1. 奏でる細胞 MUSIC & SCIENCE PODCAST
  2. 3-2 奏でる会話とおばあちゃん..
2024-04-29 44:17

3-2 奏でる会話とおばあちゃんへの感謝 「方言と英語と家事育児とトイレの神様」#植村花菜 #愛あた #インディアナ 

3-2 「方言と英語と家事育児とトイレの神様」奏でる会話とおばあちゃんへの感謝 #英会話 #育児 #植村花菜 #愛あた #インディアナ  1)前回の反響 愛あたありがとう! 2)自分は悪い父親でした 3)心を入れ替えてシュークリームが焼けるように 4)会話の間って大事よ🎵 5)方言「寒くて寒くて」歌うように 6)樋口さんの方言いいよね 7)会話の形やリズムを語ろう 8)心の形がわかるポッドキャスト 9)タツさんはスランプを抱えていた 10)長いトンネルの中で気づいたこと 11)おばあちゃんが教えてくれた母国語の大切さ 12)インディアナ日本人会のイベント 13)植村花菜さんの歌と愛情が素晴らしかった 14)人は何で生きるのか Spotify 奏でる細胞 By タツ(細胞学)ゆりか(リベラルアーツ講師)⁠⁠https://open.spotify.com/show/0xUhOqvpo69YiT7pmYdech⁠⁠ アメリカから配信する科学番組 「心を開いて相手の話を聞くことで自分の人生に役立てていく」 学びあり、笑いあり、出会いあり、科学教室の先生が様々なゲストと語り合います。 細胞の中にある音楽やリズムの研究に夢中になっているタツさんがリベラルアーツ講師のゆりかさんと細胞、老化、物理学、など様々な分野の専門家、ポッドキャスター同士のコラボ、留学や海外生活などについてポッドキャストを通して楽しく学ぶ番組です。 リスナーからの感想お待ちしています! ⁠⁠

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00:01
私は英語が上手で、日本語も上手です。
ひらくのサービス学習をしているから。
世界があなたのスタディバディ。
日本語も英語も、もっともっと話したくなる。
ひらくのスポンサードでお送りします。
お送りします。
うまい。
みんな、よろしくね。僕は幸せだよ。
奏でる細胞
奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ、インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
こんにちは。ゆりかです。
こんにちは。北狐のお父さんに憧れている達です。
そうね。北狐のパパは子育て頑張るもんね。
前回、地球の回で、サンジのパパ問題でお話しさせてもらったんですけど、そちらに関して温かい反響をいただきました。
みなさん、ありがとうございました。
驚かれたみたいね。
やっぱりね、サンジになかなか迎えに行くっていうのがね、お父さん達は難しいっていうのがあったと思います。
ましてや、働いているお母さんもね、難しいよね。
だから、それ取り上げられてよかったと思うし、
中でも、ポッドキャストの愛があるのが当たり前、やってるお二人が。
なんか絶賛されてたよ、達さん。
嬉しかったね。
あそこまで絶賛されると、それほどいいパパでもないんですけどっていう気持ちもあるんですよね。
そう、そこまで言っちゃうとね。
ある意味ね、家のこととか、育児とかね、家事とかっていうのは、自分は一本も二本も劣ってるなと思ったの、最初。
ゆりかさんに比べてだよ。
で、日本で結構、僕はやってるやってるって口では言ってたの。
特に日本時代で、僕は家事は半分やってるって主張してたよね。
でも、ゆりかさんにとっては絶対半分になってないって言われてて。
で、それを結構アメリカに来て、もっとちゃんと家事をやるようになってから、
あの時2割ぐらいしかやってないのに、5割やってるみたいに。
2割っていうか、ゆりかさんの2割ぐらいしかやってないのに、全体の5割やってるって思ってたなって反省した時があって。
多分、結婚3年目ぐらいに、ゆりかさんに俺真剣に謝ってるんだよ。
自分はダメな父親でしたっていう話をしたのよ。
でもそれは、後から子供のために自分が何ができるんだろうとか、
本当の意味でね、家事半分やるってどのくらいのことなんだろうかって考えた時期があって、
それで何かたどり着いたというか、そういう境地で、
ちゃんと考えたりぶつかってこなかったら、
あのままこれくらいの家事が家族にとっての半分だと思ってたんじゃないかなと思うね。
03:02
あともう一つ私たちは、そういう時に日本から離れたから、
日本風の家事の仕方っていう状況じゃなくなったっていうのはすごく面白かったと思う。
