1. 本質志向のスピリチュアルラジオ
  2. 【人と会う時】は「〇〇と〇〇..
2025-01-24 24:55

【人と会う時】は「〇〇と〇〇」を意識する

【今回取り上げた本】

髙木悠鼓
「人をめぐる冒険」
https://amzn.asia/d/bQW49De

サリー・ボンジャース
「わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと」
https://amzn.asia/d/exDcgod

アービンジャー インスティチュート
「自分の小さな「箱」から脱出する方法」
https://amzn.asia/d/iE71pgs

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


1000冊以上の読書を経てヒーラーになった元霊感ゼロ人間です。「本質のスピリチュアルをわかりやすく」をメインテーマに、幸せのために役立つ情報を発信していきます。

公式 LINE
https://lin.ee/q2dVxVA

ココナラ
https://coconala.com/users/299112

ポッドキャスト書き起こしサービス「LISTEN」
https://listen.style/p/kazu?ZcYquAEx


※シータヒーリングによる潜在意識書き換えのセッションも行っております✨
セッションのご予約は24時間いつでも公式LINEのリンクから受け付けています。
ご希望の方は上記の公式LINEよりご連絡またはお申し込みください✨


【プロフィール】

元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
「どうしたら幸せに生きられるのか?」
といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

#スピリチュアル #奇跡講座 #奇跡のコース #人間関係 #愛か恐れか #無条件の愛 #非二元
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/64eaf2064cfd06ca8ba481e5
00:08
はい、こんばんは、カズです。 今日のタイトルです。
人に会う時は〇〇と〇〇を意識する、というテーマで、今日はちょっとお話ししていこうと思います。
これですね、人に会う時は、人と接する時は〇〇というのと〇〇、これを意識するといいよっていう話です。
人に会う時は、僕が人に会ったりとか話したりとか接したりする時に、密かに心の中で心がけていることになります。
なるべく会う前とか接する前に、心の中で、そうだな、これが大事だな、よしこれでいくぞ、みたいな感じで、
心の中で思って、会うようになるべく意識して、普段生活している事柄になります。
結構ね、いいんじゃないかなと思うので、今回シェアさせていただきます。
もともと、この人と会う時は〇〇と〇〇を意識しよう、という今回の話はですね、
スピリチュアル系の隠れた名帳で、人を巡る冒険という本があって、
僕はね、すごい隠れた名帳だなと思っているんですけどね、
髙木悠鼓さんという方が書かれた、人を巡る冒険という本に紹介されていた言葉になります。
この髙木悠鼓さんなんですけどね、この方は非人間系の本を多く翻訳されている翻訳者さんなんですよね。
原地とかラメッシとかトニーパーソンズとか、すごい有名な非人間系の各社の人たちの本を多く手掛けている翻訳者さんなんですよ。
その高木さんご自身の書かれた本っていうのも実はね、何冊かあって、
僕もその中のいくつかを読ませてもらったんですけど、かなりね、領所が多いなっていうイメージなんですね。
やっぱり、なんでいい本が多いのかというと、やっぱり本を翻訳するからには、
その本の内容っていうのをある程度はしっかり理解していなければ、適切な翻訳はできないっていうことなんですよね。
そういうわけで、それらのスピリチュアルな名帳を多く翻訳されている高木さんご本人が書かれた本っていうことならば、
その翻訳されたマハラジとかラメシとかトニーパーソンズとか、
そういう各社、多くの人が支持している各社たちの教えがですね、
