1. 奏でる細胞 MUSIC & SCIENCE PODCAST
  2. 2-46. 共通テーマ「出会い」ゲ..
2024-03-09 1:11:53

2-46. 共通テーマ「出会い」ゲスト渡邉雄一郎さん(京都大学)、化学との出会い、ノーベル賞との出会い、超分子研究との出会い #科学系ポッドキャストの日 #腸内細菌相談室 

2-46. ノーベル賞の先生から言われた言葉 共通テーマ「出会い」ゲスト渡邉雄一郎さん、超分子研究の縁 

#科学系ポッドキャストの日 #ポッドキャストフリークス

#ポッドキャストアワード #腸内細菌相談室 #サイエントーク #宇宙ばなし #根岸英一 #ノーベル賞

渡邊雄一郎

京都大学 大学院工学研究科 高分子化学専攻 助教

▼X:⁠https://twitter.com/ywatana_PU

▼Research Map:⁠https://researchmap.jp/ywatana

YOMIURI ONLINE(読売新聞オンライン記事)

https://www.yomiuri.co.jp/science/20210830-OYT8T50036/

「学問の原点は夢であってほしい」「永遠の楽観主義」…ノーベル化学賞・根岸英一さんが遺した言葉

1)3月のテーマは出会い

2)全ての参加ポッドキャストをご紹介します

3)今回はノーベル賞受賞者がたくさん出てきます

4)少年時代の雄一郎

5)高校時代に扉は開いた!

6)早く研究者になりたい

7)海外に行くチャンスが

8)スカイプはポスターの前で

9)根岸先生との出会い

10)超分子の研究は驚きの連続

11)何度生まれ変わっても行きたい研究室

12)ノーベル賞の先生と過ごした日々

13)レンさん元気ない!?

Spotify 奏でる細胞 By タツ(細胞学)ゆりか(リベラルアーツ講師)⁠https://open.spotify.com/show/0xUhOqvpo69YiT7pmYdech⁠

アメリカから配信する科学番組 「心を開いて相手の話を聞くことで自分の人生に役立てていく」 学びあり、笑いあり、出会いあり、科学教室の先生が様々なゲストと語り合います。 細胞の中にある音楽やリズムの研究に夢中になっているタツさんがリベラルアーツ講師のゆりかさんと細胞、老化、物理学、など様々な分野の専門家、ポッドキャスター同士のコラボ、留学や海外生活などについてポッドキャストを通して楽しく学ぶ番組です。

リスナーからの感想お待ちしています! ⁠https://forms.gle/Vsx7t9iFwC5VsxTbA⁠ (お便りはこちらフォームから受け付けています )