全部リセットされたのよ。
あとね、正直ね、ゆりかさんがね、赤ちゃん産んだ後、2人目の赤ちゃん産んだ後に学会とか行ったでしょ。
あれで、ワンオペじゃないけど、自分だけで仕事しながら子供を2人、
ゆりかさんが離れてる1週間とか、見なきゃいけないっていう状況とか、
育児休暇も取ったけど、そういう時に自分で全部やるっていうのを見て、
家事の全体像を本当の意味で知ったかもしれない。
そうだね。
そういうのがないと、知ってたって言ったところで、
僕が一人でやってると、家どんどん汚れていくんだよな。
結構深い話で、家事とか育児とかって、
今今起きてることプラス、社会的なものとか、歴史的なものとか、
自分が子供の時に見てきた父とか母とか、テレビで見てきた家事の仕方っていうのがいっぱい頭にあるわけよ。
ない人っていないと思うのよ。
こういうことをするのは、実はお母さんの仕事だとかっていうのが、
頭にこびりついたりしてると、自分の仕事じゃないって思い込んでるところとかがあったりするわけね。
私たちはアメリカに来ることによって、
家の形も違うし、食洗機も違うし、
あとは洗濯機の形も違うし、家の作りも違うってことで、
全部リセットされたと思うの。
それで達さんは、意外とそういう固定概念を消して、生活するっていうことに入りやすかったんじゃないでしょうか。
まあね。あとユリカさんが、
私もね、入りやすかった。
ちゃんと分からない、ユリカさんも分からないものであったから、
二人で一から向かわなきゃいけなかったよね。
そうそう。
だからリセットされたの。
一緒にせーのって向かわないと、
あとこの家をどう効率的に使うのかっていう、
このアメリカの家での暮らし方もお互い知らないわけよ。
だからアメリカは、
お風呂掃除とか、お風呂のメンテナンスとかってやっぱり、
あるよね。
一緒に全部やりたから、
だってさ、銀行の仕事とか、
あと車のことに関しても日本と違うから、
できるだけ最初は僕が主導的に全部やったじゃんか。
そうね。
で、つまり家事だって、
病院にいざ予約取らなきゃいけない、
学校だってっていう話があるじゃんか。
学校なんかね、一緒にやらないともう、
あとユリカやっといてなんて言ったらさ、
どの向こうにも行かないよね。
ちょっと待てよってなるよね。
なるなる、不安だし。
タツやるよって言うね。
うんうん。
タツさんやっといてよみたいなね。
で、二人でしょうがないからやるしかないよね。
だから全部そんな感じなんだよね。
多分そうだと思う。
学校を見つけるとか、
子供の送り迎えの仕組みを知るとか、
そういうことだよね。
そういうこと、そういうこと。
あと自分だけの理解で言えば、
理解しきれないのよ。
06:00
だってアメリカ人の方だって、
一生懸命私に説明しようとしてるけど、
彼らも彼らの当たり前があるから、
私の当たり前とすり合わせてくれることはないわけ。
一生懸命丁寧に説明するけれども、
私が思っている世界観がここが違いますよっていう指摘はしてくれないから、
だから一緒に私とタツさんは一緒にすり合わせていかないと、
見えてこないのよね。
父親力が上がったって思ったエピソードがあったじゃない?
それ話して。
えっとですね、
ポットラックパーティーっていうのがアメリカだとよくあるんですけど、
日本人の集まりでもアメリカ人の集まりでも、
手料理を持ってね、お料理持ち寄りパーティーみたいなのがあるんだよね。
それで毎回僕が作るようにしたんだよね、ある時から。
ある時じゃないんだよ、実は初めから。
私一回目ですごく苦手だってことに気づいちゃったからね。
で、何持ってこうかなと思って、
パーティー料理だからみんな喜ぶのは海苔巻きだよねと思って、
いつも海苔巻きを作ってたらだんだんだんだんだん巻きが上手くなりまして、
なんか凝っちゃうんだよね、僕ね。
それで、竜巻きっていうあだ名がみんなからついて、
竜巻きをいつも楽しみに言って子供から言ってもらえるようになったりして、
で、あと春巻きですね、春巻きもこう巻く料理でして、
巻くの好きよね。
やっぱ見栄えもいいし、つまめるし、
なんかせっかく持ってくんだからみんな食べれるもの、食べやすいものがいいかなと思って、
で、竜巻きとか唐揚げとかいろいろやりましたけども、
やっぱりある時からデザートに行きたいなと思いまして、
ティラミスとかシフォンケーキとか行きましたけど、
今、下積み期間、十何年の下積み期間を経まして、
個々のシュークリームに行き着いたというお話をさせていただければなと思ったんですね。
たくさんのシュークリーム、非常にどこ行っても好評でいます。
そうそう、だって今、年間何個シュークリーム焼いておりますか?
