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2024-04-16 10:12

名古屋市の給食

サマリー

名古屋市の給食には様々なギャップがあり、東京とは明らかに異なる特徴があります。名古屋市の給食は一律に給食センターから配布され、華やかさや工夫は少ないですが、姉妹都市の料理や海外の料理を経験する機会を通じて、子供たちにとっては貴重な経験になっています。

名古屋市の給食の特徴
様々なギャップが名古屋で感じましたね。
例えば細かい話、子供の記憶なんで細かいことが多くなっちゃいますけれども、
給食、東京でも、東京というか世田谷区でも名古屋市でも給食はありました。
が、全然何か違うんですよね。名古屋市の人には、「なんだ東京の人間がよ!」って言われそうですけれども、
名古屋の給食の方が質が低かったな。
これちょっと難しいところがあって、東京にいた頃の世田谷区立三原寺小学校っていうのは、給食モデル校みたいなのが指定されてたんですよ。
なので、給食センターみたいなところから持ってくるんじゃなくて、ちゃんと学校の中に調理室がありましたし、ランチルームみたいなのがあって、
わりかし、ちょっとはっきりわかんないですけど、独自食の強いメニューを出していたような、その後食べたことないようなものを食べてましたもんね。
鶏肉、私一番好きだったのは鶏肉の足の部分をそのまま丸焼きにしたようなもの。
あれなんていうんだ?わかんないですけど、足の先っぽのところに銀河みたいなのが巻いてあって、かぶりついて食うような感じのやつ。
あんなの給食普通ないですよね。あとね、ジャンボ餃子っていうメニューあって、でかいんだとにかく。
さらにドーンと乗るような、普通の餃子っていうところの5個分とかですかね、乗ったかもしれないっていうのがあったりとか、すごい工夫を凝らしたメニューがあって、
全体でやってるのが三原野諸国だけであったかちょっとわかんないですけれども、まあ楽しかったんですよ。
名古屋市の給食は多分、給食センターから一律に毎日同じメニューが各学校に一定だと思います。
給食センターによる一律の配布
そもそも自治体の単位も、東京だと23区ってそれぞれ別にやるわけですよね。
小学校の先生の異動って都内で共通してやるみたいですけども、都教育委員会なんでね。
とはいえやっぱり自治体ごとの影響がすごく強くて、東京の区だけはね、区議会とか区長とかいますからね、選挙で選ばれる人たちはね。
全然違うんですね、あの特別区だから。
なんでそういう影響がおそらくあったのではないかと。
世田谷の人口が多分今80万人ぐらいですかね。
当時はもうちょい少なかったんじゃないかなと思いますけれども、それに比べて名古屋市って人口230万人だから児童の数も当然もっと多い。
世田谷より多いわけで、それを一律にやらなきゃいけないから、それはセンター方式になりますわね。
給食センターみたいなのを作ったやつを学校に配ると。
給食のおばさんって当時言ってましたけど、おばさんしかいなかったから、給食のおばさんとのおふれあいみたいなのも三原寺小学校ではありましたけど、それないですよね。
なんかその人たちがメニューの紹介とかしてましたもんね。
名古屋ではまず給食が結構冷めてるんですよね。
あとね、容器が三茶生ではメラミ食器だったんじゃないかな。
なんか陶器に近い感じの感触だった。
これもね、名古屋はアルミの食器なんですよ。
だからね、鉄っていうか金属だから冷たいんですよね。
そう、給食がなんか冷たい印象で、あれっていう、温度ってめちゃくちゃ職人にとって大事じゃないですか。
三茶生の場合は作りたてだし、食器も温かみがあるしっていうのがあったんですけど、名古屋は全然それがなくて。
かぼちゃのフライとか何か覚えてるんですけど、3つ金属製の容器にポコンポコンポコンって入ってて。
で、それと汁みたいなのが、大きいおかず小さいおかずみたいな言い方してたと思いますけど、その学校では。
あって、あとパンで終わりみたいな。量も少ないんですよね。
三茶生の時の方が明らかに量も多かった。それで太ったのかもしれませんけど、なんかね、しょぼいなって正直思いましたね。
姉妹都市や海外料理との経験
だから名古屋市の給食にもいいところはあって、名古屋市って、私のいた頃で姉妹都市が5つあったんですよ。
えっとね、シドニー、ロサンゼルス、南京、メキシコシティ。あれ4つじゃん。
じゃあ4つかも。すいません。あったんですよね。結構世界の名だたる都市じゃないですか。さすが名古屋、日本でも4番目に人口の多い都市ですからね。
