawa
でも変わってないって、なんか人に話して自分で言うのって、すごい凹みますよね。
Nobuhiro Seki
変わってなきゃいけない症候群なんですね、たぶん。
Mika Ueno
そうかもしれないですね、そうですね。
何かがなきゃいけない症候群かもしれないね。
Takuya Oikawa
うちの会社の、基本ビデオ会議するじゃないですか。
そうするとご家族が、特に娘さんがしょっちゅう出てきて挨拶してくれるんですよ。
〇〇ちゃん、もう4年生なんだ。
小学校入る前の時の、変わってないよね。
この4年間、5年間、私は何が変化しただろうと思うと、
生きててごめんなさいって感じになりますよね。
Mika Ueno
どうした?
Takuya Oikawa
なんないですか?
ちょっとオーバーにしても、自分は一体何を、何新しいことできるようになったんだろうと思うと、
いや、できなくなった活動が多いですよね。
Nobuhiro Seki
それはもうできなくなったことはめちゃくちゃ多いですよね。
それはありますね。
年代とかもあるんでしょうね。
Mika Ueno
若い人とか子供とか見ていると、やっぱり彼らにとっての1年って、
人生の例えば半分の人もいるわけじゃないですか。2歳の人は半分だし。
私たちとしての1年って、人生だから数パーセントしかないから、
その感覚の違いはあるし、
すごいこれで1年間でめちゃくちゃ成長してるなとか、
こんなこともできるようになったんだとかって驚きが自分たちの中にもあるけど、
大人になってくると、なおさらそれがパーセントが小っちゃくなってくるんだろうなと。
Nobuhiro Seki
でもなんか、これ始めた頃って、コロナの直後で、
まだやっぱりほとんど全部ビデオ会議だったんですよ、僕と。
だから外出ることもやっぱりとはいえほとんどないし、出張もなかったから、
だからずっと座ってると、やっぱりちょっと及川さんの気持ちも分かって、
空いてる時間にのんびりしてるとか、ちょっと炭な感じも若干したりするところがあるんですよ。
だから、この空いてる時間で私こそやらなきゃいけないみたいなところがあるんだけど、
なんか最近やっぱり外に出ることが多くなってきて、
移動時間とか、結構その、一見無駄な時間が多くなるじゃないですか。
ずっとビデオミーティングになってると、1日10個で無事に出てくる。
やっぱり移動しようと思うと無くなるんで、でもそういう時間に考えることとか、
ちょっと時間が5分ぐらい早くつきそうだから、ちょっと寄り道してみようとかっていう、
余裕はこの1、2年はできた感じがしますね。
だからそれがコロナのときにはなかったのかなという気がしますね。
【佐藤】はい。
【佐藤】はい。
【佐藤】はい。
【佐藤】はい。
だからそれがコロナのときにはなかったのかなという気がしますね、自分にとっても。
むしろ、あんまり進捗が減ったみたいな感じのところがあるけど、
それはそれでいいっていうふうに最近は多くなりますよね。
2年くらい進化しなくてもいいじゃんみたいな。
Mika Ueno
これポッドキャスト100回やって、この2年やって、やってどうだったかみたいな、
別に変化したかしないかっていう視点でもいいし、
やってみて気づいたこととか、何でもいいんですけど、
ざっくりどうだったみたいな聞き方をあえてしますけど、
100回やってみてどうでした?
Nobuhiro Seki
どうでした?美香さん。
Mika Ueno
私からいきましょうか。
私はね、これめちゃくちゃいっぱいあって思い返すと、
まずこの音を扱うっていうコンテンツをやったことが今までなかったから、
無形のものじゃないですか、音とか声とかって。
その無形のものを扱うっていうのが、最初すごい戸惑いもあったし、
誰かに伝えるっていう時にも、対面で会話していれば音はそのまま伝わっていくし、
会話になるんだけど、これを音のコンテンツとして伝えるときに、
難しいんだなっていうのをすごく感じたりしました。
目でも見えないしね。
だからいろいろ工夫をして伝えたりするんですけど。
お二人の会話の中に自分が別の視点で入っていったりとか、
反応したりとか、あとネタ投下するときもあるんですけど、
それをやっていくと自分が好きなこととか興味があることとか、
視点っていうのがすごいはっきりしてきて、
あ、私ここに興味あるんだっていうのは改めて見れるようになったっていうのはありますかね。
好きなテーマがこれとか、
好きなテーマがこれとか、
好きなテーマがこれとか、
私もいくつかありますけど、
1個っていうのに絞れないんですよ。
医者ですとか、農家でこういうの作ってますとかっていう、
そういう軸みたいなのはそんなに私はないから、
この分野とこの分野とこの分野が好きみたいな、
アートが好き、ちょっとテクノロジーみたいなものが好き、
ちょっとアカデミックなものが好きみたいな、
いろいろいくつかあって、
絞れないんだなっていうのを思ったりした。
で、あともう1つは、
声により敏感になったっていうのがあるかも。
喋っているのと、
私は音声の編集を担当しているのもあるんですけど、
もう否が応でも聞くんですよね。
何時間も毎週聞くから、
聞いている量が半端ないから、
仕事からいくと広報でよくやるメディアトレーニングっていうのがあって、
よくエグゼクティブの方とか、
お二人もやったことあるかもしれないけど、
メディアによるメディアトレーニングっていうのがあって、
よくエグゼクティブの方とか、
お二人もやったことあるかもしれないけど、
メディアに出ます、そこでインタビュー受けます、