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▼ハッシュタグ:#奏でる細胞

▼スポンサー:はたなか内科・糖尿病クリニック ⁠⁠https://hatanaka-naika.com/

00:02
奏でる細胞
奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ・インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
この番組は、地域医療に貢献し、皆様の一番近くにいるホームドクターを目指す、はたなかないか糖尿病クリニックのスポンサーとでお送りいたします。
こんにちは、ゆりかです。
本日は、科学系ポッドキャスト博物館においでいただきありがとうございます。館長の湯川学です。
またまたの登場、ありがとうございます。
科学系ポッドキャスト博物館の館長として、本日皆さん、この科学系ポッドキャストの日イベントに来ていただき、本当にありがとうございます。
今回、大変申し訳ないお知らせがありまして。
どうしたんですか?
本館名物のサイエントークと宇宙話が出張展示になっておりまして、ご覧いただけません。
そう来る?
というのも、ポッドキャストフリークスという大きなイベントがありまして、レンちゃんとレオちゃんをそちらにお貸ししております。
ポッドキャストフリークス様がどうしても借りたいということですので、我々としてはそちらに出展させていただいております。
シカゴ美術館からボストン美術館へみたいな。
リスナーの皆様も、ぜひポッドキャストフリークスの方をお楽しみください。
また、僕たちはお二人のオルスをしっかり頼むと言われておりますので、盛り上げていきますよ。
つばさ君とみさき君がいない難関FC状態ですが、
それはちょっと大変な状況だ。
こういう時こそ、マイクは友達、チームワークが大事ですね。
マジですよ。
ということで、今回参加くださる大事な大事なお仲間を紹介させていただいてもよろしいでしょうか。
はい。
ゆりかさん、こちらから読んでくださいね。
損ない理科の時間B。
すみません。背番号でお願いします。
背番号1。
待って待って、そういう流れなの?何これ。もう一回行きます。
背番号1。損ない理科の時間B。
負けられない戦いがあるんです。
伝説のゴールキーパー、若林義康。
背番号2。ステムFM。
市さんは大学教員、知的なディフェンダーです。
背番号3。体制タイムズ。
体制博士、樋口塾型ディフェンダー。
背番号4。サイエンスラバー。
毎回すごいゲスト、鉄壁の守りを誇ってます。
背番号5。デザインレビューFM。
常蔵さん、技術&工学&AI型ディフェンダー。
背番号6。バイキンラボ。
微生物型リベロです。
以上、鉄壁の守りを持つ科学系ポッドキャストチームですね。
背番号7。ものづくりのラジオ。
アフロー。
03:01
背番号8。英語でサイエンスしないと。
バイリンガルー。
背番号9。教育をザックバランに語るラジオ。
教育型のドリブラー。
背番号10。時間・栄養学の時間。
栄養学の司令塔。
背番号11。精神アルデヒド。
大阪代表です。
背番号12。農と食のラボラジオ。
農学部代表です。
背番号13。隣のデータ分析屋。
北海道代表です。これ本当に北海道代表の作家選手。
背番号14。町内細菌相談室。
はい、今回のキャプテンマークは大輔さんになってます。
これはどういう夫人ですか?
1、4、3、3くらいの夫人ですか?
5、4、5くらいですかね。
鉄壁ですね。
天取屋ですから、こっちのフォワード陣は
天取たかりの人たちになってますからね。
分かりました。
時間・栄養学の時間から全員フォワードなんですね。
ここは4人ですね。ごめんなさい。
精神アルデヒド、農食ラジオ、データ分析屋、
そして細菌相談室。
4トップです。
4トップ。いいですね。
皆さん確実に手を取ってくれるはずなので。
そうすると三崎君と翼君がいなくても、
大丈夫。手は取れる。
だからレンさんとレオンさんは
ポッドキャストフリックスを思いっきり頑張ってきてください。
今回なんですけど、
カポキ大賞も開催ということでアワードをやりますので、
面白かった番組の方にですね、
感想をハッシュタグ、科学系ポッドキャストの日でつぶやいてください。
そうすると皆さんの採点が点数になるので、
審査員は皆さんという風になってます。
ということで細かいところは後で連絡しますので。
今日なんですけどユリカさん、今日はどんな風になってますか?
今日は奏でる細胞の内容としては、
ユイチローさんとノベル賞。
2つ目がねぎち先生がくれた大切な言葉やアドバイス。
3つ目は企画の大事なお知らせになっております。
今回のゲスト、渡辺ユイチローさんは、
僕が思うには若いのにも関わらず、
本当にいろんな研究の面を知っている人なんですよ。
専門は化学なんですけど工学にも精通していて、
そしてスタートアップみたいなのにも関わっていて、
本当にいろんな経験を持って、
そしてこの海外の経験を持って今京都大学で活躍しています。
だから僕は若い人たちに是非ね、
ユイチローさんの声を聞いてほしいし、
できれば会いに行ってほしいなと思っているんですね。
僕はできるだけ多くの人たちが、
化学ってこんなに楽しいよ、面白いよ、
世界に行くとこんな良いことがあるよ、
こんな意味があったよっていうのを、
ユイチローさんの経験を是非一度聞いてほしい。
そうね、あとお子さんを持つお母さんたちだったら、
こういうところで自分の子供が習うんだって、
ユイチロー先生から習うっていう未来が、
こんなに広がるんだってことも思うかもしれない。
06:01
そう、だって私なんか自分の息子が、
このユイチロー先生に習ったら、
どんなに幸せだろうかって思うのよ。
だからそういうね、広がりも含めて。
ゆりかさん、今回のユイチローさんのゲスト回、
ちょっとユイチローさんのどんな魅力が引き出されたか教えてください。
えっとね、
例えばならば、大きな道を歩いている人だっていうこと。
その大きな道を歩いてるんだなっていうふうには、
うすうす思っていたんだけども、
今回子供時代の話を聞くことによって、
あ、この人は大きな道に生み落とされた男だったんだなってことが分かったのね。
で、その道が狭まることなくどんどんどんどん広がっていって、
例えば就職だったり、あとは留学だったりで、
いろんなことを諦めたりだとかで、どんどん狭まっていく場合もあるのよ。
それがね、あ、そんなことって必要ないんだなと思って、
どんどん広がっていくんだなっていうことが分かって、
いやー、ものすごい大きな冒険の中に彼はいて、
その冒険の途中で私は彼に出会ったんだなっていうことが分かって、
ユイチローという道を感じました、私は。
なんかでもすごい分かるわ。
彼という輝いてる人と人生が重なってたんだけど、
彼と喋ることによってちょっとルーツが分かったのと、
それから日本に帰って、今も京都大学でそれを輝きを貫いているというか、
ユイチローを貫いていると分かってよかったね。
分かってすごいよかった。
で、私が出会ったユイチローというのが、その大きな道の中の
あ、この部分だったんだなっていうことも分かって、なんか嬉しく思いました。
そうですね。じゃあ皆さんその内容についてね、詳しく聞いていただければと思います。
はい、どうぞお聞きください。
奏でる細胞
ちょうど3月になりましたからね。
この出会いのテーマを考えたときに、僕の頭の中に浮かんだ人がいまして、
その方に今日は来ていただいてます。
スペシャルゲストの渡辺ユイチローさんに来ていただいてます。
こんにちは。
こんにちは。
ブロー。
ご無沙汰してます。
ユイチローさん、ポッドキャスト初めてですか?
初ポッドキャストでガチガチに緊張してます。
不思議な感じですね。
長い間ずっとインディアナで一緒だったんで、
今日はね、そのユイチローさんとの出会いや、そして何といっても僕とユイチローさんをつないだというか、
縁といえば、
カップリング?もしかしてカップリングの話?
僕らをカップリングさせてくれたのは、ノーベル科学賞受賞者の根岸栄一先生なので。
根岸カップリングだったのね、お二人はね。
そういうことになりますかね。
そういうことになるね。
なんといっても科学との出会いということで、このノーベル賞受賞者二人の意思を継いでいるのが渡辺ユイチローさんなんですけども。
09:07
高分子科学ってことですね。
そうです。プラスチックを研究してます。
僕ね、もう忘れられないんですよ。ユイチローさん、このインディアナのパドゥー大学で、根岸先生のいた、
ケミストリーのデパートメントで留学をされていて、根岸先生の、あの大高度何人入るんですか?
あそこは、普段は学部生が220、230人で受けてますね、基本。