その翻訳者さんが書かれた本っていうことになったら、
それらの教えがすごい噛み砕かれた形で分かりやすい解釈がその本で読めるのではないかなっていうね、
03:01
そういう予想を僕はして、買って読んでみたっていう感じなんですよね。
結果すごく大当たりだったなっていう印象があります。
翻訳した本を読むときは各社の教えを自分が直接聞いているって形になるんですけど、
その翻訳した方が書いた本を読むと、メタ視点でいろんな教えを翻訳されている方なので、
その人の今の理解とか解釈とかをすごい分かりやすい日本語で手軽に読めるというかね、
摂取できるというかそんな感じで、
その髙木悠鼓さんが書かれた本は今のところどれもね、
僕が読んだ限りではすごくいい本ばっかりだなっていう印象なんですよね。
そんな中の特に人間関係に特化しているスピリチュアルな真実に基づいた鋭い考察が書かれているのが、
この人を巡る冒険という本になるんですよね。
これも一応概要欄にリンク貼っておこうかなと思うんですけど、
人を巡る冒険の中で僕が感銘を受けて採用した言葉っていうのが今回の人に会うときは〇〇と〇〇を意識するということなんですよね。
この〇〇の中の答えなんですけどね、人と会うときはそれはですね、愛情とユーモアなんですね。
人と会うときは愛情とユーモアを大切にする、大切にしましょうみたいにね、書かれていたんですよね。
その人を巡る冒険の中でこの言葉が出てきたわけなんですけど、
これは著者である高木さん自身が人と会うときに心がけていることっていう感じで紹介されてたんですよ。
それをすごくいいと思ったんで僕も習ってね、密かに心の中で実践しているっていう感じになるんですよね。
人と会うときは愛情とユーモアを大切にする、意識するということです。
愛情とユーモアなんですね。
まず愛情、これを大事にしようと言ってます。
ここで言う愛情という言葉、
やっぱりね、この人を巡る冒険もスピリチュアル関係の方になるので、
これやっぱり世間一般で言われるただの愛情っていうイメージじゃなくて、
多分ね、僕なりに言い換えるとこれは多分他者という存在に対する無条件の肯定みたいなことになるんじゃないかなと、
思います。
06:00
他者という存在に対する無条件の肯定、これがここで言うところの愛情みたいな感覚じゃないのかなと思うんですよね。
やっぱり人間なわけですから、高木さんも僕もそうですけど、人間ですから好き嫌いはありますよっていうことなんですよね。
嫌いだなと思う人とか、この人ちょっと苦手だなって思う人とか、やっぱりね、実生活を生きて実際に人と接していたらやっぱり誰でも大なり小なり感じることだと思います。
こういう感覚っていうのは。別にそれは悪いことじゃなくて自然なことだとまず思うんですよね。
なんですけど、嫌いだなって感じたりは苦手だなって思ったりしても、これを意識しましょうっていうことなんですよ。
他者という存在に対する無条件の肯定、つまり愛情なんですよね。
その相手を愛情を持って眺め見てみる、つまりその相手を、その存在を無条件に肯定するっていうこと、この視点から相手という存在を見てみようっていう話です。
これ結構深い話だなと思ってて、この話を深掘りしようと思えば結構ね、1時間以上とか多分ね、いけちゃうテーマだとは思うんですけど、奇跡講座は人の行動原理は突き詰めると愛か恐れのいずれかしかないっていうふうに言ってます。
奇跡講座は人の行動原理は愛か恐れのどちらかしかない、どちらかだっていうことを言ってるんですね。
このことを考えると、今回でいうとこの愛情、つまり人の存在に対する無条件の肯定っていう、これがだから愛の方っていうわけなんですけど、じゃあ逆の恐れの見方っていうのはどういうことになるかっていうのをまず考えてみたいんですよ。
恐れの見方、つまりエゴの見方なんですね。
エゴの見方、自我の見方というのは他者のことを、僕の言葉で言い換えると、自身の生存にとって貢献するか否かっていう視点で見るっていうことになると思うんですよ。
エゴの見方は人のこと、他者のことを自分自身の生存にとって貢献するか否か、つまり自分にとってメリットがあるかどうかっていう、この視点で人を測るみたいなことです。
