塾の夏合宿
その塾の話の続きですけど、もう一つ特徴があってですね、夏休みに何か合宿があるんですよね。軽井沢合宿。軽井沢に何か寮があるんですよ。
当時の塾ってイケイケだったんですかね。
小6でも行ったし、中1、中2も行ってんのかな。
希望制になったのか全員行かなきゃいけないんだったのか全然覚えてないですけど、とにかく行きましたね。
テニスやるんですよ。日中テニスとかもやるし、タンデム、二人乗りの自転車やるじゃないですか。カップルが乗るやつ。あれ乗ったりとか、青春の1ページって感じですよね。
ご飯はね、なんかでっかい旅館のところで食べるっていう。だから本当に学校の小学校旅行、臨海学校みたいな感じで軽井沢に行くんですよね。
温泉旅館みたいなところもあったりとかね。もちろん勉強をずっとするわけですよ。だから勉強の合間に息抜きとしてテニスやったりするっていう感じなんですけれども、そういう合宿がありましたね。
そこで女の子とペアになってて、自転車こいたりするわけですよ。それは塾の側が勝手に決めてくるんですけど、なんかそういうのもね、ちょっとドキドキっとするような感じがありましたよね。
あとは、その塾っていうのが前回ちょっと触れましたけれども、結構保守系、右翼系のキャラ丸出しの理事長だったんですよ。
で、なんかね、理事長候補はみたいなのがあるんですよね。特に集中補修事件の時とかあって、今考えてもそれ何の意味もない。
だって、今の塾、別にサピックスでも汗垢でもいいですけど、哲学会でもなんでも、そんなのやらないでしょ。理事長が出てきていきなりとうとうと喋るっていう、そして授業の時間を圧迫するんですよ。
なんか、今日に乗るとですね、理事長がいつものように喋ってるんですよね。授業の時間って、もう忘れましたけど60分とか90分とか、それは決まってるわけじゃないですか。そこに食い込んでくるっていうね。理事長が喋れば喋るほど、授業の時間が短くなるっていう、本当に本末転倒な感じでしたけれども、喋るんですよね。
よく覚えてるのが、当時、社会党政治の話ですね。社会党の土井孝子党首っていうのがいて、マドンナ宣布が吹き荒れてですね、自民党がボロ負けして山が動いたっていうふうにね。
尾高さんが言ったっていう、その選挙がありましたけれども、これもうちょっと社会党が政権取るんじゃないかぐらいの勢いあったんですよ。しかも参院の方はもう社会党が多数になったみたいなのがあったと思いますけれども。
その時にはその井垣理事長は本当にあのもう結層を変えてですね、このままではもう日本は滅びるとかですね。社会党が政権になったらもう日本は終わりだみたいなことをとうとうと喋ってて。あれは私中学生でしたね。もうね、急にとかなのかな。
合宿の活動
私は左翼青年だったんで、左翼的な考えを持ってたんで、放送を聞きながらですね、放送が流れてくるスピーカーを睨みつけたんですよね。
その様子を見たのか、なんかね、教室にはその井垣理事長の話は全部スピーカーで流れてくるんですけれども、教室には別の先生がいて、その時にいたのが井戸田先生っていうね、ベテランの先生だったと思いますけれども、その先生は理事長の話が終わった後にすぐにね、
いろんな考え方がありますからね、とかつって取り成すようにして、すぐに授業を始めた。井戸田先生は数学の先生だったり数学の授業だったと思いますけれども、あの先生元気にはしてないわな。元気にはしてるのかな。知りませんけど、当時すでに結構なお年だったんでね。今からどうされているんでしょうか。
ただまあそういう気迫のある人のもとで、名古屋南部の学力が上がったっていうところもあるんで、まあまあね、井戸倫理とか別に私そんなどっちでもいいですから、やっぱりそういうことをちゃんとやったっていうエネルギーの源みたいなところにね、そういう政治的なものがあったかもしれないですし。
ていうことがあった。あと覚えてるのはですね、その学生バイトの先生だったんだと思うんですけど、なんかちょっとね、かっこつけた感じの先生だったんですけれども、我々のクラスでですね、みんなで騒いでたんですよね。