根岸先生がノーベル賞受賞した日のね、その日そのまま講義されてた時の映像が残ってて、そこ見てもらうと分かるんですけど、すごいでっかい階段教室なんですけど、そこでね、講義をされてたんですよ。
かっこいい。
すごいでしょ。あの伝統ある行動で。講師ですよ、僕らのユイチローが。
僕らのユイチロー。
いやいやいや、運が良かったです、あんなとこで授業できて。
で、僕が一番最初にユイチローさんに聞きたい質問いきますよ。この科学分野、どうしてユイチローさんはこの科学分野に進んだんですか?
あー、なんで進んだんですかね、博位ってかっこいいからみたいなそんな理由かもしれないですけど、ちっちゃい時から虫捕りとかなんか科学っぽいこと好きだったんですよね。
なんか例えば魚とか釣ってきて解剖するみたいなとか、なんかそういうのやってて、いろいろやってくとこれ結局つながるの科学なんだよみたいな。
あーじゃあ科学ってなんか面白いんだなーみたいな。そんな感じでたぶんきっかけあって、スライム作るとかあるじゃないですか。
洗濯糊とかでねばねば作ったり、砂鉄取ってきて磁石混ぜたりとか、そういうのやっててちょっとずつ科学好きになって、実験が好きだからかもしれないですね。
手動かすのが好きで、実験っていうかそういうの楽しいなって。で一番きっかけは小学校3年生の時の担任の先生かもしれないです、ルーツは。
あら、どんな先生?
その先生は自己紹介の時に、今ないですけど、カメラのフィルムケースってあるじゃないですか、プラスチックの白い。
うんうん、あれあった。
あれを持ってて、タコ糸を引っ張ったらポーンと先っちょがロケットに飛んでいくみたいなのをいきなり教室に入ってきてやってくれて、
でこれは科学ですみたいな、これが理科ですみたいな。でそれ以上多くを語らなかったです、その時。でなんだろうなんだろうみたいな感じになって、
で理科の実験の時に実はこんな反応が起こっててみたいなのを教えてくれて、面白いなみたいな。
でその先生いろいろやってくださって、例えば黒いゴミ袋、燃えないゴミとかのゴミ袋をペタペタ貼っ付けてめちゃめちゃでかいプラスチックの袋を作ったら、
太陽光を当たると中の気体が熱を持って浮いていくみたいな、熱気球をそのまま火を使わないでやるとか、
12:01
面白い。
そういうのいろいろやってて、科学より理科ですかね、理科って面白いなって。別にテストで点数とか取れたわけじゃないんだけど、なんかそういうの面白いな。
で明版の結晶を作るとか、とにかくそういうのずっと手を動かすのが好きで、科学が好きになりましたかね。
いい先生がいたんだね。
まさにね、私たちが科学教室でやったようなことだね。
一番心が柔らかい時にそういう楽しい科学っていうのをやってくれる先生がいるってありがたいよね。
そこから、やっぱり高校大学って進む時に、その分野っていうのはどうしていろんなサイエンスがある中で化学っていうのが、
雄一郎さんの中心になってきたんですか。
確かにそれは、高校でもう一個すごい出会いがあったんですね。
高校の担任の先生、1年生の時。
その先生は、いろんな科学講座とかアウトリーチのチラシとかを配ってくれるんですよ。
で、僕がそういうの好きそうだからかわからないけども、特にこんなのあるよとか言ってくれると結構食いついて、車乗っけて博物館連れてってくれたりとか。
そんな先生。
その中のチラシに勇気の光で世界を照らすっていう張り紙があって、
ちょうど高校1年から2年に上がった時って、ベンゼンとか習い始めるんですよね。
勇気化学。
で、よくわかんないけど、かわいいなみたいな、かっこいいなみたいな、ベンゼンってかっこいい。
それの最先端の化学を学べるっていうチラシがあって、それがJSTのウィンターサイエンスキャンプってやつだったんですけど、
それに断書みたいな、なんでそういうこと勉強したいか紙を書いて提出して、
で、それでそのプログラムに参加したのが山形大学の木戸順次先生の研究室で。
そこで繋がるのか。
そこで高2の冬に木戸県に行って、本当大学院の先生、スタッフの学生さんと先生が目の前で光る文章を一緒に合成してくれて、
で、次の日、みんなでワイワイした次の日に作った文章を使って有機ELディスプレイを一緒に作ってくれて。
もうそこで有機ELと出会ってるの?高校生の時に扉が開いてるんだ。
パッカーンですね。
そこで、その頃って有機ELが携帯電話のサブディスプレイに使われたとか、そのくらいの時代なんですけど、
だからまだまだ鼻で笑われてたかもしれない時代なんです。
その有機物でディスプレイ作るなんて耐久性もないだろうと言われてた時代が、ようやく製品化になった。
ソニーが初めて、世界で初めてテレビを作った年なんですけど、その年が。
1年前くらいだったのかな。
もうすごい最先端を行く、最先端の設備で実験させてもらって、すごいかっこよかったし、やりたい、もっと勉強したいと思って。
そこで僕の行ってた高校が東京工業大学の附属高校だったんですけど、卒業研究っていうのがあると。
15:05
僕は卒業研究で有機ELディスプレイを作る。
高校の卒業研究。ディスプレイ作ったの?
いや、光らなかったけど作りました。
光らなかったけど作りましたってどういうこと?光るはずだったの?
まず有機ディスプレイを作るって言ったんですよ。
そしたらその時の、またこれまた第三の恩師が出てくるんですけど、卒業研究のお世話になった先生が、そんなに作りたいんだったら作るだけじゃ研究にならないから、何をするか考えた方がいい。
その研究の考え方みたいな。今このままだと物知りになっちゃうから、理解上手になって何をしたいかっていうのを決めなきゃいけない。
話をしてくださって、その発光色素のどうやって色が変わるんだろうっていう評価と、あと有機ELデバイスを作るためにはどんなデバイス設計とか、どんな装置がそもそも必要なんだろうとか、そういうのを勉強することにして。
で、たまたま運よく登校台が近くにあったので、登校台の機械科の先生が、校長先生だったのかなが、いらなくなった真空装置とかポンプとかを譲ってくださって。
それをとんちんかんちんやって、デバイスを作る装置を作ったんですね。半年くらいかけて。
なんで高校生なのに、そんな大学の研究室みたいなことを、すごいね。
いやいや、でも今思うと本当に物作りなんです。ひたすら物拾ってきてとか、洗濯機のホースを持ってきてそれくっつけて排気のダクトにしようとか、そういうのを学生3人でやってたんですけど。
これはね、たぶん雄一郎さんが、この子違うなっていうのを出してて、先生たちがこの子はそれだけやっててもということで、ちょっとその背景をちゃんと考えようとか。
一緒に、ただ作るだけじゃなくて、その先も考えようとか言ってくださったんですね。
本当に恵まれた。今もその先生たちとは毎年1年に1回は会おうと思ってて、高校訪問していて。
去年は出前授業の機会をいただいて、こんな話したら、やっぱり今卒業研究やってるたちがいるから、みんな、あそこに転がってる装置って作ったのは渡辺さんなんですか?みたいな感じで、そうそうとか言って。
未だにあるね。
今もその装置が残ってて、そんな感じです。
まずここまででね。いきなり雄一郎が出たから。
このね、俺、雄一郎さんに何回か一緒にさ、カンファレンスみたいなのに一緒に出て、雄一郎さんの研究発表のイントロみたいなのね、させてもらった時もあって。
いつもね、綺麗に一文で表されてるわけ。
分子を並べて価値を生む。分子をつなげて価値を生むっていう、これが雄一郎さんの研究を表してるのね。
すごい好きな言葉なんだけど、これが雄起ELの研究を言語化してくれたんだよね。
18:03
それで雄一郎さんの研究これなんだけど、まず雄起ELが何なのかっていうのを、できれば科学教師の子どもたちが分かるぐらいのレベルでちょっと説明してもらって、そこをたぶん頑張ってたのは大学時代だと思うんですけど、
その大学時代のお話も少し熱量入れて聞きたいなと思って。
何時間でもおしゃべらせてくださいとか言って。
雄起ELって何て言ったらいいんだろう、一言で言ったらば光るプラスチックを作るみたいな感じだと思うんです。
今もう雄起ELって任天堂のスイッチとかにも載ってるんでだいぶ普及してると思うんですけど、僕が研究室配属された時とかは光るプラスチックを作ろうっていう。
LEDとの違いっていうのは簡単に言うと。
LEDとは兄弟というか似たようなものだと思ってもらって大丈夫です。
LEDはライトエミティングダイオードで発光ダイオードですよね。
あれは無機物からできてるダイオードっていう光るデバイスで、それを雄起分子で作ったのが雄起LEDでオーガニックライトエミティングダイオードで雄起ELって呼びます。
なんで雄起でやるかっていうところで、紙砕くと、例えばホタルの光とかも雄起物の光ですよね。
ホタルの光を僕たちが使おうと思ったら、ホタルは酵素とか体の中で化学反応を起こして光を出してるんで、
化学発光って言うんですけど、それって人間の手で操作するのすごく難しいので、できれば能動的に僕たちが使いたいときにオンオフできるようにって考えると、
