00:06
あと、世界史で覚えているのが、なんか世界史の実況講義みたいな参考書が、これも先輩からもらったのがあって、
これなんかもう、だから塾での講義みたいなのをそのままテキスト化してあるような本で、そういうのもね、たぶん自分でテーマごとに何かまとめるっていうことのヒントにはなっているんじゃないですかね。
そのほうか、数学はもうとにかく問題を解くしかないんですよね。
一橋は文系の大学ですけれども、数学の配点が高くて、結構数学が勝負を決めるなんていうふうに言われてまして、実は配点が高いからそうなんですよね。
正直、一橋の例えば社会の問題とかって、社会、世界史とかね、日本史、地理、あと倫理、生計ですか、ありますけれども、全部記述ですから、
そんななんかめちゃくちゃな差がある、全く分かんないっていうんじゃしょうがないですけれども、よほど出来のいい人はともかくとしてすごい差がつくっていう感じじゃないと思うんですよね。つけにくいし。
そういう意味だと、数学はパキッと正解がありますんで、分かれるじゃないですか。大文が5つあって、カッコ1、カッコ2みたいになっているのかな。
そうなってないのもあるんだけど、数学っていうのに関しては、問題集とか参考書とかで、かなり時間はかけましたね。
一時変換とかね、数式、数列とかなんかやったはずですけど、全然覚えてないですね。確率統計が一番好きでしたね。なんか楽しいから。
たま3つある中から1個取るみたいな、なんか楽しいなと思ったんで。図形とか苦手だったな。
機械ですね、代数。代数も全然得意じゃなかったな。数学やりましたね。国語の勉強はもう参考書ですね、問題集ですね。先輩からもらったやつをひたすらやってましたね。
英語。英語が難しかったな。今みたいにリスニングはあったな、リスニングでもそういえば。確か大学の二次試験のほうではありましたね。
英作文が全然できなくて、それも参考書で問題集か、英作文をひたすらやるみたいな問題集があってやりましたね。
よくしかし、あんなもんで合格できましたよね。だって塾通っている子とかだったら、こういうふうに解くんですよみたいなのあったと思いますけど、別に何にも問題集の記述を読んだだけですもんね。
俺も特に何も言わなかったっていうのが面白いですね。そんなに別に成績が悪かったわけでもないけど、じゃあヨゼミのひとつ橋模子でA判定が出たかって、確か出てないんじゃないかな。あんま覚えてないですけどね。
03:07
だからつってE判定とかでもなかったんですけど、BとかCだったんじゃないかな。よくわかりません。
あとは緑色の赤本ってありますよね。赤本じゃなくてグリーンボンっていう、あれ各塾から出てるんで、赤いのとか青いのとかあるんですけど、僕のは緑色の。それもZ牌だったんじゃないかな。
問題冊子の大きさが同じっていうね。拡大コピーしなくても良いっていう。それをひとつ橋大学の学問をやって、こういう問題に出るんだみたいなのをやって。
センター試験、今名前変わりましたよね。共通試験ですか。統一試験でしたっけ。我々の前は共通一致なんですけどね。
センター試験は、だから国数A者理5教科で、理科は化学、社会は世界史で、ただひとつ橋の場合は、他の国立大学とかで頭いいところって結構そうですけど、
配点めちゃ低いんですよね。センター1位に対して二次試験4位ぐらいの感じ。だからセンターは実用のあちきりみたいになってて、そこでどんだけいい点取ってもそんなに関係ないっていうところがありますけれども。
まあまあでもそれもちろん取れるうにこしたことはない。800点満点で、私そんなに何か取れなかったですね。690何点だったんですね。700届かなかったなギリギリみたいなやつでしたね。
やっぱりひとつ橋行くやつって710点20点30点とか取ってくるんで、ちょっと出遅れた感じはありましたけど何ができなかったんだっけな。全然覚えてませんね。
まあともかく、二次試験受けて絶対合格したって思いました。というのは数学が3.5問できたんで、5問うち3.5問できるってまあまず間違いなく合格できるだろうなと。よほど他の教科で大きいミスしてないと。