たぶん300個ぐらいだと思うんですけど、
あの辻口先生のレシピに従いまして、
多少アレンジはしてるんですが、簡単にするためにね、
20分の工程で20分焼いて40分で全部出来上がるように、私、実験のテクニックを駆使して、
そうね、タンパク質実験だからね、シュークリームってね。
無駄な作業全部省いて、でも美味しさそのままに、みたいなのが届けられるような工夫をしたわけで。
生クリームとカスタード入れちゃったりとかして、
あとフルーツ入れるとギャルは喜ぶので。
はい、ということで、奏でる細胞、この4月はですね、少し間が空いてしまったんですけども、
ゆりかさんと一緒にね、コミュニケーションということで、
会話のやり方とか、方言とか、あとはバイリンガルとか、
そういったことをですね、話し合った会があるんですね。
09:00
僕のちょっとメモ書きについて、こういうメモ書きをし始めましたみたいな話もあるんで、
良ければ聞いていただければと思います。
そしてですね、その本編の後で最後になりますけども、
今年もインリアナ日本人会の方に呼んでいただいて発表させていただきました、
リュウジェイ論文賞っていうね、アワードを作ってるんですけど、
それをインリアナの方々に支えていただいて、
今年で9年目になるんですけど、
昨年がですね、大江千里さんのコンサートっていうのがありまして、
それの、そういう会の全体のうちの一部をね、やらせていただいて、
大江千里さんについて語らせていただいたんですけど、
今年はですね、上村カナさんという、トイレの神様という曲を歌った方が、
ニューヨークで今活躍されてるんですけど、来ていただいて、
すごい盛り上げていただきました。
非常に楽しい会になったんで、その辺の話をね、また最後に語りたいと思います。
じゃあお聞きください。
奏でる細胞。
奏でる細胞のシーズン3として、
僕が考えてるのは、これまでは編集ね、切りすぎてたのね。
そう?
そしたら、結構大事な、何かを考えて空いた間とかを全部消してんのね。
テンポよく話が行くようにしてんだけど、
例えばこの間レイさんが来てくれたときに、レイさんが、
実はこれ言おうか迷ったんですけど、みたいな感じで言ったときの、
この間が大事なの。
っていう間が大事なのね。
そうそう。
それがなかったから、下手だったなと思う、編集は。
で、触りすぎてたの。
だから、より取ったままに近い方にしたいわけ、俺としては。
だからそうすると、時間が長くなるの。
で、長くしてみたんだけど、すごい皆さん聞いてくれてるわけ。
あ、そう?それは嬉しいね。
嫌なのかと思ってた。
それは大介さんから学んだんだけど、意外と人は聞いてくれると。
だから、間延びしてる会話っていうのは良くないなとは思うんだけど、
何か考えて、難しい話してるときにじっくり考えてるときの間っていうのは、
意外と必要だったりするわけ。
そうよね。
だってそんなにさ、パッとさ、すごい深い話っていうか、考えたらさ、
確かに信用ならないよね、そういう人たちに。
そうでしょ。
うんうん。
ちょっとリアルじゃないわけ。
大介さんとかがポンって難しい話したときに、
うちらで噛み締めながら返事したんだけど、
うまく答えれたところだけを出したら、
え、そんな2秒でゆりかさんこんなにすごい答え返してるの?っていうふうになるわけ。
そっか。
だからその辺の編集を、こう少し伸ばしてもいいなっていうふうに思ってて、
より自然な編集になっていくというか、編集なしに近い状況で、
12:05
シーズン3はポッドキャスト出していこうかなと思ってます。
あ、いいんじゃないですか?
なので、前よりもシーズン1とシーズン2比べるとわかるんだけど、
シーズン2のほうがかなり自然に近くなってる。
シーズン3ではさらに編集を最小限にしていこうかなと思ったわけ。
素を出していくっていうか、
心を開いてポッドキャストやってるのに、
編集が心を開いてなかったらおかしいかなと思って、
編集もよりそっちに近づけていこうというふうに思ったわね。
いいんじゃないでしょうか。
それが聞き心地もいいみたいで、
自分で聞いてみても、より自然になってて、
ゆりかさんの良さが、ゲストさんの良さもすごい出てるなと思って。
そう考えてみると面白いね。
方言を使っていくっていうのも必要なのかもしれないね。
方言の良さってあるよね。
そういう間を埋める方言って結構多いよね、東北に。
んだのーとか。
やっぱり音楽っていうか、合いの手っていうか、
リズムだよね。奏でちゃうんだよね、たぶんね。
そっちの方が感情が伝わるというか、雰囲気が伝わるというか。
私、先日祖母が亡くなったじゃない。
うん。
すごくお話のこの韻というか、このリズムを踏むのがとても上手だったよね。
寒くて寒くて大変だみたいな時に、
寒くて寒くてっていうのよ。
寒いじゃん、それって。
すごい寒いよねって思って、そういうことを言うんだよね。
もう100歳近かった人だったから、初期に生まれた人だったんだけども、
こうやって日本語って歌うように奏でてきた言葉だったのかなって思い出すよ、私。
いや、それあると思うよ。
特に会話の多い家族の人たちってそのさ、
歌うようだよね。
ね。
それで言ったら、ポッドキャストもそうだよ。やっぱり。
でもね、やっぱりポッドキャストは私にとっては標準語でみんなが語っているお利口な場所だなってふうに思っている。
私自身がそうだもん。
あ、でも。
バレちゃうけどさ、この黙ってることはバレちゃってはいるけれども。
僕が言ってるのはその人気のあるポッドキャストとかで、
やっぱり心開いてる人たちは、数に近いからやっぱ方言も出るし、
そうなのよね。
樋口さんとか特にそんな感じ。
いいよね。
そう。
なんだろう、私たち東北人って何か隠してるのかもしれないね。
うん。
こう、やっぱり地元の言葉でポンと出るから、
心開いて喋ってる感じもする。
まあ実際心開いてるんだけど、
そこにあるリズムとかってやっぱり魅力的だもんね。
15:03
そうだよね。
それとね、なんかね意外と方言のほうが諦め早かったりして、
ディスカッションならなかったりする。
どういうこと?