酵素とかの化学エネルギーを光に変えるんじゃなくて、電気エネルギーを光に変えれたらいいよねっていうので雄起ELっていう雄起分子を電気で光らせる研究ができました。
それが雄起ELで、無機との違いとしてどっちも白色とか赤とか青とか緑とか全部作れるし、ノーベル賞の話もありましたけど、青、三原色が揃えば白く光るんだけども、雄起分子使うとすごくスペクトルが太陽光に近くなるんですね。
なので自然に近い優しい光が出てきて、パッと白って言われたら白なんだけど、よくワームホワイトとかクールホワイトとかあると思うんですけど、非常にスペクトルの形状は太陽光に似てる。
そうすると例えばお化粧をする時に雄起ELの下でお化粧して外に出ると自分が思ってた通りの色合いで表現ができるけどもLEDの下でお化粧したらちょっとなんかあれ外で見た時とイメージ違うなとか、それって白は白でも違う白色なんですねやっぱり。
そういう自然に近い優しい光で世界を照らしたいというので雄起ELを研究する研究者の方々がたくさんいます。
その分野の広がりとしては両方無機でやる人と雄起でやる人っていうのは両方同じぐらいいるって思っていいんですか?時代が変わってきたではなくて両方2つの分野が広がってるっていう風に思っていいですか?
21:13
そうですねどっちも分野は大きく広がってるし無機vs雄起ではなくて両方ともが共存する方がいいと思います。
例えばLEDは点光源って点で光らせるのがすごく得意なのでスポットライトとかLEDで絶対やった方がいいんですけど豆電球もが点光源ですね。
でじゃあ白熱電球から蛍光灯とかになると線光源になりますよね。雄起ELはって言うと面で光るんですね。
なのでそうだから例えば天井一面を雄起ELで照らすとか壁紙を全部雄起ELで照らすとかっていうのはLEDをプツプツ並べるよりきっと雄起ELでやった方がいいだろうな。適材適所になる。
ちょっと変な質問かもしれないけどインディアナのペイサーズがある体育館が床が光り出したのね。それって最近この2月。
いやすごいですよスポーツを盛り上げるために。
それは11郎くん作ったやつ。
売れてしまいましたかとかいや全然初めて聞きました。
そうなんだじゃあバスケのシューズが踏むと光るとかですか?
下がテレビ画面みたいになってて。
それは何?
普通のLEDなんじゃないかな。わからないです。見てみたいですね。
例えばこう薄いガラス状のものを敷いてどうのこうのってやつ。
強化ガラスみたいなやつを下に多分薄くもうプロジェクトマッピングっていうかもう映像を出しちゃって。
すごいですね。
宇宙の中でバスケットしてるような感じもするしその選手のプロフィールを出したりもできるし。
なんか様々なバスケットのコート状に出ちゃう。
かしこいそれは見たい。
そして先々週かなNBAのオールスターがインディアナポリスが行われたんです。
そうだ見に行かれたんですか?
まさかまさか。
見てない。全然見てないですけど。
見に行きたい。
見に行きたいよね。
行きたい。
盛り上がったね。
いいな。
そっかそっか。
勇気とムキの違いは教科書的には炭素があるかないか。
そうですね。
そういう基本的な認識でいいんですか?勇気とムキの違いっていうのと。
いいと思いますね。
違う?
いやいや合ってると思います。炭素からね。
ベンゼン管を持つか持たないか。そこまでちゃう?
ベンゼン管は炭素が6個でなってますけど、もうちょっと上かもしれないですね。
元素周期表があって炭素からなるもの。CとHとNからなるものとかよく書いてあるんですけど。
それが勇気分子ですかね。
Cさえあればそれは勇気分子。
24:02
いいと思います。それでその理解でOKかなと思います。
この勇気とムキの化学をくっつけた境目の教会分野に飛び込んだのが、
ねぎしえいち先生なんですよね。
ねぎしえいち先生の出会いに続けていきたいと思うんですけど、
そのUQLを山形大学でやっている雄一郎さんに留学の転機が訪れたと思うんですけど、
どういった流れで留学先を決めたりして海を渡ったんですか?
そうですね。先ほどの高校でUQLやってた時に訪問した軌道研究室に進学して、
そこでドクターを取りたい、一刻も早く研究者になりたいんだって入ったんです。
その時にいろいろあって、5年一環のリーディング大学院っていう博士を取るコースがあるっていう話があって、
そこに進学をすると留学できるとか、企業へのインターンシップの機会を得られるとか、
あとは最も大きかったのは同じ志を持つ同期の学生と一緒に切磋琢磨できるとか、
その三拍子が揃っていてそこに編入しました。
そのおかげでまず留学をするっていう機会を、チケットを手に入れたんですけど、
どこに行くかっていうのはむちゃむちゃ悩んで、
例えば大御所の根岸県に行きたいとか、
なんかいろいろ、もうイギリスからアメリカ、もうどこもどこもあちこち10人くらいリストアップとかしたんですけど、
その時に僕がやってみたい研究として、超分子化学っていう分野があるというのを聞いて、
で、それやってみたいなと思った時に超分子の大御所っていうと、
ジェン・マリー・レーン先生っていう先生がいて、もうノーベル賞取られてるんですけど、
もっと僕、UQLやってるけど有機合成そんなに知らないなと思って、
有機合成も勉強したいと思ったらば、ハーバード大学に岸義人先生っていう日本人でも有機合成のエキスパートの先生がいらっしゃる。
こういう先生たちのところに行きたいなと思って、
僕の共同研究先の片桐先生と先生に相談させていただいて、
いろいろ話していた時に、岸研卒でジェン・マリー・レーン研でポスドクをしたっていう先生がパデュー大学にいらっしゃるってことが分かって、
それがアレックス・ウェイ先生なんですけども、その先生にもNice to meet youで、
もうコールドメールっていうんですかね、もう全く知らない状態でメールをして、
初め全然返信なかったんだけども、そこから返信いただいて、10通くらいメールやり取りして、
その頃はZoomとかなかったんで、スカイプでミーティングしようっていうことでスカイプをして、
その時はもう大学の寮に住んでて、後ろに自分の学会のポスター貼って、
パッと出たら、君のパーソナリティを見たいから、研究は後でゆっくり聞くから話をしようって、
27:00
スカイプで20分、30分以内で終わったんですけど、そこでインタビューを受けてパデュー大学に行くことが決まりました。
それがまず最初の一歩ですかね、パデューを決めたきっかけ。
じゃあいいとこ取りの先生をまずは見つけたのね。
そうなんですよ。アレックスはもう今でも、何度生まれ変わっても多分アレックス研に行きたいっていうくらい、最高の。
ああ、そこはやばいです。めちゃめちゃいい研究室。
ちょっともうちょっと詳しく教えてください。
まずね、超分子、超分子どうなると超分子になるんですか?
小さくなっていくんですか?それとも大きさなんですか?
そうですね。
長さなんですか?
長さかも。いや、それ今全部正解かもしれないんですけど、僕も今勉強中のみなんですけど、分子ってありますよね。
タンパク質も分子だし、あとはカフェインとかも分子だし、超分子っていうのは1個の分子だとありえないような機能を複数の分子が共同すると生まれるような、そういう分子のことを指します。
なので、なんか共習してきたらものすごい力を発揮する分子とか。
あとは、もうこれは科学者がいい意味ですごく遊んでるというか、遊び心があるなと思うんですけど、これあれですよ、画面が映らないから分かんないけど、ボロミアンリングでしたっけ?
なんかこういうカテナンとか、離れたいけど離れられないみたいな形の知恵の輪みたいな分子とか、そういうのも有機合成的に作ることができて、
そうすると1個のリングだと何の機能もなかったのに、2個が連動すると分子レベルのエンジンみたいに動き出す分子機械になる。
リングとリング、鎖のように繋いで、少し理由度を持たせることによって。
離れたいけど離れない。
自然界には全くない結合を、科学者が結合できる可能性を見つけると分子が結合していくと。
自然界にもあるんですか?
自然がひょっとしたら究極の超分子かもしれない。
例えばベンモーモーターとかすごくないですか?
すごいです。
あれを人工的に作ろうと思うと、もうどうやってやっていいか分からない。
だからまだまだ生命のすごさには投稿を呼ばないんだけども、
例えば科学者が今やろうとしているのはそういうのですね。
アクチンとかの分子とかフィラメントとか。
あと光合成のユニットを作っちゃおうとかっていうのもありますよね。
人工光合成を実現しようとか。
最初の20年前とか30年前とか、分子マシンっていうのは2016年にノーベル賞を取ってるんですけども、
その中でやっぱり面白いなと思うのは、ガソリンを自動車に入れて車に仕事をさせるけども、