数学はやっぱり自分で後から採点ができるじゃないですか。各塾が模範回答とかを示してたんで、ああ合ってるわと思って。それに対してですね、世界史とかって論述ってよくわかんないんですよね。
これくらいくらいつけたかなぐらいのことで、今は思いますけど、高校のレベルでそんなに世界史なんか全部わかるわけないんで、覚えきれませんから。なんとなくやっぱりでもね、だいたいこの時代の状況わかってるなぐらいのことがあればいいと思うんですけど。
っていうのはできたかなっていうね。そんな感じで。だから私はご一緒探し受かったっていうのは確信してたんですよね。
06:05
ちなみにひとつ橋だけじゃなくて慶応も受けましたね。慶応の経済学部受けました。すべり止めで受けたのは1校だけですね。確か慶応の経済落ちてたんじゃないかな。あれ受かってたっけな。
これね覚えてないぐらい。入学費とか払ってないから落ちてるはずだな。落ちてますね。
全然慶応に行く気はなかったんですよ。ただそれはなんか親に言われて、いきなりその本番の試験だといろいろね緊張したりミスがあるかもいけないから、絶対1校だけ受けろっていう。
先生に言われたのかな。何か覚えてますけど、三者面談みたいなのがあって進路を決めるみたいなときに、私と母と他人の任志川先生とね喋ったんですけど、そのときに言われたのかもしれませんね。全然何か覚えてないですけどね。
覚えてるのは、母が、「うちの子は先生とは全然話をしないって言ってます。」みたいなことを突然言い出して、その任志川先生が、「まあ話しかけてこないですもんね。」みたいなお寒い感じの会話があったなっていうのを覚えてますけど。
で、言われたんですかね。慶応の経済だけ受けに行ってっていうのも、しかし名古屋からだと、今どうなんですかね。慶応って各地で試験やったりしてるんですかね。いや、受けに行かなきゃいけないわけですよ。そのために状況の必要があって、渋谷に宿を取りましたね。三田で受けたのかな。違うか。日吉か。
それも忘れちゃいましたけど、日吉かもしれないですね。渋谷に泊まったってことはね。東横線に乗ってったのかな。ビジネスソフトに泊まったなって覚えてますし、一橋受けた時は吉祥寺の東急インカなんかに泊まりましたね。
あれとかも自分で全部手配しなきゃいけないじゃないですか。自分で行きましたもんね。東横インカは旅行のパックを使いましたね。高校でそういうのあるよみたいなのを教えてもらえたんだと思いますけれども、弁当を作ってもらってね。受験制パックみたいなのなんですよね。自分で申し込みましたね。
で、一橋の合格発表、何日でしたっけ。2月25日が二次試験だったかな。その後、当時から別に電報のサービスみたいなのありましたけれども、見に行くって確信してたんで合格を。新幹線代払って見に行ったんですけれども、母は来なかったですね。
そのまますごい覚えてますけど、仕事が忙しくて来れないというよりは、見に行きたくないっていう理由で来なかったですね。結構ね、皆さんは別に私の母をご存知ないんで、意外なことにと言ってもあれなんですが、よく人様に言われるのは、私の母はすごく気が強い。実際気強かったですし、社交的であるとかいう感じなんですけども、ビビリなんですよね。
09:09
結構メンタル弱い人なんで、私がいやいや絶対わかってるとか言っても、そんな落ちてたら嫌だみたいなことで来ないんですよね。なので、一人で新幹線に乗って合格発表を見に来ましたね。
あの時もそうだし、それからその後、引っ越しをする時もそうなんですけど、一人で新幹線に乗って東京に行くっていう機会が何回かあって、その時に東海道新幹線の中で流れていたチャイム。タンタタタン、タンタタタンっていうね。あれはなんかやっぱりすごい印象的ですよね。私のその青春時代っていう感じがして。
今は全然違う、ビー・アンピシャスですらない曲が流れているので、全然何の感動も感慨もないですけれども、東京に向かって合格してましたっていうことでしたね。