どういうこと?
ディスカッションを諦めちゃう?
方言など。
やっぱなんかね。
俺わかんねえからいいもんみたいな。
なんなんの用語わかんねえんだけどもうとかって、
よく言うじゃない?東北の人。
ああ、もういいわ、話変えるわみたいな。
なんかちゃんちゃんって感じが多いのよ。
話が煮詰まってきた時のちゃんちゃんっていうのが、
方言っていうか、私たち東北の人たちには多いなと思う。
なんかね、私はほら今、会話の形っていうものにすごく興味があるのね。
あるよ。
英語と日本語って比較してやっていく時に、会話の形が違うのよ。
持っていき方とか動きとか流動的な何かが違くて、
奏でるってまさにそれで、奏で方が違うわけさ。
合図地のさ、そのリズムが違うじゃん。
違うよ。だって怖いもんだし、関西のなんでやねんっていうやつ。
英語と日本語の話してると思ったら関西も、確かにね。
違う、東と西でも違うよね。
でもそうすると、西の人たちは東北の人たちのこの、
なんだかわけわかんないんだけどもう、みたいな形の話は、
いったい何を言いたいのだってふりなっていくんだけど、
ねえ、なんだろうね、面白いよね。
そうね。
で、何の話だったっけ?
僕はだから英語だと、結構そのさ、
んふん、んふん、あはん、あはん、みたいなあるじゃん。
あれのさ、やってる時にさ、やっぱり難しいなと思う。
難しいっていうかなんだろうね。
そのノリに合わせてる自分に気づく。無理に。
そうね。
あと若い子たちのやり方ともまた違うしね。
まあでも楽しんでればいいんだけどね。
うん。でもやっぱりそのリズムっていうかこの、
イントネーションとかこのイキイキの発音とかじゃなくて、
会話の流れとか、こう、なんていうの、
音楽に身を委ねるっていうのは、なかなか難しいことよね。
会話って難しいのよ、だから。
うん。そこすごいいいところで、
だからこそ、僕が最近気づいたのは、
シーズン3ではね、編集っていうのは、
そうそう、編集。
できるだけナチュラルに近いところでやっていこうかなと。
いいかもしれない。
もともとさ、ポッドキャストやり始めて、
シーズン1で僕が気づいたのは、
自分の心の形に気づいたっていうのをすごい言ってるんだけど、
一つね、打ち明けると、
あの頃僕は、英語を喋ってる自分と、
日本語を喋ってる自分の切り替えがすごい下手だったの。
だからカルロスと喋ってやった時にね、
中学生みたいな自分たちになってたんだけど、
18:02
日本語で自分の心を伝え合うっていう、
カルロスともそこまで最初、
すごい仲いいところからスタートしたわけじゃないから、
ポッドキャストやりながら仲良くなっていったんだけど、
自分の心の声みたいなのを上げていくうちに、
多分あの頃の自分は、
少し強制的に自分の考え方を、
仕事で英語を上手く使えるようになるために、
より英語に近い形で自分の言葉を形作ろうとしてたの。
頭の中でも。
だからバイリンガルの人って、
頭の中は英語なんですか、日本語なんですかっていった時に、
スイッチがある人もいれば、ずっと片方の人もいるでしょ。
僕は、頭は日本語で、ずっと母国語だから、
頭に基本があるんだけれども、
その頭の中の割合が乗ってる時は、
頭で思ったことと喋ることが英語でできるっていうの。
そういう状況になってたから、
頭をできるだけ英語側にしようという風に自分を持ってってたの。
シーズン1の頃ね。
で、カルロスはどっちかというと、
もっと僕より若い時からアメリカに来てるから、
あの人は頭の中で英語で会話の切り返しっていうのができる人なんだ。
だから圧倒的にスピードが速いし、
英語のボキャブラリーの数とか、
そういうのも多いんだけど、
僕はやっぱりそういう風になろうと少し無理にしてて、
頭の中とか心の中の、
日本から英語転換っていうもののスピードを上げていく時に、
中も英語にしようとしてて、
それで少し負荷がかかってたんだ。
で、そこが結構きつかったのかもしれないなと思って。
で、もうはっきり言うと、
ある方と出会って、
その人はアルツハイマーになってしまったんだけど、
その時に、ずっとアメリカで60年くらい住んでる方なんだけど、
日本語しか喋れなくなっちゃったのね。
そうだったね。
なんかあれを見た時に、
脳の根本にある日本語が残ってるんだと思った時に、
僕ね、仕事自体も、
英語の方に頭を切り替えていった時に、
なんかすごい難しい問題を解くようなところの頭が、
スランプみたいな状況になってたのね。
で、ノートを英語で取るのをちょっと一回やめて、
その時にね、その方を見て、60歳で日本語しか喋れなくなってね。
あんなに英語中心で喋ってたのにさ。
病気がスイッチになったのもあるかもしれないけど、
21:02
心に残るのはその時のことだなと思って。
うち、自分のおばあちゃんの介護をした時にね、
僕大学生の時におばあちゃんの介護をちょっとやってるんだけど、
おばあちゃんも子供の時の記憶とか、子供の時の仕草とかが残ってたっていうのがあって、
それを直接自分のスランプに重ねるのは変かもしれないけど、
直感的にちょっと日本語でノートを取ろうとか。
それは何?自分のルーツというか、
自分が学んできたことと同じことを続けていこうということ?