分子にガソリンを入れるわけにいかないから、何か別の力で動くものを作ろう。
30:01
例えば光を当てたらクイッと動く分子ハサミとか作ってる人とか。
光じゃなくて酸化還元を使ったら膜の外側の刺激が伝搬していって、内側に仕事が伝わるとか。
そういうのってタンパクとか生命はやってるけど人工分子作るの難しいよね。
そういうのも超分子科学研究のテリトリーの一つで。
未来。
分子のものづくりだな。
まさに分子のものづくり。
そしてクリーンなエネルギーっていうことにもつながっていくのね。
やっぱり科学者、自分で分子を作るだけじゃなくて、自分の設計した分子を作れるっていうのが一番面白いところとか、
科学者の特権で、それを最大限に表してるのは超分子科学の研究かなっていうふうに思います。
なるほど。
分子をつなげて、そのねぎし先生の研究のあたりのイメージだと、ブロックのように分子をつなげたり組み替えたりできるっていうところから、
超分子になるとそのブロックにさらに何かエンジンとかモーターみたいなものをつけたり、光を跳ね返したり光を吸収したりしてそれを違う動力に変えてしまうとか、
そういったもの。あとは電気と色とかそういったものを変換させるものを足していって、もっとすごい機能を持たせるっていうのが超分子って感じですね。
そうですね。もう無限の可能性があるように感じません。なんかワクワクしますよね。
うわ、すごい。
無限を感じる。
もう想像で言ってるから。
でもその想像、勝負なんだと思います。アイディア勝負で、よくうちの研究室でも話が出るんですけど、目から鱗が落ちるような研究ばっかりだ。
うわ、そうきたかみたいな。その切り口で見たら確かにみたいなのがあって驚かされる毎日。そんな研究ですね。
いや、面白い。
原子の性質っていうのは私たちは変えることができないって思っていたんだけども、それが分子になった瞬間変えることができたり、原子が持っている特性を最大に活かすことができて、
私たちが思ってた原子ってこれしかできないよねって思ってたことがまるで違ったと。
理科の教科書で炭素原子は腕を伸ばします。この腕はこの形しかありませんみたいな習い方をしてたんだけど、この角度から見たらこの腕はこういう角度だしみたいな、いろんなところからいろんな角度でものを見ることができて。
まさにそうです。例えばネギス先生が今ユリカさんがおっしゃってたことをまさに体現されてて、ネギスカップリングの触媒開発の時のお話で伺って面白いなと思ったのが、ネギス先生は原素周期表を眺めて、
この中で安全に扱える原子はどれかっていうのをバーッと見ていくと、だいたい70個くらいあったらしいんです。原素周期表の中。片っ端からやってこうってやった場合、70通りの触媒が作れますよね。
33:06
でもそれじゃ足りないだろうと。考えた時に、じゃあ2つの原子を組み合わせれば今までにない特性が出るんじゃないか。そうそう70×70で5000通りくらいいきなり無限の可能性が広がるっていうので、
火炎とかパラジウムを組み合わせようとか、そういうネギスカップリングの触媒開発の2つの金属を混ぜるっていうアイディアに着想したところにそういうところがあったっていう話で、今ユリカさんがまさに言ってたみたいに、これはこうですって言ってたところをもう一つ別の切り口で見て広げていかれた。
ちょっとそれで思い出しちゃったんですけど、ネギス先生なんかボロンのそのあたり混ぜた時に爆発して死にそうになったっておっしゃってました。やっぱそういうエピソードやっぱりいろいろあるんですね。
ごめんなさいね。アレックス県に行って何年ぐらい過ごしたんでしたっけ。
まず学生の時にアレックス県に留学しました。その時が11ヶ月、約1年。
何、じゃあ私たちが会ってない時にもういたってこと?パデューにいたってことね。
あれ、その時僕連絡はまだしてないんですか。
してなくて、タツさんとの出会いに繋がると思うんですけど、偶然僕のいとこがシカゴに仕事で来ていて、そこで一度オフィスに見学行かせていただいた時にジェトロの方と出会うことができて、そこでインディアナニアに面白いものがあるっていうお話も伺って、
帰国直前だったんですけど、そこで日本人研究会議があるってことを知って、最後の最後に勉強会に参加させていただいたんです。そこでタツさんから、
大学院生の時。
そう、大学院生の時、ドクターの2年生の時です。4月とか5月とか辺りだと思うんですけど、そこでタツさんと出会ったはずです。
僕たちの勉強会に来てくれたんですね。
それがパデューで開かれるって言って、これは行かないではない。
その時ネギ先生も勉強会いらっしゃいましたか?
いや、その時はネギ先生はいらっしゃらなかったですね。
でもネギ先生、そのイントロでネギ先生の2014年設立されたお話とか、そういう話は全部伺ってて、
でもその頃はネギ先生アクティブで、隣の研究室にいて、朝廊下でコーヒーカップにマドラーでくるくるコーヒーのお砂糖を混ぜているネギ先生が歩いていたりとか、
そのマドラーはスパゲティ?
そう、よく覚えてますね。
あれは学生も一緒にマドラー、50セントで飲めるコーヒーがパデューのコピーセンターにあって、
僕たちそこに例えば10ドル置いといたら何ヶ月来てもいいよねとか言って行くんですけど、
時々ネギ先生がそこにパッと現れて、お金をポッと入れて、コーヒーにクリームとか入れて、
36:02
生のスパゲティをマドラーに僕たち使ってたんですけど、それをネギ先生も取ってくるくるくるくるってかき混ぜて去っていく。
こんにちはって挨拶しても英語で挨拶してくださったりとか、
それでいてちょっと悩んでる時にお声掛けしたら僕のオフィスにおいでって言って席に座らせてくださって、
お話聞いてくださったりとか、とにかく奮闘を受けましたね。
その隣でこういう研究者っているんだっていうような。
幸せだなぁ。
懐かしいね。僕も科学棟にいて、あそこのビルディングのネギ先生の研究室でおいでおいでって中に入れてくれていただいて、
研究者が活躍していくために大事なこととかをやるために組織を作りたいっていうお話させてもらった時に、
どんどんやってください。大事なことですって言われて、アワードを作りたいっていうお話させてもらった時も、
本当に若手の人たちにとって役立つ大事なものを作ってくださいって言って審査員になってくれて、
ほとんど作った人、そういえば結一郎さん取ってきましたね全部。
先生と一緒に作って、でもこれねアワードが足りなくてポジション争いに負ける日本人の研究者多くて、
日本のアワード制度って100人ぐらい出しても2人ぐらいしか取れなかったりするんだけど、
僕たち審査するとね、若手研究者でアメリカのポジションを出す人たち20も30も賞あるんですよ。
アメリカの組織ってみんな賞を持ってるからね。だからそれがなかったから作ったんだけど。
僕今日話したいのはこの出会い、この寝石先生と僕なんかお寿司を何回も食べに行くような関係を作ったりして、
いろんなお話しさせてもらったんだけど、後から考えると寝石先生が僕たちにかけてくれた言葉とかそういう教えとかって、
僕たちがみんなに次の世代に伝えてくださいよっていうメッセージだったと思うんですよ。
ちょっとみんなに聞いて欲しいなーって思ってて、だから雄一郎さんから寝石先生との出会いとかもらった言葉とか、
ぜひこれからの化学、そしてサイエンスの世界で活躍したいと思っている人たちのために、ぜひ聞かせていただければと思うんですけど。
そうですね。寝石先生、やっぱり初めて寝石先生のオフィスに招いていただいたときが、
ドクターの2年生のときで、それこそ論文出るかなとか、卒業できるかなとか、
そのようなドキドキもありながら逃兵した初めての年だったんですけど、そのときに寝石先生すごいおっしゃってくれたのが、
大丈夫、大丈夫。どんな研究してるの?とかディスカッションもしてくださったんですけど、
大丈夫、大丈夫っていうのは、とにかく夢を持っていけば大丈夫だから、みたいな本当にニコニコ話してくださって、
39:05
とにかく大事なのは世界が舞台なんよっていうことをおっしゃって、日本からなんでここに来たの?っていうのも質問していただいたんですけど、
アメリカでやるというか、世界を舞台にして研究するっての大事だよっていう話をしてくださいました。
で、最後にサインを書いた本をくださったんですけど、そのときにディアドクター結一郎って書いてくださって、
いやいや僕まだドクター持ってないんですよ、さっき言ったでしょみたいな、大丈夫、大丈夫って、
もう君はドクターを取ると思って研究続けてればいいから、ドクターにしておきましょうとか言ってドクターって書いて本を渡してくださって、
もうそれだけで胸が熱くなるというか、でしたね。
とにかく研究者としても尊敬できるし、教育者としても、もちろん現役本当にバリバリだった時を見ているっていうわけではないんだけれども、
次世代をつなぐっていう姿勢がすごい感じられて、その後からそれが多分きっかけだと思うんですけど、