で、その姉妹都市記念日みたいなのの時には、その町の料理が出るんですよ。
ロサンゼルスとかだとフライドチキンみたいなのが確か出たし、シドニーなんだっけな。全然覚えてないですね。ごめんなさいね。
南京の時とか中華料理的なものが出たと思います。あとそうそう、名古屋市生記念日にはウイローが出るんですよね。
一口ウイローみたいなやつ。これ嬉しかったですね。みたいな。
があるんですよ。それはサンチャショウにはなかったなぁ。世田谷県も姉妹都市なんてきっとあると思いますけどね。それはなかったですね。
私の記憶だとね。あ、そう。それでメキシコシティはもう強烈印象に残っていて、
タコスが出たりとか、メキシコ料理ですからね。するんですけど、私が覚えてるのはソパでトルティーヤっていう。
ソパってのはスープのことですね。トルティーヤっていうのはトウモロコシの粉で作る食べ物で、タコスを巻いたりするものでもありますけれども、
要はメキシコ料理の基本というか主食みたいなもんですよね。だからスープに入れて食べたりもするわけですよ。
トマトベースのスープで、そこにそのトルティーヤが入っていると。他にも野菜とか肉とかちょっと入っているような感じのスープだと思うんですよ。
絶対今食べたらうまいと思うだろうなと思うんですけど、当時はね、やっぱりトマトって独特の酸味があるじゃないですか。
だから子供向きじゃないんですよね。僕は食べたけど、正直美味しいと思って食べたんじゃなくて、給食を残しちゃいけないというか、食事というものは全て食べきるもんだっていう信念。
それ結構ね、親にも言われてましたんで。親に言われたのか祖父にとか言われたのかは覚えてないですけど、とにかく家のしつけとしてやっぱり出されたものは食べなさいっていうのはね、言われてましたんで。
ほんとベタになんかご飯粒とかもね、これ本当に農家の方が作ってくださってるんだからみたいな、言われましたもんね。
で、それは食べましたと。ただおかわり大魔王だったら、私もさすがにちょっとソファでトルティーヤ2杯目いらないやっていう感じだったんですよ。
ただね、他の子たちは本当も全然食べられないことが多くて、メキシコの方には申し訳ないですけど、ちょっとやっぱ子供には早かったですね、多分ね、味が。
で、大量に残ることになり、心を痛めた名古屋市の給食センターがですね、本当覚えてます。放送入りましたもんね。
校内放送で、今年は本当に去年よりもおいしくしました、みたいな放送が入って、誰が言ったんですかね、あれね。先生だと思いますけど。
これで食べるわけじゃないですか。だからね、違いよくわかんなくて、子供なんでね、申し訳ないです。
で、やっぱり残ってしまったっていうですね、そういうことがありましたね。
いいことですけどね、ああいう海外の料理に触れる。とりわけ僕が子供の頃って、まだまだ外国の料理を食べることって珍しかったですよ。
本当に今からは考えられないですけれども、養殖っていうのは昔からありましたね。ハンバーグであるとか、ハヤシライスみたいなものはね。
焼肉とかもありましたね。韓国から来てるんでしょうけど。だけどね、全然他の国の料理って乏しくって、エスニックブームっていうのが来るんですよ、80年代にね。
それで初めてタイであるとか、ベトナムであるとか、エスニックっておかしな言葉ですけど、民族的ってことですか。
要はね、当時はフランス料理とかじゃない、フランス料理とかイタリア料理とかじゃない、そういう料理のことをエスニックって言ってて、なんとなく辛いイメージありますね。
辛いばっかりはないんだけど、香辛料がたくさん使われているっていうイメージかな。カレーもね、インドカレーのお店とかもそんな全然今のような感じではなかったと思いますよ。
インドカレー屋っておそらく町々にあるじゃないですか。東京なんかそうだと思いますけれども、一つの町の塊があったら必ず一点はあると思いますけど、全然そんなことなかったですね。
で、他の国の料理なんてなおさらって感じだったのが、一気に広がった、ブームになったんですよね。スペイン料理なんかも全然なかったと思いますね。
で、なんかスペイン料理はエスニックに勘定されていたような気がしますけれども、ちょっとその辺は曖昧です。
っていう中で、休暇で海外の料理を体験させてもらえるっていうのはありがたかったですね。本当にまだそういう時代でしたね。
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