これは自分中心に他者の存在が自分にとって何の役に立つんだっていうような視点なんですよね。
この人の存在は自分にとって何のメリットがあるのかっていう視点で人を見る、評価するっていうことです。これがエゴの見方。
09:08
自分にとって何のメリットがあるか、どんな価値があるかっていう視点でしか人のことを見ないっていうことですから、これつまり人を道具として見てるっていうことなんですよね。
道具って結局自分にとって役に立つかどうかが全てじゃないですか。人間の役に立つようにデザインされて生み出されたのが道具なんで。
その存在意義的には道具ってもともとそういうものなんで、つまりこの道具的な見方を他者に対して人に対してやっちゃうっていう、これがエゴの見方なんですよね。
人の存在、他者のことを道具として、つまり物として見るっていうことです。
人として見てないんですよ。ただの物として見てるんだっていうことです。まさに目の前のその人を道具的な価値観でのみ押し量るっていうのはそういうことです。
その人を一人の人間として尊重してみるんじゃなくて、ただの物として見てるっていうことなんですよ、実は。
この辺の話は以前の配信でも何回か紹介してる、自分の小さな箱から脱出する方法っていう本に結構詳しくその感覚が掘り下げて紹介されてるんで、もしご興味ある人は読んでみると面白いんじゃないかなと思います。
そうなんですよね。奇跡講座の言う、人の行動動機は愛か恐れのいずれかしかないんだっていう考えを敷衍すると、人間は目の前の人間を見るときにその人を人として見るか、物として見るか、この二者卓一なんだっていうことが実は言えてしまうわけなんですね。
これちょっとね、なかなか衝撃的だなと僕は思うんですけど。
ここで言う物として見るっていうのがエゴの見方、自分にとってどんだけ役立ってるのかっていう見方で、そうじゃなく人として見るっていうのはその人の存在をありのまま肯定する、一人の人間として尊重するってことですね。
だから、人と会うときは愛情とユーモアを大切にしましょうよっていうことの愛情の意味なんですけど、今話してるのは、その目の前の人も自分と全く同じように痛みを感じたりとか恐れを感じたりとか、家族があってその人の人生があってみたいに、そういうことじゃないですか。
懸命に今という、今この人生を生き抜こうとしている一人の人間なんだっていうことなんですよね。
スピリチュアル的に言えば、もともとは自分と全く同じ、宇宙の源から生まれた、根っこがつながっている一つの同じ意識なんだっていう、こういう視点でその人のことを見てみるっていうこと。
12:15
これがここで言うところの愛情なのではないかなと僕は考えています。
これを実際にやってみると、これがうまくいくと、たとえ苦手な相手であっても、なぜかそんなに居心地が悪くないっていう感じになってくるんじゃないかなと思うんですよ。
それはその相手の、自分が健在意識的には苦手だなって感じている相手の存在を自分が許可してるから、OKしてるからっていうふうに言えると思います。
この人を巡る冒険の本にも書かれてあるんですけど、人間っていうのは結局オーラを纏っているわけなんですよね。
無意識かもしれないけど、オーラを発して、自分のエネルギーっていうものを周波数っていうのを波動を外に発して、発し続けてるんですよ。
だからスピリチュアル的に言ったらもう嘘偽りは通用しないみたいなことだと思うんですけど。
そういうわけなので理由はわかんないけど、なんかこの人ちょっと嫌な感じだなとか、ギスギスした空気だなこことかわかるわけじゃないですか。
それはその周りの発してるエネルギーを自分が敏感に感じ取って感じてることなわけなんですよね。
なので自分がこの人苦手だ、無理って思っちゃうとどうなるかっていうと、自分のエネルギーがその人、目の前の人から発されてる嫌な感じ、感覚を感じられるエネルギーっていうのをブロックしようとするみたいなんですよね。
壁を作ってね。ブロックするとその向こう側が発したエネルギーがそのブロックされたことによって跳ね返るっていう結果になるんで、その相手自身もすごい不快な感覚を抱くことになるようなんですね。
エネルギー的に起こってることとしてはこういうことらしいんですよ。