うん、なんかね。
自分が学んだ小中学生、幼稚園小学生、中学生の頃の学びに戻ろうっていうこと?
自分の研究のすごい難しい軸になってるところあるでしょ?
あれの構想をシナリオみたいな感じでノートに取ったり、
データを集めた時にその構想みたいなのをノートに書くのね。
それをアメリカに来て3年間ぐらいはずっと日本語で書いてたわけ。
で、その時の構想とかクリアにバーって残るし、いつまでも頭に残って、
それ以外のものはもちろん英語に変わって置き換えながらやるんだけど、
16年経ってるでしょ?だからあるところからどんどんどんどん僕は英語に切り替えていったのね。
それでノートも英語で取るようにしてるし、
研究の構想みたいなやつも英語で取るようにしたのよ。
で、うまくいってる時はよかったんだけど、すごい難解なものになって、
そして仕事がね、いろんなものが重なった時に、スランプに落ちた時にね、
なんか英語で構想練ったものたちが頭からちょっと薄れちゃったんだよ、自分の中で。
負担がかかった時に。で、意外とその前に日本語で作ってたやつとか、
英語でやったやつでも、日本の大学とか用にプレゼンで作ったやつとかで、
一回日本語で全部改めてやって残したやつとか、
あとはユリカさんと日本語でしっかり議論したやつとかって、頭にしっかり残る。
英語だって俺残ってると思ってたんだけど、なんか負担かかってたみたいで、
ちょっと頭の中がバーンて疲れちゃった時に、残らなかったんだよ。
で、だからなんかスランプを乗り越えて、それがちょうどシーズン1ぐらいの時に俺スランプ得てるんだけど、
あの時にいろいろ日本語でしゃべったり、ポートキャストで自分の声聞いたりしながら、
本当にバイリンガルの人たちとかでも、
行ったり来たりをやりすぎてしまって、アイデンティティがどっちにあるかわからないみたいな考え方。
24:01
いろんな考え方あると思うんだけど、その中でそういうの聞いたことがあって、
自分はちゃんと日本語のほうに体重乗せといたほうがいいのかなと思った時があって、
シーズン2のこの1年間ぐらいは、もうノートとかも日本語でとってきて、
そう、知らなかった。
英語でバッとメモった後にも日本語でそのサマリーを書くようにしてるの。
それいいかもしれないね。
わかる?
で、質問とかもキーワードとかバッと英語で書いて、そこから質問してたの。
だけどその隣にこの遺伝子の働きは臓器が変わっても一緒なんだろうかとか一言で日本語で入れとくの。
その質問をあげたいなと思ってたのね。
そうすると結局英語で質問するんだけど、ふわっとした質問じゃなくなる気がしたの。
気がしたというか、最近いいなと思ってるわけ、自分の中で。
で、そのスランプを抜けつつあるんだけど、
軸足を日本語にして、科学のディスカッションとかメモとかこれからの構想とかも、
英語と日本語混ざってるんだけど、全部英語でやってた時期に比べて、
やっぱり日本語を入れてる自分の方が落ち着いて前に進めてる感じがするっていうことを打ち明けたかったのね。
面白いね。子供たちに関して、やっぱり14歳以降は、
もう彼らがうちの子供たちね、選ぶ言葉でものの思考を深めていってほしいなってふうに思っているから、
中学から高校上がるくらいよ、このアメリカだったらば、
その時にはもう深い勉強が始まっていくじゃない。
だから英語と日本語を一気にするっていうのは、ちょっと至難の技になってくるわけ。
例えば、科学を理解するとか、数学でもだよね。
その時は、どっぷり英語教育を受けてるんだから、英語で理解していったらいいんじゃないかなと思うわけ。
で、時々私と話す時に、日本語でこういうことどう説明したらいいの?とかっていう話になって、
いや、こういうふうに説明するよって言うと、
ああ、一緒だね、英語と、みたいな言い方に変わってくるのよ。そうそうそうそう、みたいな話。
なんだけど、例えばメンタルヘルスのものの考え方ってなってくると、
日本語だと意外とザクッと理解してる言葉があったりして、
領域が、日本語の領域と英語の領域が違ったりするのよ。
この心の表現の仕方とか、家族との関係性の持ち方ってなった時に、
そうすると、言語によってくっきりはっきりさせる言語と、
心の領域みたいなものってこと?
