1. 神田大介の経験
  2. RI学園② 右翼の理事長
2024-06-26 10:07

RI学園② 右翼の理事長

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小学6年生で介護となった塾、RI学園というんですけど、ちょっと変わった塾でしてね。塾で教えていること自体はそんなに変わったことはやってないんですけれども。
まず学園ってのがあって、普通あります?学校には校歌があるじゃないですか。塾に歌があるんですよね。それを時々歌わされるんですよ。
集中補修授業とかがあって、日曜日とかにあるんですよね。そういう授業がね、休みの日に。それに行くと朝とかに歌わされましたよね。
RI学園、我らの広場、トゥントゥントゥンみたいな歌がありまして。まずそもそも行くと、校内放送みたいなのが流れていると。実際に我々も歌わされるっていうね。
自治庁で一番偉い人なんですけど、井垣先生って言ってましたけど、事業を教えることはなかったですけどね。この人が本当に名古屋の港区だったり中川区だったりっていう、いわゆる学校が荒れてるとか学園のレベルが低いって言われていた地域から新学校に子どもを送り出すことに、
学校の先生ではなくですね、塾の先生がそういうことを成功したっていう、だから立志伝柱の人物というか立派な人なんですよ。なんですけど、完全に右翼なんですよね。
もうなんか日の丸大好きみたいな人で、なんとなくそういう右翼というか保守系の人の趣味っぽいところを感じなくはないですよね。そんな学園校を子どもたちに歌わせるっていうのはね。しかもだからちょっとさっき歌いましたけど。
なんていうか、ややグングンかとまでは言わないけれども、硬質な歌ですよね。硬い硬質ね。歌謡曲みたいなものでは全然なかったっていう。子どもが通うわけですけど、小中学生が通うところなんで、もうちょいポップな感じでも全然ありだったんじゃないかなと。
むしろそういうのを魅力に感じる子どももいたんじゃないかなと思いますけど、全く違いますね。本当にゴリゴリの学園校ってのがあって、それを歌わされると。教室はまあまあ広くて、特に大教室みたいなのもあってですね、本当に大学みたいな。どうでしょう、100人までは入らないかもしれないけど、結構でかい教室があったりとか。
当時としては珍しかったですけど、ブラウン管のテレビはですね、天井からブーって降りてきて、教室が2つあるんで、港教室と鈍局教室があるんで、どっちかで授業をやって、テレビの画面を見るという等身衛生予備校的な感じで見ることができる仕組みとかもありました。あったけどあんま使ってなかったかな。別に生の先生がやってくれた方がいいですからね。
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という塾に通うようになりましたと。特徴的だったのが漢字の練習、漢字難しかったですね。だから水陶薬とかっていうね、漢字を覚えたりとか。
えーとね、首都国名っていう言い方をしましたけど、なんで首都国名って言うんだろう。国名首都名なんですけど、要は例えばアメリカ合衆国ワシントンですね。フランスパリとあって、その国名と首都の名前っていうのがプリントにバーって書いてあって、これを暗記するんですよ。
えーと、範囲が毎週その20カ国ずつ区切られていて、で全部で確か140だか60ぐらいの国。なんかあると中南米とかね、パスされてる感じでしたけれども、そういう国名と首都名を答えさせるっていうですね。だからまあ何ですか。アメリカ合衆国って書いてあってワシントンって答えさせるとかですね。そういう感じですよね。
で、それを覚えさせられた。これはね、でもね、びっくりすることにその後一番役に立ったと言っても過言じゃない。なんせ私、そこから30年ぐらい経てですね、特派員になるわけですよ。
そうすると、そのマイナーの国の首都名も知ってるのっていうのは結構なね、アドバンテージなんですよね。だからニジェールの首都がニアメイであるとか、マダガスカルの首都はアンタナナリボだとか、それ全部知ってんですよ私。それはその塾で丸暗記させられたからですね。小学6年生とか中学1年生とかの頃に覚えたことって忘れないですよね。