ネギ先生がアウトリーチで高校生を日本から呼んで、
そうね、湘南高校の方々がたくさん来てくださって、ネギ先生が交流されてたんですよね。
毎年呼ばれてて、そこの飲卒院みたいなのとかお手伝いさせていただいて、
お手伝いね。
してたのね。
そのとき秘書さんのドナっていう方がまた、
ドナさん優しいね。
そう、めっちゃ優しいですよね。
だから日本人の学生だったら冷たいお水を渡すより常温の方がいいのかなとか、
ブリトーってタコスにしようと思うんだけど辛いのはダメかなとか、
もう逐一いろいろ確認してくださってて、いろんなご飯を用意して。
珍しいよね、そんな優しいね。
気配りなんてね、あまりない世界観の中で優しかったね。
優しいんですよね。
やっぱりそこも感じたし、絶対パデューのマスコットのボイラーメーカーの機関車には乗せてあげたいから、
機関車のドライバーを候補しなきゃとか、そういう話して連絡してくれたりとか、
休みの日なのに特別に来てもらったとか。
あと大田高校っていうところからも学生さん来てて、
群馬県かしら。
そのときもお手伝いさせてもらって、
やっぱりみんなものすごい目キラキラ輝かして、
根木先生ガチの科学のトークを、しかも英語でなされて。
そうするとやっぱり、生でそういう姿を見ると、
高校生としてはきっと難しくてわからないとか、
そういう話じゃない何か大事なものを得て帰っていくと思うんで、
ああいうアウトリーチもあるんだってすごい。
僕が高校生の時に山形で学んだアウトリーチとまた違ったアウトリーチで、
そこに携わるのもすごい大きかったなと思います。
そこもさすが。
やっぱり結一郎さんそこにいて、
42:01
根木先生にも直接質問されてたと思うんですけどね。
結一郎さんと交流して、
こんな若い研究者の方も海外に来て活躍されてるんだっていうのを見たのも、
すごいいい刺激だったと思うんですよ。
生徒にとってね。
そうそう高校生にとってもね。
いいね。
合計4年いましたかね、アデューには。
合計4年ですか、インディアナ生活。
そうか、いいね。
ちょっと僕も話していいですかね。
ぜひぜひ。
根木先生との出会いは、2011年に震災があったんですよ。
3月に東北大震災で、
僕ね、めちゃくちゃショックを一番受けてた時に、
ちょっともう研究、
手につかないような状況になってしまって。
で、その1ヶ月後ですね。
だから根木先生って1年前の2010年に、
ノーベル科学賞を取って、
その時のニュースが校内放送みたいなやつで、
ネットで見れたんですよ。
その会見みたいな、受賞会見みたいなやつを。
ライブで流してた。
パドゥー。
あーすごい。
リアルタイムで。
今朝のニュースで。
ラボで見た。
すげー。
すごい。
で、みんなでピッて繋いで、生でそれ見て、
うわ、こんなすごい人がインディアナにいると思って、
来て良かったってすごい感動を持ってた。
それはすごいですね。
その1年後ですよ。
だから、いらっしゃるのは知ってたんですけど。
で、震災あって、
震災の3週間後ぐらいで、
まだね、僕ね、その日確か朝、
もう前見えなくなるぐらい涙が溢れてくるような、
なんか僕ちょっとおかしくなってたかもしれないですけど、
悲しくて悲しくてみたいな時に、
うちの息子がね、
あまりに僕と、
まあ仙台で過ごした時間長いんですけど、
それで、なんかチャリティーとかしなきゃねとか、
いろいろ言ってるのを見てて、
うちの息子がチックショートを着て、
チックショートを着て、
チックショートを着て、
チックショートを着て、
チックショートを着て、
チックショートを着て、
とか言っているのを見てて、
うちの息子がチックショーという、
瞬きがめちゃくちゃ大きくなって、
ずっと瞬きしちゃうみたいなのが出ちゃって、
ちょうどユリコアさんと2人で、
ニュース見るのやめようと、
こんなにうちらが心痛めしすぎて、
子供がびっくりしちゃって、
気付かないところでね、
子供にショックを与えてしまっているという話になって、
ちょっと見るのやめようみたいな話をして、
気晴らしに行こうって言って日本のレストランに行ったら、
ヌエギ先生が座っていらっしゃったのです
なんと
ああーって思ってすぐ
先生おめでとうございます
ノーベル賞っていう話をしたら
逆に
出身どこですか?ってすぐ聞かれて
仙台ですって言ったら
大丈夫ですか?って
家族の心配をすごくされて
実家は一応大丈夫なんですけどみたいな話をしながら
そしたらうちの息子
ポケットにノーベル賞のメダルが入ってたんですよ
エジプトかなんかに呼ばれて
45:00
ノーベル賞のメダル持って飛んでこいって言われた飛行機が
飛ばなくて
散々待たされて諦めて
じゃあ帰る前に
レストランで日本食食べて帰ろうかと
そういう
に僕たちが鉢合わせになったところで
あのメダルとんでもないから
どこに行ってもピーピーピーピーになるから
ポケットに入れておくことにしてるんだって
そういう理由なんですか?
ノーベル賞のメダル注文は
今もあるんだって言って
普通になんかお財布出すみたいに
メダルをピュって出してきて
それを5歳の息子に手渡してるんですよ
僕らとかに渡すんじゃなくて
この5歳の息子にはいみたいな
すげえ
落とすかもしれないじゃないですか
うちの息子なんか
って思うんだけど
すごいそれを嬉しそうに
君にもうきっと取れるからね
勉強頑張りなさいよみたいな
いいですね
そしてね彼がね今
パデューの科学科に入るって
いやもうどんなで
びっくりしちゃうのよね
うちの息子がね
その時5歳で
ノーベル賞掲げてもらって
一緒に記念撮影も撮らせてもらってね
すごい励ましてもらって
震災のことも励ましてもらって
僕にも研究者としてのね
頑張りみたいなのも
今何歳って聞かれて
その年齢の時
僕はこんな考え方をしてたよ
体と頭が動くね
一番いい時で
ノーベル賞クラスの研究っていうのは
30代後半とか
40代でも十分できると
昔は20代とかの頭の
一番切れる時じゃないと
ノーベル賞の研究はできない
って言われていたけども
今は分野を超えてね
いろんな人たちとコラボレーションして
知識と体と両方動く
30代後半
40代でもね
すごい研究っていうのはできるから
頑張ってねっていうのを
お話してくださいましたよね
いいですね
生でノーベル賞受賞者の
根木先生が直接
そういうアドバイスいただいたら
活動が大きくなってきて
団体とか作るようになったり
賞とか作るようになったりしたのが
2014年ぐらい
そこから3年ぐらいしてね
また根木先生のところにご挨拶しに行って
あの時勇気付けていただいたので
研究をむっきり頑張ることができました
っていうことをお話しに行った時に
すぐにね
審査委員長やります
って感じじゃなくて
慣れ合いの団体作っちゃだめだよ
って言われて
日本で培った基礎力みたいなものを
アメリカで
応用力みたいなのをちゃんと
学ぶために来てるんだから
切り離してね
アメリカで今最先端の人たちの
考えにしっかり触れられるように
そこに身を置いてくださいと
日本から切り離されることも
すごく大事なことなんです
48:01
っていうことを言っていただいて
でもすごいいい仕事をした
一流の仕事をしたっていうものに関しては
広めなきゃいけないから
その発信にお手伝いができるなら
私は喜んで協力しますよ
って根木先生が
言ってくださって
それでアワードの審査委員長っていうのは
それはいいかもしれない
ということで
なってくださったんですね
UKだったんですね
確かにその慣れ合いとか
そういう研究者の会じゃない
本当に身のある会を
作るっていうところで
そういうコメントをいただけて
審査委員長になっていただいたんですね
立ち上げってやっぱりすごいですよね
どうでしたか
当たり前みたいに
インディートモロがあったりとか
ありますけど立ち上げるときって
すごいエネルギー必要だと思うんですけど
どんな感じで立ち上げたんですか
すごい大御所の先生方の中には
なんで君がやってるのみたいなのも
あったんですけど
僕はやっぱり震災っていうのが
大きな転機で
研究者が一人では何もできないっていうのを
ちょっと痛感したんですよね
だからしっかりとネットワークを作って
いろんな意味で
研究のこともそうですし
でも何か大きなことがあったときに支え合えるような
コミュニティ作りみたいなのは
やりたいなというふうに思って
やってて
企業の方々とかにも
あなた方のように寄付を
お願いしに来る方々いっぱいいると
でもこっちもすごい厳しい
戦いの中でやっていて
お金があればできれば社員に
使いたいと
でも
本当に困ってるような
社会に役に立つための
団体を作っていたり
チャリティで困ってる人たちのため
だったらもちろん喜んで
お金を出すんだけれども
君の団体に関しては他の寄付を
頼みに来る団体に比べて
素晴らしい活動してるようには思えないね
って言って断られたこともたくさんあります