そうそう、意外と英語ってそういうの進んでるな、特にアメリカは進んでるなと思ってて、
27:00
私は子供たちが高校ぐらいから習いだす学問的なメンタルヘルスのことだったり、
科学の考え方だったり、歴史とかもね、英語で習うと、
彼らからこういう風に論を組み立てていく世界観なんだってことが分かって、
彼らは存分に英語で物を考え、英語で理解し、英語で自分を表現して欲しいなって今思ってる。
特に上の二人は日本語が意外と上手にできていて、
それを私と話す時に、諦めないで私に教えて欲しいなって思っていて。
よく喋ってくれるよね。一生懸命頑張ってる。
私も英語を勉強しているからだと思うんだけど、絶対に諦めないで歩み寄りたいなって思ってるけど、
やっぱり英語の得意な部分と、英語が英語として物を説明する得意なところと、
日本語が表現する何かっていうのはまるで違うよね。
すごく面白いなと思って。家族の会話が増えて面白いなと思ってる。
今はそうだよね。だから上はもう17歳だから、すごい自信持って日本語喋れるようになってて、
それはすごくいいなと思うね。
さっき僕が言ったやつで言うと、英語でメモって、英語でだけ試行して、
いざ難しい研究に向かうって思った時に、なんか自信がなかったりする時があって、
だから日本語を一つ変換しとくチャンスがあると、すごい自信を持ってやれるって言ったんだけど、
娘のほうは今14歳だから、ちょうどそこの自信を持ち始めてるところだと思う。
そうだね。いい時期だよね。
大人としての会話っていうのかな。
自分の意思みたいなものを論理立てて話すっていうことに対して、
すごいしっかりとした組み立てで、英語だといくんだけど、日本語もそういうふうになってきたよね。
なってきた。すごいなってきたね。
聞いてくるよね。英語だとこういうふうに表現して、こういうふうな形で違いを言うんだけど、
日本語だとこれ一つの言葉になって同じ意味にならないなんて言ってくるから、
そうねーとか思って、そうねーとか言って、
じゃあ日本語だとやっぱりこういうふうに言ったらいいのかなーなんて話になるよね。
ちょっと例を挙げられないんだけど。
軸足をきちっと日本語に置けるっていうのがやっぱりタツさんの母国語は日本語だっていうことの証明だし、
そうやって教育を受けてきたっていう。
言葉は大きいなと思ってて。
あとね、博士論文を私たち日本語で書いてるじゃない。
あれ大事な作業だったなと思うの。
あそこで英語で書く選択肢もあったんだけど、
それはあるわ。それはあるわ。
私ね、日本語で書いてよかったと思ってるよ。
30:00
論の詰め方を、あのね、ギブアップしなかった。日本語で書いたから。
1、2、3って詰めていくときに、
1.01、1.02、ね、ジュジュジュジュジュってこう1、2、3って詰めていくときに、
決して諦めずに、英語のせいにせずにね、日本語として、
で、担当の先生も日本語をきちんと向き合ってくださったから、
とてもいい機会だったなと思っています。
そうそう、軸足っていうところで言うと、
なんかやっぱり日本語なんだなっていうふうに思って、
結構さ、あのー、ショックを受けたときもあった。
自信を持ってさ、何回もいろんな論文書いてきてるから、
英語の方の文章だって、しゃべる英語だって、
僕はそれなりに自分に自信を持ってやってきてはいるんだけど、
ことに書く方に関しては、何回も書いてきてるし、何回もうまくいってるはずのものが、
フローが良くないって言われて、真っ赤になって帰ってくるんだよな。
で、ある程度若いうちは、そうやって成長していくんだと思ってやってんだけど、
この微妙なニュアンスで、どこが改善されてるのかわからないようなところを真っ赤になって帰ってきて、
前の方がいいんじゃないのっていう気持ちもあったりしたり、
それはもうスタイルの違いになってきてんじゃないのとか、
好みの違いだよねみたいなふうになったり、
確実に良くなってるかどうかが、もうわからないレベルになってしまってるときとかに、
その不安みたいなのって、自信みたいなのって揺らぐよね。
だから、そういうのもあったのかもしれないけど、スランプのね、一つとしてはね。
だけど、それを乗り越えるために、日本語に軸足を置いたのが良くなったなと思うし、
明らかに、シーズン1からシーズン2で、この1年間でね、自分のしゃべりに自信が乗ったというか、
ああ良かったなと。だいぶいろんなものを取り戻してきたというか、
僕は根本に日本語を持って、英語も使いこなせる人というような立場が自分にとって満足なんだなと思ったのね。
少し自分の中で、全部、頭の中も全部英語でできる人にならなきゃいけないって思い込んでたの。
だから、それができないって思った時に、最初つらい気持ちもあるし、
逆にプライドがあるから、あえて日本語を中心に置かないようにしようと無理にしてる時もあったし、