それは結構良かった。今思えば良かった。ただ、それもあれですよね。私のような仕事に就けば役にも立ちますし、まあそうでなくてもね、外務省とか消費者とかに行けばいいんでしょうけど、そんな子いないでしょうからね、あんまり。
って考えると、ほとんど全ての人にとってはあんまり役に立ってないのか。でも覚えておいて損はないと思いますけどね。知識は荷物になりません。あなたを守る懐がたまです。これ何でしたっけ?ボーボーグラフっていうテレビ番組、突然思い出しましたけどね。今田浩二さんとかやってたやつですね。
なんでそれを覚えたっていうのと、あとですね、授業は結構、言うて大学生のバイトの人とかが多かった。先生として教えてくれる人には、その専属の人ももちろんいるんですよ。
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井戸田先生とか山岡先生とか何とかいましたよね。田口先生、国語の先生、すごい覚えてるもんですね。各教科一人二人ずつぐらいはいて、西川先生とかね。みんなおじさんでしたけど。
夏休みとかは結構そういう大学生の人が来たりとか、夏休みだけじゃなかったな。明大生がいたりとか、夏は東大生がいるのね。RI出身者の、その塾の出身の東大生の先生が来たりとかしてましたね。
授業はやっぱり、小学校とか中学校とかに比べれば高度ですから、私は楽しかったですし、そもそもなんて言うんですかね。前にちょっと話しましたけども、学校の授業にはだいぶ不満があったので、それよりは自分が自由に羽根を伸ばせる感じがあって、塾の授業は好きでしたね。
先生自体も、例えば本当に大学生のバイトの先生とか、中学校の先生に比べるとだいぶ年も近いってこともあって、ザックバランに楽しく話もできるしっていうのがあって、塾の勉強は楽しみでしたね。
もちろん宿題は面倒くさいなと思ってましたけども、そんなに苦にはならなかったかな。
そこの塾は、夏休みになると小6あるいは中3でまとまったテストもひたすらテストばっかりあるんですよ。小6の時は40回テストって言って、中3の時は50回テストって言ってましたけど、これ何かっていうと、1教科につきテスト10回やるんですよ、夏休みに。
本当にお盆前後の時期ぐらいのところでやるんですけど、毎日テストやるんですよね。
4教科のテストを10日やると、中3になると英語が入ってくるんで、5教科のテストを10日間やるという、そのマラソンテストみたいなのをやって、そこの合計点なんかで塾に張り出されるんですよね。
だからやっぱり公立の名古屋市立の小学校中学校とは違って、という上位だけそういうふうに名前が張り出されるというですね。しかも紙に貼るとかじゃなくて、なんかちゃんとあの木にちょっとね、カツジでもって彫られるみたいなね、そういう名誉があるわけなんですよね。
小6の時は、ちなみにその塾は小4からかあって、港教室とどんこ教室って言いましたよね。大体生徒の数は1対2ぐらいでどんこのほうが多いんですよ。塾の建物がでかいし、人口が向こうのほうが多いんでね。
小6の時は1位、2位、3位はどんこ教室のやつだったんですよ。市江高雄真淵ですね。覚えてるね、名前。男3人。私4位だったんですよね。でもえらいと思いません?
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だってその3月とか4月に入って、8月にテストがあるわけですよ。塾っていうものの勉強のレベルってやっぱり全然高いわけじゃないですか。公立の小学校とはわけ違うわけですよ。東海中学校とかっていうね、私立の学校の受験対策をやってる人たちがやるわけですから。
全然最初に旅人団とは何やってるのかわけわかんないなと思ってたんですけれども、ちゃんとそういう中でも4位まで食い込み、ちなみに中3の時には私1位でしたね。それにしましてどうなんだって話ですけれどもね。でもそういう塾に通っていましたよということですね。
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