そんなこともある
断られる方の方が多いですね
だけど
中に
あなたのような若い方々が
研究者として
海を渡って挑戦している姿
っていうのは子どもたちに伝えたい
こともあるから頑張って大きくしてください
って言って
インディアナ州の日本人会が
サポートしてくださったのが
天気でそこから多くの方々に
サポートしてもらえるように
なりましたね
そういう公演のところを
どう集めていくかとか
立ち上げって難しいですよね
あとは根岸先生が応援してくださる
ってなって
根岸先生があなたにやってる活動は
本当に素晴らしいからどんどん
やっていってくださいって言ってから
雑音みたいなものが
止まったっていうか
真っ直ぐ進めたっていうのは
ありますね
熱いですね
51:00
その出会いがそこまで繋がる
本当にご飯とか食べに行くと
奇策でいろんな面白い話をしてくれて
そのノーベル賞の裏話みたいな
研究の裏話みたいなも
あるんですけど
いっぱい
いろんな話を聞かせてもらって
僕その雄一郎さんの
前話してた根岸先生が話してた
ABC
根岸先生が若手研究者に伝える
ABCの話すごく好きなんですけど
ちょっとあれ
もう一回聞かせてもらっていいですか
そうですね
根岸先生が
講演会をされてる時とかに
おっしゃってたことで
研究者にとって大事なABC
Aは
アンビシャスかな
アンビシャスで
とにかく大きな
望みを持って研究しましょう
Bは
ブロードとかベーシック
って話をされてて
とにかく基礎が大事だし
それでいて幅広い視点を持つってことが
大事だ
最後のCがまたすごいな
と思うんですけど
クリエイティビティで創造性が非常に大事だ
その創造性を豊かに
持つっていうためには
環境がすごく大事で
そういう環境を作るっていうのは
キャタリストとか触媒が大事になってくるんじゃないか
根岸先生が作られた
根岸触媒につなげて
お話しされてて
そういう意味では
インディーティモローまさに
根岸先生駆動力で
触媒を作っていて
日本人ネットワークが三角連携して
できてきているっていうのは
まさに体現されている
相互で議論する場っていうのでもあったし
わきあいあいと
お話しすることもできたし
そういう
ところも貢献されてますよね
でもよかったね
結一郎君が大学院生の時に
それがちゃんと
あるってことが耳に入って
よかったね
あれから
40人50人ぐらい常にいるような
状況で
もちろんどんどん
新しく来る人日本に帰っていく人
他の地域に移られる人
集まっているけど
ここから独立研究者として成功している方も
多いし
今インディアナだけじゃなくてUJAとして
アメリカの
あらゆる地域の
コミュニティがつながっているのと
世界的にも海を越えて
いろんな研究者がつながれる
プラットフォームみたいなのになってきたのも
ああいった活動が
同じようにいろんな地域で
開かれてたっていうのが
だんだんつながって
よくなってきてますね
もう一つネギチ先生から言われて
自分だけで収めていっちゃいけない
みんなに伝えなきゃいけないなと思っているのがあって
ネギチ先生が
ブラウン教授
ブラウン教授が
ノーベル賞取られてますよね
ブラウン先生のところに
博士を取ってすぐ
若い段階で確か来てるんですよね
54:00
ネギチ先生が
その時に
自分がブラウン先生の信頼を
勝ち得た瞬間があると
それは
ネギチ先生がブラウン先生に
信頼を得たのは
来たばっかりの自分だったけど
ある一流誌に
論文が投稿段階だった
文章があって
その文章の最終
もうこれで投稿だね
みたいなところの議論のところの
実験の一つを
関わってて
それで
先生この水素の向き
奥側になってますけど
手前側ですよと
僕のデータから見る
手前って考えないとダメですね
みたいなことを言ったらしいんですよ
ネギチ先生が
日本とかだったら
そんな来たばっかりの
博士取り立ての
逆向きだって言ってた
最初その時に
そんなはずはないみたいな感じで
ここまで来てね
いきなり来た人が逆って言うから
その後
そうなのかどうなのか
自分のやつを言って
もう一回実験して
証明してみろって言われて
ネギチ先生実験したら
やっぱりネギチ先生の
その予想通り
水素の向きが論文に出す方向
逆側だった
のを出して
それで信頼を得たんだよと
だから事実っていう
データに向き合って
別に大御所の先生が言ってようが
事実はそれなんだから
主張しなきゃダメだよねって
自分はそういうの言っちゃうから我慢できないから
そんな僕が受け入れられる
自分の環境はすごい向いてた
っていう話をしてくださった
それが大きな
信頼の一つになってただろうなと
彼は正しい
データを見て
言える雰囲気じゃない
雰囲気だったらしい
その一言でだって投稿がね
それまで準備してきた
しかも優秀な人たちのグループに
新しい人がポンって来ただけで
それ遅れちゃうわけだからね
でもね言ったんだよって話して
そういうのを
ちゃんと見る
人たちと組むとかそういうのも大事だよね
僕ちょっと
ちょうどその時に
自分の論文も
おかしいなっていうのがあって
たくさんが
関わってる研究の
自分も
医学部の中では
弱廃物になってたけど
そのまま
中からIUに戻ってきて
足でそのまま
あのデータやり直すって言って
あれおかしいとみんな
言ってるけどやっぱり俺違うと思う
って言って
直したやつが
本当に違くて
やり直して
早く出したいっていう
チームの中で
57:00
これ違うから本当はこれだよ
っていうのをもうちょっと実験させて
って言ってみんなを止めるっていうのも
勇気がいるんだけど
ネイ先生に言われて
もうさ響いちゃったからさ
そのままやったらやっぱ
違くてであれで実は自分の
ボスからの信頼を
すごく強く受けたと思うんだよね
ステムセルの研究だったんだけど
すごいですね
本当に論理的に
データで示して
そこで
先行文献ではそのステムセルが
行き着いたところの細胞に
変換して
違う細胞になって助けてるっていう
論文だったんだけど
そういう主張なんだ
でもその
ステムセルがそこに行ったからって
その細胞に分化するっていうデータは
怪しいっていうか
ちょっと僕は見られてなくて
それをこじつけようと
しようとしてた感じがあったんだけど
これ違うよと
それはそこからいいものを分泌してるだけで
変化はしてないっていうのを
証明したんですよね
それが結構大事な論文になってます
今も
まさに鍵となるピースのところが
ちょっと論理が飛躍したままで
えいって出しちゃうか
ちゃんとちょっと待ってって
抑えるか
全然違いますよね
それをね
待ってって正直に言ってね
遅れさせてもね
証明するっていうか
そういうのが
関係で大事だよっていうのをね
おっしゃってて
研究にフェアであって
若手とか先輩の
研究者だとか関係なく
そうそうそうそう
そこもほんといいですよね
研究者のあるべき姿っていうか
そうだよね
たつさんはたぶんこの
Indie Tomorrowを作りたいって思ったのは
すごく本当のサイエンスが
したかったのよ
意外と私たち
見てきたけどたつさんのこと
大学生活まで
意外とお金があんまり
ミリオンかかるような
研究じゃなかったから日本にいた時は
真面目なサイエンスが
できたわけ
1ヶ月登校が遅れても
そんなにそんなに大きく
変わる世界ではなかったのね
私たちがいた世界は
なんだけれどもアメリカに来て
そして他国籍で
そして歯を剥き出してまで
っていうのはあれだけど歯を剥き出してまで
一刻一秒争って
論文を出す世界に入った時に
やっぱり
怪しいものっていうものが
いろいろな飛躍もあったりとかして
でも
Indie Tomorrowを作ることによって
結城君みたいな
もちろん根岸先生とかが現れた時に
たつさんはすごく救われたんじゃないかしら
そうね
競争の中で
いろんな側面があるんだけれども
スピードを優先する
サイエンスもあれば
いろんな側面もあるからね
1:00:00
だけど
やっぱりより多くの人たちと関わることで
いろんな分野
でも大きかったのは
隣の留学してさ
2年とか3年とか研究室にいて
結構閉じこもるような
研究が
生活になっちゃうんだけど
隣のビルディングにいる人が
どんな人で
どんな
バックグラウンドを持ってきて
どんな研究をして
日本に帰っていったのか
知りもしないで過ぎちゃうことが多くて
隣の大学とか
そういう人たちに会える
パドゥーに来ている人たちの
人生を聞いても
すごいいろんなものを持って
パドゥーに来て
高学の方も化学の方も
コンピュータサイエンスやっている人も
農学の方も
すごい人生を持ってきて
ここで
思いっきりアメリカを
自分なりに吸収して
日本に帰っていったりするんだけど
その経験を僕が聞けると
アメリカで得た経験が
2倍3倍4倍と広がっていくんだよね
まさにそうですよね
一人じゃない
いろんな人の人生を歩めちゃう
という話を聞けて
いいよね