でも、そういうのがいろいろ経験した上で、自分はこの軸は日本語で良くて、
で、あとは上手く英語で表現していくというような形で仕事をしていくというのがあって、
良いんじゃないでしょうか。
学んだっていう、そういう話です。
だから、そういうのも経験して、ゆりかさんのこのひらくの本。
ひらくに来るのね。
この本というものが、言語に向き合うだけじゃなくて、文化にも向き合うだけじゃなくて、人に向き合うでしょ。
33:04
そして自分に向き合う。
でしょ。
これって自分の言葉を手に入れる大事なステップだと思うんだけど、
それが、自分って何かっていうことに言葉から気づくこともあるんでしょ。
ここに感動したの。
母国語の大切さってこと。
だから、これに力を入れていきたいっていうのがシーズン3なんです。
心を開きながらも、言語っていうものとか文化っていうものに自分がどう向き合って、
何を感じたかみたいなのを自分の言葉で話していきたいなって思ってる。
そうだね。
だから、それをやりたい。
奏でる細胞。
はい、聞いていただきました。
バイリンガルとか、メモの取り方とか、方言とかね。
多分、方言の話って初めてなんじゃないですか。
気づくと、さっきも話してたけど、隠してる何かがあるのかもしれないね。
方言っていうことで。
ちょっと私、考え直します。
自分の心の深いところを。
何のことですか?
方言を使う自分っていうものと、英語を使う自分っていうものと、標準語で暮らす私っていうものをちょっと考え直したいなと思いました。
私、もっと深いところに自分の川が流れてるんじゃないかなって。
方言だったり、祖父母が亡くなったことで、祖父母がお話ししたことをよく思い出すのね、最近。
そうすると、そういうものが私の心の深いところで川となって流れていて、
そういうところを無視しちゃいけないんじゃないかなっていうふうに思ってるんです。
だから、ちょっと考え直そうかなって、自分でお話ししててすごく思いました。
それが聞けてよかったです。
少し重なるんですけど、インディアナ日本人会に行ったんですね。
そしたら、上村カナさんのトイレの神様っていう曲は一番最後でした。
今回も僕はゲストとして参加する形で、15分くらいお話しさせてもらったんですけど。
研究者の会の説明よね。
これまで若手の研究者を支えよう、若手の研究者のすごい研究っていうのを皆さんに伝えられるよう発信しようっていうイベントでやってきたんですね。
そっちが僕の仕事としてはやって、大成功に終わって、いろんな人から温かい声をかけていただいて、
本当に素晴らしい受賞者の方々が集まってて、
ウェブサイトとかでも公開されてるんでそっちも見てほしいんですけど、
UJ論文賞に関しては改めて別の機会にじっくり喋りたいなと思ったんですけど、
その後、いつものように夜教がありまして、ご飯がありまして、
一番最後のメインイベントのところに上村カナさんが来てて、何曲も歌いながら日本語で歌い続けるとおっしゃってたんですね。
日本語でコンサートをして、英語も混ぜながらやるんですけど、半々ぐらいでやるけれども、
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ニューヨークで歌いながら、私は日本語で歌い続けると。
日本語のリズムだからこそ乗るものがあるとか、言葉の良さみたいなのがあるとか伝わる気持ちがあるっていうことをおっしゃってて、
すごい共感したんですよ。
最後の最後にトイレの神様の曲を歌うんですけど、
おばあちゃんを愛する曲というか、おばあちゃんの思い出の曲だったんですよ。
知ってはいたんですけど、この曲こんなに自分の心を揺さぶる曲だということを僕は知らなくて、
なんと最後終わって、みなさんが拍手しているとき、つっぷしてですね、動けなくなってしまって、僕涙が止まらなくなってしまって、
2分だったか5分だったかわかんないですけど、頭があげられなくなって、ご飯食べるときにナプキンがあるでしょ、
左に乗せていたナプキンが顔のこの状態で、僕多分動けなくなってました。
みなさん拍手しているとき、拍手もできませんでした。
6月に日本に帰ってね、会うはずだった家族が亡くなってしまったせいで行けなかったじゃないですか。
会えなかったままね、会うはずだったのでね、そういうのがやってきてしまった。
僕よりもゆりかさんの気持ちがワーってやってきたのもあって、
あと自分のおばあちゃんで学校のときも、日本に帰って、葬式じゃなくて線香あげたの1年後だったりしたじゃないですか。
そういうのが、全部大人として乗り切ってたわけ。遠く離れてるから仕方ないよねって。
我慢してたものみたいなのが、今までのダムみたいなところの壁でせき止めてた思いみたいなものが、すっごい素直な綺麗な声で歌われたわけ、まっすぐに。
予想外の、自分ではコントロールできない状況になりまして。
それだけ心のこもった歌だったんでしょうね。