なので相手のエネルギーをブロックしないっていうのが平和な空間を作るコツになるのかなというところなんですよね。
そのためにどうしたらいいかっていうと、さっき言ったこと、相手の存在をまず無条件で全肯定するっていうことなんですよね。
ここで1個注意として言っておくのは別に相手の発言とか行動とかまで全肯定しなくてもいいですよっていうことなんですよね。
ここで話してるのは存在の肯定なので、DoingのレベルじゃなくてBeingのレベルの話をしてるっていうことなんですよ。
だから相手から抜刀されたらその言葉をそうなんですかって受け入れる必要は全然ないってことなんですよね。
15:04
だけどそういう嫌なことを言ってきたりやってきたりする相手に対しても最低限1人の人間、変わらない人間なんだっていうね。
その存在そのものについては心の中で肯定してあげるっていうことです。
それがここで言うところの愛情を持つこと、その意味だと思うんですよね。
人と会うときは〇〇と〇〇を意識するの中のまず1つ目、愛情の意味について今ちょっと掘り下げて考えてみました。
もう1つの方ですね、ユーモアについてもちょっとここで考えてみます。
もう1つユーモアですね、人と会うときには愛情とユーモアを意識するってことですけど、
ユーモアはどういうことかっていうことなんですけど、これは笑えるっていう感覚だと思うんですよ。
簡単に言ってね、笑える。
ユーモアって僕はかなりスピリチュアルな領域のものだと感じてるんですけど、笑えるっていうことは深刻になってないっていうことなんですよね。
そうとも言えると思うんですけど、深刻になったら笑えませんっていうことなんですよ。
深刻じゃないから笑えるんですよね。
ユーモアってなんかね、俯瞰して見てる感じなんですよね。
その同じ次元に留まってたら深刻になっちゃうじゃないですか。
なんだけど、その一段を俯瞰して見ることによって笑いが起きるんですよ。
アンジャッシュのコントとかね、知ってる方は分かりやすいかなと思うんですけど、
アンジャッシュのコントで繰り広げられてる設定として、その当事者の視点から見たら実はね、結構笑えないくらい深刻な状況になってたりする。
ことが多いんですけど、でもそれを観客っていうね、その舞台から引いて次元の一段高い観客席から客としてそのコントを見るっていう視線になると、すごい笑えるっていうユーモアが生まれるっていうことなんですよね。
だから俯瞰して見てると笑えるよっていうことなんですけど。
この世界の幻想性を見破ることがスピリチュアリティが高いこと、または悟ることみたいにね、言われたりもするかと思うんですけど、だいたいそんなようなことなんですよ、多分。
理屈的には。この世界のことを深刻に捉えなくなるっていうのはすごい冷静が高いことなわけなんですね。
奇跡講座はこの辺りのことをね、ガンガン言ってくるんですけどね、奇跡講座は心の平安というのを目的としてて、そのためにはこの世界の幻想性をもう割破することが必要だっていう理屈を言ってくるんですけど、そういうことなんですよ。
18:02
ここについて、もう一冊本をちょっと紹介したいなと思うんですけど、これも非人間の本で分かっちゃった人たちっていう本があります。悟りについて普通の7人が語ったことっていう副題で分かっちゃった人たちっていう本があるんですけど、この本は悟った人って、例えばマハール氏とかエカルトトールとか、
マハール氏とかエカルトトールみたいにですね、有名な人ばっかりじゃなくて、すごい無名な人たちもすごいたくさん実際にはいるんですよ、悟った人の中にね。
なので、そんな悟ったんだけど無名な人たち、一般市民なんだけど悟ってるっていうね、そういう人たち7人を探してインタビューしたっていうその話が載ってるのがこの本、分かっちゃった人たちなんですよね。
で、このそういう題材の本なんで、単純に読んでるだけでもね、悟りに興味がある人はすごい面白いと思う本だと思うんですけど、この本の中に車よくできたおもちゃですっていうのが出てくるんですよね。
車というのはすごくよくできたおもちゃですっていうふうに分かっちゃった人の1人は言うわけなんですよ。
車というのはすごくよくできたおもちゃです。