いいですよね
この研究会をやっている
意味もあるしそこでコラボレーションが
生まれて
分子の研究をやっている人と
生物学の研究をやっている人たちが繋がって
グラントが取れてこんなになったよ
っていう報告とかを毎年聞いたりする
うわそこがやっぱ
繋がるんだなみたいな
あの方とあの方のピュアなサイエンス
専門が違うけど
それが繋がってこんな研究
生まれるのみたいな
世の中に役に立って
いろんな人たちに住み渡る
これネギ先生の言葉なんだけどね
あのノーベル賞の受賞式で
ネギ先生が
スピーチだね
スピーチの中にあった
科学の最高の喜びっていうのは
自分たちが人生かけた発見が
社会の中に染み込んでいって
いろんな人の生活に繋がっていって
誰かを笑顔にしたり
その生活に行くっていうのは
もう研究者としての何よりもの
喜びだっておっしゃってるんだけど
それをやるためにやっぱり
多くの研究者と繋がってコラボレーションして
様々な分野に
可能性を広げていくっていうのかな
それも大事だから
そういった意味でも
ネットワークって大事だなって
思ってるっていうのはあるね
さっきブラウン先生の
お話ありましたけど
ブラウン先生の
研究室に来た
日本人初の
パデュー学生が
岡本先生って言うんですけど
岡本先生の
お弟子さんが木戸先生で
木戸先生の弟子さんが
僕にあたるっていう関係で
一度岡本先生にも挨拶に
行ったんですけど
その時やっぱりネギシは苦労してた
1:03:00
とかいう話をされてて
ネギ先生やっぱりコミュニティっていうものは
その当時パデューのところにはなくて
しかも日本人っていうレースの
人種の意味でも
すごくレアな存在で
ファカルティに残るってすごい大変で
その逆風に
開けずに
自分の研究で
あそこでパデューで
教授になってしかもノーベル賞も取ってっていうのは
やっぱりあの時代を生きた人たちって
すごいなっていうのがあって
一口では語れないよね
語れない
今こうやってコミュニティができてるので
そこから広がってきてて
すごいな
って感じますね
奏でる細胞
聞いていただきましたがいかがだったでしょうか
まず雄一郎さんの
科学への出会いということで
たくさんの先生が
出てきました
そして高校の時から
UKELとの出会いが
ありました
出会っちゃったのね
いい時代ね
それがそのまま大学の
研究そして博士課程
というところまで行って
その間にさまざまな人たちと出会い
しかも大学の大学院
博士課程の間に
パデュー大学に飛んでですね
憧れの研究室に入ることができ
何度生まれ変わっても
あの研究室に行きたい
そんなセリフ言える人
世界に何人いるだろう
初めて聞いたけど
古今東西
すごいことになったね
幸せな方ね
やっぱりそれは
幸せをつかみ取る能力があるってことで
私はねユイチローさんの
ユイチローくんのお父さんとお母さんにも
会いしたいなってすごく思ったの
話聞きながら
どんなにキラキラしてた子供時代だったんだろうか
と思って
今もキラキラしてるんだけども
子供時代も本当に
好奇心にあふれて元気いっぱいで
いろんなことを吸収する子供だった
と思うのね
そこにいろんな先生が現れてきた
ということで
お父さんとお母さんに会って
ユイチローくんの子供時代に
お聞きたいな
科学の話してる時の
ユイチローさんの目の輝き
心の興奮が
伝わってくるのって
子供の時からずっと一緒なんじゃないかな
って思うぐらい
言葉があれなんだけどもね
興奮しているだとか
好きが現れてるとかっていう
そういう
わーって感じじゃないのよ
そうだね明るさがあるんだよな
希望があるんだよね
未来を見てる感じかな
すごく整ってるのよ
そうだな
感情的だだとか
理性的だとか
飛び抜けて
ものすごく真っ直ぐで
中心を見ようとする
まなざしがあるの
まなざしってことかしらねやっぱり
だから
1:06:01
飛びつくとかそういうことじゃなくて
子供の頃からずっと
持ってる強いまなざしで
世界を照らしてるの
そこから吸収なさってるのよ
たぐい稀な
そういう能力がある方だな
と思って見ています
何か大きいものを
持ってるなというか
大きな世界を
見てるんだと思う
思いっきりね
若い人たちと巻き込んで
研究してるっておっしゃってたけど
絶対楽しいんだよな
研究室
受験勉強で京都大に入るの大変だと思うけど
入っただけの価値
絶対あるよな
本当よ
実は今回
ゆうちろうさんが話してくれたことの
一部と僕が話したことの一部は
読売新聞の
記事になっています
記者が来てくださったんだもんね
インディアナに読売新聞の
記者さんが来てくださって
ゆうちろうさんと僕の
取材をしてくださいました
研究のね
原点を
夢であってほしいっていう
根岸英一先生の言葉をね
記事になってまして
そちらの記事に関しても
概要欄の方に貼っておきますので
もしよければご覧いただければと思います
ということでね
本当に根岸先生のおかげでね
僕とゆうちろうさんが
つながったっていうのもあるし
そこからね大きく動いている
活動っていうのもあって
海外に来た
日本人研究者をつなぐ
すごい原動力みたいになってますね
大丈夫ですか?
伝わったかしら私の
ゆうちろうくんへの
思い伝わったかしら
どんな男かっていうさ
大好きなんでしょ?
どこが大好きなの?
さっき言った大きな道を歩く男なのよ
細き道を歩む人たちっていうのは
誰かを蹴飛ばし蹴飛ばし
自分さえ良ければ
っていう風に思っているような
考え方が狭い印象がある
私のそれがイメージなんだけど
ゆうちろうくんっていうのは
違うよ
大きな大きな道を歩く人なのよ
それが伝わってたらいいなって思うんです
いや思うよそれは
だってそこはさ
ゆうちろうくんの周りには
本当に良い人たちが集まっているんだよね
ああいうのってやっぱり
人からだと思うんだよ
ゆうちろうくんの周りにいる人たち
いろいろ会えば会うだけ楽しいし
でもそう思うと
奏でる細胞に来てくださっている
科学者の方々って
そういう人たち多いね
そうね
大きな道を歩んでいる人たち
俺が好きだからね
声かけるのは好きな人しか呼ばないし
そして来てくださるんだよね
好きな人だけ呼んでます
今回は
子供の時の話をよく聞く機会に恵まれて
1:09:01
私とっても聞くの好きなのね
子供の時どうしてたのっていうのを
聞く機会に恵まれて
この子は生まれた時から
大きな道を歩んでたんだな
ってことが分かって
ますますお父さんとお母さんにも会いたくなっちゃったのよ
そういうことね
やっぱりそこだな
私は子供を育てるってこととか
勉強していくっていう時には
大きな道を歩ませないといけないんだな
と思って
そして
勉強している我が身も
大きな道を歩んでいこう
って思うことが大事なんだなって
理解しました
ということで
今後のお知らせをさせていただきます
今回は
科学系ポッドキャストの日という
イベントということで
テーマが出会いでですね
多くの番組が参加されているということを
冒頭でお話ししたんですけれども
参加番組に対してですね
科学系ポッドキャスト大賞
カポキ大賞というものを
開催してまして
面白かった番組をですね
感想ハッシュタグで
つぶやいていただきたいんですけど
やり方としてはですね
科学系ポッドキャストの日
3月10日から約2週間ですね
3月10日くらいまでに
科学系ポッドキャストの日という
ハッシュタグをつけまして
面白かった番組に対してね
コメントを書いてください
リスナーさんやポッドキャスト同士でね
コメントし合うんですけど
そのコメント数が表になって
いいねの数とか
リポストの数とか
広まった数などもですね
得点に関わりますので
他の方々が出しているコメントなどが
面白かったらそれにもいいねとかをつけるとですね
それも得票になります
ということで応援や支え合いによって
みんなで作っているショーですので
やっていきましょう
その結果はですね
4月の科学系ポッドキャストの日に
公開されますのでお楽しみに
ということです
奏でる細胞としては
次回のゲストがですね
ついに奏でる細胞100回を迎えるんですけど
記念ゲストとして
再演トークのレイさんに来ていただきました
うれっこ呼んじゃってね
思いのほか
レイさんがねちょっと元気がなくてですね
そうなのよ
僕が準備した漫才はちょっとやめて
漫才じゃなくて
ちょっと相談に乗ってほしいということが
あってですねお互いに相談していく
流れになりましたね
そうなのよ
ということでレイさんと僕たち
何の相談したのかね
ちょっとその辺をお楽しみにして
いただければと思います
ということで次回以降も楽しい配信を
続けていきますので最後まで聞いていただいて
ありがとうございました
お相手は科学教室の先生
タツとユリカでした
バイバイ
バイバイセコ
01:11:53

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