すごいなと思いました。愛情を表現できる人たちの才能というのは、すごいなと思って。
僕はカルロスに会ってから特に、愛情というものを表現できる人たちへの評価や感謝っていうのがすごい高まってまして、
職業とかでも、愛情をこんなに表現してる人たち、なんで給料上がんないの?みたいな人たちがいるんですよ。
例えば、保育園の先生とか、幼稚園の先生とか、一人一人の子供に、愛情を表現できるんですよ。
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歌も含め、抱きしめることも含め、言葉をかけることもね。
でも高級取りの人たちが、意外とそういう愛情表現とかなしで、多分舵取りみたいなのをしてリーダーシップで緊張感あふれて大変なところを神経を使っている人たちに高級がいって、
ああいう柔らかくてね、先生に会うだけで笑顔になれるみたいな人とかいるじゃないですか。
愛情あふれてる。歌手の方だってもうファンになっちゃったら、その人を見るだけで幸せになる人たちいるじゃないですか。
ああいう人たちはやっぱり素晴らしいなと、愛を表現できる人たち素晴らしいなっていう表現っていうか、価値観をね、高めてもいいんじゃないかなって思ったりしてます。
トルストイの人は何で生きるのかっていう答えを達さんは今見出さんとしてるんですね。
そうですね。今回イントロで愛があるのが当たり前で始まってしまいましたけども、最後も愛があるのが当たり前っていう結論になってしまいそうですが、
いやー、愛に支えられてやってますね、僕らね。
そういうことね。
ゆりかさんの祖父母への思いっていうのもいいなと思ったし、歌でね、そういう思いが自分の中にもこんなにあったんだなと改めて思ったというところですね。
奏でるってことについてまた考えることができたね。
達さんは細胞の研究から細胞を見て、細胞も奏でてるわけだけど、そういうことはやっぱり細胞の集合体の人間っていうのは奏でる存在であると。
奏で、響き、響き合う存在ってことですかね。
そうですね。代謝で言うと細胞というものは栄養素というものを吸収します。代謝の後、排気物みたいなものを出すわけですね。
そうするとその循環によって細胞というのは成り立っているわけですね。
そのエネルギーを使って細胞というのは、響き合ったり、あるときにある方向に進んでいったり、走ったり、歌ったり、愛情を表現したり、いろんなことをするんですけども、そこから生まれてくるものは大事ってことですよね。
今の意味わかった?今の必要だった?
いつうんこシウムって言ってくれるのかなーって思ってたんだけど。
とにかく突破したんですよ、僕は。だからそういう時間がありましたということと、素晴らしい音楽をありがとうございましたと。
インディアナの日本人の皆さんには呼んでもらってね、こんなに研究者のことを取り上げていただける自動車産業の方々が多いんですけど、
そういう人たちが僕たちをわざわざ仲間に入れてくれてね、こんな舞台まで準備してくださったことに本当に心が熱くなって嬉しいですと。
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研究者を応援してくれるっていう気持ちをこうやって表現してくださる人がいるんですよ、インディアナに。素敵だなと思いましたということで感謝を申し上げたいと思います。
はい、わかりました。
ということで奏でる細胞ですが、次回また科学系ポッドキャストの日ということで仏崎さんがホストなんですけど、NEXTというタイトルでやっていきたいと思います。
で、NEXT軽く先に言わせていただきますと、ゆりかさんの教科書ひらく、これをですね、中心においた企画をやっていきたいと思います。
そしてゲストが来ます。なのでそのゲストについての前情報とひらくが今後どういうふうにやっていくかというところで、
皆さん気になるでしょう?ひらくって何かね。
それを説明していく回になりますので本格指導をしていきますよ。
楽しみ。
ということで奏でる細胞シーズン3。
ゲストの方にもこうご期待。
すごい方来ますからね。そしてそのすごい人はひらくの教科書を大絶賛して僕はこれをやりたいんだということで。
ポッドキャストを使ってですね、ひらくのパートナー探し、スタディバディを探すところからやっていきたいと思いますので。
期待していてください。
ということで最後まで聞いていただいてありがとうございます。
お相手は科学教室の先生、たつと。
ゆりかでした。
バイバイ。
バイバイセコ。
奏でる細胞。
ミュージック&サイエンスポーツキャラクター。
この番組は地域医療に貢献し、皆様の一番近くにいるホームドクターを目指す。
はたなかないか。糖尿病クリニックのスポンサーズでお送りいたします。
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