中学生とかね騒ぎたい盛りですから、でうまい先生ってのはそこらへんを上手にいなすんですよね。ちょっとこう話の時間とかも作って、ではいここからはまあまたもっかいちゃんと勉強やりましょうねって感じで空気をね、すっと変えるとかっていうのがその学生のバイトだったとしてもうまいわけなんですけれども。
だけどね、その先生はね、宮本さんとかっていうのがあったら多分な宮本先生はそれでうるさいとか言ってブチギレて、まあブチギレる先生とはたまにいいんですよ。別にブチギレはいいですけど、で我々の支援員となるじゃないですか。
で、そうしたらですね、その後授業が終わるまで30分40分ずっとその先生黙っちゃって。
あれは何だったんですかね。あのなんかしゃべるよっていう。授業やればいいじゃん。みんな黙ってんのし。だけどなんかお互いにその生徒側も先生も一言も発さずになんか。
押し黙ったままただ時間だけが流れていくというですね。
何だったんですかね。でも今思うと私もなんで何も言わなかったのかな。いやいや先生これ時間無駄だからなんかやりましょうよとか言えばよかったですかね。
でも多分私が騒いでたのかもしれないですね。罰が悪かったのかなって。私も本当結構調子に乗るところがありまして、そういうそのクラスが騒いでるときとかっていうのはなんかその盛り上げちゃうとこなんですよね。
みんなが笑ったりしてるのすごい楽しいんで。それは学校でも塾でも全く変わらなかったですね。だから先生の言うことにツッコミを入れてみたりとかっていうのはもう本当に隙を狙ってはやってましたからね。
だいたいその塾の授業だって基本的には教科書の内容を先取りしてるみたいなことなんでそんな面白くはないんですよね。
先生と一緒に楽しく盛り上がれればその方が良かったっていうような考え方はとりわけ中1中2の頃とかねあったですよね。
あの先生どうしてるんですかね。その後姿を見ていないような気がするんですけどね。小学校の時の山田先生みたいなもんですかね。
あとはですねえっとなんだろうなぁああまだ大罰は普通にあったなっていうのを思い出しますよね。前に小学校の時の木又先生の話をしましたけれども塾でも大罰はありましたね。
その西川先生って人はとりわけ大罰をする人でね。
なんだろうなやっぱり子供に対して受けを狙おうっていうところがあってなんかはもうオライアン山口桃井ちゃん大ファンだったんだみたいな話とかはね熱っぽくするっていう一方でですね。
私も殴られましたもんねなんかだから喋ってると事業中喋ってると殴られるっていうね。
で私も殴られたし他にも殴られてるやついたし。
うーんって感じかな宿題をやってこなかったりすると殴られましたねあとね私はだから宿題をやらないってことはなかったんですけど事業中うるさいってことで殴られるってことは直々ありましたね。
あとあれだなタグチ先生っていうその国語の編成ねいい先生でしたね国語の授業私本当に中学の轟先生の授業には不満があったんで誰先生の授業は普通にやっぱり国語の授業としてちゃんとしていたんで面白かったんですけれども。
でそこら辺はねタグチ先生の方も私みたいなその国語のね授業が好きな生徒ってのはそれはまあね気分は悪くないでしょうからね。
だから私が卒業するときに本もらったんですよねその時もらった本がパパラギっていう本ですよこれはねどこの国だっけ南の方にあるねパパニューギニアとかなんかそういうようなとこ。
どっかの首長ツイアビっていう名前の首長がドイツですけどね確かねに来た時にそこをこうなんかねなんでこんな現代社会を封死するような話なんですけれどもなんでこんな風にねこの今の現代の先進国に住んでる人たちはこんな苦労をしているのかっていうのをその南のね島国の視点で封死するような話なんですけれども。
実際には後に知るんですけれども書いてたのはドイツ人らしいんですけどねだからその南の国のね首長の名を借りて自分たちの社会を批判してたんですけれどもそういうことを知っていたのか知らなかったのかたぶん知らなかったんじゃないですかね。
タグチ先生はねそれをこの本をくれましてですねなんか二重の意味でよかったですよね。文明批判封死みたいなところでも勉強になりましたしさらにそこからその後その本書いてたのしかしその首長じゃないんだっていうのを知ってまた勉強になったしっていうね。
そういう先生、塾の先生の方が中学校の先生とかでも全然出会いとしてはよかったなって思いますね。