喋ります、プレゼンテーションしますっていうのを、
プロフェッショナルと一緒に喋る、プレゼンテーションするっていうのを
練習するやつなんですけど、
その時にもう1回自分で喋ったことを、
ビデオで見返す、音で聞き返すっていう、
大体のエグゼクティブが死ぬほど嫌がることをやるんですけどね。
あれと同じだなと思って、
自分の声なんて録音で聞いて、
え?って思う人たくさんいると思うんですけど、
それをずっとやらなきゃいけないから、
最近はそれに慣れてきたのと、
あと、お二人の喋り方、
自分の喋り方っていうところの癖もよく分かるようになるし、
他の人の声にもよりより敏感になりました。
すごく聞いてきて、
音程とかね、喋り方とか、
声の質とか、
自分も声フェチなんで大好きなんですけど、
あと雑音とか、リップノイズとか、
あんま好きじゃないので、
でもそれもプロの舞台を見に行った時に、
プロの人でもリップノイズはあるんだっていう気づきがあったりとか、
プロの人でもリップノイズはあるんだっていう気づきがあったりとか、
それを処理していないプロの人たちもいるっていう、
それも気づきましたね。
あと自分がこれを始めることで、声について
褒められることがすごく増えて、
今までの人生で今はなかったんで、それがすごく自分的には
嬉しかったことでは
あります。
なのでドスのきいた声で怖いよねって
言われてたのが、今までずっとだったんですけど、
それがなんか、いいねって言われることが
増えてきたのが、
Nobuhiro Seki
だから次はやっぱりニューヨークに来てほしいですよね。
Mika Ueno
そうですね。じゃあ現地集合で。
Nobuhiro Seki
集結場所はニューヨークにどこに行くのかって話ですけど。
Mika Ueno
コロナ経ってね、私海外5年出てないんで、いろんなことを忘れてますね、本当に。
Takuya Oikawa
僕はあれだな、10月にフロリダに行く予定があったんだけど、ちょっとあまりにも遠いんでキャンセルしちゃいました。
Mika Ueno
遠い?そっか、フロリダってどのくらいかかるんですかね。
Takuya Oikawa
かなりかかるんじゃないですかね。
Nobuhiro Seki
一発で行けないんですよ。どっかで乗り換えて。
Takuya Oikawa
15時間くらいかかるんじゃないですかね。
もっとかかるかもしれない、わかんないけど。
Nobuhiro Seki
乗り換えるから15時間は効かないですね。
Takuya Oikawa
やっぱり。実際的に言うとほぼ裏側じゃないですか。
日本の仕事ができない、もしくは寝なければ、逆に言うと被らないからできるんだけど、ちょっとそれきついなと思って辞めました。
Nobuhiro Seki
フロリダのどのあたりですか。仕事は仕事ですか?
Takuya Oikawa
仕事はマイアミです。
マイアミです。
遠いですね。
Nobuhiro Seki
僕も行ったことないですよね、マイアミによく考えたら。すごい偉そうに言ったけど。
Mika Ueno
時差はね、どうしようもないですからね。
Nobuhiro Seki
でも同じタイムゾーンですよね、ニューヨークとはね。
Mika Ueno
ニューヨークとはね。
Takuya Oikawa
そうなんですよね。関さんすごいなと思って、改めて尊敬しました。
海外って言ったら、僕今年タイペイ行ったんですよ。
Mika Ueno
うん。
Takuya Oikawa
タイペイ楽しかったですよ。
Nobuhiro Seki
夏ですか?
Takuya Oikawa
6月かな。
だから雨季っていうか梅雨の季節だったから雨ばっかりだったんですけれど。
ただ、特に何かどっか行きたいっていうわけでもなく、街をブラブラしただけなんですけど、面白かったですね。
クラフトビール屋さんがたくさんあったから、昼からそこ行って飲んで、夜はナイトマーケット、夜市行って、よくわからないで人がたくさんいて、でもブラブラ歩いて、楽しかったな。
Nobuhiro Seki
夜市に行って適当に食べて適当に帰る。知らない人と知らない人と飲むっていう、なんかそういうのがすごい。
Takuya Oikawa
知らない人とは飲まなかったかな。
Mika Ueno
近いですもんね。
Takuya Oikawa
仕事では何回も行ってたけれど、観光で行ったことなかったから、ブラーっと行ってみて。
Mika Ueno
行こう。
旅に出よう。
Nobuhiro Seki
こっちにいると、南米に行きたいんだけど、日本から南米ってすごい遠いじゃないですか。
だからやっぱり、東海岸に行くと南米近いんですよ。
前もキューバ行ったときも、キューバ直接行くと制裁の対象とかでトラブルかもしれないんですけど、
だいたいメキシコに寄って行くみたいな感じです。
それでも6、7時間に過ぎるんですね。乗り換えて。
実際はそれこそフロリダのすごいモールからすごい近いんで、
そこからカリブ下がって行って、もう南米ですからね。
だから本当にそういう意味で言うと、近いんだけど、スペイン語喋れたなと思いますけどね。
南米に行くっていうことを考えると。
Mika Ueno
今年はっていうか、来年でもないけど、ここから先旅行再開したいな。
国内いっぱい行ってるけど、海外とか私も行きたいし、ぜひ行けるようになるといいですね。
Nobuhiro Seki
いろいろと考えております。短期だったら行けるようにね。
Mika Ueno
こんな感じで。
Nobuhiro Seki
こんな感じで。