だけど、ただのおもちゃなのに、例えば車工場で働いてる人がね、何かすごいとんでもないミスをしちゃって、高級車を大熱にしちゃったとかなったら、その人は首をくくりたくなるかもしれませんよねっていうことなんですよ。
だけど、本当はただのおもちゃなんですよ、みたいな話が確かに出てきたと思うんですよ。
この話でなんとなく分かる通りですね、悟った人っていうのは全くこの世界を深刻なものとして捉えないっていう共通点があるみたいなんですよね。
またちょっと別の話なんですけど、これは聞いた話で、ダライラマ法王が何かのスピーチを行った時に受けた質問コーナーで受けた質問の中で、その手を挙げた質問者さんが、まず一番にね、
いや実は私は癌なんですって深刻な顔して言ったらしいんですよ。そしたらそのダライラマ法王は、そうワッとって、だから何?って言ったらしいんですよね。
うん、うん、癌なんですよって言った人に対して、だから何?みたいにね。
だからこういう感じなんですよね、深刻さがないっていうのは、結局宇宙はいつもお話ししている通りニュートラルっていうのが真実なので、何かね意味付けがあるわけじゃないんですよね。
車が大事なわけじゃなくて、癌だから深刻なわけじゃなくて、こういうのは並木さんもいつも言っている通り、僕らは目の前の映像に自分の感情、また周波数とも言いますけど、自分の感情周波数をくっつけて体験ということを楽しんでるんだよっていう、そういうカラクリなんですよ。
21:23
悟った人っていうのは、その物事をありのままに見れるようになった人と言ってもいいんじゃないかなと思うんですけど、だからそういう人はそのニュートラルな宇宙のね、意味付けがなされていない宇宙をありのままに見ることができているということなんだと思うんですよ。
こういう見方ができると必然的に深刻さというのはなくなりますっていうことなんですよ。深刻さというのはこちらが歪んだレンズをつけてて、その歪んだレンズが生み出した勝手な解釈の結果生じる感情、感覚に過ぎないということですね。
だからユーモアって大事なんですよっていうことなんですよね。この宇宙の深刻さを笑い飛ばすっていう、これが大事なんですよ。この力がユーモアにはあるっていうことなんですよね。
そういうわけなんで、いつもユーモアを携えて、そのユーモアの空気をその身に纏っている人っていうのは結果としてね、周りの人の安心感っていうのが高まる。その周りにいる人もすごく安心を覚えるっていうことになるんじゃないのかなと思います。
そういう人のそばにいると、あ、そんなに深刻に捉えなくてもいいんだみたいにね、ユーモアを携えている人のそばにいると自然と思えるっていうかね、そういう効果があるんじゃないのかなと思うんですよ。
ユーモアの雰囲気、ユーモアを携えている人はよく笑うし、冗談言うし、周りの人を安心させるんですよね。
冗談ばっかり言う聖者の話とかも結構あるんですけどね、くだらない冗談ばっかり言ってる悟った各社みたいなね、そういう話も結構読んだり聞いたりしたことが多いんですけど、そういうことなんですよ。
で、その周りの人を安心させるので、なので結果として人からも好かれやすくなるっていう効果も、もしかしたらね、副次的にあるんじゃないのかなと思います。
はい、そんなわけでこれがねユーモアでした。
人に会うときは愛情とユーモアを意識するの、ユーモアをちょっと掘り下げてみました。
以上でそんなことでした。
人に会うときは〇〇と〇〇を意識する。
その答えは人と会うときは愛情とユーモアを意識するということですね。
24:02
これ僕も結構普段から心がけていることであるので、ぜひ皆さんも今回の配信を聞いてちょっとでもいいなとかね、面白そうだなと思っていただけた方はぜひね、やってみてほしいなと思います。
はい、そんなわけで、すごいちょっと長くなってしまいましたが、今回の配信はこれで終わりたいと思います。
何か一つでもご参考になったことがあれば嬉しいなと思います。
時々感想とかいいねとかつけてくださる方はすごく励みになって嬉しいので、何か面白い参考になったなと思った方はぜひコメントやいいねで応援をよろしくお願いいたします。
ということでどうも長らくお聞きくださり、どうもありがとうございました。
24:55

コメント

スクロール